冴えない中年平社員、見た技と異能をコピーして企業代理戦で成り上がる   作:パラレル・ゲーマー

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第20話 三脈合震・城落とし

 巨大な会議室。

 

 矢吹の正面には、太いボルトを構える玲奈。

 

 そして矢吹宗一の左右には、全く同じ姿をした二人の水瀬蓮花。

 

 中央に取り残された矢吹は、三方向からの無言の圧力に晒され、自身の《反発膜》をどちらへ向けるべきか一瞬の判断を下せずにいた。

 

 矢吹の《反発膜》は、接近するあらゆる物体や打撃を弾き返す、極めて強力な防御異能だ。

 

 しかし、致命的な弱点がある。一度に膜を展開し、守れるのは『一方向のみ』。

 

 玲奈が単独で相手だった時なら、彼女の弾道を見て膜を正面へ固定していれば済んだ。もし二方向からの攻撃であっても、身体を素早く回して膜の向きを切り替えれば、彼の反射神経なら十分に対応できた。

 

 だが現在は、完全に独立した三方向からの包囲だ。

 

 正面からの玲奈の射撃。左側からの水瀬の打撃。右側からの水瀬の奇襲。

 

 これらすべてを、一つの盾で同時に防ぐことは物理的に不可能だった。

 

 玲奈が、冷ややかな声で告げた。

 

「さっきまで、私一人じゃあなたの防御を崩すための『手数』が足りませんでした」

 

「……」

 

「でも、今は防御の向きを強制的に動かしてくれる人が、二人もいます」

 

 右側の水瀬が、ふわりと微笑んだ。

 

「反発する方向を、絶対に間違えないでくださいね♡」

 

     ◆

 

 矢吹は完全に追い詰められていたが、歴戦の能力者らしく戦意までは失っていなかった。

 

 三方向を囲まれたまま戦うのは、圧倒的に不利だ。

 

 彼は即座に後退し、背中の壁際へと移動して、少なくとも後ろから攻撃される可能性(死角)を消そうと動いた。

 

 その動き出しを狙い、左側の水瀬が鋭く踏み込んだ。

 

 矢吹は素早く《反発膜》を左へ向ける。

 

 水瀬の拳が矢吹の数十センチ手前の透明な領域へ触れた瞬間、彼女の身体ごと弾き飛ばされた。

 

 《反発膜》は、飛び道具を弾く盾としてだけでなく、近接攻撃者を強引に押し返す見えない障壁としても使えるのだ。

 

 弾かれた水瀬に代わり、今度は右側の水瀬が矢吹の膝を狙って強烈なローキックを放つ。

 

 矢吹は咄嗟に右へ膜を切り替え、その蹴りを逸らした。

 

 さらに、その隙を突いて玲奈が正面からボルトを射出する。

 

 矢吹は正面へと向き直り、金属音と共にそれも弾き落とした。

 

 三方向から攻め立ててはいるが、攻撃のタイミングがばらばらであれば、矢吹の反応速度と切り替えの練度ならギリギリで対応できてしまう。

 

 玲奈が舌打ちをした。

 

「……切り替えが速い……!」

 

「焦らないでください。三方向からただ順番に攻撃するだけでは駄目ですね」

 

 水瀬は、弾かれたダメージを全く見せずに冷静に分析した。

 

「全く同じ瞬間に、彼に『守る方向を選ばせない』状況を作らないと」

 

     ◆

 

 矢吹は、ただ亀のように受け続けるだけではジリ貧になることを理解していた。

 

 彼は、遠距離から飛び道具を放つ正面の玲奈が最も危険だと判断し、《反発膜》を前方へと完全に固定した。

 

 透明な膜を巨大な盾のように前へ押し出しながら、玲奈へ向かって猛然と突進する。

 

 右側の水瀬が横から組みつこうとするが、矢吹は巨大な肩から膜をぶつけるように体当たりし、分身体をパーティションの壁へと弾き飛ばした。

 

 左側の水瀬へは、身体能力強化の出力を乗せた強烈な裏拳を放つ。水瀬は両腕でガードするが、衝撃で数歩後退させられる。

 

 障害を排除し、矢吹は一気に玲奈の目の前まで距離を詰めた。

 

 玲奈が近距離から硬質樹脂弾を立て続けに撃つ。

 

 矢吹は正面の膜でそれらをすべて弾き返し、そのまま右ストレートを振り抜いた。

 

 玲奈は、先ほど受けた太腿の痛みを顔をしかめて堪えながら、床を無様に転がってギリギリでその拳を回避した。

 

「数が増えたところで、一人ずつ弾いて潰せば結果は同じだ!」

 

 矢吹が吠える。

 

 彼は、単なる能力の相性だけで勝ってきた男ではなかった。防御方向の的確な選択、身体の向きの操作、そして間合いを詰める足運びが、驚くほど洗練されていた。

 

     ◆

 

 床から立ち上がった玲奈は、考えを切り替えた。

 

(……私が、矢吹本人へ直接攻撃を当てることだけを考えるのはやめよう)

 

 水瀬が、近接戦闘で二方向から強烈な圧力をかけてくれている。

 

 矢吹は、致命傷を避けるために、必ずその攻撃へ膜を向けなければならない。

 

 ならば、遠距離にいる玲奈の本当の役割とは。

 

『矢吹が、物理的に膜を向けざるを得ない絶対的な状況を、環境側から作り出すこと』。

 

 玲奈は、巨大な会議室全体を素早く見渡した。

 

 壁際には消火器。床には倒れた長机。

 

