冴えない中年平社員、見た技と異能をコピーして企業代理戦で成り上がる 作:パラレル・ゲーマー
夕方。俺が表の不動産管理会社でパソコンをシャットダウンし、本日の業務を終えようとしていた時のことだ。
スマートフォンに、登録されていない見知らぬ番号からの着信が入った。
取引先の業者か、それとも管理物件の入居者からの緊急連絡かと思いながら、俺は通話ボタンを押した。
「……はい、佐伯ですが」
「高峰だ。……今夜、空いているか」
聞こえてきたのは、つい数日前に俺の顔面や背中へ向かって何十本もの矢を放ってきた男の、低く無愛想な声だった。
俺は受話器を耳に当てたまま、数秒間、完全に無言になった。
昨日まで殺し合いの企業代理戦をしていた相手が、まるで仕事終わりに飲みに誘うようなフラットな調子で、いきなり夜の予定を聞いてきたからだ。
「……何の用だ。まさかとは思うが、再戦の申し込みなら、せめて俺の右手の怪我がもう少しマシになってからにしてくれよ」
「試合ではない。仕事だ」
高峰蓮司は、一切の愛想笑いも前置きもなく、用件だけを簡潔に説明し始めた。
彼が現在所属している固定のパーティーが、都内東部の地区へ出没している『飛行怪異』の討伐依頼を受けていること。
今日が、その依頼の契約期限の最終日であること。
だが、彼らのパーティーの「近接・拘束」を担当している前衛の仲間が、表の仕事である地方工場への出張先でトラブルに巻き込まれ、今夜の討伐までにどうしても帰京できなくなってしまったこと。
「一晩だけ、前衛の代役が必要なんだ」
「……代役って、お前の矢で地上へ撃ち落とした後の怪異を、押さえ込んで拘束する係か?」
「そうだ」
俺は、ネクタイを緩めながら尋ねた。
「どうして、俺なんだ? 他にもっと前衛の専門家がいっぱいいるだろ」
「俺の矢を、二十四本避けた」
高峰は、機械的に即答した。
「六階まで追いついてきた。飛来物を見てから動ける。……少なくとも、俺が射線を作った時に、何も考えずに俺の射線へ飛び込んでくるような、足手まといの前衛ではない」
そこまでは、一応俺の動きを評価してくれているらしい。
しかし最後に、彼は付け加えた。
「それに。俺の矢を素手で掴もうとするような馬鹿なら、怪異の脚くらい平気で掴めるだろう」
「……お前、本当に人を誘うのが下手だな」
「仕事を受けるのか。受けないのか」
高峰は、一切愛想を取り繕おうとはしなかった。
俺はその場で即答はせず、「契約内容を確認させてくれ。個人的な助っ人ではなく、うちのチームを通す」とだけ伝え、電話を切った。
◆
俺はすぐにFIELD WORKSの事務所へと向かい、待っていた水瀬と玲奈へ事情を説明した。
ただし、俺が二人に説明したのは、「高峰から臨時の共同依頼が来た」「飛行怪異の討伐」「近接担当の代役」「今夜が契約期限」という、仕事上の表面的な内容だけだ。
当然だが、俺が彼の能力をコピーしていることなどについては、一言も触れない。
玲奈が、目を丸くして素直に驚いた。
「嘘。……昨日まで命懸けで戦っていた相手から、もう仕事を頼まれたんですか?」
「腕の悪い相手には、命を預けるような仕事は頼まないだろ。少なくとも、前の試合での俺の動きが、あいつの中で評価されたらしい」
水瀬は、感情的な驚きを見せるよりも先に、事務長として契約内容の厳密な確認に入った。
高峰側のパーティーとの折衝、依頼主の企業、八咫烏への案件登録、保険、そして損害負担の範囲。
水瀬は電話で直接高峰と通話し、FIELD WORKSから佐伯直人一名を臨時派遣するという、正式な追加の業務契約を結び上げた。
「契約条件、固まりましたよ♡」
水瀬がモニターに表示した条件は、以下の通りだ。
