灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない   作:灰を拾う旅人

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命令だったでは済まない

 砂漠は、灰より始末が悪い。

 

 灰は払えば落ちる。砂は靴、服、パンの袋、閉じたはずの灰灯にまで入り込む。

 

「じゃりじゃりする」

 俺がパンをかじると、ティルが笑った。

「それ、砂じゃなくて焼きすぎだろ」

「お前の分はない」

「もう食った」

「いつ盗んだ!」

「荷袋に入れた時」

 

 置いていくぞ、と言いかけ、ティルが自分から手を上げた。

「盗んだ。悪かった。次の水場で俺の分を返す」

 

 言うようになった。

 

 許したわけではないが、前より腹を立てやすい。隠されて後から見つけるより、その場で怒れるほうが楽だ。

 

 ハルヴァ砦を出て五日。セルカ砂院は、赤い砂丘の底にあった。

 

 町ではない。白炉ができる前、各地の弔い記録を集めた始祖セルカの修道院だ。地上に見えるのは、半分埋もれた鐘楼だけ。入口は砂を掘り、墓石を起こさなければ現れない。

 

 俺の脇腹はまだ糸で縫われ、深く息を吸うと肺も痛む。ガランの肋骨は布で固めたまま。それでも二人で砂を掘ろうとすると、ノエが匙を取り上げた。

「怪我人は座っていてください」

「俺は墓掘りだ」

「今は墓を掘ると、二つ増えます」

 

 正論に殺される。

 

 ノエとティルが墓石を起こし、ガランが黒い手甲を鍵穴へ当てた。灰衣審問官の紋が、八年ぶりに封印を開く。

 

「記録を隠した院が、灰衣の鍵で開くのか」

「ここへ入れる灰衣は、記録と一緒に埋まる前提だった」

「帰りのこと考えてない仕組み、多くないか」

「だから白炉は今の形になった」

 

 ガランは冗談で言っていない。

 

 地下へ下りると、砂の熱が消えた。壁には何万枚もの灰札が積まれている。白炉へ送られる前の名。歴代の命令書。失敗した弔いの記録。

 

 記録を守る修道士は三人だけだった。最年長の女が、第四鐘の青線を見て俺たちを奥へ通す。

「封印記録を出すには、当事者の証言が要ります」

「俺がする」

 ガランが答えた。

 

「命令を受けた時から、話してください。正当化も省略もせずに」

 

 地下礼拝堂の中央へ、黒い椅子がある。ガランはそこへ座った。俺たちは聞く側だ。

 

「八年前、俺は二十九だった」

 

 今の俺より十歳上。それでも大人に見える年齢だ。間違いを命令のせいにできるほど若くはない。

 

「灰衣審問官として、白炉への妨害を取り締まっていた。名剥ぎの仕組みも、虚獣が増えることも知らなかった。知ろうとしなかった。結界が守られている結果だけを見た」

 

 ガランの声が石へ響く。

「灰雨の朝、リナ・リュゼを封炉破壊の現行犯として捕らえた。彼女は東弁を開放し、西弁へ向かっていた。俺は止めれば被害が収まると信じた」

 

「姉ちゃんは、何て言った」

 

 声を聞けない俺は、言葉へすがった。

 

「『私を縛るなら、西弁を開けてからにしろ』。俺は拒んだ」

 

 姉ちゃんらしい気がする。

 

 その「らしい」を何から作ったのか、自分でも分からなくなってきた。声も温度も失った。残った行動の記憶と手紙から、俺は姉ちゃんを何度も作り直している。

 

「直後、暁炉の制御室へ過負荷命令が届いた。東弁から願火を失えば、白炉の備蓄が減る。結界出力を維持するため、西弁を閉じ、炉心出力を百六十まで上げろと」

「誰の命令だ」

「大葬卿オルセウス・ヴァン」

 

 ガランの黒い手甲が鳴る。

「俺は炉脈技師へ、危険ではないかと聞いた。技師は危険だと答えた。東西へ逃がすはずの圧が、開いた東だけへ集中する」

「なら、止められただろ」

「止められた」

 

 言い訳をしない答えだった。

 

「命令書を破り、西弁を開けることもできた。リナの拘束を解き、彼女に任せることも。俺には制御室へ入る権限があった」

「どうしてしなかった」

「命令だったからだ」

 

 胸の火が上がる。

 

 ガランは俺を見る。

「それで済まない。だから続きを話す」

 

 俺は拳を下ろした。

 

「命令を破って結界が落ちれば、俺が王都を危険へさらした責任者になる。過負荷に従えば、失敗しても大葬卿の命令だと言える。俺は市民の安全ではなく、自分が責任者になることを恐れた」

 

 第四の鐘で名乗った恐れだ。

 

「過負荷が始まり、東弁から願火が噴いた。炉区へ灰雨が降った。そこでようやく命令を破り、西弁の手動輪へ触れた。白い火で左腕を骨まで焼かれ、弁は開かなかった」

 

 ガランが黒い手甲を持ち上げる。

「この腕は、命令を拒んだ証ではない。拒むのが遅すぎた証だ。炉の焼損記録と傷の形は照合できる」

 