 そして天井には、太く巨大な『大型空調ダクト』が這っている。

 

 あのダクトは、極めて重く、表面積が大きい。《反発膜》でも、簡単には吹き飛ばせないはずだ。

 

 しかも、あれを頭上から落下させれば、矢吹は身を守るために、強制的に膜を『上』へと向けざるを得なくなる。

 

 玲奈が、無言のまま水瀬へと鋭い視線を送った。

 

 水瀬は、玲奈に野暮な説明を求めなかった。玲奈の視線と、その先にある天井の空調ダクトを見て、瞬時に彼女の意図する戦術を理解した。

 

 二人の水瀬が、全く同時に動いた。

 

     ◆

 

 左側の水瀬が、矢吹の顔面を狙って鋭く踏み込む。

 

 右側の水瀬が、ほぼ全く同じタイミングで、矢吹の膝裏の関節を狙って低い蹴りを放つ。

 

 矢吹の脳裏に、一瞬の致命的な迷いが生じた。

 

 上半身への打撃を受ければ、脳が揺れて意識を刈り取られる。

 

 脚を払われれば、体勢が完全に崩れて追撃の的になる。

 

 矢吹は、より致命傷になり得る顔面を守るため、膜を『左上』へと向けた。

 

 左の水瀬の拳が弾かれる。

 

 右の水瀬の蹴りが、矢吹の膝裏をかすめた。完全には崩れないが、姿勢がわずかに下がる。

 

 だが、これで矢吹の意識と膜の向きは、完全に『左上』へと固定された。

 

 その一瞬の隙。

 

 玲奈は、床に落ちていた太いボルトを拾い上げ、指先にセットしていた。

 

 彼女が狙うのは、矢吹本人ではない。

 

 天井の巨大なダクトを吊り下げて固定している、数カ所の金属製金具だ。

 

 一発目。

 

 右側の固定金具が、鋭い金属音と共に弾け飛ぶ。

 

 二発目。

 

 左側の固定金具が破壊される。

 

 ギギギッ……! という不気味な音を立てて、巨大な空調ダクトの片側が大きく傾いた。

 

 矢吹が、頭上から迫る巨大な影に気づいて上を見た。

 

     ◆

 

 数百キロの重量を持つ空調ダクトが、矢吹の真上へと剥がれ落ちた。

 

 矢吹は反射的に《反発膜》を『上方』へと全力で展開した。

 

 ズゴォォン!!

 

 巨大なダクトが、透明な膜へと激突する。

 

 小さな高速弾なら、容易に彼方へ弾き飛ばせる。

 

 だが、ダクトはあまりにも大きく、重すぎた。

 

 《反発膜》はダクトの落下速度を弱め、軌道を僅かにずらすことはできたが、完全には吹き飛ばすことはできない。

 

 矢吹の両脚が、凄まじい重圧に耐えきれず床へと沈み込む。

 

 彼の意識も、そして膜の防御方向も、完全に頭上へと固定され、身動きが取れなくなった。

 

 玲奈が叫んだ。

 

「今です!」

 

     ◆

 

 右側にいた水瀬が、矢吹の踏ん張っている軸足を容赦なく刈り取った。

 

 左側の水瀬が、反対側の肩へと全体重を乗せた体当たりを見舞う。

 

 上からはダクトの重圧。

 

 左右からは、二人分の身体能力強化による崩し。

 

 もはや矢吹は、二本足で踏ん張ることは不可能だった。

 

 たまらず片膝をつく。

 

 それでも矢吹は、迫る玲奈への脅威を排除するため、膜を強引に正面へと戻そうとした。

 

 しかし、玲奈はその切り替えの僅かな空白(ラグ)を、絶対に見逃さなかった。

 

 玲奈が、非殺傷用の硬質樹脂弾を指先から射出する。

 

 狙いは、致命傷になる顔面や心臓ではない。厚い身体防護具で守られている、確実な急所。

 

『腹部(みぞおち)』だ。

 

 《圧縮射出》による強烈な一撃が、矢吹のみぞおちへと見事に直撃した。

 

 ドフッ! という鈍い音が響き、矢吹の肺から空気が根こそぎ吐き出された。

 

 横隔膜が麻痺し、呼吸が完全に停止する。

 

 彼を守っていた見えない膜が、フッと空間から消え去った。

 

     ◆

 

 無防備になった矢吹へ、二人の水瀬が左右から同時に組みついた。

 

 片方が右腕を、もう片方が左腕を極める。

 

 矢吹は酸素が足りない苦しい状態のまま、身体能力強化で強引に振りほどこうとするが、腹部への一撃のダメージで全く力が入らない。

 

 そこへ、玲奈が落ちていた長い金属製のポールを矢吹の脚の間へ滑り込ませ、テコの原理で彼の体勢を完全に引っくり返した。

 

 三人がかりで、巨漢を床へとねじ伏せる。

 

 水瀬の一人が、矢吹の首と肩を膝で制圧。

 

 もう一人が、腕を折れる寸前の角度で極める。

 

 玲奈は、仰向けに倒れた矢吹の視界のど真ん中へ、追加の樹脂弾を構えた指先を突きつけた。

 

「……まだ続けるなら、次はあなたの膝の皿を撃ち抜きますよ」

 

 矢吹は、数秒間だけ屈辱に顔を歪めて抵抗を試みた。

 

 しかし、もはや《反発膜》を出す方向すら封じられ、脱出不可能であることを悟り、力なく床を二度叩いた。

 

