冴えない中年平社員、見た技と異能をコピーして企業代理戦で成り上がる   作:パラレル・ゲーマー

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第25話 鉄片の夜

 神代宗一郎との企業代理戦を辛くも勝利で終えてから、数日が経過した。

 

 俺の左腕の重度の打撲と神経の麻痺は完全には治っていないが、痛み止めを飲めば日常生活や軽い戦闘には支障がない程度まで回復していた。

 

 なお、水瀬は別件の依頼について八咫烏との打ち合わせへ出ており、今夜の捕獲任務には参加しない予定だった。

 

 その日の夜、FIELD WORKSの事務所へ霧島がやって来た。

 

 しかし今回彼女が持っていたのは、分厚い企業代理戦の契約書ではなく、数枚のシンプルな書類だった。

 

 表紙には、警察庁のシンボルマークと八咫烏の印が押された『捕獲支援要請書』という堅苦しい文字が印刷されている。

 

 「今回は、企業代理戦ではありません」

 

 霧島が、資料を俺たちのデスクへ置いた。

 

 「明らかな犯罪行為を行った異能者の、捕獲支援任務です」

 

 俺は、映画の賞金稼ぎのようなものを想像して尋ねた。

 

 「……つまり、その悪い能力者を捕まえたら、賞金が出るってやつですか?」

 

 霧島は、少しだけ眉を動かして言葉を訂正した。

 

 「俗に賞金や懸賞金と呼ぶ人もいますが、正式には『捕獲協力報奨金』ですね」

 

 報奨金は五十万円。チーム単位で一括して支給される。

 

 成功条件は「対象を生きた状態で警察へ引き渡すこと」だ。

 

 俺は、その金額の数字を見て素直に驚いた。

 

 「犯罪者を一人捕まえて、五十万円ですか。警察の手伝いにしては、結構もらえるんですね……」

 

 霧島は、いつもの淡々とした声で答えた。

 

 「いいえ。今回の対象は担当評価がTier4相当ですから、八咫烏が外部へ委託する案件としては、むしろ『安い』部類に入ります」

 

 「……Tier4で五十万円が、安いんですか?」

 

 「はい。対象の能力の解析、事前の装備費、深夜の移動費、負傷の危険性、そして何より『対象を殺さずに無力化して捕らえる』という技術的難易度を考えれば、決して高額な報酬とは言えません」

 

 玲奈が、資料を読みながら冷静に補足した。

 

 「しかも、五十万円を佐伯さんと私でそのまま二十五万円ずつ半分にするわけじゃないですからね。うちのオフィスの家賃の積立や、私の弾薬の経費、もし怪我をした場合の治療費を引いたら、純利益はもっと下がりますよ」

 

 俺は、賞金稼ぎというロマンチックな響きから、急に現実の厳しい手取り額の計算へと引き戻された。

 

 「……そういう経費の話を聞くと、急にただの『危ない業務委託』っぽくなりますね」

 

     ◆

 

 俺は資料をめくりながら、根本的な疑問を口にした。

 

 「そもそも、こういう能力を使った犯罪者って、八咫烏の部隊が直接乗り込んで逮捕するんじゃないんですか?」

 

 霧島が、それを明確に否定した。

 

 「いいえ。法的な捜査権と逮捕権を持っている主体は、あくまで警察です。我々八咫烏は、能力と怪異に関する『行政機関』であって、警察の上位組織でも秘密警察でもありません」

 

 今回も、被害届の受理、防犯カメラ映像の解析、逃走した共犯者の逮捕、潜伏先の特定、裁判所からの逮捕状の取得、そして現場周囲の封鎖は、すべて警察が独自の権限で行っている。

 

 ただし、今回潜伏している主犯格の『黒岩』という男は、追跡してきた警察官に対して異能で大量の金属片を撃ち込み、重傷を負わせた凶悪な能力者だ。

 

 通常の警察の突入部隊だけで強行すれば、銃器の通用しにくい狭い屋内では、さらに多くの犠牲者が出る可能性が極めて高い。

 

 そのため警察から八咫烏へ、「対象を安全に生け捕りにできる、対能力者戦闘の専門要員(ハンター)を派遣してほしい」という公式の支援要請が出されたのだという。

 

 「佐伯さんたちの役割は、対象を建物内で追跡し、戦闘で制圧し、警察が突入して安全に逮捕できる状態へと無力化することです」

 

 「つまり、俺たちが手錠を掛けて、パトカーまで連れて帰るわけではないと?」

 

 「はい。現場で逃走防止のために拘束具を使用することはありますが、正式な逮捕状の執行と身柄の法的な管理は、すべて外で待機している警察へ引き継ぎます」

 

     ◆

 

 俺は、さらに突っ込んだ質問をした。

 

 「でも、警察官を重傷にするような危険な奴なら……俺たちみたいな新人チームじゃなくて、もっとTier2とかTier1の強くて凄い能力者をパッと投入した方が、一瞬で安全に終わるんじゃないですか?」

 

 霧島は、首を横へ振った。

 

 「割に合いません」

 

 「……即答ですね」

 

 「黒岩征司は確かに危険ですが、彼の登録情報と今回の犯行手口の記録を見る限り、Tier4の要員で十分に制圧対応が可能な案件です」

 

