「全員、構え! 撃ち尽くしなさいッ!」
隊長の鋭い怒声が響く。生き残った十数人の兵士が一斉に引き金を引いた。
耳を聾するような銃声が炸裂し、無数の火線がシドへと集中する。さらに二基のロケットランチャーから、破壊の光を放つ弾頭が白煙を引いて撃ち出された。
ルカが目を開くことができないほどの猛攻。
しかし、シドは退屈そうにその弾道を見つめていた。
「……邪魔だな」
シドは地を蹴り、残像を残すほどの速度でヒラリと跳躍した。網の目のように交差する小銃の弾幕を、最小限の動きで紙一重で回避していく。
避けきれない死角からの数発の弾丸に対し、シドは顔色一つ変えずに左腕を突き出した。
パキパキパキッ!
その刹那、シドの左腕の皮膚が異常な速度で樹皮へと変貌する。
激しい金属音が響き、衣服を引き裂いた弾丸は、鋼鉄をも凌ぐ硬度の木肌に命中して火花を散らしながら虚しく弾け飛んだ。かすり傷一つ付いていない。
(異能で肉体を植物にさせて防いだ……? いえ、植物にしてはありえない防御力だわ。あの泥ネズミどもの中に、これほどのイレギュラーが隠れていたなんて報告は聞いていない)
装甲車の陰から見つめる女性隊長は、苦々しく眉をひそめながらシドの能力を冷徹に分析していた。想定外の事態に不快感を募らせつつも、その戦術眼は的確に敵の脅威度を測っていく。
そんな隊長の観察を他所に、シドの蹂躙は続く。
着地したシドの真っ正面から、鋭い爆音を立ててロケット弾が肉薄した。並の異能者なら木端微塵になる質量とエネルギー。
だが、シドは避けるどころか、無造作に右手を突き出した。
ガシッ!!!
鼓膜を揺らす風圧とともに、猛烈な回転を続けるロケット弾を素手でガッチリと掴みとった。信じがたい怪力によって推進力を完全に抑え込まれ、ロケット弾がシドの手の中で虚しく煙を噴き出す。
「嘘……だろ……?」
兵士のひとりが恐怖で引き金を引く手を止めた。
シドは手に取ったロケット弾を狙いを定めて、武器を構えていた兵士たちへと投げ返した。
「あ──」
悲鳴を上げる暇すらなかった。
凄まじい速度で投げ返されたロケット弾が兵士たちの足元で大爆発を起こす。轟音と共に爆炎が吹き荒れ、部隊の半数近くが巻き込まれた。
「ヒッ……ば、化け物がぁ!!」
生き残った兵士たちが戦意を喪失し、後退し始める。
自分の誇る部隊が無残に壊滅させられていく光景に、女性隊長は屈辱に顔を歪めた。しかし、エリートとしての状況判断は早かった。これ以上の交戦は無意味な消耗であり、現戦力での制圧は不可能だと切り捨てる。
「潮時ね。撤退よ! 車を出しなさい!」
隊長は装甲車へと飛び乗り、激しくルカとシドを睨みつけながら、スピーカー越しにドスの効いた声で言い放った。
「今日の屈辱は絶対に忘れないわ……! 覚えていなさい、国を汚すネズミども! アイゼンライヒの総力を挙げて、お前たちを必ず地獄へ送ってあげるわ!」
砂煙を巻き上げ、急発進して逃げ去っていく装甲車。
それを見送るシドの瞳に、未だ感情の機微はなかった。
(まだシルバのこと聞いてない)
シドはただそれだけの理由で、逃げる車を追うべく地を蹴ろうとした。
その瞬間──
ガシッ!!!