『《BREAK LINE》矢吹宗一、降参(タップアウト)を確認』

 

『戦闘続行不能』

 

『残存人数――FIELD WORKS三名、BREAK LINE一名』

 

     ◆

 

 壁のスピーカーから流れた残存人数のアナウンスを聞き、玲奈は構えていた手を下ろして大きく息を吐いた。

 

「あと一人。佐伯さんの相手をしてる、城戸だけですね」

 

「はい。すぐ佐伯さんのところへ向かいましょう」

 

 ただし、城戸が試合開始直後に破壊した中央通路は、完全に塞がれている。直通の階段も崩落していた。

 

 二人は、別の非常用階段か迂回路を探して、上階へ向かわなければならない。

 

 水瀬の一人が、偵察として先行して駆け出す。

 

 もう一人の水瀬が、矢吹のローキックを受けて脚を痛めている玲奈の肩を貸して支えた。

 

 一方。

 

 直人が戦っている上階の区画のスピーカーは、城戸の《衝撃伝播》の余波によってすでに完全に破損し、沈黙していた。

 

 加えて直人は、城戸との極限の死闘の真っ最中であり、自分の腕の試合端末の通知を確認するような余裕は一秒たりともなかった。

 

 そのため。

 

 美雨が敗北したこと。矢吹も敗北したこと。相手はもはや城戸一人だけであること。

 

 そのすべての有利な情報を、『直人だけ』が全く知らない状態だった。

 

 直人は今この瞬間も、「水瀬さんも、玲奈さんも、どこかで苦しい一対一を戦い続けているはずだ。俺がここで負けるわけにはいかない」と、一人で悲壮な決意を抱きながら戦っていた。

 

     ◆

 

 上階の廊下。

 

 直人は《動体視の魔眼》をフル稼働させながら、城戸の予測不能な攻撃を避け続けていた。

 

 回避を重ねるごとに、直人の視界の端で解析率は着実に上がっていく。

 

『《衝撃伝播》解析率:六十四%』

 

『解析率:七十二%』

 

 城戸との戦闘が始まってから、すでに六分以上が経過していた。

 

 直人はその間に、《身体能力強化》の三分ごとの継続確認を二度選んでいる。

 

『《身体能力強化》の効果を継続します』

 

『使用可能回数:残り十七回』

 

 戦闘の中で、直人は城戸の能力の輪郭を明確に掴みつつあった。

 

 城戸が直接触れた固体の構造物へ、衝撃を流し込んでいること。

 

 その衝撃は、物理的に繋がった構造物の中を波のように伝うこと。

 

 城戸からの距離が長ければ長いほど、俺に届く時の威力が減衰していること。

 

 コンクリートから鉄骨へなど、材質や接続部分が変わると伝達精度が極端に落ちること。

 

 何もない空間を自由に飛ばしているわけではないこと。

 

 そして何より、城戸本人の『打撃』が、すべての衝撃の起点となっていること。

 

 直人は、城戸の能力をかなり攻略できたと思い始めていた。

 

 城戸が床を踏みつけたら、直人は真上へ跳躍する。

 

 城戸が壁を殴ったら、壁面から素早く身体を離す。

 

 城戸が柱を蹴ったら、その柱と接続されている床や天井の梁の延長線上を避ける。

 

 実際、この数分間で直人の被弾は劇的に減っていた。

 

 圧倒的だった城戸の表情からも、徐々に余裕が薄れ始めているのが分かった。

 

     ◆

 

 だが、直人は戦いながら、拭いきれない一つの『違和感』を覚えていた。

 

 城戸は、直人を無秩序に追い回しているわけではない。

 

 廊下の中央。頑丈な耐力壁の前。太い支柱の横。上階の梁が交差する真下の地点。

 

 直人が右へ逃げようとすると、先回りして床から衝撃を放つ。左へ避けようとすると、壁から衝撃を放つ。

 

 結果として、直人は常に、城戸が望む『特定のポイント』へと羊のように追い込まれ、誘導されている。

 

(……城戸は、明確に何かを狙っている)

 

 直人の警戒心が高まる。

 

 しかし、城戸が一体何を準備し、何を狙っているのかまでは、直人の経験値ではまだ読み切れていなかった。

 

     ◆

 

 城戸もまた、目の前で息を切らす直人を高く評価していた。

 

 通常の相手なら、初撃の床からの衝撃か、壁からの奇襲、あるいは純粋な近接格闘のどれかで、とうに倒れているはずだ。

 

 だが直人は、初見の理不尽な能力を、戦闘しながら瞬時に解析し、空中で軌道を変えるなどして、次々と攻撃線を外し始めている。

 

「大したもんだ」

 

 城戸が、拳の構えを解かずに言った。

 

「俺の能力を初見でここまで見切って、立っていられる奴は、そう多くない」

 

「……褒めてくれるなら、大人しく降参してくれてもいいんだけどな」

 

 直人が、口の端の血を拭いながら返す。

 

 城戸は、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「逆だ。お前がここまで耐えたからこそ、俺の『奥の手』で完膚なきまでに叩き潰す価値がある」

 

 その言葉を聞いた瞬間、直人の全身の毛穴が開き、警戒が最大まで跳ね上がった。

 

 同時に、視界の端へ三度目の継続確認が表示される。

 

『《身体能力強化》の効果時間が終了します』

 

『効果を継続しますか?』

 

 直人は迷わず【YES】を選んだ。

 

『《身体能力強化》の効果を継続します』

 

『使用可能回数:残り十六回』

 

 発動から九分。

 

 少なくとも、城戸との戦いが長期戦になっていることだけは間違いなかった。

 

     ◆

 

 城戸が、直人へ向かって間合いを詰めるのをやめた。

 

 直人の拳が届かない、数メートル離れた位置。

 

 城戸は、右脚を高く振り上げた。

 

 直人は、床からの強力な衝撃を警戒し、いつでも跳躍できるように膝を曲げて構えた。

 

 城戸の踵が、床のコンクリートへと激しく叩き込まれる。

 

 ドンッ!