 霧島の説明によると、高Tierの強力な能力者たちは、もっと深刻な事態へ優先的に配置されているらしい。

 

 例えば、Tier2以上の凶悪犯罪者の討伐、複数地域へ被害が拡大する広域事件、国家機密に関わる特務案件、大規模な異界災害の鎮圧、そして外交問題に発展しかねない人外や異次元絡みの案件などだ。

 

 「Tier4の武装強盗一人のために、貴重なTier2やTier1の戦力を無駄に投入すれば、その間に別の場所で発生した高位案件へ対応できる人員が一人減ることになります。……適切なTierの人員を、適切な規模の案件へと最適配分する。それも、我々行政の仕事です」

 

 俺は、深く納得しつつも少しだけ苦笑した。

 

 「能力者の社会になっても、やっぱり人手不足と『予算と人員の最適配分』からは逃げられないんですね……」

 

 「行政ですからね」と、霧島は真顔で答えた。

 

     ◆

 

 俺は玲奈の横から、分厚い資料を覗き込んだ。

 

 「それで、今回のターゲットはどんな奴ですか?」

 

 玲奈が、対象の顔写真のページを開いた。

 

 「黒岩征司(くろいわ・せいじ)。三十二歳、日本人男性です。昨日、仲間二人と共に現金輸送車を襲撃しました。強盗傷害、公務執行妨害、警察官への傷害などの容疑が掛かっています」

 

 登録されている異能は、三つ。

 

 「《身体能力強化》、《磁着(じちゃく)》、そして《鉄片射出》ですね」

 

 黒岩は現在、湾岸の工業地帯にある『廃業済みの金属加工工場』へと単独で潜伏している。

 

 警察の監視カメラと包囲網によって、彼が工場から一歩も外へ出ていないことは確認済みだ。人質もいない。周囲の他の工場も、夜間は無人になるエリアだ。

 

 玲奈が、マーカーを引きながら続ける。

 

 「黒岩は、追跡してきた警察官へ能力を容赦なく使い、すでに重傷者を出しています。現場で激しく抵抗された場合、彼を制圧するために必要な範囲での『ある程度の負傷』を与えることは、依頼主である警察からも許容されています」

 

 ただし、不必要な重傷を負わせること、意識を失って無力化した後の追加攻撃、警官の仇討ちのような報復目的の攻撃、そして最初から致命傷(頭部や心臓)を狙う殺害行為は、当然ながら厳しく禁止されている。

 

 俺は、黒岩の犯行記録のカラー写真を見た。

 

 飛んできた鋭い金属片が、警察車両の強化ガラスを完全に突き破り、運転席に深く突き刺さっている写真。突入用の防弾盾の表面に、数十本もの釘がハリネズミのように食い込んでいる写真。

 

 俺は顔を引きつらせた。

 

 「……うーん。やっぱり、悪いことはできないなあ」

 

 玲奈が、ジト目で俺を見た。

 

 「この凶悪な被害の写真を見て、第一声の感想がそれなんですか?」

 

 「だって、こんなことしたら、防犯カメラと警察に追いかけ回された挙句、最後は八咫烏がよこした能力者(ハンター)に夜中にボコボコにされに来るんでしょう? 割に合わないにも程がある」

 

 「……犯罪をしない理由としては最低レベルですけど、結論は正しいですね」

 

 俺は依頼書から目を上げ、霧島へ向かって頷いた。

 

 「分かりました。じゃあ、この依頼、受けます」

 

 霧島が、タブレットを操作しながら立ち上がった。

 

 「では、警察側と突入の時間を調整します。……今夜、奇襲を仕掛けます」

 

     ◆

 

 今回の現場指揮は、後衛である玲奈が担当することになった。

 

 黒岩の「周囲の金属を利用する能力」へ徹底的に対抗するため、俺たちは事務所で通常とは異なる特殊な装備を選定した。

 

 玲奈が《圧縮射出》で使用する『弾体(弾薬)』は、今回に限っては金属製のボルトやワッシャーを一切避ける。

 

 彼女がポーチに詰めたのは、高硬度のセラミック弾、強化樹脂製の非致死性弾体、そして障害物を粉砕するための大型セラミック弾だ。

 

 さらに、警察から支給された「複合樹脂製の特殊拘束具」と、金属部品(チャックや金具)を極力減らした防護服を着用する。

 

 俺も、神代戦で使ったような重い金属製の防刃手甲は持ち込まない。

 

 黒岩の《磁着》によって鉄パイプなどを腕に固定されたり、《鉄片射出》の弾として利用されたりする危険性が高すぎるからだ。

 

 玲奈が、工場の見取り図を広げて俺へ作戦を説明した。

 

 「最初の一撃の奇襲は、私が遠距離から撃ちます」

 

 「俺は?」

 

 「黒岩が、私の射撃に気づいてこちらへ注意を向けた後、反対側の死角から気配を殺して接近してください。……ただし、絶対に勝手に飛び込まないでくださいね」

 

 「神代さんの時みたいに、懐へ入れってことじゃないのか?」

 

 「違います。今回の相手は刀一本じゃありません。あの工場に落ちている『金属全部』が飛んでくるんです」

 

 見取り図によると、黒岩が潜伏しているのは工場の一番奥にある「旧資材管理室」だ。

 

