冴えない中年平社員、見た技と異能をコピーして企業代理戦で成り上がる   作:パラレル・ゲーマー

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第17話 技能十個突破と、稼ぎたい新人

 青柳迅と真壁剛志の試合を、五十万円という法外なリングサイド席で観戦した数日後。

 

 俺はいつも通り、満員電車に揺られて会社へ出勤し、いつものように無機質なデスクワークをこなしていた。

 

 仕事自体は、コピーした各種事務技能のおかげで極めて順調だった。

 

 画面上の表計算ソフトをショートカットキーで高速操作しながらも、俺の頭の片隅には、先日の観戦料のことが重くこびりついて離れなかった。

 

 リングサイド席、一席五十万円。

 

 新たに獲得したものは、決して少なくはない。

 

 《重心転写》三回分。

 

 《空中姿勢制御》Lv.1、《ロープワーク》Lv.1、《受け身》Lv.2という三つの通常技能。

 

 さらに、《身体能力強化》の新しい運用アプローチ(下半身出力集中、足裏接地・姿勢固定)の情報。

 

 結果だけを見れば、大収穫だ。能力者としての手札は確実に増え、戦術の幅は広がった。

 

 しかし、スマートフォンの銀行アプリを開き、口座の残高数字を見るたびに、俺の心はズキズキと痛んだ。

 

(……五十万円で、異能一つと技能三つ。決して安くはない)

 

 俺は、無意識のうちにため息をつき、心の中で自分へと言い聞かせた。

 

(だが、能力者の命を賭けた極限の試合を、安全な場所からじっくりと分析できたと考えれば……いや、やっぱり高い。高すぎる。普通の会社員のボーナスが飛ぶ額だぞ)

 

 昼前、コーヒーを淹れに給湯室へ向かうと、すれ違った同僚が心配そうに声をかけてきた。

 

「佐伯さん、なんだか少し顔色が悪いですよ? 体調でも崩しました?」

 

「あ、いえ。体調は普通ですよ。ただ……週末に、少し大きな買い物をしただけでして」

 

「大きな買い物? 車ですか? それとも最新の家電とか?」

 

「ええ、まあ……そんなところです」

 

 俺は曖昧に笑って誤魔化した。

 

 実際には、車でも家電でもなく、たった数十分で終わる格闘技のリングサイド席のチケット代である。そんなことを言えば、頭がおかしくなったと思われるだけだ。

 

     ◆

 

 昼休み。

 

 俺は弁当を食べ終えた後、人目のない非常階段の踊り場へと移動し、誰にも見られないように《ライブラリ》の画面を開いた。

 

 第16話終了時点で、俺がコピーした技能は十一個に達していた。

 

 そのうち、先日の試合観戦で新たに加わった三つの技能。

 

『《空中姿勢制御》Lv.1』

 

『《ロープワーク》Lv.1』

 

『《受け身》Lv.2』

 

 これらの情報整理が完了し、俺の肉体と神経に完全に定着したというシステム通知が表示された。

 

 そして。

 

 その通知に続いて、普段の青白い文字とは異なる、見たこともない『金色の通知』が視界にポップアップした。

 

『登録技能数が十個を突破しました』

 

『規定条件の達成を確認しました』

 

『《ライブラリ》の機能を拡張します』

 

『新機能《日次再装填》が解禁されました』

 

 俺は、思わず画面を二度見した。

 

「……機能拡張?」

 

 これまで《ライブラリ》は、他人の能力や技能をただ登録し、ストックとして保存するだけのシステムだった。

 

 《ライブラリ》そのものの機能が根本的に強化され、新しいシステムがアンロックされるのは、これが初めてのことだ。

 

 俺は、非常階段の上下に誰もいないことを確認してから、その新機能の詳細説明をタップして開いた。

 

     ◆

 

 《ライブラリ》の空間に、新機能のヘルプテキストが表示される。

 

『《日次再装填》』

 

『一日一回、正式登録済みの異能一つを選択できます』

 

『選択した異能の残り使用可能回数が三回未満の場合、残り使用可能回数を「三回」まで回復します』

 

 俺は一瞬、その短くシンプルな文章の意味が理解できず、フリーズした。

 

 続けて、細かなルールが箇条書きで表示される。

 

『《日次再装填》のルール』

 

『・対象は正式登録済みのTier4異能に限る』

 

『・残り使用可能回数が「三回未満」の異能のみ選択可能』

 

『・回復後の使用可能回数は、必ず「三回」となる』

 