基本出動報酬十五万円。討伐成功加算十万円。午前三時を越えた場合は深夜延長手当あり。
治療費と装備の損耗費は、すべて依頼元(高峰側)の負担。
対象が逃亡した場合も、直人に重大な過失がない限り、違約金や賠償責任は負わない。
建物の設備の操作は、所有者の事前承認を得た範囲内に限定する。
一般人の避難を最優先。万一、Tier3以上の反応を確認した場合は即座に撤退。
討伐した怪異の死骸は八咫烏へ引き渡す。
そして何より。
この任務が成功すれば、FIELD WORKSの公式なデータベースにも「共同討伐」としての実績が付与される。
「一晩で最大二十五万円ですね。企業代理戦に比べれば低いですが、危険手当を含む夜間作業としては十分な額です」
俺が一番重要視したのは、金よりもその「実績」だった。
「これに成功すれば、うちの怪異討伐履歴に載るんだな?」
「はい。都市部での飛行怪異への対応実績は、今後のビル警備や、要人護衛、夜間工事の護衛、高層建築物の安全確保といった仕事の受注に、極めて有利に働きます♡」
俺は、頷いて決断した。
「じゃあ、受けよう。……高峰の腕の確かさは、俺がこの身で一番よく知っている。あいつは、撃つべき時に外す男じゃない。前衛をやっていても、後ろから撃たれる心配をしなくていいなら、悪い仕事じゃない」
玲奈が、ジト目で俺を見た。
「代表、数日前に長い廊下で、その人の矢で思いっきり背中を撃たれてましたけど」
「あれは俺が避けた矢が、曲がって背中へ戻ってきただけだ! 誤射じゃない!」
「曲がって追ってくる方が、余計に怖いじゃないですか」
◆
水瀬と玲奈が契約の最終確認と装備の準備を進めている間。
俺は自分のデスクで準備をするふりをしながら、内心で、二人には決して言えない『別の重い問題』について思考を巡らせていた。
(……高峰から得た《追矢》と《強矢》は、今夜は絶対に、何があっても使えない)
高峰本人の目の前で、俺が同じ異能を見せれば、「たまたま似た系統の能力に覚醒した」などという苦しい言い訳では絶対に済まない。
特に《追矢》は、高峰が長年の弓術と完全に一体化させて磨き上げてきた、独特の因果の挙動がある。俺が似た現象を再現すれば、高峰ほどの使い手なら、一発でその不自然な違和感(コピーされたこと)に気づくはずだ。
また、数日前の試合で俺が使った能力や技術と、今夜いきなり披露する能力が全く別物であれば、それも疑念に繋がる。
俺は、自分の内部だけで今夜の戦闘方針を固めた。
(今夜俺が使っていいのは、高峰の前で既に試合で見せた手札と、身体能力や格闘技術として誤魔化せる範囲のもの。……それと、昼間の仕事で得た『建物管理の知識』と、一般装備だけだ)
誰にも相談はできない。
水瀬も玲奈も、俺がそんな厄介な制限(縛りプレイ)を自分自身に課していることなど、全く知らない。
表面上は、俺がただ静かに自分の装備を点検しているようにしか見えなかったはずだ。
◆
俺が用意した、都市部での怪異狩りのための装備。
軽量の戦闘服。指先を守る耐切創グローブ。防刃襟。透明なフェイスガード。膝と肘の保護具。
そして何より、高所での作業を想定した『フルハーネス』と、二本の『安全ランヤード(命綱)』。
俺は昼間の建物管理の経験から、高所では片方のフックを付け替える間も、もう片方を構造物へ残して安全を確保できる「ダブルランヤード方式」を採用した。
強化繊維の拘束ベルト。カラビナ。小型ライト。無線機。応急処置用品。
装備の候補には、現場用の弓を一張り借りるという選択肢もあった。
高峰が仕留め損ねた場合、遠距離攻撃が一枚でも多い方が安全だという理屈は分かる。今の俺には、弓術の技能も、《追矢》も《強矢》もある。弓と矢さえ持てば、戦力として使うこと自体はできる。