 そこから外へ逃げるには、必ず広い「加工場」の中央を通る必要がある。

 

 警察の部隊が、外周と正面出口を完全に封鎖している。俺と玲奈は、建物裏側の搬入口から音を消して侵入し、彼を挟み撃ちにする。

 

     ◆

 

 午後十一時過ぎ。

 

 湾岸の工業地帯。潮の匂いが混じる冷たい風が吹いていた。

 

 人通りのない暗い道路に、赤色灯の照明を消した黒い警察車両が複数台、静かに待機していた。

 

 完全武装した現場責任者の警察官が、車から降りて俺たち二人を迎えた。八咫烏の役人である霧島は現場へは出ず、本部のシステムから遠隔で連絡調整を行っている。

 

 警察官から、最終的な状況のブリーフィングが行われた。

 

 「黒岩は間違いなく、現在も工場内にいます。一時間前、食料らしき袋を持って建物内を移動する姿を赤外線カメラで確認しました。人質はいません。逮捕状はすでに執行可能な状態で取得済みです。……我々からの投降勧告の呼びかけは、あなた方の奇襲が失敗し、対象が逃走を図った後に行います」

 

 確保後の手順も確認する。

 

 俺たちが黒岩の能力を完全に停止させ、拘束具による安全確認を終えた後、無線で合図を送る。それを受けて、警察の突入部隊が踏み込むという手筈だ。

 

 現場責任者が、厳しい顔で俺たち二人へ告げた。

 

 「黒岩は、我が署の警察官を殺しかねない凶悪な攻撃を行っています。激しく抵抗された場合は、あなた方の判断での必要な実力行使(制圧)を認めます。……ただし、可能な限り、生きた状態で法の裁きを受けさせてください。お願いします」

 

 玲奈が、真っ直ぐに警察官の目を見て短く答えた。

 

 「了解しました。必ず生け捕りにします」

 

 俺も続けて力強く頷いた。

 

 玲奈は、この重い場面でいつものような軽口を叩かなかった。

 

 これは、リングの上で同意のもとに行われる企業代理戦ではない。明確な悪意と、現実に血を流した被害者が存在する、本物の犯罪現場なのだ。

 

     ◆

 

 俺と玲奈は、指定された工場裏側の搬入口の鍵をピッキングで外し、音もなく内部へと侵入した。

 

 建物内は完全な暗闇ではなかった。

 

 黒岩が警戒のためか、一部の配電盤を操作し、古い蛍光灯を一定間隔で点滅させている。

 

 床には、錆びたボルト、金属くず、使われなくなったドライバーなどの工具、切断された鋭い鉄板、重い鉄製の作業台、そして廃棄された巨大な機械部品が、無数に散乱していた。

 

 俺は、昼間の仕事で得た《建築設備図面読解》の技能を使い、薄暗い工場内の立体構造を頭の中で即座に把握した。

 

 加工場の中央は吹き抜けで天井が高い。

 

 コンクリートの太い柱が一定間隔で並んでいる。

 

 頭上には、旧式のクレーン設備と点検用のキャットウォークが残っている。

 

 奥には、資材搬入用の巨大なシャッター。床下には排水溝。壁際には、鉄板を保管するための巨大な棚。

 

 見渡す限りの鉄、鉄、鉄。

 

 黒岩にとって、ここは弾薬も、身を守る盾も、無限に近いほど転がっている武器庫だった。

 

 俺が小声で呟いた。

 

 「……こいつがここを潜伏先に選んだの、たまたま逃げ込んだ偶然じゃありませんね」

 

 玲奈が、銃を構えるように指先を整えながら頷いた。

 

 「ええ。自分が一番強く戦える場所を、ちゃんと選んで逃げ込んでいます」

 

 俺たちは会話を切り、ハンドサインで合図をして別方向へと分かれた。

 

 玲奈は、錆びた鉄梯子を音もなく登り、二階の点検通路(キャットウォーク)へと向かう。

 

 俺は、一階の太いコンクリート柱の陰を縫うようにして、加工場の中央へと静かに前進した。

 

     ◆

 

 黒岩征司は、奥の旧資材管理室にはいなかった。

 

 彼は、すでに警察の包囲や奇襲を警戒し、最も迎撃しやすい加工場の「中央の開けた空間」に陣取っていた。

 

 彼の周囲には、現金輸送車から奪ったジュラルミンケースと、コンビニの袋に入った食料、そして工具箱が置かれている。

 

 そして。彼の足元の周囲には、大量のボルトや釘が、まるで魔法陣のように綺麗な円状に配置されていた。いつでも即座に《鉄片射出》の弾薬として使えるようにしているのだ。

 

 さらに、黒岩の両腕と胴体には、薄い鋼鉄の板が《磁着》の能力によってピッタリと貼り付けられている。即席の金属の鎧だ。

 

 玲奈は、点検通路の暗がりから、黒岩の姿を視界の中央に捉え、指先の照準を合わせた。

 

 頭部や胸部の急所は狙わない。

 

 最初の一発は、黒岩が《身体能力強化》を発動して暴れ出す前に、右の大腿部(太腿)の筋肉を打ち抜き、移動能力を完全に奪うことが目的だ。

 

 玲奈が、強化樹脂弾を《圧縮射出》した。

 

 無音に近い、空気を裂く一撃。

 

 だが、発射の直前。

 

 黒岩が、野生の勘か、空気の微かな変化を察知し、咄嗟に身体を大きく捻った。

 

 弾体は、狙った大腿部ではなく、彼の腰の側面に貼り付けられていた鉄板の鎧へと命中した。

 

 ガキィィンッ!

