前話の最後が事案では? って言われてて思わず笑ってしまいました。
孤児院の静まり返った消灯後の食堂。
薄暗い豆電球だけが灯るテーブルの一角で、二つの影が並んで座っていた。
「んー、うまい。やっぱりコンビニのスイーツもバカにならないよねー」
パリッとした生地のシュークリームを頬張り、口の周りに少しだけクリームをつけながら、五条枢は幸せそうに目を細めて至福の溜息を漏らした。
彼の隣の席では、同じようにコンビニのビニール袋から取り出されたアップルパイを、小さな両手で大事そうに抱え込んだ少女───壊理が、サクサクとした生地を小動物のように少しずつ、確かめるようにしてかじっている。
透き通るような美しい白髪を持つ長身の少年と、無造作に伸びた淡い色の髪を持つ幼い少女。
まるで本物の兄妹のように並んでスイーツを頬張るその光景は、夜の孤児院というどこか物寂しい空間に、ほんの少しだけ温かな生活感を灯していた。
「おいしいでしょ?」
枢が横顔を見下ろしてそう問いかけると、壊理はビクッと肩を震わせたものの、口の中に広がるアップルパイの甘味には抗えなかったのか、コクコクと小さく頷きを返した。
そんな彼女の反応を見て、枢は満足そうに口角を吊り上げる。そして、彼女が何故こんな夜更けにこの孤児院へとやって来たのか、その経緯を静かに思い返した。
───それは、ほんの十数分前のこと。
門前で震えていた壊理に声をかけ、彼女を連れて門限ギリギリに孤児院の鉄門を潜った枢。
玄関の扉を開けると、そこには急病で倒れた所長に代わって現在施設を仕切っている所長代理の女性職員が、腕を組みながら待ち構えていた。
『遅かったね、枢くん。門限ギリギリ───』
苦言を呈そうとした女性職員だったが、枢の後ろに隠れるようにして、彼の学生服の裾をギュッと小さな手で握りしめている壊理の姿を認めた途端、丸く目を見開いた。
枢が「門の前にいたんだけど……」と事情を説明するよりも早く、女性は全てを悟ったようにポンと手を打ち、パッと顔を輝かせたのだ。
『ああっ! もしかして、君がエリちゃん?』
急に声をかけられ、壊理は怯えたように枢の背中にさらに深く身を隠しながらも、恐る恐る不安げに頷きを返した。
その光景を前にして、枢は「え、知ってんの?」と言わんばかりに首を傾げた。
『あ、そう言えば枢くんにはまだ言ってなかったね。今日からうちの施設で預かることになった新しい子だよ』
そう言葉を続けると、女性職員は枢に少しだけ顔を寄せ、壊理には聞こえないように声を潜めて耳打ちをしてきた。
『実は、また
上の人からの紹介。
その含みのある言葉を聞いて、枢は内心で「ああ、いつものか」と小さく嘆息した。
五条枢が暮らすこの孤児院は、表向きは身寄りのない子供たちを保護する一般的な児童養護施設ではあるが、実態は決してそれだけではない。
篤志家という名目の『パトロン』からの莫大な資金援助によって運営されているこの施設には、今回の壊理のように事前の通知もろくになく、唐突に訳アリの子供が放り込まれることがままあるのだ。
枢のように、親にその能力を気味悪がられて単に捨てられたというケースは、この場所においてはむしろ珍しい部類に入る。ここに集められる子供たちの大半は、社会の暗部に関わるような複雑な事情や、口には出せない暗い過去を背負わされた存在ばかりである。
『(まあ、大方どこかの裏社会のゴタゴタにでも巻き込まれたか、あるいはこの子の抱えるあの“個性”を持て余した連中がここに押し付けたってところだろうな)』
枢は『六眼』で既に看破している壊理の『巻き戻し』という特異な能力を思い返し、彼女もまた、そうした暗い過去に翻弄された一人なのだろうと容易に察した。
そんな裏事情など露知らず、知らない大人たちの前で不安そうに自分の裾を握りしめ続けている壊理を見て、枢は小さく肩を竦めた。
