冴えない中年平社員、見た技と異能をコピーして企業代理戦で成り上がる   作:パラレル・ゲーマー

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第3話 どうやら俺は能力者らしい

 静寂を破るインターホンの電子音が、狭いワンルームに響き渡った。

 

 時刻は午後九時を少し回ったところだ。

 

 普段なら、この時間に訪ねてくる人間などいない。宅配便の再配達を頼んだ覚えもなければ、そもそも俺に荷物を送ってくるような知人も限られている。

 

 夕食の片づけをしようとしていた俺は、シンクの前で手を止めた。

 

 そっと玄関脇のモニターへ近づく。

 

 小さな液晶画面に映っていたのは、地味なグレーのパンツスーツに身を包んだ女性だった。

 

 年齢は二十代後半か、いって三十代前半だろうか。

 

 肩に届かない程度に切りそろえられた黒髪。薄めの化粧。整った顔立ちではあるが、愛想笑いの一つも浮かべていない表情は、どこか無機質で隙がない。

 

 飛び込みの営業という雰囲気ではない。

 

 どちらかといえば、役所の人間か。

 

 あるいは――警察関係者か。

 

 俺は少し迷った末、応答ボタンを押した。

 

「はい……どちら様ですか?」

 

 女性は、まるでモニター越しにこちらの目を見据えるように、真っ直ぐカメラへ顔を向けた。

 

『夜分遅くに申し訳ありません、佐伯直人さん』

 

 名前を呼ばれた瞬間、背筋が強張った。

 

『先日のコンビニ強盗事件について、少々お話を伺いたいのですが』

 

 感情の起伏をほとんど感じさせない、平坦な声だった。

 

 俺の顔から、さっと血の気が引いていく。

 

 昨日の事件。

 

 防犯カメラに映っていたであろう、俺の常軌を逸した動き。

 

 それが、早くも問題になったのか。

 

「……警察の方ですか?」

 

 警戒心を滲ませながら、短く問い返す。

 

『いいえ、警察ではありません』

 

 女性はあっさりと否定した。

 

『ただし、今回の件につきましては、所轄の警察署から正式に情報提供を受けて動いております』

 

 警察ではないが、警察と情報を共有している組織。

 

 ますます得体が知れない。

 

「あの、所属を確認させてもらってもいいですか。こんな時間に、いきなり来られても困るんですが」

 

『ごもっともです』

 

 女性はカメラの前へ、黒い革張りの手帳のようなものを提示した。

 

 開かれた身分証には、顔写真とともに、見慣れない長い組織名が印字されている。

 

『内閣府特殊事象管理局・関東地方管理室』

 

 それが彼女の所属らしい。

 

 特殊事象管理局。

 

 聞いたこともない。

 

 だが、妙に地味で行政的な名称は、適当な詐欺グループが名乗るにしては現実味がありすぎた。

 

『身分証に記載されている代表番号を、お手元の端末で検索していただいて構いません。そちらの窓口へ確認を入れていただくことも可能です』

 

 俺はモニターから目を離さず、ポケットからスマートフォンを取り出した。

 

 言われたとおり、検索窓へ『特殊事象管理局』と入力する。

 

 一番上に表示されたのは、いかにも政府系といった趣の、簡素で愛想のないウェブサイトだった。

 

 業務内容の欄には、

 

『特殊災害および関連事象への対応、調査、記録』

 

 とだけ書かれている。

 

 具体的な活動内容は一切分からない。

 

 本物なのか。

 

 それとも、巧妙に作られた偽のサイトなのか。

 

 今の俺には判断できない。

 

 だが、少なくとも、ただの押し売りや無関係な詐欺師ではないことだけは確かだった。

 

 俺の名前を知り、コンビニ事件と俺を結びつけている。

 

 ここで居留守を使ったところで、問題が消えることはない。

 

 小さく息を吐き、俺は玄関のドアノブへ手をかけた。

 

