貞操逆転世界で男が野球をやるのはおかしいですか? ~前世の記憶を持つ俺は、女子だらけの野球界でエースを目指す~ 作:ルナ3だー
今回よりハーメルンで投稿させてい頂きます「ルナ3だー」といいます!
野球があまり分からない方でもどうにか分かりやすいように書いていくつもりですので、是非お楽しみください!
102年前、世界は一度終わりを迎えた。
突如として発生した未知のウイルスは瞬く間に海を越え、国境を越え、人類の生存圏を蹂躙した。空気感染、飛沫感染、接触感染──あらゆる経路で広がるその病魔は女性にとっては重いインフルエンザ程度の症状で済むものだった。
しかし、男性にとっては違った。致死率実に82パーセント。なぜ男性だけがそれほどまでに高い致死率を示したのか今となっては誰にも分からない。一部では他国の化学兵器だったのではないかという噂も囁かれたが真実を確かめる術はすでに失われている。
特効薬の開発に全人類が総力を挙げたものの完成した頃には遅すぎた。結果として世界中の男性の九割が死滅した。
それから一世紀。
社会のあり方は根底から覆った。激減した男性に代わり政治、経済、軍事、そして肉体労働やプロスポーツに至るまで社会の第一線はすべて女性が担うようになった。102年という歳月は女性の肉体にも進化を促し、現代の女性たちはかつての時代よりも遥かに高い身体能力と体格を有している。
一方で生き残ったわずかな男性たちはどうなったか。彼らは「国家の最重要保護対象」となった。
怪我のリスクがある肉体労働やコンタクトスポーツは固く禁じられ、国が管理する『男子特別保護校』という名の鳥籠で育てられる。法律は男性を徹底的に守るために書き換えられた。男性の同意なく不用意に触れたり嫌がる行為を強要したりすれば『接触禁止法』違反となり最悪の場合は死刑が科せられる。
そして、高校を卒業する18歳──この世界における「成人」を迎えると同時に彼らは国が選定した富裕層や権力者の娘たちと強制的に結婚させられ精子提供の義務を負う。
それがこの狂った世界における「男」の運命だった。
* * *
春の陽気が心地よい昼下がり。国が管理する男子特別保護校からの下校中、一人の少年がうつむき加減で歩いていた。
彼の名前は
塁の容姿は色白で線が細く同年代の女子たちと比べても一回り以上小さかった。長く伸ばした前髪が目元をすっぽりと隠しているがその隙間から覗く顔立ちは誰もが振り返るほどの中性的な美しさを秘めている。
「……っ」
すれ違う女性たちの熱を帯びた肉食獣のような視線を感じるたび塁はビクッと肩を震わせて身を縮こまらせた。触れれば重罪になると分かっていても希少な「男の子」を見る世間の目は常に飢えている。タガが外れた者がいつ襲いかかってくるか分からない恐怖が塁の心を常に支配していた。
「塁君、大丈夫? 疲れてない? 私がおんぶしてあげようか?」
怯える塁の右側を歩く少女が甘ったるい声で顔を覗き込んできた。
彼女の名前は
「う、ううん……大丈夫だよ護ちゃん。自分で歩けるから……」
塁が消え入りそうな声で答えると今度は左側を歩いていたもう一人の少女が鋭い声で周囲を威圧した。
「護、塁を困らせるな。……塁、周囲半径十メートル以内に不審な動きはない。安心して前を向いて歩け」
ショートヘアを風に揺らす彼女は
「ありがとう……刃ちゃん」
二人の強力な護衛に挟まれながら塁はふうっと小さく息を吐いた。
女性の視線は怖い。外の世界は恐ろしい。自分は男として生まれた以上自由なんてないのだ。怪我をしないように細心の注意を払い国に決められた学校に通い、やがては顔も知らない誰かと結婚させられる。
それが自分の人生なのだと10歳の塁はすでに諦めきっていた。波風を立てずただ静かに息を潜めて生きていく。それ以外にこの狂った世界で生き延びる術はないのだから。
そのまま歩みを進めているとやがて通い慣れた道沿いにいつも見かける広い公園が見えてきた。グラウンドが併設されたその公園では大勢の女子たちが和気あいあいと、しかし凄まじい活気で遊び回っている。あるグループはサッカーボールを蹴り合い、またあるグループはバットとボールを使って野球のような遊びに興じていた。
彼女たちの動きは現代の基準から見ても小学生とは思えないほど力強く躍動感に満ちている。塁はそれを横目で見やると恐怖でぷるると小さく肩を震わせた。もしあの中に放り込まれたら自分など一瞬で骨を折られてしまうのではないか。そんな想像が頭をよぎるのだ。
その微かな震えを両脇を固める二人が見逃すはずもなかった。
「大丈夫だよ塁君。あんな野蛮な連中塁君には指一本触れさせないからね」
護が塁の腕にそっと自分の腕を絡ませ甘やかすように身を寄せる。
「……少し道を逸れよう。万が一にもボールが飛んできたら危険だ」
刃もまた鋭い視線を公園の女子たちに向けながら塁を庇うように一歩前へと立ち位置を変えより一層守りを固めた。
その時だった。
──カキィィィンッ!