 

 激しい金属音が工場に響き渡る。

 

 黒岩が、衝撃で床を派手に転がる。鉄板が大きくへこんだが、弾は肉まで貫通せず、意識も失っていない。

 

 奇襲は、完全成功には至らなかった。

 

 黒岩が、即座に《身体能力強化》を発動し、バネのように跳ね起きた。

 

 俺の視界の《ライブラリ》が、その因果律改変を捉えて反応する。

 

 『既知の因果律改変能力を、新たな術者から直接観測しました』

 

 『《身体能力強化》の使用回数を上限まで補充します』

 

 『正式登録異能数に変更はありません』

 

 「誰だ!! 警察の犬か!!」

 

 玲奈は返答せず、容赦なく二発目の樹脂弾を撃ち放った。

 

 黒岩は、あらかじめ作業台の横へ立て掛けていた分厚い鉄板を素早く掴み取り、《磁着》で左腕へ固定して巨大な盾とし、射線へと割り込ませた。

 

 セラミック弾が盾へ激突し、粉々に砕け散る。

 

 黒岩の鋭い目が、玲奈のいる二階の点検通路の位置を正確に特定した。

 

     ◆

 

 黒岩が、床へ向けて右手をバッと突き出した。

 

 彼の足元に散乱していたボルト、ナット、釘、そして大きなベアリングが、一斉にフワリと宙へ浮き上がる。

 

 《鉄片射出》発動。

 

 数十個の金属片が、ショットガンの散弾のように、玲奈のいる点検通路へ向けて凄まじい勢いで撃ち出された。

 

 玲奈は、黒岩が手を向けた肩の動きを見た瞬間に、すでにその場から横へとダッシュで移動を開始していた。

 

 遅れて飛来した金属片の群れが、手すりの鉄パイプと背後のコンクリート壁を蜂の巣のように破壊する。玲奈が数秒前までいた場所の空間が、無数の凶器によって完全にズタズタに引き裂かれた。

 

 一階の柱の陰に潜んでいた俺の視界で、《ライブラリ》が激しく明滅した。

 

 『未知の因果律改変現象を直接観測しました』

 

 『《鉄片射出》を登録します』

 

 『正式登録異能数:十二個』

 

 さらに、黒岩が足元の鉄板を蹴り上げて掴み、自分の左腕へカシャン!と《磁着》で固定した。

 

 『未知の因果律改変現象を直接観測しました』

 

 『《磁着》を登録します』

 

 『正式登録異能数:十三個』

 

 《身体能力強化》は既存の登録と同系統の能力として処理され、新規異能としては加算されない。

 

 俺は、視界のシステム表示の文字に意識を取られることなく、静かに黒岩の側面へと移動した。

 

     ◆

 

 俺は、コンクリート柱の陰からバッと姿を現し、大声で叫んだ。

 

 「黒岩征司! そこまでだ! 抵抗をやめて投降してください!」

 

 黒岩は、声がした俺の方へ即座に向き直り、問答無用で数発の鋭利な鉄片を撃ち込んできた。

 

 俺はすぐに柱の陰へと身体を戻す。

 

 鉄片がコンクリートの表面に深く突き刺さり、パラパラと破片を散らした。

 

 黒岩が、血走った目で怒鳴り声を上げる。

 

 「てめえら、どこの警察の犬だ!!」

 

 「警察官ではありません!」

 

 「じゃあ何だ!!」

 

 俺は、柱の裏で一瞬だけ何と名乗るべきか考えた。

 

 「……ぎょ、業務委託です!!」

 

 二階の点検通路を走っていた玲奈から、インカム越しに小声で冷たいツッコミが入る。

 

 『……代表。この命懸けの状況で、そんな名刺交換みたいな正確な説明をしなくていいです。撃たれますよ』

 

 俺が声を上げて黒岩の注意を引いている間。

 

 玲奈は、加工場全体の構造と、黒岩の動きを冷静に観察していた。

 

 黒岩は、魔法のように自由にすべての金属を操っているように見える。

 

 しかし、玲奈の目には違って見えていた。

 

 《鉄片射出》は、あくまで手元から真っ直ぐに飛ばすだけの直線攻撃だ。《磁着》も、二つの金属物を磁石のように吸着させているだけ。念動力のように、鉄板を空中で自由自在にUターンさせて飛ばしているわけではない。

 

 玲奈は、黒岩の能力の「限界値」を、戦闘の弾幕の中で冷徹に見極め始めていた。

 

     ◆

 

 黒岩は、俺と玲奈の二人を相手にするため、自分の周囲にある鉄板を次々と利用し始めた。

 

 左腕へ大型の鉄板を吸着させて盾にする。

 

 右手へ太い鉄パイプを固定し、絶対に手放さない棍棒にする。

 

 胴体へ薄い鉄板を何枚も重ねる。

 

