前話の後書きで葉隠ちゃん回とか言っておいて本当に申し訳ないんですけど、文字数が膨れ上がってしまったので今話で出番はなさそうです……。
また前話に引き続きたくさんの感想ありがとうございます。隙間時間を見つけてぼちぼち返信させていただきますね。
「おいおい、やり過ぎは厳禁だって言った傍から……」
グラウンドβの各所に設置された無数の監視カメラの映像を集約し、戦況を一元管理している薄暗いモニタールーム。その巨大なメインスクリーンの前に立つオールマイトは、口元をピクピクと引き攣らせながら、呆れと戦慄の入り混じった大きなため息を吐き出していた。
彼の視線の先───高画質のモニターに映し出されているのは、完全に意識を刈り取られ、白目を剥いて地面に寝かされている爆豪勝己の無惨な姿。そして、その上空でやり過ぎちゃった? と頭を掻いている白髪の少年の姿であった。
もっとも、枢が本気で爆豪を傷つける気がなかったことはオールマイトも理解している。当の枢自身が「まさか一発で終わるとは」と言わんばかりの反応を示していることからも、先程の一撃が意図的なオーバーキルでないことは明白だ。
「(とはいえ、結果としてあの爆豪少年が赤子のように捻られてしまった事実に変わりはないけどね……)」
オールマイトは額に滲んだ冷や汗を拭いながら、次の訓練に支障を出さないためにも、備え付けのマイクで医療用ロボットに爆豪の回収と医務室への搬送を命じる。
そして、画面の中で未だ空中に佇んでいる五条枢という特異な少年を見つめながら、昨日の放課後に職員室で相澤から告げられた言葉を脳内で反芻していた。
『映像を見たなら分かると思いますが、五条は天才です。ハッキリ言って、現時点でも一端のプロヒーローを遥かに凌駕する実力を備えてます』
普段は無気力で生徒の評価に厳しい相澤が、一切の誇張なく淡々と告げたその言葉。頭脳、身体能力、そして自身の“個性”に対する向き合い方。そのどれに置いても、枢の実力は学生の枠を優に超えていると評価を下したのだ。
『だからこそ、あいつは危うい。この雄英で五条枢という少年をどうやって育て上げていくか……俺たち教師は今、その真価を問われています』
「五条少年……」
オールマイトは腕を組み、重々しく呟いた。
五条枢という未曾有の才能が、超人社会における平和の守り手たる『ヒーロー』を目指して雄英の門を叩いてくれたこと。それ自体は、ヒーロー飽和社会と呼ばれる現代においても手放しで歓迎すべき僥倖である。
しかし、もしもその育成の途中で彼が何らかの理由で道を踏み外し、あの理不尽な力を『
だからこそ、訓練という名目とはいえ一切の躊躇いも恐怖もなく、同級生に対して情け容赦のない一撃を振り下ろしてみせた枢の振る舞いに、オールマイトは拭いきれない不安を隠せなかった。
「……爆豪少年も大概だが、彼の場合はそもそも抱えている問題のジャンルが違うからな」
爆豪の粗暴さは、良くも悪くも等身大の若者特有の自尊心の肥大からくるものだ。加えて彼には明確なヒーローへの憧れと、勝利への泥臭い執着がある。
だが、五条枢が纏っている雰囲気は違う。彼は初めからこの世界の頂点に立っているかのような絶対的な余裕を持ち、他者を
しかし、オールマイトが大人としての苦悩と嘆息を溢している間にも、グラウンドβでの戦況はどんどんと加速していく。
『ど、どうする八百万!? 五条が防衛拠点を捨てていきなりこっちに来ちまったけど、予定通り核と足止めで分かれるか!?』
すぐ目の前で爆豪が一撃で沈められたという衝撃的な光景を前に、『遊撃班』の切島が顔を引き攣らせて必死に声を張り上げる。