そして、その場にしゃがみ込み、彼女と同じ目線になるように視線を合わせた。
『俺は五条枢。この場所では結構長い方だからさ、困ったことあったら何でも聞いてよ』
これからよろしくね、エリちゃん。
そう言って、枢が彼女の不安を和らげようとその白い頭へ手を伸ばした、その瞬間のことだった。
『ッ……!』
枢の手が触れる直前。壊理はビクッと体を強張らせ、反射的にギュッと目を強く閉じると、両腕で自身の頭を庇うような防御姿勢を取ったのだ。
それは、大人の手が振り下ろされること=痛みを与えられることだと、骨の髄まで刷り込まれている人間の本能的な反応だった。
『(……虐待とか、その辺が濃厚かな)』
長年この施設に身を置き、様々な背景を持つ子供たちを見てきた枢は、その一連の反射行動から彼女がこれまでどのような環境に身を置いてきたのかを瞬時に悟った。
『六眼』を通して見なくとも、彼女の小さな身体には無数の古い傷跡や不自然に組織が再生された痕跡が至る所に刻まれているのが分かったからだ。
それを察してなお、枢は伸ばしたその手をとめることはしなかった。
過剰な同情や腫れ物に触れるような気遣いは、時に相手の傷をさらに深く抉ることを彼は知っている。だからこそ、枢は躊躇うことなく伸ばした手を、そのままポンと壊理の頭の上に優しく自然に置いてみせた。
『とりあえず、これ一緒に食べない?』
殴られる、あるいはまたあの時のように───。そう身構えていた壊理だったが、頭に降ってきたのは想像していたような暴力的な衝撃でも、冷たい機械の感触でもなかった。
ただ、少しだけ体温の高い大きな手が、自分の頭を包み込んでいるだけ。
恐る恐る目を開けた壊理の視界に入ってきたのは、コンビニのビニール袋を掲げながら首を傾げている枢の姿と、彼を象徴する吸い込まれそうなほどに美しい『
そして、ビニール袋の中から微かに漂ってくる、シナモンとカスタードの甘く優しい香り。
これまでの人生で『食事』というものをまともに楽しんだことすらなかった壊理は、その甘い香りと、暴力を伴わない初めての他者の温もりに戸惑いながらも、無意識のうちにコクンと頷いてしまっていた。
───そして、現在。
閑散とした食堂に、カサカサとビニール袋が擦れる音だけが響く。
「一日の終わりに糖分摂取は欠かせないよねー」
枢は特に壊理の経緯を根掘り葉掘り聞き出すようなことはせず、ただ自分の楽しみに没頭するようにシュークリームを味わっている。
彼からすれば、壊理がどんな凄惨な過去を抱えていようとも、自分はいつも通りにありのまま接するだけだ。無理に心を開かせようともしないし、特別扱いもしない。
だが、その『何も聞かない』という枢の態度は、これまで常に大人たちの顔色を窺い、利用されることだけを前提として生きてきた壊理にとって、ひどく新鮮で、どこか安心感を与えるものであった。
誰かに見返りを求められるわけでもなく、ただ美味しいものを食べるという純粋な時間。
壊理は、時折枢の横顔───アイマスクを外した彼の美しい碧眼にチラチラと視線を向けながらも、気づけば彼から手渡されたアップルパイを、最後の欠片までしっかりと完食していた。
「あ、食べ終わった? じゃ、俺も残りは明日食べよっと」
壊理の手からパイがなくなったのを確認すると、枢は机の上に置いてあった袋を手に取り、長い脚を伸ばして立ち上がった。
食事が終わってしまった。これから自分はどうなるのだろう、また暗い部屋に閉じ込められるのだろうか。そんな風に、自分がこれから何をすればいいのか分からず不安げに瞳を揺らす壊理に対し、枢はちょいちょいと軽く手招きをした。
「こっちこっち」
呼ばれて、壊理はトテトテと小走りで枢の元へと近づいていく。
その小さな歩みを見下ろしながら、枢は笑みを浮かべつつ周囲の気配を探った。
