灰灯の墓守は死者の願いを燃やせない 作:灰を拾う旅人
旅に必要なのは、金と食料と、同行者を谷へ突き落とさない我慢らしい。
三日目の朝、俺は最後の一つを使い切りかけていた。
「もう一度聞く。どうして俺のパンだけ黒い」
「火から下ろすのが遅かったからです」
「焼いた本人に原因を説明するな」
「では、責任者は誰ですか」
「俺だよ!」
ノエが首を傾ける。隣でガランが黙って自分のパンを裏返した。きつね色。こいつは剣も馬も焚き火も、腹が立つくらい扱いがうまい。
エンデ村を出て七日。北街道を南東へ進み、樹都ヴェルデまでは今日中の予定だ。季節は晩秋。朝の土は凍り、昼には泥になる。俺の肩の傷はふさがり始めたが、荷を背負うとまだ痛い。
ガランは先を歩き、ノエは俺の隣を歩く。三人旅と呼ぶには、距離が正直すぎた。ガランとの間は十歩。ノエと俺の間は最初一歩だったが、彼女が道端の物を見つけるたび伸び縮みする。
「カイ」
「今度は何だ」
「霜が白いです」
「霜はだいたい白い」
「暁炉の白とは違います」
しゃがみ、草の先へ触れる。指についた氷が溶けるまで見ている。千人分の声は減っていない。それでも、ノエが拾うものは少しずつ増えた。
焦げたパン。雨音。霜。緑色の苔。
全部、王国を救う役には立たない。
だからいい。
「食べるか」
俺の黒いパンを割って渡す。ノエは焦げた端だけを選んだ。
「残りはあなたが食べますか」
「焼いた責任がある」
「責任とは、焦げていない部分を他人へ渡すことでは?」
「急に鋭くなるな」
ノエの口元が上がった。今度はパンの固さではない。笑った。たぶん。
胸があったかくなる。すぐ後から、冷たいものが追いついた。
姉ちゃんの笑い声は思い出せないのに、ノエが笑ったことへ安心している。まるで空いた場所へ別のものを詰めているみたいで、後ろめたい。
「今のは不快でしたか」
ノエが聞く。
「なんで」
「あなたは、嬉しい時と泣きたい時に同じ顔をします」
見抜かれている。千人のうち誰が人の顔を読むのか、それともノエ自身なのか。
「嬉しかった。あと、姉ちゃんへ悪い気がした」
「私が笑うと、リナさんへ害がありますか」
「ない」
「では、あなたが嬉しいことにも害はありません」
「そう簡単じゃない」
「複雑にする必要がありますか」
返事ができない。罪悪感は、持っているほうが愛している証明になる。そう思っていたのかもしれない。姉ちゃんを探している俺は笑ってはいけない。幸せになれば、八年待っている姉ちゃんを置いていく。
けれど姉ちゃんが本当に暁炉で生きているなら、俺がパンを食べて笑ったせいで拘束が強くなるわけではない。
「複雑にしたい時もある」
「なぜですか」
「簡単だと、自分が薄情に見えるから」
「誰に?」
自分に。
言葉にすると、ずいぶん面倒な答えだ。俺は黒いパンをかじった。苦い。ノエが食べると平気そうなのに、俺が焼いた失敗は俺の舌へ正直だった。
先を歩くガランが立ち止まる。
「樹都が見えた」
丘を越えると、森の中に巨大な樹が立っていた。幹だけでエンデ村が三つ入る。根は地上へ盛り上がり、その隙間に石造りの家々と市場の屋根が重なる。枝には吊り橋と灯りが続き、昼なのに青白い瓶が何千と光っている。
きれいだ。
同時に、寒い。瓶の一つ一つから願火の気配がする。
「あれ、全部」
「願火瓶だ」
ガランが答える。
「樹都は王国最大の加工市場。幸福な記憶は夢見香、熟練者の願いは技能灯、執着の強い願いは結界材になる」
「死者の願いに値段をつけるのか」
「つけるから、遺族へ金が戻る。白炉へ無償徴収されるよりましだと考える者もいる」
簡単に悪と呼べない言い方をする。実際、冬を越す金がなく、死者の願火を売る家族もいるだろう。売らなければ飢える。その選択を外から汚いと決めるのも違う。
嫌な仕組みは、たいてい一部分だけ助かるようにできている。
「第二の鐘は?」
「市場地下の根炉にあるという記録だ」
「あんたは、どうして俺たちをそこへ案内する」
「監視だと言った」
「監視対象へ地図を渡す監視官がいるか」
「ここにいる」
話は墓穴みたいに深くなる。ガランは姉ちゃんを逮捕した。ノエを回収する命令も受けている。それでも村で俺たちを逃がし、今は鐘へ案内している。
「何を隠してる」
「隠していない人間を見たことがあるか」
「質問で逃げるな」
「王都へ着くまでに話す」
「それ、旅の最後まで黙る奴の言い方だ」
ガランは返さなかった。左の黒い手甲を外套の内側へ隠す。冷えると動きが悪いのか、朝から指を開閉していた。
樹都の西門には、商人と旅人が長い列を作っていた。門兵は荷を調べ、通行札へ願火瓶の有無を記す。ノエの白い髪は茶色い染め粉で隠した。目は深い頭巾。腕輪は包帯の下。
俺たちの番が近づくと、門の横に新しい手配書が張られているのが見えた。
白炉の器ノエ。懸賞金、金貨二百枚。
顔は似ていない。絵師が王女ノエリアの肖像を使ったらしく、髪型も年齢も違う。それでも白い髪と金の目は書かれている。
その隣。
反逆弔い師カイ・リュゼ。懸賞金、金貨五十枚。
「俺、ずいぶん安いな」
「比較するところですか」
「四分の一は傷つくだろ」
「私が高価なのは、器としての再製造費が含まれます」
「お前も比較するな」
門兵がこちらを見た。笑っている場合ではない。けれど、ノエが少し肩を揺らしたので、俺まで笑いそうになる。
その瞬間、首元が軽くなった。
鐘舌のペンダントが消えている。
「待て!」
列の脇を、小さな影が走った。栗色の髪、ぼろい外套。少年が人の脚の間を抜け、森の市場へ飛び込む。手に俺の鐘舌が光っていた。
「あの野郎!」
追おうとした背中を、ガランがつかむ。
「門を通れば顔を見られる」
「あれがないと鐘を鳴らせない!」
「俺が追う」
「灰衣が走ったらもっと目立つ!」
ノエが門の手配書へ近づき、俺たちの似顔絵をじっと見た。
「この絵は、私たちに似ていません」
「それは今、助かる情報だ」
「では、普通に通れます」
「普通ってのは、懸賞首が三人そろって門を通ることじゃない」
ノエは頭巾の奥で笑った。
「複雑にしすぎです」
言い返す前に、盗人の姿が市場の青い光へ消えた。