出港から八日、遭難して四日。
プリンツ・アーダルベルト甲板では複数の生徒達が集まっていた。
「よっしゃー、元気捻り出していくぞ〜」
音頭をとっているのはエリス。他にも数名の生徒達が甲板に上がっていた。
「元々五日しか予定していなかった航海で物資不足で餓死なんてゴメンだ」
海沿い生まれの彼女は家名のフィッシャーが表す通り、長年漁師を営む一族の娘として漁猟の知恵を持ち合わせており、片手に船内に用意されていた釣竿や彼女自身が持ち込んでいた釣竿などを持ち出していた。
「ってことで自給自足する!釣竿に餌くっつけておけよ〜」
そこで暇人達がかき集められ、生徒達は一斉に釣り糸を垂らし始める。
「(しまったな…)」
その中でエーリカはほうぼうと空を見上げていた。それはこの前の出来事についてだ。
気が付いていなかったとはいえ、知っているにも関わらず彼女は辛辣な言葉をかけてしまった。
「随分と辛気臭い顔をしていますね」
「アンネリー…」
その時、タブレットを持って覗き込む形で彼女が話しかけてくると、彼女は顔を見上げる。
「これではできることもできなくなりますよ」
「分かってはいるんだけどね…」
そこで隣で座ってくる。
「情けなくなってくるなぁ。泣きたくもなる」
「ああ、艦長に嫌われたのですか?おめでとうございます」
直後、アンネリーの頭に拳骨が飛んだ。
「阿呆、最低限の会話くらいはしている!」
「でもそれで終わりでしょう?」
「…」
アンネリーは軽く頭をさすって殴られてできたたんこぶを介抱しながら言う。
「最近は洗濯物も自分で洗い始めてしまってな…」
「ああ、私がお手伝いさせて貰っていますよ。最大の幸福を感じています」
「何だと貴様ぁ…!!」
カッとなってエーリカはアンネリーを睨みつけると、彼女は勝ち誇った様子でいた。
「で、そのような些細な事でお悩みしているわけですか」
「些細って…」
「実際そうですよ」
苦笑するエーリカにアンネリーは言う。
「傷つけたなら謝る。子供の頃に学んでしょう?」
「…まぁ」
人として当然の行為にエーリカは頷く。
「歳を重ねるほど、謝るだけで終わらない問題というのも出てきます。あなたもロシア貴族の末裔であれば、それくらいは見たことがあるでしょう?」
「…」
アンネリーの言葉にエーリカは黙り込む。彼女とてそれは知っていた。
金銭問題、対人関係etc…ロシア貴族の家系図を持つ彼女の家は金融関係の仕事をしていたから、特にそういった人の醜い部分は見てきていた。
金銭トラブルや恋愛トラブルというのは謝っただけでは終わらない禍根であるというのを知っていた。
「それに比べて謝罪をしただけで終わることなんだから。さっさと謝ってきなさい」
「…はぁ、分かったよ」
そこで立ち上がって彼女はため息を吐く。
「…ありがとう」
「どういたしまして。艦長のマッサージで手を打ちましょう?」
「…ふんっ、貴様が満足にできると思うか?」
アンネリーか軽く手を振って和かに取引を持ちかけ、彼女はフッと笑って艦橋に向かった。
そして艦橋の射撃指揮所では、アレクサンドラは呆然としながら大海原を見ていた。
「ザーシャ」
「っ!」
するとハッチが開いてエーリカが顔を覗かせた。その時、勢いよく開いて音が立ったのでアレクサンドラは驚いてしまう。
「どうした?エーリカ」
愛称で呼ばれたことで私的な話があるのだろうかと推測していると、彼女はアレクサンドラを見てから言う。
「少し放送を借ります」
「?」
そこで彼女はマイクを手に取ってから電源をつける。
「あーあー、諸君。副長だ」
その声は船内全体に広がり、エーリカからの放送が入る。
『遭難四日目で不安だと思う。だが安心してほしい』
彼女は船内にいる全員に呼びかける。
『私たちはまだこの艦に乗って一ヶ月も経っていない。経験も浅く、航海も未熟。何を信頼すればいいかもわからない』
漂流中、彼女は荒みつつある乗組員達を前に言う。
『だからこそ、まず艦長を信用してほしい。私らの艦長は最高だ』
「…」
その放送は竿を握ったアンネリーも静かに聴いていた。
『私は艦長を…いや、
「…ふふっ…いい呼び名だ。マイン・カイザー…あの方にお似合いだ」
放送が切れたのを確認すると、機関室で放送を聴いていたベルタは笑う。
「ーーと、言うことです。ザーシャ…いや、艦長。先の事を謝罪させてください。申し訳ありませんでした」
エーリカはそこでアレクサンドラに頭を下げる。
「艦長。皆で一緒に帰りましょう」
謝罪をした彼女にアレクサンドラはエーリカに少し驚きつつも微笑んで頷く。
「…ああ」
アレクサンドラは頷くと、頼もしい副艦長を見た。
「…?」
その時、射撃指揮所に一羽の鳥が降り立つ。
「…オオカモメだ」
その鳥を見た見張員のフリーデ・フォン・ヒッパーがハッとなった。
「…っ!おい!カモメだ!近くに陸地があるぞ!!」
「見張員!周辺の捜索を行え!!」
そこで彼女達は大慌てで双眼鏡を使って周辺の捜索を行うと、遠くに陸地を発見した。
それから発見した陸地の港で補給を受けた彼女達は、二〇日間の漂流の後に基地に帰還する。
「惜しかったな。アレクサンドラ艦長」
基地に帰還すると、そこでロッテンベルクから言われた。
「まだ我々以外に残っている艦艇が?」