自身の立てた前提条件が開始数秒で崩れ去り唖然としていた八百万だったが、切島の切羽詰まった声にハッと我に返り、悔しげに唇を噛みしめて返答した。
『……ッ、はい! 耳郎さんと私以外の『索敵班』と『隠密班』の皆さんは予定通り散開して行動に移ってください!』
状況がどう変わろうと、この訓練の勝利条件は五条枢の制圧だけでなく『核兵器』の確保も含まれている。強大な相手が前線に出てきている今、敵拠点の守りが薄くなっているのは紛れもない事実。
八百万の的確なリカバリー指示に、障子や蛙吹たちが「了解!」と頷き、各々の役割を果たすべく素早く動き出そうとした。
『……なるほど、そっち狙いか。賢いね』
しかし、その動きは上空から彼らを俯瞰する枢の前では完全に筒抜けであった。
八百万の言葉から、彼女たちの狙いが自分への攻撃ではなく兵器の確保だと察した枢は、アイマスクの奥でその碧眼を静かに細める。
別にそのまま行かせてあげて、自分はこのまま八百万たちを相手に遊んであげていてもいいのだが───
『せっかく二十人もいるんだから、どうせなら全員で束になって相手取って貰いたかったよ』
───それは自分の望んでいた展開ではない。空中で悪戯っぽく笑みを溢した枢の輪郭が、再び蜃気楼のようにブレた。
『取り敢えず、君からかな』
『え』
座標圧縮による空間跳躍の直前。散らばろうとしていた生徒たちを眺め、『六眼』で即座にその“個性”を暴いた枢が、突如としてある一人の生徒の目の前に出現した。
両肘からテープを射出し立体的な移動を得意とする、散らばった生徒たちの中で最も機動力の高い生徒───瀬呂範太である。
先程まで遥か上空にいたはずの相手が、瞬きすら許されない一瞬の間に自分の鼻先に現れた。
ワープのような力を持っていると分かってはいたものの、しかし瀬呂の理解は全く追いつかない。一体何が起きたのかと唖然としたのも束の間。
『ほいっと』
ペチッ、という間の抜けた音と共に、枢が軽い動作で放ったデコピンが瀬呂の意識をあっけなく闇の中へと刈り取ってしまった。
『瀬呂さん!? 一体、何を……!?』
八百万が驚愕に目を見開き、悲鳴のような声を上げる。
しかし、枢が自ら地上へと降りてきたこの機を逃すまいと、すぐさま二つの影が彼へと襲い掛かった。
『そこだッ!』
『行け、
背中から複数の腕を複製し、圧倒的な筋力で掴みかかろうとする障子。そしてその体から影の怪物を実体化させ、鋭い爪で切り裂こうとする常闇。
二人の連携は、五条枢という一つの脅威に対する死角からの完璧な急襲だった。
『『ッ!?』』
しかし、彼らの決死の攻撃は当然ながら枢の体に触れることすら叶わない。
障子の強靭な拳も、
『これが、先程爆豪の攻撃を防いだ“個性”か……!』
『全く押し込めない……!?』
限界まで力を込めても微動だにしない絶対不可侵の領域。目の当たりにした理不尽に戦慄する障子と常闇を見据えながら、枢は「んー」と、まるで美術館で珍しい彫刻でも鑑賞するかのように停止した彼らを観察し始めた。
『体の器官の複製に……そっちの君は、光には弱いけど影で出来た式神みたいなのを操作する“個性”ね』
『ッ……!?』
『なぜ、一目でそれを……!?』
自分たちがまだ能力の詳細を明かしていないにも関わらず、まるで体の構造そのものを透視されたかのような的確な指摘。
底知れぬ驚愕に顔を歪める二人の様子が映し出される中、モニタールームのオールマイトは尋常ではない量の冷や汗をダラダラと流しながら引き攣った声を溢していた。
「話には聞いてたけど……やっぱりマジみたいだね、五条少年」
五条枢が有する特異体質、『六眼』。