 

 床全体が低く震える。

 

 しかし。直人の足元からは、すぐには衝撃が噴き上がってこなかった。

 

 直人は、跳躍のタイミングを外され、その場に留まる。

 

(……攻撃が、来ない?)

 

 直人の魔眼と《ライブラリ》は、城戸の放った衝撃が、床の内部を『通常よりも遥かに長い経路』で、ゆっくりと移動していることを捉えていた。

 

『複数の伝播経路を検出しました』

 

     ◆

 

 城戸は、踵を床へ落とした直後、その勢いのまま身体を大きく回転させた。

 

 そして、横にあるコンクリート壁へ向けて、全体重を乗せた左肘を叩き込んだ。

 

 ドゴンッ!

 

 再び、直人の周囲では何も起きない。

 

 床への一撃。壁への一撃。

 

 直人は、その二つの攻撃が単なる不発だったとは決して考えなかった。

 

 城戸が、わざと異なる構造物へ、異なるタイミングで衝撃を流し込んでいる。

 

 だが、その真の狙いが分からない。

 

『伝播時間の差異を確認』

 

『解析率:八十一%』

 

     ◆

 

 城戸は最後に、自分のすぐ横にある建物の太い支持柱へ向けて、渾身の右の正拳突きを振りかぶった。

 

 その拳が柱へ触れる直前。城戸が吼えた。

 

「三本の脈は、すべて同じ場所へ通じている!」

 

 直人の魔眼が、信じられない光景を捉えた。

 

 床の奥深くを遠回りして走る衝撃(地脈)。

 

 壁の中を中距離で走る衝撃(壁脈)。

 

 そして今、柱から天井の梁を通って直上から迫る衝撃(梁脈)。

 

 それぞれの経路は全く違う。城戸からの距離も違う。城戸が打撃を放った時刻もズレている。

 

 それなのに。

 

 その三つの巨大な衝撃が、直人の立っている『全く同じ一点』へと向けて、寸分の狂いもなく『同時に』到着しようとしていた。

 

 城戸が、己の必殺の奥義名を叫ぶ。

 

「《三脈合震・城落とし》!!!」

 

     ◆

 

 直人の理解が、ほんの一瞬だけ遅れた。

 

 直人は、城戸の三回の打撃をすべて目で見ていた。

 

 だが、彼は「三発の攻撃が、順番に飛んでくる」と無意識に考えてしまっていたのだ。

 

 一発目を避ける。二発目に対応する。最悪、三発目はガードで受ける。それなら対処できる、と。

 

 しかし《城落とし》は違った。

 

 一番長い経路へ最初に流した衝撃。中間の経路へ二番目に流した衝撃。最短経路へ最後に流した衝撃。

 

 すべてが、直人の立つ一点へ『全く同じ時刻に着弾』するように、城戸の超人的な感覚で調整されていたのだ。

 

 直人がそれに気づいた時には、三方向からの破壊的な衝撃が、すでに目前数センチまで迫っていた。

 

 逃げる時間は、ゼロだった。

 

     ◆

 

 直人は、反射的に手持ちの二枚の手札を同時に切った。

 

 一つ目は《自己質量操作》。

 

 自身の質量を限界まで一気に増加させる。三方向からの衝撃で、身体をボールのように簡単に吹き飛ばされ、壁に激突して砕かれるのを防ぐためだ。

 

『《自己質量操作》残り二回』

 

 二つ目は《蓄撃》。

 

 受ける運動エネルギーの一部を吸い込み、保存する。ただし、蓄撃の容量には限界がある。三方向から来るすべての殺人的な衝撃を、無傷で吸収できるわけではない。

 

『《蓄撃》残り二回』

 

 直人は両腕を顔の前で強く交差し、頭部と胸部の急所だけを必死に守った。

 

 直後。

 

     ◆

 

 足元の床から、突き上げるような上向きの衝撃。

 

 背後の壁から、トラックに撥ねられたように前へ押し出す衝撃。

 

 そして天井の梁を経由し、斜め上から頭蓋骨を砕こうと叩きつける衝撃。

 

 三つの破壊力が、全く同時に直人の肉体へと命中した。

 

 質量を増やした直人の身体は、大きく吹き飛びはしなかった。

 

 だがその代わり、三方向からの逃げ場のない力を逃がすことができず、身体の内部へとまともに受けることになった。

 

 膝の関節が悲鳴を上げて浮く。背骨が前へへし折られそうに押される。肩と頭部が万力で潰されるように下へと叩かれる。

 

 直人の身体が不自然な角度に折れ曲がり、そのまま床へと激しく叩きつけられた。

 

 ズドォォン!!