『・三回を超えて蓄積することはできない(四回や五回にはならない)』

 

『・一日に選択できる異能は、一つだけ』

 

『・未登録の異能、および解析途中の異能には使用できない』

 

『・その日の再装填権を翌日へ持ち越すことはできない(使わなかった翌日に、二回分を使うことは不可)』

 

『・《身体能力強化》など、本来の上限が三回を超える異能も、残り回数が「二回以下」の場合に限り、「三回」まで回復可能』

 

『・対象の直接観測による補充は、従来通り可能』

 

 俺は、震える手でその説明を何度も、何度も読み返した。

 

「……こりゃ、便利だな……!」

 

 俺は非常階段で、思わず声に出して呟いていた。

 

 これまで登録した異能には、常に『残数問題』がつきまとっていた。

 

 せっかく強力で便利な異能を獲得しても、残り回数が一回や二回になってしまえば、大事な本番の試合のために温存せざるを得ず、事前の検証や訓練で気軽に使うことさえ躊躇していたのだ。

 

 だが、この《日次再装填》があれば。

 

 一日に一つだけという制限はあるものの、使い切ってしまった能力を、毎日確実に『最低限の三回』までは戻すことができる。

 

     ◆

 

 《ライブラリ》が、現在俺の手持ちの中から『選択可能』な異能のリストを自動で表示した。

 

 《アイテムボックス》:残り二回

 

 《動体視の魔眼》:残り一回

 

 《自己質量操作》:残り一回

 

 《蓄撃》:残り二回

 

 《無拍子》:残り二回

 

 先日手に入れたばかりの《重心転写》は、残り三回あるため対象外。

 

 《身体能力強化》は二十回あるため、ルール上対象外。

 

 御影の《影墓地》は解析率六十一%で正式登録されていないため、対象外。

 

 俺は、候補のリストをじっくりと見比べた。

 

 《アイテムボックス》。残り二回。

 

 初期に黒瀬から手に入れたが、再補充する手段(黒瀬が日常生活でアイテムボックスを使う瞬間に居合わせる確率)が極めて低く、無駄遣いできなかった。物を入れて取り出すだけでも一往復で二回分消費してしまうため、便利なのに完全に持て余していた能力だ。

 

 しかし、毎日三回まで戻せるなら。

 

 重い装備の持ち運び、緊急医療物資の保管、着替え、飲料や食料、そしてダンジョンで得たドロップ品の回収など、日常的な利便性が爆発的に上がる。

 

「アイテムボックス、正直完全に持て余してたけど……これなら実戦でも便利に使えそうだ」

 

 《動体視の魔眼》。残り一回。

 

 これまでは最後の一回を失うのが惜しく、ここぞという重要な戦闘での切り札としてしか使えなかった。

 

 もし毎日三回まで回復できるなら、一回の試合で一度だけ使うという運用なら、極めて現実的になる。一日に試合が一回だけなら、翌日の日付が変わった瞬間にまた再装填できるのだ。

 

「魔眼も、これでようやく出し惜しみせずに実用化ラインに乗るな」

 

 《自己質量操作》。残り一回。

 

 荒木戦で一度だけ使ったきりだ。相手を吹き飛ばす、踏ん張る、打撃を重くする、落下衝撃を軽減するなど、応用範囲が広すぎる。一回しかないため実験できなかったが、三回になれば、訓練で一回使って感覚を掴んでも、二回残せる。

 

 《蓄撃》と《無拍子》。どちらも残り二回。

 

 回復しても一回分しか増えないが、試合前日の補充としては十分に有効だ。

 

     ◆

 

 俺は、最初の再装填対象を効率の面から考えた。

 

 一回から三回になる能力なら、実質的に二回分『増える』。二回から三回では、一回分しか得をしない。

 

 単純な回復効率だけを考えれば、《動体視の魔眼》か《自己質量操作》の二択だ。

 

 今後の試合で、攻防において最も頻繁に、かつ確実な効果を期待して使用する可能性が高いのは《動体視の魔眼》だ。

 

 俺は、システム画面で《動体視の魔眼》をタップし、選択した。

 

『《動体視の魔眼》Tier4を選択しました』

 

『残り使用可能回数を再装填します』

 

『一回 → 三回』

 

『本日の《日次再装填》の権利を使用しました』

 

 その瞬間、俺の視界の奥、脳の裏側に、一瞬だけ冷たい電流のような感覚が走った。

 

 能力を実際に外へ向けて発動したわけではない。しかし、《ライブラリ》の深部で、俺が使用可能な因果律改変プロセスの『弾薬』が、カチャリと音を立てて再構築されたのが感覚として理解できた。