そのマリンブルーの双眸は、瞳が捉えたあらゆる対象の“個性”の詳細を一瞬にして看破する力を秘めている。オールマイト自身事前に根津校長から共有を受けていたが……実際にその光景を目の当たりにして、校長の情報が紛れもない真実であるという事実に深い焦燥を隠せずにいた。
「(なるべく五条少年の前には姿を見せないようにしていたが……それももう限界か。これが終わったら、一度彼とは真面目に話をしなければならないね)」
代々受け継がれてきた自身の“個性”『ワン・フォー・オール』。
それがあの全てを見透かす瞳にどう映っているのかは定かではないが、既に後継者へ譲渡したと言っても、自身がこれまで世間に対してひた隠しにしてきた『平和の象徴』の秘密を赤裸々に語られてしまう事態だけは避けたい。
今日の放課後にでも秘密裏に枢を呼び出し、ある程度の事情説明をして口止めをしておかなければと、オールマイトはキリキリと痛み始めた胃を無意識に手で摩っていた。
『障子さん! 常闇さん!』
スピーカー越しに響いた八百万の悲痛な叫びに、思わず我に返ったオールマイトが再び戦場の映像に視線を移せば。
そこには先程の瀬呂と全く同じように、呆気なく気絶させられ地面に転がっている障子と常闇の姿があった。
『ッ、嘘でしょ……』
『常闇たちまで一瞬で……!』
索敵の中心であり、隠密行動の要でもあった実力者たちが手も足も出ずに悉くリタイアしていく。
圧倒的な実力の前に次々と仲間を削られていく異常事態に、周囲の生徒たちは完全にパニックに陥ってどうすればいいか分からず足を止めてしまっていた。リーダーたる八百万もまた、自身の立てたプランが粉砕されていく現実を前に、ただ悔しげに俯くことしかできない。
『見てるばっかりじゃ倒されてくだけだよー?』
同級生たちの怯えきった様子に、ひどく退屈そうに嘆息するような笑みを浮かべた枢は、一切の容赦なく蹂躙を再開する。
空間を圧縮し、瞬時に移動。
周囲の生物たちを操ろうとした口田を背後から沈め、逃げようとした峰田を引力で吸い寄せて拘束。そんな峰田を助けようとした蛙吹の舌を『不可侵』で弾き飛ばし、頭上から迫って来た麗日もろともデコピンでまとめて気絶させる。
それは最早戦闘とすら呼べない。大人と子供……いや、人間と蟻ほどの絶対的な戦力差。
開始から数分と経たない内に、1-Aの生徒たちはただの一発も攻撃を当てることなく、次々と戦闘不能に追い込まれていく。
「……さぁ、どうするヒーロー」
オールマイトは、スクリーンに映る凄惨な蹂躙劇を見つめながら静かに問いかける。
彼の視線は、恐怖に足が竦みながらも決して目を逸らさず、必死に思考の海に沈み込んで解決策を探り続けている一人の少年───緑谷出久へと、ただ真っ直ぐに向けられていた。
☆
圧倒的、という言葉すら生温い。それは文字通り、次元の違う『理不尽』の顕現であった。
太陽の光が降り注ぐグラウンドβ。ヒーロー科1-A組の生徒たちが意気揚々と立てた作戦と陣形は、訓練開始から僅か数分、いや数秒のうちに、五条枢というたった一人の存在によって根底から粉砕されていた。
「くそッ……!! 攻撃が全く届かないってんなら、一体どうすりゃいいんだよ!?」
血を吐くような切島の叫びが、静まり返った演習場に虚しく響き渡る。
彼の視線の先には、索敵を担っていた障子や死角からの奇襲を試みた常闇をはじめとするクラスメイトたちが、手も足も出ないまま地面に転がり、ピクリとも動かなくなっている惨状が広がっていた。
