復活したキッドは次から次へと新たな事件を起こし、そのたびにトップニュースを飾った。やり口はいつも大同小異だ。暴力的で、迅速。かつての芸術性は欠片もなく、しかしその技量に疑問の余地はない。世間の話題は日に日に堕ちた怪盗一色に染まりつつあった。
そんなある日、探偵クラブの部室にて、コナンは壁際のノートPCに向き合い眉間にしわを寄せていた。彼の頭上では古びた新入生勧誘ポスターの端がめくれている。
「なんなんだよこのデタラメなターゲット選びは……。特大ダイヤのネックレスを盗んだと思ったら、その次は古いだけで無名の絵画……。あの野郎、珍しいものならなんでもいいってか?」
「借金か養育費でも抱えてるんじゃないの?」と哀が背後から茶々を入れる。
「なんでもいいから売っぱらって美味いものが食いたいんだろ?」これはもちろん元太。
「もっといい仮説がありますよ。盗みと暴力自体を楽しんでるんです。お宝を手に入れたあとで、脱出を最優先せずわざわざ不必要な暴力を振るっているのがその証拠。要は快楽犯罪者ですよ」
光彦に悪気は一切ないのだろうが、その発言はコナンのこめかみをヒクつかせた。すかさず振り返って探偵クラブの
「あのなあ、キッドはそんな奴じゃねーよ」
「さあ、僕らはキッドの人間性を知りませんからね」
光彦は手元のタブレットから目を離さず淡々と答える。正論といえばそのとおり。しかし他ならぬコナンには実体験に基づく確信がある。
「オレはそこそこ知ってる」
「好敵手と言いつつ仲良しでしたからねえ君たちは」
2人が視線を交錯させると、すかさず哀が会話に割り込んだ。
「はいはいそこまで。江戸川くん、あなたは生徒会に追加提出する書類が残ってるでしょ?」
「わーってるよ。ちぇっ、なんでオレばっかりそういう雑用を……」
「だってあなたが一番下っ端なんだもの」
「コナンくんは新入部員だもんね~♪」
歩美(※
しぶしぶ己の立場を受け入れたコナンはおとなしくブラウザを閉じ、作業途中の書類を開き――
そのとき、スマホの着信音が鳴った。
「もしもし、園子姉ちゃん?」
「うん、うん。本当に!? うん、ありがとう、助かるよ」
部室中の目がコナンに注がれる。通話を終えたコナンは、勝ち誇ったような表情で4人を――特に光彦を――見渡すのだった。
「依頼だぜおめーら」
光彦が「ふむ」と息をつき、元太は白く完璧な歯並びを輝かせる。獲物を狙う目つきとともに。
「大手柄の匂いか?」
「ああ、強烈な匂いだぜ」
さっきまでの不服顔はどこへやら、コナンの顔つきには"探偵"の血が戻っていた。
三連休の初日。世の高校生たちが大喜びで遊びや旅行に出かけているちょうどその頃、探偵団もまた"旅先"にやってきていた。ただしそこはテーマパークでもリゾート地でもなく、人里離れた山の中だったが。
「なあ、世の中って結構金持ちが多いのか?」
元太が呆け顔でつぶやいた。精巧な鉄柵で作られた豪華な正門、その向こう側の石畳の先に広がっているであろう敷地の広さときたらいかばかりだろうか。
「園子姉ちゃんの知り合いだからだろ」
通路の先、一部だけが覗き見える古風な邸宅からはある種の威厳さえ感じられる。ただ、一歩引いて観察してみればここが単なる古びたお屋敷(例:工藤邸)でないことはすぐにわかる。
(最新世代の防犯カメラ、おまけに赤外線センサーまで……。隠居したお婆さんだって聞いたけど、ここまでの金持ちだとのんびり気ままな余生暮らしってわけにはいかないのかもな)
一足先にインターホンを押していた哀が用件を告げると、まもなく正門が自動動作でゆっくりと開いた。
コナンと哀は肩を並べて敷地内に歩を進めていくが、探偵団の3人はそのずっと前方ではしゃいでいる。石畳の先で視界がひらけると、邸宅の前には端正に整備された美しい庭園が広がっていた。
「でっけ~庭だな~! おれんち十軒建つぞ!」
「綺麗なお花~、あたしもこんなたくさんの緑に囲まれて暮らしたいな♪」
「あの邸宅は、おそらくアール・デコ建築の影響を受けていますね。といっても純粋なアール・デコではなく、どこかチューダー・リバイバルの趣きも感じられますが……」
そんな3人の後ろ姿を、哀は微笑ましく、コナンはあきれた顔で眺めていた。
「懐かしいわね、この感じ。昔はよくこうやってあの子達といろんな場所を訪れていたものね」
「ああ、そうだな」
