灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない 作:灰を拾う旅人
「何を弔いに来た」
サラの剣は俺の喉へ向いたままだった。
「砦の死者と、名前を取られた恐怖を」
「きれいな答えだね」
「姉ちゃんの罪を消しに来たわけじゃない」
「その言い方も、よく考えてある」
何を言っても、許してもらうために選んだ言葉に聞こえる。実際、俺のどこかには許されたい気持ちがある。
姉の弟まで憎むのは間違いだと言ってほしい。リナにも事情があったと理解してほしい。俺は被害者の話を聞ける立派な弟だと認めてほしい。
全部、自分が楽になるためだ。
「サラ」
砦長が止めようとする。
「下がっててください。私はこの子と話してる」
剣先が少し喉へ触れた。ノエが俺の前へ出ようとするのを、片手で止める。
「俺を斬りたいですか」
「その質問で、やめると言わせたい?」
「……違います」
「嘘だね」
嘘だ。やめると言ってほしかった。
「じゃあ、聞き方を変えます。家族の名前を教えてください」
サラの眼帯ではない左目が細くなる。
「聞いてどうする」
「覚えます」
「忘れたら?」
「記録します」
「記録が燃えたら?」
「誰かへ話します」
「あんたが死んだら?」
「聞いた人が残す。俺一人だけで弔わない」
第二の鐘で覚えた答えだ。
サラはしばらく黙り、剣を鞘へ戻した。
「夫はオルド。父はジン。妹はマーヤ。生まれなかった子には、名前がない」
「つけなかった?」
「つける前に死んだ。灰雨の後、腹から出てきた」
胸が痛む。謝りそうになり、飲み込んだ。俺が謝っても、サラの家族には届かない。謝罪を拒む仕事まで彼女へ増やすだけだ。
「三人と、まだ名前のなかった一人を弔わせてください」
「灰はないよ」
「空の墓でも、名前は呼べます」
サラはすぐに答えなかった。
*
砦の北庭には、戦死者の墓標が並んでいた。凍った土へ穴を掘る。肺を傷めた俺に代わり、ノエとティルが土を運んだ。ガランは肋骨を布で固めたまま手伝おうとして、全員に止められた。
「俺の怪我は動けないほどではない」
「寝てろ、おっさん」
「座っていてください」
「あんたが働くと、俺が砦の治療師に怒られる」
三人に言われ、ガランは墓石へ座った。少しだけ不満そうで、俺は初めてこいつにも分かりやすい顔があると知った。
サラの家族の灰はない。代わりに、彼女が覚えているものを一つずつ穴へ入れた。
オルドには、折れた木の匙。料理が下手で、鍋を焦がすたび匙のせいにした。
ジンには、砦で使う古い釘。大工で、曲がった釘も捨てずに伸ばした。
マーヤには、青い毛糸。寒がりなのに袖を短くする癖があった。
名前のなかった子には、サラが城壁で拾った白い石を入れた。
「四人目を、どう呼びますか」
俺が聞く。
「呼ばなくていい。名前がないのも、あの子の本当だ」
樹都にいた俺なら、無理にでも名をつけようとしたかもしれない。名前を呼ぶことが救いだと信じていたから。
「分かりました」
灰灯へ火を入れる。サラの記憶が願火になる。
「オルド。ジン。マーヤ。サラの子。あなたたちを覚えている人が、ここにいる」
白い火が四つ上がった。
サラは泣かなかった。
「リナ・リュゼが殺した」
送火の途中で言う。
「はい」
「あんたの姉が、安全弁を開けたから死んだ」
「はい」
「院が避難を止めたとか、過負荷命令があったとか、言い返さないのか」
言い返したい。姉ちゃんだけではないと知ってほしい。
「今は、あなたの家族の弔いです。俺の姉の事情を入れません」
サラの唇がゆがむ。
「謝らないのか」
「俺が謝ると、許すか断るかをあなたにさせる。俺は、自分が楽になるために謝りたいだけです」
「ずいぶん嫌な弟だね」
「自分でもそう思います」
サラは白い火を見送った。
「あの朝、リナは避難しろと叫んでた」
エーダの記憶にもあった。
「夫は聞いた。私も聞いた。でも、院は屋内にいろと言った。オルドは院を信じた。私はリナを信じなかった」
「それで、姉ちゃんを許せますか」
「許さない」
「はい」
「でも、見たことまで憎しみに合わせて変えたくはない。あの女は逃げていなかった」