しかし、彼らは決して無策で突っ込んだわけではない。それぞれの“個性”の特性を活かし、連携を取り、五条枢の死角を突く完璧なタイミングで攻撃を仕掛けたはずだった。それでも、その全てが枢の周囲を覆う見えない壁───『不可侵』の領域に阻まれ、触れることすら叶わずに、ただの軽いデコピンや手刀の一撃で意識を刈り取られてしまったのだ。
「ッ、どうすれば……」
二十人をまとめるリーダーとして作戦を立案した八百万もまた、自身の無力さに打ちひしがれ青褪めた顔で立ち竦むことしかできなかった。
彼女の“個性”である『創造』は、自身の皮膚を通して非生物のあらゆる物体を生み出す万能の力である。刀剣や大砲、捕縛用のネットなどの強力な兵器を創り出すことも可能だが……どれほど強大な物理兵器を生み出そうとも、それが相手に『届かない』のであれば全くの無意味。
これほどまでに絶望的な『盾』を持った相手に対して、一体どのような手立てが有効なのか。天才と称される彼女の明晰な頭脳を以てしても、その突破口は一向に見出せずにいた。
そんな誰もが恐怖と焦燥に足を竦ませる中。
ただ一人、緑谷出久だけが、滝のような冷や汗を流しながらも決してその瞳から光を失わず、必死に思考の海に沈み込んでいた。
「(……考えるんだ。何か、何か絶対に隙があるはずだ……!!)」
出久は小刻みに震える両手を強く握り締め、倒れていった同級生たちの犠牲を無駄にしないためにも、自身の脳内に蓄積された数多のヒーローたちの“個性”を記録した『ヒーロー分析ノート』のページを猛烈な勢いで捲り上げていく。
五条枢の“個性”───『無限を現実に持ってくる能力』。
昨日、枢自身が語っていたその抽象的な言葉の意味を、出久は目の前で起きている事象と照らし合わせて論理的に構築しようと試みていた。
爆豪の爆破、障子の拳、常闇の操る
「(まるで、アキレスと亀のパラドックス……五条くんに近づけば近づくほど、彼との間にある空間が無限に分割されて永遠に辿り着けなくなるんだとしたら……)」
もしそれが事実だとするならば、質量や速度を伴う物理的な攻撃はどれほど強力であろうと枢には絶対に届かないことになる。
「くっ、これならどうだ!?」
出久が思考を巡らせているその眼前で、この場の誰よりも強い責任感を持つ飯田天哉が、自身の“個性”である『エンジン』を限界まで吹かし、目にも留まらぬ超高速の足技を枢へと叩き込もうとしていた。
「速さとかはあんまり関係ないからね」
しかし、飯田の放った最速の蹴りもまた、枢の鼻先でピタリと空間に縫い付けられたように停止する。
枢は呆れたような、ひどく退屈そうな声でそう呟くと、停止して身動きが取れなくなった飯田の背後に瞬時に回り込む。
「なっ、はや───!?」
瞠目と同時に飯田が崩れ落ちる様を目の当たりにし、出久の脳内は一時絶望に染まりかける。クラス最速の機動力と打撃力を持つ飯田の攻撃すら通じない。ならば、一体どうすれば……。
だが、その瞬間。
出久の視界に、八百万の背後で愕然と立ち尽くしている二人の生徒───青山優雅と耳郎響香の姿が飛び込んできた。
「(……待てよ?)」
出久の脳内に、一筋の雷のような閃きが走る。
五条枢の『無限』はあらゆる物理的干渉を拒絶する。しかし、彼は盲目ではない。彼には自分たちの姿が
「(五条くんは僕たちを視認出来てて、僕たちの声だって聞こえてる。……つまり、『光』と『音』は、あの無限の壁を透過して彼に届いているってことだ!!)」
そうであれば。
青山の“個性”である『ネビルレーザー』、すなわち高出力の『光波』。
そして、耳郎の“個性”である『イヤホンジャック』による強烈な『音波』。
この二つの攻撃ならば、物理的な質量を持たないが故に不可侵をすり抜け、五条枢の肉体に直接ダメージを通すことができるのではないか!?