「アドミラル・グラーフ・シュペーだ」
「…なるほど」
艦名を聞いてすぐに理解する。なるほど、あの二人であれば耐えることができるのだろう。
「大体の艦艇は早々にリタイアした。艦長の求心力低下による内部分裂でな」
ロッテンベルクはそこで帰還したアレクサンドラに他艦艇からの状況を知らされる。
「元々、我々は一〇日も保つとは思っていなかった。
そういう意味では君は長い遭難生活の中で結束を固め、帰還した事は優秀と言える。喜びなさい」
学校長より称賛され、アレクサンドラは今までの人生で叩き込まれて癖を通り越して日常生活に組み込まれていた背筋を再度伸ばして答える。
「はっ!…お陰で乗組員からもマイン・カイザーと呼ばれることになりましたが…」
「ふふふっ、良いではないか。君にはぴったりの名だ」
ロッテンベルクは彼女につけられた渾名に少し笑って、彼女のもつレイピアを見てその名に相応しい風格を持つようになった彼女を見る。
「だが、それだけではこの課題の合格とはならない」
そこで彼女は聞く。
「さて聞こう。本当に怖いものはなんだと思う?」
その問いに、アレクサンドラは少し間を持たせて、余裕を持って答える。
「…孤独です」
彼女はそこで今回の後悔を経てつくづく痛感した感覚を文字にする。
「行き先不明。食糧不足。それは生きていく上での恐怖です。ですが…
最も恐ろしいのは人心を失うことです」
アレクサンドラは断言する。
「我が先祖も、人心を失ったことで国を追われることとなりました。僅かに三〇名余の教育艦とて、それは同じこと」
彼女は言うと、ロッテンベルクは彼女に流れている血筋を振り返る。その血筋はドイツの歴史そのものである。
「余は幼少より家族以外の交友関係は有りませんでした。なので友が一人減ったところで問題ないだろうと思っておりました。なにせ何もせずとも周りの人間に話しかけられることばかりでしたので」
「…」
ロッテンベルクは容易に想像できる話だった。彼女と言うのは一族の中でも箱入り娘であったことは知られている。故にこの学校に来ても彼女はここまで影に伏することができた。とは言え、彼女がテアやクローナに続く成績を残しているのは、彼女に施された十分以上の教育の賜物であると言える。
「しかし本物の孤独というのは…友を失なうと言うのは、こんなにも恐ろしいものだったのですね」
「…満点だ」
彼女の回答を聴いてロッテンベルクは微笑んで頷くと、引き出しから書類を取り出す。
「今回の課題の真意は実際の窮地で何が自分の真に怖いモノかを知る事だ。それを知るだけで海では長生きできる」
そしてアレクサンドラに書類を差し出す。
「君達はこの実習後、ドック入りを行なって艦艇の改修作業を行う。他のプリンツ・アーダルベルト級にも同様の改修が施され、君達は特別実習を行うことになる」
「学校長、この改修というのは…?」
その質問にロッテンベルクは答える。
「我ら祖国、ドイツの最新技術を君たちに託すこととなる。…私から現時点で話せるのはここまでだ」
最新技術とは何ぞやと思ったが、口外無用を前に彼女はそれ以上聞かなかった。
「下がってよし」
「はっ!」
改修をする際に必要な書類を受け取り、彼女は部屋を後にした。
「…残された皇帝の血筋…か」
ロッテンベルクは彼女を見送ると、そこで隣に控えていた副官に聞いた。
「どう思った、マイヤー君?」
「…寂しがり屋の印象ですが、長年の教育の賜物でしょう。孤独に耐える訓練もされています。彼女は、為政者としては完璧に教育をされていますね」
「ああ…彼女がこの学校に通う理由が分かる気がするよ」
ロッテンベルクは昔の自分を見ているような不思議な感覚と、アレクサンドラの周囲の環境が良い方向に働いたと理解する。
「さぁ、後はクロイツェルの乗る艦だ。君の同期の娘だぞ?」
「…あまり気乗りはしませんね」
副官はそう言うと、軽くため息を吐いてしまった。
部屋を出たアレクサンドラは、そこで詳しい特別実習の内容と改修作業の内容についての計画書を読んでいく。
「
そこで彼女は副砲の換装すら行われる事に苦笑する。
「こんなことするなら、入学前にして欲しかったものだが…」
数ヶ月前までここを卒業をした面々が使っていたことを考えれば仕方のない話かもしれないが、それでも学ぶことが増えることに溜息を吐かざるを得なかった。
「艦長」
「ん、副長か」
そこで話しかけられて顔を上げると、エーリカが見ていた。
茶髪碧眼の彼女は東スラヴ人らしく、背が大きく、筋肉質で、顔は小さい。
自分とてドイツ人であるため、金髪碧眼とお手本のような容姿のはずなのに何故か身長だけは小さいまま。テアより三センチ高いだけの一四三cmである。
「…」
「どうかされましたか?」
そこで彼女はジト目で見下ろしてくる艦長に首を傾げると、一七二cmもある巨体に不満げに口を尖らせる。
「貴様の背骨を切って余に貼り付けてやりたい」
「怖いって。そんなこと言わんでください艦長…」
恐ろしいことをいきなり言い出した彼女にエーリカは苦笑して答えるしなかった。
そして二日後、アドミラル・シュペーが基地に帰還した。
そしてそこでロッテンベルクからテアはアレクサンドラ同様に聞かれ、同様に答えた。
その後、ロッテンベルクはある場所に手紙を送った。