「小夜子さんが……コレクター!?」
山奥の豪邸に住む、気品ある老婆。高名な美術収集家。少年探偵団にキッドからの警備を依頼したクライアント。それがコナンの知る村雲小夜子だ。そして今目の前にいる
目を見開いたまま動きの取れないコナンに対し、快斗が視線を送る。
「知らない名前じゃねえって反応だな、探偵」
「……ああ……。こないだ
「……なるほど、あのギャラリーの持ち主か……」
得物を持っていない左手で自身のこめかみを指差す快斗。ギャラリーにて、コナンの蹴り飛ばした彫刻を喰らった箇所だ。
「あのときの一発、今でもちょっと痛むぜ。まあおかげで正気を取り戻せたんだ、恨んじゃいねーがな」
桔梗は快斗に氷の視線を向けたまま、その場にじっと立ち止まったままだ。
「あんたもあそこにいただろ? メイド忍者さんよ」
快斗は桔梗に向けて薄い笑みを浮かべる。彼の言うとおり、"人形のキッド"が襲撃してきたギャラリーにおいて、コナンや哀とともにメイン展示室にいたのがメイド姿の桔梗だったのだ。
「あのとき……記憶が混乱していたオレは、あんたが"6年前の狙撃手"と同じヤツだと直感した。だからその瞬間に、ここは逃げるしかねえって判断したんだ。あいにくそのあともっと頭がぐちゃぐちゃになって、そこで見たものさえ思い出せなくなっちまってたがな」
右手を掲げる快斗。握られているのは鈍い輝きを放つ日本刀だ。桔梗に向けられた切っ先が刃のごとき視線と交錯する。
「あんたをとっ捕まえて、すべて吐かせる。その情報で
桔梗は無言のまま指一本動かさない。その冷徹な視線もまた、快斗を射抜いたまま微動だにしない。
その様子を傍で見ていたコナンの脳裏に警報が響く。
(無茶すんなキッド、素人剣術で勝てる相手じゃねーぞ!?)
いや、あるいは勝機はあるかもしれない。ここは漆黒の闇ではなく、薄い月明かりぐらいなら届いている。この開けた場所で挟み撃ちならばあるいは。
――だが次の瞬間、桔梗は闇に
反応の遅れた快斗に向けてコナンが叫ぶ。
「伏せろっっ!!!」
「っ!?!?」
反射的に身をかがめた快斗の頭上を短刀がかすめる。正面からではなく、右側面からの奇襲。ついさっきまで目の前にいた相手に、次の瞬間には
「くそっ……!」
思わず日本刀を投げつける快斗だが、それも虚しく空を切る。再び消える。どこにもいない。物音ひとつない。
「透明人間にでもなれるのかよこいつ……!」
「闇夜での戦い方を知り尽くしてんだよ!! ここでやり合っても死ぬだけだ!! 逃げるぞ!!」
「くそったれ……!」
コナンとともに正門にへと走る快斗。だが直後、背中に激痛が走る。刃物の痛み。
「ぐあっ……!」
「キッド!」
苦悶の表情とともに左肩を押さえる快斗。だがその足は止まらない。コナンとともに正門を抜け、道路に出る。
真夜中の静寂。動くものはなにもない。
快斗が愕然の面持ちを浮かべる。
「車は……!?」
車とともに待機しているはずの哀がいない。
「おめーの彼女は作戦わかってんのかよ!?」
「バーロ、灰原はヘマしねーよ!」
次の瞬間、鈍い振動とともにクラシックカーが目の前に現れる。錆びついたブレーキ音。開きっぱなしのサイドガラスから覗く哀の決死の表情。
「早く乗って!!」
「サンキュー灰原! なっ、言ったとおりだろ?」
「ノロケはあとにしろっ」
コナンが助手席に、快斗が後部座席にそれぞれ超特急で乗り込む。ドアを閉めきるよりも早く哀が全力でアクセルを踏み、急加速する。
「で、何がわかったの!?」
ハンドルを握りしめながら助手席に横目を送る哀。
「狙撃手は桔梗さんだった。黒幕は村雲小夜子だ」
「……それって、あなた流のジョーク?」
「ぜひそうであってほしいもんだぜ」
苦笑いを浮かべるコナン。
車内の空気が弛緩したその直後、フロントガラス前のボンネットに衝撃が走る。
「「!!!」」
桔梗。
彼女が車上に
「……!!」
「灰原、アクセルを踏めっ!!!!」
即座に助手席のドアを開け身を乗り出すコナン。手段を選んでいる暇はない。迷いもない。
車が急加速し、桔梗の体勢が一瞬崩れる。銃はなお構えられたままだ。
コナンは左腕を構え、照準を合わせるより早く腕時計の麻酔銃を放った。
