灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない 作:灰を拾う旅人
暁炉から吐き出された俺を、ガランが受け止めた。
二人で床を転がる。折れた肋骨へ俺の肘が入り、ガランが声も出さずに顔をしかめた。
「悪い」
「戻ったならいい」
「よくない。オルセウスがノエを完全接続した」
立ち上がろうとして、左手が床から滑る。感覚が薄く、体を支えられない。ティルが右腕を引いた。
暁炉の白い光が赤へ変わる。
炉の中で、何百万もの名が叫んだ。
名を戻したせいで願火の効率が落ちた。オルセウスはそう言った。人を一人として燃やすと、番号だけの火より扱いにくい。それぞれ帰りたい場所があり、残した願いがあり、同じ方向へ流れないからだ。
だから正しい。
扱いにくくていい。
そう思った直後、暁炉の外郭が割れた。
白い火が王都地下へ噴き出す。第六鐘で名へ結ばれた糸が、強制出力で何本も切れた。
『名前を返して』
『帰りたい』
『誰か、私が誰か教えて』
切れた願火が黒い灰へ変わり、天井を抜けて地上へ昇る。
「虚獣化が始まった」
セインが制御盤を見る。
「王都全域へ名のない願火があふれる。現出まで十五分」
「炉を止めろ!」
「今止めれば、あふれた願火を押し戻す結界も消える!」
また二つに一つだ。
ノエを燃やして炉を続けるか、止めて王都を虚獣へ渡すか。
白い通路の向こうから、男が歩いてくる。
オルセウス・ヴァン。
白髪を短く切り、黒い葬務衣をまとっている。五十六歳には見えないほど背筋が伸び、片手に暁炉の主鍵を持っていた。
初めて会ったのに、声は何度も聞いた。姉ちゃんを核にし、ノエを作り、俺を補助核に記録した男。
ガランが剣を抜く。
「大葬卿オルセウス。過負荷運転および記録改竄の容疑で拘束する」
「誰の権限だ、元審問官」
「俺の証言と原本を受理した王宮法廷の権限だ」
セインが七星印を掲げる。
「主鍵を渡してください」
「殿下。あなたは三日後の理想のため、今夜の王都を捨てるのですか」
オルセウスは怒鳴らない。
ノエを作ったことも、姉ちゃんを燃やしたことも、正しい仕事だと信じている声だ。
「捨てない。そのために名を戻し、地方炉を移行させている」
「結果をご覧ください」
天井の水晶へ地上が映る。
白い街灯から黒い灰が噴き出していた。市民が逃げ、共同火葬場の小さな火を守っている。中央広場のリナ像が虚獣に飲まれる。
「名は願火を不安定にする。愛する者の元へ戻ろうとし、全体の流れを拒む。個人の選択へ任せれば、強く愛された死者だけが残り、名を呼ぶ者のいない死者は消える」
オルセウスが主鍵を回す。
「だから、すべてから名を剥いだ。王女も貧民も、妻も見知らぬ者も、同じ熱量として国を守る。これ以上公平な弔いがありますか」
「あんたは娘の名を残した」
俺は言う。
オルセウスの目が、ほんの少し動く。
「ノエリア。娘の名を器へつけた。肉体も保存した。誰も特別扱いしないと言いながら、自分だけ娘を戻した!」
「娘ではない」
「なら、どうしてノエなんだ」
ノエ計画には、名前をつける必要がない。器一号で十分だった。
「俺も、姉ちゃんを特別扱いした。姉ちゃんも俺を選んで生き返らせた。みんな、誰かを特別にする。なかったことにして公平なふりをするから、名前のないところへ押しつけるんだ」
「特別を認めれば、選ばれなかった者が死ぬ」
「だから記録する。家族がいない人の名は隣の人が聞く。覚えられない数は、みんなで分ける。一人の愛で国を支えるんじゃない!」
「現に足りていない」
オルセウスの言葉で、暁炉が強く脈打つ。
足りない。
六つの地域で鐘を鳴らしても、王国全部には届かない。呼ばれる名より、切れる名のほうが多い。
「だから器が要る。リナ一人で八年。ノエ一人で十二年。その間に次の器を作る。個人の善意より確実だ」
一人で国を支える。
俺ならできる。
姉ちゃんの願火を持ち、六つの鐘をつなぎ、第二の核として記録されている。ノエより暁炉との共鳴が強い。
俺が入れば、二人を外せる。
「俺を使え」
言葉が出た。
ガランが俺を見る。
「カイ」
「俺は第二の核だ。ノエと姉ちゃんを外して、三日だけ俺をつなげ」
「三日で済む保証はない」
セインが言う。
「済ませる。全国の移行が終われば出る」
「出られなかったら」
「俺一人で済む」
それが答えだ。
一人ならいい。
姉ちゃんを送らなくていい。ノエを燃やさなくていい。ガランもティルもセインも、国中の誰も選ばなくていい。
