『天剣』と呼ばれた男――レイモンド・グレイラット。
彼が生前に記したとされる手帳を辿り、この時点では、甲龍歴423年頃。
ヒュドラ討伐直後の彼は、すでに七大列強の下位に相当する実力を有していたとされている。
魔石多頭竜――マナタイトヒュドラを、単独で討伐したという記録は多くの歴史研究家の中には今なお懐疑的な声がある。
「眉唾ものだ」「ありえない」「誇張だろう」
だが、パーティーとして参加していた父親パウロ・グレイラット、兄であるルーデウス・グレイラット、そして共に迷宮を攻略した者たちの手記が、ことごとくその事実を裏付けている。
彼らが記した詳細な戦闘記録と、後の剣神流・水神流・北神流の各道場に残された評価を照合すれば、少なくともこの時点で彼が「神級に近い領域」に足を踏み入れていたことは、否定しがたい事実だろう。
ヒュドラを討って以降、彼の名は徐々に、しかして、確実に、剣を志す者たちの間で広まり始めていく。
そしてその偉業は、日を追うごとに――否、年を追うごとに、さらに積み重なっていくことになる。
彼が「天剣」と呼ばれるに至るまでの道筋は、この時点から、始まったとも言える。
甲龍歴423年◯月◯日
母さんを救出して3日は経っただろうか。
様子を見て迷宮都市ラパンを立つことになった。
帰還の算段は明日に話すとか。
父さんの様子は………まぁ、思いの外ちゃんとしている。
生きていること自体が奇跡みたいなところもあったのでそこは割り切ったのだろう。
いや、父さんのことだ、きっと無理に平静を装っているに違いない。
そう思い、僕は今日。
父さんと兄さんと三人で会話をした。
会話は多分こんな感じ。
「父さん。その、母さんのことですけど」
「………ああ、言わなくても分かってる。家族を失った奴らを嫌ってほど見てきた。そいつらに比べればオレは遥かにマシだ。わかっちゃいるんだが……感情が追いつかねぇんだ」
「まぁ、そうですよね」
「…………なぁ。お前たちはなんでそんな冷静で居られるんだ? 母親があんな状態で」
「…………すみません。率直に言えば思い出と呼べるものが少ないので。僕と兄さんは一緒に7歳から働きに出たので母さんと過ごした時間は、正直なところ多くありませんので。記憶が戻ってからも、残っているのは断片的なものばかりです」
「………俺も概ねはレイと同じです。父さんには悪いですが」
父さんは黙って俺たちの顔を見ていた。
責めているわけでも、呆れているわけでもない。ただ、何か考え込むような目だった。
「……そうか。そう………だったな」
「もちろん。母さんのことは、大切だと思っています。生きていてくれて、本当に良かったと。ただ……父さんほど、深くは結びついていないのかもしれません」
正直に言った。
嘘をつくよりはマシだと思ったからだ。
父さんは短い息を吐き、天井を仰いだ。
「……悪いな。変なこと聞いちまった。思えばルディもお前も最後にゼニスと話したのは7歳だったよな」
「「いえ」」
「…………正直。お前たちが冷静でいてくれるのは、助かってる。オレはな、ルディやお前が居なかったらと思うと………多分、塞ぎ込んでたと思う。ある意味、冷静でいてくれるお前たちがいてくれてよかった。…その、なんだ。ありがとう」
父さんの声は、いつもの調子の良さとは違っていた。
低くて、少しだけ疲れていた。
「……父さん」
「俺もレイも相談していただければ、一緒に考えたり出来るので頼ってください」
「ハッ、お前たちに言われるとはな」
父さんは自嘲するように笑ったあと、俺たちの肩を軽く叩いた。
こんな感じでフォローは出来たと思う。
甲龍歴423年◯月◯日
帰還の算段がまとまった。
行き先は兄の家があるシャリーアだ。
ノルンとアイシャも向こうにいる。
当初、僕の存在もあり、ギースやタルハンドはここで解散する話も出ていたが、結局は「そこまで送り届ける」ということになった。
結果として、全員でシャリーアを目指すことになった。
ちなみに、ギースやタルハンド、他、探索団時代から一緒にやってきた人たちはシャリーアへ母さんとパウロを送ったら、アスラ王国へ向かうとか。
自分も途中で抜けずに、最後まで付き合うことにした。
半年とレイダさんの条件は出ているが、まだ三ヶ月はあるのでゆっくりでいいだろうと。
