その日、雄英高校ヒーロー科1-A組の生徒たちは、己の常識とプライドを粉々に打ち砕かれることとなった。
開始の合図と共に、防衛拠点であるはずの『核兵器』を放棄し、敵陣のど真ん中へと空間跳躍して来た一人の
彼が巻き起こしたあまりにも理不尽で一方的な蹂躙劇。圧倒的な戦力差の前に大半の
グラウンドβの入り口付近。突如として上空に現れた枢に対し、爆豪勝己が凄まじい爆発と共に真っ先に飛びかかっていった、正にその瞬間のことである。
「(……あれ? 轟くん?)」
光の屈折を利用して自身の姿を完全に透明化させる“個性”を持つ少女、葉隠透は、誰にも気付かれることなくその場から静かに立ち去っていく一つの影を見逃さなかった。
八百万と同じ推薦入学者であり、クラスの中でもひと際冷たい雰囲気を纏う少年、轟焦凍。彼は上空の枢にクラス全員の意識が釘付けになっている一瞬の隙を突き、まるでこの場にいるクラスメイトなど初めから存在しないかのように、単独であらぬ方向へと駆け出していったのだ。
「(轟くん、みんなどうするのかなんて全然気にしてないみたい……でも、一人で戦うつもりなら流石に危ないよ!)」
元より、訓練前の作戦会議の時点から轟が連携する意思を持たず、孤立を選んでいたことは葉隠も認知していた。
しかし、相手はあの個性把握テストで規格外の記録を叩き出した五条枢である。いくら推薦入学者の彼とはいえ、たった一人で挑んで無事で済むとは思えない。持ち前の人の良さと、ヒーローを志す者としての生真面目さから、葉隠は足音を殺しながら轟の背中を追跡し始めた。
幸いにも彼女の“個性”は『透明化』。コスチュームの手袋とブーツさえ脱いでしまえば、完全に視覚から姿を消すことができる究極の隠密能力である。
後を追う彼女の存在に気付いていないのか、それとも気付いていながら「どうでもいい」と無視しているのか。轟は一度も振り返る素振りを見せず、入り組んだ模擬市街地の路地を縫うようにして進んでいく。
数分間、轟はただひたすらに周囲の探索に努めていた。時折立ち止まってはビルの配置を確認し、風向きを読み、まるで頭の中に市街地のマッピングを行っているかのような緻密な動き。
しかしその後方───スタート地点である広場の方角からは、爆発音や建物が崩れるような轟音、そしてクラスメイトたちの悲痛な叫び声が絶え間なく響き渡っていた。
「(みんな、大丈夫かな……轟くんは一体何をしてるんだろう)」
激しさを増していく後方の戦闘音に、葉隠が不安で目に見えない瞳を揺らしていた、矢先のことだった。
「……あそこか」
立ち止まっていた轟が小さく呟いたかと思うと、彼の右半身から急激に冷気が噴き出した。
次の瞬間、轟は自身の足元から前方の道路に向かって氷の道を生成し、それをスケートリンクのように滑走して一目散に疾走し始めたのだ。
「えっ!? ちょ、待って轟くん!!」
いきなりの急加速に驚愕した葉隠だったが、彼女の脳裏にすぐに一つの明確な答えが浮かび上がった。
「(そっか! 轟くんの目的は五条くんを倒すことじゃない……『核』の確保だ!!)」
轟が行っていたのは、逃亡でも単独戦闘の準備でもない。
爆豪たちが陽動となって枢を引きつけている間に、ガラ空きになっているはずの防衛拠点───『核兵器』の位置を割り出し、最短ルートでルール上の勝利をもぎ取る。それが彼の作戦なのだと、葉隠は推察した。
「(あの状況で一瞬でそこまで考えて動いてたなんて……流石は推薦組……っ!)」
その迅速かつ的確な状況判断に、葉隠は心からの感嘆の念を溢す。
