灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない   作:灰を拾う旅人

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裏切りの値段

「兄貴と話してた」

 

 ティルは同じ嘘を繰り返した。

 

「声砂盤の向こうにいたのは男だ。ユアンの記憶を完全返却すると言った」

「治療師だよ」

「白い器の場所を聞く治療師がいるか」

 

 ティルの目が逃げ道を探す。窓、廊下、俺の脇腹。傷が開いていて、走っても追えないと考えたのだろう。

 

「どこまで話した」

「何も」

「嘘だ」

「場所を言う前に、お前が来た!」

 

 今の声だけは本当だった。

 

 俺は少し安心した。まだ裏切られていない。未遂なら、怒って終われる。

 

 そう思いたかった。

 

「相手は葬務院か」

「知らねえ。水都で声砂札を渡された。兄貴を元へ戻したいなら連絡しろって」

「どうして捨てなかった」

「戻せるかもしれないからだよ!」

 

「ユアンは、戻さないと選んだ」

「あれは記憶がない兄貴の選択だ! 本当の兄貴なら、俺を忘れたままでいいなんて言わない!」

 

 水都で、本人の選択を受け止めたと思っていた。

 

 違った。ティルは待っていただけだ。ユアンが自分の望む兄へ戻る方法を。

 

「本当の兄貴って何だ」

「俺を知ってる兄貴だ!」

「今のユアンは偽物か」

「そうじゃない!」

「同じだろ!」

 

 声が宿坊へ響いた。

 

 ノエとガランが廊下へ出てくる。ティルは一度ノエを見て、唇を噛んだ。

 

「相手へ何を渡した」

 ガランが聞く。

「何も渡してねえ」

「声砂札を出せ」

 

 ティルは動かない。

 

 ガランが近づくと、背を壁へつけた。

「嫌だ」

「選べ。自分で出すか、俺が捜すか」

「灰衣みたいなことすんなよ」

「灰衣だ。元でも、やったことは消えない」

 

 黒い手甲は使わず、右手だけを差し出す。

 

 ティルは胸元から白い砂札を出した。中央に葬務院の七星印。端の一角が黒く燃えている。

 

 ガランの顔が変わる。

「一度送信している」

 

 未遂ではなかった。

 

「何を送った」

 俺の声が、自分でも分からないくらい低くなる。

「第四の鐘を鳴らしたってだけだ」

「それで今いる場所は分かる。次は砂院だと院の記録にある」

 

 ティルは知らなかった顔をした。

 

「位置は言ってない」

「道を教えなくても、行き先を売った」

「兄貴を助けたかった!」

 

「ノエを売ってか」

 

 ティルが黙る。

 

 ノエは怒鳴らず、白い砂札を見ていた。

「私が暁炉へ接続されると知っていますか」

「でも、王子は十二年って言った。すぐ死ぬわけじゃない」

「十二年なら、売っていいのですか」

 

 ティルの顔から血の気が引いた。

 

 俺が樹都で考えたことと同じだ。今すぐ死なないなら。十二年なら。その間に別の方法を探せるかもしれない。

 

 人を売る時は、希望をつけると安くなる。

 

「出ていけ」

 俺は言った。

「カイ」

「今すぐ、俺たちから離れろ」

「待ってくれ。場所が分かったなら逃げればいい。俺も――」

「お前を連れて逃げると思うか!」

 

 脇腹の傷が痛む。怒りで息が浅くなる。

 

「兄貴へ会うために俺たちを使った。嘘をついた。ノエが何年燃えるか値段をつけた。お前が一番嫌ってた商会と同じだ!」

 

 ティルの目に涙が溜まる。

「分かってる」

「分かってたら、しない!」

 

 言い切った瞬間、自分へも刺さった。

 

 分かっていて、することはある。姉ちゃんも、ガランも、俺もしてきた。

 

 それでも今は、ティルの事情まで考えたくなかった。

 

「消えろ」

 

 ティルは誰も見ず、宿坊を走り出た。

 

 ノエが追おうとする。

「行くな」

「砂漠の夜は冷えます」

「あいつは知ってる」

「知っていても、死ぬことはあります」

「知るか!」

 

 ノエが俺を見る。怒鳴り返さない。その沈黙が痛い。

 

「なぜ、ティルを心配できる」

「心配することと、したことを許すことは別です」

「俺は無理だ」

「今すぐ許す必要はありません」

 

 分かっている。第五の鐘にもそう刻まれていた。

 

 でも、頭の正しい場所に言葉を置いても、胸の火は消えない。

 

 ガランが砂院の修道士へ警戒を伝えた。原本とノエ計画を別々の石室へ移し、入口を封鎖する。夜明け前に俺たちも出発することになった。

 

 間に合わなかった。

 

 鐘楼が白く燃えた。

 

 地上の砂を突き破り、灰衣の部隊が降ってくる。白灰班。村でマウラを射た者たちと同じ、紋を削った外套だ。

 

