実力教室大爆破   作:EXTERMINATION

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第六話 南棟二階

白波千尋の嗚咽が、崩れかけた北棟三階の廊下へ小さく響いていた。

 

感圧式の装置からようやく解放された彼女は、

もう自分の足で立っていることさえできなかった。

床へ膝をつき、両肩を細かく震わせながら、

堰を切ったように涙を流し続けている。

 

つい先ほどまで、白波は死への恐怖と張り詰めた緊張、

そして誰にも助けを求められない孤独を、たった一人で抱え込んでいたのだ。

心も身体も限界を迎えているのは当然だった。

 

「……怖かった……」

 

白波が掠れた声を漏らす。

 

「本当に……死ぬかと思った……」

 

伊吹澪は白波の前へしゃがみ込むと、

持っていた水筒を半ば押しつけるように差し出した。

 

「飲みなさい」

「……ぁ」

「震えすぎ。少し落ち着きなさいよ」

 

口調こそ相変わらずぶっきらぼうだったが、

余計な慰めを口にしない態度が、かえって白波に奇妙な安心感を与えたらしい。

 

白波は両手の震えを抑えきれないまま水筒を受け取った。

 

「ありが……とう……」

 

伊吹は気まずそうに視線を逸らす。

 

「別に。水を渡しただけよ」

 

少し離れた場所では、龍園翔が崩れた壁へ背中を預けながら、

放送の切れた天井スピーカーを睨んでいた。

 

山内が次に指定した場所は南棟二階であり、

そこには二つの仕掛けが同時に用意されているという。

 

しかも、片方を救おうとすれば、もう片方が危険に晒される。

 

龍園はその意味を噛み締めるように低く舌打ちした。

 

「チッ……面倒なことばっかり仕掛けやがる」

 

その声音には、普段の愉快そうな響きよりも、静かな怒りが滲んでいた。

 

石崎大地は話を思い返すだけで不安になったのか、青ざめた顔を龍園へ向ける。

 

「に、二つ同時って、結局どういう意味なんすかね……」

「そのままの意味だろ」

 

龍園は苛立たしげに答えた。

 

「俺たちに、どっちを先に助けるか選ばせる気だ」

 

鬼龍院楓花は、崩れた窓の向こうへ目を向けていた。

 

遠くでは今も黒い煙が上がり、校舎の一部が赤い炎に包まれている。

非常ベルは途切れることなく鳴り続け、

普段なら生徒の声で賑わうはずの学校は、完全に災害現場へ変わっていた。

 

「山内春樹は、少しずつ問題の性質を変えている」

 

鬼龍院が静かに言う。

 

オレは彼女へ視線を向けた。

 

「最初は恐怖そのものを突きつけ、次に選択を要求した。

そして今度は、複数の人間を比較させようとしている」

「比較って、どういうことっすか?」

 

石崎が聞き返す。

 

鬼龍院は窓の外を見たまま説明を続けた。

 

「二つの仕掛けを同時に用意したということは、

救助する順番や優先順位、危険度を測らせるつもりなのだろう」

 

わずかな間を置いてから、彼女は結論を口にした。

 

「つまり、どちらを先に助け、誰を切り捨てるのかを選ばせる」

 

龍園が目を細める。

 

「ほんと、この学校らしい試験だな」

 

それは明らかな皮肉だった。

だが、完全に否定することもできない。

 

高度育成高等学校は、これまで何度も生徒たちへ選択を迫り、

誰かを評価し、時には切り捨てさせてきた。

山内はその学校のルールを、爆発物を使った悪質な試験へ置き換えている。

 

床へ座り込んでいた白波は、袖で涙を拭いながら顔を上げた。

 

「みんなは……?」

「体育館にいる」

 

オレが答えると、白波の表情がほんの少し緩んだ。

 

「よかった……」

「お前のことを、かなり心配していたぞ」

 

その言葉を聞いた瞬間、白波の目から再び涙が零れ落ちた。

 

「ごめん……」

「謝る必要はない」

「でも、私のせいでみんなが……」

「お前だけのせいじゃない」

 

山内が悪いことは言うまでもない。

だが、それだけで片づけてしまえば、本質を見失う。

 

この学校が繰り返してきた選別や排除が、

山内をここまで追い込む一因になったことも否定できない。

その事実は、ここにいる誰の胸にも重く残っていた。

 

その時、乾いた小さな音が廊下へ響いた。

 