 

 俺は、素直に深い感息を漏らした。

 

「すごいな……。これなら、強い能力を温存しすぎて使えない『エリクサー症候群』にならなくて済む。明日は《自己質量操作》を三回に戻して、その次は《アイテムボックス》だな」

 

 数日かけてローテーションすれば、残り回数が少なくなっていたすべての異能を、順番に三回まで完全回復させられる。

 

 一方で、新規に持っていない異能を増やすには、今まで通り他人の戦闘を直接観察して解析するしかない。《日次再装填》はあくまで『手持ちの弾を維持する機能』であり、手札の種類そのものを無から生み出して増やす機能ではない。

 

     ◆

 

 新機能の恩恵に満足していた俺の前に、さらに追加のシステム通知が表示された。

 

『次回の機能拡張条件を表示します』

 

『登録異能数:十個』

 

『登録技能数:二十個』

 

『さらなる登録を目指して頑張ってください』

 

 俺の現在の正式な登録数は、異能が七個。技能が十一個だ。

 

 《身体能力強化》《動体視の魔眼》《アイテムボックス》《自己質量操作》《蓄撃》《無拍子》《重心転写》。

 

 これとは別に、水瀬さんの《分身》を解析した際に生じた《分身《エラー》》が残っているが、あれは正常に使用できる正式登録異能としてはカウントされていない。

 

 次の拡張まで、異能はあと三個。技能はあと九個。

 

 俺は、無機質な通知画面を虚無の目で見つめた。

 

「あっ、はい……」

 

「まさか、自分の能力から『頑張ってください』なんて激励される日が来るとは思わなかったよ……」

 

 システムに直接お尻を叩かれるとは思わなかった。

 

 だが、次の明確な強化条件が提示されたと分かった以上、意識せずにはいられない。

 

 異能をあと三つ。技能をあと九つ。

 

 技能は、昼間の会社の業務や、新しい趣味などに手を出せば、比較的安全に増やせる可能性がある。

 

 だが、異能は違う。企業代理戦に出るか、ダンジョンへ潜るか、あるいはまた大金を払って能力者の試合を観戦しに行くか。

 

 俺の思考が、ごく自然に、かつ無意識に、次の活動予定へと向かっていた。

 

「……次の試合依頼、まだかな」

 

 つい数日前に、チケット代で五十万円を失って激しく後悔していたばかりだというのに。もう次の『能力獲得の機会』を貪欲に探している自分がいる。

 

 俺は、自分自身の思考回路が、完全に《ライブラリ》というシステムに侵食され、能力者としての生き方に染まりつつあることに気づき、少しだけ薄ら寒くなった。

 

     ◆

 

 その日の仕事終わり。

 

 会社を出て駅へ向かおうとした俺のスマートフォンに、霧島から着信が入った。

 

「お疲れ様です、佐伯さん」

 

「お疲れ様です。……次の試合ですか?」

 

「いえ、今日は代理戦の案件ではありません」

 

 霧島は、いつもの感情の読めないフラットな声で、本題へと入った。

 

「佐伯さんに、直接お会いしたいと希望している登録能力者が一名おります」

 

「俺に?」

 

「正確には、あなたが結成を進めているチームへの『加入希望』の申請です。一度、面談の場を設けてみますか?」

 

 俺は歩みを止めた。

 

「俺のチームに? まだ水瀬さんと俺の二人しかいない、暫定登録すらできていない名前もないチームですよ?」

 

「はい。それをすべて承知した上での希望です」

 

 霧島は続ける。

 

「ご本人が、ネクサスのデータベースから佐伯さんのこれまでの活動履歴を独自に調べ、公式な申請を出しています。会うかどうか、そして実際に加入を認めるかどうかは、佐伯さんと水瀬さんの判断に委ねられます」

 

 ここで重要なのは、霧島がその人物を『推薦』しているわけではない、ということだ。彼女はあくまで八咫烏の担当者として、能力者側から届いた正式な接触申請を、俺に事務的に伝達しているに過ぎない。

 

 俺は、改札へ向かう足を止め、電話越しに候補者の最低限の事前情報を受け取った。

 

     ◆

 

『氏名:羽田玲奈(はねだ・れな)』

 

『年齢:二十二歳』

 

『表の職業:大手配送会社勤務』

 

『覚醒時期:佐伯さんとほぼ同時期(約二ヶ月前)』

 