その確信に近い仮説を導き出した出久は、他の生徒たちが身を挺して枢を足止めしてくれている今の僅かな隙を逃すまいと、八百万の下へと全速力で駆け出した。
「八百万さん!!」
「緑谷さん!?」
息を弾ませながら駆け寄ってきた出久に、八百万が驚きに目を見張る。出久は周囲に警戒を配りながら、先程思い至ったばかりの『光と音による無限突破の仮説』を、早口でありながらも極めて論理的に彼女へとぶつけた。
「……確かに、それなら通じるかもしれませんわ!」
出久の提案を聞いた八百万の瞳に、再び強い光が宿る。
自身の思考が『物理的な打撃』や『物質的な拘束』に囚われすぎていたことを恥じると共に、八百万は出久のその柔軟で鋭い観察眼に深い敬意を抱いた。
逆に言えば、これが通じなければ本当に手立てはない。八百万は即座に決断を下し、少し離れた場所にいた青山と耳郎を合図して呼び寄せた。
「青山さん、耳郎さん!」
「「え?」」
「お二人の力を貸して下さい───」
突然の提案に目を見開く二人だったが、出久の必死な表情と八百万の確信に満ちた声に突き動かされるように、二人は緊張の念をその瞳に宿しながらもヒーロー科の生徒らしく強く頷きを返した。
「ありがとうございます!」
その頷きを受けた八百万は、直ちに自身の衣服のジッパーを下ろしむき出しになった肌から『創造』の“個性”を発動させる。彼女の体内の脂質が急激に消費され、分子構造が目まぐるしく再構築されていく。青山のレーザーを一点に集約し威力を倍増させる巨大な光学レンズアレイと、耳郎の心音を指向性の高い衝撃波として放つための特注の超高出力アンプスピーカーが、彼女の柔肌から産声を上げるようにして実体化し始めた。
「さて……次は誰にしようかな?」
後方で八百万たちが対枢用の戦闘準備に急ぐ中、出久は視界の先で、飯田以外にも大半の遊撃班を倒し終えて余裕の笑みを浮かべている枢の姿を捉えた。
「(準備が整うまで、少しでも時間を稼がなきゃ……!)」
しかし、そんな思いとは裏腹に出久の足取りは重かった。
彼にはオールマイトから譲り受けた最強の“個性”───『ワン・フォー・オール』がある。だが、この圧倒的なエネルギーは現在の出久の未熟な器では到底制御しきれない。
もしも実技試験のように100%の出力でその“個性”を行使すれば、自分自身の腕が粉々に砕け散るのは明白だ。それだけならまだいい。万が一、その規格外のエネルギーが枢の無限を力押しで突破してしまった場合、訓練の範疇を大きく超えて五条枢という一人の同級生を害してしまう危険性すら孕んでいる。
かと言って、中途半端な出力や“個性”無しの素手での格闘など枢の前では児戯に等しいのも事実。
「(今回の五条くんとの戦いで、僕の“個性”は完全に使い物にならない……っ!)」
自身の無力さを痛感し、出久はギリッと唇を噛み締める。
だが、ここで自分が何もしなければ、八百万たちの準備が間に合わず残されたクラスメイトたちも全滅してしまう。本命である二人からの攻撃を確実なものにするためにも、自分が囮になって一秒でも長く枢の視線を引き付けなければならない。
「切島くん!!」
出久は、すぐ近くで呆然と立ち尽くしていた切島へと声を張り上げた。
枢がどうやって相手を気絶させているのか、その正確なメカニズムは定かではないが、並外れた防御力を誇る『硬化』の“個性”を持つ切島が一緒ならば、あの理不尽な一撃を一度か二度は耐え忍び時間を稼げるかもしれない。
「緑谷……!」
「僕と一緒に五条くんに突っ込んでほしい! 後ろで八百万さんたちが準備をしてるから、それまで彼を足止めするんだ!!」
出久のその決死の叫びに、切島はハッと我に返った。
