冴えない中年平社員、見た技と異能をコピーして企業代理戦で成り上がる   作:パラレル・ゲーマー

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第13話 深夜のモールでゾンビが武装した

 深夜の大型ショッピングモール。

 

 普段なら家族連れや若者たちで賑わうはずの巨大な空間は、今夜に限って完全に沈黙していた。

 

 煌々と点いていた営業用の照明は落とされ、必要最低限の非常灯と、防犯用の薄暗い電気が通路を青白く照らしているだけだ。

 

 閉ざされた店舗のシャッター。

 

 停止したままのエスカレーター。

 

 吹き抜けの中央アトリウム。

 

 俺は従業員用の裏通路で、指定された試合開始時刻を待ちながら、足首や手首の関節を軽く回していた。

 

 今回の案件も、ネクサス・マッチングが主催する企業代理戦だ。

 

 争われる利権は、深夜警備および商業施設の管理契約。

 

 舞台となるこのモール自体が、再開発のために閉鎖が予定されている施設だった。

 

 深夜一時から早朝四時まで、全館を貸し切って行われる。

 

 表向きには『深夜の設備点検および映像撮影中』という偽装が施され、外部の出入り口は八咫烏とネクサスの職員によって厳重に封鎖されていた。

 

 俺の隣では、水瀬蓮花が俺の装備品を細かくチェックしていた。

 

「靴紐の結び目、緩んでいませんね。関節保護用のサポーターも規定の厚さに収まっています。登録証と、水分補給用のペットボトルも問題ありません」

 

 これまでの試合では、セコンドのように横に立ってくれるのは八咫烏の担当者である霧島だけだった。

 

 だが今回は違う。

 

 俺の正式な所属予定メンバー兼セコンド候補として、水瀬が特別に観戦許可を得て同行しているのだ。

 

「佐伯さん。会場地図はもう一度、頭に叩き込みましたか?」

 

「ああ。一階はアパレル、百円ショップ、生活雑貨。二階が家電量販店で、三階がフードコートだったな」

 

「特に、一階のキッチン用品店にある『包丁売り場』と、ホームセンター区画の『工具売り場』の位置には警戒してください」

 

「……俺に、武器を取って戦えってことですか?」

 

「いえ。相手が取る可能性があるということです」

 

 水瀬が、タブレットの画面を俺へ向ける。

 

 そこには、今回の対戦相手の簡単なプロファイルが表示されていた。

 

『御影冬馬』

 

『年齢:三十歳』

 

『コードネーム:《墓守》』

 

『登録Tier:Tier4上位』

 

『本業:商業施設管理会社の夜間設備管理員』

 

『能力者社会での通称:ネクロマンサー、ゾンビ使い』

 

「ゾンビを使う相手なら、術者本人だけでなく、『使役体が道具を持てるかどうか』も確実に確認した方がいいです」

 

 水瀬の言葉に、俺は「分かりました」とだけ頷いた。

 

 だが、この時の俺は、このアドバイスの本当の恐ろしさをまだ理解していなかった。

 

 実戦の中で、俺はこの忠告を一度忘却し、後に致命的な判断ミスを犯すことになる。

 

     ◆

 

 試合開始の三分前。

 

 俺は一階の東側、アパレル店舗が立ち並ぶ区画で待機していた。

 

 薄暗い通路の先、約八十メートル離れた中央アトリウムに、対戦相手である御影冬馬が立っているのが見えた。

 

 御影は、黒のシャツに動きやすいスラックスという、非常に軽装だった。

 

 防具らしいものは身につけておらず、武器も持っていない。

 

 細身で黒縁眼鏡をかけ、いかにも物静かな事務職といった風貌だ。

 

 ただ一つ異様なのは、彼が立っている足元の『影』だけが、周囲の暗闇よりも不自然なほどに濃く、インクをこぼしたように黒々と広がっていることだった。

 

 御影が、俺に気づいて軽く頭を下げた。

 

「初めまして。御影冬馬です。能力者としては、《墓守》と呼ばれております」

 

 声は穏やかで、礼儀正しい。

 

 俺も軽く会釈を返した。

 

「佐伯直人です。よろしくお願いします」

 

「こちらこそ。佐伯さんは、相手の能力をじっくり観察し、攻略していくタイプのクレバーな選手だと伺っております」

 

 御影が、黒縁眼鏡の奥で微笑んだ。

 

「でしたら――まずは、ご挨拶代わりの様子見と行きましょうか」

 

 御影の足元の、濃い黒の影が、沼のようにドロリと波打った。

 

     ◆

 

 影の中から、青白い『手』が突き出してきた。

 

 続いて、力なく垂れ下がった頭部。

 

 丸まった肩。

 

 土気色の胴体。

 

 一体のゾンビが、御影の影の沼からズルリと這い出してきた。

 

 同じようにして二体目。

 

 三体目。

 

 合計三体のゾンビが、御影の前に立ち並んだ。

 

 衣服はボロボロの灰色の作業着。

 

 武器は何も持っていない。

 

 目は白く濁り、口は半開きで、焦点がまったく合っていない。

 

 胸の上下運動もなく、呼吸もしていない。

 

 俺の視界の《ライブラリ》が、即座に反応した。

 

『未登録の因果現象を捕捉しました』

 