 

 直人の周囲のコンクリートの床が、衝撃の余波で綺麗な円形に砕け散った。

 

 直人の口の中に、濃い鉄の味が広がる。

 

 肺から空気が抜け、呼吸が完全に止まる。視界が一瞬、真っ黒に暗転した。

 

 《蓄撃》は一方向分の衝撃を保存しただけで容量の上限に達し、残る二方向分の衝撃は、そのまま直人の身体を容赦なく破壊していた。

 

     ◆

 

 城戸自身も、無傷ではなかった。

 

 三つの打撃をコンマ単位の正確な時間差で放ち、異なる強固な構造物へと最大出力の衝撃を流し込んだため、彼の踵、左肘、右拳の骨には、強烈な反動のダメージが蓄積していた。

 

 呼吸も荒く、肩で息をしている。

 

 それでも、城戸は粉塵の中で倒れ伏した直人を見て、己の完全な勝利を確信した。

 

「三つの衝撃を、三つの異なる経路で流す」

 

「距離が違えば、届く時間も違う。だったら……打ち込む順番を逆算して合わせて、全く同じ瞬間に届かせりゃいいだけの話だ」

 

 城戸は、自分の奥義の細かな原理をペラペラと解説しすぎることはしなかった。

 

 ただ、直人を確実に仕留めたという絶対の自信から、その核心だけを勝利宣言として口にした。

 

「一発ずつなら避けられる相手なら、避けられないように三発を同時に叩き込む。それが、俺の《三脈合震・城落とし》だ。よく耐えたよ、お前は」

 

     ◆

 

 城戸が、トドメの確認のために直人へと近づこうとした。

 

 会場の審判システムが、直人の生体反応の低下を検知し、戦闘不能のカウントダウン判定を始めようとする。

 

 しかし。

 

 ピクリ、と。

 

 直人の血まみれの指が動いた。

 

 砕けたコンクリートの床へ、力強く手をつく。

 

 折れそうになる膝を、気力だけで立てる。

 

 潰された肺へ、血の混じった空気を無理やり吸い込む。

 

 直人は、全身の激痛に顔を歪めながらも、ゆっくりと、だが確実に立ち上がった。

 

 城戸の目が、信じられないものを見るように見開かれる。

 

「……その一撃をまともに食らって、まだ立つのか。お前」

 

 直人は、口の中に溜まった血の混じった唾を、ペッと横へ吐き捨てた。

 

「ああ。……しがない会社員は、これくらいじゃ、課長に有給を取らせてもらえないんでね」

 

 本人としては、恐怖と痛みを誤魔化すための、ただの精一杯の強がりだ。

 

 しかし、城戸の目には、自分の最大最強の必殺技を受けても微塵も戦意が折れていない、底知れない狂気を持った男の姿として映っていた。

 

     ◆

 

 《城落とし》を結果としてその身でまともに受け、その全工程を肉体で体験したことで、直人の《ライブラリ》の解析が一気に最終段階へと進んでいた。

 

『三系統の同時伝播経路を確認しました』

 

『経路ごとの到達時間の調整メカニズムを確認しました』

 

『指定地点への同時着弾プロセスの観測を完了しました』

 

『《衝撃伝播》解析率:九十三%』

 

 まだ、百%にはわずかに届かない。

 

 だが直人は、この奥義の『致命的な制限』を完全に理解していた。

 

 制限一。

 

 三つの衝撃が通る、連続した強固な構造経路が不可欠であること。床、壁、柱や梁。その三本が、標的のいる一点へと物理的に繋がっていなければ成立しない。

 

 制限二。

 

 着弾地点は、城戸が最初の一撃を放った時点で固定されてしまうこと。後から移動する標的を、ホーミングして追尾することはできない。

 

 制限三。

 

 三回の打撃を、極めて正確な順番とタイミングで放つ必要があること。途中で城戸の体勢が崩れるなどして妨害されれば、奥義は完成しない。

 

 制限四。

 

 一度使った場所は、三つの強烈な衝撃が集中したことによって、床や壁が粉々に損傷してしまう。つまり、全く同じ経路をそのまま再利用することはできない。

 

 城戸が次にもう一度この奥義を使うなら、必ず『別の構造上の交点(ポイント)』へと、再び直人を誘導して追い込む必要があるのだ。

 

     ◆

 

 直人は、足を引きずり、まともに立てないふりをした。

 

 実際、身体の内部はひどく痛んでいる。だが、《自己質量操作》と《蓄撃》の防御のおかげで、致命傷には至っていない。歩けないほどではなかった。

 

 《蓄撃》に保存できる運動エネルギーは、十秒ほどで急速に減衰していく。

 

 城戸が勝利を確信し、直人が立ち上がってから、まだ数秒しか経っていない。それでも、保存した《城落とし》の衝撃を反撃へ使える時間は、ほとんど残されていなかった。

 

 城戸は、直人のふらつく姿を見て、「次の一撃で確実に終わる」と判断した。

 

 彼は通常の《衝撃伝播》を使って、直人の移動方向をコントロールし始める。

 

 右へ行けば壁から衝撃を放ち、左へ逃げようとすれば床から衝撃を放つ。

 

 直人は、まるで抗う力がないかのように、城戸の狙い通りにフラフラと数メートルだけ後退し、最初の着弾地点のすぐ近くにある、別の太い柱と耐力壁が交差する区画へと追い込まれた。

 

 城戸は、全く気づいていない。

 

 直人は、一方的に追い込まれているのではない。

 

 城戸が二度目の《城落とし》を使うための条件が揃う場所(交点)へと、意図的に『選ばせて』誘い込んでいるのだということに。

 

     ◆

 

 城戸は、新しい交点を確認した。

 

 正面に床。右側に壁。背後に太い柱。三本の完璧な伝播経路が存在する。

 

 城戸が、トドメを刺すべく宣言した。

 

「一度耐え切ったのは、素直に褒めてやる」

 