『登録異能:《身体能力強化》Tier4、《圧縮射出》Tier4』

 

『主な活動実績:異界ダンジョンでの約二ヶ月間のソロ探索経験あり。指定対象の捕獲任務を四件処理。現在まで任務失敗なし。重大な規則違反なし。表の仕事を継続中。現時点では、特定企業および固定チームに所属していない無所属』

 

 霧島は、その情報に対して個人の評価を一切加えず、事実だけを淡々と伝えた。

 

「面談をお受けになる場合は、より詳細な実績資料をお送りします。本人は、ダンジョン探索を主軸とした活動を希望していますが、企業代理戦への参加も拒否してはいません」

 

 俺は、送られてきたテキストデータを眺めながら考えた。

 

 能力の覚醒時期は、俺とほぼ同じくらいだ。

 

 それなのに、すでに二ヶ月もの間、危険な異界ダンジョンで『ソロ探索』をこなし、さらには難易度の高い捕獲任務を四件も成功させている。

 

 かなりの実戦経験を積み、積極的に動いている能力者だ。

 

「……どうして、そんな即戦力みたいな人が、わざわざ俺の何もないチームを選んだんですか?」

 

「それは、ご本人から直接お聞きになってください」

 

 霧島は、あくまで申請を伝達するだけであり、玲奈の動機や心の内を勝手に代弁することはしなかった。

 

 俺は一度電話を切り、水瀬へメッセージで連絡を入れた。

 

 水瀬もすぐに資料を確認し、『前衛と後衛のバランスを考えれば、話を聞く価値は十分にありますね♡』と、面談には即座に賛成の意向を示した。

 

     ◆

 

 翌日の仕事終わり。

 

 面談の場所は、ネクサスが管理する能力者向け施設内の小会議室。すぐ隣には、防音と防壁が施された実技確認用の訓練区画が併設されている部屋だ。

 

 霧島は、チーム加入の申請手続きと安全管理のために同席しているが、やはり今回も玲奈を俺へ売り込むような口出しは一切しない。

 

 先に到着して待っていた俺と水瀬の前に、羽田玲奈が姿を現した。

 

 年齢は二十二歳。

 

 華美な服装や、いかにも能力者ぶった威圧感のある装備ではない。

 

 大手配送会社のポロシャツの制服の上に、薄手のナイロンジャケットを羽織っているだけだった。表の仕事を終えて、そのまま直行してきたことが一目で分かる。

 

 髪は後ろで短く結ばれており、目つきは鋭く、どこか野良猫のような警戒心と実務的な冷たさを感じさせた。

 

 玲奈は席に座ると、余計な自己紹介や愛想笑いなどの前置きを一切せず、短く頭を下げた。

 

「羽田玲奈です。本日はお時間をいただきありがとうございます。佐伯さんのチームに入りたいと思って、面談を申請しました」

 

 俺が、一番気になっていた理由を単刀直入に尋ねる。

 

「羽田さんは実績も十分にあるようですが、どうして俺のチームに? 何か、俺たちの活動理念に共感したとか?」

 

 玲奈は、真っ直ぐに俺を見て、ハッキリと答えた。

 

「稼ぎたいからです」

 

 隣で聞いていた水瀬が、わずかに眉を動かした。

 

 俺は、正義感だの能力者社会への憧れだのと綺麗事を並べられるより、むしろ話が早くて好感が持てると感じた。

 

 玲奈は、淡々と続ける。

 

「能力者は、表で普通に汗水垂らして働くより、圧倒的に稼げます。ダンジョン探索も、捕獲任務も、企業代理戦も、命の危険がある分だけ単価が高い。私は表の配送の仕事を辞めるつもりはありませんけど、仕事終わりや休日に参加できるなら、できるだけ多くの案件に参加したいです」

 

 正義のためでもなく、能力者という特別な存在への憧れでもない。

 

 純粋に、割のいい『副業』として稼ぎたい。それが彼女の明確な動機だった。

 

 ただし、彼女は命の危険を若さゆえに軽視しているわけでもなかった。

 

「死んだら稼げないので、危険度と報酬のバランスはシビアに確認します。赤字になるような割に合わない依頼は受けません。装備代や治療費の経費を引いて、確実に利益が出る仕事を希望します」

 

 俺は、三十五歳の会社員として、彼女のその徹底したリアリストぶりに妙な親近感を覚えていた。

 

     ◆

 

「稼ぐのが目的なら、すでにシステムが完成しているもっと大きな有名チームや、企業直属の部隊に入った方が手っ取り早いでしょう」

 