ピシッ、と何かが割れるような音だった。

 

鬼龍院が即座に顔を上げる。

 

「動くな」

 

全員が反射的に足を止めた。

 

鬼龍院は廊下中央へ視線を落とす。

崩落部分の近くに走っていた細い亀裂が、先ほどよりわずかに広がっている。

 

「床が沈み始めている」

 

高円寺六助が興味深そうに目を細めた。

 

「ほぅ?」

「この人数の重さに耐えられなくなっている可能性がある。

この場に長く留まるのは危険だ」

 

龍園が再び舌打ちする。

 

「なら、さっさと移動するぞ」

「白波はどうするの?」

 

伊吹が問いかけた。

 

白波の足はまだ細かく震えている。

立ち上がることさえ難しく、とても自力で歩ける状態ではなかった。

 

すると、高円寺が仕方なさそうに肩を竦める。

 

「やむを得ない。私が運ぶとしよう」

 

全員の視線が高円寺へ集まった。

 

「……お前が?」

 

龍園が怪訝そうに問い返す。

 

高円寺は涼しげに微笑んだ。

 

「困っている子羊を救うことも、美しい者に課された義務だからねぇ」

 

石崎が小声で呟く。

 

「何を言ってんだ、この人……」

 

しかし高円寺は冗談を言っているわけではなかった。

彼は白波の前へ歩み寄ると、その場にしゃがみ込んで背中を向ける。

 

「乗りたまえ」

「え……?」

「足が限界なのだろう?」

 

白波は戸惑いながら高円寺の背中を見つめた。

 

「で、でも……」

「安心したまえ」

 

高円寺は振り返らずに笑う。

 

「私はレディをエスコートすることにかけても完璧なのだよ」

 

その自信は異常なほどだったが、不思議と虚勢には聞こえなかった。

白波はしばらく迷った後、恐る恐る高円寺の背へ腕を回す。

高円寺は彼女の身体を、ほとんど重さを感じていないかのように軽々と背負い上げた。

 

「随分と軽いねぇ」

「す、すみません……」

「謝る必要はない。君が軽いことは、今の私には都合がいい」

 

高円寺は白波を背負ったまま歩き出した。

 

崩れた床や散乱した破片の間を進んでいるにもかかわらず、

その足取りには一切の不安がない。

まるで危険な廊下ではなく、整備された散歩道でも歩いているようだった。

 

龍園はその後ろ姿を見ながら、改めて目を細める。

 

「やっぱり化け物だな」

 

その時、天井のスピーカーから再びノイズが走り、山内春樹の笑い声が流れてきた。

 

『へぇ。高円寺、お前、そういうこともするんだな』

 

高円寺は歩みを止めなかった。

白波を背負ったまま、余裕の笑みを浮かべている。

 

『なんかガッカリだわ。もっと自分のことしか考えない奴だと思ってたのに』

 

高円寺がそこで初めて口を開いた。

 

「それは君の勘違いだねぇ」

 

赤く点滅する非常灯の下で、高円寺は穏やかに笑う。

 

「私は他人を助けないのではない。

助ける価値がないと判断した者を助けないだけだ」

 

体育館で同じ発言をすれば、多くの生徒が反発しただろう。

だが今この場では、その言葉に奇妙な説得力があった。

 

高円寺はさらに続ける。

 

「そして、少なくとも今の彼女は、恐怖に怯えながらも懸命に生きようとしていた」

 

白波が驚いたように目を見開く。

高円寺は少しだけ声を落とした。

 

「醜く足掻きながら、それでも生を諦めない。私はそういう姿を、嫌いではない」

 

龍園が喉の奥で笑った。

 

「相変わらず、言ってることが分かるようで分からねぇな」

 

スピーカーの向こうから、山内の乾いた笑いが返ってくる。

 

『……ハッ。ほんと、お前ら変な奴ばっかりだな』

 

その声には、先ほどまでにはなかった苛立ちがわずかに混ざっていた。

 

オレはその変化を聞き逃さなかった。

山内は、自分の想定から外れることを嫌がっている。

白波が救われ、高円寺が予想外の行動を取ったことで、

彼の中に用意されていた筋書きが僅かに乱れた。

こちらが山内の予測を上回り続ければ、精神的な均衡を崩せる可能性がある。

 

そう考えた直後、山内が唐突にオレの名を呼んだ。

 

『あ、綾小路』

 

オレは返事をせず、黙って続きを待った。

 

