月下の帰還者〈リターナー〉   作:ヘイドラ

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23 声〈ボイス〉

「……これでよし」

 

 哀が微笑むと、歩美も笑みを返しうなずいた。2人は認証ドアを抜けた先、コントロールルームへ続く通路の片隅で向き合って座っていた。彼らが認証ドアを通れた理由は実に単純だ。哀が内側からロックを開けてドアを開いたあと、自分の靴を挟んでドアが閉じるのを妨害していたというわけだ。

 「物騒な事態」に備えてポケットに忍ばせていた絆創膏と包帯を、歩美の傷口に。しょせんは応急処置レベルでも、何もしないのとは天地の差がある。

 

「すっごく楽になったよ! ありがとう、哀ちゃん♪」

「……でもこれ以上の無茶はさせられないわ。あなたはもうここで休んでて」

「んーん。そんなことできないよ」

 

 歩美が首を横に振る。わかりきっていた答えに、哀の胸が痛む。この子は、いつだってこうだ。仲間のためなら自分が傷つくことなんて意に介さない。こんな細腕で……。

 哀は歩美の怪我していない方の肩に手を置き、ぎゅっと力を込めた。

 

「……あとは、私がなんとかするから」

 

 ポケットからまた何かを取り出す哀。手のひらに収まる黒い四角。小型のスタンガンだ。

 

「こんな小さな武器で何ができるか、自信はないけどきっとなんとかなるわ。……なんだか変な気分。あなた達のおかげで、私まで根拠のない楽観主義になっちゃったみたい」

「あはは! そうかもね」

 

 緩んだ空気が流れた次の瞬間。

 遠くで扉が勢いよく開く音、隠密さのかけらもない、けたたましい足音、そして叫び声。

 

「おらあああああああああ!!!」

 

 ゴツい影が、どんどんデカくなって2人に迫った。

 

「元太くん?」

 

 歩美の言葉に、影の動きがぴたりと止まる。

 

「……ん?」

 

 その両手は歩美を掴む寸前にまで迫っていた。獲物を襲おうとしたヒグマが、そのまま剥製になったような姿。

 

「……なんだ、おめーらかよ……」

「あはは! 元太くん、あたし達の顔見えてなかったんだ」

「見えるわけねーだろ、こんな暗さで」

 

 哀がジト目で肩をすくめる。

 

「見えなかったからっていきなり襲っていいわけ? まったく、歩美じゃなかったらどうなってたことか……」

「ぐぐぐ……」

「いいんだよ哀ちゃん。あたし達みんな、得意なこととそうでないことがあって……。だから、力を合わせるの」

 

 そして、満面の笑顔を元太に向ける。

 

「そうでしょ? 元太くん!」

「お、おお……」

 

 元太の顔がほんのり赤らむ。哀はそれを見逃さず、やれやれと息を吐いた。

 

「元太くんの顔見たら元気出てきちゃった! あたし、もうちょっと頑張れそう」

 

 すっと立ち上がる歩美。

 

「ちょっと歩美!」

「大丈夫だよ。なんとなくわかるの。あともう少しだって」

「ああ、同感だぜ」

 

 並び立つ歩美と元太。2人の視線は通路の奥、コントロールルームの扉をまっすぐ見据えていた。

 

 


 

 

 コントロールルームにて。

 光彦と園子は、二人とも後ろ手にされ、さらに足首まで縛られた状態で壁際に座り込まされていた。彼らの前では、武装した手駒が4人も並んでルームを制圧している。

 今ここに小夜子はいない。彼女は先ほど階段で上層通路に上がり、キッドがガラスをぶち破って突入した第2サーバールームへと移動していったばかりだ。

 「また会いましょう、園子さん。そのときは、私のコレクションとして」という言葉を残して。

 

 園子は目の前で背を向けている手駒に声をかけた。

 

「もしもし、兵隊さ~ん? あのー、あたし達を解放してくんない? お金で雇われてるんなら、もっといい条件出したげるからさあ」

 

 手駒はなんら反応を返さない。ただ機械的に周囲を見渡しているだけだ。

 

「返事ぐらいしろっての……」

「無駄ですよ。彼らは傭兵ではありません。キッドと同じく、洗脳装置によって意思を奪われてしまったのでしょう」

 

 淡々と口を挟む光彦をジト目でにらむ園子。

 