 背後にあった巨大な金属棚を、床へ埋め込まれた鉄製の固定レールへ《磁着》で強力に吸着させ、俺が背後から接近するのを物理的に防ぐ壁にする。

 

 さらに、出口のシャッターを枠へと吸着させ、容易には開かないようにロックした。

 

 彼はほんの数十秒で、自分の周囲を堅牢な「要塞」へと変え、陣取った。

 

 さらに、ボルトの入った段ボール箱を蹴り倒し、大量の弾薬を自分の足元の床へとバラ撒いた。

 

 玲奈が、点検通路からセラミック弾を連射する。

 

 だが彼女が狙ったのは、黒岩本人ではなかった。

 

 ボルトの箱。鉄板の端。作業台の脚。鉄パイプ。床の金属片。

 

 黒岩が弾薬として《鉄片射出》に使う直前の金属へ弾を当て、彼の射程外へとパキィン!と吹き飛ばしていく。

 

 黒岩が忌々しそうに怒鳴る。

 

 「ちょこまかと、鬱陶しい女だ!」

 

 玲奈は返答しない。

 

 鉄片射出の弾数を削り、黒岩が利用可能な装備を、遠距離から一つずつ確実に奪っていく。

 

     ◆

 

 玲奈を射撃だけで撃ち落とせないと判断した黒岩は、明確に標的を俺へと変更した。

 

 《身体能力強化》の出力を全開にし、左腕の巨大な鉄板の盾を前へ構え、ブルドーザーのように俺の隠れている柱へと突進してくる。

 

 俺は、正面からは絶対に受け止めない。

 

 柱から柱へと素早く移動し、黒岩を加工場の中央の開けた場所へと少しずつ誘導していく。

 

 黒岩が、右手の鉄パイプを俺の頭部へ向けて大振りで振り下ろした。

 

 俺は格闘技能でその単純な軌道を読み切り、バックステップで容易に回避する。

 

 しかし、黒岩は鉄パイプを自分の手首へと《磁着》で完全に固定しているため、打撃で弾き落としたり、奪い取ったりすることができない。

 

 俺が、すかさずそのパイプの先を掴んでコントロールしようと手を伸ばした瞬間。

 

 インカムから玲奈の鋭い声が響いた。

 

 『触らないで!!』

 

 俺は反射的に手を引いた。

 

 直後、黒岩がその鉄パイプを、すぐ近くの鉄の柱へとガシャン!と《磁着》させたのだ。

 

 もし俺がパイプを掴んでいれば、俺の腕ごと柱へと強引に引き寄せられ、壁に張り付けにされていたところだった。

 

 黒岩は、鉄パイプを一度柱へ固定し、それを鉄棒の支点にするようにして身体を高速で回転させた。

 

 そして、遠心力の乗った強烈な回し蹴りを、俺の胸部へ叩き込んできた。

 

 俺は両腕のガードでそれを受けるが、重い一撃に身体が数メートル吹き飛ばされ、床を転がった。

 

 (……ただ三つの異能を順番に使ってるんじゃない。こいつ、それぞれの能力を完璧に『連携』させて戦ってる!)

 

     ◆

 

 俺は床に倒れながら、視界の《目録解析》を素早く開いた。

 

 《磁着》の項目。

 

 『観測済み効果:

 

 接触した二つの金属物の間に、一時的な強制吸着関係を形成する』

 

 『高確率の推定:

 

 同時に維持できる吸着のペア数には、明確な上限が存在する』

 

 『観測済み維持数:

 

 現在の戦闘中、少なくとも五組を同時維持』

 

 《鉄片射出》の項目。

 

 『観測済み効果:

 

 視界内に存在する小型金属物を、任意の直線方向へ高速射出する』

 

 『高確率の推定:

 

 発射後の軌道変更(ホーミング)は不可能。また、一度に射出する総重量が増加するほど、個々の弾の速度と威力が低下する』

 

 俺は、インカムで玲奈へ通信を入れた。

 

 「玲奈さん。《磁着》は念動力のような自由な金属操作じゃありません。金属同士をただ貼りつけているだけです。それと、同時に維持できる数に『限界』があります」

 

 『……了解です』と、玲奈が落ち着いた声で短く答えた。

 

 「《鉄片射出》も、発射後は真っ直ぐにしか飛びません。途中で曲がりません」

 

 『十分です』

 

 玲奈は、俺が伝えたその確定情報だけで、勝利への作戦を完全に組み立てていた。

 

     ◆

 

 玲奈は、黒岩の分厚い盾を無理に破壊しようとはしなかった。

 

 逆に、周囲の床に落ちている鉄板の破片を、次々と黒岩の身体へ向けて撃ち飛ばし始めた。

 

 黒岩は、自分へ飛んでくる危険な鉄板を弾き落とす代わりに、既存の装甲で受け止めた瞬間、それらへ手や腕を触れ、《磁着》で自分の腕や胴体へ次々と固定して即席の鎧の厚みを増していった。

 

 一枚目。

 

 二枚目。

 

 三枚目。

 

 黒岩の身体へ、大型の鉄板が何層にも重なっていく。

 

 黒岩は、自分が賢く防御を強化しているつもりになっていた。

 

 しかし、鉄板が不格好に増えれば増えるほど。

 