「それから、俺はリナを連行したまま制御室へ入った。彼女を解放せず、願火へ共鳴できる能力を使って炉心を抑えろと命じた」

「あんたが、核にしたのか」

「接続を命じたのはオルセウスだ。腕を押さえ、接続台へ乗せたのは俺だ」

 

 殴りたい。

 

 脇腹が裂けても、黒い手甲が壊れるまで殴りたい。

 

 ノエが俺へ触れようとして、やめる。選ぶのを待っている。

 

「続けろ」

 

 俺は拳を握ったまま言った。

 

「リナを核へつなぐと、灰雨は弱まった。四百十二人が死に、一万以上は生き残った。院は彼女を反乱者として記録し、俺へ沈黙を命じた」

「八年、従った」

「従った。最初の一年は真相を調べるためだと言い聞かせた。三年目は証拠が足りないから。五年目は、今さら話しても誰も信じないから。八年目には、黙ること自体が仕事になっていた」

 

 ガランは目を伏せない。

「エイルが逃亡し、第二の核候補を捜せと命じられた。エンデ村でカイを見つけ、また命令に従うつもりだった。マウラがノエをかばった時、ようやく同じことをしていると気づいた」

 

 遅すぎる。

 

 でも、遅すぎるから何もしなくていいとはならない。

 

 修道士が黒い椅子の下へ鍵を差し込んだ。祭壇の壁が開き、石箱が現れる。

 

「証言を記録しました。内容と封印文書を照合します」

 

 最初の紙には、赤い七星印が押されていた。

 

『暁炉緊急運転命令。西安全弁を閉鎖。炉心出力を規定値の百六十へ。流出願火の回収を最優先とする』

 

 署名、オルセウス・ヴァン。

 

 時刻は、姉ちゃんが東弁を開いた九分後。灰雨が最大になる十一分前だ。

 

 命令原本がある。

 

 ガランの記憶だけではない。

 

 紙の端へ、制御技師たちの反対署名も残っていた。危険を伝えた者がいて、それでも実行された。

 

「これで、姉ちゃんは無実になりますか」

 ノエが修道士へ聞く。

 

「なりません」

 俺が先に答えた。

「姉ちゃんが東弁を開けた事実は消えない。でも、全部を姉ちゃん一人へ背負わせた記録は変えられる」

 

 四百十二人へ返すべき責任者の名が増えた。

 

 嬉しいと思った自分が嫌だった。姉ちゃんの分が軽くなったように感じたから。

 

 責任は荷物ではない。誰かへ移せば減るものでもない。姉ちゃんもオルセウスも、ガランも、したことの分をそれぞれ持つ。

 

 二つ目の文書は、白い革表紙だった。

 

『次期暁炉制御核・ノエ計画』

 

 ノエの指が震える。

 

 基礎肉体情報、養王女ノエリア・ヴァン。実父、オルセウス。王家保管の治療用血肉から再構成。

 

 人格安定材、身元抹消済み願火千二十七名。

 

 設計寿命、十二年。

 

 現行核リナ・リュゼの代替として接続後、現行核は処分。

 

「処分」

 俺の口から、乾いた音が出た。

 

 姉ちゃんを解放する計画ではない。使えなくなった薪を捨てるだけだ。

 

 さらに付記がある。

 

『リナ・リュゼ死亡時に共鳴維持が困難となる場合、血縁者カイ・リュゼを補助核として回収すること』

 

 俺が第二の核と呼ばれた理由だ。

 

「最初から、俺も燃やす予定だったのか」

「あなたの生存確認後に追記されています」

 修道士が日付を指す。

「八年前、リナが核へ接続された三日後です」

 

 姉ちゃんは今も生きている。

 

 生きているから、俺を共鳴させる価値がある。

 

 証明は見つかった。喜びより吐き気がした。

 

 石箱の底には、第五の鐘がある。許しの鐘。鐘面には二人分の手形と文が刻まれていた。

 

『許す者は、罪を消さない。許されぬ者は、赦しを要求しない。したことを名乗り、その後の関係を双方が選ぶ時、鐘は鳴る』

 

「ガランを許せという意味か」

 ティルが聞く。

「違う」

 俺は鐘の文字を読む。

「許さない選択も残ってる」

 

 今は鳴らない。俺はガランの証言を聞いたが、その後の関係をまだ決めていない。ティルにも、誰かへ責任を話しきっていない顔がある。

 

 文書をまとめ、砂院の宿坊で夜を明かすことになった。

 

 真夜中、傷の痛みで目を覚ました。隣の寝台にティルがいない。

 

 廊下へ出ると、記録を遠方へ送る声砂盤の部屋から光が漏れていた。

 

 ティルが誰かと話している。

 

『ユアン・レクの記憶を完全返却できる』

 

 砂の向こうから、男の声がした。

『白い器の現在地を伝えろ。約束どおり、兄を元へ戻す』

 

 俺は戸へ手をかけた。

 

 中でティルが息を吸う。

 

「場所は――」

 

 床板が鳴った。

 

 ティルが振り返り、声砂盤の火を消す。

「カイ」

「誰と話してた」

「水都。兄貴に手紙を送ってた」

 

 嘘だ。

 

 顔を見れば分かる。

 

 それでもティルは、俺の目を見て同じ言葉を繰り返した。

「兄貴だよ」

 

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