自分は何を怯えていたのか。自分は男気溢れるヒーローになるためにこの雄英に来たのではないのか、と。
切島は己の弱気を振り払うように両手で自身の頬を強く叩くと、闘志を限界まで引き上げるように腹の底から雄叫びを上げた。
「うおおおおおッ!! 任せろ、俺が盾になる!!」
切島の全身の皮膚が岩のようにゴツゴツと硬質化し、鋭い刃のような形状へと変化していく。
彼が出久を庇うように前に出て、二人は並んで枢の下へと特攻を仕掛けた。
「───お、緑谷」
そんな二人の決死の突撃を目にした枢は、まるで退屈なパーティーでようやく目当ての友人を見つけたかのようにアイマスクの下でパッと顔を輝かせて笑みを浮かべた。
これまでのクラスメイトたちに対するような、瞬時に間合いを詰めて気絶させる反撃の姿勢を取ることなく、枢はポケットに手を入れたまま、ただ悠然と直立して迫り来る出久を真っ直ぐに見据えていた。
そのアイマスクに隠された不可視の視線が、出久の全身を見定めるように貫く。
まるで自身の魂の奥底まで丸裸にされるような、根源的な恐怖と悪寒が背筋を総毛立たせるが……出久は恐怖に呑まれそうになる意識を必死に繋ぎ止め、歯を食いしばって枢の懐へと飛び込んだ。
「はぁぁぁぁッ!!」
“個性”を用いず、純粋な肉体の力だけで振り抜かれた出久の右ストレート。
しかし、当然ながらその拳は枢の顔面から数センチ離れた空中で、『不可侵』の領域に阻まれピタリと動きを止めた。
「くっ……やっぱり、ダメか……ッ!」
出久の表情が苦悶に歪む。
これまで通りであれば、この瞬間に反撃のデコピンや強烈な引力が襲いかかってくるはずだと、出久は身を縮こまらせ来るべき衝撃に備えて固く目を閉じた。
「うーん……」
しかし、予想していた痛みはいつまで経っても訪れない。
恐る恐る目を開けた出久の視界に映ったのは、出久の拳を虚空で受け止めたまま、顔を近づけて自身をジッと観察している枢の姿だった。
その様子は、まるで複雑なパズルを解き明かそうとする研究者のようでもあり、暗闇の中で微かな灯りを頼りに探し物を見つけようとしている探索者のようでもあった。
枢が一体何をしようとしているのか理解できず、出久が怪訝そうな表情を浮かべた、その瞬間。
「……やっぱり、オールマイトの“個性”と瓜二つだ」
ポツリと。
誰に聞かせるでもない、枢の口からこぼれ落ちた独り言のようなその言葉。
しかし、それを耳にした出久の心臓は、破裂しそうなほどに大きく跳ね上がった。
「ッ!!?」
思わず、出久の双眸が眼窩からこぼれ落ちんばかりに限界まで見開かれる。
なぜ、五条枢がオールマイトの“個性”と自身の繋がりを口にするのか。
『ワン・フォー・オール』が譲渡される“個性”であるという事実は、出久とオールマイト、そして極一部の人間しか知らないこの世のトップシークレットであると言うのに。
「(まさか……無限を操るだけじゃなく、ラグドールの『サーチ』みたいな、相手のことを見抜く能力まで持ってるっていうのか!?)」
出久の全身から再び滝のような冷や汗が噴き出す。
その推測は、半分正解であり半分間違っていた。
五条枢の宿す特異体質『六眼』。それは、視界に映るあらゆる“個性”を解析し、個性因子の流れやエネルギーの質を極彩色の情報として脳内に直接描き出す神の如き瞳である。
当然ながら、枢の『六眼』には出久の体内に渦巻く途方もないエネルギーの奔流がはっきりと視認されている。
それは、一人の人間が生まれ持ったにしてはあまりにも巨大で、暴力的なまでに膨れ上がった力の結晶。そして何より、その力の根源から漂うエネルギーの色彩と波長が、先程教室で見たオールマイトの中に燻る残り火と完全に一致していたのだ。
「でも、君の中に宿ってる力の方が