 俺が疑問を口にすると、玲奈は事前にネクサスのデータで俺たちを調べ上げた理由を、一つずつ論理的に説明し始めた。

 

「完成した大規模チームへ後から入れば、新人の取り分(パーセンテージ)は一番低く設定されます。危険な仕事を末端として押し付けられても、発言権は弱く、搾取されるだけです」

 

 彼女は、俺と水瀬を交互に見た。

 

「佐伯さんのチームは、まだ結成の途中で三人目がいない。今から入れば、初期の創設メンバーとして、役割や報酬分配のルール作りの話し合いに対等に参加できます。後から入って都合よく使われるより、今から入った方が、確実に条件交渉ができます」

 

 極めて打算的だが、反論の余地がない正論だった。

 

「それに、佐伯さんが前衛として機能することも理由の一つです」

 

「前衛?」

 

「私は、環境を利用する遠距離タイプの能力者です。敵の注意を完全に引きつけてくれる、タフで対応力のある前衛がいればいるほど、私の能力は活きます。佐伯さんは、相手と場所に合わせて複数の格闘技術を使い分け、柔軟に戦い方を変えられる。私にとって、最高の盾です」

 

 玲奈は、俺の能力の正体が《ライブラリ》であることまでは当然見抜いていない。

 

 しかし、俺のこれまでの戦闘記録を詳細に分析し、「環境適応能力が高い前衛」として高く評価してくれていた。

 

「さらに、そちらの水瀬さんの《分身》能力とも、私の相性は良いです」

 

 玲奈が水瀬を見る。水瀬はニコリと微笑んだ。

 

「水瀬さんの分身体が先行して索敵し、地形と敵の位置、そして利用できそうな落下物や障害物を事前に共有してくれれば。私は、索敵にリソースを割くことなく、攻撃と環境利用の準備にのみ集中できます。これまではソロでそれを全部一人でやっていたので、限界がありました」

 

 最後に、玲奈は俺の目を見た。

 

「そして何より。佐伯さんのチームは、まだ活動方針がガチガチに固まっていません。だからこそ、企業代理戦だけでなく、『ダンジョン探索』を主要な活動の一つにできる可能性があるからです」

 

 彼女は、企業代理戦だけを行う武闘派チームには入りたくなかったのだ。

 

 戦う相手が対能力者に限定されるうえ、リングやケージのような障害物のないフラットな空間では、彼女の環境利用能力が著しく制限されるからだ。

 

「試合も、収益性がどれくらい高いのか確認するために、一度は出てみたいです。でも、たぶん私はリングでの対人戦より、ダンジョンでの探索や捕獲任務の方が、安定して継続的に稼げます」

 

     ◆

 

 面談の会話だけでは、能力の実際の運用レベルは分からない。

 

 玲奈自身も、「口で説明するより見せた方が早い」と実技を見せることを希望した。

 

 俺たちは、隣の防壁で囲まれた訓練区画へと移動した。

 

 彼女の登録異能、《圧縮射出》Tier4。

 

 玲奈が手で触れた小型の物体へ、疑似的な運動エネルギーを限界まで圧縮して付与する能力。付与した物体を、指先や手のひらから、弾丸のように高速で射出することができる。

 

 使用できるのは、片手で持てる程度の小さな物体に限られる。

 

 硬貨、ボルト、ワッシャー、小石、ペン、金属片、小型工具、あるいはダンジョン内に落ちている破片など。

 

 何もない空間から弾丸そのものを生み出す能力ではないため、周囲に利用できる小物が一切なければ、攻撃手段は激減する。

 

 一方で、環境中のあらゆる小物を、即席の凶器へと変えられる強みがある。

 

 玲奈は、自分が持ち込む専用の弾薬だけに頼らず、その場に存在する物体を咄嗟に利用する訓練を徹底して重ねていた。

 

     ◆

 

 訓練区画は、入り組んだ『廃倉庫』を再現した複雑な環境になっていた。

 

 鉄製の棚、台車、空の木箱、天井からの吊り下げ式の安全ネット、金属製の支柱、パレット、細い通路、身を隠せる遮蔽物などが無造作に配置されている。

 

 霧島が設定した目標は、『区画内をランダムに移動する訓練用ドローンを、完全に破壊することなく捕獲すること』。

 

 玲奈は、自分のポケットから弾を取り出すことはしなかった。

 

 まず、周囲を素早く観察する。

 

 床に落ちていた、建築用の金属ワッシャーを一つ拾い上げた。

 

 一発目。

 