腕を頭の後ろで組んで気だるげな雰囲気のコナン。隣を歩く哀との距離はゼロに等しく、その歩調はぴたりと一致している。
「でも私たちがこういうところに来ると決まって事件が起こるのよね」
「そーいう縁起でもねーこと言うのやめろよな……」
やがて5人が石造りの玄関口にたどり着くと、重い扉がゆっくりと開かれていく。その先には深々と頭を下げるメイド姿の女性が待ち受けていた。
彼女が顔を上げると、明媚な景色がいっそう華やぐほどの美貌が現れる。東洋美を象徴するかのような切れ長の瞳、卵型の流麗な輪郭、陶磁の肌にすらりとした長身。その表情にはわずかな笑みもなく冷静そのものだったが、ある意味彼女の端正な美貌にはこのうえなく似合いの佇まいとも言えた。
「わー、きれいな人~!」
素直に感嘆の声を上げる歩美。
その脇で男子どもがそろって間抜け面を浮かべているさまを見て、哀がぼそりと独り言をつぶやく。
「ふうん、いかにもあなた好みの黒髪清楚美人さんって感じね」
「は、灰原サン!? オレなにも言ってないデスヨ?」
哀は慌てふためくコナンをジト目で一瞥し、すぐに前を向き直す。
「ま、別にいいけど」
そんな2人の犬も食わないやり取りを尻目に、メイド女性が抑揚のない静かな声で言葉を奏でる。
「少年探偵団の皆さま、お待ち申しておりました。小夜子様がお待ちです」
メイド女性に促されて玄関ロビーに足を踏み入れると、そこには歴史映画でしかお目にかかれないような美しい吹き抜け空間が広がっていた。壁の中央には大きな絵画、優雅なカーブを描く階段、いくつもの彫刻や調度品……。
そして階段の前で一行を出迎えたのは、杖をつき穏やかな笑みを浮かべる老婦人、村雲小夜子。日本でも有数の美術収集家として知られる由緒正しき資産家であり、探偵団をここに招いた依頼者だ。
「よく来てくれましたねえ。ひと目でわかるわ、皆さん才気あふれる若者ばかり」
顔に刻まれた深いしわと、優雅にして凛とした視線、ぴんと伸びた美しい姿勢。まるで古い名画のように、彼女の立ち姿そのものがロビーのクラシカルな調度品と調和している。老貴婦人とは彼女のような人を言うのだろう。
「あなた方のようなとびきりの原石たちが私の困りごとを手助けしてくれるなんて、感謝にたえないわ」
小夜子が気品ある笑みとともにわずかに頭を下げると、5人はみな深いお辞儀で応えた。
「
桔梗と呼ばれたメイドは、主人の言葉に深々と頭を下げた。
どこの有名カフェでさえ見劣りしてしまうほどの優雅なテラス席。一流の邸宅と、真似ではない本物の庭園に面しているのだからそれも当然だろう。穏やかな風に乗って運ばれてくる自然の香りがなんとも心地よい。
探偵団は小夜子とともに白いテーブルを囲み、美しい景色を見渡していた。その間、桔梗によって一人ひとりに紅茶が注がれる。もちろんその所作は流麗で美しく、ティーカップも一目でそれとわかる高級品だ。
5人は紅茶を口にするやいなや一様に目を丸くし、中でも歩美が真っ先に驚嘆の声を上げた。
「おいしい~! この紅茶、普通のと全然違うよ!」
「ほんとだ、うめ~!」
「確かに……。味わいといい香りといい、こりゃあ絶品だ」
「茶葉がいい……だけじゃあこうはならないわよね。水の質もティーカップ選びのセンスも、もちろん淹れる人の技量も……」
口々に称賛を浴びる桔梗がまるで無反応無表情な一方で、雇い主たる小夜子は満足げに微笑んで哀に目を向ける。
「そのとおりよ、お嬢さん。私は最高の茶葉しか買わないけれど、それとて作り手が未熟なら無駄にしてしまう」
「確かにそうかもしれませんね」
「私が美術収集家をやっているのも同じ理由なの。優れたものこそ、扱う手ひとつで価値が変わってしまう。そこに責任もやりがいも生じるのよ」
「へえ~、金持ちでいるのも結構面倒なんだな」
「おい元太!」
「ふふふ、いいのよ。確かにそのとおりかもしれないわね」
そんな他愛もない会話の中で、紅茶をいち早く飲み干したコナンが本題を切り出した。
「ところで、園子さんから聞いた話ではキッドから予告状を受け取ったと……」
「ええ。もちろん警察には連絡したのだけど、昨今はキッドもどきの愉快犯による偽の犯行予告が多発しているらしく、うちにまで人員を割けないそうで」
コナンがうなずく。
「テレビもネットも、キッドの話題で持ちきりですからね。嫌な世の中ですけど、そういうバカが湧くのも仕方ないというか……」