枢がアイマスクの奥で目を細め、さらに深く出久の深淵を覗き込もうとする。
「こっちだ、五条!!」
その時、出久と挟撃するように背後に回り込んでいた切島が、硬化した両腕を交差させ枢の死角から強烈な突進を仕掛けた。
しかし、当然ながらその攻撃も枢の背後に展開された無下限の壁に衝突し、直撃する瞬間にビタっと静止してしまう。
「くっそ……! 全く手応えがねぇ!」
両腕の硬化を解いた切島が悔しげに悪態をつく。
だが、枢は背後からの攻撃に一切気を取られる様子を見せず、ただジッと出久の瞳の奥、そのさらに奥にある『何か』を観察したまま動きを変えようとしなかった。
『六眼』が捉える情報が、さらに一段階深い領域へと到達する。
オールマイトと同じ個性因子。それは間違いない。しかし、出久の体内に渦巻くエネルギーはただ巨大なだけではなかった。
「力を溜め込んで譲渡……にしては、何か色々なモノが混ざってる気がするんだけどねぇ……。自己完結してないっていうか、いくつもの歪な“個性”の残滓が奥底でくすぶってるっていうか……」
「ッ!!?」
出久は息を呑んだ。
枢の言葉は、まさに『ワン・フォー・オール』という“個性”の真髄───歴代継承者たちが紡いできた力の結晶であり、彼らの個性因子が複雑に絡み合った混濁の歴史そのものを完全に言い当てていたのだ。
「(ダメだ……これ以上見られたらオールマイトの秘密が、『ワン・フォー・オール』の正体が完全に暴かれる……!!)」
平和の象徴の秘密が、こんな所で、こんな形で露見していいはずがない。
出久が顔を青ざめさせ、枢に「それ以上は言わないで」と懇願しようと口を開きかけた、正にその矢先のことだった。
「緑谷さん! 切島さん!!」
後方から、戦場を劈くような八百万の鋭い声が響き渡った。
その声のトーンで、出久は八百万たちの兵器の創造と準備が完了したのだと瞬時に察知した。
「(助かった……!)」
出久はこれ以上枢の言葉を聞かせまいと、そして本命の攻撃の射線から逃れるためにも、すぐさま切島に向かって指示を飛ばした。
「退こう、切島くん!!」
「えっ!? お、おう!」
突然の指示に何が何だか分からないといった表情の切島だったが、出久のただならぬ気迫に気圧され、二人は地面を蹴って枢から一気に距離を取った。
大きく後退した二人の背後。
そこには、額に玉の汗を浮かべながらも、毅然とした表情で前を見据える八百万の姿があった。
そして彼女の前方には、巨大な集束レンズを備えた砲塔の前に立つ青山と、何本もの太いケーブルで巨大なアンプスピーカーに接続された耳郎が並々ならぬ緊張感を漂わせて控えていた。
「お二人とも……今です!!」
八百万の号令がグラウンドに轟く。
「いくよ……っ! 『ネビルレーザー』!!」
「食らえ……! 『ハートビートサラウンド』!!」
青山のベルトから放たれたレーザー光線が、八百万の創造した集束レンズを通過することで網膜を焼き尽くすほどの眩い閃光と化して直進する。
同時に、耳郎のイヤホンジャックから送り込まれた心音が、特注の超高出力アンプスピーカーによって増幅され、大気をビビリと震わせる目に見えない衝撃波となって放たれた。
光と音。
質量を持たない二つのエネルギーが、空気を引き裂きながら一直線に五条枢へと殺到する。
「(これなら……これならどうですか……ッ!)」
例え相手がプロヒーローであったとしても、直撃すればただでは済まない強力無比な一撃。
自分たちに出来る全てを出し切ったこの攻撃ならば、あの理不尽な不可侵の領域をすり抜け枢の肉体に届くはずだと、八百万は祈るような思いで期待と焦燥の入り混じった眼差しを閃光の先へと向けていた。
ゴォォォォォンッ!!!
