月下の帰還者〈リターナー〉   作:ヘイドラ

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13 来週、またここで

(障子の穴には高さがあった。狙撃位置はもっと高い場所……外の塀の上からか!)

 

 コナンは快斗とともに逃走しながら思考を走らせていた。天沼の屋敷は防犯を考慮してか、迷路のように入り組んでいる。その暗い通路を走りつつ、耳元のインカムに向けて叫びを上げる。

 

「灰原! さっきオレ達がいた寝室の外、塀の上に狙撃手がいる!」

 

 即座に帰ってきたのは困惑の声色。

 

『狙撃手ってどういうこと!?』

「いるんだよ狙撃手が! 今そいつから逃げてる!」

『……あなたの行くところ事件ばっかりね!』

「ちげーよ、事件がオレを」

『はいはい、事件があなたを呼んでるんでしょ! 言っとくけど、私はあなたの死体は拾わないから!』

 

 ニヤリ、口端を釣り上げるコナン。

 

「……とにかくすぐにそっちに行く!」

 

 一方的に通信を切るコナン。直後、通路の横の部屋から何かを感じ取る。障子の向こう、誰かがいる。

 

(……殺気!)

 

 体がそれに反応するにはあまりに一瞬の出来事だった。障子戸が弾け飛ぶと同時に何者かが中から現れ、コナンに激突したのだ。

 

「がはっ……!」

「探偵!」

 

 快斗が叫ぶ。彼の目の前で、コナンは右側から飛び出してきた何者かに巻き込まれ、その勢いのまま反対側の障子戸を突き破る。

 もつれるように左手の部屋に飛び込んでいったコナンと襲撃者。快斗が部屋に駆け込んだとき、襲撃者はコナンに馬乗りになって左手で首を掴み、右手に刃物を掲げていた。

 

(やべえ!!)

 

 考えるより先に体が動く。全体重を乗せた飛び蹴り。脇腹に命中し、全身を吹き飛ばす。

 

(硬い手応え……! 防護服か!)

 

 畳に転がった襲撃者がただちに立ち上がる。細身の全身を機能的な黒衣に包み、黒いマスクが顔の大半を覆う。目の周りだけが唯一露出しており、その氷のように冷たい眼光が快斗を刺す。

 ゾクリ、背筋に寒気が走る――

 いや、寒気だけではない。心臓が不規則に脈打ち、呼吸が乱雑に乱れる。奇妙な感覚、それはまるで――

 

既視感(デジャブ)

 

 その言葉が、不意に快斗の胸中に浮かんで消えた。

 一瞬の硬直のさなか、まともに思考を働かせるより前に頭部が横に吹っ飛んでいた。

 

「キッドっ!」

 

 コナンは叫びながら既に左手を構えていた。漆黒の襲撃者によって頭を蹴り飛ばされた快斗をかばうのではなく、腕時計の照準を敵に向けていたのだ。コンマ数秒後に針が放たれ――

 

「――!!」

 

 いない。

 針が空を切り、後方の壁に突き刺さる。

 一瞬の早業。黒衣が暗闇に溶け、視界から消失する。

 

(どこだ!?)

 

 コナンが目を凝らしたのはほんのわずかな間だけだった。闇に紛れた敵を見つけるより先に、みぞおちに(かかと)がめり込んでいた。

 

「がはっ……!!」

 

 後方に吹き飛び、通路の床板に背中を打ちつけるコナン。腹を抑え、即座に姿勢をうつ伏せに変え、地を這うようにその場を離脱する。

 

「……ゴホ、ゴホッ……! キッド、ここは退くしかねえ! 分散するぞ!!」

 

 敵は間違いなく暗闇での戦闘に慣れている。今この場では勝ち目ゼロと瞬時に結論し、脇目も振らず駆け出すコナン。とにかく逃げ延び、あとで合流する以外に活路はない。それが彼の頭脳が叩き出した冷徹な結論だ。

 

 コナンが去った直後、快斗は頭を押さえてふらふらと立ち上がった。敵の気配は既にないが、蹴りのダメージでまだ体がふらついている。

 脳裏に浮かぶのは蹴られる直前に目にしたもの――氷の眼光。

 

(あの目をどこで見た……? オレは知っている……間違いなく知っているはずだ……!)

 

 壁についた手を支えとしつつ、手探りで壁を伝って照明のスイッチを押す。

 

「……! ここは……」

 

 快斗は立ちすくんだ。

 既視感(デジャブ)が再び。

 だが今度は不可解なそれではない。自分は確かに、この部屋を知っている。この広さ、この間取り、骨董品の家具、漆鞘の日本刀――そして、壁際のガラスケースに飾られたオブジェのことも。

 

「……バロックパール」

 

 一般的な丸いものとは異なる、いびつな形状の真珠。通常は高い価値のあるものではないが、ここに飾られているような特別な大粒となれば話は別だ。宝石店ではなく博物館が似合うほどの重量と存在感。快斗はこの真珠のことを知っている。とてもよく知っている。なぜなら――

 

「オレが……狙った獲物」

 

 意識とは無関係に声が漏れた。

 6年前。怪盗キッド"最後の仕事"、そのターゲット。

 快斗は今や呆然と立ちすくみ、目の前の鈍く輝く生体鉱物に魂を囚われていた――いや、真珠(それ)そのものに囚われたのではない。それは単なるトリガーにすぎない。

 目が見開かれ、息が止まる。

 足元から重力が消える。

 濁流のように、奔流のように、溢れ始めた記憶の荒波によって、彼の心はここでないどこかに飛んでいた。

 ――過去へと。

 

 

 



 

 

 

 6年前。

 快斗は――怪盗キッドは、真夜中の路地裏の陰から、ある若者の背中を見つめていた。若者は路地の真ん中で片膝をつき、神に祈るように夜空を見上げて静かに叫んでいた。

 

