灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない   作:灰を拾う旅人

12 / 30
森を出る四人

 姉ちゃんが四百十二人を殺した。

 

 その言葉は、眠っても頭から出ていかなかった。

 

 工房を出た俺たちは、樹都の共同宿へ隠れた。ガランが灰衣時代に使っていた連絡先らしく、主人は片目で俺たちを見ただけで屋根裏を貸した。床は傾き、毛布は干した茸の匂いがする。眠るには十分だった。

 

 十分なはずなのに、目を閉じるたび灰雨の日へ戻る。

 

 八年前、空が白く燃えた。村へ降った灰。みんなに裏切り者の妹と呼ばれた姉ちゃん。俺だけは、姉ちゃんが理由もなく人を殺すはずがないと信じた。

 

 理由があれば、四百十二人を死なせてもいいのか。

 

 答えは出ない。問いを転がし続けると、自分に都合のいい形へ丸くなりそうで怖かった。

 

「眠れませんか」

 

 隣の毛布からノエの声がした。

「起きてたのか」

「あなたが十二回寝返りました」

「数えるな」

「十一回目までは眠ろうとしました」

 

 暗がりで少し笑いかけ、すぐ胸が痛んだ。まただ。笑ってはいけない気がする。

 

「四百十二人、全員に家族がいた」

「はい」

「姉ちゃんにも理由があったはずだ」

「はい」

「どっちか否定してくれ」

「できません」

 

 ノエは毛布から起き上がる。窓の隙間から願火瓶の青い光が入り、横顔だけを照らした。

「理由を知ることと、死んだ人を減らすことは違います。リナさんを愛していることと、怒らないことも違うと思います」

「千人のうち誰の言葉だ」

「私です」

 

 迷わなかった。

 

「たぶん」とつけないノエの言葉を、初めて聞いた気がする。

 

 俺は毛布を鼻まで引き上げた。乾いた茸の匂いが強くなる。

「明日、契約書を公開する」

「話が変わりました」

「今夜は答えが出ない。なら、明日できることをする」

 

 姉ちゃんの真実は追う。でも姉ちゃんのことで頭をいっぱいにして、目の前の名を置き去りにはしない。

 

「おやすみ、ノエ」

「おやすみなさい、カイ」

 

 十三回目の寝返りで、俺はようやく眠った。

 

     *

 

 翌朝、樹都の中央市場には千人近くが集まっていた。

 

 吊り橋の下へ、緑冠商会から押収された契約書が並べられている。セインは近衛兵を使って隠さず公開した。工房長と商会主は拘束され、願火の売買は調査が終わるまで停止。王家に都合の悪い葬務院認可まで、布で隠さず読み上げさせている。

 

「あの王子、本当にやるな」

 俺が言うと、ガランは腕を組んだ。

「国を守るためなら、王家の面子も燃料にする」

「褒めてるのか」

「警戒している。正しい人間は、間違えた時も止まりにくい」

 

 お前が言うと重い、と返しかけてやめた。ガランが姉ちゃんを逮捕した理由も、まだ聞いていない。

 

 市場では怒号が上がっていた。

 

「技能だけ売る契約だった!」

「母の名を削るなんて聞いていない!」

「金は使った。今さら返せと言われても無理だ!」

 

 売った遺族にも事情がある。買った者にも、願火の技能で店を続けている者がいる。契約を破棄すれば全部終わる、とはいかない。

 

 俺は中央の台へ上がった。人前で話すのは葬式だけで十分だったが、成り行きで俺が第二の鐘を鳴らしたことまで広まっている。

 

「静かにしてくれ!」

 

 静かにならない。

 

 ガランが剣を鞘ごと台へ打ちつけた。木が割れそうな音で、ようやく顔がこちらを向く。

「壊すなよ。借り物だぞ」

「話せ」

 

 無茶をする役が逆だ。

 

「俺はエンデ村の墓守、カイ・リュゼだ。願火の売買を全部悪だと言うつもりはない。冬を越すために売った人もいる。死んだ家族が望んで、技能を継がせた家もある」

 

 何人かが顔を上げる。

「でも、名前まで捨てると知って選んだ人は、ここにどれだけいる」

 

 手は上がらなかった。

「契約をそのまま続ける人も、解いて弔い直す人も、自分で決めてくれ。ただし、死者の名と、願いがどう使われるかを知った上でだ」

 

「死者に聞けるのか!」

 群衆の男が叫ぶ。

「全員は無理だ。声が残っている人もいれば、もう聞こえない人もいる。だから俺だけを正解にするな。生きていた時の言葉を知ってる家族で話してくれ」

 

 また一人で決めそうになる自分へ、先に言った。

 

 最初に台へ来たのは、夢見香の客だった男だ。昨夜、父親の幸福を他人のものと知らず吸っていた。

「グレイ・セルドの瓶を、妻へ返したい。代金は請求しない」

 

 次に、痩せた女が出た。

「夫の鍛冶技能は売ったままにします。あの人が、弟子へ残すと言っていたから。でも名前を戻して、使うたび呼んでほしい」

 

 選択が続く。

 