 チェーンをかけたまま、数センチだけドアを開く。

 

 廊下の冷たい空気が室内へ流れ込んだ。

 

 同時に、スーツ姿の女性と直接向き合う。

 

 彼女は威圧的な態度を取るでもなく、かといって愛想よく微笑むでもない。

 

 淡々とした手つきで、もう一度身分証を俺の前へ提示した。

 

「初めまして。今回の事件を担当しております、霧島と申します」

 

 霧島と名乗った女性の目は、夜の水面のように静かだった。

 

「警察ではないのに、どうして俺の住所まで分かったんですか?」

 

「事件関係者として作成された調書に記載されております。警察から必要な範囲で情報提供を受け、それに基づいて訪問いたしました」

 

 淀みのない回答だ。

 

 やはり、俺の情報は完全に把握されている。

 

 防犯カメラの映像が『上』に回された結果が、これなのだろう。

 

「長いお話にはなりません。ただ、ここでは少々人目がありますので」

 

 霧島が廊下の左右へ視線を向ける。

 

「……部屋に入れる必要がある、ということですか?」

 

「できれば。廊下でお話しする内容ではありませんので」

 

 相手は女性一人だ。

 

 見る限り、武器らしいものも持っていない。

 

 それでも、正体不明の公的機関を名乗る人物を部屋へ入れることには抵抗があった。

 

 だが、ここで追い返し、明日会社にまで来られたら、それこそ取り返しがつかない。

 

 俺は渋々ドアチェーンを外した。

 

「狭いし、散らかってますけど……どうぞ」

 

「では、警戒しつつお邪魔します」

 

「警戒するのは、俺の方だと思うんですが」

 

「お互いに、ということで」

 

 霧島は平然と答え、軽く一礼した。

 

 玄関のたたきで音を立てずにパンプスを脱ぎ、つま先をきれいに外側へ向けてそろえる。

 

 几帳面なその動作に、彼女の性格が表れているようだった。

 

 部屋には、小さなテーブルと折りたたみ式の椅子が一脚しかない。

 

 俺は来客用に椅子を勧め、自分はベッドの端へ腰を下ろした。

 

 霧島は勧められるまま座ったが、その位置は絶妙に玄関へ近い。

 

 何かあれば、すぐに部屋を出られる場所だ。

 

 偶然ではないだろう。

 

「何か飲み物でも出しましょうか。お茶くらいしかありませんが」

 

「お気遣いなく。確認が済み次第、すぐに失礼いたします」

 

 俺は少しだけ安心した。

 

 ペットボトルのウーロン茶ならあるが、つい先ほど《アイテムボックス》の検証で出し入れしたものだ。

 

 品質に問題はないはずだが、得体の知れない力へ触れたものを、今の状況で霧島に出す気にはなれなかった。

 

 霧島はビジネスバッグから薄型のタブレット端末と、黒い手帳を取り出した。

 

 しかし、すぐに操作することはない。

 

 手帳を膝の上へ置いたまま、真っ直ぐに俺を見た。

 

「それでは、単刀直入に伺います」

 

 部屋の空気が、一瞬だけ冷たくなったような気がした。

 

「佐伯さん。あなたは――能力者ですか?」

 

 心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

 

 能力者。

 

 あの時、コンビニの床へ転がった強盗が、俺へ向かって口にした言葉と同じだ。

 

 だが、その正確な意味を俺は知らない。

 

 どう答えるのが正解なのか。

 

「……能力者というのは、どういう意味ですか?」

 

 努めて平静を装い、質問で返す。

 

 霧島は表情を変えることなく答えた。

 

「一般の人間には不可能な現象を、意図的に、あるいは無意識に引き起こす人間のことです。異能者、術者など、呼び方は人や系統によって異なりますが、私どもの局では便宜上、一括して能力者と呼んでおります」

 

「……あの強盗も、そうだったんですか?」

 

「はい」

 