イゾルテさんのこと、そして、強くなるという目標を考えれば、すぐにでも『剣の聖地』へ戻るべきなのだろうが、やはり家族との交流は少なからずしておいたほうがいいと思う。
あとは、母さんと父さんをノルンのもとに、リーリャさんをアイシャのもとまで送り届ける。
それを、きちんと果たしておきたいと思ったから。
剣の聖地へ戻る話は、まだ出きていない。
シャリーアに着いて、ノルンとアイシャに会い、母さんを家に送り届けてから考えることにする。
出発は明日の朝だ。
とりあえず、今日中に荷造りの確認をしておく。
甲龍歴423年◯月◯日
出発前の朝から、少しばかり騒がしかった。
それは、兄が自分から切り出したことについて。
師匠こと、ロキシーを第二夫人として迎えるつもりだ、とか。
部屋にいた全員の動きが、一瞬止まった。
最初に反応したのは、父さんだった。
目を丸くして、すぐに腹の底から笑い出した。
「やっぱりなぁ! お前、そういうところ、オレに似やがって」
リーリャさんはため息混じりに「覚悟はできていましたが」とだけ言った。
ギースさんやタルハンドさん、エリナリーゼさんは、それぞれ「まぁそうなるよな」といった顔をしている。
そして、母さんだ。
これまでほとんど反応を示さなかった母さんが、初めてはっきりと動いた。
兄の歩み寄り、その肩をぽかぽかと叩いた。
確かに意志のこもった動作だ。
そういえば、母さんはミリス教だったか。その記憶が残っていて一夫多妻に思うところがあるのかもしれない。
兄は苦笑いを浮かべて「母さん……」とだけ言っていた気がする。
父さんはそれを見て、一度止まったがすぐに本当に楽しそうに笑った。目から少しの涙が見えていたと思う。
「お前、母さんに怒られちまったな………」
そう言いながら、父さんは母さんの手を取って、なだめるように肩に手を回した。そんな父さんに母さんは、ほっぺをむにーと摘むささやかな抵抗を行う。
リーリャもすぐに母さんのそばに寄り、背中を優しく撫でている。
ギースが肩をすくめて言った。
「元気な証拠じゃねえか。反応があるってことは、悪い話じゃねぇよ」
エリナリーゼは面白そうに4人を見ていた。
ロキシーさんはというと、小さくなって視線を落としている。
気まずいのだろう。自分の立場を意識して、あまり前に出ないようにしているのが分かった。
自分は特に何も言わなかった。
なぜかと言えば、当人たちが決めたことだからだ。
外からとやかく言うことではないと。
ただ、心の底では少し引っかかるものがある。
シルフィエットさんのことを、兄はどう思っているのだろう。
彼女の優しさや、受け入れてくれる性格を、分かった上でつけ込んでいるように見えなくもない。
とはいえ、所詮は、自分の問題ではないのだからヨシとする。
母さんが意思を示したこと自体は、悪い話ではなかったし。
父さんも、どこか安堵したような顔をしている。
そんなこんなで、迷宮都市ラパンを出発するのだった。
甲龍歴423年◯月◯日
ラパンから出発して一ヶ月ほどでバザールという街に到着した。
今日は特に書くこともない。
ここ一ヶ月は、スピリット・フローを使うことで魔物との戦闘を回避することに成功している。
そのおかげで、消耗も殆どしていない。
甲龍歴423年◯月◯日
エリナリーゼが先導して、兄と一緒に短縮してベガリット大陸にやってきた、その方法がある場所へ向かっている。
今のところは、良い感じ。
聞くに、超極秘らしく、あんまり教えてもらってない。
甲龍歴423年◯月◯日
極秘場所とやらに着いた。
その前ぐらいに目隠しをされたのでよく分からないが兄はこんな詠唱をしていたと思う。
「その龍はただ信念にのみ生きる。広壮たる
場所は第六感を頼りに考察すれば、おそらく、遺跡のような場所だったように思う。
どこかの階段を降りて、独特な感覚に襲われ、次の瞬間には周囲の温度が急激に下がった。
灼熱から懐かしい北部の冷気。
目隠しを外す許可を得たので外せば、一面に雪景色が広がっていた。
雪の降り積もる森の中。
「繰り返しになりますが、秘密の移動手段なので、何か察しても口外しないでくださいね?」
兄さんにそう言われた以上は詮索は野暮と言うやつだろうが気になる。
誰かに伝えるのは流石にしないが、個人として一度調べるのはありだろうか。