「ええ、その通り。だけど実際、警備のプロでさえキッドの前では連戦連敗。ここはぜひあなた方のような新しい才能の力を借りたいと思っているのよ」
小夜子はコナンに目を向け、穏やかに微笑む。
「特に"キッドキラー"の江戸川コナンさん。あなたにはとりわけ大いに期待しているわ」
頬を赤らめて頭をかくコナンに対し、元太は「ちぇっ、おめーばっかり」と口先を尖らせ、光彦はただ押し黙っていた。
「もちろんあなた方みなさんに期待していること、忘れないで。アートコレクターの端くれとして、優れた才能を見抜く目には少しばかり自信があるつもりだから」
「へっへっへ、期待してくれていいぜ!」と元太が胸を張る。
「キッドに狙われているのはあちらの離れ。村雲家が長年集めてきた美術品が飾られているギャラリーよ」
小夜子は本邸から少し離れた位置にある、直線的で無愛想なコンクリート造の建物を指差す。本邸とは渡り廊下で繋がっているが、離れと呼ぶには少々どころではなく立派すぎるかもしれない。
「ひええ……。あの規模だとほとんど私有の美術館みたいなものですね……」と目を点にする光彦。
「ええ、よく言われるわ」と小夜子が笑う。「いずれ近いうちに、一般客にも公開できるよう改装するつもりなの」
「社会貢献も意識されているのですね。素晴らしいです」
光彦の素直な称賛に小夜子は会釈を返す。そして隣に立つ桔梗に手のひらを向け、探偵団を見回した。
「ギャラリーの中は桔梗に案内させるわ。予告が本物であれば、キッドがやってくるのは今夜……。あなた方が吉報をもたらしてくれることを祈っています」
準備のために与えられた本邸の客間でコナンが見取り図を広げ、円卓を囲む仲間を見渡した。
「可能性があるのは2つだけ。正面か、窓かだ」
先刻、桔梗による内部の案内は短時間で終了した。なにしろギャラリーの建物はきわめてシンプルな構造だ。外壁はのっぺりと直線的なコンクリートに覆われており、正面入口以外の侵入経路になれそうなのはハメ殺しの窓が2枚のみ。
「……と、思うんだが、一応念のためおめーらにも聞いとくか。他に方法はあると思うか?」
すると元太が元気よく一言。
「地面に穴掘って地下から出てくるってのはどうだ?」
「脱獄映画じゃねーんだぞ。何年準備がいるんだよ……」
団長をジト目で睨むコナンの隣で、歩美が手を挙げる。
「あたし達の中の誰かに変装するっていうのはどう?」
歩美の建設的な意見に対し、コナンは深くうなずく。
「うん、それが一番怖いんだ。相手がキッドである以上、オレ達はいつでも仲間が奴にすり替わってる可能性を考慮しとかなきゃいけない」
「でもよおコナン、キッドだって女子には化けられねーだろ? 体格がぜんぜん違うぞ」
「今回はいいツッコミだな元太……。確かにそのとおりだ。まあ昔その常識を破られたことはあったけど、今回は状況が違う。たとえばキッドが歩美ちゃんに化けてオレ達を欺きながら目的のものを盗むってのは、いくらなんでも無茶だろうよ」
「くれぐれも体格の違いを見落とさないようにってことね。もしも歩美に誘惑なんかされたら、中身がキッドであっても惑わされちゃう人はいるんじゃないかしら?」
哀の皮肉めいた微笑み――その視線は元太を映している――に、コナンは「ハハハ……」と苦笑いを浮かべた。
この砕けた雰囲気に光彦が割って入る。
「だけどもしかしたら、シンプルに正面から突っ込んでくるなんてこともあるのでは?」
「それはねえよ、そいつは凡人のやり方だ。あいつは芸術家気取りなんだよ」
哀の口がわずかに開く。
「……それって、昔の話、でしょ?」
静かな横槍にコナンの言葉が詰まる。確かに復活後のキッドは華麗な奇術ではなく暴力の方がトレードマークなのだから、そう考えるほうがむしろ自然なのかもしれない。
「……今のキッドが頭脳的なトリックを使ってないってわけでもねーだろ?」
「確かに、直近の事件では彼は厳重な金庫の鍵を巧みに解除しています。なにも暴力と催涙ガスが全てというわけではないですが……」
「どこまで行ってもキッドはキッドだ。あいつが月下の奇術師をやめられるわけがねーよ……」
卓上に置かれた両拳を固く握りしめるコナン。その拳がかすかに震えているさまを、哀はただ静かに見つめていたのだった。
そして夜。
月は雲に隠れ、庭園は漆黒の闇に染まっていた。ときおりそよぐ風の葉音以外は完全なる静寂。
探偵と怪盗、数奇な繋がりを持つふたりの運命の歯車が、誰もそうと気づかぬままに静かに回り始めていた。