 霧島は即答した。

 

「一人は、物品を異空間へ収納し、取り出す能力。もう一人は、自身の身体能力を一時的に強化する能力を使用していました」

 

 背筋に冷たい汗が伝う。

 

 間違いない。

 

 俺の視界に浮かんだ《ライブラリ》の表示。

 

 《アイテムボックス》と《身体能力強化》。

 

 霧島が口にした能力と、完全に一致している。

 

 俺の頭に浮かぶあの画面は、単なる幻覚ではない。

 

 現実に存在する能力を、正確に観測し、分類している。

 

「あんな人間が……ほかにもいるってことですか?」

 

「います」

 

「どれくらい?」

 

「正確な人数はお答えできません。ただ、能力者そのものは、それほど珍しい存在ではありません」

 

 俺は息を呑んだ。

 

 俺が昨日まで知らなかっただけで、この社会には以前から、ああいった人間たちが存在していた。

 

 普通の人々に紛れ、普通に生活している。

 

 あるいは、普通に見えるよう管理されている。

 

 霧島がタブレット端末を操作し、画面をこちらへ向けた。

 

 そこには、粗い画質の静止画が表示されていた。

 

 コンビニの防犯カメラ映像を切り出したものだ。

 

 陳列棚の陰から飛び出し、体格のいい強盗へ向かって踏み込んでいる俺の姿が映っている。

 

 移動の途中を捉えたせいか、足元と上半身が不自然にぶれていた。

 

「この直前まで、佐伯さんの動作に特筆すべき点はありませんでした。ごく一般的な成人男性の動きです」

 

「……そうでしょうね」

 

「打撃の形自体は、初歩的な格闘動作の範囲を出ません。映像だけを見れば、見よう見まねや、過去に多少経験があったという説明も可能です」

 

 霧島の指が、画面に映る俺の足元を示す。

 

「問題は、技術ではありません。踏み込みの速度と、打撃の出力です」

 

 画面が切り替わる。

 

 今度は、大男が商品棚へ叩きつけられる直前の場面だった。

 

「この瞬間だけ、常人の身体能力を明らかに超えています」

 

 霧島は責めるような口調ではなかった。

 

 ただ、観測された事実を淡々と並べている。

 

「目撃証言によれば、佐伯さんは一撃で相手を数メートル後退させています。日常的に鍛えている格闘家であっても、あの姿勢からこれだけの出力を生み出すことはできません」

 

 言い逃れはできない。

 

 証拠は完全にそろっている。

 

 俺は黙って、タブレットの画面を見つめた。

 

 霧島は端末を伏せ、手帳へ視線を落とす。

 

「事件の恐怖や、極度の緊張状態、命の危機といった強いストレスをきっかけに、突発的に能力が覚醒する例は過去にも確認されています」

 

「覚醒……」

 

「佐伯さんも、今回初めて能力を発現した、新規覚醒者である可能性が高いと考えています」

 

 その言葉に、俺は内心で少しだけ安堵した。

 

 霧島は、俺が以前から能力を隠していたとは考えていない。

 

 あの夜、偶然力が目覚めたと判断している。

 

 少なくとも、現時点では。

 

 だが、問題はここからだ。

 

 俺は、どこまで真実を話すべきなのか。

 

 昼間、会社で学んだ教訓が頭をよぎる。

 

 自分が持っている手札を、馬鹿正直にすべて見せる必要はない。

 

 全部見せれば、その分だけ都合よく利用される。

 

 あるいは、危険な存在として扱われる。

 

 目の前の女性が公的機関の人間である可能性は高い。

 

 だが、味方である保証はどこにもない。

 

 他人の能力や技能を観測し、自分の中へ複製できる《ライブラリ》。

 

 身体強化だけではない。

 

 空間収納も、空手も、仕事の技術さえも保存できる。

 

 そんな能力だと知られれば、ただの新規覚醒者として扱われなくなる可能性がある。

 