直後、桔梗の体がゆっくりと崩れ、銃を握ったままボンネットから振り落とされ落下していった。
車は直線を突き進み、後方にどさりという鈍い音だけが置き去りとなった。闇夜に、再び沈黙が戻る。
「はあ、はあっ……!」
哀の顔面は真っ青に染まり、肺が張り裂けんばかりに息を荒げていた。それでもなお、ハンドルを握る手を離してはいない。
コナンはサイドドアを閉めて助手席に戻り、恋人の肩に手を置いた。
「よくやった灰原、もう大丈夫だ」
「え、ええ……」
少し息を沈め、冷たい汗を浮かべながら微笑む哀。コナンも彼女に微笑み返し、肩に置いた手をぎゅっと握った。
しばしの沈黙を破ったのは、血のにじむ左肩を押さえたままの快斗だ。
「……死んだのか?」
後部座席でリアガラスに顔を向ける快斗だが、この暗闇では後方の様子はうかがえない。コナンは前方に向き直り、腕を組んでつぶやいた。
「……一瞬、あの人が受け身を取って転がるのが見えた。たぶん意識が完全に落ちる前の本能的な行動だ。常人の技じゃねーよ」
「……おめーにとっては、運が良かったな」
コナンは深く息を吐いた。安堵。不安。すべてがないまぜになった吐息。
状況を鑑みれば、たとえ桔梗があれで死んでしまったとしてもそれは正当防衛だ。だからといって他者の死を願うこともできない。たとえそれが恐ろしい敵であっても。
その複雑な気持ちを細かに言葉にする余裕は、今の彼にはなかった。
「まあな……」
車内に静寂が戻る。
やがて車は長い一本道を抜け、遠く離れた郊外のロードサイドレストランの駐車場に入り、建物の陰になっている位置に停まった。
しばらく追手が来ないことを確認したコナンが後部座席に身を乗り出す。
「キッド。おめーが思い出したこと、全部話してくれ」
「ああ……」
快斗は車から出て駐車場のブロックに腰を下ろした。黙りこくって冷たい夜風に当てられながら、やがて快斗はおずおずと口を開いた。
彼は話した。
キッドとしての最後の仕事と決めた日に襲撃を受けたこと。青子を人質に取られ、降伏し、電話で彼女に別れを告げたこと。
そうやってコレクターの牢獄に閉じ込められた彼が、何年もの間過酷な洗脳措置を受けてきたこと。
措置のたびに彼の自我は薄れ、朦朧とする意識で再び手錠に繋がれ牢獄にへと戻された。何年も何年もそれが続いた。
やがてとうとう彼は単なる人形となり、コレクターの指示するままにいくつもの事件を起こしてきた。それらの事件の詳細については、今もなおほとんど思い出すことができない。"人形のキッド"の空虚な頭脳において、彼の自我ははるか闇の底に閉じ込められていたのだから。
あの日、あのギャラリーでコナンの一撃によって呪いを壊されたそのときまで――
「……そんな、ことが……」
哀の表情は蒼白となっていた。コナンは真一文字に口を結んでいた。夜風が彼らを冷たく撫でていた。
快斗は腰を下ろしたままうなだれ、声を振り絞るように言葉を続けた。
「オレはあの日、すべてを失った。それを取り戻すためにはオレ自身が奴の息の根を止めるしかねえ……」
「……黒幕の正体はわかったんだ。警察に言えばそれで解決するだろ?」
顔を上げ、皮肉っぽく眉をひそめる快斗。
「警察になんて言うんだ? 人の家に不法侵入したらメイド忍者に襲われました、そいつの主人は怪盗キッドを操っていた黒幕ですって? さぞかし上手くいくだろうよ」
「……動かぬ証拠がないと無理でしょうね」と哀。
コナンが髪をかきむしる。
「ああわかってるよ! ……ああくそ、やっぱりあの屋敷に忍び込むしかねーのか……」
しかしそれを聞いた快斗はなぜか肩を落とす。
「……さっきの無様なやられ方で思い知っちまったよ。"怪盗キッド"に戻りきれてねえ今のオレじゃあ、あのメイドにもコレクターにもまるで歯が立たねえ」
「……? 諦めるのか?」
「なわけねーだろバーカ」快斗の声のトーンが突然上がる。「戦うからには準備が必要だっつってんだよ。それに……」
立ち上がって顔を上げ、コナンから借りた服の布地をつまむ快斗。
「この格好じゃあ、怪盗キッドは名乗れねーだろ?」
白い歯が燦々と輝く。彼がこんな無邪気な笑顔を浮かべたのは、はたしてどれほど久しぶりなのだろうか。
コナンと哀は、同じリズムで目をパチクリとさせた。