「……」

 

「だが、二度目はないぞ」

 

 直人は、激痛に耐えながらボクシングの構えを取った。

 

「そうだな。……二度目はない」

 

 城戸は、それが「お前が死ぬから二度目はない」という意味だと思った。

 

 しかし直人が言っているのは、「俺が、同じ技を二度も食らってやることは絶対にない」という意味のダブルミーニングだった。

 

     ◆

 

 城戸が、一撃目の踵を床へと落とす。

 

 直人の魔眼は、その足裏の角度と、衝撃が地中を流れる方向を正確に捉えた。

 

 最初の経路(地脈)。床を大きく迂回してくるため、最も早く打ち込まれた。

 

『解析率:九十六%』

 

 城戸が、流れるような動作で二撃目の肘を壁へ打ち込む。

 

 二本目の経路(壁脈)。床よりは短く、柱よりは長い。

 

『解析率:九十八%』

 

 直人は、二つの巨大な衝撃が、自分のいる地点へ向かって確実に突き進んできているのを足元と背中に感じていた。

 

 だが、まだ動かない。

 

 城戸に三発目まで完全に打たせなければ、能力の完全な構造を観測しきれないからだ。

 

     ◆

 

 城戸が、最後となる三撃目の右の正拳を、背後の柱へと振りかぶった。

 

 この拳が柱へ届けば、三本目が最短経路を走り、三発の衝撃が直人へ同時着弾して終わる。

 

 直人は、ここで初めて動いた。

 

 《重心転写》を発動する。

 

 自分の重心を、本来の身体の外側へと一瞬だけ置く。

 

 負傷してボロボロの身体では物理的に不可能な角度と初速から、横へと滑るように急加速した。

 

『《重心転写》残り一回』

 

 直人の身体が、倒れかけたような異常な姿勢から、城戸の懐へと向かって鋭く踏み込む。

 

 城戸の目が、信じられないものを見るように見開かれた。

 

     ◆

 

 城戸の拳が柱へ触れ、三本目の衝撃が構造内部へ流れ込み始めた瞬間。

 

 直人の視界で、《ライブラリ》が最後の情報を完成させた。

 

『伝播経路の指定方法を確認しました』

 

『到達時間調整の全工程を完全に確認しました』

 

『解析率:百%』

 

『《衝撃伝播》Tier4を正式登録しました』

 

『残り使用可能回数:三回』

 

『正式登録異能数:九個』

 

 登録異能十個の条件までは、あとたった一個。

 

 ただし、もう一方の登録技能二十個の条件までは、まだ九個残っている。

 

 しかし直人に、その通知を喜んでいる暇はなかった。

 

     ◆

 

 直人は、懐へ入り込んだが、城戸本人を殴りはしなかった。

 

 踏み込んだ右足で、城戸の足元の床を、憎たらしいほど強く踏みつけた。

 

 城戸が、直人の行動の意味を一瞬理解できず、怪訝な顔をする。

 

 その直後。

 

 直人が床へと流し込んだ《衝撃伝播》が、城戸の軸足の真下から、凄まじい勢いで噴き上がった。

 

『《衝撃伝播》残り二回』

 

 ドンッ!

 

「なっ……!?」

 

 城戸の右脚が、下からの衝撃で無様に宙へと浮く。

 

 柱へ放つはずだった彼の必殺の正拳が、大きく狙いを外す。

 

 拳は柱へ触れていたものの、軸足を跳ね上げられたことで接触角度が大きくずれ、流れ込み始めた三本目の衝撃は途中で途切れた。

 

 予定された最短経路へ十分な威力を乗せることができず、《三脈合震・城落とし》は未完成のまま不発に終わる。

 

 先に放たれていた床と壁の二発の衝撃も、直人が固定地点から《重心転写》ですでに離脱していたため、誰もいない空間へ別々に炸裂し、虚しくコンクリートを砕いただけだった。

 

     ◆

 

 城戸は、自分の足元から発生した見知った衝撃に、完全に顔を歪ませた。

 

「今のは……俺の《衝撃伝播》……!?」

 

 直人は、能力名を肯定しなかった。

 

「さあな。裏の世界で、自分の手札を全部見せる馬鹿はいないだろ?」

 

 青柳と真壁の試合を観戦した夜、白川社長へ返した言葉を、今度は実戦の場でそのまま使ってやった。

 

 城戸の脳裏に、「こいつは最初から同系統の異能を隠していたのか」「今まで温存していたのか」「自分との死闘の中で突然似た能力に覚醒したのか」と、無数の混乱が渦巻く。

 

 彼が「自分の能力をその場でコピーされた」という真実に辿り着くことはない。

 

     ◆

 

 しかし、城戸はまだ倒れていない。

 

 足元を完全に崩されながらも、即座に体勢を戻そうとする。純粋な空手の技術と身体能力強化のベースは、紛れもなく本物だ。

 

 城戸は左脚一本で強引に踏ん張り、直人の顔面へ向けて起死回生のカウンターの左フックを放った。

 

 直人は、その強烈な拳をあえて完全には避けない。

 

 両腕のガードで、ガッチリと受け止める。

 

 《城落とし》を受けた際、直人の《蓄撃》に保存された膨大な運動エネルギーは、まだ彼の中に残っている。

 

 直人は、城戸のフックの衝撃を受け止めながら、最後の大技への準備を完了させた。

 

 《城落とし》から保存していた運動エネルギーは、すでに大きく減衰している。

 

 それでも、完全に消える寸前の最後の残滓は、まだ《蓄撃》の中に残っていた。

 