しかし、感心している場合ではない。氷に乗って凄まじいスピードで移動する轟を見失わないよう、葉隠は必死に自身の足を動かし、息を乱しながらも彼が向かった方角へと懸命に走り続けた。
───それからどれだけ走っただろうか。
見えない肺が酸素を求めて悲鳴を上げ、足が棒のように重くなり始めた頃。入り組んだビル群を抜けた先にある一際開けた広場で、葉隠はついに立ち止まっている轟の背中を視界に捉えた。
「はぁ……はぁ……、追いつい、た……」
安堵の息を吐き出そうとした葉隠。しかし、彼女の視線が轟のさらにその先───広場の中央に鎮座する巨大なミサイル状のオブジェクト、『核兵器』へと向けられた途端。
透明な彼女の双眸が、信じられないものを見るように限界まで見開かれた。
「嘘……」
声にならない掠れた悲鳴が漏れる。
そこには、誰もいないはずの核兵器の前に寄りかかり、ポケットに手を入れたまま退屈そうに待っていた『死神』がいた。
「───仲間たちを囮にするなんて、とてもヒーローのやることとは思えないねぇ」
顔の半分をアイマスクで覆い隠した白髪の少年、五条枢。
彼がひどく楽しげに、そして嘲るような声で轟へとそう言葉を投げかけていた。
葉隠の全身から血の気が引いていく。
訓練開始から、まだ僅か十分弱しか経過していない。自分と轟が核兵器を探してここへ辿り着くまでの間に、彼はあの場にいた十八人のクラスメイトを
「(そ、そんな……いくらなんでも早すぎるよ……っ!)」
枢の学生離れした、あまりにも理不尽で圧倒的な実力に葉隠は戦慄を隠せなかった。
耳に装着している小型通信機からは、先程まで聞こえていた切島や八百万たちの声が完全に途絶え、不気味なほどのノイズと沈黙だけが流れている。それは即ち、自分と轟以外のヒーロー組が既に全滅しているという絶望的な事実を無慈悲に証明していた。
「(……私たちしかいない。もう、この勝負の行方は私と轟くんの手にかかってるんだ……!!)」
ゴクリと生唾を飲み込み、葉隠は極度の緊張と共に冷や汗を流す。
自分がこの場にいることは、轟にも枢にもバレていないはずだ。であれば、自分がやるべきことは一つしかない。
二人が戦い始め、枢の意識が完全に轟へと向いたその一瞬の隙を突いて、透明な自分が誰よりも早くあの核兵器に触れること。それだけが、全滅したクラスメイトたちの犠牲に報いる唯一の勝利への道筋。
葉隠は足音を完全に殺し、広場の端の瓦礫の陰に身を潜めながら、二人の対峙を固唾を呑んで静観した。
「……元々、あいつらと一緒に戦う気なんてなかった」
枢の煽りに対し、轟は表情一つ変えることなく、ひどく冷ややかな声音で言い放った。
彼の右半身から漂う冷気が一段と増し、周囲のアスファルトがピキピキと音を立てて凍りつき始める。
「ここに来るまでに時間くっちまったからな……一瞬で終わらせて貰うぞ」
その言葉は決して虚勢でもハッタリでもなく、自身の勝利を微塵も疑っていない絶対的な自信に裏打ちされたものだった。
パキパキと、轟の右腕からさらに濃厚な冷気の霧が立ち昇る。
その様子を目の当たりにした枢は、どこか嬉しそうに「へぇ」と口端を吊り上げた。
直後だった。
轟が右足を大きく踏み出し、右手を枢に向けて力強く振り抜いた。
「ッ!!」
轟音。
それはまさに、大自然がもたらす『災害』そのものだった。
轟の足元から発生した氷の波が、一瞬にして広場全体を飲み込む巨大な氷河へと変貌する。数十メートルもの高さに隆起した巨大な氷の山脈が、悲鳴を上げる大気を凍りつかせながら、五条枢とその後ろにある巨大な核兵器ごと、全てを押し包むようにして凄まじい勢いで吹き荒れた。