だからこそ、俺は借りなかった。
高峰本人の前で使えない能力のために弓を持ち込み、土壇場で手を伸ばしたくなる状況を作る必要はない。使わないのではなく、最初から使えないようにしておく。秘密を守るなら、その方が確実だった。
玲奈が、折り畳み式の重い捕獲ネットを俺へ手渡した。
「今回は、ちゃんとこれを使って怪異を捕まえてくださいね」
「もちろん、使う予定だよ」
「……予定だけで、結局最後は素手で掴みに行く気がしますけど」
「近接の拘束担当なんだから、最終的にはどうしたって手を使うだろ」
玲奈は、全く納得していない顔をしていた。
水瀬は、俺の装備の損耗補償のリストと、緊急連絡先だけを事務的に確認し、俺を現場へと送り出してくれた。
◆
午後十一時前。
都内東部の、再開発地区。
合流地点の暗がりに、高峰はすでに立っていた。手には、試合の時と全く同じ黒いコンパウンドボウ。
だが前回の対人用の安全な試合とは違い、彼の背中の矢筒には、実戦用の物騒な矢がズラリと並んでいた。
硬質装甲用の貫通矢。返しが付いた拘束矢。強化ケーブルが繋がれた係留矢。急所を外すための鈍頭矢。そして通常の牽制矢。
俺が近づいて声をかけた。
「よお。こうして味方側から見ると、お前のその弓も少しは頼もしく見えるな」
「敵側にいた時でも、十分すぎるほど頼もしく、恐ろしかったはずだが」
高峰が、一切笑わずに真顔で返した。
俺は、右手に巻かれた包帯をヒラヒラと振って見せた。
「ああ。説得力はあるよ」
俺たちの間に、前回の試合の私怨は一切なかった。
「企業代理戦は、契約に基づく勝負だ」
高峰が、淡々と告げた。
「俺は、終わった試合の感情を、次の仕事へ持ち込むような真似はしない。……今夜は、同じ契約の目的に向かって遂行する」
俺も、頷いて答えた。
「こちらも、そのつもりだ」
昨日の敵から、今日の味方へ。
俺たちは、短い言葉だけでドライにその切り替えを済ませた。
◆
俺たちは、依頼主が用意した近隣のビルの監視室へと入った。
そこには、高峰のパーティーの支援担当である女性が一人残っており、地区内の防犯カメラの映像、目撃地点のデータ、被害映像などを複数のモニターで一元管理していた。
怪異《切羽(きりばね)》の説明を受ける。
過去二晩、高峰はすでにこの怪異と二度接触しているという。
一度目は、通常矢で牽制して追い払った。
二度目は、《追矢》で曲げて翼へ命中させたが、硬質羽の表面を浅く削っただけで、致命傷には至らなかった。
《強矢》の貫通力なら羽を貫ける可能性が高いが、市街地の上空へ向けて放つには危険すぎる。もし外せば、住宅の窓や配管、電線などへ飛び込む恐れがあるからだ。
また、怪異を牽制して低空へ追い込んでも、近接担当が接触する前に、一瞬で再び空へと逃げられてしまう。
今夜の基本作戦。
高峰が矢で飛行経路を制限し、怪異を低空へ追い込む。
俺が怪異に接触し、翼か脚を完全に拘束して地上へ引きずり下ろす。
最後に、高峰が安全な射線から《強矢》で止めを刺す。
高峰が、俺の目を見て言った。
「俺が怪異を撃つ時、不用意に俺の射線へ入るなよ」
「その危険性は、嫌というほど知っている」
俺は即答した。
◆
俺は、モニターに表示された目撃地点の地図を見た。
赤いマークが、地区全体へ散らばっており、一見すると不規則に現れているように見える。
高峰たちは、「地区の中央にある閉鎖商業ビルに巣があり、そこから餌を求めてランダムに巡回している」と推測していた。
俺は、目撃地点のデータだけでなく、支援担当へ『建物側の情報』を要求した。