     ◆

 

 直人が、《無拍子》を発動する。

 

『《無拍子》残り二回』

 

 城戸の知覚から、直人がこれから行う攻撃の『開始の認識』がすっぽりと抜け落ちる。

 

 蹴りのための重心移動。軸足の踏み込み。腰の回転。脚を持ち上げる予備動作。

 

 城戸には、直人がまだガードを固めて立ち止まっているようにしか見えていない。

 

 次の瞬間には、直人の前蹴りが、己の眼前まで到達していた。

 

 直人が放ったのは、黒瀬との訓練で身体に永久登録した通常技能。

 

 《身体能力強化特化前蹴り》。

 

 《身体能力強化》の出力を、軸足、腰、膝、そして足裏へと極限まで集中させる。

 

 さらに、直人は《蓄撃》のストッパーを外し、保存していた《城落とし》のエネルギーの一部を、その蹴りへと上乗せして解放した。

 

 城戸自身が放った最強の奥義の衝撃が、直人の前蹴りへと混ざり合い、持ち主へ向けて叩き返される。

 

     ◆

 

 《無拍子》によって予備動作が見えない。

 

 《衝撃伝播》で軸足を崩されている。

 

 《重心転写》によって、直人は本来入り込めない死角の角度へと踏み込んでいる。

 

 《蓄撃》が威力を倍加させている。

 

 そして、《身体能力強化特化前蹴り》の完璧なフォーム。

 

 直人のすべての手札が重なり合った一撃が、城戸の腹部のプロテクターへと、文字通り直撃した。

 

 ドゴォォンッ!!

 

 城戸の百キロ近い巨体が、廊下を水平に吹き飛んだ。

 

 背後の分厚いコンクリート壁へと激突し、壁面に蜘蛛の巣のような巨大なひびが走る。

 

 城戸は、壁から崩れ落ち、意地で立とうとする。

 

 片膝をつく。

 

 だが、腹部に全く力が入らない。呼吸も戻らない。

 

 彼は最後に直人の顔を見上げ、掠れた声で絞り出した。

 

「……お前、一体何個、能力を隠してやがる……」

 

 直人は、肩で激しく息をしながら、ニヤリと笑って答えた。

 

「企業秘密だよ」

 

 城戸が、糸が切れたように床へと倒れ伏した。

 

     ◆

 

 試合会場の審判システムが、城戸の状態を厳密に確認する。

 

 意識の低下。自力での起立不能。継続的な防御行動の不能。

 

 システムは、彼を戦闘続行不能と判定した。

 

『《BREAK LINE》城戸岳人、戦闘続行不能』

 

『《BREAK LINE》全選手の戦闘不能を確認しました』

 

『三対三遭遇戦、試合終了』

 

『勝者――チーム《FIELD WORKS》』

 

 直人は、その無機質なアナウンスを聞いて、全身の力が抜けるように息を吐いた。

 

 まず、「俺が最後の一人を倒して、試合が終わった」ということは理解した。

 

 だが次の瞬間、猛烈な違和感に襲われる。

 

(……全選手の戦闘不能を確認? 水瀬さんたちの相手も、倒れたのか?)

 

 直人は、自分の腕に巻かれた試合端末の画面を見た。

 

     ◆

 

 端末には、各選手の戦闘不能の時刻が正確にログとして表示されている。

 

『榊美雨――試合開始五分台で降参』

 

『矢吹宗一――試合開始十分前後で降参』

 

『城戸岳人――たった今、戦闘続行不能』

 

 直人は、目をこすって画面を二度見した。

 

 自分が城戸と命懸けの死闘を繰り広げていた間に。

 

 水瀬は早々に美雨を倒し。

 

 すぐに玲奈への援軍に向かい。

 

 二人で協力して矢吹も倒していたのだ。

 

 それも、俺が城落としを食らって血を吐いている間に、とっくの昔に。

 

 直人が、思わず素っ頓狂な声で叫んだ。

 

「ええっ!?」

 

「あいつら、もうとっくに勝ってたの!? 早くない!?」

 

 廃ビルの静寂に、直人の情けない声が虚しく響き渡った。

 

 さっきまでの格好良さが、すべて吹き飛んだ瞬間だった。

 

     ◆

 

 数分後。

 

 迂回路を見つけた水瀬と玲奈が、崩れた階段の向こうから姿を現した。

 

 玲奈は少しだけ脚を引きずっている。水瀬も服のあちこちを埃で汚していたが、目立った負傷はほとんどない状態だった。

 

 水瀬が、倒れて気を失っている城戸と、埃と血まみれで立っている直人を交互に見て、ニコリと微笑んだ。

 

「お疲れ様です、佐伯さん♡」

 

 玲奈も、呆れたような声で言う。

 

「代表、遅かったですね。私たちが終わってから、結構待ちましたよ」

 

 直人が、たまらず反論する。

 

「遅かったって……! 俺の相手、明らかにリーダー格で一番強かったんだけど!? ビル全体から殴ってくるうえに、最後はとんでもない必殺技まで出してきたんだぞ!」

 

 玲奈は、周囲の派手に崩壊した壁や床を見て、肩をすくめた。

 

「私たちの相手も、結構面倒な能力でしたよ。でも、二人で袋叩きにしたら、すぐに終わりました」

 

 水瀬が、笑顔で補足する。

 

「正確には、私の相手は『最初から二人で袋叩きにした』んですけどね♡」

 

 直人は、

 