「(と、轟くん凄すぎるよー!! ていうか寒い……ッ!!)」
あまりの冷気の余波に、瓦礫の陰に隠れていた葉隠でさえガチガチと歯の根を鳴らして身を震わせる。
轟の放った大氷結は、市街地の一帯の景色を瞬時にして白銀の氷海へと塗り替えてしまうほどの、ビルすらも優に飲み込む圧倒的な規模と威力だった。
氷の霧が晴れた広場の中央には、枢が立っていたはずの場所を中心に巨大な氷山が形成されている。
「(やった……! これなら、私が動くまでもなかったかも!)」
あれほどの大規模な氷結を至近距離で食らえば、いくら枢といえども絶対に無事では済まない。
完全に氷漬けにされたに違いないと、葉隠の心に確かな勝利の予感が芽生えた。
「無限だか何だか知らねぇけど、これなら動けないだろ……『核』も凍らせたから、俺の勝ちだ」
轟もまた自身の完全な勝利を確信し、白く濁った息を吐き出しながら静かに宣言する。
あとは、モニタールームにいるオールマイトから『ヒーロー組WIN』の判定が下されるのを待つだけ。葉隠も期待に胸を鳴らし、通信機から聞こえてくるであろう歓喜の合図を待ちわびていた。
しかし───
「───初めて見た時にも思ったけど……生まれっていう点では、俺と君は案外似た者同士なのかもね」
キンッ、と。
張り詰めた氷の世界に、ひどく場違いな、一切の寒さなど感じていない平坦で余裕に満ちた声が響き渡った。
「「ッ!!?」」
轟が驚愕に目を見開き、葉隠が声にならない悲鳴を上げる。
ピキッ、メリリ……と、巨大な氷山に亀裂が走る音が響いたかと思えば。
次の瞬間、轟の放った巨大な氷河のドームが内側から弾け飛ぶようにして粉々に砕け散った。
キラキラと太陽の光を反射しながら空から舞い落ちるダイヤモンドダストの中。
そこから姿を現したのは、服に霜一つ降りていない、完全無傷で佇む五条枢の姿であった。そして当然ながら、彼が背後に庇うようにして立っていた『核兵器』にも、傷一つ、氷の欠片一つ付着してはいなかった。
轟の放った絶対零度の冷気も、巨大な質量の氷山も。その全てが枢の周囲に展開された不可侵の領域───『無限』を突破することができず、彼の肉体に触れるよりずっと手前で完全に停止させられていたのだ。
「な、なんだと……ッ」
どうやってあの回避不可能な全方位からの氷結から逃れたのか。己の最大火力が全く通用しなかった理不尽な光景を前に、流石の轟も表情を険しくして呆然と立ち尽くす。
そんな轟を見据え、枢はパンパンと手についた見えない埃を払う仕草を見せた。
「俺を倒さないと、『核』には触れられないよ」
余裕綽々などこまでも上から目線の傲慢な態度。
だが、今の枢が纏うプレッシャーは、先程までの退屈そうなそれとは僅かに異なっていた。
アイマスクの奥に隠された『六眼』が、轟の左半身───未だに使われず、炎の個性を押し殺しているその歪な体質をじっと見透かしている。
「……一筋縄じゃ行かねぇか」
轟はギリッと奥歯を噛み締め、再び右半身に冷気を纏わせながら戦闘態勢を取った。
「そういうこと」
枢は口角を深く吊り上げ、獣が獲物を品定めするような獰猛な笑みを浮かべる。
「向こうでもそれなりに楽しめたけど、やっぱりみんな一撃で終わっちゃって消化不良だったからさ……少しは俺を満足させてよ、推薦組」
底知れぬ余裕と、圧倒的な強者としての重圧。
枢の放つその軽口に、「上等だ」と言わんばかりに轟の瞳に鋭い闘志の炎が宿る。
「(……まだだ、まだ終わってない。私が……私が隙を突くんだ!)」