「この地区の各ビルの高さ。屋上の空調設備の配置。飲食店の深夜の営業時間。冷凍倉庫の夜間稼働状況。マンションの室外機群の位置。排気ダクトの方向。……それと、当日の風向きと、風を遮る高架道路の位置を出してくれ」
支援担当が、手際よく設備図面とデータを重ね合わせてモニターへ表示する。
俺は、昼間の仕事で見慣れた配管やダクトの記号、設備仕様を読み取っていった。
そこで、一つの明確な規則性を見つけた。
目撃地点は、深夜営業の焼肉店、冷凍倉庫、マンションの室外機群、二十四時間営業のスーパー、そして閉鎖商業ビルの『周囲にだけ』集中しているのだ。
俺は、確信を持って仮説を説明した。
「これ、どれも『夜間に大量の熱を屋上へ排出している建物』だ。……《切羽》は、鳥みたいに自由自在に空を飛んでいるんじゃない」
「どういうことだ?」と高峰が尋ねる。
「翼を広げて滑空し、建物の設備が作り出す『温かい上昇気流』へ乗って、高度を回復しているだけなんだ。目撃地点はただの餌場じゃない。こいつにとっての『空中の足場』だ」
高峰は、改めて地図を見直し、過去の逃走経路のデータと俺の仮説が完全に一致することに気づいた。
「……近接担当として呼んだつもりだったが。お前、随分と都市の構造に詳しいな」
「昼間は、しがない建物管理の平社員だからな」
俺は、ニヤリと笑って返した。
◆
午前零時十二分。
閉鎖商業ビルの屋上、錆びた巨大看板の裏側から、《切羽》が音もなく姿を現した。
屋上の縁から身を投げるように飛び出し、いったん大きく高度を下げる。
次の瞬間。隣の焼肉店の巨大な排気ダクトの上へと入り込み、その温かい上昇気流に乗って一気に急上昇した。
ほとんど羽ばたかず、見えない気流を渡るようにして滑空していく。
俺の仮説が、完全に正しいことが証明された。
同時に。俺の内部では、視界の《ライブラリ》がその飛行現象をジーッと観察していた。
しかし、青白い登録の反応は一切ない。
(……やはりな。あの怪異の飛行は、因果律改変の能力じゃない。身体構造と気流を利用した、ただの物理現象だ)
俺は内心だけでそう確認し、誰にもそのことは話さなかった。
◆
高峰が、怪異に向けて牽制の通常矢を放つ。
怪異は感覚器官で矢の接近を察知し、空中で機敏に回避した。
高峰が、次の矢をつがえて引き絞る。
《追矢》。
放たれた矢が、看板の裏へと鋭く回り込み、怪異の翼をまるでミサイルのように追跡していく。
俺は、味方側からその《追矢》の現象を見ていた。
数日前は、自分を殺しに来る理不尽な脅威だった。
だが今は、怪異の逃げ道を的確に封じてくれる、この上なく頼もしい支援攻撃だ。
同時に、俺の中には、「今の俺なら、あれと全く同じように矢を曲げて撃てる」という、因果の感覚が確かに存在していた。
だが、使わない。
(……高峰から得た能力は、本人の前では絶対に使えない。今夜は、最初から俺の手札には存在しないものとして扱う)
俺は、水瀬や玲奈からの事前の忠告を思い出すまでもなく、自分自身の判断でその選択を固く封印した。
◆
《追矢》が、空中で怪異の右翼へ見事に命中した。
しかし、曲がったことで速度と威力が落ちていたため、金属のような硬質羽の表面をガリッと削っただけで、貫通には至らなかった。
怪異は逃走しなかった。
傷を負わされたことで、射手である高峰を「明確な外敵」として認識したのだ。
巨大な翼をピタリと畳み、上空から高峰のいる屋上へと向かって、一直線に急降下してきた。
高峰は慌てず次の矢をつがえようとするが、怪異の急降下の速度が、彼の想定を僅かに上回っていた。
「チッ……!」
俺は、横から一気に飛び込んだ。
屋上の床に固定されていた、点検用の金属パネルを力任せに持ち上げ、即席の巨大な盾にする。
ドゴォォンッ!!