 彼の身体は重くなり、分厚い鉄板に遮られて視界が極端に狭くなり、腕を大きく素早く動かせなくなっていく。

 

 そして何より。《磁着》の限られた『維持枠』が無駄な装甲で埋まってしまい、《鉄片射出》のために手を自由な方向へ向けにくくなっていたのだ。

 

 俺は、柱の陰で玲奈の恐ろしい狙いに気づいた。

 

 (……黒岩を要塞にして守らせているんじゃない。あいつ自身を、重い鉄板の棺桶の中へ『閉じ込めている』んだ)

 

     ◆

 

 黒岩も、自分が動きにくくなっていることに遅れて気づいた。

 

 「舐めるなよ、小娘が!!」

 

 黒岩は、身体へ過剰に吸着させていた鉄板の一部を解除して捨てた。

 

 そして、床のボルトと鉄片を、これまでで最大の規模で宙へと浮かせた。

 

 玲奈と俺の両方を、一回の攻撃でまとめて蜂の巣にするため、最大出力の《鉄片射出》を準備したのだ。

 

 数百個の小型金属が、黒岩の周囲へ黒い雲のように集まる。

 

 しかし、それほど大量の金属を同時に射出するには、黒岩は一秒近く、その場に立ち止まって集中しなければならない。

 

 玲奈は、その瞬間をずっと待っていた。

 

 玲奈は、黒岩本人を撃たなかった。

 

 黒岩の右側にある、大型の金属部品が乗った巨大な鉄のトレーへ、渾身のセラミック弾を撃ち込んだ。

 

 ガァァンッ!

 

 鉄のトレーが大きく跳ね上がり、黒岩の周囲へ集まっていた金属片の雲の右半分を、物理的に巻き込んで弾き飛ばした。

 

 金属片同士が空中で衝突し、射出の並びが完全に乱れる。

 

 黒岩が、強引に射出のトリガーを引いた。

 

 凄まじい弾幕が形成されるが、右半分が崩れたため、狙いが大きく逸れた。

 

 俺と玲奈は、それぞれコンクリート柱の陰へと退避する。金属片が、俺たちを逸れて壁や機械へ無数に激突し、虚しい破壊音を響かせた。

 

 黒岩は、一度に大量の金属を全力で放った反動で、ほんの数秒だけ、その場に棒立ちになって動きを止めた。

 

     ◆

 

 黒岩は、ここへ来て初めて「勝てない」と判断し、工場奥の搬入口のシャッターへと逃げようとした。

 

 しかし、玲奈は最初から、彼の『逃走経路』も完全に管理していた。

 

 黒岩が搬入口へ向けて走り出した瞬間。

 

 玲奈が、一番大きな大型セラミック弾を、半開きになっていたシャッター横の『老朽化した支持部(レール)』へと撃ち込んだ。

 

 バキィッ!と支持部が破損する。

 

 半開きだった重いシャッターが、ガシャン!と轟音を立てて落下し、黒岩の前方を完全に塞いだ。

 

 黒岩を押し潰す位置ではない。逃走路だけを正確に閉じる、精密な射撃だ。

 

 黒岩が舌打ちをして、別の横の通路へと転進する。

 

 玲奈が今度は、通路の横にある巨大な作業台の脚を撃ち抜いた。

 

 作業台がバランスを崩して横倒しとなり、第二の通路も塞がれる。

 

 黒岩の移動可能な方向が、加工場の中央へと続く『一本の道』だけに強制的に限定された。

 

 そして、その道の中央には。

 

 俺が、《身体能力強化》の出力を上げて待っている。

 

     ◆

 

 黒岩が、分厚い鉄板の盾を前へ構え、血走った目で俺を睨んだ。

 

 《身体能力強化》を全開にする。

 

 最後の弾薬となる釘とボルトを、盾の横から俺へ向けてバラバラと射出しながら、猪のように突進してくる。

 

 俺は、すぐには動かなかった。

 

 玲奈の最後の一撃(アシスト)を、完全に信じて待った。

 

 玲奈は、突進する黒岩の『盾そのもの』へ、斜め後方から《圧縮射出》の樹脂弾を命中させた。

 

 鉄板は、黒岩の左腕へ《磁着》で強力に貼り付いている。そのため、弾の衝撃で盾だけが手放されて吹き飛ぶことはない。

 

 弾体の重い衝撃が、吸着している腕を通じて、黒岩の左腕と上半身を強引に横へと捻り回した。

 

 黒岩の突進の姿勢が、大きく右へと崩れる。

 

 射出された鉄片の雨も狙いを外し、俺の横の空気を切り裂いて通過した。

 

 玲奈が続けて二発目。

 

 黒岩の右手に固定された鉄パイプを、側面から撃つ。

 

 鉄パイプが大きく弾かれ、黒岩自身が胴体に装着していた鉄板へと激突する。

 

 《磁着》の性質が暴走し、パイプと鉄板が一瞬だけ磁石のように絡み合ってくっついた。

 

 黒岩の両腕が、自分の装備した即席の装甲によって、一瞬だけ完全に動かしにくくロックされた。

 

 玲奈が、インカム越しに鋭く告げた。

 

 『佐伯さん、今です!』

 

     ◆

 

 俺が《身体能力強化》を全開にして地を蹴った。

 

