灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない 作:灰を拾う旅人
姉ちゃんが消えた日、俺は安心した。
その記憶は、ずっと別の名前で隠していた。
混乱。子供だったから。悲しみが大きすぎて、おかしなことを考えた。
違う。
俺は確かに、ほっとした。
第四の鐘に鐘舌を差し込んでも、音は出ない。隠した恐れを名乗れと刻まれた文字だけが、青く光っている。
「カイ、傷が開きます」
ノエが脇腹の包帯を押さえた。
「分かってる」
「分かっている人は、縫われた直後に歩き回りません」
「俺の周り、正しいことを言う奴が多すぎる」
ノエは俺を地下炉の壁へ座らせた。
地上では夜襲の準備が続いている。虚獣群は日暮れと同時に戻る。砦長は白炉を止める決断をしない。恐怖を戻せば兵が壁へ立てないと信じている。
「刻まれた条件を話せばいい」
ティルが言う。
「守る者が恐れを名乗れば鳴るんだろ。砦長に言わせようぜ」
「口だけならな」
怖いと言葉にするだけでは足りない。その恐怖が自分のものだと認め、消さずに次を選ぶ必要がある。第一の鐘からずっと、鍵より約束が要る。
「あんたの恐れは何だ」
俺はガランへ聞いた。
治療寝台にいるガランは、折れた肋骨のせいで息が浅い。
「告白して、楽になることだ」
「もう話しただろ」
「まだ原本を出していない。俺の証言だけなら、都合のいい記憶違いとして捨てられる」
「それが怖い?」
「違う。真実を話したことで、八年黙った自分まで善人になった気がするのが怖い」
こいつは自分を許すことを恐れている。
サラは地下炉の入口で腕を組んだ。
「私は、リナを憎まなくなるのが怖い」
予想していなかった。
「許さないって」
「許さない。でも、避難を呼んだことや、一万二千人を助けようとしたことを認めるたび、憎しみが薄くなる気がする。憎むのをやめたら、家族を裏切る気がする」
俺がノエの笑顔へ安心すると姉ちゃんを裏切ると思ったのと、似ている。
「薄くなっても、家族は消えません」
ノエが言う。
「あんたに何が分かる」
「私は、千人の声が静かになると安心します」
ノエの指が腕輪の三本線へ触れる。
「名前を取り戻して私から離れた声もあります。苦しみが減って嬉しい。同時に、いなくなって安心した自分が嫌です。あの人たちが消えたから楽になったように思います」
千人を背負い続けなければ、自分でいる資格がないと思っている。
ティルは靴の先を見た。
「兄貴が俺を思い出さなくて、少しだけ助かった」
「どうして」
「昔のこと全部覚えてたら、嫌われる。瓶を倒した俺も、かばわせた俺も知ってる。知らない奴なら、まだやり直せると思った」
全員、同じ顔をしている。
醜いと思った感情を言葉の奥へ隠し、罰を受け続ければ愛を証明できると思っている。
俺だけではなかった。
「城壁へ行く」
立とうとすると、傷が引きつった。
「歩けますか」
「ゆっくりなら」
「夜襲はゆっくり来ません」
「背負うなよ」
「では肩を貸します」
ノエの肩を借りる。右にはティルが来た。二人に挟まれ、格好はつかない。
守る者として告白するなら、格好をつけてはいけないのかもしれない。
城壁には全守備兵が集まっていた。空瓶を抱え、恐怖抽出の順番を待っている。
「白炉を止めてください」
俺は砦長へ言った。
「ならん」
「今夜も抜けば、虚獣が増える」
「恐怖を持った兵を壁へ立たせれば、敵を見る前に逃げる!」
「俺が先に話します」
城壁の階段を上がる。肺と脇腹が痛み、半分はノエに引っ張られた。
兵士たちの前へ立つ。
雪原の向こうに黒い群れがいる。姉ちゃんの顔も見える。口が俺の名を呼ぶ形に動いた。
今度は目をそらさない。
「俺はカイ・リュゼ。灰の女と呼ばれたリナ・リュゼの弟です」
兵がざわめく。罵声も飛ぶ。
「八年前、姉ちゃんがいなくなった時、俺は泣きました。帰ってくると信じて、毎日墓地から街道を見ました」
ここまでは、誰にでも話せる弟の物語だ。
「でも、いなくなった最初の夜、一瞬だけ安心しました」
喉が閉じる。
言えば、姉ちゃんを愛していた俺が壊れる気がした。
「姉ちゃんは強くて、何でもできた。村へ帰るたび、俺に墓の掘り方や火の扱いを教えた。嬉しかった。でも、次に帰った時、できないままだとがっかりされるのが怖かった」
姉ちゃんは実際にはがっかりしなかった。失敗すれば一緒に笑った。これは姉ちゃんの問題ではなく、俺の恐れだ。
「姉ちゃんが捕まったと知った夜、もう次に会って試されなくていい。強い弟のふりをしなくていいって、ほっとした」