怪異の鋭い翼が、金属パネルへと激突した。
分厚い金属が引き裂かれる音が響き、俺は衝撃で数メートル、屋上の床を後方へと押し戻された。
パネルの隙間から、怪異の太い鉤爪が俺の肩を狙って伸びてくる。
俺は視認能力と反応速度でそれをギリギリで回避し、そのまま怪異の脚を掴もうと手を伸ばした。
だが、怪異は俺が掴む寸前で、一度強く翼を打ち、自ら起こした風の反動で再び空へと舞い上がり、上昇気流の中へと逃げてしまった。
高峰が、弓を構え直しながら冷たい声で言った。
「無理に腕力だけで掴むな。あの速度と重量だ、指を失うぞ」
「お前に言われると、嫌な実体験があるから妙に説得力があるな」
俺は、数日前に怪我をした右手の包帯を見ながら返した。
怪異は高空へと逃げ去り、第一回の接触はこれで終了した。
◆
俺たちは深追いせず、一度監視室へと戻った。
第一回接触で判明した情報を整理する。
怪異の硬質羽は、減速した《追矢》では貫けない。
《強矢》を上空へ向けて撃つのは危険すぎる。
怪異は、攻撃してきた射手を優先して襲う習性がある。
急降下攻撃の直前には、減速のために必ず翼を広げる。
上昇気流へ入れさえすれば、一瞬で逃げられる。
逆に、自力で羽ばたくだけでは、あの巨体を空中で長く維持できない。
俺は、結論を出した。
「怪異を空へ追って、撃ち落とそうとするんじゃない」
「飛べる場所そのものを、物理的に減らしてやるんだ」
◆
俺は設備図面を広げ、一時的に停止可能な排気設備をピックアップしていった。
ただし、勝手に電源を止めれば、店舗の厨房環境、冷凍倉庫の温度、防災設備などに甚大な影響が出る。
俺は設備ごとに、数十分程度の短時間なら停止可能かを判断し、支援担当と依頼主の設備責任者へ確認と許可を取っていった。
停止させる候補。
焼肉店の大型排気ファン。冷凍倉庫の補助排熱ファン。閉鎖ビルの仮設換気設備。
マンションの室外機群は住民の生活へ直結するため停止しないが、風向板の角度を操作して、上昇気流の発生位置を横へずらす。
そして、作戦前に客と従業員を避難させた二十四時間営業スーパーの冷蔵・冷凍設備だけは止めず、屋上の排熱設備をあえてそのまま動かしておく。
結果として。
怪異が安定して高度を回復できる場所を、たった『一か所』へと絞り込んだ。
その場所は、そのスーパーが入っている低層商業ビルと、向かいの巨大な立体駐車場に挟まれた、すり鉢状の非常に狭い空間の真上だ。
高峰がそこへ向かって《強矢》を撃って外したとしても、射線の延長線上には閉鎖商業ビルの分厚いコンクリート外壁しかない。一般人の避難も完了している。
俺は、建物の設備を操作することで、都市の一角そのものを『巨大な狩猟用の罠(キルゾーン)』へと作り変えたのだ。
◆
当初の作戦では、怪異が高峰を優先的に攻撃する習性を利用し、高峰自身が囮になる予定だった。
しかし、高峰が回避へ専念すれば、同時に正確な射撃を行うことができなくなる。
俺が、役割の変更を提案した。
「俺が、怪異の唯一の逃げ場になる、スーパーの入っている低層商業ビルの屋上で待機して、囮になる」
「……」
「お前は、向かいの立体駐車場から撃て。俺が目立つ場所で挑発して、より近い脅威として俺を狙わせる」
高峰が、確認するように言った。
「怪異の急降下を、お前は正面から受けることになるぞ」
「お前の放つ矢よりは、見やすくて安全だろ」
高峰は真顔で返した。
「俺の矢を基準にして、安全を判断するな。狂ってる」
俺たちは、敵だった時の殺し合いの経験を、そのまま会話と作戦の基準にしていた。
◆
俺は、戦闘の前に屋上の安全準備を徹底した。
