灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない 作:灰を拾う旅人
「断る」
相手の肩書きを聞いてから一息も置かなかった。礼儀としては墓穴の底だが、姉ちゃんを連れていった組織の人間へ、姉ちゃんの帳面を渡すほど育ちはよくない。
ガラン・ヴォルクは眉一つ動かさない。地下室の出口を塞いだまま、黒い手甲を開いた。
「命令ではない。確認だ」
「渡したら返すのか」
「内容による」
「じゃあ断る」
「会話が進まんな」
「あんたの条件が悪い」
ノエが俺の袖を引いた。
「この人物を知っています」
ガランの目が初めて揺れる。
「どこでだ」
「暁炉の記録。灰衣審問官、識別番号七。八年前、リナ・リュゼを北部大白炉から王都へ移送しました」
頭の中で何かが切れた。
階段を駆け上がる。肩の傷が開く。構わず殴りかかった拳を、ガランの黒い手甲が受け止めた。
痛みが腕へ返る。
「姉ちゃんをどこへやった」
「王都だ」
「知ってる。その先だ!」
「答える前に手を下ろせ」
「答えてから考える!」
ガランが拳を払う。足をかけられ、背中から階段へ落ちかけた。マウラ婆の杖が腰を支える。
「墓の下で暴れるんじゃないよ。じいさんが昼寝できない」
「今それを言うか!」
「今だから言うんだ」
婆さんの声で息が戻る。怒りは消えない。けれど、殴れば姉ちゃんの居場所が口から落ちるわけではない。落ちるのは俺の歯くらいだ。
ガランは剣へ触れていなかった。俺を殺す気なら、最初の拳で終わっている。
「ノエを回収しに来たのか」
「そう命じられた」
「なら敵だ」
「今はな」
今は。
その言い方が気に入らない。未来に味方になる余地を勝手に残している。
「隊を連れてきたんだろ。村を囲んで、炉を壊して、今さら何を――」
「炉を壊した?」
ガランの視線が鋭くなる。
「俺の隊は夜明けに着いた。先行した六名は命じていない」
「同じ灰衣だった」
「外套だけなら盗める」
「都合がいいな」
「観察しろ。死者を扱う者なら、服より手を見るはずだ」
腹が立つ。正しいから、さらに腹が立つ。
昨日の六人を思い出す。剣、外套、胸章。手は? 火葬場へ入る前、灰へ触れる礼をした者はいなかった。灰衣は死者の区域へ入る時、左手を胸に置く。村の役人ですら知る作法だ。
「偽物だった」
「可能性が高い。何人生きている」
「一人は納屋。逃げたのが一人」
「逃げた男の顔は」
説明すると、ガランは短く息を吐いた。
「白灰班だ。葬務院の記録に載らない処理隊」
「あんたの上司はずいぶん便利な墓穴を持ってるらしい」
「俺も今日、深さを知った」
信じる理由はない。けれど、嘘だと決める証拠もない。警戒はする。断定は後だ。
地下室を出ると、共同墓地は灰衣の兵に囲まれていた。今度の兵たちは墓域の前で左手を胸へ置いている。ガランが二本指を上げると、全員が武器を下げた。
村人が遠巻きに見ている。ノエの頭巾は深いまま。白い髪は隠せても、ガランが視線を向ければ終わる。
「ノエを連れていくのか」
小声で聞く。
「本来は」
「本来の話はいい」
「小白炉の破損原因を調べるまで保留する」
「逃がす気はない」
「あるとも言っていない」
味方ではない。少なくとも、今すぐ剣を向ける敵でもない。
村の中央へ戻ると、小白炉の周りに白い結晶が伸びていた。昨日はなかった。ひびから染みた願火が冷え、地面を根のように走っている。
「炉心が過飽和だ」
ガランが膝をつき、手甲で結晶を砕く。
「名を剥いだ願火を、規定の三倍入れている」
「村で死ぬ人数は変わらない。どうやって三倍も」
「外から送られた。炉脈は王都までつながっている」
エイルの記憶が腕の奥で疼いた。炉脈。圧力。止めようとした弁。
「エイルは、これを止めに来た」
「炉脈技師エイル・ノードか」
「知ってるのか」
「昨夜、反逆者として手配された。暁炉の制御図を盗んだと」
「死んでまで仕事を増やすなよ、エイル」
悪態をつくと、灰灯のガラスに残った炉脈図が光った。白い線は村の炉へ入り、地下墓室の鐘を通り、また炉へ戻っている。
「鐘が安全弁になってる」
マウラ婆が言う。
「昔の共同弔いを、白炉が上からつないだ。だからリナは鐘を残した」
「鳴らせるのか」
「約束を結び直せばね」
「その約束が分からない」
ノエが小白炉へ近づいた。腕輪の空所が白く光る。
「炉内の願火は、村の死者だけではありません。北部の共同墓域から送られています」
「数は」
「四千以上」
村人より多い。炉が割れれば、昨日の虚獣は子犬だったと思えるものが出る。
「排出できないのか」
ガランは首を振った。
「ここで炉脈を切れば、上流の二村へ逆流する。王都側の弁を閉めるまで――」
言葉の途中で、鐘楼から矢が飛んだ。
ガランが俺を倒す。矢は小白炉の制御盤へ刺さり、黒い油をまき散らした。火が走る。
「白灰班!」
灰衣たちが鐘楼へ向かう。二射目。狙いはノエだった。
マウラ婆が間へ入った。
矢が、腹へ刺さる。
「婆さん!」
受け止める。軽い。いつからこんなに軽くなった。血が俺の手を濡らし、灰紋の線へ入り込む。
「抜くな」
ガランが傷を見る。
「分かってる!」
分かっている。矢尻に返しがある。抜けば出血が増える。知っているのに、手が何もできない。
鐘楼から白い外套が飛び降りた。昨日逃げた男だ。着地と同時に火打ち石を投げ、小白炉の油へ火を足す。
「器と第二の核を処分しろ!」
男が叫ぶ。
「大葬卿の計画に、予備は要らない!」
ガランの顔から、最後の迷いが消えた。
「生け捕れ」
「隊長、院の直命を――」
「今から俺の命令が先だ!」
灰衣が男を追う。小白炉の中で何千もの願火が騒ぎ、地面の白い根が村中へ伸び始めた。
俺はマウラ婆を抱えたまま動けない。
「カイ」
婆さんが俺の頬を叩いた。力はほとんどない。
「聞きな。あたしの願いを、勝手に村へ決めるんじゃないよ」
「しゃべるな」
「墓守に黙れって言うのかい」
「今は死者じゃない!」
「もうすぐだ」
嫌だ。
言葉がそれしか出ない。矢を止める手も、燃える炉を止める手も足りない。姉ちゃんの時と同じだ。何もできない子供へ戻る。
婆さんは血のついた歯を見せて笑った。
「村を守れ、なんて言わないよ」
小白炉の扉が、内側から大きくへこんだ。