灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない 作:灰を拾う旅人
「姉ちゃんは、どこにいる」
声が勝手に出た。
セイン王子は工房の惨状を見渡したまま答える。
「王都、暁炉の最下層だ。生きている。少なくとも、今朝の報告までは」
「会わせるっていうのは」
「言葉どおりだ。面会を許可し、君が望むなら治療師もつける」
八年探した姉ちゃんに会える。
白い炉へ縛られている姿を想像してきた。助けを呼ぶ声も聞いた。けれど、生きているという言葉を王族の口から聞くと、夢が急に扉の向こうまで近づく。
手を伸ばせば届く。
代わりに渡すのは、ノエだ。
俺は隣の彼女を見た。白い髪。金色の目。二本の青い線が灯った腕輪。焦げたパンが好きで、霜を見てしゃがみ込み、俺が嬉しい時と泣きたい時に同じ顔をすると知っている。
それらを一つずつ思い浮かべたのに、頭のどこかでは重さを量っていた。
姉ちゃんとノエ。
八年と九日。
家族と、出会ったばかりの誰か。
「引き渡した後、ノエをどうする」
「暁炉へ接続する」
「燃やすのか」
「言葉を選ばないなら、そうなる」
セインはごまかさなかった。
「今の核は限界だ。交代させなければ、リナ・リュゼは遠からず死ぬ。器を接続すれば、彼女を炉から外せる」
ノエを渡せば姉ちゃんが助かる。
こんなに正しい形の罠があるのか。
「何年だ」
「何がですか」
ノエが俺へ聞く。
「お前が炉へ入ったら、何年もつ」
口にしてから、自分が何を尋ねたのか分かった。
ノエがどれくらい苦しむかではない。何年使えるかを聞いた。
値段をつけた。
セインが答える前に、ノエは静かに言う。
「設計上は、十二年です」
十二年。
姉ちゃんを取り戻し、十二年かけて別の一人を燃やす。
「カイ。私を渡せば、リナさんに会えます」
ノエの声に責める色はない。だから、余計に自分が見えた。
「お前は、行きたいか」
「分かりません」
「じゃあ駄目だ」
答えは早かった。立派な決断ではない。自分の口から出た質問が気持ち悪くて、吐き出しただけだ。
俺はセインを見上げた。
「断る」
「姉に会いたくないのか」
「会いたい。今すぐ、あんたを殴って鍵を奪いたいくらい会いたい」
近衛兵の槍が一斉に上がった。セインは片手で制する。
「でも、会いたいからってノエを十二年分の薪にしていい理由にはならない。俺は今、こいつが何年使えるか聞いた。あんたの取引に乗る前から、もう値踏みした」
胸が痛い。ノエを守ったつもりにはなれなかった。一度浮かんだ秤は、なかったことにならない。
「それでも断る。姉ちゃんには、別の方法で会う」
セインは怒りも笑いもしなかった。
「別の方法が見つかるまで、何人死ぬ」
正面から来る。
「王都の暁炉は、この国全域の灰除け結界を支えている。君が鳴らした二つの鐘で地方炉の流れが変わり、ここでは根炉が停止した。樹都の結界備蓄は三日だ」
「鐘を鳴らしたせいだって言うのか」
「違う。鐘で露見する程度に、一つの仕組みへ依存させた私たちの責任だ。だが責任者を決めても、四日目の虚獣は消えない」
腹が立つほど、言うことが正しい。
「では殿下は、名剥ぎを続けますか」
ノエが聞いた。
「続けない。この工房を封鎖し、契約を調査する。名を残したまま願火を安定させる試験炉を、今夜から組む」
「私がいなくても?」
「三日間は」
それより先は約束しない。セインは自分を善人に見せる気がないらしい。
床が揺れた。
最初は第二の鐘の余韻だと思った。次に、地上から悲鳴が落ちてきた。
願火瓶が棚の中で弾ける。戻りきらなかった名のない火が床へ流れ、黒い泥になる。それは人の顔を作りながら膨らんだ。
笑っている。
夢見香で切り売りされた幸福の顔だ。赤子を抱く母、川で遊ぶ子供、凱旋した兵。笑顔だけを貼りつけ、目の穴から黒い灰を流している。
「虚獣!」
近衛兵が槍を構える。虚獣は壁の管へ入り、地上へ向かった。
セインの声が工房を切る。