 保護や検査という名目で、生活を制限されるかもしれない。

 

 俺は嘘をつかない範囲で、話す情報を切り取ることにした。

 

「……あの男が店員さんを投げ飛ばしたのを見て、本当に怖かったんです」

 

 俺はゆっくりと言葉を選ぶ。

 

「でも、次に女性店員が刺されそうになって……助けなきゃと思ったら、急に身体が軽くなったような感覚がありました」

 

 視界に文字が浮かんだこと。

 

 《身体能力強化》を選択して発動させたこと。

 

 それらには触れない。

 

 あくまで、無我夢中で動いたら力が出たという体裁を貫く。

 

「どうやってあんな風に動いたのか、自分でも分かっていません。気づいた時には、相手が棚へ突っ込んで倒れていました」

 

「意図して発動させたわけではないのですね」

 

 霧島は手帳へペンを走らせながら、静かに相槌を打つ。

 

「つまり、あの事件以前に、同じような現象が起きたことはなかった」

 

「はい。ありません」

 

「現在も、意図的にその力を再現できるかは分からない」

 

「……そういうことになります」

 

 少しだけ歯切れ悪く答える。

 

 実際には、《身体能力強化》の残り回数が二回あることも、発動方法も分かっている。

 

 だが、今は制御できない新規覚醒者として振る舞う方が安全だ。

 

「分かりました。ご協力ありがとうございます」

 

 霧島は手帳を閉じた。

 

「状況から判断し、佐伯さんは新規覚醒した身体強化系能力者として、仮登録の手続きを進めます」

 

「身体強化系?」

 

「自身の筋力や反射速度、耐久力などを一時的、あるいは恒常的に高める能力の総称です。系統としては、比較的よく確認されています」

 

 俺は少し拍子抜けした。

 

 特殊な力を手に入れたと舞い上がっていたが、組織の人間から見れば、身体強化そのものは珍しい能力ではないらしい。

 

 いや。

 

 むしろ好都合だ。

 

 霧島は、俺の本当の能力が《ライブラリ》だとは疑っていない。

 

「あの、仮登録というのは……もし断ったら、逮捕されるんですか?」

 

「未登録であること、それ自体を理由として、即座に身柄を拘束されることはありません」

 

 霧島の答えに、少しだけ肩の力が抜ける。

 

「ただし、能力に関わる事故や犯罪へ巻き込まれた際、未登録のままでは適切な対応が難しくなります。また、今回のように公の場で能力を使用した形跡がある場合は、原則として登録をお願いしています」

 

 法的に拒否できないわけではない。

 

 だが、防犯映像まで残っている今、登録を拒んでも不審に思われるだけだ。

 

 それに、能力者について何も知らないまま生きていくには、俺はすでに深く関わりすぎている。

 

「登録すれば、能力が不安定な場合の相談や、専門施設での検査も受けられます。ご自身の身を守るためにも必要な措置だとお考えください」

 

「……分かりました。登録します」

 

 俺が頷くと、霧島は、

 

「賢明なご判断です」

 

 とだけ答え、鞄から数枚の書類を取り出した。

 

「本日は仮登録となります。氏名と連絡先、覚醒時期を事件当日として記録します。能力系統は暫定的に身体強化系。観測された出力は、Tier4相当です」

 

「Tier4……?」

 

 聞き覚えのある言葉だった。

 

 《ライブラリ》にも、《身体能力強化》と《アイテムボックス》の横へ同じ表示が出ている。

 

「能力によって生じる危険性や影響範囲を区分するための、暫定的な分類です。詳しい説明は、正式登録の際に行います」

 

「暫定的、なんですか?」

 

「はい。能力の本質を、外部から完全に読み取る方法は存在しません」

 

 霧島は淡々と答えた。

 

「登録は、本人の申告、目撃記録、実際に確認された現象などを総合して行います。正式な確認では、魂の定数と実際の出力も測定しますが、それも絶対的な判定ではありません」

