楔は、398回嗤う。 作:九咲
それは緑谷出久たちが『雄英高校』に入学するよりも少し前。
まだ保須市が血に染まる前のあるありふれた日の放課後のこと。
遠野操はどこにでもいる平凡な女子高生だった。
彼女の個性『集合無意識の受像(アーカイブ・ダイブ)』は、当時の評価では「なんとなく周囲の間の抜けた思考や感情がノイズのように頭の中に流れ込んでくる」だけの、ヒーロー活動にもヴィラン活動にも使えない地味で不便な精神系個性。
そのせいで彼女はいつも他人の本音に疲れ果てどこか冷めた目で世界を見ていた。
「ヒーローなんてテレビの中の華やかな人たち。私には関係ない」
そんな彼女の日常が崩壊したのは学校の近くの商店街で起きた小規模なヴィランの暴走事件だった。
避難勧告に従いビルの陰に隠れていた操の目の前で、事件は起きた。
暴れるヴィラン。そしてそれを華麗に大衆の歓声を浴びながら制圧するプロヒーロー。
普通の人間ならここでヒーローに憧れるかヴィランに恐怖する。
だがその瞬間極限の緊張状態によって操の『受信機』としての個性が人生で初めて限界突破(ライジング)の予兆を見せてしまう。
彼女の脳は戦っている「ヒーロー」と「ヴィラン」の剥き出しの脳内(本音)最大出力で同時に過剰受信してしまった。
『――あー、今の技、カメラの見栄え良かったかな。来期のランキング(ビルボードチャート)上がるかな』
『――ムシャクシャしてやった。誰でもよかった。アイツらの困った顔が見たいだけだ』
大衆が熱狂する「正義」と「悪」の舞台裏。
そこに転がっていたのはあまりにも矮小で俗悪で中身が空っぽな人間のエゴだった。
(ああ、くだらない。ヒーローもヴィランもみんな台本通りにおままごとをしてるだけじゃないか。この世界は、なんて退屈なんだろう――)
操がそう絶望し世界への興味を完全に失い脳内が「真の空白」になったその瞬間。
彼女の脳の隙間に世界の集合無意識の底からあの『最悪の電波』が突き刺さった。
頭が割れるような激痛。
脳内に直接流れ込んできたのはヒロアカの歴史には存在しない異世界の凄惨な記憶。
血の海、偽りの聖杯、そして――圧倒的な知性と悪趣味さを持った銀髪の魔術師の精神構造。
『あはは! 見つけた! 正義も悪もくだらないって? 同感同感! だったらさこの退屈な世界を私と一緒にめちゃくちゃにしようよ!』
その瞬間遠野操の「普通の女の子としての人生」は終わった。
彼女の人格は一瞬でフランチェスカのイデアに蹂躙され、気づけば彼女は凄惨な事件の現場で「自分でも理由が分からないまま、ニタニタと笑い声を上げていた」。
これこそが398人目の遠野操の「最悪のオリジン」。
過去の397人はこの瞬間に狂気に身を委ねるか発狂してすぐ自殺した。
しかし操だけは違った。彼女は世界に絶望したと同時に「世界への興味ないそれでも私は普通の女の子として私の人生を生きたかった…普通への異常な憧れ」という平凡な日常への執着が人一倍強かった。
(消えて。私は遠野操だ。私の身体を、私の命をこの見知らぬ異世界の怪物のものにしたくない)
この「平凡な少女としての意地」だけで、彼女は脳を半分焼かれながらもずっと「私は遠野操だ」と言い張り続け、怪物の完全体(銀髪)化を拒み続けた。
しかし、その「普通の女の子として生きたい」という健気な生存本能のエネルギーそのものが皮肉にもフランチェスカの個性の出力を爆発させ、最終的に世界を巻き込む「玩具の世界」へと変貌させる最悪のガソリンになってしまうことを当時の彼女はまだ知る由もなかった。
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