11 目的〈ゴール〉
月の昇る夜。
工藤邸のリビングに、ひたすらガツガツと飯をかきこむ音が響き続ける。
この家でこういう光景は少年探偵団の団長を招いたときぐらいにしか見れないはずだが、今日は例外だ。既に自分の食事を終えたコナンは片眉を釣り上げて嫌味たっぷりの苦笑いを浮かべていた。
「どんだけ食うんだおめーは…」
米を口に頬張りながら箸先でコナンを指す快斗。
「仕方ねーだろ、ギリギリ以下の栄養しか摂ってなかったんだからよ! ……つーか、どこに行っても食い物高くねーか?」
「ああ、オレらも毎日そう思ってるよ」
「やべーなマジで……」
山盛りのどんぶりを平らげる前に今度はインスタントラーメンのスープを飲む快斗。結局、工藤邸に保管されていた冷凍食品や保存食の類はほとんどこの怪盗の胃袋に収まることとなった。
ジト目で快斗をにらむコナンに対し、彼の隣に座る哀が横目を向けて微笑む。
「別にいいじゃない。客人にこれだけ食べてもらえれば家主冥利に尽きるでしょう?」
「こいつは客人じゃねーけどな」
「じゃあ私のお客ってことにしておいて。別にいいじゃない、食べ物ならたくさんあるし」と、コナンの肩に手を置く哀。
「へーへー」
そんなふたりの様子を目にした快斗が、箸を掴んだままぽかんと固まる。
「つーかおめーら……本当に付き合ってんだな。まあ昔からなんとなく予感はしてたけどよ」
「まあ、色々あったのよ」と目を細める哀。
その魅力的な笑顔に快斗が「お、おう」と少し照れたような表情を浮かべると、コナンは青筋を立てて来客を睨みつけた。
「おめー、変なこと考えたらマジで完全犯罪で埋めるからな」
「オイオイ、おっかねーなオイ」
「ふふふ」
それから数分後、快斗は今さらのように腹を抑えて「うぷ……食いすぎたかも……」とゲップを漏らす。「いやしかしあとちょっとなんだから食い切らねーと……」
「無理すんなよ、残してもいいだろ」とスマホをいじりながら適当にぼやくコナン。彼にとってみれば、もともと消費期限が迫っていた保存食でこの極貧野郎の腹を満たせるならある意味好都合というわけだ。多少残されたところで怒るはずもない。
「何言ってやがる、食い物を粗末にするような奴は許せねーぞ! 最後の米粒まで綺麗に食うのが当たり前なんだよ!」
「なんで泥棒がそこでキレるんだよ……」
「……フン」
ようやく完食した快斗は、哀の指示通りすべてのゴミを片付け食器を洗うと、人が変わったように真剣な顔でリビングに舞い戻った。
「……さて、そろそろこれからの話をしねーとな」
「さっきからそうしたかったのにおめーがずっと食ってただけだろ……」
コナンのツッコミを無視して自分の話を続ける快斗。
「正直言って、オレには当てがねえ。さっきも言ったとおり、わかるのは"コレクター"っていう漠然とした単語だけだ。そいつがどこで何をしてるのか見当もつかねえ」
「顔も見てねーのか?」
「見ている……はずだ。だが思い出せねえ。無理に思い出そうとしても、まるで顔にぽっかり黒い穴が空いてるみたいなイメージしか浮かばねえ」
苦々しく首を横に振る快斗。顔の間で組まれた両手に力がこもる。
「まだ記憶がじゅうぶんに戻ってないってことかしらね」
「ああ、おそらく……」
「なにかきっかけがありゃ思い出せるんじゃねーか? たとえばおめーがそのコレクターと遭遇した場所に行ってみるとか」
「それがわかりゃあ苦労しねーよ」
コナンが身を前に乗り出す。
「じゃあ質問を変えるぜ。おめーの"時間"が飛ぶ前……」快斗の全身をくるくると指差す。「おめーが
「ああ、その可能性は確かにあると思ってた」
「思い出せるの?」
「……どうも、そのへんから既に記憶が曖昧なんだ。昔のニュース記事を見る限り、6年前にオレが最後に現れたのは名古屋の展示会だったみたいだが……それが本当にオレの最後の活動だったのか、どうにもはっきりしねえ。その後にも何かあったような、なかったような……」
「ニュースになってねえなんらかの出来事があって、そこで何かがあったってことか……」
行き止まり。しばしの沈黙が場を包む。次に口を開いたのは哀だった。
「ねえ、その頃のあなたはそもそもなんのために"怪盗キッド"をやってたの?」
「え?」
「灰原、なんの話だ?」
いぶかしむコナンに哀がクールな視線を向ける。
「当時のあなたが言ってたのよ。『キッドはもう、昔と同じ目的を持ってない気がする』って。かつての怪盗キッドはなにかを探していて、怪盗仕事はその目的のためにやっていることだった――でしょ? でも6年前の時点では、あなたに言わせれば彼はもうその目的を果たしていて、なのになぜか怪盗だけは続けていた。だから昔とは狙ってる宝の内容が変わったんだって」
淡々とした表情を快斗に向ける哀。
「合ってる?」