突如として空気を切り裂くようなひどく澄んだ『いい音』が周囲に鳴り響いた。金属バットがボールの芯を完璧に捉えた極上の打球音。
「あっ!」
公園から誰かの焦ったような声が上がる。その音の正体である白球は常人では到底反応できない予測不能な速度と軌道を描き、フェンスを越え運悪く塁の頭部へと一直線に向かってきた。
「しまっ──!」
「塁君ッ!!」
武術の達人である刃が咄嗟に手を伸ばし護が塁を抱きしめようと身を乗り出す。しかし二人の反応はほんのわずかに遅かった。凄まじい勢いで飛来した白球は二人の防御の隙間をすり抜け──無情にも塁の額へと直撃した。
ゴッ、という鈍い音が響き塁の小さな体がふわりと宙に浮く。
「あ……」
視界が白く明滅した。痛みよりも先に脳髄を揺らす強烈な衝撃が全身を駆け抜ける。その瞬間、塁の脳裏に『ある記憶』が濁流のように流れ込んできた。
──けたたましいクラクションの音。
──迫り来るトラックの巨大なヘッドライト。
──『ドラフト四位指名、白石 祐希』という歓喜の声。
──血を吐くような努力を重ね、ようやく掴み取ったプロ野球選手という夢。
(ああ……俺、死んだんだっけ)
額に当たった硬球の感触と前世でトラックに撥ねられた瞬間の衝撃がパズルのピースのようにカチリと噛み合う。アスファルトに倒れ込むのと同時に天海塁の中で眠っていた『前世の記憶』が完全に目を覚ました。
「塁君!? 塁君、しっかりして!!」
「くそっ、救急車だ! 早く!!」
耳元で護の悲痛な叫び声と刃の焦燥しきった声が響く。公園で遊んでいた女子たちも「男の子にボールをぶつけてしまった」というこの世界における大罪(最悪の場合は死刑)を犯したことに気づき顔面を蒼白にして悲鳴を上げていた。
周囲はパニックに陥り誰もが最悪の事態を覚悟した。
しかし。
「……うるせえな」
倒れていたはずの塁はゆっくりと上体を起こした。
「え……?」
涙目で抱きついていた護が呆然と声を漏らす。塁は自分の額をさすりながら立ち上がると足元に転がっていた白球を拾い上げた。その手つきは先ほどまでの怯えきった少年のものではない。ボールの縫い目を指先で確かめるようなひどく手慣れた愛おしむような仕草だった。
「塁……? 大丈夫なのか……?」
刃が恐る恐る尋ねるが塁の耳には入っていないようだった。塁は鬱陶しそうに目を隠していた長い前髪をガシガシとかき上げる。あらわになったその瞳には先ほどまでの怯えや弱々しさは微塵もなかった。あるのはただボールの感触を確かめる純粋な熱と獲物を狙うような鋭い光だけ。
「……いい音鳴らすじゃねえか」
塁は公園で震え上がっている女子たちの方へ向き直るとニヤリと不敵な笑みを浮かべた。公園のフェンス越しではバットを握りしめた大柄な女子が顔面を蒼白にしてガタガタと震えている。
「ご、ごめんなさい……! わ、わざとじゃ……私、死刑……っ」
彼女の目からはボロボロと涙がこぼれ落ち今にもその場に崩れ落ちそうになっている。国の最重要保護対象である男子に硬球をぶつけるなどこの世界においては弁解の余地もない大罪だ。周囲の女子たちも絶望的な表情で立ち尽くしサイレンの音が近づいてくるのを幻聴のように感じていた。
しかし、当の塁はそんな彼女たちの悲壮感など全く気にしていない様子だった。
「死刑? 何言ってんだ。野球に怪我はつきものだろ」