(そりゃ、水瀬さんを相手に一対一を作ろうとした敵が悪いわ……)

 

 と、心の底から同情した。

 

     ◆

 

 玲奈は、代表の無事や戦闘の感想よりも先に、自分のチーム端末の報酬確定画面を食い入るように確認した。

 

「勝利報酬、満額で振り込まれます! これで、オフィスの家賃が赤字になりません!」

 

「良かったですね。損壊費の請求も、契約通り一切ありません♡ 初期費用の一部も確実に回収できますね」

 

 水瀬も、横で素早く医療費と経費の計算を始めている。

 

 直人は、全身をギシギシと痛めながら思った。

 

 敵のリーダーの必殺技を食らい、壁へ叩きつけられ、命懸けで勝った結果として、仲間から最初に喜ばれるのが『家賃の支払い』だ。

 

 実に、俺たちフィールドワークスらしいじゃないか。

 

     ◆

 

 試合後、ネクサスの医療チームの処置を受けた城戸が、担架に乗せられる前に、直人へ向かって短く敗北を認めた。

 

 彼ら《BREAK LINE》の分断作戦自体は、見事に成功していたのだ。

 

 直人たちは三人とも完全に孤立し、水瀬以外には、一対一の状況を強制できていた。

 

 だが彼らは、「自分が勝てば、仲間も同じように勝っているだろう」と、個人の力だけを信じ切っていた。

 

 それに対してフィールドワークスは、水瀬が美雨を倒し、すぐに玲奈の戦場へ移動し、玲奈と共同で矢吹を倒し、最後に直人の状況を確認しに来るというように、勝った者が『次の味方を助ける』という連携に動いた。

 

「俺たちは、一対一の状況を三つ作ることしか考えていなかった」

 

 城戸が、自嘲気味に笑う。

 

「お前らは、一つ勝つたびに、戦力を次へと回して波状攻撃を仕掛けた。分断した時点じゃ、確かに俺たちが勝ってたんだがな」

 

 直人は、苦笑して返す。

 

「こっちも、そこまで立派な作戦を最初から決めてたわけじゃないですよ。うちの事務長が勝手に早く倒して、勝手に後衛を助けただけです」

 

 水瀬は、城戸へ向かって可愛らしく微笑んだ。

 

「勝った人間が、最善の場所へ動いただけですよ♡」

 

     ◆

 

 医療確認が終わり、解散する前。

 

 直人は一人になった建物の影で、こっそりと《ライブラリ》の画面を開いた。

 

 新規登録の項目。

 

『《衝撃伝播》Tier4』

 

『残り使用可能回数:二回』

 

 登録時は三回だったが、城戸の足元へ一回使用したため、残りは二回になっている。

 

『正式登録異能数:九個』

 

『次回機能拡張条件――登録異能数十個まで、あと一個』

 

『登録技能数二十個まで、あと九個』

 

 直人は、その表示を見て一瞬だけ喜んだ。

 

 だが、まだ《城落とし》を受けた全身の骨と筋肉が悲鳴を上げている。

 

「あと一個か……。いや、その前に、このボロボロの身体を治さないとな」

 

 試合終了時の直人の台帳は、以下の通りだった。

 

 《身体能力強化》:16回

 

 《アイテムボックス》:3回

 

 《動体視の魔眼》:2回

 

 《自己質量操作》:2回

 

 《蓄撃》:2回

 

 《無拍子》:2回

 

 《重心転写》:1回

 

 《圧縮射出》:3回

 

 《衝撃伝播》:2回

 

 明日の《日次再装填》では、まず残り一回になっている《重心転写》を三回へ戻すのが一番効率的だろう、と直人は事務的に計算した。

 

     ◆

 

 夜。フィールドワークスの小さな事務所。

 

 試合を終え、着替えた三人が、少し埃っぽい匂いのする狭い部屋へと戻ってきた。

 

 玲奈は、自分のデスクで勝利報酬の分配表をニヤニヤしながら見つめている。

 

 水瀬は、真剣な顔でパソコンに向かい、医療費と消耗品の経費をエクセルに入力している。

 

 直人は、自分の椅子に深く沈み込み、首と腰に湿布をペタペタと貼り付けていた。

 

 中央のチーム専用端末には、青い文字でこう表示されている。

 

『《FIELD WORKS》』

 

『チーム戦績:一戦一勝』

 

『勝率:一〇〇%』

 

 玲奈が、満足そうに頷いて言った。

 

「やりましたね。勝率一〇〇パーセントです。これなら、企業からの指名依頼もすぐ来ますよ」

 

 直人が、湿布の匂いをさせながらツッコミを入れる。

 

「まだ、一試合しかしてないけどな」

 

 水瀬が、キーボードを叩く手を止めて微笑んだ。

 

「一試合目で負けていたら、勝率は〇パーセントで、この事務所も解約でしたよ♡」

 

 直人は、何も言い返せなかった。

 

 その横で、直人の視界の端には、『登録異能数十個まであと一個』『登録技能数二十個まであと九個』という《ライブラリ》のシステム文字が、淡く輝き続けている。

 

 初めてのチーム戦。新しい強力な異能。組織としての最初の勝利。そして何より、家賃の黒字化。

 

 俺たちフィールドワークスの初陣は、三人全員が、想定以上の素晴らしい成果を持ち帰って終わった。

 

 こうして俺たちの記念すべき初勝利は、頼もしい仲間の強さを知る感動よりも先に、「俺の決着が一番遅かった」という微妙に納得しづらい事実だけを、俺の胸へと深く刻み込んだのだった。




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