『商業ビル無差別精神破壊事件』から三日。
夕暮れが泥のように溶け出す保須市の片隅で遠野操は取り壊し寸前の廃工場の暗がりに膝を抱えていた。
「お腹すいた……。死にたくない、まだ死にたくない
よ……」
生身の十七歳の身体は正直だった。三日間の絶食は彼女に生々しい餓死の恐怖を突きつける。
その悲痛な生存本能(エネルギー)を脳内に居座る怪物は見逃さない。
『あはは! じゃあ、あそこのコンビニでお買い物(略奪)しようよ! 君の”生きたい”って気持ちすっごく滾ってきたから面白い幻術が見せられそう!』
生きるために操は夜の街へと這い出るしかなかった。
チリン、チリン、と深夜のコンビニに気の抜けた入店音が響く。
レジのアルバイトの青年は入ってきた客を見て息を詰まらせた。ボロボロの泥で汚れた黒いゴスロリ服。雑に結ばれたツインテールは、今や全体の三分の一ほどが異質な「銀髪」へと染まり変わっている。
「……ごめんなさい。でも、私食べないと死んじゃうから……!」
(お願い、誰も傷つかないで。私がパンを持って走るだけ。それだけで終わって――!)
操は脳内で必死に祈った。しかしその強烈な「生への執着」が引き金となり彼女の個性『集合無意識の受像』のギアが最悪の方向へと叩き込まれる。
ドクン、と操の心臓が跳ね上がる。
「あはは! いただきまーす!!」
彼女の地声の裏から鈴を転がすようなフランチェスカの幼い狂笑が重なって響いた。
次の瞬間店内の蛍光灯がパチパチと明滅し空間が毒々しい「玩具の世界」へと反転した。
床からは赤い泥が噴出し、雑誌ラックが巨大な「肉の歯車」へと変形していく。
操の暴走エネルギーが放つ『擬似幻術(イコ・ディセプション)』。店内の人間たちの脳には、「自分が巨大なプレス機に挟まれ、ゆっくりと押し潰されていく」という、本物と区別がつかない劇烈な「死の錯覚」が直接叩き込まれた。
「ギャァァァッ! 痛い! 潰れる! 脚がぁぁぁ!!」
五体満足であるはずの客たちが床をのたうち回り絶叫する。脳が恐怖を完璧に誤認したため彼らの皮膚には物理的な内出血の斑点が浮かび上がり始めていた。
「やめて、もうやめてぇぇぇ!!」
操は涙を流して耳を塞ぐが彼女の右手は合理的な悪意によって勝手に動き棚からサンドイッチやカロリーバーを掴んでバッグに詰め込んでいく。
「あはは! 見てよ操ちゃん、みんな楽しそうに踊ってるよ!」
「私は……私はただご飯が食べたかっただけなのに……っ!!」
食料を略奪し夜の闇へと消えていく操。
廃ビルで涙と泥の味がするサンドイッチを口に押し込みながら彼女は気づいてしまう。自分が「生き延びる」という目的を果たした瞬間頭の中のフランチェスカが満ち足りたようにケラケラと笑っていることに。生きるための行為がそのまま誰かを地獄に突き落とすヴィラン活動になる。彼女は一歩また一歩と取り返しのつかない深淵へと堕ちていった。
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翌日、雄英高校の極秘会議室。
プロヒーロー・相澤消太(イレイザーヘッド)は警察の塚内警部が持参したそのコンビニの防犯カメラ映像を苦渋に満ちた表情で見つめていた。
「……信じがたいが、これが現実だ、相澤くん」
塚内が重い口を開く。
「現場の被害者は全員肉体的な損傷がないにもかかわらず、重度の精神混濁が続いている。さらに最悪な情報が入った。……彼女の生命活動を停止させた場合、この受信電波(呪い)が世界中のどの人間に再転移するか予測不可能。現段階での『排除(殺害)』は絶対に不可だ」
「……殺せない人質(爆弾)ってわけか」
相澤が鋭い目で画面を睨む。画面の中の少女は泣きながら、しかしその口元で世界をおもちゃにするように笑っている。
その会議室の扉の向こう。
偶然にも通りかかり、映像を盗み見てしまった緑谷出久(デク)は、壁に背を預けて激しく息を切らしていた。
(ワン・フォー・オールの面影たちが、さっきから僕の頭の中でずっと震えてる……。『あの銀髪に近づくな、あれは世界を侵食するバグだ』って……。でも画面の中の彼女は、確かに『助けて』って泣いていた。ヴィランとして堕ちていく彼女を……僕はどうすれば救えるんだ……!?)
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同じ頃、薄暗いヴィラン連合のアジト。
死柄木弔は、バーのカウンターに置かれたタブレットで、同じニュースを何度も再生していた。五本の指が苛立ちを証明するように自身の首筋をガリガリと掻きむしる。
「……不愉快だ。何なんだよ、コイツ」
死柄木は吐き捨てるように言った。
「ヒーローを壊すでもない、社会への復讐でもない。ただご飯を食べるためにおままごとみたいなおもちゃの世界を作って、他人の精神をオモチャにしてる。……反吐が出るほど、目的の軸が見えねえ」
黒霧が静かにグラスを拭きながら霧状の身体を揺らす。
「ですが、死柄木。彼女の持つ空間そのものを塗り替える出力そして『殺せば呪いが伝染する』という仕様が本当なら……彼女は、ヒーロー社会を内側から崩壊させる最高の『おもちゃ』になり得ます」
死柄木の目が、爛々と赤く輝いた。
「ハッ……人質、ねえ。オールマイトやあの緑色のガキが、一番苦しむ顔が見られそうだ。黒霧コイツの居場所を特定しろ。ちょっと品定めに行ってやる」
死柄木は立ち上がりコートを羽織る。
トガヒミコが「どんな血の味がするのかな」と妖しく笑い、彼らは操の潜む保須市の廃劇場へと向けて、闇の中に消えていった。
救うべき被害者として追うデク。
社会を壊す最悪のおもちゃとして拉致しようとする死柄木。
引き裂かれるバトンの真ん中で操の運命は激しく加速していく。
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