安全ランヤード(命綱)のフックを、外見だけ頑丈そうに見える設備架台や腐食した手すりには結ばず、建物の根幹である『構造梁』へと確実に二点支持で固定する。
怪異の重量と、俺が《自己質量操作》で自重を増やした際の負荷まで考慮した安全対策だ。
捕獲ネットは、怪異の急降下速度では広げる時間がないため、最終的な拘束用として屋上の隅へ置いておく。
強化ベルトは、怪異へすぐに巻きつけやすい状態で手元に用意した。
高峰の射線上から、看板、アンテナ、作業工具、仮設資材などをすべて移動させ、クリアにする。
俺の昼間の建物管理の知識が、こんな派手な戦闘前の安全確保にも役立っていた。
◆
午前一時過ぎ。
予定した設備が、順番に停止していく。
上昇気流の位置が変わった。
《切羽》はいつもの飛行経路を使おうとするが、期待していた場所で温かい風を受けられず、高度を回復できない。
何度も硬い翼を羽ばたかせるが、巨体を支えきれず、徐々に高度を失っていく。
怪異は本能的に、最後に残されたスーパーの排熱へと向かってフラフラと降下してきた。
立体駐車場の暗がりから、高峰が牽制の矢を放つ。
一本目で、怪異の左側への逃走ルートを防ぐ。
二本目の《追矢》が、右側へと大きく回り込み、怪異の右翼端を狙う。
怪異は矢を避けるため、そして高度を維持するために、俺が待ち構えている屋上へと進路を変えるしかなくなった。
空全体を追いかけるのではなく、怪異の選べる道を一つずつ、確実に消していったのだ。
◆
俺は、屋上の中央に仁王立ちして待っていた。
怪異が翼をピタリと畳み、太い鉤爪を槍のように前へ向けて、一直線に急降下してくる。
俺は、早くは避けない。
早期に回避の動きを見せれば、怪異は俺を諦めて再上昇する余裕を与えてしまう。
怪異が、俺に衝突する直前、減速のために『必ず翼を大きく広げる』その瞬間まで、ギリギリまで待つ。
鉤爪が、俺の顔面へ迫る。
俺は最後の最後に、身体を半歩だけ横へずらした。
片方の鉤爪を顔の横でかわす。
すれ違いざま、俺は怪異の脚の付け根を、両腕でガッチリと掴み取った。
怪異は、間近で見ると予想外に巨大だった。
怪異が驚いてバサッと翼を打ち、俺の身体ごと空へ持ち上げて逃げようとする。
◆
俺は、怪異を掴んだまま、即座に《自己質量操作》を発動させた。
自分の質量を、限界まで一気に増加させる。
怪異にとって、突然数百キロの巨大な重りを脚へつけられた状態になる。
怪異の飛行姿勢が完全に崩れた。
しかし、降下の勢いが強すぎた。俺の足が屋上の床から浮き上がり、二人まとめてビルの縁へと引かれる。
俺の身体が、屋上の外へと半分ほど引き出された。
ガチンッ!と、安全ランヤードがピンと張る。構造梁へ固定していたため、アンカーは外れず、落下を食い止めた。
宙吊りになりかける状態で、怪異が狂ったように鉤爪を振り回し、俺の腕や肩の肉を引き裂こうとする。
防刃装備の表面がボロボロに切られ、痛みが走る。
俺は痛みに耐え、絶対に脚を離さずに、叫んだ。
「高峰!!」
◆
高峰は、怪異の胴体を直接狙わなかった。
俺と怪異が激しく絡み合っているため、少しでも射線がずれれば俺を射抜いてしまうからだ。
彼は《標定》の能力で、激しく動く怪異の正確な位置を追い、俺から最も遠い『翼の外側』だけをピンポイントで狙った。
係留矢が放たれる。
矢は、俺の頭上スレスレを通過し、怪異の広げられた右翼の硬い膜を、見事に貫いた。
矢の後ろに繋がれた強化ケーブルが伸びきり、立体駐車場の鉄の支柱へとガッチリと固定される。
片翼を横から強引に引かれた怪異が、空中で完全に姿勢を崩した。
俺は質量を増したまま、怪異の巨体を屋上のコンクリート床へと力任せに引きずり落とした。
ドォォォンッ!!
