灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない 作:灰を拾う旅人
「俺が死んだって、どういうことだ」
記録院を出る前に、セインへ死亡記録を突きつけた。
王子は赤い追記を読み、目を閉じた。
「詳しい記録は暁炉の中にある」
「知ってたのか」
「君がリナの血縁というだけでは説明できない共鳴を持つことは知っていた。死亡までは知らない」
「都合が悪いと、何でも炉の中だな」
「だから入る」
セインは王宮地下の鍵を出した。
「六鐘がそろい、暁炉の外郭封印が開いた。リナの意識へ接触できるのは、今夜だけだ」
「一緒に来るのか」
「入口まで。中へ入れば、私は王家の血に反応して炉へ排除される」
ノエリア王女の義兄だからだ。暁炉は今も、死んだ少女の体を王家の所有物として見ている。
「ノエには会える?」
「接続層が違う。君がリナへ入り、私たちが外からノエの拘束を緩める」
「俺が戻らなかったら」
「三日後の切替は続ける」
迷わず答えた。
それでいい。俺一人が戻らなくても、国を止めない計画にした。
よくない。戻るつもりだ。
「必ず戻る」
「そうしてくれ。君を含めた死亡者一覧を二度作るのは手間だ」
「心配の言い方、もう少しないのか」
「ガランにも同じことを言われた」
あいつと意見が合うと腹が立つ。
*
暁炉は、王都の地下にある白い太陽だった。
近づくほど熱いはずなのに、空気は冷える。熱も音も願火へ変え、結界へ送っているからだ。
外郭には六つの輪がある。灰灯を当てると、青い線が一つずつ重なった。
故郷を一人で背負わない。
名を勝手に奪わない。
返すことも手放すことも本人が選ぶ。
恐怖を消さずに名乗る。
許しと責任を分ける。
誰が何をしたか記録する。
六つ目の輪が開く。
入口でガランが待っていた。肋骨を押さえながら、過負荷命令原本を俺へ渡す。
「必要なら見せろ」
「姉ちゃんは、あんたに会いたいと思うか」
「思わないだろう」
「決めるな」
ガランは少し黙った。
「戻ったら、本人に聞く」
「そうしろ」
ティルは白灰班から盗んだ鍵を磨いている。役に立つことを探し続け、止まると裏切りへ戻るみたいだ。
「ノエに、俺も来たって伝えてくれ」
「自分で言え」
「まだ許されてないから」
「許されてなくても、言う権利まで消えない。返事を選ぶのはノエだ」
ティルはうなずいた。
俺は一人で外郭を越えた。
白い光の中には、道がなかった。灰灯を前へ出すと、六本の青い糸が足場になる。
周りを流れるのは、名を戻された願火だ。
ザック・ユラ。ハド・メイル。エナ・フォル。知らない何百万人の名。第六鐘で記録へつながった火が、初めて自分の名を口にしている。
その中心に、二つの人影があった。
一人はノエ。白い鎖へつながれ、緑の上着を着ている。目を閉じ、自分の願火で流れを調整していた。
声をかける。届かない。別の層だ。
もう一人は、赤い外套の女だった。
姉ちゃんだ。
分かる。
暁炉へ両腕をつながれ、白い髪が混じり、八年前より痩せている。二十八歳になった姉ちゃん。
顔は見える。
見えるのに分からない。
目も鼻も口もある。一つずつ形を説明できる。それが俺の記憶にいた姉ちゃんと同じか、判断する場所だけが頭から抜け落ちている。
女が目を開いた。
「遅かったね、カイ」
声が聞こえる。
知らない女の声だ。
姉ちゃんの声を失った俺には、本人が話しても姉ちゃんだと分からない。
「名前を、聞いていいですか」
最初にそれしか言えなかった。
女は驚き、それから笑ったらしい。片目が少し細くなった。
「リナ・リュゼ。旅の弔い師。エンデ村の生まれ。弟が一人」
名前を聞く。
墓守として、いつも最初にすることだ。