 黒岩の正面の射線から外れるように斜めへ踏み込み、一気に彼の背後へと回り込む。

 

 黒岩が振り向こうとするが、腕へ貼りついた鉄板と鉄パイプが邪魔になって振り返れない。

 

 俺は、黒岩の腰へ背後から深く組みついた。

 

 黒岩は身体能力強化の力で、俺を力任せに振りほどこうと暴れる。

 

 体格と純粋な筋力では、元工場作業員である黒岩の方が上だ。

 

 俺は、正面から無謀な力比べはしない。

 

 《重心転写》を発動。

 

 背後から黒岩へ深く組みついたまま、俺自身に接続された疑似重心を後方へと移す。

 

 他人である黒岩の重心そのものを、直接動かすことはできない。

 

 だが、隙間なく密着して一つの塊となった二人分の身体は、俺の重心移動へ引かれるようにまとめて後方へ傾いた。

 

 そこへ同時に、黒岩の膝裏を足で鋭く払う。

 

 黒岩の巨体がバランスを崩し、片膝をついた。

 

 俺が、背後から黒岩の首へ腕を回した。

 

 柔道の裸絞め(リアネイキッドチョーク)に近い形で、頸動脈を的確に圧迫する。

 

 黒岩が息を詰まらせ、両手で俺の腕を外そうとするが、腕に付いた重い鉄板が邪魔をして上手く力が入らない。

 

 黒岩は最後の抵抗として、床に落ちていた金属片を浮かせて俺の背中へ撃ち込もうとした。

 

 しかし玲奈が即座に、黒岩の開いた右手首の関節へ、低出力の圧縮弾をピンポイントで撃ち込んだ。

 

 骨を砕くほどではないが、激痛で黒岩の指が開き、異能の集中が完全に途切れた。

 

 浮き上がった金属片が、力なくカランと床へ落ちる。

 

 俺は、静かに首への締めを維持した。

 

 数秒後、黒岩の腕の抵抗が弱くなり、身体の力が抜けていく。

 

 玲奈が、時計で時間を計りながら指示を飛ばす。

 

 『もう少しです。……落ちたら、すぐに緩めてください』

 

 黒岩の身体が完全に脱力し、意識が暗転する。

 

 俺は即座に首への圧力を緩め、彼の身体を床へ横向きに寝かせ、気道を確保した。呼吸と脈拍が正常であることを確認する。

 

     ◆

 

 玲奈が、ポーチから特殊な拘束具を取り出しながら接近してきた。

 

 黒岩の身体へ吸着している鉄板には触れず、まず両腕の位置を確認する。

 

 警察から預かった、複合樹脂製の強力な拘束バンドを、手慣れた動作で装着していく。

 

 通常の金属製の手錠では、意識が戻った時に《磁着》で外されたり、《鉄片射出》の弾として利用されたりする危険があるため、今回はすべて非金属の特殊装備だ。

 

 両手首。両足首。そして胴体。

 

 三箇所を非金属拘束具で完全に固定する。

 

 玲奈は、黒岩の身体にくっついている即席装甲(鉄板)を、無理に引き剥がすことはしなかった。意識が戻った時に《磁着》の対象として再使用されないよう、鉄板ごと腕の動きを完全に拘束して封じたのだ。

 

 玲奈が、インカムのボタンを押して警察へ無線を入れた。

 

 「対象を確保しました。意識なし。呼吸、脈拍ともに正常。非金属拘束具を装着済みです。安全は確保されました」

 

 『……了解。警察部隊、突入します』

 

 警察の現場責任者から、力強い返答が響いた。

 

     ◆

 

 工場の正面シャッターと裏口から、待機していた警察の特殊部隊が一斉に突入してきた。

 

 能力者用の分厚い防護盾を持った警察官たちが、周囲を制圧し、安全を確保する。

 

 救急要員がすぐに黒岩の状態を確認し、意識はまだ戻っていないが、生命に全く危険はないことを報告した。

 

 現場責任者の警部が、黒岩の顔を見て本人確認を行い、拘束状態と凶器、そして奪われた現金のバッグが揃っていることを確認する。

 

 数分後。黒岩が微かに呻き声を上げて意識を取り戻しかけた。

 

 警察官が彼に逮捕状をハッキリと示し、強盗傷害などの容疑で手続を読み上げた。

 

 ここで初めて、法的な『逮捕』が正式に成立したのだ。

 

 俺と玲奈は、捕獲した身柄を完全に警察へと引き渡した。

 

     ◆

 

 警察による本格的な現場検証が始まった。

 

 黒岩が使用したボルト、釘、鉄板、鉄パイプ、現金のバッグ、そして壊された防犯カメラなどが、次々と証拠品として押収されていく。

 

 俺と玲奈も、現場責任者へ簡単な状況報告を行った。

 

 黒岩がどの攻撃を行ったか。彼がどの異能をどのように連携させて使用したか。意識を失わせた時間。そして、拘束後に追加の暴行を一切加えていないこと。

 

 現場の警察官が、玲奈へ向かって深く頭を下げた。

 

 「本当に助かりました。我々の部隊だけで強行突入していたら、飛び交う金属片で、間違いなくこちら側にかなりの負傷者が出ていたと思います」

 

 玲奈は、特別に誇るようなこともなく、静かに答えた。

 