『今、何か考えただろ』

 

廊下の空気が僅かに変わる。

 

まただ。

 

山内の反応は、あまりにも近すぎる。

 

龍園が低い声を出した。

 

「おい。やっぱりおかしいぞ」

「ああ」

「監視カメラだけじゃ説明がつかねぇ」

 

鬼龍院も疑念を隠さずに言う。

 

「反応速度が異常だ。映像だけでなく、

綾小路の僅かな変化まで捉えているように見える」

 

高円寺が楽しそうに笑った。

 

「まるで、山内ボーイが綾小路ボーイの目の前にいるようだねぇ」

 

その言葉が妙に耳へ残った。

 

目の前にいる。

 

近距離から見ている。

 

山内は、オレの表情や思考の変化を異常なほど正確に把握している。

 

どこから見ているのか。

 

なぜ、ここまで細かく読み取れるのか。

 

疑問は頭の奥へ残り続けたが、今は答えを探している時間ではない。

 

南棟二階には、次の仕掛けが待っている。

 

「行くぞ」

 

オレが告げると、全員が北棟からの脱出を再開した。

 

 

北棟を出ると、外気が廊下に充満していた煙を僅かに薄めてくれた。

 

しかし、外へ出たからといって状況が良くなったわけではない。

 

校舎の上空には黒煙が立ち込め、

焦げ臭い風がグラウンドを吹き抜けている。

遠くでは複数の建物が燃え続け、

緊急車両の赤色灯が煙の中で不規則に点滅していた。

 

どこを見ても、ここが学校だったとは思えない。

 

グラウンドでは、三年生たちが負傷者の搬送を行っていた。

 

その中心に立ち、南雲雅が次々と指示を飛ばしている。

 

「そっちの負傷者は医務室へ運べ!

動ける奴は校舎外周の確認に回れ!勝手に単独行動するな!」

 

普段の南雲が浮かべている余裕めいた笑みは消え、

代わりに大勢を統率する人間の顔が前面に出ていた。

 

オレたちの姿を見つけると、南雲はすぐに近づいてくる。

 

「白波は助けたのか」

「ああ」

 

南雲は高円寺の背にいる白波を確認し、僅かに息を吐いた。

 

「さすがだな」

 

しかし安心した表情は一瞬で消え、すぐに顔を険しくする。

 

「問題は次だ」

「南棟二階か」

「既に何人か三年生を向かわせている。だが、妙な点がある」

「妙?」

 

南雲は眉を寄せた。

 

「南棟二階に残っているはずの生徒数と、連絡が取れている人数が一致しない」

 

龍園が不機嫌そうに舌打ちする。

 

「どこかに隠れてる奴がいるってことか」

「あるいは、既に山内の仕掛けへ巻き込まれているかだ」

 

その時、グラウンドの反対側から大きな悲鳴が上がった。

 

「きゃあああっ!」

 

全員が声の方角へ振り向く。

校舎二階の窓際に、男子生徒が一人、外へぶら下がっていた。

彼は片手だけで窓枠を掴み、必死に身体を支えている。

真下には硬いコンクリートが広がっていた。

 

「う、うわあああっ!助けてくれ!」

 

石崎の顔が一気に青ざめる。

 

「やべぇって!」

 

その瞬間、男子生徒の背後にある室内で小さな爆発が起きた。

鈍い音とともに火花と煙が噴き出し、男子生徒が悲鳴を上げる。

 

「ぎゃあああっ!」

 

衝撃で窓枠を掴んでいた指が滑り始める。

 

「落ちるぞ!」

 

誰かが叫んだ時には、既に一つの影が走り出していた。

 

高円寺六助だった。

 

「フッフッフ!」

 

高円寺は白波を鬼龍院へ預けると、地面を強く蹴った。

 

その加速は異常だった。

 

一気に校舎の外壁まで駆け抜け、そのまま壁沿いに伸びた配管へ飛びつく。

 

周囲の生徒たちが息を呑んだ。

 

高円寺は腕と脚だけで身体を引き上げ、二階付近まで迷いなく登っていく。

 

石崎は呆然とその姿を見上げた。

 

「は……?マジで人間か……?」

 

男子生徒の手が完全に窓枠から離れた。

 

身体が宙へ投げ出される。

 

しかし、落下が始まった直後、高円寺が片腕を伸ばして男子生徒の手首を掴んだ。

 

「うわあああっ!」

 