「俺はカイ・リュゼです」
「大きくなった」
「八年経ったから」
「そっか。八年か」
姉ちゃんは知っていたはずだ。炉の中で時間を数えてきた。それでも、俺の姿を見て初めて八年を感じたのだと思う。
「会いたかった」
胸に溜めた言葉が出る。
「ずっと、会いたかった。生きてるって聞いて、ここまで来た」
「うん」
「でも、顔が分からない。声も分からない。笑い声も、手の温度も、姉ちゃんと花冠を作った時の手触りもない」
話すほど、自分が空っぽになる。
「ごめん」
姉ちゃんが言った。
「謝るな!」
大声が白い炉へ響いた。
「あんたを助けるために俺が選んだ! 謝られるために失ったんじゃない!」
「うん。じゃあ、ありがとう」
「それも今は聞きたくない!」
「難しい弟になったね」
少し笑ってしまった。
笑い声が分からない。だから今の声が昔と同じか確かめようがない。
「本当に姉ちゃんか」
「疑ってる?」
「疑いたくない。でも、俺の頭の姉ちゃんは何でも一人で決める格好いい馬鹿だった。あんたがその人か、俺の都合で決めたくない」
「なら、聞いて」
姉ちゃんは腕の鎖を鳴らした。
「私は東安全弁を開けた。灰雨が起きる危険を知っていた。避難させれば被害を抑えられると思った。院が反対放送をすることも、住民が私を信じないことも計算へ入れきれなかった」
エーダの記憶と重なる。
「西弁を開ける前にガランへ捕まった。オルセウスは願火の備蓄を守るため過負荷を命じた。私は接続台へ乗せられ、炉を止める代わりに支える側へされた」
「姉ちゃんが悪いのか、オルセウスが悪いのか」
「どっちも」
迷わない。
「私が東弁を開けなければ、あの朝の四百十二人は死ななかった。オルセウスが過負荷を命じなければ、もっと多くが逃げられた。ガランが命令を拒めば、西弁を開けられた。院が避難を止めなければ。住民が私を信じれば。私がもっと早く仲間を集めれば」
責任者の名が増える。
「誰か一人へ全部乗せたら、ほかの人がしたことを見なくて済む。だから私一人の無実を作らないで」
「無実にしたかった」
「うん」
「姉ちゃんは悪くないって言えたら、八年待った俺も正しかったことになる」
「待ってくれて、嬉しい。でも、正しくなくても待ってよかったんじゃない?」
胸の奥が痛む。
姉ちゃんが善人だから愛したのではない。好きだった人が、危険なことを選び、失敗し、誰かを死なせた。それで俺の八年が嘘になるわけではない。
「サラ・ハイルに会った」
「サラ」
「夫と父と妹と、腹の子を亡くした。姉ちゃんを許さないって」
姉ちゃんは目を閉じた。
「そう」
「でも、逃げずに戻ってこいって伝えろと言われた」
「戻れないな」
静かな答えだった。
「戻す。三日後に炉を止める。セインと国中の弔いをつなげる」
「カイ。私の体は、もう八年ここで願火と混ざってる」
「ノエは?」
「あの子はまだ戻れる。自分の願火がある。私は、外へ出れば何百万の死者を一緒に引きずる」
「分ければいい。名前を戻して、一人ずつ外せば」
「八年かかる」
「待つ!」
「私が待ちたくない」
言葉が止まる。
「それも、姉ちゃんが一人で決めるのか」
「私の命だから」
「俺は、助けに来た!」
「だから聞いてる。私がどう助かりたいか」
ノエと同じだ。
守ると言って、本人の選択を聞かない。
「死にたいのか」
「死にたいんじゃない。もう炉として生きたくない」
姉ちゃんは鎖の先を見る。何百万もの願火が、体を通って燃えている。
「外で一日でも歩けるなら歩きたかった。村へ帰って、マウラに怒られて、カイの墓の掘り方へ文句をつけたかった」
「マウラは死んだ」
言わなければならない。
「俺たちを逃がすために。ノエをかばって、白灰班に射られた」
姉ちゃんの顔がゆがむ。
