暗闇の戦い。
姿の見えない敵。
こういう類の戦いにさっぱり向いていない強者がいるとしたら、それは元太だ。
今、彼の拳は数え切れないほど繰り返し空を切っていた。
「おらあっっ!!!」
破れかぶれの大振りアッパーカット。当たらない。当たるわけがない。元太は歩美のようには夜目が利かないし、気配を読んだり音で行動を把握したりもできない。疾さも欠けている。遅く、重い。巨体もパワーも、当たらなければ用を成さない。
バチン。
横から殴られ、顔面が弾ける。見えない攻撃は効く。たとえパワーが自分より明らかに弱いとしても。
「くそったれ!!」
殴った相手がいたはずの場所に殴り返す。だが遅い。敵はもうそこにはいない。徹底したヒットアンドアウェイ。男らしさのかけらもない、暗闇からのなぶり殺し戦術。
背中、激痛。背後から腰を殴られた。衝撃で体が反り返る。
「……!」
そしてかすかに聞こえる複数の足音。
(そのうえこいつら、絶対に1人じゃねえ……。2人……3人……? それもわからねえ……。クソッ、見えねえってこんなに厳しいのかよ……!)
ひとつひとつは軽くとも、見えない打撃を何発も喰らえばやがて芯に効いてくる。元太の脚は徐々に力を失いつつあった。口からは血の匂い、鉄の味。
さあどうする。
この状況で、見えない敵に、オレに一体何ができる?
(違う、そうじゃねえ……!)
何ができるか、ではない。何をやりたいか、でさえない。何をやらなければいけないか、だ。
(どいつもこいつも……頭がいいくせに馬鹿ばっかりだからよ……)
拳を握る。歯を食いしばり、全身に力を込める。
みぞおちへの衝撃。おそらくは前蹴りの一撃。上体が折れ曲がり、膝が崩れ落ちかける――だが、倒れない。絶対に倒れない。
(オレが壁にならねえと……あいつらだけじゃあ、事件の解決なんてできやしねえじゃねえかっ!)
探偵団で、自分が一番の馬鹿ということぐらい、大昔からわかっている。
それでも元太は団長を名乗った。
団長ってなんだ?
守ることだ。
壁になり、鎧になり、団員を守る。
団員同士が険悪になったなら、そのときはガハハと笑って背中を叩き、団結を守る。
一番お気楽で、一番頑丈で、一番あきらめが悪い。
それが――団長だ。
(そうだぜ、簡単なことじゃねえか)
血の垂れる口端を釣り上げ、元太は笑った。
だがその足取りは力なく、ふらふらと後退していく。
背中に壁。もうこれ以上後ろはない。
そして――自ら膝をついた。
正座。
背筋を伸ばす。闇の中で、何も見えない前だけをまっすぐに見る。
啖呵を切る。口の血が飛ぶ。
「来いや、おらあっっっ!!!」
壁が震えんばかりの、全力の大声。
元太は動かない。正座のまま、ただまっすぐに前だけを見ている。
来る。
攻撃が来る。
気配を読めずとも、それぐらいはわかった。
そして、
顔面が弾け飛んだ。
グシャッ
鈍い音が響き渡る。
顔が天井を向き、背中が壁にぶつかる。
しかしその時――その右手には、
血まみれの顔面が笑う。
「やっと……! 捕まえたぜ!!」
右手が握るこの感触、見えずともわかる。
足首。
蹴り込まれると同時に、元太は敵の脚を掴んだのだ。
「そりゃあそうだよな……。正座して喧嘩売ってくる相手なんざ、正面から蹴り倒したくなるに決まってんだよ……!」
そのために壁を背にした。
本能が辿りついた、たったひとつの冴えたやり方。
「ぐあっ……!」
初めて聞こえた、敵の声。苦痛の声。
骨を軋ませんばかりの元太の握力。絶対に離さない。離すわけがない。
掴んだまま、立ち上がる。
敵を引きずる。
そして、左手を添え、持ち上げる。体が、宙に浮く。
「オレだってたまには、
獣の笑み。
そして、思い切り、振り回した。
「おおらああああ!!!」
人間を、ハンマーのようにフルスイング。技とは呼べない力業。
鈍い衝撃が手に伝わる。
「ひいっ……!」
その方向に踏み出す。全力で、全身をバネにブン投げる。
「がはっ……!」
投げた人体がもう1人にぶつかり、まとめて吹っ飛んでいく。
その場に立ち止まり、肩で息をする元太。さすがに疲労もダメージも並ではない。
耳を澄ます――もう何も聞こえない。
「っっふう~っ……」
どさり、腰を落としてあぐらをかく。アドレナリンが静まると、痛みと疲れがどっと湧き出してくる。ついでに勝利の余韻じみた気持ちがもたげてきたのを、首を振って振り払う。
まだまだ事件解決にはほど遠い。ほんの少しだけ休息を取って、すぐに上に行かなければならない――なぜなら、オレは団長だから。
見えない天井を見上げる。
(それまであっさり負けんじゃねーぞ、おめーら……!)