天才同士の規格外の戦闘。その余波だけで吹き飛ばされそうになる恐怖を必死に押し殺し、葉隠は身を低くして再び核兵器へのルートを計算し始めた。
グラウンドβを舞台にした前代未聞の対人戦闘訓練。その制限時間が刻一刻と迫る中、戦場に残されたのは最早二人───いや、正確には隠れ潜む葉隠を合わせて三人のみとなっていた。
☆
「ふぅ……」
白く濁った息を吐き出しながら、轟焦凍はギリッと奥歯を噛み締めた。
彼が出し得る最大規模の広範囲攻撃であった先程の大氷結。それが一切通用しなかったという事実は、どれほどの質量も冷気も全て『不可侵』の領域に阻まれるという、残酷なまでの実力差を証明していた。
「(……なら、接近戦でこじ開けるしかねぇ)」
大味な広範囲攻撃が通用しないと察した轟は、即座に戦術を切り替えた。
彼の右半身から、肌を刺すような冷気が静かに立ち昇る。そのまま深く酸素を肺に叩き込んだ直後、轟は地面を蹴り、滑るような足運びで一気に枢の懐へと肉薄した。
「おっ」
目にも留まらぬ踏み込み。それは単なる力任せの突進ではない。重心を低く保ち、相手の反撃の軌道を予測しながら最小限の動きで間合いを詰める、洗練された格闘術の歩法であった。
幼少の頃より、No.2ヒーローである実父・エンデヴァーから血を吐くような訓練の中で叩き込まれた超一流の体術。
触れた箇所を瞬時に凍らせる接触型の“個性”と、この洗練された体捌きが組み合わされば、並の相手なら初撃で勝負が決することは明白だった。
「シッ!」
極寒の冷気を纏った鋭い手刀が、枢の首筋へと放たれる。
しかし、当然ながらその一撃も、枢の肌から数センチ離れた空中で見えない壁に阻まれて終わる。
「やっぱり体捌きは別格だね」
枢が感心したように言葉を溢す。そして防御と同時に放たれた反撃───風を切り裂くような鋭いデコピンが轟の額を狙った。
先程まで彼の相手をしていたクラスメイトたちは、この見えざる反撃に反応することすらできずに意識を刈り取られていた。
「チィッ……!」
だが、轟は違った。
放った手刀の反動を利用して瞬時に首を捻り、枢の指先から放たれる理不尽な衝撃波を寸でのところで躱してみせたのだ。髪の毛数本が空を舞うほどのギリギリの回避。
すぐさま体勢を立て直し、轟は氷の回し蹴り、掌底、そして右ストレートと、息もつかせぬ波状攻撃を仕掛ける。しかしその悉くが『不可侵』に阻まれ、逆に枢から放たれる手刀や蹴りを、轟は動物的な勘と鍛え上げられた体捌きで紙一重で回避し続ける。常人離れした高度な攻防が繰り広げられていた。
「(クソッ……! なんだあの壁は!)」
物理攻撃が通じないと頭では理解していても、自身の渾身の体術が悉くシャットアウトされる事実は、轟のプライドを少なからず刺激し、胸中に苛立ちを募らせていく。
ギリギリの回避を続ける轟の動きを見据え、枢はアイマスクの奥で『六眼』を細めながら、余裕の笑みを深めて言葉を紡ぐ。
「すごいねぇ……伊達にNo.2ヒーローの息子じゃないって訳だ」
その言葉が、轟の逆鱗に触れた。
「今あいつは関係ねぇだろッ!!」
「(……ん?)」
オッドアイの瞳に宿った、明確な怒りの炎。
枢はアイマスク越しに、轟の纏う空気が一変したのを敏感に感じ取った。それは単なる親への反発などという生易しいものではない。声の震えと血走った眼差しには、No.2ヒーローに対する底知れぬドス黒い『憎悪』が色濃く渦巻いていたからだ。
額に青筋を浮かべた轟が、右足で地面を激しく踏み鳴らす。瞬時にアスファルトが凍りつき、轟はその氷の表面を滑空することで凄まじい推進力を生み出した。