悩むなぁ
甲龍歴423年◯月◯日
シャリーアに到着した。
兄さんの家は大きかった。軽く言えば、貴族の御屋敷みたいな感じ。
まず、アイシャと会った。
元気よく迎えてくれた。
まずは主人の兄。次に父さん、僕、そして、自身の母親であるリーリャと言葉を交わした。
その後、兄の嫁さんであるシルフィさんに挨拶。記憶では緑髪だったと思うのだが、白髪になっていた。
加えて、そのお腹はぽっこりと膨らんでいた。
兄の妄言ではなかったらしい。
僕も近いうちに、おじさんになるのだろう。
その後、アイシャが魔法大学に入学したっていうノルンを呼びにいく。
ここで、飲み物を用意しようとするシルフィさんにリーリャが身重なのですから私が用意しましょうと言う。僕も手伝った。
一応、ボレアス家で使用人として働いていたこともあるので問題はない。紅茶を注いで見せれば、一様に驚かれた。
「お父さん! お母さん!」
そんなことをしていると、息を切らしたノルンが戻ってきた。そのまま、父さんの胸にダイブ。
父さんもこれには嬉し涙を流していた。
全員が集まったので迷宮都市ラパンでなにが起こったのかを兄さんが説明した。
エリナリーゼと一緒にシャリーアを出発し、ラパンに辿り着き、パウロ達と僕と合流して、ゼニスさんの情報を頼りに迷宮に潜り、トラップにかかって行方不明になっていたロキシーを救出、誰も欠けることなく最奥まで辿り着き最奥の魔力結晶に閉じ込められていたゼニスさんを救い出した。
ここで母さんについて僕が補足する。
記憶を失ったのではなく、あくまで伝える手段を失ったのだということ。おそらく、意識はハッキリしていることなど。
そこまで聞いて、ノルンは「どんな状態でも、帰ってきてくれて良かった……! 皆、生きて、帰ってきてくれて、良かっ……!」と泣き崩れてしまう。
それを父さんがオロオロしながら慰めると言う感じ。
家族水入らずということで、ノルン、アイシャ、パウロ、僕、ルーデウス、シルフィ、ロキシーが部屋に残った。
その後は、エリナリーゼは愛しのクリフという人の元へ。タルハンドとギース、他探索団の仲間たちは宿を取りに街へ向かった。
聞くに、冬が明けるまで宿に泊まり、アスラ王国に向けて旅立つとか。
リーリャが不在なのは母さんを風呂に入れるためである。
本題に入った
そう、ロキシーについてである。
シルフィさんにロキシーのことを伝えた兄だったが………シルフィさんに許され、めでたく、ロキシーは兄の第二夫人となった。
ミリス教の考えを深く受けてしまっているノルンが反発する。
それを父さんが取り成そうとして、流れ弾を食らっていた。
まぁ、父さんも父さんでやってるもんね。
そこから、父さんとリーリャ、母さんはしばらく、兄の家に住むらしい。お金は迷宮探索で手に入れたものがあるので近々、近くに家を建てるとか。
父さんが一緒に住むか?と聞いてきたので、遠慮したが、のだが、一室だけ僕用の部屋を用意してもらえることになった。
滞在するときがあればそこを使えばいいとか。
そんなこんなで話がまとまり、今日と明日は兄さんの家で身体を休めることになった。
さて、今日は遅いので寝るとする。
剣の聖地へ戻る云々は明日に話すことにしよう。
追記
二人が寝たので書いていこうと思う。
手帳を書いていると、ドアがノックされた。
アイシャが立っていた。
少し恥ずかしそうに、上目遣いでこちらを見てくる。
「今日、一緒に寝てもいい?」
「……怖い夢でも見たのか?」
そう聞いてみると、小さく頷かれた。
アイシャは確か、まだ9歳だ。
血の繋がっているとはいえ、兄妹で一緒に寝るのはどうかとも思ったが、これまで兄らしいことをほとんどしてこなかった自分を思い出し、結局許可することにした。
「いいぞ」
するとアイシャは声を上げた。
「良いって——! 出てきなよ、ノルン姉〜!」
廊下の陰から、枕を持ったノルンが恐る恐る現れる。
そんなノルンを見てアイシャがこんなことを言い出した。
「まったく。言い出しっぺのノルン姉が隠れてどうするの?」
「ちょっ、アイシャ!それは言わない約束でしょ!?」
部屋の前でわーわー言い始めた二人を軽く諌めたあと、中に引き入れる。二人は性格的な相性は少し悪いのか。それとも、これが正常な姉妹の感じなのか、分からないが和んだのは確かだった。