「エイルも死んだ。俺が弔った。ミレも、記憶庫で俺たちを助けて死んだ」
一つずつ伝える。
姉ちゃんは泣いた。
顔が分からなくても、泣いていることは分かる。
「私だけ、残ったんだね」
「残された」
「うん。だから、今度は自分で終わりを選びたい」
姉ちゃんは俺を見る。
「カイ。三日後、七つ目の鐘を鳴らして、私を送って」
「嫌だ」
「今すぐ答えなくていい」
「三日しかない!」
「時間がないからって、一人で決めないんでしょ」
自分の言葉が返ってくる。
「私の選択を聞いた。次は、カイが選んで。手伝わないと決めても、それを責めない」
姉ちゃんを送れば、二度と会えない。
顔も声もない俺には、今が最初で最後の再会になる。
「俺が一度死んだって記録があった」
逃げるように話を変えた。
姉ちゃんの表情が固まる。
「見つけたんだ」
「本当なのか」
「灰雨の日、エンデ村にも炉の逆流が届いた。カイは共同墓地で願火を守ろうとして、灰を吸った。心臓が止まった」
覚えていない。
八年前の記憶は、姉ちゃんが帰らない夜から始まっている。その前が不自然に白い。
「炉へつながれた時、血縁の願火が消えるのを感じた。カイだと分かった」
「俺へ、何をした」
「私の願火を分けた」
「誰か一人を核にするなって書いたのに」
「弟一人を特別扱いした」
姉ちゃんは苦く笑う。
「正しいことを言いながら、私はカイを選んだ。ほかにも死にかけた子がいたかもしれない。でも、全部へ届く力はなくて、弟へ送った」
俺の胸にある熱。
灯継ぎができる理由。暁炉と共鳴し、死者の技能を自分で燃やせる理由。姉ちゃんの願火が、俺の止まった心臓へ火をつけた。
「だから俺は第二の核なのか」
「そう。私の火を持ってるから、代わりに接続できる」
「俺が核になれば、姉ちゃんを外せる」
「そのために話したんじゃない!」
姉ちゃんが初めて怒鳴った。
声は知らない。それでも怒っている。
「私が一人でカイを選んだせいで、次はカイが一人で死ぬの? そんな続きを作るために戻したんじゃない!」
「じゃあ、何のためだ!」
「生きて、次を選ぶため!」
白い炉が震える。
ノエが別の層で目を開いた。
『カイ』
今度は声が届く。
ノエの声だ。分かる。
『話は、終わりましたか』
「終わってない」
姉ちゃんと喧嘩したい。八年分、話したい。どうでもいいことも聞きたい。
「俺が初めて弔ったのは、何だった」
姉ちゃんが驚く。
「村長の鶏」
「人じゃなかった?」
「卵を産まなくなって絞められた鶏を、カイが勝手に庭へ埋めた。村長には盗まれたと思われて、私が一緒に謝った」
記憶がある。
顔も声もない姉ちゃんが、俺の隣で鶏の墓を掘っている。穴が浅いと直され、俺は怒って匙を投げた。
「その時、俺は何て言った」
「『死んだ後まで狐に食われるのはかわいそうだ』」
同じ言葉が、俺の中に残っていた。
この人は姉ちゃんだ。
顔が一致したからではない。俺の知らない八年と、俺が覚えている話を持ち、自分の失敗を自分の言葉で話した人だから。
「三日後、また来る」
送るとは、まだ言えなかった。
「待ってる」
姉ちゃんが手を伸ばす。俺も右手を出す。
光の壁を挟み、触れない。
温度は分からない。
それでも、二人とも手を伸ばしたことは残る。
突然、暁炉の鎖が赤くなった。
外郭からオルセウスの声が響く。
『再会は終わりだ』
ノエの白い鎖が深く沈む。
『名を戻したため、炉の効率は三割低下した。ならば器を完全接続し、出力を補う』
「やめろ!」
ノエの緑の火が、白い炉へ引き裂かれる。
姉ちゃんが俺を青い道へ突き飛ばした。
「戻って、カイ!」
六本の糸が閉じる。
最後に見えたのは、顔の分からない姉ちゃんと、ノエが同じ鎖へつながれる姿だった。
暁炉が強制起動した。