所長が急病で不在という緊急事態の影響もあり、所長代理をはじめとする職員たちは、他の子どもたちの世話などでバタバタしていて、今の時間帯は誰も手が空いていないようだった。
「(ここまで来たら、今日は俺が最後まで面倒みるか)」
内心で軽く肩を竦め、枢は自身の制服のポケットに手を入れた。
「取り敢えず、お風呂行こうか」
枢からの唐突な提案に、壊理は不思議そうにパチクリと目を瞬かせた。
彼女が今着ているのは、どこかの施設で宛てがわれたままの、サイズも合っていないボロ布のようなワンピースだ。汚れも目立っており、何よりも肌寒そうだった。どうせこの施設で用意された新しい服に着替えるのなら、先に風呂に入ってこれまでの汚れと一緒に暗い過去の残滓を少しでも洗い流してしまった方がいいだろう。
「エリちゃん用の着替えとかってもう準備してあんのかな……まぁ、適当に探せばあるか」
そんなことをブツブツと独り言のように思考しながら、枢は壊理の小さな手を優しく引き、孤児院の奥にある大浴場へと向かって歩き出した。
自身の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれる、背の高い白髪の少年の横顔。
繋がれた手から伝わる、今まで感じたことのない確かな温もり。
壊理はされるがままに手を引かれながらも、自分の手を引いてくれる見知らぬこの少年の横顔を、ただただジッと見つめ続けていた。この先に希望があるのかは分からない。けれど、繋がれた手から伝わる熱を、彼女は決して悪いものだとは思えなかった。
☆
柔らかな春の陽光が、雄英高校の巨大なガラス窓から教室へと降り注いでいる。
入学から三日目の朝。1-A組の教室は、始業のチャイムが鳴る前の特有の喧騒と、昨日の『対人戦闘訓練』という激しいイベントを乗り越えた者同士の、どこか少しだけ距離の縮まった連帯感に包まれていた。
「(昨日はホントに色々あったなー)」
教室の最後列。その中央の席に座る五条枢は、頬杖をつきながらぼんやりとそんなことを思い返していた。
彼の脳裏を過るのは、入学二日目にしてはあまりにも濃密すぎた昨日の出来事の数々である。
まずは、自分一人に対してクラスメイト全員が束になってかかってきたあの戦闘訓練。結果としては無傷の完勝に終わったが、皆の“個性”の特徴や、突発的な状況に対しての思考の柔軟さなどを観察するには丁度いい余興であった。
次に、放課後にオールマイトから応接室に呼び出され、この超人社会における最大のトップシークレットである『ワン・フォー・オール』の秘密を打ち明けられたこと。まあ、これに関しては自分が他言しなければ済むだけの話なので、既に解決済みと言ってもいい。
だが、問題はその後のことだ。
夕暮れの孤児院の門前で出会った、透き通るような白髪と赤い瞳を持つ、あの小さな少女───壊理のことである。
「(事象の『巻き戻し』か……もしかしたら反転術式よりも便利かもね)」
昨夜、枢が孤児院へと連れ帰った後、壊理はまるで刷り込みを終えた小鳥の雛のように、枢の背中にぴったりと張り付いて離れようとしなかった。
大浴場に入る際も、普段子供たちの世話を担当している女性職員に任せようとしたのだが、彼女は不安げに枢のズボンの裾を強く握り締めて首を横に振った。結局、枢が扉の外で待機していると約束して、なんとか納得させたのだ。さらに、風呂上がりに支給された新しい服に着替えてさっぱりした後も、共有の子供部屋ではなくそのまま枢の自室までついてきてしまい、彼が入浴を済ませて戻ってくると、いつの間にかベッドの隅で丸くなって眠ってしまっていた。
今朝、枢が登校する際も、彼女は不安げに裾を握って見送ってくれていたが……果たして自分が学校に行っている間、あの施設で職員や他の子供たちと上手く交流を深められるのだろうか。