認証ロックを開けた先には長い通路。その通路の両脇にはサーバー室への入口もある。だがコナン、哀、園子、光彦の4人が目指すゴールは通路の終点だけだ。
最奥部のドアの横にあるもうひとつの認証ロックを、園子が今度は網膜スキャンによって解除した。
4人は自動ドアが左右に開いていく前に、壁の後ろに隠れた。向こう側から攻撃を受けることに備えてのことだ。
しかし攻撃はなかった。
なんの気配も音もなかった。
おそるおそる覗きこんでみると、そこに敵はいなかった。
コントロールルーム。天井高が高く、2層吹き抜けに近い広々とした構造になっている。久しぶりにまともな照明のついた部屋で彼らが見たものは、部屋一面の無機質なコンピュータや無数のモニター類。そして、片隅でまとめて倒れている男たちだった。
「皆さん!」
園子が倒れている数人のもとに駆け寄る。呼吸を確認する――全員生きている。ただ気絶しているだけだ。
「園子姉ちゃん、その人たちって」
「ええ、ここの本来の職員さんたちよ。よかった、命までは奪われてないみたい」
安堵の息を漏らす園子の後ろで、哀が周囲を見渡して首をひねる。
「けど、それじゃあここを占拠した人たちはどこに……?」
「さあな……。それより光彦! 今のうちにそこの端末でビルの管理システムを奪回できるか!?」
「あ、そうか! とにかくやってみます!」
光彦はメイン端末らしきコンピュータの前のチェアに座り、高速でキーを叩き始めた。
そのとき。
コナンたちが入ってきたメイン出入口とは別の自動ドアが開く。
そこに立つ、満足げに微笑む老婦人。
「見事ね、園子さん。こんなに早くここまでたどり着くなんて」
「小夜子さん!」
すぐさま立ち上がる園子。つい先刻には親しく挨拶を交わした招待客を、険しい表情でにらむ。
「……この騒ぎは、一体なんなんですか。パーティーの余興には度が過ぎてると思いますよ」
握りしめた拳に手汗がにじむ。努めて冷静さを保ったまま語気を強める園子だが、小夜子は眉ひとつ動かさない。ただ悠然と笑みを浮かべたままだ。
「嬉しいわ。あなたが本当に優秀でしかも気骨あるお嬢さんで。あなたこそが鈴木財閥の未来……。私の目に狂いはなかったようね」
「……全ッッッ然、おっしゃる意味がわかりません!」
身を乗り出そうとする園子。だが、一歩前に出たコナンが伸ばした腕に静止される。眼鏡越しの探偵の眼光が、余裕綽々の老婦人を刺す。
「ごめん、園子姉ちゃん。確証もないうちに話したら無意味に混乱させてしまうだけと思って黙ってたけど……。でもどうやら、もう本人に尋ねる必要もないみたいだ」
「……?」
「この人の本当の狙いは、ムーンクラウンみたいな美術品を奪うことでも、このビルを占拠することでもない。……園子姉ちゃんだよ」
「!?」
目を丸くする園子。一方の小夜子はまるで動じず微笑を浮かべたままだ。
「なにそれ、どういうこと!?」
「あの装置で園子姉ちゃんを洗脳し支配すれば、それは鈴木財閥を陰から操る第一歩になる。……そういうことでしょう?」
「ふふっ」
肩をすくめる小夜子。
「さすがは名探偵さんね。あなたもまた、私が欲する才能の一人。……少々、おいたが過ぎるようだけど」
「探偵ってのは美術収集家ほどお上品な職業じゃないんでね」