「なんなのよ洗脳装置って……。そんなものがほんとにこの世に存在するわけ?」

「僕だって容易には信じられませんでした。ただ、現実の状況はそれが事実だと示しています」

「で、その装置であたしのことも洗脳して、鈴木財閥を影から操ろうってわけ? 信じられない、小夜子さんがそんなことをする意味がどこにあるのよ……?」

「……あるいは小夜子さん自身にも、あの装置を手に入れたことで何かが起きたのかもしれませんが……」

「え?」

「いえ。推測に推測を重ねるのはやめておきましょう」

 

 光彦は顔を上げ、さっきまで挑んでいた制御システムのキーボードに視線を送った。

 

「それより園子さん、実はここだけの話なんですが、システムの奪回はあと一歩のところまで進んでいました」

「まじで!?」

「はい。ただ、実際に制御を取り戻すためには障壁突破後にシステムの再起動が必要なはずです」

「あー、はいはい」

「で、再起動したシステムを動かすにはまた認証が必要になる……」

 

 園子と目が合う。

 

「……それはいいけど、まずはこの兵隊さんたちをなんとかしないと無理じゃない?」

「ええ」

「ええって、あのねえ……」

「それはきっと大丈夫ですよ」

 

 その時だった。

 正面ドアの向こう側から、変則的なノックの音が聞こえてきたのは。

 トン、トトントン、トトン

 光彦の口元が、ニヤリと釣り上がった。

 

 手駒たちが互いの顔を見合い、コクリと頷きあう。

 警戒を保ちながらドアを取り囲み、ひとりが正面に立って銃口をドアの中央に向け、もう1人が開閉ボタンを押す。

 左右に開いていく自動ドア。

 ――いない。

 薄暗い通路、その正面には誰もいなかった。

 手駒がきょろきょろと視線をさまよわせた次の瞬間――

 

 ドン!

 

 頭上からのドロップキック。手駒の体ごと部屋に飛び込んできたのは小柄な少女。

 思わず園子が叫んだ。

 

「歩美ちゃん!」

 

 ドアの左右を固めていた別の手駒が、背後から歩美に銃口を向ける。

 だがその直後、通路から現れたもう1人がその銃と腕をがしりと掴む。

 

「!?」

 

 人間をブン投げる。それが今日の元太のお気に入りの闘法だ。投げ飛ばされた手駒はドアの反対側を固めていたもう一人に直撃し、まとめて床に転がった。とどめを刺さんとさらに襲いかかる。

 先に部屋に突入した歩美は、奥にいた手駒にターゲットを定め疾走する。

 だがその手駒はすかさず発砲。

 歩美はデスクに身を隠して銃弾をかわし、さらに間髪入れずにデスクの横から飛び出す。撃たれる前に動く。そして攻める。

 側面からの飛び蹴り。クリーンヒット。崩れ落ちる手駒。着地する歩美。

 光彦が大声を張った。

 

「歩美ちゃん、後ろ!」

「!?」

 

 最初にドロップキックで倒した手駒が、床に這いつくばりながら銃口を向けていた。着地のために体勢が崩れた歩美に向けて。

 回避――間に合わない。

 歩美の本能が叫んだ。

 

 パンッ

 

 銃声が、響き渡った。

 時間が凍りついたかのような静寂。

 光彦と園子は、思わず閉じた目を徐々に開いた。

 

「……元太くん!!」

 

 血を流しているのは、歩美ではなかった。彼女を突き飛ばして身を投げた元太。

 うめき声を上げ、膝から崩れ落ちる。

 

「そんな……!」

 

 園子の顔面が蒼白となる。

 床に這ったままの手駒が、なおも銃口を向けている。震える指が、再びトリガーにかかる――

 スタンガン。

 手駒の背中に飛び乗った哀が、唯一の武器を押し当てていた。

 手駒の全身が震え、手から銃が滑り落ちる。

 

「はあ、はあ……」

 

 血の気の引いた哀が息を切らす。

 おそるおそる顔を上げ、震える目で元太を見る。

 両膝をついて血のにじむ二の腕を押さえていた元太が、汗ばむ顔を持ち上げて哀と目を合わせる。

 ニヤリ。

 強がりだろうがなんだろうが、とにかく元太は笑った。

 気にすんな、腕だけだ。その目がそう言っている。

 