背後から伸びてきた力強い手が、シドの肩を強く掴んで引き止めた。
振り返ると、頭から血を流し、息を切らせたルカが必死の形相でシドを見据えていた。
「待て! 深追いするな! この先は富裕層の警戒区域だ。増援が来たら確実に挟み撃ちにされる、危険だ……!」
ルカの必死の制止。
その瞬間、シドの脳裏に、かつて自分をじっと見つめていたシルバの静かな瞳が鮮烈に蘇った。
ただ襲いかかる敵を機械的に排除することしか知らなかった頃の記憶。その隣で、シルバがシドの肩に大きな手を置き、言い聞かせるように語りかけていた。
『いいか、シド。君は強すぎる。だから敵を倒すこと、殺すことだけが全てだと思うかもしれない。けどね、生きることはそう簡単じゃないんだ。戦いから引くべき時に引けるのが、本当に強い人間なんだよ』
ずっと昔、あてもなく旅をしていた頃の思い出が彼の足を止めた。
「……わかった」
シドはすんなりと追撃の構えを解き、ルカに向き合った。
ルカはシドがあまりにも素直に足を止めたことに目を見開いたが、すぐに我に返り、横転した車へと駆け寄った。
「みんな、生きているか!? しっかりしろ!」
幸いにも、シドの作った植物のドームのおかげで、車内の仲間たちは全員一命を取り留めていた。ルカは怪我人を抱え起こし、予備の荷物を背負い直す。
正式な訓練を受けたアイゼンライヒの軍隊を、単身で正面から叩き潰した白髪の少年。ルカはちらりとシドを見た。
「おい、お前」
ルカは怪我人を肩に担ぎ直しながら、シドに向かってぶっきらぼうに、半ば強引な口調で言い放った。
「ここで見捨てるわけにはいかない。お前も俺たちのアジトへ来い……さっき言っていた『シルバ』って奴の話も、向こうに着いたら、わかる範囲で全部話す」
シドは無表情のまま、少しだけ目を瞬かせた。
「……ついて行く」
こうして、謎だらけの少年シドは、レジスタンスの若きリーダーに連れられる形で、アイゼンライヒの更なる深部へと足を踏み入れることになるのだった。
─────
アイゼンライヒ国の外縁、貧民層エリアの地下深く。迷路のように入り組んだ廃下水道の先に、レジスタンスの本拠地はあった。
錆びついた鉄扉をくぐると、泥と消毒液の匂いが混ざり合った重苦しい空気が漂っている。無事に戻ったルカたちを迎え、拠点内は安堵と怪我人の手当てで一気に慌ただしくなった。
「ルカ、お前も早く治療室へ行け! 頭の傷がひどい!」
「ああ、わかっている。……おい、お前もこっちだ」
ルカは自分を心配する仲間たちを不器用になだめながら、後ろをトコトコとついてくるシドを呼び止め、半ば強引に同室の治療室へと連れ込んだ。
薄暗い治療室のベッドに腰掛け、ルカは医療班から頭部の傷に包帯を巻いてもらう。その間も、ルカの視線は隣のベッドに座る白髪の少年に釘付けだった。
(……おかしい。傷がないのは百歩譲ってなんらかの異能として、服まで元通りなのはどういうことだ?)
ルカは心の中で呟いた。
先ほどの激戦で、シドの衣服は間違いなく弾丸に抉られ、ロケット弾の爆風を至近距離で浴びていた。それなのに、彼が着ている黒いコートには塵一つ付いておらず、引き裂かれた痕跡すら綺麗に消失している。
手当てが終わり、医療班が部屋を出て二人きりになると、ルカは静かに切り出した。
「おい。お前、その服……さっきの戦いで破れたはずだろ。なんで直ってるんだ?」
シドは自分の袖口を無表情に見つめ、淡々と答えた。
「服も、俺の体だから」
「……は?」
ルカは思わず眉をひそめた。服が体の一部? 意味がわからない。だが、先ほどシドが腕を木化させて弾丸を弾いた時、確かに衣服の繊維ごとパキパキと変形していたのを思い出す。彼は、存在の根本から自分たちとは違うのだと、ルカの直感が告げていた。
ルカは小さく息を吐き、改めてシドの目を見据えた。
「お前について、いくつか聞かせてくれ……お前は、いつからこの国にいたんだ?」
「さっきだ。キャベツの山に隠れて、国境の門を通り抜けた」