 「これ以上、怪我人が増えずに済んだなら、それで十分です」

 

 今回の事件において、玲奈が戦闘と捕獲の『中心』として完璧に機能したことを、俺は隣で強く実感していた。

 

     ◆

 

 帰りのミニバンの車内。

 

 俺は、助手席で疲れたように深い溜め息をついた。

 

 「……これで五十万円、ですか」

 

 「警察の正式な報告書が通って、役所の手続きが終わってから振り込まれますけどね」と、後部座席で玲奈が言う。

 

 「企業代理戦よりはベースの報酬が安いけど、リングの試合より気が楽かと思ったら……全然そんなことなかったですね」

 

 玲奈が、装備の手入れをしながら同意した。

 

 「試合はリングの中の相手だけを見ていればいいですからね。でも、こういう犯罪者の捕獲任務は、逃走経路、周辺の一般住民への被害、警察の待機配置、証拠の保全、そして何より『対象の生死』まで全部考えながら戦う必要があります。すごく神経を使いますよ」

 

 俺は、黒岩が鉄片を無数に撃ち出し、壁をハチの巣にしていた工場の惨状を思い返した。

 

 「高Tierの能力者を投入しない行政の理由は頭で分かりましたけど、Tier4でも十分すぎるほど怖いですね……」

 

 「Tierが低いことと、安全なことは全くの別問題ですから。刃物でも銃でも異能でも、当たり所が悪ければ人間は簡単に死にます」

 

 俺は、素直に頷いた。

 

 「本当に、悪いことはしない方がいいな……」

 

 「だから代表、その結論へ至る順番がおかしいんですよ」

 

 玲奈の呆れたようなツッコミに、俺たちは少しだけ笑って緊張を解いた。

 

     ◆

 

 帰還後。俺は自室で、登録された能力の《目録解析》を確認した。

 

 《磁着》

 

 『Tier4』

 

 『観測済み効果:

 

 接触した二つの金属物の間に、強制的な吸着関係を形成する』

 

 『観測済み情報:

 

 ・今回の戦闘では、少なくとも五組の吸着関係を同時に維持していた』

 

 『高確率の推定:

 

 ・非金属物には作用しない。

 

 ・同時に維持できる吸着ペア数には上限があり、六組前後である可能性が高い。

 

 ・対象間の距離が離れるほど、または重量差が大きいほど、吸着力が低下する』

 

 《鉄片射出》

 

 『Tier4』

 

 『観測済み効果:

 

 視界内に存在する小型金属物を、任意の方向へ高速射出する』

 

 『観測済み情報:

 

 ・今回観測した射撃は、すべて直線状の軌道を取った。

 

 ・大規模な同時射出には、短時間の集中と準備動作が必要だった』

 

 『高確率の推定:

 

 ・射出後の弾道変更(ホーミング)はできない。

 

 ・大型、重量物ほど射出速度が低下する。

 

 ・同時に射出する総重量が増えるほど、個々の弾の威力と精度が低下する』

 

 《身体能力強化》は既存登録と同系統のため、新規異能数には加算されず、使用回数のみが上限まで補充されている。

 

 《磁着》と《鉄片射出》が加わり、正式登録異能数は十三個となった。

 

 俺は、二つの新しい能力が増えたことを確認し、そっと目録を閉じた。

 

 ただし今回は、俺がコピーしたこれらの能力を、その場ですぐに使って勝ったわけではない。

 

 玲奈が戦場を完全に制御し、黒岩の能力の特性を逆手にとって自滅へ近い形へと追い込んでくれたからこそ、安全に勝てたのだ。

 

     ◆

 

 俺は、壊れたセラミック弾の薬莢や、傷の付いた装備を事務所で黙々と整理している玲奈の背中を見た。

 

 企業代理戦では、相手の能力を細かく見抜いて攻略の糸口を探すのは、常に俺の役割だった。

 

 だが今回は違った。

 

 玲奈は、黒岩本人だけを見ていなかった。あの複雑な工場全体を見ていたのだ。

 

 鉄板の配置。弾薬として使えそうな金属の量。黒岩が追い詰められて逃げる方向。警察が外で待機している場所。そして、俺が安全に飛び込める一瞬の隙。

 

 すべてを自分の『射線』の中へと組み込み、最後の一撃まで完璧にパズルのように組み立てていた。

 

 (……《圧縮射出》は、ただ物を強く撃ち出すだけの単純な能力じゃない)

 

 玲奈が使えば。相手の装備も、足場も、逃げ道も、そして戦場そのものも、すべてが彼女の強力な武器になる。

 

 玲奈が、振り返って分厚い報告書の束を俺のデスクへドン!と置いた。

 

 「佐伯さん。現場報告書、代表と私で共同作成ですよ」

 

 「えっ。……戦って捕まえたら、それで終わりじゃないんですか?」

 

 「役所と警察が関わるお仕事ですよ? 紙の書類を出さずに終わるわけないでしょう。甘えないでください」

 

 俺は、五十万円という報奨金の重みと、目の前の分厚い書類の束を見比べた。

 

 (……やっぱり、能力者になっても、面倒な書類仕事からは永遠に逃げられないらしい)

 

 俺は深くため息をつきながら、パソコンの文書作成ソフトを立ち上げたのだった。




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