 彼女は、宙を飛ぶドローンを直接は狙わなかった。

 

 指先から射出されたワッシャーが、空気を裂く音を立て、通路脇に置かれていた台車の車輪の『固定具』を正確に撃ち抜いた。

 

 ガチャン! と固定が外れた台車が、緩やかな傾斜を滑り出し、ドローンの逃げ道となる通路を物理的に塞いだ。

 

 ドローンがセンサーで障害物を検知し、進行方向を変える。

 

 玲奈は床から短いボルトを拾い、二発目。

 

 今度もドローンを狙わず、鉄の棚の金属板へとボルトを射出した。

 

 キィィン! と鋭い跳弾音。反射したボルトが、ドローンの側面へピンポイントで衝撃を与える。

 

 機体を完全に破壊するほどの威力ではない。ドローンの姿勢を崩し、進行方向を特定のルートへと強制的に変えさせるだけの絶妙な一撃だ。

 

 誘導されたドローンが、天井の下を通過する。

 

 三発目。

 

 玲奈は、拾った小さな金属片を、天井から吊られた捕獲ネットの『解放部の留め具』へ向けて射出した。

 

 留め具が弾け飛び、巨大なネットがドサリと落下。

 

 誘導されていたドローンを、完璧に包み込んで動きを封じた。

 

 ドローンを力任せに一発で撃ち落とすのではなく。

 

 台車を動かす。逃走経路を狭める。跳弾で進路を変える。そして最後に、環境の捕獲設備を作動させる。

 

 これが、彼女がたった二ヶ月のソロ活動で、捕獲任務四件を無傷で成功させてきた本物の実力だった。

 

     ◆

 

 実演を見ていた水瀬が、感心したように腕を組んだ。

 

「なるほど。彼女は単なる後衛の遠距離攻撃役(スナイパー)ではありませんね。射撃能力というより、『環境操作』に極めて近いです」

 

 玲奈は、周囲の物体をただの弾にするだけではない。弾を利用して、戦場の環境そのものを自分に有利なように動かしているのだ。

 

 水瀬が、隣で小声で分析を続ける。

 

「障害物のない開けたリング。利用できる小物が少ない。射線が単純。相手から能力の発動を常に見られやすい。身を隠す遮蔽物がない。事前の準備が制限される。……真正面からの公式試合では、彼女の能力の選択肢は激減しますね」

 

「だが」と俺が継ぐ。「ダンジョンや市街地、廃倉庫ならどうだ?」

 

「壁、天井、瓦礫、扉、留め具、鎖、照明、罠、高低差。……利用できるものが無数にあります。玲奈さんの戦闘力と価値は、環境によって劇的に跳ね上がりますね」

 

 水瀬は結論づけた。

 

「何もないフラットな場所では、ただの普通の射撃型です。でも、物が多い複雑な場所では、周囲全体が彼女の武器になります」

 

 霧島も、提出された実績と実技に一切の矛盾がないことを確認した。

 

 ただし、やはり今回も推薦はしない。八咫烏の担当官としての事務的な評価だけを告げる。

 

「捕獲任務を四件完遂できた理由は、十分に理解できました。開けたリングでの対人戦闘より、探索、制圧、捕獲任務に極めて高い適性があります」

 

「……」

 

「チーム加入の最終的な可否は、佐伯さんたちが決めてください」

 

 霧島から見ても、玲奈は真正面から殴り合うタイプではない。

 

 しかし、異界ダンジョンや廃施設など、環境利用が可能な場所では高い戦闘力を発揮する。そして何より、彼女の能力は、敵を引きつける『前衛』と、地形を把握する『索敵役』がいることで、初めて一〇〇パーセント完成する。

 

 直人と水瀬というチーム構成に、これ以上なく適したピースだった。

 

     ◆

 

 玲奈が実演を行うため、移動時に《身体能力強化》を使用した。

 

 俺の《ライブラリ》は、当然それを観測した。

 

 しかし、俺の《身体能力強化》のストックは、すでに先日の試合で二十回の上限まで補充済みだ。新規の独立した能力としては登録されない。

 

 代わりに、玲奈固有の『射撃時の反動制御』『手首と指先への出力の極端な集中』『動きながら照準を安定させる身体の使い方のノウハウ』が、新しい運用情報として自動で追加統合された。

 

 そして。

 

 玲奈が《圧縮射出》を繰り返し使用するたび、俺の視界で《ライブラリ》の解析率がグングンと跳ね上がっていった。

 

『未登録の因果律改変現象を観測しました』

 