男子生徒の身体が宙吊りになる。

高円寺は片腕だけで一人分の体重を支えていた。

腕の筋肉へ強い負荷がかかっているはずだが、表情は少しも崩れない。

 

「騒がしいねぇ」

 

高円寺は余裕を失わないまま笑った。

 

「少しは静かにできないのかい?」

 

そのまま高円寺は、信じられないことに

片腕だけで男子生徒を持ち上げ、窓の方へ押し戻した。

 

室内にいた三年生たちが慌てて腕を伸ばし、男子生徒を引き上げる。

 

救助が終わると、グラウンド全体が一瞬静まり返った。

 

誰もが言葉を失っていた。

 

高円寺は配管から軽やかに降り、最後は地面へ飛び降りる。

足元から砂埃が舞い上がった。

彼は何事もなかったかのように髪を整える。

 

「やれやれ。今日は朝から運動量が多いねぇ」

 

龍園が呆れ半分、感心半分の笑みを浮かべた。

 

「化け物すぎんだろ」

 

南雲すら苦笑を隠せなかった。

 

「お前、本当に何なんだ?」

 

高円寺は胸を張る。

 

「完璧な存在さ」

 

その直後、校内放送が再び鳴った。

山内の声だったが、今度は笑いが少し消えている。

 

『……ほんと、嫌になるな』

 

これまで余裕を崩さなかった山内が、初めて感情を露わにした。

 

『なんでそんなに動けるんだよ、お前ら』

 

オレはその声を聞きながら考える。

 

山内は、こちらを見ている。

 

だが、高円寺を含めた全員の行動までは読み切れていない。

 

そこには付け入る隙がある。

 

 

南棟へ続く渡り廊下は、既に半壊していた。

 

窓ガラスはほとんど砕け散り、床には大小無数の破片が広がっている。

天井の一部も崩れ落ち、剥き出しになった配線が時折火花を散らしていた。

 

通常の照明は完全に消え、赤い非常灯だけが不規則に明滅している。

その光が煙の漂う通路を断続的に染め上げ、

まるで校舎全体が巨大な警告灯になったように見えた。

 

「マジで崩れそうじゃねぇか……」

 

石崎が顔を引き攣らせる。

 

その声は紛れもない本音だった。

 

普通の高校生が、崩落寸前の校舎内を進む経験など持っているはずがない。

床は歩くたびに軋み、壁には大きな亀裂が走り、

次の爆発がいつ起きるかも分からない。

 

精神を削られない方がおかしい状況だった。

 

龍園は崩れた壁へ手を触れた直後、熱に気づいて舌打ちする。

 

「チッ、まだ熱ぃな」

 

伊吹は煙の奥へ目を凝らした。

 

「南棟側で、まだ火が燃えてる」

 

廊下の先、南棟二階へ続く方向では、黒煙が天井近くを覆っていた。

煙の向こうからは炎の赤い光が揺れ、焦げ臭い風がこちらまで流れてくる。

 

鬼龍院が冷静に状況を判断する。

 

「急いだ方がいい。火が広がれば、山内の仕掛け以前に退路を失う」

 

高円寺はそんな状況でも、妙に優雅な足取りで歩いていた。

崩れた床や散乱した破片を、障害物競走のコースでも進むように軽々と避けていく。

 

「随分と荒れた校舎だねぇ」

 

石崎が半泣きで声を上げる。

 

「こんな状況で、なんでそんなに余裕があるんだよ!」

「余裕を失う意味が分からないからだよ」

 

高円寺は笑う。

 

「恐怖とは、弱者が自らを縛るために抱く感情だからねぇ」

 

伊吹が呆れた顔を向けた。

 

「アンタ、本当に人類なの?」

「美しい存在、と呼んでほしいねぇ」

 

その時、再び何かが割れるような音がした。

 

鬼龍院が即座に手を上げる。

 

「止まれ」

 

全員が足を止める。

 

鬼龍院は廊下中央に走ったひび割れを見つめた。

亀裂の隙間からは、下階から上がってきたと思われる薄い煙が漏れている。

 

「床下が空洞になっている。中央を踏めば抜け落ちる可能性がある」

 

龍園が目を細める。

 

「通れるか?」

 

鬼龍院は床と壁の状態を見比べた後、短く答えた。

 

「壁際なら可能だろう」

 

アルベルトが先頭へ出て、慎重に床へ足を置く。

ミシッと軋む音がしたが、床は崩れなかった。

一番体重のあるアルベルトが通過できることを確認し、

他のメンバーも間隔を空けて進み始める。

 