『発動起点の観測に成功』

 

『複合因果構造を検出』

 

『暫定名称:《影内使役体収納》』

 

『解析率:7%』

 

 御影が、右手を指揮者のように軽く前に出した。

 

 三体のゾンビが、引きずり足で一斉に俺の方へ向かって歩き始める。

 

『派生機能を検出』

 

『暫定名称:《死体型使役体遠隔操作》』

 

『解析率:14%』

 

 俺は構えを取った。

 

 第一印象としては、

 

 三体程度なら、さほど脅威ではない。

 

 だった。

 

 一体ずつの移動速度は、せいぜい早歩きの一般成人程度。

 

 関節の動きも硬い。

 

 この程度の相手なら、貴重な《身体能力強化》の回数を消費する必要もないだろう。

 

     ◆

 

 先頭の一体が、腐臭を漂わせながら俺へ向かって両腕を伸ばしてきた。

 

 俺はステップで横へ回り込み、ボクシングの右ストレートを、がら空きの顎へと正確に打ち込んだ。

 

 普通の人間なら、脳が揺れて一撃で意識を失う完璧なクリーンヒット。

 

 ゴッ!

 

 という鈍い音が響き、ゾンビの首が折れ曲がるように大きく横へ振れた。

 

 しかし。

 

 ゾンビは倒れなかった。

 

 それどころか、ありえない角度に曲がった首をすぐにゴキリと元の位置へ戻し、そのまま俺の腕に食らいつこうと歯を剥き出しにしてきた。

 

「気絶しないのかよ!」

 

 俺は咄嗟に腕を引き抜き、二体目のゾンビの胸ぐらをつかんだ。

 

 柔道の体落とし。

 

 背中からモールの硬い床へ勢いよく叩きつける。

 

 だが、ゾンビは痛がる素振りすら見せず、関節を不自然に駆動させてすぐに立ち上がろうとする。

 

 三体目が背後から迫る。

 

 俺は振り向きざまに、腹部へ強烈な前蹴りを叩き込んだ。

 

 ゾンビは数メートル吹き飛んだが、腹を押さえて苦しむこともなく、呼吸困難に陥ることもなく、また無表情に起き上がってきた。

 

 御影が、少し離れた安全圏から穏やかな声で言った。

 

「佐伯さん。彼らには、痛覚も、恐怖も、疲労もありません。人間を気絶させるための格闘技とは、少し相性が悪いと思いますよ」

 

 俺は舌打ちをした。

 

 脳を揺らしても倒れない。

 

 内臓を殴っても効かない。

 

 なら、物理的に『動けなく』するしかない。

 

 俺は立ち上がろうとした一体の膝の横へ、全体重を乗せたローキックを叩き込んだ。

 

 バキッ、と乾いた音がして、ゾンビの右脚がありえない方向へひん曲がった。

 

 歩行能力が極端に落ち、地面を這いずるようになる。

 

『使役体の損傷時挙動を観測』

 

『操作継続を確認』

 

『解析率:19%』

 

     ◆

 

 御影の影が、再び波打った。

 

 さらに二体のゾンビが、影の沼から這い出てくる。

 

 合計五体。

 

 最初の三体が正面。

 

 追加された二体が、俺の左右へと回り込むように広がり始めた。

 

 御影本人は、俺と十分な距離を保ったまま、アトリウムの中央から一歩も動こうとしない。

 

 俺は、素手で痛覚のない五体を相手にし続けるのは効率が悪すぎると判断した。

 

 モール内を見渡す。

 

 モップ。

 

 清掃用のポール。

 

 店舗の案内板。

 

 長物を手に入れれば、接近して噛みつかれるリスクを減らしながら、関節や骨を効率よく破壊できる。

 

 まず距離を取る。

 

 長い武器を確保してから、戻って叩く。

 

 俺は踵を返し、一階の奥にある生活用品区画の店舗へ向かって走り出した。

 

 ゾンビ五体が、引きずり足で俺を追ってくる。

 

 だが、御影本人は追ってこなかった。

 

 俺はそこで、この試合における最大の失敗、

 

『術者本人を完全に視界から外す』

 

 という致命的なミスを犯してしまった。

 

     ◆

 

 別棟の観戦ホール。

 

 巨大なモニターでモールの監視映像を見ていた水瀬が、小さく「あちゃー」と呟いて口元を手で覆った。

 

「失敗しましたね、代表」

 

 霧島が、腕を組んだまま冷たく同意した。

 

「能力者本人から完全に目を離したのは、明確な悪手です」

 

「相手は、使役体の数を増やせる能力者です」

 

 水瀬が解説する。

 

「しかもここは、武装や罠の材料が山のように転がっている大型モール。佐伯さんが武器を探している間、御影選手にもまったく同じだけの『準備時間』が与えられていることになります」

 

「ですが、使役体が複雑な道具を使用できるかは、まだ確認されていません」

 

「できないと考える根拠もありませんよ」

 

 水瀬は、御影の足元の影を指差した。

 

「ゾンビが完全な自動プログラムで動く人形なら、道具の扱いは難しいかもしれません。でも、術者が『遠隔操作』しているタイプなら、腕と指が動く限り、いくらでも武装できます」

 

「すでに遠隔操作型だと見抜いているのですか?」

 

