それは遠野操が世界の裏側から最悪の電波を受信し変容を迎えてからわずか数日後のことだった。
操はまだ自分の頭の中に居座る「銀髪の幼女の笑い声」が響く異常事態を受け入れられずにいた。
「学校に行けば、いつもの日常に戻れるはず」
そう自分に言い聞かせ彼女はボロボロの精神を隠して放課後に友人と約束していた商業ビルのカフェへと向かう。
しかし彼女の「普通の女の子に戻りたい」という悲痛な生存本能(エネルギー)が脳内のフランチェスカと最悪の形でシンクロしすべての始まりである『第一の事件』の引き金となってしまう。
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「――ねえ、操? さっきからどうしたの? ずっとニヤニヤして、お化けみたいだよ」
放課後の賑やかなカフェ。目の前でパンケーキを熱心に撮影している友人・サツキの声がまるで遠い水底から響いているように聴こえた。
「え……? あ、ううん。なんでもない、よ」
操は自分の頬に手を当てた。
指先が触れた口角は確かに不自然なほど吊り上がっていた。戻そうとしても顔の筋肉が言うことを聞かない。頭の奥、脳髄の隙間で鈴を転がすような少女の笑い声が24時間絶え間なく響いている。
『あはは! 日常に戻ろうなんて無理無理! 君の脳みそはもう私の楽しい楽しいおもちゃ箱なんだから!』
(うるさい。消えて。私は普通の高校生なの。サツキと、お喋りをしてお家に帰るの――)
操は必死に脳内で怪物を拒絶した。生きたいという切実な願い。
しかしその感情の電圧が跳ね上がった瞬間、彼女の個性『集合無意識の受像』のギアが最悪の方向へと叩き込まれた。
ドクンと操の心臓が爆発したように跳ね上がる。
彼女の黒髪の毛先がじわりと一瞬だけ銀色に爆ぜた。
「……あ」
次の瞬間、カフェの「音」が消えた。
いや消えたのではない。変質したのだ。
「ギャァァァァァァァッ!!」
突如としてサツキが悲鳴を上げて椅子から転げ落ちた。サツキは自分の顔を両手で覆い狂ったように床に頭を打ち付け始める。
「サツキ!? どうしたの、サツキ――」
操が手を伸ばそうとして周囲を見回し息を呑んだ。
カフェにいた他のお客たち、店員、窓の外を歩く人々――数十人の人間が一斉に頭を抱えて発狂していた。ある者は自分の腕を噛みちぎろうとしある者は見えない何かに怯えて窓ガラスに突っ込んでいく。
「何、これ……私がやったの……?」
違う。操は誰も傷つけたくなかった。ただ「普通の日常に留まりたい」と願っただけだ。
しかし、その強い願いがフランチェスカの知識と混ざり合い、『擬似幻術(サイコ・ディセプション)』として半径数十メートルに無差別放射されてしまったのだ。
今この場にいるすべての人間の脳内には、操の個性を経由して「フランチェスカがかつて異世界で引き起こした、凄惨な大量虐殺の記憶」が本物の現実としてダイレクトに流し込まれていた。
「う、嘘、やめて、消えてよ!!」
操は自分の頭を抱えて叫んだ。泣いていた。
だが彼女の『受信機』が周囲の悲鳴と恐怖をさらに吸い上げフランチェスカの出力を爆発的に引き上げていく。
ガチガチガチと不気味な音が響く。
カフェの壁紙がベリベリと剥がれ落ちその下から、現実には存在するはずのない「錆び付いた鉄の歯車」や「おどろおどろしい西洋人形の顔」が、壁一面にせり出してきた。
操の「死にたくない」という命の暴走が、ついに周囲の空間の物理法則さえも、歪んだ『玩具の世界(プロトタイプ)』へと書き換え始めたのだ。
「おい、そこまでだヴィラン!!」
騒ぎを検知しビルに飛び込んできた地元のプロヒーローが叫ぶ。
だが銀髪が混ざり始めたツインテールの少女――遠野操を見た瞬間そのヒーローの動きがピタリと止まった。