「さっき……!? じゃあ、密入国して数時間であの部隊を全滅させたのか……」
ルカはため息をついた。どうやらとんでもないタイミングで、とんでもない怪物を拾ってしまったらしい。
「じゃあ、なぜそこまでしてアイゼンライヒに来た? お前ほどの力があれば、国外でいくらでも自由に暮らせるはずだろ」
「...俺は、シルバを探しにきた。それだけ」
シドの回答は常に短く、一切のブレがない。彼の行動原理はすべて「シルバ」という男に繋がっているようだった。
「その力についても教えてくれ。木を生やしたり、体を木に変えたりしていたな。それがお前の能力か?」
「植物を操る。あと、さっき言ったみたいに服も体も全部繋がってる。」
無機質に自分の力を語るシドを見て、ルカは確信した。アイゼンライヒの上層部が喉から手が出るほど欲しがる規格外の異能。彼は、まさにその体現者だ。もし捕まれば、どんな惨い実験をされるか分かったものではない。
ひと通りの質問を終え、治療室に短い沈黙が流れる。
ルカはベッドから立ち上がり、少しきまずそうに視線を泳がせた後、意を決したようにシドの前に立った。
「……いろいろ聞いたが、まずは。さっきは仲間たちを助けてくれてありがとう。お前がいなければ、俺たちはあの場で確実に全滅していた。感謝する」
レジスタンスのリーダーとしてのプライドを横に置き、ルカは真っ直ぐに頭を下げた。
しかし、シドは感情の読めない瞳でルカを見上げたまま、ただ一言、短く返した。
「別に。巻き込まれただけ」
相変わらずの素っ気なさに、ルカは苦笑するしかなかった。本当に、人助けの正義感で動いたわけではないらしい。
(でも、この冷徹で人間味のない少年が、あの『シルバ』という名前を出した時だけは、微かに違う空気を纏う気がする……)
ルカは心の中で「僕」に戻り、遠い富裕層エリアの空に囚われているであろう姉の姿に思いを馳せた。
(僕が姉さんを想うように、彼もまた、その人を大切に思っているのだろうか……)
そう思うと、目の前の少年が、少しだけ自分と同じ人間に見える気がした。ルカは再び表情を引き締める。
「よし。次は俺の番だ……俺たちが掴んでいる『シルバ』の現状について話す」
ルカは小さく咳払いをし、真剣な眼差しでシドを見つめた。
「お前が探している『シルバ』についてだが……正直に言う。俺たちレジスタンスの間で、その名は最悪の代名詞として知られている」
「あいつは数年前、自らこのアイゼンライヒ国に現れたんだ。そして国の上層部──トップである大統領がいる『中央政府』の門を叩き、自らの能力を売り込んだ。一般人の赤い血液を黒く変色させ、無理やり異能を開花させるような非人道的な実験……その基礎を作り上げた、イカれたマッドサイエンティスト。それが俺たちの知るシルバだ」
ルカの言葉には、明確な嫌悪と警戒が混じっていた。多くの同胞を、そして無関係な一般人を実験の犠牲にされたレジスタンスからすれば、当然の認識だった。
だが──
(……マッドサイエンティスト?)
シドの記憶にあるシルバは、自分をいつも心配し、人間として生きるためのルールを教えてくれた男だ。そんな男が、自ら進んで人を弄ぶ化け物になったとは到底思えなかった。だが、シドはそれを口には出さず、ただ淡々と問いかけた。
「シルバは、今どこにいる」
「アイゼンライヒの中心地、大統領の直轄区域である『中央政府』の奥深くにお門違いなほど厳重に囲われているらしい。大統領の懐刀として研究を続けているのか、あるいは逆に利用し尽くされて囚われているのか……そこまでは分からない」
ルカはそこで言葉を区切り、悔しそうに拳を握りしめた。
「そして、シルバの行った実験を元にして、この国には現在、拉致された異能者や一般人を収容する『4つの大規模な研究所』が建設された……俺の姉も、その4つのどこかに囚われて、今も実験施設で苦しんでいる可能性が高い」
ルカの瞳の奥に、痛切な光が宿る。
(姉さん……待っていてくれ。絶対に僕が助け出すから。生きて、生きていてくれ……!)