「恐らくです。まだ推測の域を出ませんけどね」

 

     ◆

 

 俺は、暗い生活用品店の売り場へ飛び込んだ。

 

 棚にはモップ、物干し竿、掃除用ワイパーなどが並んでいる。

 

 俺は伸縮式のアルミ製物干し竿を手に取った。

 

 軽くて間合いは取れるが、ゾンビの骨を砕く打撃武器としては少し心許ない。

 

 さらに丈夫な鉄パイプのようなものを探そうと、奥の棚へ進みかけた時。

 

 ガラガラガラ……。

 

 遠くから、買い物カートを押すような車輪の音が聞こえた。

 

 続いて、ガチャン、と重い金属が床に落ちる音。

 

 俺はピタリと足を止めた。

 

 何の音だ?

 

 ゾンビが徘徊しているだけなら、あんな人工的な金属音は鳴らない。

 

 少し考える。

 

 ゾンビは、人間の形をしている。

 

 腕もある。

 

 指もある。

 

 もし、御影が遠隔操作しているのだとしたら。

 

「……うん?」

 

 俺の視線が、モールの案内板のマップへ向いた。

 

 俺がいる店舗のすぐ隣。

 

 キッチン用品店と、工具売り場。

 

 包丁。

 

 フライパン。

 

 ハンマー。

 

「待て」

 

 俺の顔が、サァッと青ざめた。

 

「これ……ゾンビが武装できるんじゃないか?」

 

 試合前に、水瀬が口酸っぱく注意していた言葉が、頭の中でフラッシュバックした。

 

『相手が取る可能性もあります』

 

「しまった!」

 

 俺は物干し竿を握りしめ、来た道を引き返し、全速力で中央アトリウムへと走って戻った。

 

     ◆

 

 だが、すでに遅かった。

 

 アトリウムへ戻った俺の目に飛び込んできたのは、絶望的な光景だった。

 

 そこにいたのは、五体ではない。

 

 御影の周囲に、ズラリと『十一体』のゾンビが横一列に並んでいた。

 

 そして、その全員が、殺意の塊として完璧に武装を完了させていた。

 

 一体目は、キッチン用品店から持ち出した巨大な牛刀包丁。

 

 二体目は、小型のペティナイフと、盾代わりのステンレス鍋の蓋。

 

 三体目は、俺と同じ物干し竿。

 

 四体目は金属製のモップ。

 

 五体目は重厚なフライパン。

 

 六体目は消火器。

 

 七体目は長く太い延長コード。

 

 八体目と九体目は、モールの大型買い物カートを前方に構えている。

 

 十体目は、衣料品店から引き抜いてきた太いハンガーラックの鉄パイプ。

 

 そして十一体目は、あえて武器を持たず、素手で俺へ組みつくための遊撃役。

 

 御影自身は、二台の買い物カートの後ろという安全な陣地に立っていた。

 

 カートの中には、予備の包丁、ハサミ、ガムテープ、ロープ、小型工具までが山のように積まれている。

 

「……準備がよすぎるだろ!」

 

 俺が思わず叫ぶと、御影は穏やかに微笑んだ。

 

「佐伯さんが、ご自身の装備を探しに行かれているようでしたので。私たちも、同じように準備のお時間を頂戴した次第です」

 

 十一体の武装ゾンビが、一斉に俺へ向かって包丁や鉄パイプを構えた。

 

「深夜のモールで、本当にゾンビ映画みたいな騒動を起こすなよ!」

 

     ◆

 

 観戦ホール。

 

 水瀬は、モニターに映るゾンビの数を指で数え上げた。

 

「最初に三体。追跡へ向かわせたのが二体。佐伯さんが売り場へ入っている間に、六体を追加で召喚。合計、十一体ですね」

 

「それが、どうしました?」

 

 霧島が尋ねる。

 

「御影選手は、恐らく『十一体以上』の使役体は出せません」

 

「なぜ、そう判断するんです?」

 

「佐伯さんが完全に視界から消え、武器を調達していたあの時間は、御影選手にとってこれ以上ない絶好の準備時間でした。もしさらに数を出せるなら、出口や二階への階段通路にもゾンビを配置して、逃げ道を完全に塞いでいたはずです。温存する理由がどこにもありません」

 

 水瀬は、画面に映る御影の足元を指差した。

 

「それに、十一体目を出した後、御影選手の影の揺れが完全に止まりました。あれが、彼が同時に展開できる最大数へ達した可能性が高いと思います」

 

「なるほど。十一体が影の収納上限と」

 

「まだ確定ではありませんけどね♡」

 

     ◆

 

 御影が、指揮棒を振るように指を動かした。

 

 買い物カートを構えた二体のゾンビが、一斉に前へ出る。

 

 カートを横に並べ、移動するバリケードの壁となって俺へ向かって突進してくる。

 

 その後ろには、物干し竿とモップを持つゾンビが槍兵のように続き、さらに両翼からは包丁を持った二体が回り込んでくる。

 

 完璧な陣形だ。

 

 俺は物干し竿を両手で構え、まずはカートの突進をかわそうと横へステップした。

 

 だが、その瞬間。

 

 延長コードを持った七体目のゾンビが、床を這わせるようにしてコードを鞭のように振るい、俺の足首へ引っかけようとしてきた。

 

 俺は咄嗟に跳び上がってコードを回避する。

 

 しかし、空中へ浮いた無防備な状態を狙い、カートの後ろから三体目の物干し竿が下から鋭く突き上げられてきた。

 

 俺は自分の竿でそれを受けた。

 

 ガァン!

