ドイツでは八月から新学期が始まる。
この国の夏休みは新学期への移行期間であり、その間に多くの生徒達は実家に帰省する。一ヶ月ほどの長い休養期間だ。
ヴィルヘルムスハーフェン上級学校は七月丸々夏休みというわかりやすいカリキュラムで設定されており、アレクサンドラは
「お帰りなさいませ。殿下」
その日、アレクサンドラ・イレーネも他の生徒の例に漏れず帰郷の途についていた。
故郷であるバイエルン州、ペッキング。そこの駅でショーファーカーを拵えていた家族の出迎えに彼女は頷いてから乗り込む。
「やれやれ、殿下呼ばれも慣れてしまうとは…」
乗り込んでから苦笑気味に彼女はため息を吐くと、彼女は駅を離れて車はぺッキングにあるとある邸宅に到着をする。
「お館様。アレクサンドラ様がお戻りになられました」
「そうか…」
屋敷では執事がドアをノックして娘が帰郷したことを伝えると、執務室で決済の書類にサインを終えたその男は立ち上がる。
「お帰り。ザーシャ」
「ただいま。父上」
そして玄関では少ない荷物を持って帰郷したアレクサンドラが見上げる。
「ふふっ、昔と変わらなくて可愛いものだな」
「身長が伸びないことを煽らないでもらえますか?」
とりあえず早速彼女にとってのタブーを土足で踏み越えられた後、彼女は実父を軽く睨みつけてからため息を吐く。
「全く、年頃の乙女に体のことを聞かれては困ります」
「ふむ。しかし親としては心配なのだよ。来年にはデビュタントも控えているしな」
いつになっても子煩悩が抜けきれない実父にアレクサンドラは少し迷惑に感じながら言う。
「はぁ…もう殿下の称号を捨ててやりたい気分です」
「やめてくれ。イギリスもそれで大騒ぎになったのを見たばかりだろう?」
父親のアルブレヒトは相変わらずの彼女の対応に呆れてしまう。
「ええ、ライミー共は相変わらず血族で大盛り上がりなのだそうで」
「…はぁ」
そこで諦めてため息を吐くアルブレヒトは、そこで他の家族がいないことに首を傾げる。
「ルイーゼ姉様方は?」
「ああ、そろそろ帰ってくるはずだ。」
「ツェツィーリエは?」
「寄宿学校は終わった。そろそろ…」
その時、玄関に大声が響いた。
「ただいま帰りましたわ!!」
屋敷に響く、耳を劈きそうなほど大きな声。一発で見ずとも帰ってきたのだと理解する。
「お?」
そこで彼女は先に父親と話していた少女を見て目を煌めかせた。
「お帰りなさいませ!お姉様ぁあ!!」
「うおっ!!」
そこでこの猛犬は荷物を放り投げてアレクサンドラに飛びつくと、二歳年下の少女は快活さをこれでもかと見せつけていた。
「元気そうで何よりだよ。ツェリーリエ…」
「もちろんでございますわ!お姉様!!」
妹はそう言いながら頬を擦り寄せてくると、アレクサンドラは変わらないなあと思っていた。
「今度上級学校に向かわれるのでしょう?」
「ええ、だから制服も持ってきたわよ」
「やったー!ぜひ見せてくださいまし!」
そう言い彼女は興奮した様子でアレクサンドラに言った。
「あぁ…つ、疲れた…」
その後、一ヶ月の夏休みを終えてアレクサンドラはゲッソリとした様子で入学式に参列していた。今、彼女は学校指定の士官服を纏っていた。
「大丈夫ですか?」
「う、うむ…何とか」
「何があったのですか?」
エーリカとアンネリーがそんな彼女に話しかけると、アレクサンドラは疲れた理由を話す。
「…ちと元気すぎる大型犬に絡まれてな」
「「あぁ〜…」」
その理由を聞き、大型犬というだけで彼女がゲッソリしていた理由を理解すると優しい眼差しを向けることになる。
「それは大変でしたね」
「大型犬は元気ですからね…」
彼女達の脳裏にはゴールデンレトリバーが写っているが、アレクサンドラの脳裏には犬の耳の付いた実妹が浮かんでいた。
そして簡単に入学式が終わり、いよいよクラスが発表される。
「どんな割り当てになるのやら…」
そこで彼女達はクラスが発表されるのを心待ちにしていた。そして同時に緊張もしていた。
この学校では主席は戦艦ビスマルクに搭乗する。なので彼女達はテアは確実にビスマルクの艦長なんだろうなと予測していた。
「できれば同じクラスがいいですね。五年も一緒でしたし」
「ええ、私も同じクラスなのが一番望ましいですね」
彼女達はそんな事を言いながらクラスが発表されるのを心待ちにしていた。学籍番号順に名簿表が配られ、配属される艦艇を心待ちにしていた。
「アレクサンドラ・イレーネ」
「はっ!」
そこで名前を呼ばれ、教官から配属先を記した用紙を渡す。そこには簡単に印刷されていた。
『大型直接教育艦 プリンツ・アーダルベルト艦長:アレクサンドラ・イレーネ』
その艦名と役職にアレクサンドラは目を大きく見開いて静かに紙を折って、しかし内心ではこれまでで一番心音が聞こえた。
「(やった…!)」
乗りたかった艦艇、しかも艦長となれば満額回答を貰えたようなものだ。
プリンツ・アーダルベルト級巡洋戦艦 一番艦
計画名をO級巡洋戦艦と言う。