「元太くん、元太くん!」

 

 歩美が駆け寄り、傷口を押さえる元太の手に自分の手を重ねる。

 

「へへっ、おめーが撃たれなくてよかったぜ」

「……ばか……」

 

 水滴を目の端に浮かべる歩美と、彼女の目を覗いて白い歯を見せる元太。やがて歩美が彼の顔を胸に抱き寄せると、元太の耳がさっと赤くなった。

 

 


 

 

 第2サーバールーム。

 ただ広いだけの空虚なその空間に、乾いた拍手がパチパチと響いた。

 

「敢闘賞ね、名探偵さん。あなたの奇想天外な戦いぶりは決して忘れないわ」

 

 戦いの途中で部屋に姿を現した小夜子が、嘲り笑いとともにコナンを見下ろす。

 コナンは仰向けで大の字。その彼の上に乗るキッドの右手は、コナンの喉を無慈悲に締め上げていた。

 

「ぐ……!」

 

 大部屋の片隅にはサッカーボールが転がっている。

 どこでもボール射出ベルト。例によって阿笠博士の発明品を光彦が再現したものだ。どんな状況でもキック力増強シューズを活かすためのとっておきの隠し武器。

 惜しむらくは、だだっ広いだけのこの空間の見晴らしが良すぎたことかもしれない。

 コナンの渾身の一撃は空を切り、逆にこうして追い詰められることとなった。

 

「殺さないように気をつけなさい、月下の傀儡よ。彼もまた、あなたと同じく私のコレクションに加わるのだから。……そうね、とりあえず失神させておきましょう」

 

 ぎしり、首を絞める手に力がこもる。

 

「ぐあ……!」

 

 脳に巡る血が止まる。視界が白く薄れていく。

 こんなところで終わりなのか――

 そのとき。

 

「!!」

 

 目の前でキッドの頭がブレた。

 手が首から離れる。呼吸が戻る。

 真横に転がるキッド。

 コナンはもんどり打って手を床につく。

 

「……ゴホ、グホ……」

「江戸川くん、大丈夫!?」

「……は、灰原……」

「……よかった……!」

 

 哀は安堵の表情を浮かべ、コナンの頬に手を当てる。

 

「間一髪だったみたいね」

「ああ、ありがとな」

 

 しかし、2人に安息の時間などなかった。すぐそばで、ゆっくりとキッドが起き上がる。

 

「!!」「ちいっ……!」

 

 キッドは機械の目のまま冷徹に哀を見据える。右手にはなおゴム弾銃。口の端からわずかに血が流れているが、およそ深いダメージがあるようには見えない。

 哀は急いでコナンの手を引き起こした。

 

「……やっぱり、私の蹴りなんかじゃ意味ないわね……!」

 

 スタンガンを使えていれば話は別だったろう。だが哀がこの部屋に踏み込んだとき、コナンは既に首を絞められ絶体絶命だった。彼女が我を忘れて疾走し、一瞬でも早く恋人を救うために最速の手段を選んだのはやむを得ない判断だった。

 

「悪いニュースよ。歩美と小嶋君はまだこっちに来れないわ。コントロールルームを守ってもらってる」

「そいつはいいニュースじゃねえか! あの部屋を取り戻すのが最優先事項だろ」

「……私たちだけでこの場を切り抜けられるなら、でしょ?」

 

 哀は苦し紛れの笑みとともに横目でコナンを見る。コナンはしかし、妙に明るい表情に変わっていた。

 

「どうしてだろうな……。おめーと一緒なら負ける気がしねーよ……!」

「……バカ」

 

 釣られて哀も口端を釣り上げる。

 だが次の瞬間、キッドが引き金を引く。

 

「灰原、散れ!」

 

 2人がそれぞれ逆方向に駆けると、元いた場所を弾丸が突き抜ける。

 走りながらコナンの頭に考えがよぎる。

 

(2人で動き回れば奴を混乱させられるか……?)