ヒーローの目には、操の後ろに、血の海の中でケラケラと笑う「銀髪の幼女」の巨大な幻影が見えていた。圧倒的な、異世界の『怪物のイデア』。
「ひ、底が、見えな……何だ、この個性は……っ!?」
プロヒーローすらも恐怖で膝をガタガタと震わせ、精神を破壊されてその場に崩れ落ちる。
誰も自分を救ってくれない。
「私が生きたい」と願えば願うほど、周りの大好きな人たちが、日常が狂って壊れていく。
「あ……ああ……」
操の目からポロポロと涙が零れ落ちる。
しかしその涙を流す彼女の唇は限界突破したフランチェスカの快楽と同調し――最悪のニタニタとした笑みの形に固定されていた。
「……あはは。あはははは! すごいや、操ちゃん! ほら見てよ、君の『日常を守りたい』ってエネルギーのおかげで、こんなに素敵な劇(ステージ)が出来上がっちゃった!」
自分の地声の裏から鈴を転がすような「銀髪の怪物」の声が重なって響く。
遠野操、第一の事件。
それは彼女の「生きたい」という悲痛な叫びが、何十人もの精神を初陣で生き埋めにしたあまりにも最低で最悪な始まりの夜だった。
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翌朝のニュース報道と世間の動揺
明朝。街の平穏を切り裂くようにあらゆるテレビメディアの画面には「特異災害」の文字が躍っていた。
『――番組を変更して、昨夜、保須市内の商業ビル「セントラル・プラザ」で発生した、極めて異質な無差別テロ事件の続報をお伝えします』
ニュースキャスターの顔はかつてないほどに強張っている。
『事件に巻き込まれた一般市民32名および現場に急行したプロヒーロー1名ですが全員が意識不明の重体です。医師団の発表によると、体的な損傷は一切見られないものの、脳の精神領域に「極めて強固な未知のトラウマ」を強制的に植え付けられた状態であり、回復の目処は立っていません』
番組の画面が切り替わり、荒い画質の防犯カメラ映像が映し出される。
『警察が公開した現場の映像です。事件の中心にいたのは、現場のカフェにいた女子高生・遠野操容疑者(17)です。彼女が頭を抱えて泣き叫んだ瞬間、カメラの映像に実在しないはずの「西洋人形」や「巨大な歯車」のノイズが混ざり直後に周囲の人間が一斉に発狂しています。これは単なる洗脳や幻術の枠を超えており、空間そのものを再定義する個性の「突然変異(バイオレンス・バースト)」の可能性が指摘されています』
コメンテーターとして席についた元プロヒーローが、震える声でフリップを指した。
『恐ろしいのは彼女を映した動画です。……この少女必死に涙を流して助けを求めているように見えるのですが口元だけが不気味に釣り上がり、髪の毛がみるみるうちに銀色へと変色している。これは個性の暴走というより、何かもっと別の……人間ではない「怪異」に中身を乗っ取られているかのような異物感があります。警察は彼女を「特異災害級ヴィラン」に指定し、全国に指名手配しました』
画面の向こうで流れる、自分を「化け物」と罵る世間の声。あまりの異様さ特異さに未成年保護法も意味もなくSNSも拡散されている。
それから逃れるようにスマートフォンを消した遠野操は雨の降る廃工場の暗がりに一人縮こまっていた。
「違う私は……ただ普通の女の子として生きたかっただけなのに……」
『あはは! 諦めなよ操ちゃん! 世界中の誰も君を信じてくれない。君はもう立派な私の最高のおもちゃなんだから!』
涙を流す操の顔は、割れた鏡の中で今日も怪物の笑みを浮かべたままその銀色の髪をじわりと広げていた。
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