部屋に入れた後に、アイシャから指摘されたがこの時の僕の表情は少し柔らかかったとか。
言い出しっぺという言葉をそのまま、受け取るならノルンがアイシャを誘い僕の部屋に来たというのが真実なのだろう。
そのまま、部屋に入り、ベッドに枕を並べる。
僕が真ん中、左にノルン、右にアイシャ。
居心地は悪い。単に一人用ベッドに三人揃って寝ているので仕方ないと言えばそうなのだが。
「ねぇ。お兄ちゃん! 腕上げて? そう! 平行に!」
そう、腕枕というやつだ。
「えへへ。お兄ちゃんの腕枕〜。………う~ん。微妙」
やらせといて、この言い草は流石にムッとしたが、アイシャは構わずに僕の腕に頭を預けてくる。
お気に召したらしいので好きにやらせとくことにする。
ノルンはというと黙って天井を見ていた。
なにか言うべきだろうか。
「ノルンもやるか?」
「……うん」
ノルンも実はやりたかったのか、少々、恥ずかしそうにしながら僕の腕を枕に変える。
両方の腕に妹の頭があるという珍しい光景である。兄さんが見れば憤死すること間違いなしだろう。
兄がこの場に居なくてよかった。
そんなことを思っていたら、二人がこう聞いてきた。
「レイお兄ちゃんはいつまでもここに居ることはないよね?いつまでいるの?」
「レイ兄さん。嘘をつかないでください」
二人とも、最初から分かっていたらしい。
僕の性格を、思っていた以上に理解しているようだ。
「……数日中には発つことになるね。戻らないといけないところがあるから」
正直に言った。
嘘をついても、すぐに見抜かれるのは目に見えていた。
アイシャは「やっぱり」と小さく呟き、ノルンは僕の視線を合わせるように顔を向ける。
「……行かないで、とは言いません。だって、物理的にも精神的にも私には止められないですし」
ノルンの声は静かだった。
怒りというより、最初から覚悟していたような響きがある。
「ただ……手紙とかはしっかりしてくださいね」
「……わかった」
それだけ答えると、ノルンは小さく頷いた。
「ねぇ。レイお兄ちゃん。私も一つお願いしてもいい?」
アイシャも、僕の腕を握ったままそう言ってきた。
「明日もこうやって一緒に寝てもいいよね?」
返答に困るお願いである。
ノルンも一緒のようで「……私も」と。
別に嫌ではない。ただ、親との時間を削ってまでこちらに来る必要があるのか、という疑問は残った。
それを伝えると、シャリーアに居ることになる両親よりもいつ会えるか分からない、兄を優先するのは当然でしょ?と言われてしまった。
そんなこんなで明日もこうやって三人で寝ることになった。
嫌なわけではないので、明日はもう一つアイシャの使っているベッドを運んでくることに決めた。
明日は特に早くもないのでゆっくりとすることにしよう。
蛇足
今回の話で、ノルンについて少し補足しておきます。
原作では色々とあって引きこもりになってしまったノルンですが、本作ではそのイベント自体が起こっていません。
起こらなかった理由として、主に二つ挙げられます。
1ルーデウスへの恐怖心が芽生えるきっかけ、パウロを殴りつけるという展開が起きなかったこと。
2アイシャやルーデウスへの劣等感が、原作ほど強くならなかったこと。
どちらも、レイモンドの存在が影響しています。
1については、レイが探索団発足時からパウロのそばにいたことで、パウロに精神的な余裕が生まれました。
その結果、パウロは、ルーデウスの話を親身に聞くことができ、どっちも大変だったと理解し大喧嘩に発展せずに済みました。
2については、レイモンドという「冷静で達観した兄」がいたことで、ノルンはルーデウスやアイシャと自分を過剰に比較しにくくなりました。彼の性格を近くで見ていた影響もあり、劣等感は抑えめになっています。
その一方で、ルーデウスへの好感度は原作ほど上がっていません。
ノルンから見たルーデウスは「どうしようもない変態でヤバい人だけど、自分より遥かに凄い存在」という認識です。積極的に話に行くほど親しくはなく、かといって露骨に避けるほど嫌っているわけでもない。ある程度の付き合いはするものの、あまり深く関わりたくない、といった距離感です。
レイモンドの存在が、ノルンの精神的な負担を大きく軽減した結果だと考えてください。