 弔い直す者。契約を結び直す者。願火を手元へ戻さず、その場で空へ送る者。売った金を返せず泣く者には、買い手が返金を求めないこともあった。逆に、嘘を知りながら安く買った商人は、市民に囲まれて逃げた。

 

 きれいには終わらない。

 

 それでいい。全員が同じ答えを選ぶ鐘ではない。

 

 名前を取り戻した願火の一部は、セインが用意した仮設炉へ入った。名を剥がさず、遺族が交代で呼びかける。その火は弱いが、根から枝へ広がり、市壁の結界を青く染めた。

 

「三日よりは延びるのか」

 俺がセインへ聞く。

「計算上は九日。市民が呼びかけを続ければ十二日」

「その間に次を作れる?」

「作る。君に心配される筋合いはない」

 

 徹夜したらしく、王子の目の下には薄い影がある。嫌な奴だが、嘘はついていない。

「ありがとう」

「礼を言う前に、君は王国の炉を二つ壊した自覚を持て」

「安全に止めた」

「予告なしにな」

「次は手紙を出す」

「届く前に鳴らす顔をしている」

 

 否定できない。

 

 セインは一枚の通行証を差し出した。樹都から東、水都ラトまでの王路を通れる仮証だ。

「三日間の猶予と言った」

「十二日へ延びただろ」

「私の気が長くなったわけではない。次の鐘で何を変えるか見せろ」

 

 受け取る。王家の印がついている。罠かもしれないが、門で懸賞首の顔を見られるよりましだ。

 

「姉ちゃんの記録を見せてくれ」

「王都へ来い。公開記録なら自分で読める」

「逃げるな」

「君も、姉の罪から逃げるな」

 

 言い返せなかった。

 

 昼過ぎ、契約書の山からティルが叫んだ。

「あった!」

 

 ユアン・レクの担保契約。母の記憶、弟の記憶、運搬技能。三つに分けられ、それぞれ別の保管先へ移送された記録がある。

 

「本人は水都ラト、葬務院記憶庫へ移送」

 ティルの指が文字をなぞる。

「記憶担保の長期保管対象……なんで人間まで倉庫へ送るんだよ」

 

 記憶を抜きすぎれば、本人が契約内容を忘れる。逃亡防止という名目で、体ごと保管するらしい。

 

「第三の鐘も水都にある」

 ガランが帳面の地図を開いた。

「行き先は同じだ」

 

 ティルが俺の前へ立つ。

「連れてけ」

「嫌だ」

「即答すんな!」

「盗む、嘘をつく、言うことを聞かない。旅へ連れていきたい要素がない」

「道を知ってる!」

「一番から三番へ落ちる道案内は間に合ってる」

 

 ティルは母親の灰札を握った。

「兄貴を助けたい。今度は、俺がやったことも全部話す。殴られても、忘れられてても」

 

 怖いのだろう。兄が自分を覚えていないことより、覚えていて許さないことが。

 

「自分で話せ。俺は代わりに謝らない」

「分かってる」

「盗んだら置いていく」

「分かった」

「嘘をついたら」

「置いていく」

「俺のパンを笑ったら」

「それは無理だろ」

「置いていく」

 

 ノエが横で小さく肩を揺らした。こいつも笑っている。

 

「四人目だ」

 ガランが言う。

「あんた、自分を仲間へ数えてたのか」

「監視対象の数だ」

「素直じゃねえな、おっさん」

「ティル、今すぐ置いていくぞ」

 

 荷をまとめ、夕方には樹都の東門へ向かった。吊り橋を渡る途中、俺はノエを呼び止める。

 

 王子の取引を断った。それで話を終わらせてはいけない。俺が守ると決め、ノエは黙ってついてくる。それも形を変えた檻になる。

 

「ノエ。水都へ行けば、またお前の中の声が苦しむかもしれない。王都へ近づけば、暁炉へ戻される危険も増える」

「はい」

「俺から離れたいなら、今でもいい。セインのところへ行く以外にも、樹都へ残れる。願火を名づけ直す人たちは、お前を受け入れると思う」

 

 言うほど胸が冷える。残ってほしい。焦げたパンを食べる顔も、俺より正しい質問も、これから先で見たい。

 

 でも、それは俺の願いだ。

「俺は姉ちゃんを助けるために、お前を値踏みした。次はしないと約束しても、信じろとは言えない。だから、お前が選んでくれ」

 

 ノエは樹都を振り返った。青い瓶の光。名前を読む市民。地上まで伸びた大樹の根。

 

 長い沈黙の間、俺は答えを急かさなかった。

 

 やがてノエは俺のほうへ向く。

「私は、焦げたパンをもう一度食べたいです」

「それなら樹都のパン屋のほうがうまい」

「あなたが焼いたものがいいです」

 

 胸の奥へ、熱いものが広がる。

「味覚がおかしいんじゃないか」

「それを確かめるためにも」

 

 ノエは自分の足で、東門の外へ一歩踏み出した。

 

「私は、あなたと一緒に行きたいです」

 

 俺は泣いた。

 

 今回は、嬉しいからだと間違えずに分かった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。