全身のバネと氷の加速。その全てを乗せた渾身の右拳が、怒気と共に枢の顔面へと放たれる。
「クソッ……!!」
だが、結果は同じ。力任せのその一撃すらも『不可侵』に完全に阻まれ、轟は歯噛みして顔を歪ませた。
「(ああ、そういうことね)」
先程から頑なに
そのオッドアイに宿る深い憎悪の矛先に勘付いた枢が、静かに言葉を紡いだ。
「関係はあるでしょ。ていうかさ───」
防がれて硬直する轟の瞳を、枢の『六眼』が心の内まで見透かすように真っ直ぐに見据える。
「───
ピクリ、と。
轟の左半身が、微かに震えた。
枢の言葉は、轟の抱える最も暗く、最も触れられたくない核心を容赦なく抉り出していた。
『六眼』と『無下限』という、神が与えたかのような完全無欠の力を持って生まれた五条枢。
そして、『半冷』と『半燃』という相反する二つの強大な力が奇跡的なバランスで組み合わさった“個性”を持つ轟焦凍。
圧倒的な『才能』を持って生まれ落ちたという一点において、二人は極めて似通った存在であり……だからこそ、枢には純粋な疑問があった。
なぜ、自分と同じ高みに到達し得るだけの絶大な才能を持ちながら、自らそれに蓋をしているのか。
物心ついた頃より十全に力を振るい、本家を超えるために己を磨き続けてきた枢からすれば、親への反発という(彼からすれば)下らない理由で自身の“個性”の真髄を半分も引き出そうとしない轟の姿勢は、理解不能の愚行にしか見えなかったからだ。
「使えばいいのに。そうすれば、もう少しまともに戦えそうな気がするんだけどなぁ」
枢はさらに、轟の怒りに薪をくべるかのように煽りの言葉を投下していく。
父親の力など使わずとも俺は勝てる。そう意固地になっている轟の殻を、外側から無理やり叩き割ろうとするかのように。
「……うるせぇ」
ぽつりと。
轟の口から、冷たく、だがマグマのような感情を押し殺した声が零れ落ちた。
「ん? よく聞こえな───」
枢がわざとらしく聞き返そうとした、次の瞬間だった。
轟の右半身から、これまでの比ではない、周囲の大気中の水分すら瞬時に凍結させるほどの圧倒的な冷気が爆発的に膨れ上がった。
「黙れッ!!!」
それは、先程の大氷結を遥かに凌駕する完全なる『拒絶』の一撃だった。
右半身の出力を限界まで引き上げ、自身の肉体すら顧みない半冷の全開放。
放った直後、轟の右腕から顔の右半分にかけてビッシリと白い霜が降り、彼の呼吸は一瞬にして絶え絶えになる。己の体温を危険水域まで急低下させるほどの、文字通りの自爆覚悟の力の行使。
荒れ狂う極寒の嵐が、五条枢という存在をこの世から完全に氷の彫像へと変えるべく全てを飲み込み、真っ白な地獄を顕現させた。
「……つまんな」
しかし。
その全霊の一撃を真っ向から受けた中心で。
相対する枢の口から漏れたのは、冷たい氷の嵐すらも凍てつかせるような、極めて温度の低い落胆の言葉だった。
どれほどの冷気であろうと、どれほどの質量であろうと、枢の『不可侵』の前では等しく無意味である。それは、すでに先程の攻防で証明されていたはずのことだった。
それにも関わらず、轟は意地になり、半燃の力を解放することなく、ただ半冷の出力を上げて突っ込んできただけ。
それはさっき見たよ、と。
深く嘆息した枢の姿が、吹き荒れる氷の嵐の中からフッと蜃気楼のように掻き消えた。
「なッ───」
全開放の反動で動きが鈍った轟が、眼前の標的の消失に驚愕の声を上げた時には、既に全てが終わっていた。
気づけば、轟の背後に漆黒の死神が立っていた。
