灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない 作:灰を拾う旅人
姉ちゃんの笑い声を忘れた翌朝、俺は墓石を盗んだ。
正確には、持ち上げて下を掘った。死者の持ち物を勝手に動かすのは墓守として最低だが、墓の主はマウラ婆の祖父である。
「じいさんは細かいことを気にしない」
「死者の同意を勝手に作るな」
「墓石を机にして昼飯を食べてた男だよ」
「最低の血筋だな」
「あたしもそう思う」
肩の傷が引きつる。ノエに巻かれた包帯は妙に整っていて、葬務院で治療手順まで入れられたらしい。ありがたいが、千人のうち誰へ礼を言えばいいか分からない。
だからノエへ言った。
「包帯、助かった」
「処置を知っていたのは私ではありません」
「巻いたのはお前だろ」
「はい」
「じゃあ半分はお前の仕事だ」
ノエは包帯の結び目を見た。そうやって、自分のしたことを一つずつ拾っているように見えた。
虚獣を退けた後、灰衣の追手は三人が死亡、一人が記憶を食われ、一人が逃げた。残る一人は村の納屋へ縛ってある。逃げた男が隊長を呼べば、次は六人では済まない。
村人はノエを追い出せとは言わなかった。カイが連れてきた災いだ、とも口にしない。ただ戸を閉める音が早く、話しかける声が短い。怒鳴られるより効く。
俺はこの村を守った。
同時に、この村へ追手と虚獣を呼び込んだ。
どちらか一つに決めれば楽だが、現実は火葬場の灰みたいに混ざっている。
「掘るぞ」
考えるのを止めるため、円匙を土へ入れた。
エイルの残した炉脈図は、共同墓地の地下へ線を伸ばしていた。終点がマウラ家の墓。婆さんへ問い詰めると、「リナに黙れと言われてた」と八年分の秘密を一息で白状した。
「姉ちゃんが?」
「あの子は、あんたを巻き込みたくなかった」
「本人がいないところで決めるのは優しさじゃない」
「今のあんたなら、そう言うだろうね。十一歳のあんたは、死体を見るたび一晩泣いてた」
「今も泣く」
「知ってるよ」
慰められていないのに、少しだけ救われる。俺は変わっていない。変わっていないまま、昨日は弓を引いた。それでいいのかもしれない。
墓石の下、腕二本分掘ったところで円匙が金属へ当たった。土を払うと、青銅の輪が現れる。取っ手を引けば、石板が持ち上がった。
地下へ続く階段。
「墓の下に隠し部屋って、あんたの祖父は何者だ」
「墓石で昼飯を食べる男」
「もう聞いた」
灰灯を先へ下ろす。狭い階段の壁には、灰札に使う古い文字で名が刻まれていた。王様も英雄もいない。粉屋、羊飼い、産婆、迷い犬。犬まで名がある。
ノエが一文字ずつ読む。
「すべて、白炉の登録簿にはない名前です」
「白炉ができる前の死者だよ」
マウラ婆の声が後ろから落ちる。
「昔の弔いは、一人の願いを村全員で一晩持った。夢へ死者が出ても、朝飯の時に話して笑った。効率が悪いから廃れたそうだ」
「効率」
嫌な言葉だ。人間を燃やす話になると、役人はすぐ効率を持ち出す。薪なら乾かせばいい。願いは乾かない。
階段の先は丸い石室だった。中央に、鐘が伏せてある。
大きさは子供を抱けるくらい。青銅の表面へ何百もの手形が重なり、縁には七つの窪みがある。ノエの腕輪と同じ並びだ。
俺の鐘舌のペンダントが熱を持った。
「これ、姉ちゃんの物じゃないのか」
「元は、その鐘の舌だよ」
マウラ婆が壁の石を押す。隠し棚から、油紙に包まれた帳面を出した。
「リナが旅へ出る前、ここから外した。七つの鐘を起こす鍵だと言ってね」
「なんで俺に渡した」
「灰雨の前日に帰ってきて、寝てるあんたの首へ掛けた。朝には説明するつもりだったんだろうさ」
朝は来なかった。
いや、来た。俺には来て、姉ちゃんには別の朝が来なかった。
帳面を開く。姉ちゃんの字は覚えている。細いのに、最後の払いだけ乱暴だ。声を失っても、字はまだ姉ちゃんだった。
『白炉は死者の願いから名前を剥がしている。名のない火が虚獣を増やし、増えた虚獣を防ぐため、また願火が要る。あれは国を守る炉じゃない。国を食べながら、守っているふりをする炉だ』
続きを急いでめくる。各地の地図、炉脈の番号、七つの鐘。最後の頁だけ破られている。
「リナは壊すつもりだった」
マウラ婆が言った。
「北の大白炉を止め、七つの鐘で願火を名へ戻す。そのために仲間を集めてた」
「失敗して、灰雨が降った」
「そう伝えられてる」
「婆さんは信じてないのか」
「信じたいことと、知ってることは分けな」
痛いところへ釘を打つ人だ。俺は姉ちゃんが生きていると信じたい。ノエの言葉は証拠になりそうで、まだ一人の証言だ。帳面は白炉の害を示すが、灰雨で姉ちゃんが何をしたかまでは書いていない。
ノエが鐘へ手を伸ばす。触れる直前、腕輪が白く光った。
「やめろ」
手首をつかむ。冷たい。ノエは抵抗せず、俺の指を見た。
「鐘の中から、千二十六名が名前を求めています」
「今鳴らしたらどうなる」
「分かりません」
「なら、分かるまで鳴らさない」
「あなたは昨日、分からないまま私を隠しました」
「それは、お前が戻りたいか分からなかったからだ。鐘は嫌かどうか言えない」
言い返してから、自分の理屈が都合よく見えた。俺はノエを人として選ばせたい。鐘は道具だから選ばせなくていい。では、願火はどちらだ。死者はどこまで選べる。
帳面の余白に、姉ちゃんの短い走り書きがあった。
『鐘は命令で鳴らない。約束を結び直した時だけ響く』
「約束って何だ」
「私の中に答えはありません」
「千人もいて、役に立たないな」
「あなたは一人ですが、さらに役に立っていません」
思わずノエを見た。表情は真面目なまま。冗談を言ったのか?
「今の、誰に教わった」
「マウラさんです」
「余計なことを教えるな!」
「旅は長くなるかもしれないからね」
旅。
その言葉が胸へ落ちた。姉ちゃんが王都にいるなら行く。ノエを追手から隠すだけでは、いずれ見つかる。七鐘と白炉がつながっているなら、鐘を確かめながら王都へ向かう理由もある。
村を出る。
考えたことは何度もあった。実際に決めると、墓地の土が足へ絡む。
地上で角笛が鳴った。
一度、短く。二度目は長い。王立葬務院の上級官が到着した合図だ。
「急いで戻るよ」
マウラ婆が帳面を俺へ押しつける。
「鐘は?」
「動かせない。ここで守る」
「誰が」
「あたしが」
「一緒に来い」
「墓守が全員、墓を置いていけるかい」
言い争う前に、階段の上から低い男の声が響いた。
「その必要はない」
出口に、灰色の外套が立っていた。逃げた追手ではない。黒い手甲を左腕に着け、剣を抜かずに俺たちを見下ろしている。
「王立葬務院、灰衣審問官ガラン・ヴォルクだ」
男の視線が俺の帳面で止まった。
「リナ・リュゼの遺品を、こちらへ渡せ」