胸の奥から、八歳の俺が出てくる。
「そんな自分が嫌で、八年間ずっと苦しんでいれば、姉ちゃんを愛していた証明になると思いました。笑わない。楽にならない。誰にも任せない。姉ちゃんを助けるために痛いほど、いい弟になれると思った」
ノエが俺を見ている。
「本当は、姉ちゃんを失うのが怖い。助けた後、四百十二人のことで俺を嫌う姉ちゃんを見るのも怖い。姉ちゃんが俺の知っている人と違うのが怖い」
声が震える。
止めない。
「それでも会いたい。怒りたい。生きていた時間を聞きたい。俺が一瞬安心したことも、姉ちゃんを愛していることも、どっちも俺のものです」
灰灯が熱くなる。
地下の第四鐘が、かすかに震えた。
まだ鳴らない。
サラが城壁へ上がった。
「私はサラ・ハイル。家族を失うのが怖かった。失った後は、憎しみまで失うのが怖い。リナを憎まなければ、四人の死を軽くする気がする」
灰札の留め具を握る。
「でも私は、怖いまま真実を見る。避難を叫んだことも、弁を開けたことも、どちらも消さない」
ガランも続く。折れた肋骨を押さえ、階段を上がってきた。
「俺はガラン・ヴォルク。命令を疑っても拒めなかった。八年黙り、今さら証言して自分を善人にするのが怖い。それでも原本を探し、法廷で話す」
ティルが名乗る。
「俺はティル・レク。兄貴に嫌われるのが怖い。忘れられて助かったと思った。だからって、また嘘をついて好かれようとはしない」
ノエが胸へ手を置く。
「私はノエ。中の声が消え、私一人になるのが怖い。静かになって安心するのも怖い。それでも、私の明日の願いを選びます」
兵士たちが黙っている。
雪原の虚獣群が近づく。白炉を止めなければ、また恐怖を食べる。
ハドと同じ隊の兵が、最初に抽出瓶を地面へ置いた。
「俺はメイス。逃げたら弟に臆病者と思われるのが怖い」
次の女が続く。
「イアナ。夜の壁で一人になるのが怖い。隣の奴が先に死ぬのはもっと怖い」
「ロド。敵を斬るのが怖い。斬って何も感じなくなるのも怖い」
声が広がる。
砦長は最後まで白炉の制御輪を握っていた。
「私は、炉を止めて砦を失った指揮官になるのが怖い」
手を離す。
白炉の刃が止まった。
瓶に閉じ込められた恐怖が、持ち主へ戻る。兵士たちの膝が震え、息が乱れる。何人かは座り込んだ。
「戦えない者は下がれ!」
砦長が命じる。
「下がるのも持ち場だ! 矢を運べ、負傷者を受けろ! 立てる者は、怖いものを名乗って壁へつけ!」
第四の鐘が鳴った。
音は雪原へ届き、黒い群れを揺らす。
虚獣は恐怖へ食いつこうとした。けれど名乗られた恐怖は、もう捨てられた餌ではない。兵士の胸へ糸で結ばれ、離れない。
狼の牙が空を噛む。
「今だ!」
矢が放たれる。怖くない兵の完璧な一斉射ではない。手が震え、何本も外れる。それでも二射目が続く。
俺はハドの槍を握り、姉ちゃんの獣を待った。
赤い外套。知っている顔。
「俺は、お前が姉ちゃんでないことも怖い!」
槍を突く。
姉ちゃんの顔が剥がれた。サラの恐怖、砦長の恐怖、名も知らない兵の恐怖が、それぞれの顔へ戻る。
ノエの緑の火が道を作る。ガランが黒い手甲で爪を受け、ティルが壁の外へ縄を垂らした。
「何してる!」
「ハドを連れて帰る!」
サラが縄を腰へ結び、雪原へ下りる。虚獣の間を走り、ハドの遺体へたどり着いた。
俺たちは壁の上から彼女を守る。
怖い。間に合わないのが怖い。サラが死ぬのが怖い。槍を外すのが怖い。
全部持ったまま、腕を動かす。
サラとハドの体が引き上げられた時、最大の虚獣が灰へ崩れた。残る群れは北の荒野へ逃げていく。
勝った兵たちは、歓声より先に泣いた。抜かれていた恐怖が戻り、今さら死ぬほど怖かったと気づいたのだ。
俺も泣いた。
姉ちゃんがいなくなって安心した俺は、消えない。
それでも姉ちゃんへ会いたい俺も、消えなかった。
*
夜、第四の鐘の土台から古い記録筒が出てきた。七鐘を管理した白炉以前の連絡簿だ。
ガランが一枚の転送記録で指を止める。
「灰雨後、暁炉の命令原本が王都から移された」
「どこへ」
「セルカ砂院。南東砂漠にある、白炉以前の記録修道院だ」
過負荷命令。オルセウスの署名。ノエの製造計画。リナが今も核として使われている証明。
すべて、砂の下に残っている可能性がある。
サラが旅支度をした俺へ、ハドの槍を渡した。
「次に灰の女へ会ったら、伝えな」
「何を」
「私は許さない。でも、逃げずに戻ってこいって」
俺は槍を受け取った。
「必ず伝えます」