『解析を開始します』

 

『《圧縮射出》解析率:三十四%』

 

 跳弾を狙った二発目。

 

『解析率:六十八%』

 

 ネットを落とした三発目。

 

『解析率:九十一%』

 

 実演後、玲奈が俺たちに向かって、能力の威力調整の感覚や、射出対象にできる物体の重さの制限について口頭で説明してくれた。

 

 俺は、実際の現象の観測データと、本人の説明の言語化を脳内で照合した。

 

『情報補完を完了しました』

 

『解析率:百%』

 

『《圧縮射出》Tier4を登録しました』

 

『残り使用可能回数:3回』

 

『登録異能数:八個』

 

 技能十個突破の通知を受けた直後に、次の目標である『異能十個』へと、労せずして一歩近づいてしまった。

 

 俺は、ポーカーフェイスを崩さず、内心の喜びを表情には一切出さなかった。

 

 玲奈を採用する最大の理由に、このコピー能力の恩恵は含めていない。

 

 だが心の中では、言い訳のように自分へと言い聞かせていた。

 

(……仲間が増えると、至近距離で安全に観察できる能力も増えるってことか。いや、そこを採用理由にしちゃ駄目だ。今の実技のレベルを見れば、普通に即戦力の後衛として十分すぎるほど優秀だからな)

 

 水瀬が、玲奈の能力の発動の瞬間を妙に真剣な目で観察していた俺の横顔を、チラリと横目で見た。

 

 ただし、この場では彼女は何も言わなかった。

 

     ◆

 

 実技確認後、俺たち三人は再び小会議室のテーブルに戻った。

 

「羽田さん。もし加入した場合、メインでやりたい活動はありますか?」

 

 俺が尋ねると、玲奈は全く迷わずに答えた。

 

「ダンジョン探索をメインの活動軸にしたいです」

 

 理由は明確だった。

 

 環境利用がしやすい。探索で得たドロップ品や資源の売却益がある。自分の得意な捕獲依頼と組み合わせやすい。企業代理戦のように相手の都合に合わせる必要がなく、活動日程を調整しやすい。

 

 そして何より、「チームで挑めば、これまでのソロ活動よりずっと深層の高難度へ行けて、もっと稼げるから」だという。

 

「ただし、企業代理戦にも関心はありますよ」

 

「リングは苦手なんじゃないですか?」

 

「試合にも、一度は出てみたいです。自分がリングで格上の能力者に勝てるかどうかと、実際に一試合でどれくらい稼げるのかを、数字で確認したいので」

 

 試合を、栄光の夢の舞台として見ているわけではない。

 

 純粋な『収益性とリスクのテスト』として、一度体験しておきたいのだ。

 

 俺は、彼女のその徹底した打算的な考え方を、決して嫌いではなかった。

 

 俺自身も、五十万円の観戦料に頭を抱え、一試合百万円という報酬の魅力に引かれてこの裏社会に足を踏み入れた人間だからだ。

 

 水瀬が、少しだけ意地悪な質問を投げかけた。

 

「玲奈さん。報酬と生存が第一の目的だと言うなら、もしダンジョンでチームが絶体絶命の危険な状況に陥った時、私たち仲間を置いて自分一人だけ逃げますか?」

 

 玲奈は一瞬だけ考え、そして極めて現実的なトーンで答えた。

 

「仲間を囮にして自分だけ逃げたら、信用を失って、この業界で次の仕事がなくなりますからね」

 

「……」

 

「自分の安全が確保できて、救助できる状況なら確実に助けます。でも、どう計算しても助けられない状況で、仲間と一緒に全滅するような非合理的な選択は絶対にしません。……その辺りの撤退の損切りラインの判断は、命に関わるので、チームとして事前にルールを決めておきたいです」

 

 少年漫画のような、格好のいい自己犠牲の精神は決して口にしない。

 

 しかし、いざという時に仲間をトカゲの尻尾のように使い捨てるつもりもない。

 

 この狂った能力者社会で継続して稼ぐためには、信用、生存、契約の履行、そして仲間との連携が不可欠だと、彼女は二十二歳にして冷徹に理解しているのだ。

 

 水瀬は、彼女のその答えを悪く評価しなかった。「合理的ですね♡」とだけ微笑んで頷いた。

 

     ◆

 

 俺は、玲奈の提出した資料と、今日の実技を頭の中で整理した。

 

 実績。覚醒から約二ヶ月。異界ダンジョンでソロ活動を生き抜き、捕獲任務四件を完遂。初心者ではあるが、実戦経験は十分すぎる。

 