◆
地上(屋上)へ落としても、怪異はまだ恐ろしいほどの力で暴れた。
巨大な翼を横へ振り回し、刃のような前縁で俺を切断しようとする。
俺は一度、バックステップで後退した。
怪異は、自分の翼に刺さった係留矢のケーブルを、鋭い嘴で噛み切ろうとし始めた。
俺は再び再接近する。
怪異の翼の根元へ足をかけ、踏みつける。
怪異が太い鉤爪で俺の腹部を狙って蹴り上げてくる。
俺はその脚を腕で受け流し、関節の曲がる方向を瞬時に確認した。
人間用の柔術を、そのまま巨大な鳥に使うことはできない。
だが俺は、翼の肩関節の構造、後脚の可動方向、胴体の重心、首が届く範囲を即座に観察し、動きを封じるための最適な形へと組み替えていった。
俺が片翼を膝で強く押さえ込み、暴れる後脚を拘束ベルトでグルグル巻きにして固定する。
怪異が首を蛇のように振り、嘴で俺の顔を狙う。
そこへ、立体駐車場から移動してきた高峰が接近し。
コンパウンドボウの金属製のライザー(本体)で、怪異の頭部を横から思い切り殴りつけた。
前回の試合では俺へ向けられた「弓を利用した近接格闘」が、今回は俺を守るために使われたのだ。
「何秒必要だ」
高峰が、弓で怪異の頭を押さえ込みながら尋ねる。
「三秒!」
俺は、高峰が押さえている間に、もう一本の拘束ベルトを翼の付け根へ素早く通し、強く締め上げた。
これで、怪異は両翼を完全には開けなくなった。
◆
拘束されても、怪異の巨体はなお激しく暴れ続けていた。
長引けば、強化ベルトでも引きちぎられる危険がある。
高峰が、後方へ数歩下がり、《強矢》の準備へと入った。
弓を限界まで引き絞り、一秒半の完全な静止が必要になる。
俺は、怪異を押さえ込みながら、高峰の肩の位置がわずかに変わるのを見ていた。
俺の内部には、すでに同じ能力の成立条件がコピーされて登録されている。
そのため、高峰が『いつ発射可能になるか』のタイミングが、俺には感覚的に完全に分かっていた。
だが、その知識を決して口には出さない。高峰が合図するまで、俺は知らないふりをして怪異を押さえ続けた。
「射線から外れろ!」
高峰の声を受けてから、俺は動いた。
発射の本当にギリギリの直前まで怪異を押さえ込み、最後の瞬間に横へと大きく身体を投げ出した。
ドシュッ!!!