「第一隊は市場の避難。願火瓶を持ち出させるな、その場で名札を確認して封印しろ。第二隊は根の東西を閉鎖。商会の者も殺すな、証言が要る!」
命令が速い。敵を斬るより先に、人と証拠を残す指示を出した。
「君たちは南へ行け」
「逃がすのか」
「違う。虚獣の本体は夢見香の天幕へ向かう。死者の声を聞ける者が必要だ」
「取引を断ったぞ」
「だから何だ。市民を守る仕事まで断る理由になるか」
ならない。
「ノエ、走れるか」
「はい。今は私の足です」
俺たちは地上へ駆けた。ティルがついてくる。
「お前は残れ!」
「市場の抜け道なら俺が一番知ってる!」
「その自信は嫌いじゃないが、今度嘘だったら置いてくぞ!」
「一番ではないけど三番には入る!」
「もう減った!」
地上は青い火と黒い灰に覆われていた。虚獣は天幕を飲み込み、何十本もの腕で眠っていた客を抱えている。客は笑顔のまま目を覚まさない。
『ずっと、ここに』
『幸せなままで』
甘い煙が通りへ広がる。吸った衛兵が槍を落とし、幼い顔で笑い始めた。
「口を塞げ!」
俺は外套の裾を裂き、ノエの口へ巻いた。自分にも巻く。ガランは黒い手甲で香炉を殴り倒したが、火は虚獣の腹へ逃げた。
「核は願火瓶だ!」
「三十七本あります」
ノエの目が黒い体の中を追う。
「幸福だけを抜かれた人たちです。名前がありません」
名前がなければ呼べない。斬れば、三十七人分の願火まで砕く。
セインが遅れて天幕へ入った。近衛兵から弓を取り、黒い腕だけを射抜く。眠る客が一人ずつ落ち、兵が受け止めた。
「名札の保管場所は!」
「地下で切られた!」
「購入記録は残っている。工房長!」
連行されていた男が引き出された。セインは剣を喉へ当てず、夢見香の帳簿を開かせた。
「今日燃やした願火の仕入れ番号を読め」
「処罰を免除していただけるなら――」
「免除はしない。だが君が今、三十七人を助けた事実も裁判記録へ残す」
工房長は震える指で帳簿をめくった。
「幸福瓶、四二一番。遺族、アナ・セルド。死者は、夫のグレイ」
「グレイ・セルド!」
俺が呼ぶ。
虚獣の胸で一本の火が白くなる。笑う男の顔がほどけ、願火が飛び出した。
「次!」
「四二二番、死者はミオ。家名なし。売却者は孤児院――」
「ミオ!」
一人ずつだ。
虚獣の腕が俺へ伸びる。ガランが斬り、ティルが倒れた香炉から帳簿の続きに当たる札を拾う。ノエは火の位置を示し、セインが矢で道を開ける。
敵と味方を決める暇もなく、俺たちは三十七の名を呼んだ。
最後の願火が抜けると、虚獣は空の笑顔だけを残して崩れた。黒い灰が天幕へ降る。
助け出された客たちは泣いていた。夢の幸福を奪われたからではない。自分が知らない誰かの一生を、銀貨で吸っていたと知ったからだ。
セインは弓を返し、灰まみれの白い軍装を払った。
「これで、私の取引が必要な理由は理解したか」
「理解はした。答えは変わらない」
「そうか」
王子は簡単に引いた。ノエを奪えと命じることもできるのに、近衛兵へ剣を収めさせる。
「三日だ。その間に私は代替炉を作る。君は次の鐘を探せ。結果で、どちらが正しいか決めよう」
「あんたが間違ってたら?」
「改める。私が正しかったら?」
答えに詰まる。
「君が改めろ、墓守。人を数えないことと、数えられる命を見ないことは同じではない」
セインは背を向けた。それから足を止める。
「もう一つ。姉を善良な犠牲者だとだけ考えているなら、王都へ着く前に捨てたほうがいい」
振り返った青い目には、憎しみではなく疲れがあった。
「八年前、暁炉の安全弁を壊したのはリナ・リュゼだ。その結果、灰雨が起きた」
「嘘だ」
反射で否定した。
「記録も証人もある。死者、四百十二人」
数字が胸へ落ちる。
四百十二。
村の共同墓地へ入りきらない数だ。それぞれに名があり、家族がいて、最後の願いがあった。
「姉ちゃんが、殺した?」
「私はそう言った」
セインは今度こそ去った。
ノエが俺の袖へ触れる。俺はその手を握れなかった。
頭の中で、姉ちゃんに会いたいという声と、四百十二人の名を呼べという声がぶつかっていた。