 

 と甲高い音が鳴り、アルミ製の竿が大きくひしゃげて曲がる。

 

 着地と同時に、今度はフライパンを持った五体目が、俺の側頭部を狙ってフルスイングしてきた。

 

 俺は頭を深く沈めてスリップ回避。

 

 フライパンが頭上を通過した直後、すぐ横を、一体目の持つ巨大な牛刀包丁が銀色の軌跡を描いて通り過ぎた。

 

 素手だった時とは、危険度がまったく違う。

 

 一歩間違えれば、身体が切り裂かれ、骨が砕かれる。

 

 包丁の鋭い一撃が、俺のスーツの左袖を浅く切り裂いた。

 

 冷たいものが走る。

 

 俺は後ろへ大きく跳んで距離を取った。

 

 これ以上の温存は、命取りになる。

 

『《身体能力強化》Tier4を発動します』

 

『残り使用可能回数:16回』

 

 全身の筋肉が爆発的に活性化し、視界の解像度が上がる。

 

 俺は迫り来る買い物カートの前面へ向かって、強化された前蹴りをフルパワーで叩き込んだ。

 

 ガシャァァン!

 

 金属がひしゃげるすさまじい音と共に、カートが真横へと弾き飛ばされ、後続のゾンビ二体を巻き込んで床へ転倒させた。

 

 しかし、転倒して下敷きになっても、彼らは痛みを感じず、関節をねじ曲げながらすぐに立ち上がろうとする。

 

 俺は物干し竿を使い、立ち上がりかけた一体の膝裏を強く払い、床へ叩き伏せた。

 

 続けて、竿の先端をゾンビの首元へ絡め、テコの原理と体重をかけて強引に頸椎をねじ切る。

 

 ボキリ、という嫌な音がして、ゾンビの身体がピクピクと痙攣した後、完全に動かなくなった。

 

『使役体一体の操作停止を確認』

 

『術者への反動は観測されません』

 

『解析率:28%』

 

 ゾンビを一体破壊しても、術者である御影本人には何のダメージもフィードバックされない。

 

     ◆

 

 六体目のゾンビが、両手で抱えた消火器のノズルを俺へ向けてきた。

 

 プシュゥゥゥ!

 

 白い粉末が猛烈な勢いで噴射され、俺の視界が一瞬にして真っ白に染め上げられる。

 

「くっ!」

 

 俺は呼吸を止め、粉塵の中から真横へとダイブした。

 

 直前まで俺が立っていた場所へ、二本の包丁が容赦なく振り下ろされる。

 

 視界が極端に悪い中、俺はゾンビたちの足音と、カートの車輪が擦れる音だけを頼りに回避行動を続けた。

 

 モップの柄が、脇腹へクリーンヒットする。

 

 身体能力強化中とはいえ、物理的な衝撃は消えない。

 

 肺から空気が漏れる。

 

 続けて、床を這ってきた延長コードが、ついに俺の左足首へ巻きついた。

 

 正面から、もう一台の買い物カートが突進してくる。

 

 俺は倒れ込みながら、持っていた曲がった物干し竿を床へ強く突き立て、棒高跳びの要領で身体を宙へと持ち上げ、迫るカートの上を飛び越えた。

 

 モールの硬い床を転がりながら着地し、すぐに構え直す。

 

「……ゾンビのくせに、連携が細かすぎる!」

 

 俺が息を切らしながら叫ぶと、粉塵の向こうから御影の穏やかな声が響いた。

 

「道具と戦術を使うのは、人間だけの特権ではありませんよ。佐伯さん」

 

     ◆

 

 俺は、一体ずつ確実に破壊して数を減らそうと試みた。

 

 だが、十一体すべてを完全停止させるには、時間がかかりすぎる。

 

 一体の膝関節を破壊している間に、必ず別の二体が背後や死角へと回り込んでくる。

 

 一体の首をへし折っても、その死体を乗り越えて買い物カートが進路を塞ぎ、包丁が飛んでくる。

 

 ゾンビは、仲間が傷つこうが破壊されようが、一歩も怯まない。

 

 俺の拳や蹴りは、普通の人間なら一撃で戦意を完全に奪える威力だ。

 

 しかし、ゾンビの辞書には『戦意』という概念そのものが存在しない。

 

 十一体を全部まともに倒そうとすれば、時間も体力も、能力の回数も削り切られる。

 

 その時、視界の隅で青白い文字が明滅した。

 

『《身体能力強化》の持続限界まで、残り五秒』

 

 もう三分経ったのか。

 

 消火器の粉末を浴び、包丁を避け、十一体のゾンビを一体ずつ止めようとしているうちに、最初の持続時間を使い切ろうとしていた。

 

『継続しますか?』

 

 ここで身体能力強化を切れば、俺の身体は鍛えていない三十五歳の会社員へ戻る。

 

 包丁と鉄パイプを持ったゾンビ十一体の前で、そんな選択ができるはずがない。

 