左半身の『半燃』を使うつもりがないのなら、これ以上はお遊戯にもならない。興醒めだとでも言うように、枢の六眼には最早一切の期待の色は残っていなかった。
「いい
冷たい眼差しとともに、一切の抵抗を許さない手刀が轟の首筋に深々と撃ち込まれる。
「ガ、ハッ……!」
悲鳴を上げる間もなかった。
極度の体温低下と、頸動脈への急激な衝撃。轟の意識は一瞬にして断ち切られ、霜に覆われたその身体は糸が切れたようにアスファルトの上へと崩れ落ちた。
静寂が、再び広場に舞い降りる。
上手く扱えば今の自分にも届き得るかもしれない“個性”だと考えていただけに、己の意地に囚われて全力を出そうとしなかった轟に対する枢の落胆は一入だった。
「やれやれ……」
気絶した轟を放置したまま、枢はくるりと踵を返し、自身の本来の防衛拠点である『核兵器』の下へと悠然と歩み寄る。
これで、厄介な同級生たちは全て片付けた。あとは訓練終了の合図が鳴るのを待つだけだ。そう思いながら核兵器の前に立った枢は、足元へと視線を落とした。
「それとさ、ここに来た時からずっと疑問だったんだけど」
枢の視線の先。そこには、ただ凍りついたアスファルトの残骸があるだけに見える。
「……君は、なんで裸なの?」
しかし、その何もないはずの虚空に向けて、枢は確かな言葉を投げかけた。
その直後。
「(……え?)」
透明な少女───葉隠透は、声を出せないほどのパニックに陥っていた。
彼女は核兵器の確保に動こうと瓦礫の陰から這い出た瞬間、轟の放った全開放の氷結の余波に巻き込まれ、足元から腰にかけて完全に氷漬けにされてしまっていたのだ。
「(轟くんのばかー! これじゃ動けないじゃん!)」
心の中で同級生に恨み言を連ねていた葉隠だったが、頭上から降ってきた枢の言葉にピタリと動きを止めた。
自分に向けられている枢の視線。アイマスク越しでありながら、それはハッキリと自身の『目』と合っているように感じられた。それに、何よりも先程の言葉だ。
「(な、なんで裸って……)」
自身の“個性”である『透明化』を活かすため、彼女はヒーローコスチュームである手袋とブーツを脱ぎ捨て、文字通りの一糸纏わぬ姿でこの場に潜んでいたのだ。
葉隠は恐る恐る、沈黙を破って口を開く。
「…………もしかして、五条くんって私のこと見えてる?」
かすれるような上ずった声での問いかけ。
それに対し、五条枢は事も無げに、あっけらかんと言い放った。
「ばっちり」
五条枢の宿す『六眼』。それは、対象の“個性”のメカニズムを暴くだけでなく、空間に存在する個性因子のエネルギーの流れを視覚情報として詳細に認識できる双眸である。
つまり、光を屈折させて透明になっていようとも、彼女自身の生体エネルギーや個性因子の形は、枢の視界にはサーモグラフィーのようにハッキリと、それこそ赤裸々に映し出されているのだ。
「み、見ないでぇぇぇぇッ!!!」
事の真相を理解した瞬間、葉隠の顔が見る見るうちに真っ赤に染まり、グラウンドβに乙女の悲鳴がこだました。
氷漬けのまま、必死に見えない両手で自身の体を隠そうと身をよじる葉隠。
「……なんかごめんね」
気まずそうに視線を逸らしながら、ポリポリと頬を掻く枢。
そんな、圧倒的な戦闘の余韻を台無しにするようなひどく締まらない会話が繰り広げられる中。
『ひ、ヒーロー組、全滅!! よって、今回の対人戦闘訓練は……
モニタールームにいるオールマイトからの、どこか疲労困憊したような訓練終了のアナウンスが市街地全域に高らかに鳴り響いた。
かくして、一対二十という前代未聞の対人戦闘訓練は、誰もが予想し得なかった『
葉隠ちゃん回(オチ担当)でした。