「あらそう」
「いやいや、洗脳ってナニ!? そんな漫画みたいな話あるわけが……」
「あるんだよ。小夜子さんにはそれができる。キッドを支配しているのもその装置のおかげってわけさ」
「……!!」
「そんなことをして何になるのかってのはオレもわからないけどね。いい年こいて欲の皮の突っ張ったお婆さんだよ。どうして余生を静かに過ごそうとしないのやら……」
小馬鹿にしたように肩をすくめるコナンの仕草に対し、小夜子は笑みを消して汚いものを見る目を向ける。
「わかった風な口を利くのはおよしなさい。かつて私が受けた屈辱……あの屈辱は何十年経とうとも消え去るものではない。だからすべてを取り戻すのよ」
「なるほど……。やっぱり、昔鈴木財閥のおかげで村雲家自体が救われたのを根に持ってるってわけだ。助けてもらったのに感謝どころか逆恨みだなんて、品位に欠けるとは思いませんか?」
「あら、問答をしている余裕があなたにあるかしら? 今こうしている間にも、あなたのお仲間のお嬢さんは全身を切り刻まれている。私の、最初の傑作によってね」
その言葉を聞いた瞬間、哀の表情が凍る。
「!!! まさか、歩美が足止めした相手って……!」
「ええ、桔梗よ」
「……!」
瞬間、息を呑む哀。そしてすかさず踵を返して走り出す。
「灰原!」
「江戸川くん、私は歩美のところに戻るわ!」
「死ぬなよ……!」
「それはお互いさま!」
全力疾走で部屋から飛び出していく哀を、小夜子はあきれたように見送った。
「あらあら、また犠牲者が増えてしまいそうね」
「そうでもないですよ」
コナンが口端を釣り上げる。
「恋人が命を捨てに行ったというのに、ずいぶんと余裕だこと」
「あいつが死ぬのは何十年も先の話で、その時はオレと一緒だと決まってますから」
「お熱いこと……」
鼻で笑う小夜子。
次に仕掛けたのはコナンだった。腕時計型麻酔銃。パチリと照準を立て、眉間に狙いを定める。
「続きは刑務所で話しましょう」
小夜子は動じない。
彼女の背後のドアは、開いたままだった。
その奥から、何かが飛び出した。
「!!!」
白い何かが宙を舞い、コナンに急接近して体を掴んだ。
白い服、白いグライダー……。
「くっ……!!」
「コナンくん! それにキッド様……!」
園子が叫ぶ。
天井高の高いコントロールルームで、キッドがコナンを巻き込んで宙を飛ぶ。この部屋は2階の高さで、上空通路に面したガラス越しに隣室と繋がっていた。そのガラスを勢いでぶち破ってキッドが飛び出ていく。
「キッド様が、コナンくんを……!」
その喧騒の間にも、光彦は一心不乱にキーボードを叩き続けていた。しかし彼の額には冷たい汗が浮かんでいる。
手強い。
システムは上書きされ、敵の手による防護壁が張られていた。さしもの光彦も、数分で突破できるほど甘くはなかった。
「困りましたね……。残ったのは僕と園子さんだけというわけですか……」
無数のウィンドウがひしめくモニターから視線を外すことなく、苦し紛れの笑みを浮かべる光彦。
程なくして、光彦と園子は小夜子の手駒によって囲まれていた。
「……あともう少しだと思うんですけどねえ……」
背中に銃口が押し当てられる感触。さしもの光彦も両手を挙げる。
「無駄なあがきはやめなさい。それが