灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない 作:灰を拾う旅人
王都の墓地へ、列車で入ることになるとは思わなかった。
五つの鐘が開いた保守線は、白炉ができる前の葬送路だった。線路は王都外壁の下をくぐり、何百年も使われていない地下墓所で終わる。
止まった車両から降りると、棺を置く石台が並んでいた。
「ここから先は歩きか」
ティルが暗闇をのぞく。
「文句があるなら砂院へ戻れ」
「許されてないのは分かってる。でも、何を言ってもそれで返すのやめろよ」
「じゃあ何を言ってもいいと思うな」
前より遠い距離で話している。
近づけるかは分からない。俺が決めるだけでも、ティルが働いた分だけ縮まるものでもない。それでも、同じ道を歩くとは決めた。
ガランが地下墓所の地図を確認する。折れた肋骨はまだ治っていない。俺の脇腹も縫い糸が残り、左手は触れられても布一枚隔てたように鈍い。
「地上に出れば、全員手配済みだ」
「変装は」
「ある」
ガランが袋から出したのは、白い葬列用の頭巾だった。
「死体のふりじゃないだろうな」
「それが最も確実だ」
「生きたまま棺はもうやった」
ティルが言う。
「俺はやってない」
「樹都の盗人は、だいたい一度はやる」
「何の自慢だ」
結局、三人とも弔い師と遺族の格好になった。ハドの槍、第五の鐘、命令原本は、古い棺へ納める。ガランが死人役だ。
「一番顔が怖いからな」
「ティル。最初にお前を置いていく」
「俺より根に持ってるじゃねえか」
地下墓所の出口を開けると、夕暮れの王都が見えた。
明るすぎた。
中央の暁炉から、白い光の柱が空へ伸びている。大通りには昼のような街灯。王宮の七つの塔は金色に縁取られ、噴水まで願火で光っていた。
その足元の貧民区は暗い。
家々の炉は消え、住民が列を作っている。役人へ灰札と小瓶を渡し、代わりに黒い配給札を受け取っていた。
「何の列だ」
「灰税だ」
棺の中からガランが答える。
「喋るな、死人」
「家族が死ねば、最後の願火を暁炉へ納める。生者だけの家は、記憶片か労役で払う」
列の女が、小さな願火瓶を胸へ抱いている。
「これは夫が娘へ残したものです。せめて冬が終わるまで家に」
「規則です。願火は公共財。納付しなければ配給を止めます」
役人が瓶を奪う。少女が泣き、母親の服へしがみついた。
王都の中心が明るいほど、外側の家から死者が消える。
「助けるな」
ガランが棺の中で言う。
「分かってる」
「顔が分かっていない」
「死人に顔を読まれたくない」
今ここで役人を殴れば、原本を王宮へ運ぶ前に捕まる。ノエへも姉ちゃんへも届かない。
女の夫の名前を、聞こえない声で繰り返した。
灰札にはロアン・ミテとあった。
忘れない。
大通りへ入ると、中央広場に巨大な銅像が立っていた。
赤い外套を裂き、暁炉へ刃を向ける女。足元には倒れた市民。台座には『灰の女リナ・リュゼ――四百十二の命を奪い、王国を滅ぼそうとした反逆者』と刻まれている。
通りすがりの男が銅像へ唾を吐いた。
「炉が弱ってるのも灰の女の呪いだ」
子供たちが石を投げる。銅の頬には何度も磨かれた跡があり、顔だけ新しい。
姉ちゃんの像だ。
文字を読めば分かる。
なのに顔が分からない。
目も鼻も口も見える。銅像として形はある。それが記憶の姉ちゃんと似ているか、まったく判断できない。
顔のない像が立っている。
「止まるな」
棺のガランが言う。
足が動かない。
俺は何を助けに来た。
顔も、声も、笑いも、手の温度も分からない。王都のどこかですれ違っても、姉ちゃんだと気づけない。
八年守った顔を燃やした時、姉ちゃんへの愛まで一緒に消えたのではないか。
「カイ」
ティルが小声で呼ぶ。
「行くぞ」
俺は像へ背を向けた。
ノエなら、何を選んだか聞けと言う。
銅像は選ばない。ただ、他人が作った悪女の形で立っている。あれから姉ちゃんを知ることはできない。
そう考えても、胸の空白は埋まらなかった。
*
セインとの合流場所は、王宮西の共同火葬場だった。
ところが門は閉まり、十数人の遺族が棺と一緒に外へ座っていた。
「本日の個別火葬は終了しました」
門番が紙を読む。
「暁炉緊急令により、遺体および願火は中央炉へ一括納入してください」
「父は暁炉へ入りたくないと言ってた!」
「死者の希望より公共の安全が優先されます」
また同じ言葉だ。
遺族の一人、背の曲がった老婆が俺の頭巾を見た。
「弔い師さん。個別に送れないかい」
ガランの棺を置く。
「俺たちは急いでて」