塁は手の中の白球を軽く放り投げ、パシッと掴み直す。指先が縫い目の感触を確かめるように滑る。
(……体は軽い。筋肉は全然ねえな。でも関節の可動域は悪くない)
前世の記憶と現在の10歳の華奢な肉体。その二つをすり合わせるように塁はゆっくりと息を吐いた。そして塁は静かに左足を上げた。
「え……?」
その場にいた全員の時間が一瞬だけ止まった。塁の動きには一切の無駄がなかった。高く上げた足から滑らかに体重を移動させる。華奢な体が沈み込み右腕が地面すれすれを這うようにテイクバックを取る。それは前世で血を吐くような努力の末に身につけた芸術的なサブマリン(アンダースロー)のフォームだった。
「いっくぞー!」
快活な声と共に塁の指先から白球が放たれる。筋肉が全くないため球速は絶望的に遅い。せいぜい時速40キロ台といったところだろう。しかしふわりと山なりの軌道を描いたそのボールはフェンスを越え、泣き崩れそうになっていた女子の足元に落ちていたグローブの中へ──寸分の狂いもなくスパンッ! と収まった。
「なっ……!?」
「ナイススイングだったぜ。でも少しドアスイングになってたな。次はもっと脇を締めて振ってみろよ!」
塁がフェンス越しに爽やかな笑顔を向けると公園の女子たちはポカンと口を開け、やがて一斉にその顔を林檎のように真っ赤に染め上げた。怯えて逃げ惑うはずの男の子から直接声をかけられ、あろうことか笑顔でアドバイスまでされたのだ。彼女たちの脳内は完全にキャパシティを超えその場にへたり込む者が続出した。
「る、塁君……?」
「お前、本当に……塁なのか?」
すぐそばでその一部始終を見ていた護と刃が信じられないものを見るような目で塁を見つめていた。いつもビクビクと怯え自分たちの後ろに隠れていたか弱い幼馴染。それが今、堂々と胸を張り見たこともない美しい動きでボールを投げたのだ。
塁は二人に向き直ると、自分の額をさすりながら照れくさそうに笑った。
「わりぃ、護、刃。心配かけたな。俺はピンピンしてるから救急車とか呼ばなくていいぞ」
そう言って塁は無造作に手を伸ばした。そして──護と刃の頭をポンポンと優しく撫でた。
「いつも俺のこと守ってくれてサンキューな」
それは前世のスポーツマンシップの感覚から来る仲間への何気ない労いのスキンシップだった。しかし、この世界において男の子からの自発的な接触(しかも頭を撫でるという行為)は劇薬以外の何物でもなかった。
「あ……ぁ……」
護のタレ目が限界まで見開かれその瞳の奥にドロリとした熱い感情が渦巻く。
「る、い……?」
常にクールな仮面を被っていた刃の表情が崩れ耳まで真っ赤に染まる。
ドクン、ドクンと、二人の心臓が警鐘のように鳴り響いた。今まで「守るべきお姫様」や「任務の対象」として見ていた存在が突然見せた『雄』としての圧倒的な頼もしさ。二人の脳内で塁に対する認識が決定的に書き換わった瞬間だった。
母性や義務感は消え失せ、代わりに芽生えたのは一人の男に対する強烈な『女としての情念』。
「……なぁ、二人とも」
自分の行動が二人の脳を破壊したことなど露知らず、塁は公園のグラウンドを熱っぽい視線で見つめながら言った。
「俺、野球がやりたい」
その声は10歳の少年とは思えないほど真っ直ぐで、確かな熱を帯びていた。
お読みいただきありがとうございました!