 

「魂の……定数?」

 

「能力者の魂に生じる反応値です。能力者であることや、おおまかな出力傾向を確認する目安にはなります」

 

 霧島は一度言葉を切った。

 

「ただし、上位Tierの能力者が出力を抑え、下位Tierとして登録することも可能です」

 

「そんなことをする意味があるんですか?」

 

「上位として登録されれば、報告項目や定期確認が増えます。状況によっては、協力を求められる機会も多くなりますので」

 

「面倒を避けるために、弱いふりをする人がいると」

 

「珍しくありません。俗に、詐欺下位と呼ばれることもあります」

 

「詐欺って……」

 

「俗称ですので、お気になさらず」

 

 霧島は何でもないことのように言った。

 

 能力者の存在すら今日初めて知ったというのに、すでに強さを偽る人間まで普通にいるらしい。

 

 想像していた以上に、能力者の社会は複雑なのかもしれない。

 

 ただ、一つ分かったことがある。

 

 明日の検査で、俺の能力名や性質が機械的に読み取られるわけではない。

 

 確認できるのは、魂の定数と、外から観測できる現象だけ。

 

 少なくとも、《ライブラリ》という名前まで勝手に暴かれることはなさそうだ。

 

 だが、俺の魂の定数がどのような数値を示すのかは分からない。

 

 安心するには、まだ早い。

 

「後日、私どもの施設で正式登録と、簡単な能力確認を行います」

 

「能力確認……ですか」

 

「危険なことはいたしません。魂の定数と、可能であれば発動時の出力や持続時間を確認します」

 

 内心で冷や汗が流れた。

 

 《身体能力強化》の残り回数は二回。

 

 検査で発動すれば、貴重なストックが一回減る。

 

 しかも、魂の定数がどう測定されるのかも分からない。

 

「……いつ行けばいいですか?」

 

「平日の仕事後か、今週末の合同測定枠で調整可能です」

 

「合同測定?」

 

「同系統の能力者を数名まとめて測定します。他の方の制御方法も見られますので、新規覚醒者にはそちらをお勧めしています」

 

 他の能力者が、実際に力を使う。

 

 その言葉に、俺の意識がわずかに引かれた。

 

「では、今週末でお願いします」

 

「土曜日の午前十時で手配します」

 

「分かりました」

 

「詳細な住所は、後ほどお送りします」

 

 霧島は必要事項を記入した書類を俺へ差し出した。

 

 俺は内容へ目を通し、署名欄に名前を書く。

 

 霧島は書類を回収すると、一枚の名刺を差し出した。

 

 そこには、

 

『内閣府特殊事象管理局・関東地方管理室』

 

 という所属と、霧島の名字。

 

 そして、直通らしい電話番号が印字されていた。

 

「当面の連絡窓口は、私が担当いたします」

 

「担当? それって、ずっと監視されるということですか?」

 

「監視ではなく、経過確認です。新規覚醒者は能力が安定するまで、定期的な状況把握が必要ですので」

 

「言い方が違うだけでは?」

 

「受け取り方は、佐伯さんにお任せします」

 

 どこまでも事務的な、乾いたやり取りだった。

 

 霧島は荷物をまとめ、椅子から立ち上がる。

 

 玄関へ向かおうとしたところで、ふと足を止め、こちらを振り返った。

 

「最後に、一つだけ確認させてください」

 

「何ですか?」

 

「現時点で、身体能力の強化以外に、何か変わった現象は起きていませんか?」

 

 心臓が、ドクリと大きく脈打った。

 

 《アイテムボックス》。

 

 《空手》。

 

 そして、仕事でコピーした数々の技能。

 

 霧島の黒い瞳が、俺の細かな表情の変化を読み取ろうとするように、静かにこちらを見ている。

 

 《空手》や仕事の技能なら、現象ではないと言い張れたかもしれない。

 