俺が全部払えば、きれいに終わる。
「そうだ」
オルセウスが初めて俺へ手を差し出す。
「君なら理解できる。力を持つ者が、持たない者の分を支える。それが責任だ」
暁炉の接続台が開く。
俺は一歩進んだ。
黒い手甲が右腕をつかむ。
ガランだ。握力の弱い金属の指が、震えながら外套へ食い込む。
「離せ」
「嫌だ」
「あんたに止める権利はない」
「ない。それでも止める」
「国が壊れる!」
「一人を核にするなと、リナの宣言文にあった」
「これは俺が選ぶ!」
「お前が選べば、俺たちは何も選べないのか」
ノエと同じことを言う。
「俺は八年前、命令に従いリナを接続した。今、お前が望んだと言って接続させれば、同じことをする」
「姉ちゃんは望んでなかった!」
「お前が望んでも、俺は手伝わないと選ぶ」
振りほどこうとする。黒い指が一本外れる。ガランの傷が開き、口から血が落ちた。
「放せ!」
ティルが俺の脚へしがみつく。
「俺も嫌だ!」
「お前は黙ってろ!」
「黙って売ったから、ノエが捕まった! 今度は言う。俺は、お前が燃えるのは嫌だ!」
「俺を裏切ったくせに!」
「だからだよ! 嫌われたままでも、止める!」
セインが接続台の扉へ王家鍵を差し込み、閉鎖しようとする。オルセウスの主鍵とぶつかり、白い火花が散る。
「殿下まで、一人のために王都を危険へさらすのですか」
「一人を数えない計算は、もう使わない」
「では数えろ! 地上には三十二万、王国には七百万が生きている!」
「数える。その中にカイも、ノエも、リナも入れる!」
炉の奥から、ノエの声が届く。
『カイ。私は、嫌です』
白い鎖へ引かれながら、緑の火が揺れる。
『迎えに来てと言いました。代わりに燃えてとは、言っていません』
「他に方法がない!」
『一緒に探してください』
姉ちゃんの声も聞こえる。俺には知らない女の声だ。
『カイ。私が戻した命を、私の代わりに使わないで』
「姉ちゃんは送ってくれって言っただろ!」
『私が終わりを選ぶことと、カイが身代わりになることは別!』
地上から爆発が響く。
時間がない。
また、その言葉が俺を一人へ押す。
通信塔に、サラの声が入った。
『カイ・リュゼ、聞こえるか!』
水晶へハルヴァ砦が映る。サラと兵士たちが第四鐘を囲み、恐怖を名乗りながら結界を支えている。
『私たちは、自分の砦を支える。あんた一人に家族の弔いまで持っていかせない!』
樹都の市民。水都の橋。エンデ村の人たち。各地の声が六鐘を通して入る。
『こっちの火は、こっちで守る!』
『王都だけが国じゃない!』
『一人分じゃ足りないなら、全員へ聞け!』
俺は、何をしている。
一人で足りないから、みんなで弔う仕組みを作ってきた。
最後だけ自分を燃やせば、俺を助けたい人の選択を全部消す。
苦しみを独占することは、立派な犠牲ではない。
俺だけが選ぶ形に戻すことだ。
接続台の前で膝をついた。
左手は感じない。脇腹も肺も痛い。頭の中には姉ちゃんの顔も声もない。
何も持っていない気がした。
違う。
持ちきれないほど、声がある。
「助けてくれ」
初めて、はっきり言った。
「俺一人じゃ、ノエも姉ちゃんも、王都も助けられない。みんなの火を貸してくれ」
ガランの手から力が抜ける。離したのではなく、俺が接続台へ行かないと信じた。
ティルが立つ。
「何をすればいい」
セインが炉図を見る。
「全国へ、第七鐘の問いを届ける必要がある。今の通信塔は六鐘の地域にしか届かない」
「王都の葬送塔」
ガランが言う。
「長夜以前、国中の葬鐘を同時に鳴らした塔がある」
オルセウスの顔が初めて強く動いた。
「あれは封鎖した」
「ということは、使える」
俺は立ち上がる。
オルセウスが主鍵を握る。セインの近衛兵が通路へ入り、剣を向けた。
「大葬卿。あなたを拘束します」
「私を捕らえれば、誰が炉を支える」
「あなたです」
セインは暁炉の補助輪を指した。
「主鍵を持つ者として、出力を最低限に保ってください。逃げればノエとリナだけでなく王都が死ぬ。ここで自分の制度の結果を支え、後で裁判を受ける」
オルセウスは白い炉を見る。
娘の肉体から作ったノエ。八年燃やしたリナ。名を戻され、思いどおり流れない願火。
長い沈黙の後、主鍵を補助輪へ差した。
「三時間だ。それ以上は私一人でも支えられない」
「一人ではありません」
俺は言う。
「三時間で、国中へ聞く」
王都の葬送塔は、黒い願火に覆われていた。