白波は再び高円寺の背へ乗せられていた。

 

先ほどより呼吸は落ち着いているものの、完全に回復したわけではない。

顔色は依然として悪く、腕にもほとんど力が入っていなかった。

 

「大丈夫か」

 

オレが声をかける。

 

白波は高円寺の背中へ身体を預けたまま、小さく頷いた。

 

「うん……」

 

返事に力がないのは当然だった。

彼女はつい先ほどまで、危険な装置の上で一人きりになっていたのだ。

早く一之瀬の元へ送り届けてあげたかった。

 

その時、天井のスピーカーからノイズが流れ、山内春樹の声が響いた。

 

『おーおー。仲良しごっこか?』

 

龍園が露骨に不機嫌そうな顔をする。

 

「うるせぇな」

 

『白波は助けちゃうし、高円寺は相変わらず化け物だし、ほんと嫌になるよ』

 

山内の声には、以前よりはっきりと焦りが混じり始めていた。

白波の救出も、高円寺の行動も、彼の想定を少しずつ崩している。

 

『でも、次はそんなに簡単じゃねぇぞ』

 

オレたちは足を止めずに、放送へ耳を傾ける。

 

『南棟二階の視聴覚室。そこに二つ用意してある』

 

石崎が不安そうに呟いた。

 

「二つ……?」

 

『しかも今回は、ちゃんと選ばないと無理だ。

助ける順番を間違えたら、どちらかが危険になる』

 

鬼龍院の目が細くなる。

 

「連動式か」

 

『さすが鬼龍院先輩。理解が早いねぇ』

 

龍園が吐き捨てる。

 

「性格の悪い仕掛けだな」

 

『まあいい。早く行けよ。時間がなくなるぞ』

 

そこで放送は切れた。

 

赤い非常灯だけが、不気味な間隔で廊下を照らし続けていた。

 

 

南棟二階の視聴覚室前へ到着した時、

オレたちはその周辺だけ空気が異なっていることに気づいた。

 

周囲が静かすぎる。

 

煙の流れも少なく、遠くで鳴っているはずの爆発音や警報音も、

厚い壁に遮られているように小さかった。

 

まるで視聴覚室の周辺だけが、

崩壊した校舎から切り離された別の空間になっている。

 

龍園が低く呟いた。

 

「嫌な感じがするな」

 

その顔からは、いつもの不敵な笑みが消えていた。

本当に危険を感じている時の表情だった。

 

視聴覚室の扉は半開きになっていたが、内部の照明は落ちている。

鬼龍院が入口付近の床へ目を落とす。

 

「ワイヤーがある」

 

扉の下から、細い糸のような線が廊下へ伸びていた。

 

石崎が息を呑む。

 

「うわっ……!」

 

伊吹がワイヤーを睨む。

 

「引っ掛けたら作動する仕掛け?」

「違う」

 

鬼龍院はその場へしゃがみ込み、線の向きと接続先を確認した。

 

「これは作動させるためのものではない。こちらの注意を引くために置かれている」

「注意を引く?」

「床や扉へ視線を向けさせるための偽装だ」

 

その瞬間、高円寺が天井を見上げた。

 

「本命は上だねぇ」

 

全員が顔を上げる。

換気口の隙間から、二つの赤いランプが覗いていた。

 

龍園が目を細める。

 

「視聴覚室の中だけじゃねぇのか」

 

鬼龍院は静かに頷く。

 

「ワイヤーへ注意を向けさせ、

その間に天井側の仕掛けを見落とさせるつもりだったのだろう」

 

その時、視聴覚室の奥から微かな泣き声が聞こえた。

 

二人分の女子生徒の声だった。

 

「た、助けて……」

「動けない……!」

 

龍園が舌打ちする。

 

「チッ。本当に二人いるな」

 

オレは扉の手前まで進み、暗い室内へ目を凝らした。

廊下の赤い非常灯が僅かに差し込み、

床の中央にいる二人の姿を辛うじて浮かび上がらせる。

 

一人は山村美紀だった。

 

Aクラスの中でも目立つ存在ではなく、

普段から声が小さく、周囲の空気へ溶け込むように立っている少女だ。

 

その山村が今は涙を浮かべ、

床の一点から足を離せないまま、必死に姿勢を保っている。

 

もう一人は佐藤麻耶だった。

 