それだけで姉ちゃんが軽くなるわけではない。
サラの怒りも軽くならない。
軽くしなくていい。
弔いは、重さを消す仕事ではない。誰の重さか分かるよう、名札をつける仕事だ。
四つの火が冬空へ消えた。
直後、北壁の警鐘が鳴った。
「虚獣群、第二波!」
兵士たちが走る。恐怖を抜いた者は迷わず壁へ上がり、前夜の恐怖が戻った者は足を止める。
若い槍兵が俺たちの前で震えていた。二十歳にもならない。胸札にはハド・メイルとある。
「俺、行けません」
「怖いものは」
俺が聞く。
「死ぬのが。母さんに、遺体が戻らないのが。仲間の前で逃げるのが怖い」
三つも言えた。
「なら、そのまま来い。怖くなくなる必要はない」
俺たちは城壁へ上がった。
黒い群れが雪原を埋めている。姉ちゃんの顔をした最大個体もいる。今度は見間違えない。顔が同じでも、あれは兵士たちの恐怖だ。
砦の弓が降る。虚獣は矢を飲み込み、戦死者の顔を増やした。
「白炉を止めろ!」
砦長へ叫ぶ。
「今止めれば壁の結界が落ちる!」
「続ければ、抜いた恐怖が全部あいつへ行く!」
砦長は決められない。
その間にも虚獣が壁へ届く。黒い腕が石を越え、兵をつかむ。
ハドが槍を突き出した。手は震えている。それでも仲間の外套を貫く寸前で腕をそらし、黒い手首だけを壁へ縫い止める。
「怖くても、動ける」
自分へ言い聞かせる声だった。
「そうだ!」
俺は灰灯で願火を引きはがす。名を呼ばれた恐怖は、虚獣へ戻らない。
姉ちゃんの獣が壁へ上がった。
赤い外套が広がり、何十本もの黒い杭になる。俺は顔を見て、灰灯を構えた。
「姉ちゃんじゃない」
今度は腕が動く。
杭を払う。胸の願火へ手を伸ばす。あと一歩で届くところで、足元から別の爪が出た。
避けられない。
ハドが俺を押した。
爪はハドの胸を貫いた。
「ハド!」
若い兵の体が壁の外へ引かれる。俺は腕をつかんだ。右手から血と体温が抜けていく。
「母さんに」
ハドが息を吐く。
「俺の、名前を」
指が外れた。
落ちる体から願火が上がり、灰灯へ飛び込む。
槍の使い方。震える手で狙いを決める呼吸。ハドの恐怖ごと、俺の腕へ入る。
代償が来た。
幼い俺の右手を、姉ちゃんが引いている。
冬の川を渡る時。人混みではぐれた時。火葬場へ初めて入った時。
声はもうない。笑いも聞こえない。それでも手の温度だけは覚えていた。
「嫌だ」
熱が指の間から消える。
姉ちゃんの手が冷たかったか、温かかったか、分からなくなった。
記憶の景色では手をつないでいるのに、俺の手には何も残らない。
虚獣の爪が脇腹を裂いた。
痛みで我に返る。城壁へ膝をつき、ハドの槍を握った。悲しむのは後だ。後へ回したくないが、今止まればハドの願いまで壁の外へ落ちる。
「ハド・メイル!」
俺は槍を投げた。
震えたまま、狙いは外れない。槍は姉ちゃんの獣の胸へ入り、名のない恐怖の塊を貫いた。
「死ぬのが怖かった! 母親へ遺体が戻らないのが怖かった! 逃げるのが怖かった! それでもハドはここに立った!」
虚獣の半身が崩れる。
サラが号令をかけた。
「恐怖を抜いていない者は名前を言え! 抜いた者は、何を抜いたか取り戻せ!」
兵士たちの声が少しずつ上がる。
虚獣群は退いた。倒したのではない。夜になれば、名前のない恐怖を食べてまた戻る。
ハドの遺体は、雪原へ落ちたままだ。
脇腹を縫われた後、俺は砦地下の白炉へ戻った。ハドの母へ送る灰札を書き、必ず遺体を取り戻すと記す。
ノエが俺の右手を握った。
「何を失いましたか」
「姉ちゃんの手の温度」
ノエの手は温かい。
比べられない。姉ちゃんの温度がないからではない。最初から別の手だからだ。
「これは、覚えていられますか」
「覚える」
今の温度まで失う前提で言いたくなかった。
「いや。忘れても、また握ってくれ」
「はい」
白炉の刃を外すと、第四の鐘に文字が刻まれていた。
『守る者が、最も隠す恐れを名乗る時、恐れの鐘は鳴る』
兵士たちの恐怖だけでは足りない。
この砦を守ろうとしている誰かが、自分でも隠してきた恐れを口にしなければならない。
文字を見た瞬間、胸の奥で一つの記憶が動いた。
八年前、姉ちゃんが消えた日。
悲しかった。
同時に俺は、一瞬だけ安心した。