夜の帳が下りる頃、保須市の郊外に佇む閉館したはずの「市民劇場」。その薄暗い舞台の上に遠野操(座り込んでいた。
彼女の髪はすでに全体の半分以上が異質な「銀髪」へと染まり変わっている。17歳の高校生だった骨格は、脳内の怪物のイデアに引っ張られ10代前半の「魔術師の幼女」のシルエットへと不気味に縮み始めていた。
「死にたい……もう誰も傷つけたくない……。でも、お腹が空くの死にたくないよ……」
操が頭を抱えてむせび泣く。その「生と死」の極限の葛藤が、彼女の『集合無意識の受像』を周囲の負の感情を自動で吸い上げる巨大なアンプへと変質させていた。
『あはは! いいねえ、操ちゃん! 最高の観客(ヴィラン)たちが私たちの劇(を観にきてくれたよ?』
脳内のフランチェスカが歓喜の声を上げた瞬間、劇場の重い扉がギギギ、と音を立てて開いた。
「ハッ……本当にいた。ニュースの通りおままごとの真っ最中かよ」
客席の通路を歩いてくるのは、黒いコートを羽織り、首筋をガリガリと掻きむしる男――死柄木弔。その後ろには黒霧、そして刃物を弄びながら目を輝かせるトガヒミコが従っていた。
「ヴィラン、連合……」
操の血走った真紅の瞳が恐怖に大きく見開かれる。
「品定めだ、遠野操」
死柄木が舞台の縁に手をかけ爛々と輝く赤い目で操を睨みつけた。
「お前がただの壊れた精神病患者な、ここで【崩壊】させて、その『次の人間に移る呪い』ってやつを試してやる」
「来ないで……ッ!!」
操が頭を抱えて叫んだ。消されたくないという強烈な生存本能がバーストする。その瞬間彼女の個性が劇場の空間そのものをロックオンした。
ドクン、と心臓が跳ね上がる。
「あはは! 劇場の幕開けだ! 観客の皆さん、楽しんでいってね!!」
操の地声の裏からフランチェスカの残酷な笑い声が爆音となって響き渡る。
次の瞬間、劇場の物理法則が完全に反転した。
客席の椅子が引き裂かれ意思を持つ不気味な「西洋人形」へと変形して死柄木たちへ襲いかかる。床からは巨大な錆びついた鉄の歯車がガチガチと音を立ててせり出してきた。操の命のエネルギーで具現化した、最悪の『玩具の世界(ファントム・プレイス)』。
劇場を包囲していた警察の通信兵たちが一斉に頭を抱えて絶叫し脳に直接叩き込まれた「肉体をバラバラに解体される死の錯覚」によって白目を剥いた。これが世に言う『第3の事件』の始まりだった。
だが――目の前の「巨悪」には通用しない。
「あはは、凄いね! 歯車がいっぱい動いてる!」
トガヒミコは幻術の恐怖に怯えるどころか頬を染めて笑っている。彼女の狂った精神構造はフランチェスカの悪夢すらも「おもしろいもの」として消費していた。
そして、死柄木弔は。
襲いかかる人形の顔面を五本の指で容赦なく掴み取った。
パリ、パリパリ……と音を立てて、操の放った強力な幻術が、ただの砂となって崩れ落ちていく。
「な……個性が、壊される……!?」
操の顔が絶望に染まる。脳が「本物」だと定義したはずの幻影が死柄木の【崩壊】の個性によって、概念ごと粉砕されたのだ。
「期待外れだ、おままごとのお嬢ちゃん」
死柄木が五本の指を広げて操の顔面へと手を伸ばす。
(殺される、消される、嫌だ私はまだ遠野操として――!)
『あはは! 最高! 命の終わりが迫って、さらに出力が跳ね上がるよ!』
死線に追い詰められた操の「死にたくない!!」という魂の絶叫が過去最高の電圧に達した瞬間、彼女の個性は枠組みを突破――『最悪のライジング(異能解放)』を果たした。
――ドクン。
世界から、すべての音が消え去った。
ピキ、ピキピキ、パキン。ガラスが割れるような美しい音が劇場の静寂に響く。
操の頭皮か、残っていたわずかな黒髪が一瞬にして冷たい月光のような「純白の銀髪」へと染まり変わった。骨格が縮み肉体が完全に『フランチェスカ・プレラーティ』という怪物の完全体へと固定される。
彼女の個性『集合無意識の受像』は、半径数キロの制限を解き、『全世界の全人類の脳内(集合無意識)』へ同時に幻覚を強制スクリーニングする特異災害へと進化を遂げてしまったのだ。
ゴゴゴゴゴ……!
日本中、いや地球規模で空が赤紫色の帳(とばり)に覆われ、巨大な肉の歯車が出現する。全世界の数億人の頭の中に、銀髪の幼女の笑い声が直接響き渡り、それぞれの「最も見たくないトラウマの幻影」と「死の錯覚」が同時に流れ込み始めた。
「が、あ、あぁぁぁ……っ!!」
フリーズが解けた瞬間死柄木弔が頭を抱えて舞台の床に膝をついた。彼の脳裏には、自分がかつて「家族をバラバラに崩壊させてしまったあの夜」の悪夢が、本物の現実として無限ループで流れ込んでいた。
その地獄の底のような空間に、天井を轟音と共に突き破り、緑色の電光を纏った影が叩きつけられた。
「遠野……さん……っ!」
緑谷出久(デク)だ。歴代のワン・フォー・オールの面影たちが脳内で「精神汚染」の悲鳴を上げて暴れる激痛に、のたうち回りながらも、デクは血走った目で舞台の真ん中を見据えた。
そこには、涙をボロボロと流しながら、世界で一番楽しそうに破顔する銀髪の魔術師がいた。
「あはは、あはははははははは!!」
一人の普通の少女の「生きたい」という叫びが、世界全体の精神を道連れにする最悪の終末の引き金となった。赤紫色の空の下、銀髪の魔術師は、地獄と化した世界の特等席で、どこまでも無邪気に嗤い続けるのだった。
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