 だが、《アイテムボックス》は違う。

 

 ペットボトルを何もない空間へ収納し、取り出した。

 

 身体強化とは明らかに別の異能だ。

 

 俺はこれから、霧島へ一つ嘘をつく。

 

 そう自覚しながら、表情を変えずに答えた。

 

「……いいえ。今のところは、特に何も」

 

 短い沈黙。

 

 霧島は俺の顔を見つめたまま、やがて小さく頷いた。

 

「そうですか」

 

 疑っているのか。

 

 単に記録しているだけなのか。

 

 その無表情からは読み取れない。

 

「新規覚醒者は、自分の能力の全体像を把握できていないことが多々あります。身体強化だと思っていた能力に、別の性質が含まれていた例もありますので」

 

「……気をつけます」

 

「力が急に強くなった場合。制御できなくなった場合。あるいは、別の現象が起きた場合は、名刺の番号へご連絡ください」

 

「分かりました」

 

「夜間でも構いません」

 

「今日みたいに、また突然来るんですか?」

 

「必要があれば伺います」

 

「できれば、先に電話をいただきたいんですが」

 

「善処します」

 

 霧島はパンプスを履き、軽く頭を下げた。

 

「本日は夜分にご協力いただき、ありがとうございました」

 

「こちらこそ……と言っていいのか、分かりませんけど」

 

「では、明日。仕事が終わりましたら、記載した住所までお越しください」

 

「分かりました」

 

 霧島は廊下へ出ていった。

 

 俺は扉が閉まるのを確認し、すぐに鍵をかける。

 

 チェーンもかけた。

 

 念のため、パンプスの足音が完全に遠ざかり、エレベーターの作動音が聞こえるまで、ドアの前から動けなかった。

 

     ◆

 

 完全に静寂を取り戻した部屋で、俺はベッドへ腰を下ろした。

 

 手の中にある、簡素な名刺を見つめる。

 

 特殊事象管理局。

 

 霧島。

 

 俺の日常は、もう完全に元の軌道から外れてしまった。

 

 小さく息を吐き、頭の中で念じる。

 

「ライブラリ」

 

 視界へ、青白い画面が展開された。

 

『【異能】』

 

『《身体能力強化》Tier4』

 

『《アイテムボックス》Tier4』

 

『【技能】』

 

『《空手》Lv.1』

 

『《事務機器操作》Lv.1』

 

『《表計算ソフト操作》Lv.2』

 

『《電話応対》Lv.2』

 

 去り際の霧島の言葉が、脳裏によみがえる。

 

『別の現象が起きた場合は、ご連絡ください』

 

 俺は《アイテムボックス》の文字を見つめた。

 

 身体強化以外の現象なら、もうとっくに起きている。

 

 それどころか、俺の本当の能力は、おそらく身体強化ですらない。

 

 他人が生まれ持った異能。

 

 長い時間をかけて身につけた技術。

 

 それらを、一度この目で見るだけで、自分の中へ複製する。

 

 相手から力が失われるわけではない。

 

 奪っているわけでもない。

 

 だが、それでも十分に異常な能力だった。

 

 名刺と、空中に浮かぶライブラリの画面を交互に見比べる。

 

 能力の本質を直接読み取る技術はない。

 

 魂の定数も、絶対的な判定ではない。

 

 上位の能力者が下位を装うことさえ、珍しくないらしい。

 

 ならば、俺がすべてを申告しないことも、能力者の世界ではそれほど異常ではないのかもしれない。

 

 もっとも。

 

 《ライブラリ》が、どの程度の能力として判断されるのか。

 

 明日の測定で魂の定数がどんな数値を示すのか。

 

 それはまだ、何も分からない。

 

 俺は自嘲気味に口元を緩めた。

 

「……これは、まだ連絡しない方がいい気がするな」

 

 誰にも聞かれることのない独り言が、狭い部屋の空気へ溶けて消えた。

 




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