何かしら訳アリである以上、すぐに心を開けという方が無理な話ではあるのだが、それでもあそこまで自分にべったりの子供は初めてで、枢自身、自分の何が彼女の琴線に触れたのかと内心首を傾げていた。
そんな風に別の場所へと意識を飛ばして上の空になっている枢へ、教室内のあちこちからチクチクと突き刺さるような熱い視線が送られ続けていることなど、当の本人は全く気づいていない。
「「「(気になりすぎる……!!)」」」
視線の主は、葉隠をはじめとする芦戸や耳郎ら、1-Aの女性陣であった。
彼女たちの視線は、今日も今日とて顔の半分を覆い隠す漆黒のアイマスクを着用し、窓の外を眺めている枢の横顔に釘付けになっていた。昨日の戦闘訓練で枢の『六眼』に透過を見破られパニックと羞恥に陥っていた葉隠でさえ、今は別の好奇心に突き動かされて彼を観察している。
原因は、昨日の放課後に上鳴電気が教室に投下した特大のゴシップ情報であった。
『取り敢えず、マジでイケメン。そこらの読モとか勝負にならないレベルね』
上鳴が更衣室で目撃したという、アイマスクを外した五条枢の素顔。
その言葉自体には、女性陣にそこまでの驚きはなかった。アイマスクで隠れているとはいえ、スッと通った鼻筋や整った輪郭、透き通るような白髪と長身のスタイルからして、間違いなく顔立ちは整っているだろうと、女子のネットワークの中では既に予想がついていたからだ。
しかし、問題はその後に続いた上鳴の言葉だった。
『ただ、それよりもヤバかったのが五条の“目”なんだけど……宝石でも入ってんのかってくらい、すっげぇ綺麗だったのよ。深海みたいっていうかさ。これ、誇張でも何でもなくガチな』
あの上鳴が同性の顔立ちをそこまで真剣に褒めちぎるなど、よほどのことだ。
『宝石みたいな目』とは一体どんなものなのか。普段はアイマスクで厳重に隠されているという事実が年頃の女子高生たちの「見てみたい」という欲求と好奇心を限界まで刺激しており、どうにかしてあのアイマスクの下を拝む方法はないものかと、彼女たちはうずうずしながら、授業の準備そっちのけで枢へ視線を送り続けているのだ。
「(今日のランチラッシュの日替わり定食何だろ……昨日魚だったから、今日は肉系がいいな)」
しかし、残念ながら彼女たちの無言の熱視線と期待は、明後日の方向へと意識を飛ばしている枢には一ミリも届くことはなかった。
結局、女性陣が声をかけるタイミングを掴めないまま、ガラガラと教室の前方の扉が開き、ボサボサ頭に黒いジャージ姿の担任───相澤消太が気怠げな足取りで教卓へとやって来てしまった。
「席に着け」
相澤のその低く、しかし空気をピリッと引き締める一言で、ホームルームが開始される。
女性陣も渋々といった様子で枢から視線を切り、自身の席へと向き直った。
「昨日の戦闘訓練、一先ずお疲れさん。VTRと成績のデータ、見させてもらったよ」
始業のチャイムが鳴り終わるのと同時に、相澤は手元のタブレットを置きながらクラス全体を見渡した。
その視線が、まず特定の二人の生徒───爆豪勝己と轟焦凍へと向けられる。
「爆豪、轟」
名を呼ばれた二人の肩が、微かに跳ねた。
相澤は、昨日の戦闘訓練で枢に為す術もなく敗北し、その後の講評でもオールマイトから苦言を呈されていた二人の顔を、ひどく冷徹な三白眼で睨み据えた。
「オールマイトにも言われたと思うが……お前ら、もうあんなガキみたいな真似すんなよ。ヒーロー目指してる奴が真っ先に味方に迷惑かけてどうすんだ」
静かな、しかし確かな怒気を孕んだ説教。
『個の力で打開できない壁にぶつかった時、孤立は即ち死を意味するぞ』
昨日のオールマイトの言葉が二人の脳裏に再び蘇る。自分たちの意地とプライドが、強大な敵を前にしていかに無力であり、結果としてチームをどれほど窮地に追いやることになったのか。
相澤の厳しい言葉に、爆豪も轟も眉を顰めながらも反論することはなく、ただ静かに頷きを返すしかなかった。