心の中で強く祈るように姉の面影を思い浮かべた。
大統領のいる中央政府、そして厳重に管理された4つの巨大な研究室。そのどれもが、貧民層の自分たちでは近づくことすら許されない、富裕層エリアのさらに奥にある絶対聖域だ。レジスタンスの現戦力だけでは、門の手前で文字通り圧殺されるだろう。
だが目の前には軍の部隊を単身で蹂躙した、規格外の少年がいる。
ルカは再びバチッと感情を切り替え、リーダーとしての顔でシドを真っ直ぐに見据えた。
「お前の探しているシルバは『中央政府』にいる。俺の救いたい姉は『4つの研究室』のどこかにいる。どちらに行くにしても、この貧民層を囲む高い壁を越え、富裕層エリアの警備をぶち破らなきゃ辿り着けない」
ルカはベッドから立ち上がり、シドに向かって力強く手を差し出した。
「シド。お前の目的と、俺の目的……どっちも果たすために、俺たちと手を組まないか? お前の力が必要だ。その代わり、中央政府への案内と潜入のサポートは俺たちが命懸けでやる」
差し出されたルカの手を、シドは見つめる。
シルバが本当にマッドサイエンティストなのか、あるいは別の目的があるのかは分からない。ただ、シルバのいる場所へ行くための最短ルートがここにあることだけは理解できた。
シドは躊躇うことなく右手を伸ばし、ルカの手を握り返した。
「……いいよ。一緒に行く」
「決まりだ……歓迎するよ、シド」
独裁国家アイゼンライヒの心臓部を目指す少年と若きレジスタンスの奇妙な共闘関係が、ここに結成されたのだった。
─────
ルカとの対話が終わった後、シドは本拠地の最奥にある、しばらく使われていないという狭い個室へと案内された。
案内したレジスタンスの仲間たちは、シドに対して少しの感謝と、化物を目の前にした恐怖が入り混じった複雑な視線を向け、逃げるように鉄扉を閉めて外から鍵をかけた。
体よく「隔離」された形だった。
怪我人たちの治療が完全に終わるまで、そしてルカたちがこの先どう動くかの作戦会議を行う間、未知の存在であるシドをフリーにするわけにはいかないという、組織としての合理的な判断だろう。
しかし、シド自身は閉じ込められたことに対して、怒りも不満も抱いていなかった。
(意外と広いな)
無表情のまま部屋を見回す。埃の積もった机と、簡素なパイプベッドが一つあるだけの無機質な空間。
シドはベッドの端に腰を下ろすと、ただじっと正面の壁を見つめた。彼にとって、退屈という感情すら希薄だ。シルバに言われたルールを守り、ただ静かに次の指示を待つ。衣服であるコートは、彼の意思に従うように、静かにその身を包んでいた。
どれほどの時間が経っただろうか。
静寂に包まれていた個室の前に、不意に小さな足音が近づいてきた。見張りの戦士たちの重々しい足音とは明らかに違う、軽やかな足音。
薄暗い隔離室の重い鉄扉が、静かに開いた。
敷居をまたいできたのは、黒髪ショートの少女だった。
白磁のような肌に、光を一切反射しないハイライトのない漆黒の瞳。黒とグレーのシンプルな服を着ているが、その立ち居振る舞いにはどこか気品が滲み出ている。
少女は足音もなくシドに歩み寄ると、膝を折ってシドの顔をじっと覗き込んだ。
「ふうん……君、人間じゃないね」
抑揚のない、静かな声だった。
レムの漆黒の瞳が、シドの身を包むコートに注がれる。
「その服、体の一部なんだね。ルカから聞いたよ、腕と服が同時に変化したって。君って不思議だね」
シドはベッドに腰掛けたまま、感情のない瞳で少女を見返した。
「お前もな」
シドの短い言葉に、レムはふっと満足そうに口元を緩めた。
レムは瞳を、シドのオッドアイに静かに重ねる。
「君、僕と同じ異能持ちでしょ?しかもわざわざ外からこの国にきた。珍しいね……君はなんでここに?」
「シルバを探してる。ルカが、場所を知ってるから」
シドの回答は、相変わらず短くブレがない。
『シルバ』という言葉を聞いて、レムは首をわずかに傾けた。
「シルバ……? 僕はその人のこと、よく知らないな。どんな人なの?」
「俺に、色んなことを教えてくれた」
「......へえ」
シドのその言葉に、レムの瞳の奥が、わずかに知性的な光を宿した。
彼女がかつていた富裕層でも、あるいは現在のレジスタンスの情報網でも、その名には聞き覚えがなかった。少なくとも、彼女が蓄えてきた知識の中に、その名は記されていない。
(シルバ……誰だろう、それは。なぜこの国に、君のような存在を突き動かすほどの人間がいるんだろう)
漆黒の瞳の奥で、思考が回転する。
レムにとって、未知とは恐怖ではなく、極上の「問い」だった。自分と同じか、あるいはそれ以上に人間から外れた少年が、ただ一人の男を求めてこの国を彷徨っている。その事実が、彼女の知的好奇心を強く刺激した。
「ふうん……君に色んなことを教えた人、か。どんな人間なのか、すごく興味が湧いてきたよ」
レムの瞳は、期待に満ちた静かな好奇心を湛えていた。