一九三〇年代、欧州動乱の戦後不況から立ち直りつつあった当時のヴァイマル共和国が始めた海軍増強計画であるZ計画。ユトランド海戦などで多くの艦隊を失い、また著しい陳腐化もあった軍艦の刷新を行う為に新造艦を大量に建造していた。
この頃、日米英で発足された国際海洋機関にヴァイマルも参画する兆候を見せており、そのための軍艦の建造も行われていた。
そして一九四五年までにH級戦艦が四隻竣工した事でZ計画は終了した。本当は六隻が起工予定であったが、二隻はキャンセルされていた。この頃、ドイツで噴進魚雷が発明された事で戦艦の需要が急激に失われてしまったのだ。
戦艦の射程外から魚雷攻撃により封殺をした事で、駆逐艦が戦艦を沈めうる事を証明したために維持費のかかる戦艦は急速に終息を迎えていた。
そしてZ計画の中で大量に建造された軍艦の中の一隻がこの艦艇である。
艦名はプロイセン海軍成立に寄与したハインリヒ・ヴィルヘルム・アーダルベルトから取られている。
このヴィルヘルムスハーフェン校の礎である軍港建設を指示した軍人であり、それ故当校において人気のある艦艇でもあった。
「ザーシャは?」
「やったぞ。プリンツ・アーダルベルトの艦長だ」
「おぉ…!おめでとうございます」
「エーリカは?」
「ふふふっ、貴女様の輔弼をさせて貰います」
エーリカはそう言い印刷された紙を見せた。そこには『大型直接教育艦 プリンツ・アーダルベルト副艦長:エーリカ・アレクセーエヴナ・ロジェストヴェンスキー』と印刷されていた。
「おめでとうございます。艦長、副長」
そこでアンネリーも話かけ、彼女の一人称の変わり様にアレクサンドラは気が付く。
「ん?アンネリー、と言うことは…」
「はい。同艦の書記を拝命致しました」
彼女は頷いて印刷された用紙を見せる。しっかりと『大型直接教育艦 プリンツ・アーダルベルト書記:アンネリー・フォン・ヴィッテルスバッハ』と記されていた。
「おぉ、何と言う奇跡か…」
「運命の神に感謝しなければなりませんね」
三人は同じ艦艇、しかも同じ艦橋要員であった事に喜びを隠す事なく岸壁を歩く。
「ザーシャ〜!」
その途中で彼女達はミーナに呼ばれると、彼女達はそこでお互いに確認する。
「どうなった?」
「ああ、決まった。アドミラル・グラーフ・シュペーの副長だ」
「おお、おめでとう」
彼女は常々『テアの指揮する艦の副艦長になる』ことを目標にしており、顔から見ても分かる通りテアはアドミラル・グラーフ・シュペーの艦長となったのだろう。
「ザーシャは?」
「プリンツ・アーダルベルトの艦長だ」
「凄いな!希望通りじゃ無いか!!」
ビスマルクでは無いのかとアレクサンドラは内心で驚きながら歩く。
「
「先に向かっているはずだ。この先で艦長はクラス名簿や他の資料を受け取りに行かなければならないそうだ」
ミーナは言うと、アレクサンドラは頷いた。
テアの事を渾名で呼び始めたのは海洋準備校二年生の頃。ヨットを使った演習で組んだ時にアレクサンドラが呼び始めていた。テアも今ではすっかり慣れてしまっており、そう呼んでも怒らなくなっていた。
「ザーシャ」
「艦長おめでとう。カッツヒェン」
「ああ、その様子だと艦長に成れたんだな?」
「ふふっ、満額回答を貰えたぞ?」
以前から彼女が言っていた望みの通りになったのかと首席であるテアは驚いていた。
「カッツヒェンは…強請ったのかい?」
「…そうだな。顰蹙を買う事は承知しているつもりだ」
テアはアレクサンドラに頷くと、ややため息を吐いてアレクサンドラは資料を受け取る。
「やれやれ、次席はどうせベロナだろうに…面倒事にならなければ良いのだが…」
「大丈夫だろう」
そう言いテアは副艦長用の資料を受け取っているミーナやエーリカを見る。両名ともにこの二人の艦長を良く支えてくれるだろうと信じていた。
「お互い、研鑽を忘れずに行こう。アレクサンドラ・イレーネ艦長」
「ああ、良い航海を。テア・クロイツェル艦長」
そこで資料を受け取った二人は、そのまま洋上に投錨されている学生艦に向かうそれぞれの内火艇に乗り込んでいく。
「おや?これはこれは、アレクサンドラさんではありませんか」
「おお、ベルタさん。お久しぶりです」
内火艇では順番待ちをしていた生徒の中で見覚えのある顔がおり、思わず驚きの顔を浮かべる。
「貴女もプリンツ・アーダルベルトに?」
「ええ、此度は同艦の機関長を拝命致しました」
「余もプリンツ・アーダルベルト艦長を拝命したぞ?」
「なんと、これは失礼しました。艦長」
彼女達はそこで各艦を回っていく内火艇に乗り込むと、ヴィルヘルムスハーフェンの港を走り出していく。
隣には先月まで通い続けた学舎があり、そこでは新しい生徒が入学式を迎えていた。
「懐かしいものです」
「五年間があっという間に感じます」
その懐かしき学舎を見つめてアンネリー達は懐かしんでいた。艦に乗り込んだ後は、士官任命された者は全員が独自で用意された士官服を着る必要がある。事前に士官服の必要は知らされるが、自分がどの役職に就くのかまでは知らされない。
「お、アレだな」
「「「おぉ…」」」
乗っていたベルタが指すと、アレクサンドラ達は洋上に浮かんでいる巨大な鋼鉄の城を見上げた。