堀北クラスに所属し、普段なら明るい表情で友人たちと話していることが多い。

そんな佐藤が、今は顔を真っ青にして、震える唇で助けを求めていた。

 

「綾小路くん……」

 

佐藤の声が震える。

 

「わ、私……動けない……」

 

ここには軽井沢はいない。

 

佐藤がその事実を理解しているのか、恐怖で考える余裕すらないのかは分からない。

ただ、泣き出しそうな顔でオレたちを見つめていた。

 

山村も小さく声を漏らす。

 

「坂柳さん……」

 

その名前を聞いた瞬間、鬼龍院が僅かに目を細めた。

 

坂柳有栖も今はこの場におらず、体育館へ残っている。

 

しかし山村にとって、坂柳は何が起きても動じない冷静さの象徴だったのだろう。

その坂柳がいない状況で、山村は一人きりで恐怖に耐えていた。

 

視聴覚室の中央には、大型の装置が設置されていた。

山村と佐藤の足元から伸びる細い線は、どちらも中央の装置へ接続されている。

片方を動かせば、もう片方が危険になる。

一人を先に助けようとすれば、もう一人へ残された時間が減少する。

その配置は、まるで山内がこちらへ問いかけているようだった。

 

Aクラスと堀北クラスのどちらを優先するのか。

 

普段は目立たない山村と、明るく交友関係の広い佐藤のどちらを先に救うのか。

 

坂柳のクラスメイトか、オレたちのクラスメイトか。

 

龍園はその構図を理解し、低く舌打ちした。

 

「チッ……今度はクラス同士を比べさせる気かよ」

 

鬼龍院が静かに頷く。

 

「そうだろうな。感情や所属によって救助の優先順位を乱させるための配置だ」

 

高円寺は不快そうに肩を竦める。

 

「実に醜い趣向だねぇ」

 

その言葉を聞いた佐藤が、さらに身体を震わせた。

 

「助けて……お願い……。私、死にたくない……」

 

山村も涙を浮かべながら、震える声で訴えた。

 

「わ、私も……まだ、死にたくありません……」

 

山村の声はあまりにも弱く、視聴覚室の暗がりへ消えてしまいそうだった。

 

それでも、その言葉は確かにオレたちへ届いた。

 

龍園は笑わなかった。

 

二人の足元と中央の装置を見比べ、低く呟く。

 

「……趣味が悪ぃな」

 

オレも同感だった。

これは単なる装置の解除ではない。

人間の価値を比較させ、誰を先に救うか選ばせるための問題だった。

 

山村と佐藤は互いに離れた場所で床の一点を踏み続け、

その足元には黒いケースと赤いランプが配置されている。

 

さらに二人の中央には、それらと接続された大型の装置が置かれていた。

 

鬼龍院が全体の構造を見て、静かに呟く。

 

「片方だけを動かせば、中央の仕掛けが反応する。

二人をほぼ同時に解放する必要があるようだな」

 

石崎が頭を抱えた。

 

「そんなの無理ゲーじゃねぇっすか!」

 

龍園は視聴覚室の広さを確認するように周囲へ目を走らせる。

 

「しかも部屋が狭ぇ。大勢で入れば、別の仕掛けへ触れる可能性もある」

「人数は絞った方がいいだろうな」

 

鬼龍院が同意する。

 

高円寺は二人の足元ではなく、視聴覚室全体をゆっくりと見回していた。

やがてスクリーンの方へ視線を向け、僅かに笑う。

 

「……ほぅ」

 

その声とほぼ同時に、オレも異物へ気づいた。

室内正面には、黒い大型スクリーンが下ろされている。

その中央部分に、不自然な小さな穴が開いていた。

穴の奥には丸いレンズがあり、赤い光が微かに点滅している。

 

監視用のカメラだった。

 

「見つけたか」

 

龍園が低く言う。

 

高円寺は余裕の笑みを浮かべた。

 

「随分と堂々と設置したものだねぇ」

 

鬼龍院もレンズを見据える。

 

「少なくとも、この部屋の様子を確認するための監視装置だろう」

 

龍園はスクリーンの中央へ向けて声を張った。

 

「おい、山内。聞こえてんだろ」

 

校内放送から返事はなかった。

 

しかし、カメラの赤いランプだけは一定の間隔で静かに点滅している。

 

その光は、画面の向こうにいる誰かが

今もオレたちを見つめ続けていることを、無言のまま示しているようだった。

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