光波と音波が交差した中心で凄まじい爆発と轟音が巻き起こり、もうもうとした土煙が市街地を包み込む。
直撃した。誰もがそう確信した。
しかし───
「───残念。そっち方面も対策済みなんだよね」
煙を切り裂くように響いたのは、一切のダメージを感じさせないあまりにも平坦な声だった。
春の風が吹き抜け、土煙が晴れたその先。
そこには、焦げ跡はおろか服の乱れ一つなく、先程と全く変わらない姿勢で悠然と佇んでいる五条枢の姿があった。
「な……ッ!?」
「そんな……光と音ですら防がれるというのですか……!?」
出久、切島、青山、耳郎、そして八百万。
その場にいる全員が信じられないものを見るように瞠目し、絶望に顔を歪めた。
五条枢の“個性”───『無下限』。
その『不可侵』と呼ばれる防御システムは、単に質量や速度を基準にしているわけではない。
彼の『六眼』は迫り来る物質の形状、速度、さらにはそのエネルギーに内包された危険度を即座に看破し、自身にとって有害と判断したものを全て無限の彼方へと弾き落とす。
たとえそれが光や音波であろうとも、攻撃としての威力を伴い、肉体に危害を加えるレベルの一撃であると枢が判別した時点で、それは即座に『不可侵』の対象となるのだ。
「───けどまぁ」
絶望に凍りつく同級生たちを前に、枢はアイマスクの奥で満足げに瞳を細めた。
「初見でそこまで考えられたなら合格かな」
その言葉が響いた瞬間、枢の姿が掻き消えた。
いや、掻き消えたのではない。『蒼』による空間跳躍。
「え───」
気づけば、八百万の背後に、漆黒の制服を纏った死神が立っていた。
振り向く暇すら与えられない。
トンッ、と枢の手が八百万の首筋を軽く叩く。それだけで、天才少女の意識はプツリと途絶え、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「八百───」
「ひッ!?」
叫ぼうと振り返った耳郎と青山の額にデコピンが直撃し、二人の体がアスファルトの上で傾いていく。
出久が瞬きを終えた時、自分たちの後方で本命の攻撃を担っていた三人は、すでに地面に伏して静かな寝息を立てていた。
「みんな……ッ」
残されたのは、出久と切島の二人だけ。
圧倒的すぎる実力差。どれだけ頭を捻っても、どれだけ力を合わせても、絶対に届かない天空の領域。
二人の膝が震え、その目に宿る戦意という名の炎が、バケツで氷水をぶっかけられたように完全に鎮火していく。
そんな出久と切島の前に、まるで散歩でも終えたかのような気軽な足取りで、枢がふわりと姿を現す。
彼は出久の顔を覗き込むように身を屈めると、切島には聞こえないよう出久の耳元にだけ届く微かな声量で囁いた。
「何か事情がありそうだし、取り敢えず君の“個性”のことは黙っておくから安心しなよ」
その言葉に含まれた底知れぬ余裕と全てを見透かしたような静謐な響き。
出久が安堵と恐怖の入り混じった複雑な感情を抱く暇もなく、枢の手が優しく、しかし絶対的な抗えなさで出久の意識を刈り取った。
「───
マリンブルーの双眸が自身の防衛拠点を捉えるや否や、枢の姿が再び蜃気楼のように消失するのだった。