「継続する」

 

『使用可能回数を一回消費します』

 

『《身体能力強化》を継続します』

 

『残り使用可能回数:15回』

 

 途切れかけた全身の力が、再び安定する。

 

 だが、これで新たに得られた時間も三分だけだ。

 

 十一体すべてを完全に破壊している余裕はない。

 

 能力の残り回数以前に、試合の主導権を奪われたままでは、次の三分も同じように消耗させられる。

 

 狙うべきは、ゾンビではない。

 

 大元の術者である御影本人だ。

 

 だが、御影は決して自分からは前へ出ず、彼の周囲には常に三体以上の『親衛隊』のような護衛ゾンビが固めており、突破は容易ではなかった。

 

     ◆

 

 観戦ホールでは、水瀬が食い入るようにモニターを凝視していた。

 

「……何か分かりましたか?」

 

 霧島が尋ねる。

 

「完全な自律稼働プログラムではありません。間違いなく、御影選手本人が『遠隔操作』しているタイプです」

 

「根拠は?」

 

「処理の遅延です」

 

 水瀬は、複数に分割された画面を順番に指差した。

 

「御影選手が、包丁を持ったゾンビを細かく操作して佐伯さんを追い詰めている間、二階への通路を塞いでいる待機組のゾンビは、まったく同じ場所を無意味に何度も往復しています」

 

「そして、買い物カートを複雑に操作している瞬間は、消火器を持つ個体の反応が明らかに一拍遅れている」

 

「……」

 

「すべてのゾンビが独立した人工知能として考えて動いているなら、こんな『同時処理の遅れ』は出ません」

 

 霧島が、わずかに目を見開いた。

 

「十一体すべての行動を、御影選手が自身の脳で直接操作していると?」

 

「細かく人間のように動かしているのは、多くても二体か三体が限界です。残りの個体は、『囲め』『追え』『その場を守れ』といった、大雑把な簡易命令で動いているだけのように見えます」

 

「……よくそこまで見ていますね」

 

 水瀬は、得意げにウインクしてみせた。

 

「Vチューバーの配信者は、自分のゲーム画面と、高速で流れるコメント欄と、配信ツールの状態をすべて同時に確認しながら喋り続けるんです。こういう『処理落ち』には、すごく敏感なんですよ♡」

 

 霧島は一瞬だけ水瀬をじっと見たが、それ以上追及することはしなかった。

 

     ◆

 

 俺も、絶え間ない攻防の中で、一つの決定的な違和感に気づき始めていた。

 

 包丁を持つゾンビの動きは、恐ろしいほど鋭く人間的だ。

 

 だが、その鋭い攻撃が来ている瞬間、遠くに配置されているゾンビたちの動きは、極端に単調でロボットのようになっている。

 

 物干し竿のゾンビが細かなフェイントを使って俺を追い込んでいる間、買い物カートのゾンビは、ただ直進して壁にぶつかっているだけだ。

 

 全部が、同じ知能の精度で動いているわけじゃない。

 

 俺はその仮説を確認するため、残り一回となっていた貴重な手札を切る決断をした。

 

『《動体視の魔眼》Tier4を発動します』

 

『残り使用可能回数:0回』

 

 瞬時に、視界の情報量が爆発的に跳ね上がる。

 

 俺の目は、襲い来るゾンビたちではなく、その後方に立つ『御影冬馬』本人へと焦点を合わせた。

 

 御影の瞳のわずかな移動。

 

 指先の微細な痙攣のような動き。

 

 呼吸のリズムの変化。

 

 顔の向き。

 

 すべてが、スローモーションのように鮮明に見える。

 

 御影が、右側にいる包丁ゾンビへ視線を向けた直後。

 

 その個体の動きだけが急に滑らかになり、俺の急所を的確に狙ってきた。

 

 御影の視線が、カートを押すゾンビへと移った瞬間。

 

 包丁ゾンビの動きは急に大雑把になり、単調な振り下ろし攻撃へと劣化した。

 

『精密操作対象の切り替えを観測』

 

『複数対象の同時制御に処理限界を検出』

 

『解析率:39%』

 

 俺は確信した。

 

 こいつらは自動じゃない。

 

 御影が遠隔で『操作』している。

 

 しかも、一度に細かく操作できる数には、明確な限界がある。

 

     ◆

 

 俺は方針を根本から切り替えた。

 

 ゾンビを完全に破壊するのではなく、御影から引き離し、物理的に動けない場所へ『閉じ込める』。

 

 俺はアトリウムから、隣接するアパレル店舗の中へと駆け込んだ。

 

 追ってくる二体のゾンビの前に、衣服が大量にかかったハンガーラックを蹴り倒す。

 

 ゾンビは痛みを無視できても、大量の服とハンガーが足に絡みつく『物理的な拘束』までは無視できない。

 

 足がもつれ、転倒する。

 

 俺は店内奥にある、防火シャッターの手動スイッチへと走った。

 

 二体が起き上がり、店内深くへ入り込んだタイミングで、非常ボタンを強く押し込む。

 

 重々しい警報音と共に、防火シャッターがけたたましい音を立てて降り始める。

 

 御影が異変に気づき、精密操作へ切り替えてゾンビを脱出させようと急加速させる。

 