「あの男……天沼は、そうやって父の形見を奪ったのです。ああどうか、この声があなたに届いているなら、どうかあの欲深い男からあの真珠を奪い返してください」

 

 キッドは決してその若者の前に姿を見せなかった。それが彼のやり方だ。義賊としての活動に専念するようになっていた当時の彼は、時おりこんなふうに"依頼"を受けることがあった。

 理不尽な理由で資産を奪われ苦しんでいる人間を見つけだし、時には自分からコンタクトを取って盗むべき対象とこれまでの経緯を聞き出す。そしてきちんと裏を取ったうえで、正当な望みであればそれを叶える――もちろん、無料(タダ)でとはいかないが。

 それが怪盗キッドの新しい生業となっていた。

 

「あんたの宝、オレが取り戻してやるぜ」

 

 キッドの言葉が路地の暗闇に響く。反響のおかげでその声の出所はわからない。若者は涙をにじませ、天を見上げて感謝の言葉を繰り返した。

 

 

 

 その翌日。

 キッドは――より正しく言えば快斗は――、白い椅子に座り、午後の柔らかい海風を受けながら水平線を見つめていた。穏やかな時間、絶品のエスプレッソとスイーツ。そして、そばには最愛の人。

 青子は丸テーブルを挟んだ向かい側の席で、快斗と同じ水平線を見つめ微笑んでいた。

 

「ほんとに綺麗だね」

「ああ……ここに来てよかったな」

「……うん」

 

 先日オープンしたばかりの海辺カフェのテラス席で、快斗と青子はテーブルを囲んでいた。

 

「日によっちゃあ、あのアーチの中に月が沈むのを見れるんだろ? こりゃあ人気出るよな」

「……そうだね」

 

 どこか浮かない声色。快斗は眉をひそめて恋人を見つめた。

 

「……で、話ってなんなんだ?」

 

 大事な話があると言って快斗を今日のデートに誘ったのは青子だ。しかし当の彼女はといえば先ほどから目を泳がせてばかり。どうも何かを話そうとして躊躇しているらしい。

 

(それにしても、今日の青子……)

 

 海風に髪がそよぎ、やわらかな日差しに照らされ瞳や唇がきらきらと光沢を放つ。心なしか、普段よりも化粧や服装にもずいぶん気合が入っているようにも見える。まるで先日の誕生日ディナーのときのよう――あるいはそれ以上かもしれない。

 

(ああくそ! なんかいつも以上に可愛すぎるっつーの! なんでこんなに可愛いんだよ!!)

 

 謎の怒りで髪をかきむしる快斗。しかし青子は彼氏のそんな様子には気づかず、しばらくうつむいたままだった。

 そしてようやく、ようやくその小さな口が開いた。

 

「……あのね、あたし……できちゃったみたい」

「……へ?」

 

 頬を赤らめながらお腹をさする青子。

 いくつものハテナが快斗の頭に浮かぶ。じわじわと、何度もその言葉が頭の中でリフレインする。

 たっぷりと無駄な時間をかけ、雷に打たれたように快斗は立ち上がった。

 

「ええええええっっっ!?!?!?」

 

 周囲の他の客からの視線が注がれ、快斗は顔を赤らめてコホンと咳払いし席につき直す。青子はうつむいたまま、おそるおそる上目で彼を見つめていた。

 

「……嫌なの?」

 

 快斗がブンブンと首を横に振る。

 

「なに言ってんだよ、そんなわけねーだろ! ……やっぱ、あの時か?」

 

 コクリ。小さくうなずく青子。

 

「……うん、あの誕生日の日だと思う」

「……そうかあ~……」

 

 背もたれにもたれかかり、青空を仰ぐ。白い雲、鳥の声、優しい風。快斗はしばらく空を見つめ、それから目いっぱいの笑顔で最愛の人に向き直った。海の光沢にも負けないぐらいに白い歯を輝かせながら。

 

「へへっ、おじさんにぶん殴られる覚悟ぐらいは決めとかねーとな」

「快斗……」

 

 瞳をうるませ、今にも泣き出しそうな青子。しかしその表情からは安堵と喜びが溢れている。

 

「ったく、なんでそんなに言いにくそうにしてたんだよ。オレが嫌がるわけねーだろ?」

 

 青子の肩に手を置き、努めて明るく振る舞う快斗。だけど青子はとうとう泣き出してしまった。

 

「だって、だってえ……」

「……ったくよ……」

 

 愛する人の頭を撫でながら、もうひとつの思いが快斗の胸に去来する。それは以前からずっと考え、何度も迷い、結局は後回しにしてきたことだった。

 もしもこのマントを脱ぎ捨てたら、オレに一体何が残る? 自分だけでは出せなかったその問いの答えが、ようやくわかった。

 

(……これが、潮時ってことなんだろうな)

 

 これ以上の区切りはない。心からそう思えた。

 ここが、旅の終わりだ。

 

「……あのさ、青子」

 

 優しい声。青子が頭を上げ、快斗の目を見つめる。

 

「……なに?」

「最後にひとつ、どうしても片付けなきゃいけない用事があるんだ。それが済んだら、今度はオレの方からオメーに大切な話をしたい。だから……来週、またここで会おう」

 

 ひとつ、呼吸を置く。そして今一度彼女の目を見つめ、まっすぐに微笑む。

 

「この、"月が沈む舞台"で……な」

「……うん」

 

 目尻に水滴を残しながら青子は微笑んだ。

 

「待ってるよ、快斗」

「ああ」

 

 快斗はうなずいた。

 幸せな、幸せなひととき。

 

 これが長い別離の始まりであることに、まだ誰も気づいてはいなかった。

 

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