 能力。遠距離からの物理攻撃と、環境利用に優れる。俺と水瀬には決定的に欠けている『後衛の火力』という役割だ。

 

 活動方針。表の配送の仕事を継続しながら、仕事終わりと休日に活動。ダンジョン探索を希望しつつ、必要なら試合へも出る柔軟性がある。

 

 人物面。稼ぐという目的を隠さない。危険を若さで過小評価しない。報酬と生存を重視。自己犠牲型ではないが、無責任な裏切り者でもない。

 

 俺は、結論を出した。

 

「……分かりました。実績も十分ですし、うちにいないタイプの貴重な戦力です」

 

 俺は、玲奈の目を真っ直ぐに見た。

 

「羽田さんがまだ希望しているなら、ぜひ俺たちのチームへの加入をお願いします」

 

 玲奈が、少しだけ目を見開いた。

 

「……もう決めるんですか? もっと他の候補者と比較検討しなくていいんですか?」

 

「今日面談して、実技も見せてもらって、実績も八咫烏経由で確認しましたから。これ以上無駄に日数を引き延ばしても、俺たちが見るところは変わりませんよ」

 

 水瀬も反対しなかった。

 

「環境の整っている場所なら、彼女の能力はかなり使えます。少なくとも、ダンジョン探索へ連れていく戦力としての価値は十二分にありますよ」

 

 霧島が、三人の合意形成を確認した。

 

「では、八咫烏として、チームメンバー追加の暫定登録手続きを進めます」

 

 これで正式に。

 

 前衛の俺、情報支援の水瀬、後衛の玲奈。

 

 三人からなる、正規の条件を満たしたチームが成立した。

 

     ◆

 

 採用が決まり、手続きが完了した直後。

 

 玲奈は、チームに迎えられたことに安心するより先に、前のめりになって尋ねてきた。

 

「それで、佐伯さん。案件を受けた際の、報酬の『分配比率』はどうなりますか?」

 

 俺は言葉に詰まった。

 

 水瀬が、横で俺の顔をジッと見た。

 

 実は、チームとしての正式な報酬分配ルールは、まだ何も決めていなかったのだ。

 

 これまでは俺と水瀬の二人だけだったため、案件ごとに「今回は調査費としていくら」と、その都度話し合って調整していた。

 

 しかし三人になれば、そうはいかない。

 

 基本報酬のベース、個人出場分のファイトマネーの扱い、ダンジョンの探索物の売却益、装備費や医療費の積立、情報料、チームの維持資金、そして(俺の個人的な)高額な観戦費用の経費申請などを、すべて明確にルール化して決める必要がある。

 

 玲奈は、さらに痛いところを突いてきた。

 

「あと、チーム名は決まってるんですか?」

 

 俺と水瀬が、同時に黙り込んだ。

 

 決まっていない。全く考えていなかった。

 

 霧島が、無慈悲に手続き用の端末の画面を俺に向けた。

 

 メンバーの欄には三人の名前が入っているが、一番上の『チーム名』の入力欄だけが、虚しく空白になっている。

 

「正式登録を完了させるには、チーム名が必須です。次回までに必ず決めておいてください」

 

 俺は内心で頭を抱えた。

 

 今日の昼間には《ライブラリ》のシステムから「もっと能力集めを頑張れ」と急かされ。

 

 夜には、頼もしいが金にシビアな仲間が一人増え。

 

 そして今度は、中二病のセンスが試されるチーム名を考えろと急かされている。

 

 玲奈が、真顔で尋ねてきた。

 

「ちなみに、チーム名の響きやブランド力で、受ける仕事の単価や報酬額は変わりますか?」

 

「実績を積んで知名度が上がれば、企業からの指名依頼の数には直結して影響するかもしれませんね」と水瀬が答える。

 

 玲奈の表情が、一気に戦闘モードの真剣なものへと変わった。

 

「なるほど。では皆さん、ちゃんと企業受けが良くて『稼げる名前』にしましょう。ダサい名前だと依頼が減りますよ」

 

「稼げる名前って、なんだよ……」

 

 俺は、天井を仰いで深くため息をついた。

 

 佐伯直人、水瀬蓮花、羽田玲奈。

 

 俺たち三人の最初の本格的な共同作業は、命懸けのダンジョン攻略でも、血みどろの企業代理戦でもなかった。

 

 ホワイトボードを囲んで、あーでもないこーでもないと『チーム名を決める会議』をすることになってしまった。




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