 だが、完全に降り切ったシャッターの向こう側へと、二体のゾンビは隔離された。

 

 そして、御影がその二体に意識を集中させていた数秒間。

 

 俺の目の前に残っていた別のゾンビの動きが、明確に鈍った。

 

 俺はその隙を見逃さず、外側に残った一体の膝を完全に破壊し、歩行不能にさせた。

 

『簡易命令と精密操作の切り替えを観測』

 

『解析率:45%』

 

     ◆

 

 俺は休むことなく、二階へと続く停止中のエスカレーターを駆け上がった。

 

 買い物カートを押すゾンビ二体が、階段状のエスカレーターは登れないと判断したのか、別ルートの緩やかなスロープから遠回りで追ってくる。

 

 俺は二階のガラスの手すり越しに、一階の通路を見下ろした。

 

 アパレル店の前に飾られていた、等身大のマネキンを抱え上げる。

 

 そして、下を徘徊していたゾンビたちの群れの中心へ向けて、それを勢いよく投げ落とした。

 

 ガシャン!

 

 という音と共に、人型の物体が落ちてきたことにゾンビたちが反応する。

 

 御影は一瞬、それが俺なのか、ただのマネキンなのかを視覚的に判断するため、複数のゾンビの感覚を切り替え、確認しようとした。

 

 そのわずかな混乱と意識の分散が、操作の『処理落ち』を生んだ。

 

 スロープを登っていたカートの軌道が乱れ、一台がエスカレーター脇の太い柱へ激突する。

 

 もう一台が、後続のゾンビへ玉突き事故のようにぶつかり、群れの陣形が完全に崩れた。

 

 俺は上から残った物干し竿を突き出し、玉突き事故を起こしたカートをさらに強く押し込んだ。

 

 複数のゾンビが、階段状のエスカレーターを無様に転げ落ちていく。

 

 破壊はできなくても、すぐには戦線に復帰できない状態へ追いやった。

 

     ◆

 

 御影の操作能力の限界を、完全に飽和させる。

 

 俺は、御影本人に対して、同時に複数の脅威を作り出す作戦に出た。

 

 まず、二階の手すりから、重い金属製のフロア案内板を引き剥がし、一階のアトリウムにいる御影の頭上へ向けて投げ落とす。

 

 同時に、放置されていた買い物カートを、スロープから御影の側面へ向けて勢いよく蹴り飛ばす。

 

 さらに俺自身も、二階の手すりを飛び越え、一階の御影の正面へ向けてダイブする。

 

 上から落ちてくる案内板。

 

 横から突進してくる買い物カート。

 

 正面から迫る俺。

 

 三方向からの、まったく異なる質の脅威。

 

 御影は顔色を変え、周囲の護衛ゾンビを必死に操作する。

 

 一体が案内板を両腕で受け止める。

 

 一体が買い物カートへ飛びつき、強引に止める。

 

 包丁を持つ二体が、俺へ向けて刃を構える。

 

 だが、御影の脳は、四方向の複雑な事象を同時に精密処理することはできない。

 

 包丁ゾンビの反応が、致命的にコンマ数秒、遅れた。

 

 俺は、その二体のゾンビの間を、身体強化の速度で一気に突破した。

 

     ◆

 

 御影は、残されたゾンビへ一斉命令を下した。

 

 十一体のうち、シャッター内に隔離された二体。

 

 エスカレーター下で絡まっている三体。

 

 膝を破壊された二体。

 

 稼働可能で、動ける四体が、御影の周囲へと密集する。

 

「……よく私の能力の限界を見抜きましたね。佐伯さん」

 

 御影が眼鏡を押し上げながら言った。

 

「ですが、私本体に辿り着くには、この四体を同時に抜けなければなりませんよ」

 

 四体が、鉄壁の陣形を組む。

 

 包丁。

 

 物干し竿。

 

 フライパン。

 

 素手の組みつき役。

 

 御影は、この四体すべてを精密操作の領域で動かそうと、極限まで意識を集中させている。

 

 限界を超えた操作のせいで、各個体の動きが不気味に痙攣するように不安定になっていた。

 

 それでも、四方向からの死角のない攻撃は、極めて危険だ。

 

 継続した《身体能力強化》の残り時間も、そう長くはない。

 

 俺は、曲がって短くなったアルミの物干し竿を、警棒のように短く構え直した。

 

 包丁ゾンビの突き。

 

 俺は竿で手首を強く打ち据え、包丁を弾き飛ばす。

 

 フライパンの脳天への一撃。

 

 竿を横にして受け止めるが、衝撃でアルミの竿が完全にへし折れる。

 

 その隙を突き、素手ゾンビが俺の腰へと強引に組みついてきた。

 

 俺は柔道の体落としの要領で投げ飛ばそうとするが、ゾンビは腕の関節が外れても俺を離そうとしない。

 

 俺はそのままゾンビを壁へと押しつけ、力任せに関節を逆方向へ破壊して拘束を解く。

 

 だが、その間に物干し竿の先端が俺の首元へ迫っていた。

 

 俺は頭を下げて棒をかわし、脇へ強く挟み込む。

 

 そして、棒を持っているゾンビごと強引に引き寄せ、御影の方向へと全力で投げ飛ばした。

 

 御影が「チッ」と舌打ちをして、慌てて横へ回避する。

 