言いながら、老婆の足元の棺を見る。中から弱い声がする。
『店の窯を、娘へ』
パン屋だったらしい。
焦げたパンを選ぶノエの顔が浮かぶ。
今、彼女は炉へ運ばれている。ここで一人を弔っている間に、接続が進むかもしれない。
俺一人で全部は救えない。
樹都で覚えた。
だから、目の前を見捨てていいのか。
「名前は」
「ザック・ユラ。うちの亭主だよ」
老婆の後ろには、弔いを待つ家族が十組以上いる。
「俺は一人しかできません」
声を上げる。
「ザックさんを送る手順を見せる。火を扱える人、灰札を書ける人は覚えて、次の家族を手伝ってください」
遺族たちが顔を見合わせる。
門番が止めた。
「無許可の願火処理は灰税法違反だ」
「弔いは処理じゃない」
頭巾を外す。手配書の顔を見られるが、もう隠れていられない。
「俺は墓守です。死者の名前と、本人が残した願いを聞いて、遺族と送る」
「反逆者カイ・リュゼ!」
門番が笛を吹く。ティルが飛びつき、笛を奪った。
「これは盗みじゃない! 後で返す!」
「借りる許可を取ってないなら盗みだ!」
「今そこかよ!」
ガランが棺から起き上がった。門番が悲鳴を上げる。
「死体が!」
「静かにしろ。俺は元灰衣審問官ガラン・ヴォルク。暁炉の違法過負荷命令原本を持っている」
遺族たちの空気が変わる。
「その文書を王宮監督官へ届けるまで、証人としてカイを守る。妨害するなら氏名と命令者を記録する」
門番は腰の剣へ手を置き、ためらった。灰衣の名前はまだ効くらしい。
俺は火葬場の裏にある古い焼き窯へザックの棺を運んだ。
薪を組み、空気の通り道を作る。灰灯から本人の願火を出す。
「ザック・ユラ。窯を娘へ残したい。ほかに伝えたいことは」
『火から下ろすのを、いつも五つ数えるのが遅い』
「奥さんのパンが焦げるのは、火から下ろすのが遅いからだそうです」
老婆が泣きながら笑った。
「自分は黒焦げにするくせに」
「ノエと話が合いそうだ」
ティルが言う。
俺も笑った。こんな時に笑った自分を責める声は、前より小さい。
送火を始める。妻が名を呼び、娘が窯を受け継ぐと答えた。白い火が上がる。
「次は誰ですか」
手を挙げた若い男へ、薪の組み方を教える。灰札を書ける女には名前を記録してもらう。遺族同士が手伝い始めた。
一つの窯から、二つ、三つと火が増える。
知らせを聞いた貧民区の人々が、納税前の願火を持って集まってきた。
「俺たちを連れていけ」
ザックの老婆が門番へ言う。
「全員、灰税法違反だろ。牢へ入れるなら、死者の名前を聞いてからにしな」
門番は動けなかった。
俺は次の灰札を書く。左手では紙を押さえた感覚が薄く、何度もずれる。娘が端を支えてくれた。
「その持ち方、リナと同じだね」
老婆が突然言った。
「姉ちゃんを知ってるんですか」
「旅の弔い師だった頃、うちの窯を借りた。灰札を火へ向けて少し傾けるんだ。煙で文字が隠れないように」
自分の手を見る。
顔は思い出せない。声も温度もない。
でも、灰札を傾ける癖は残っている。火の通し方。墓を掘る深さ。死者へ最初に名前を聞くこと。
姉ちゃんが俺へ渡したものは、頭の中の絵だけではない。
「リナは、どんな顔でしたか」
聞いてしまう。
「あんたが失敗した時にする顔と似てたよ」
「どんな顔です」
「次はどう直すか、もう考えてる顔だ」
目や鼻の答えではなかった。
それでよかった。
夜になる頃には、共同火葬場の外に何百人も集まっていた。死者の名を呼び、自分たちで送り、灰税の徴収理由を説明しろと声を上げる。
王都の中心だけを照らしていた白い光の下で、名のある小さな火が広がった。
火葬場の古い焼き窯が動き、地下への階段が現れる。
セインの内通路だ。
「行ってきな」
ザックの老婆が俺の背を押した。
「ここは私らで続ける。教えたんだろ」
弔いを渡す。
俺たちは原本の棺を抱え、地下へ下りた。
王宮の下へ続く道には、青い王家灯が一つだけある。その前でセインが待っていた。
白い軍装ではなく、煤だらけの作業服。眠っていない顔だ。
「遅かったな」
「葬式をしてた」
「急いでいる時ほど、君は葬式を増やす」
「必要だった」
セインは棺の文書を確認する。過負荷命令の署名を見ても、驚かなかった。
「これで大葬卿を止められるか」
「法では止められる。炉は止まらない」
「ノエは」
聞くのが怖い。
「二時間前、暁炉へ接続された。彼女が抵抗せず流れを調整しているため、リナはまだ処分されていない」
間に合っている。
まだ。
「猶予は」
「三日」
セインが王都の地下地図を広げる。
「国を三日で殺さず、二人を炉から外す方法を決める」