一瞬の沈黙。
「……ああ、そのとおりだ。当時のオレは、もうキッドとしての本来の目的を果たしたあとだった」
「……! そうか、そういや確かにそんな推理してたなオレ……!」
「おめーらにその本来の目的について話す気はねーが、とにかくオレにはもともと探し物があったんだ。"怪盗キッド"自体がその探し物のためにやってたことだった。それを果たしたあとはすぐに引退するつもりだった。けど……」
言い淀む快斗。わずかだけ頬が赤らみ、視線が泳ぐ。
哀がその沈黙に割って入る。
「当時の工藤くんの推理をそのまま言うわね。6年前のあなたは悪いやつらから宝を盗んで本来の持ち主に返す、義賊みたいなことをしてたんじゃない?」
「……まあ、大きく外れてはねーよ」天井を見上げる快斗。「かーっ、口にすると恥ずかしいなこれマジで!」
コナンは「そういや言ったなあそんなこと……」とひとりノスタルジーにひたっていた。哀はそのまま話を続ける。
「つまり、あなたにとっての"最後の事件"もまた、その義賊的活動の一環だった……そう考えてもおかしくないってことよね?」
「……確かに……」
手を顎にそえて考え込む快斗。ややあってその目が見開かれる。
「そうか……! 思い出した……!」
「!」
コナンと哀が同時に身を乗り出す。
「異常な利子を付けて担保の美術品をぶんどっていたあくどい金貸し……! オレの"最後の記憶"は奴の屋敷だ……!」
ニヤリ、コナンの口端が釣り上がる。
「目的地が決まったみてーだな」
「ああ」
街中から外れた夜の闇をヘッドライトが照らす。雨上がりの地面に水が跳ねる。
少々時代がかった重厚なクラシックカーのハンドルを握っているのは快斗だった。無骨なシルエットと細部の流麗な曲線とが同居するその車は、他ならぬ工藤家の持ち物だ。
「探偵ってのはこういう古臭せえ車に乗る義務でもあんのか?」と眉をひそめる快斗。
「買ったのは彼のお父さんじゃないかしら、小説家の」
あくび混じりの返答。
「ああ、工藤優作ね。いや、あの人の時代でも余裕で骨董品だったと思うが……」
助手席でまなこをこすっているのは哀だ。コナンはというと、後部座席で寝息を立てていた。早朝から頭脳をフル回転させていたことを思えば致し方ないことだろう。「夜中に行動するなら順番に睡眠を取った方がいい」という哀の進言を、人一倍我の強い探偵と怪盗はそろって素直に受け入れた。
ちなみに、快斗は今コナンの服を借りて動きやすい服装に着替えている。なんの因果か、とにかくサイズがぴったりなので、コナンにぶつくさ文句を言われながらもいとも簡単に着替えることができたのだ。
(……それにしても、こうして工藤くんの服を着てると、メガネとこめかみの火傷痕がない以外はほとんど同一人物にしか見えないわね……。他人の空似で片付けるにはいくらなんでも……)
哀の思考を遮ったのは快斗の疑問文だ。
「……で、なんでオレと
バックミラーに映る呑気な寝顔を一瞥し、助手席に黒目だけを向けて快斗がつぶやく。その声のトーンは低く抑えられていた。
哀は腕を組みながら薄く微笑みを浮かべ、運転席をちらりと見てすぐに正面を向き直す。
「あなたの本当のことを知るためよ。彼はなんだかんだであなたを信じてるから、粗探しなら私の方が適職。それに、私はあなたに逆恨みもあることだし」
哀の口元がわずかに意地悪く歪む。
「逆恨み……?」
「こっちの話よ、気にしないで。私があなたに聞きたいことはひとつ。……あなたは本心ではどうしたいと思ってる? もしも、そのコレクターを見つけたら?」
「殺す」
一切の迷いなき断定。前を向いたまま首さえ動かさない。その言葉は強く、短い。
それを聞いた哀はといえば、予想通りと言わんばかりの落ち着きぶりだった。
「"殺す"。彼なら認めないでしょうね」
「
「彼が止めたら?」
後部座席に顔を向ける哀。安らかに寝息を立てる恋人の顔を見て、彼女のクールな美貌にやわらかな笑みが浮かぶ。
「……オレの邪魔をするなら、その時は力づくででも排除するさ」
「わかったわ。本音で話してくれてありがとう」
「……オレを非難しねえのか?」
あまりにあっさりとしたリアクションに、あっけに取られる快斗。
「私はあなたの本心が聞きたかっただけよ。下手な嘘をつかれなくてかえって安心したわ」
「やれやれ、なんで探偵があんたに惚れたのかちょっとわかってきたぜ」
苦笑する快斗。
「ただ……」
「ただ?」
哀の瞳が、初めてまっすぐに快斗を捉える。
「お節介とはわかってるけど、一言だけ。あなたの本当のゴールは、青子さんのところに帰ることよ。それ以外はすべて枝葉。……それだけは覚えておいて」
「……ああ」
ハンドルを握る手に力がこもる。闇夜の中で、ヘッドライトは狭く先の見えない道路のすぐ目先だけを朗々と照らしていた。