 修道士が入口の鐘を鳴らす。ガランが剣を抜いた。

「ノエを地下へ!」

 

 俺は彼女の手を引き、記録棚の間を走る。脇腹が裂け、包帯へ血が広がった。

 

「カイ、手を離してください。あなたが遅くなります」

「置いていくわけないだろ」

「一人にしないで、とは言っていません」

「今、言葉の細かいところを話すな!」

 

 行き止まりに第五の鐘がある。奥の石扉を鐘舌で開け、ノエを入れる。

 

 白い針が壁を貫いた。

 

 ノエの腕輪へ刺さる。

 

 彼女が声を失い、床へ倒れた。針から細い鎖が伸び、千人分の願火を一本ずつ分ける。ノエの体を支えていた声が引きはがされ、白い火の列になる。

 

「ノエ!」

 

 鎖をつかむ。手の皮が焼ける。

 

 白灰班の男たちが石室へ入った。顔は灰面で隠している。

「第二核も確保しろ。抵抗時は四肢を切断してよい」

 

 ハドの槍で一人を払う。脇腹に力が入らず、穂先が浅い。二人目の剣が肩をかすめる。

 

 ガランが追いつき、黒い手甲で白い針を折った。折れた肋骨を狙われ、膝をつく。

 

 ノエを抱き起こす。

「自分の名前を言え」

「ノ……エ」

「好きな色は」

「みどり」

「明日したいことは」

 

 答えがない。

 

 白い鎖が願火を奪い、ノエの体が冷たくなる。

 

 灰面の隊長が俺の背へ剣を振り下ろした。

 

 横から、小さな体がぶつかる。

 

 ティルだ。

 

 剣が腕を裂き、血が飛ぶ。

「何しに戻った!」

「あいつら、兄貴を治す気なんかなかった! 最初から俺も消すつもりで――」

「当たり前だろ!」

 

 ティルは片腕を押さえ、ノエの鎖へ飛びついた。鍵を開けようと細い針金を入れる。

 

 灰面の男が背後から短剣を構えた。

 

 ノエが動く。

 

 冷えた体でティルを押し倒し、短剣を自分の肩に受けた。

 

「どうして!」

 俺とティルの声が重なる。

 

「死ぬことと、責任を取ることは、違います」

 

 ノエは血を流しながら、ティルをかばっていた。

 

 その意味が分からない。

 

 こいつはノエを売った。俺たちへ嘘をついた。ノエ自身が十二年燃やされる取引をした。なぜ体を盾にできる。

 

「許すのか」

「許すかは、まだ決めていません」

 

 ノエの腕輪が白く光る。第五の鐘も震えたが、鳴らない。

 

 灰面の隊長が新しい拘束針を打った。

 

 今度はノエの胸へ刺さる。

 

 千の声が完全に分かれ、俺たちを吹き飛ばした。石室の壁へ背を打ち、息が止まる。

 

 起き上がった時、ノエは白灰班に抱えられていた。

 

「ノエ!」

 

 手を伸ばす。届かない。

 

 彼女の指から、緑の糸巻きが落ちた。糸は床を転がり、白灰班の外套へ端が引っかかる。

 

 ノエはそれを見た。

 

 偶然ではない。

 

「追うぞ!」

 

 ガランと地下道を走る。ティルも来ようとした。

 

「来るな!」

「でも、俺が道を――」

「二度と俺たちの前に出るな!」

 

 ティルの足が止まる。

 

 緑の糸をたどり、砂院の裏口へ出た。糸は砂の上を南へ伸びている。

 

 遠くで炉脈列車の汽笛が鳴った。

 

 王都へ願火を運ぶため、砂漠を横断する白い鉄道。白灰班の装甲車両が、ちょうど砂院駅を離れるところだった。

 

 俺は走った。

 

 肺が悲鳴を上げる。脇腹から血が落ちる。ガランも肋骨を押さえ、速度が出ない。

 

 列車の最後尾へ緑の糸が吸い込まれている。

 

「ノエ!」

 

 窓の向こうで、白い髪が見えた。

 

 手を伸ばす。

 

 線路と俺の間が離れていく。

 

 炉脈列車は速度を上げ、王都の方角へ消えた。

 

 手元には、途中で切れた緑の糸だけが残った。

 

 砂院へ戻ると、修道士が第五の鐘を調べていた。

「なぜ鳴らなかった」

 俺が聞く。

「ノエはティルを許したわけではありません。死んで逃げることを許さなかっただけです」

 

「じゃあ、何が足りない」

「罪を犯した者が、許しを買うためではなく、結果を引き受けること。裏切られた者が、その後も関係を持つか自分で選ぶこと」

 

 ティルは入口にいなかった。

 

 逃げたのか、俺の言葉どおり消えたのか。

 

 どちらでもよかった。

 

 今の俺には、ノエを迎えに行くことしか残っていない。

 

 

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