 護衛の陣形が、一瞬だけ大きく崩れた。

 

 俺は、床に落ちていたステンレスの鍋蓋を、サッカーボールのように蹴り上げた。

 

 鍋蓋がフリスビーのように回転し、御影の顔面へ向かって一直線に飛ぶ。

 

 御影は反射的に、両腕で顔を覆い、ぎゅっと目を閉じた。

 

 その瞬間。

 

 周囲にいた四体のゾンビの動きが、電源を切られたように完全にピタリと停止した。

 

 視覚を切れば、精密操作のつながりも途切れる。

 

 俺は一気に踏み込んだ。

 

 包丁を落として棒立ちになっているゾンビの肩を、飛び箱のように踏み台にし、高く跳躍する。

 

 目を開けた御影が、驚愕の表情で後退しようとする。

 

 俺は着地と同時、ボクシングの踏み込みの勢いをそのまま乗せ、御影のがら空きの腹部へと右拳を突き出した。

 

 そして。

 

 御影の腹部の数センチ手前で、ピタリと拳を寸止めした。

 

 ピーッ!

 

 モール内に、審判の試合停止を知らせる鋭い警告音が鳴り響いた。

 

 御影は、俺の拳を見つめたまま、ゆっくりと両手を頭の上へと挙げた。

 

「……降参します。私の負けです」

 

 試合終了。

 

     ◆

 

 御影が能力の操作を解除した瞬間、残っていたゾンビたちが一斉に糸の切れた操り人形のように倒れ伏した。

 

 一部のゾンビは、ドロドロと溶けるようにして御影の足元の影の中へと吸い込まれていく。

 

 しかし、シャッターの向こう側に隔離された二体や、エスカレーターの下で絡まっている個体は、影に戻れずにその場に倒れたままだ。

 

 どうやら、御影本人の影の一定距離まで近づかなければ、収納機能は働かないらしい。

 

『使役体の再収納条件を観測』

 

『術者の影との接触を必要とします』

 

『解析率:57%』

 

 そして、試合終了と共に、俺の視界で最終的な解析結果が表示された。

 

『複合因果構造の解析を継続します』

 

『暫定名称:《影墓地》』

 

『観測機能:影内収納』

 

『観測機能:死体型使役体遠隔操作』

 

『観測機能:感覚共有』

 

『最大同時展開数:十一体』

 

『使役体の生成条件を観測できません』

 

『使役体を成立させる核を観測できません』

 

『解析率:61%』

 

『再現情報が不足しています』

 

『能力の登録を保留します』

 

 俺は、新しい能力をコピーできなかった。

 

 だが、今回は前回のような悔しさや焦りはなく、むしろ深い納得が勝っていた。

 

 御影の能力は、単に影からゾンビを出すだけの単純なものではない。

 

 生成。

 

 収納。

 

 遠隔操作。

 

 感覚共有。

 

 複雑なシステムが絡み合っている。

 

 たった一試合戦っただけで、そのすべての構造が丸裸になる方がおかしいのだ。

 

     ◆

 

 御影は、息を切らしながらモール内を歩き回り、倒れたゾンビたちを自分の影へと回収して回っていた。

 

 俺もそれに付き合いながら、言葉を交わす。

 

「最初に、佐伯さんが武器を探しに私から目を離した時は、正直少し驚きましたよ」

 

「やっぱり、あれは完全な失敗でしたか」

 

「ええ。私としては、非常にありがたいボーナスタイムでしたからね。十一体すべてに武器を持たせ、通路の死角を確認し、予備の道具までカートに集められましたから」

 

「……次からは、絶対に能力者本人を放置しません」

 

「それがいいと思います。私も、よい勉強をさせていただきました」

 

 俺は、ずっと気になっていたことを尋ねた。

 

「ゾンビの数は、十一体が限界なんですか?」

 

 御影は、黒縁眼鏡の奥で悪戯っぽく笑った。

 

「能力の機密情報ですので、ご想像にお任せします」

 

 試合中に十一体以上を出さなかっただけで、本人は明言を避けた。

 

 だが、俺の《ライブラリ》は、最大展開数を『十一体』と暫定判断している。

 

 どちらが正しいのかは、次に彼と戦う時までの宿題だ。

 

     ◆

 

 控室へ戻ると、水瀬がパチパチと拍手で出迎えてくれた。

 

「お疲れさまでした、代表! 見事なゾンビショッピングでしたね♡」

 

「その気の抜ける言い方はやめてください。こっちは死ぬかと思ったんですから」

 

「水瀬さんの言うとおり、序盤で能力者本人から完全に目を離した判断は、非常に大きな問題でしたね」

 

 霧島が容赦なく追い打ちをかける。

 

「観客席の安全な場所から、好き放題言ってくれたんでしょうね」

 

「はい。とっても見応えがあって、ハラハラしました」

 

「もうちょっと、仲間の代表を心配してくださいよ」

 

「心配していましたよ? でも、失敗は失敗なので、ちゃんと記録して次へ向けて改善しないといけませんから」

 

 水瀬はすでに、タブレットに今回の戦闘の反省点と分析データをまとめていた。

 