「緑谷」
続いて、相澤の視線が緑谷出久へと向けられる。
「お前も、いつまでも“個性”の制御が出来ませんじゃ通さないからな。お前の力は強力だが、使いこなせなければただの自傷行為だ。力に振り回されてるうちは、プロの世界じゃ使い物にならんぞ」
「ッ、はい……!」
出久は顔を引き締め、自らの未熟さを痛感するように強く返事をした。
そして、相澤は一度言葉を切り、再びクラス全員を見渡すように視線を巡らせる。
その声には、教師としての厳しさと共に、この1-Aというクラスに集まった未来のヒーローたちに対する、強い期待と発破が込められていた。
「昨日の戦闘訓練で、お前らは『五条枢』という壁を前にして、己の実力不足と力の差をハッキリ痛感したと思う」
相澤の言葉に、クラス中が水を打ったように静まり返る。
誰もが昨日の絶望的な敗北と、何もできなかった自身の無力さを思い返していた。
「だが、五条はお前らと同じ十五歳だ。同い年で、既にこれだけの差があるんだ……」
相澤は、最後列で頬杖をついている白髪の少年を一瞥した後、鋭い声で言い放った。
「───
その言葉を受けた瞬間、クラス全体の空気が一段と張り詰めるのを感じた。
出久も、爆豪も、轟も、八百万も。誰もが五条枢という途方もない目標を前にして、己の闘志を燃やし直していた。
彼らはただ圧倒されて終わるような、安っぽいプライドしか持たない集団ではない。絶望的な強者を前にしてなお、「いつか追いついてやる」と牙を研ぐことができる、本物のヒーローの卵たちなのだ。
その頼もしい気配を感じ取り、相澤は小さく嘆息すると、最後に最後列の窓際へと視線を向けた。
「それと、五条」
「ん?」
「放課後、お前ちょっと残れ。話があるから」
唐突な相澤からの呼び出しに、クラスメイトたちが「今度は相澤先生から!?」とざわめく中。
当の枢は、これっぽっちも緊張感のない呆れたような声を上げた。
「えー……俺、昨日も放課後にオールマイトから呼び出されたんですけど」
「安心しろ、悪いことじゃない」
「じゃあ今言ってほしいかも」
門限とかあるし。そう言って枢が露骨に嫌そうな顔をするのを、相澤は「本題が控えてるから後だ」と一蹴し、有無を言わさず黙らせた。
そして相澤は教卓に両手をつき、どこか入学初日の時のような底知れぬ威圧感を纏った佇まいで生徒たちを見据えた。
「さて、急で悪いが───」
クラス中がゴクリと生唾を飲み込む。
またあの除籍処分を賭けた個性把握テストのような、理不尽で無茶苦茶な行事が始まるのか。クラスの大半が極度の緊張で身構え、息を呑んだ、次の瞬間。
「───今日は君らに、学級委員長を決めてもらう」
相澤の口から放たれたのは、あまりにも平凡で、平和な学園生活そのものの言葉だった。
「「「学校っぽいの来たーーー!!!」」」
一瞬の静寂の後。
極度の緊張からの反動で、1-Aの生徒たちがドッと沸き立ち、教室は一気に大歓声と立候補の嵐に包まれた。
「俺やりたい! 委員長やりたいっす!!」
「アタシもアタシもー!!」
「俺にやらせろ!!」
先程までのシリアスな雰囲気はどこへやら、誰も彼もがヒーローとしての目立ちたがり屋な一面を爆発させ、教室内は阿鼻叫喚の騒ぎとなっていく。
「(あ、これ長引くやつだ)」
そんな同級生たちの狂騒を他所に、枢は早くもこのホームルームが長丁場になることを察知していた。
「(……帰り遅れるって、今のうちに連絡しとこ)」
相澤からの呼び出しが確定してしまった以上、用件が何であれ今日も帰りが遅くなることは明白だ。
そもそも何であんなに門限に厳しいんだろう、と。入院している所長や所長代理の女性の顔を思い浮かべながら、枢は机の下でこっそりと携帯電話を取り出し、周囲の熱量と全く噛み合っていないマイペースな思考のまま、のんびりとメッセージを打ち始めるのだった。