 

 だがその直後、キッドは()()にカード銃を握っていた。二丁銃。それぞれの銃口が正確にコナンと哀に向く。

 

「ちいっ……!」

 

 駆けながら前転。ギリギリ頭の上を弾丸がかすめる。

 同時に哀もすんでのところでカード弾を避けたが、上着の袖が切り裂かれる。鮮血が一筋。

 

「ぐっ……!」

「灰原!!」

「平気よ、かすっただけ!」

 

 部屋の隅でその様子を見ていた小夜子が笑う。

 

「ふふふ、いつまで逃げ切れるかしら! よく私の傑作に挑む気になったわね、あなた達には武器さえないのに!」

 

 横目で小夜子の姿を見たコナンの頭に、(もしかして先に婆さんの方から仕留めればいいんじゃねーか?)という考えがよぎる。

 だがダメだ。キッドから一瞬でも目を離せばたちまちやられてしまうだろう。

 だが——

 

(——武器なら、ある!!)

 

 見えていた。哀の逃げた先に転がっていたボール。先ほど空を切ったそのボールが、今彼女のすぐ近くに転がっている。

 声を張り上げる。全力で、全力で。

 

「灰原ァ!!! そのボールをオレにパスしろ!!」

「!!」

 

 一瞬足下に目を落とす哀。ある。ほんの数メートル先に、サッカーボールが確かにある。

 

「ちょっと、こんなときにサッカーする気!?」

 

 コナンの眼鏡が光る。

 

「頼んだぜ」

「……ったくもう!」

 

 ボールに駆ける。そして右脚を振り上げる。

 哀にまともなサッカー経験などない。だが観る方は話が別だ。プロ選手比護隆佑のプレーを。そして江戸川コナンのプレーを。いくらでも目に焼き付けてきた。

 他は何もできずとも、パスだけは出せる気がした——他ならぬコナンへのパスだけは。

 

「……決めなさいっ!」

 

 ループパス。完璧な弾道。コナンのいる方向にまっすぐ弧を描いていく。

 

 だが、キックのフォロースルーで片脚立ちの哀にキッドが銃口を向ける。

 避けられない。

 息が止まる。

 

 その時——

 コナンは身を翻し、頭上のボールにオーバーヘッドキックをぶち当てていた!

 

「いっけええええええ!!!」

 

 キック力増強シューズの爆発的威力。

 叩き潰れたボールが唸りを上げて一直線に飛んでいく。

 銃を構えたキッドの横顔に。

 その"人形の瞳"がボールを捉えたとき、

 それは既に彼の脳を揺らしていた。

 

 ドンッッッ

 

 ゆっくりと、キッドが崩れ落ちていく。

 あの時、あのギャラリーの夜と同じ、頭部への衝撃。

 同じように、だけどもう少しスローモーションで、堕ちた怪盗が床に倒れた。

 

「なっ……!!」

 

 小夜子の顔が驚愕に引きつる。

 一度はかわした攻撃を、二度目はまともに喰らった。連携プレーというありふれた、しかし人を道具としかみなさない小夜子には決して価値を測れない方法によって。

 小夜子は歯ぎしりして顔を歪め、それでも腹から呪詛を吐く。

 

「舐めるな……! 同じ手で意識が揺さぶられるほど甘くはないっ!」

 

 "主"のその声に応えるかのように、キッドは再び動き出していた。床に肘をつき、口から血を垂れ落としながら、震える脚で立ち上がろうとあがきだす。

 そのキッドに、コナンは叫んだ。

 

「キッド! おめーのいるべき場所はここじゃねえ!! 青子さんと結月ちゃんのいる家なんだよ! こんなところでちんたらしてる暇はねーんだ!!」

 

 キッドは応えない。その言葉になんの反応もない。

 ふらつきながらも立ち上がり、再びゴム弾銃を手に握る。そして、コナンを睨みつける。

 

「くそっ……!」

 

 コナンが身構える傍ら、駆け寄った哀の顔が青ざめる。

 

「やっぱりだめなの……? 青子さんの声でもないと、届かない……!」

「!!!」

 

 その瞬間、コナンの脳裏に稲妻が走った。

 一瞬だけ呆然と立ちすくみ、すぐさま思考が戻る。

 

「なんてこった……!」

「え?」

「ちくしょう、こんなことに気づかなかったなんてよ……!」

 

 自嘲の笑み。

 コナンは己の首元、トレードマークの蝶ネクタイを握りしめた。

 キッドが銃口を向ける。引き金に指をかける。

 その時、

 コナンは、

 蝶ネクタイを口元に掲げ、叫んだ。

 

『快斗!!!』

 

 

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