「恐らくですが、御影選手のゾンビの最大展開数は十一体。完全な自動プログラムではなく、彼自身の脳による遠隔操作型。そして、人間のように細かな精密操作ができるのは、多くても二体か三体が限界。残りの個体は簡単な命令で動いているだけです」

 

 俺は少し驚いて水瀬を見た。

 

「……観客席から見てただけで、どうしてそこまで分かったんです?」

 

「御影選手が包丁持ちの個体を細かく操作している時、離れた場所にいるゾンビが、同じ動きを無意味に繰り返していましたから。完全自律なら、あんな処理の偏りは出ません」

 

 水瀬は淡々と解説を続ける。

 

「それに、最後。御影選手が佐伯さんに鍋蓋で視界を塞がれた瞬間、全個体が一度完全に停止しましたよね」

 

「視覚、あるいは感覚処理の大部分を、術者本人の脳に依存しているということですね」

 

 霧島が言う。

 

「はい。使役体に命令を出しているというより、彼自身が『複数の身体を同時に自分で操作している』という表現が近いと思います」

 

 俺は一瞬、ハッとして水瀬の顔を見た。

 

 複数の身体を同時に操作する。

 

 その言葉は、まさに水瀬自身の能力である《分身》の性質そのものに重なる。

 

 だから彼女は、御影の操作の限界と遅れに、誰よりも早く気づけたのではないか?

 

 だが、水瀬は何でもないことのようにニコニコと微笑んでいるだけで、それ以上は語らなかった。

 

     ◆

 

 水瀬の反省会は、俺の失敗を責めるだけでは終わらなかった。

 

「とはいえ、中盤以降の立て直しは見事でしたよ。身体能力強化を序盤に温存した判断。ゾンビの痛覚不在をすぐに理解し、関節破壊に切り替えたこと」

 

「全個体の撃破にこだわらず、地形を使って物理的に分断したこと。そして最後、御影選手本人へ複数の脅威を同時に向けて操作の処理能力を限界まで使わせたこと」

 

「最後まで致命傷を避けて寸止めしたのも、トラブルにならなくてよかったです」

 

 水瀬が、教師のようにポンポンと手を打つ。

 

「途中はかなり危なくて胃が痛くなりましたけど、後半の戦術はすごくよかったですよ、代表」

 

「……なんだか、採点がすごく上から目線なんですけど」

 

「私はチームの事務・分析担当ですから。客観的な評価です♡」

 

「今回に限っては、水瀬さんの分析に大きな誤りはありませんね」

 

 霧島が同意する。

 

「二人に同時に詰められると、昼間の会社の査定面談を思い出して胃が痛くなるな……」

 

     ◆

 

 今回の案件のファイトマネーは、勝利報酬込みで百五十万円だった。

 

 これまでの俺なら、すべて自分一人の収入として計算していただろう。

 

 だが今は違う。

 

 水瀬が事前の分析資料を作成し、こうしてセコンドとして同行し、試合後には詳細なフィードバックまで提供してくれている。

 

 まだ正式なチーム登録前なので、契約上のファイトマネーは俺個人の口座へ振り込まれる。

 

 それでも俺は、水瀬に対して、

 

『今回の準備・分析業務に対する正当な報酬』

 

 を支払うべきだと提案した。

 

「今回はまだチームの正式契約前ですから、お金のことは後で事務所でゆっくり、規則のすり合わせから決めましょうね」

 

 水瀬はそう答えて微笑んだ。

 

 前回の異界探索の時と同様、彼女は金銭処理を曖昧な『なあなあ』で済ませようとはしない。

 

 少しずつではあるが、俺たちの関係がただの烏合の衆から、チームとしての運営形態へと形作られているのを感じた。

 

     ◆

 

 帰宅後。

 

 俺は暗い部屋で、一人《ライブラリ》の解析履歴を開いた。

 

 《影墓地》の解析率は、六十一パーセントで止まっている。

 

 使用可能能力のリストに、新しい力は追加されていない。

 

 また、コピーは間に合わなかった。

 

 だが今回は、荒木戦の時のように、

 

「早くコピーしなければ」

 

 という焦燥感はまったくなかった。

 

 能力をコピーできなければ勝てないわけではない。

 

 俺自身の判断と戦術で、十分に切り開ける。

 

 それに、今回は観客席に、俺の戦いを冷静に見て、分析し、的確なフィードバックをくれる『仲間』がいた。

 

 チームの正式登録は、まだ三人目がいないためできていない。

 

 水瀬の正体や目的も、相変わらず闇の中だ。

 

 それでも、俺が一人きりでオクタゴンに上がり、孤独に戦っていた頃とは、確実に何かが変わり始めている。

 

 深夜のモールで、ゾンビ十一体に追い回され、包丁や消火器や物干し竿で殺されかけた。

 

 新しい能力は、まだ手に入らなかった。

 

 《動体視の魔眼》は使い切った。

 

 《身体能力強化》の残りは十五回。

 

 それでも俺は、百五十万円という勝利の報酬と、

 

『次は絶対に能力者本人から目を離さない』

 

 という強烈な実戦の教訓を持ち帰ることができた。

 

 そして何より。

 

 安全な観客席から俺の失敗を嬉々として数え上げ、鋭い分析で俺をタジタジにさせる、少し意地悪で頼もしい仲間が、俺の隣に一人増えていた。

 




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