高峰の放った《強矢》が、怪異の胸部の中央を装甲ごと完全に貫通し、背後に設置されていたコンクリート製の設備基礎へと深々と突き刺さった。
怪異の身体が、一度だけ大きく痙攣し。
その後、完全に動きを止めた。
前回の戦闘では、俺は高峰の矢を信じられず、死に物狂いで避け続けた。
だが今回は、彼が『絶対に俺には当てない』と信じ、ギリギリまで怪異を押さえ込んだ。
俺たちの信頼は、馴れ合いの言葉ではなく、戦闘行動の選択そのもので示されていた。
◆
怪異が動かなくなっても、俺と高峰はすぐには近づかなかった。
監視室の支援担当が、カメラとセンサーで生命活動の完全停止を確認する。
高峰が安全距離から、床へ向けて通常矢を一本放ち、音や振動への反応が全くないことを確かめた。
数分後。依頼主と、八咫烏の専門の回収班が屋上へ到着した。
《切羽》の死骸は消滅せず、硬い翼と異形の骨格をその場に残していた。研究と鑑定のため、厳重な封印容器へと収容されていく。
反応規模はTier4相当。
一般人の死傷者はゼロ。
建物被害は、俺が盾にした金属点検パネル一枚、防水シートの破損、コンクリート基礎の表面の削れ、一部の設備架台の歪み程度で収まった。
俺は、依頼主の設備管理者へ向けて、その場で補修方法を説明した。
「防水層の破れは、今日中にブルーシートで養生してください。コンクリートの欠けは表面だけですが、矢を抜いた後に念のため内部のクラック確認を。金属パネルは曲げ戻して再利用しない方がいいです、交換で」
討伐して終わりではない。壊した建物を元へ戻すところまでが、俺の昼間の仕事の領分だった。
◆
回収作業の合間。
高峰が、弓を布で点検しながら俺の横へ来て言った。
「……お前を呼んだ判断は、間違っていなかった」
「だから、お前はもう少し普通に褒められないのか?」
俺が苦笑すると、高峰は具体的な数字を並べて評価した。
「予定の時間より早く終了した。人身被害はなし。建物の損害も俺の想定以下だ。何より、《強矢》を一射だけで済ませられた。怪異の逃走も許さなかった」
それは、実務を重んじる高峰にとっては最大限の褒め言葉だった。
俺も、素直に返した。
「お前も、敵に回すと最悪だが、味方なら頼りになるな」
「お前も、俺の放った矢を素手で掴もうとさえしなければ、非常に扱いやすい前衛だ」
「……今日は、矢じゃなくてちゃんと怪異を掴んだぞ」
「結局、危険なものを素手で掴む癖は治ってないじゃないか」
高峰が、呆れたように小さくため息をついた。
◆
俺は、気になっていたことを尋ねた。
「本当に、代役の候補は俺しかいなかったのか?」
「候補のリストなら、何人かはいた」
高峰は、矢筒を背負い直して答えた。
「だが、今日初めて会うような初対面の前衛に対して、俺の矢の《追矢》の曲がり方、射線の作り方、《強矢》の危険性、俺が発射を判断するタイミング、近接へ切り替えるタイミングなどを一から説明し、短時間で連携を調整するのは不可能だ」
「……」
「お前は、俺の矢を実際に受け、避け、追われ、接近した。俺も、お前がどこまで反応できるか、どこまで負傷に耐えるか、どの距離なら飛び込んでくるか、危険な場面で判断を止めないかを知っている」
つまり。
俺たちが敵として一度全力で戦ったからこそ、すべての説明を省き、即席の連携を成立させることができたのだ。
高峰は最後に、少しだけ表情を緩めて告げた。
「またパーティーで欠員が出た時は、声をかける」
「……次は、もう少し地面を歩く相手にしてくれよ」
俺は、疲れたように肩を回して答えた。
◆
午前三時前。
俺がFIELD WORKSの事務所へ戻ると、水瀬と玲奈が起きて待っていてくれた。
玲奈は、俺の裂けた戦闘服とボロボロのグローブを見てため息をついた。
「捕獲ネットを持っていったのに、結局最後は素手で掴んだんですね」
「あの速度で空から突っ込んできたものに、悠長にネットを広げている時間があると思うか?」
水瀬が、パソコンの画面を見ながら、共同実績の登録完了を読み上げた。
『《都内東部地区・飛行怪異共同討伐》』
『担当:近接拘束、飛行経路分析、建物設備調整、現場安全確保』
『結果:討伐成功、一般人被害なし』
FIELD WORKSの実績に正式追加。報酬二十五万円。装備費用は別途請求済み。
水瀬が、キーボードを叩く手を止めて微笑んだ。
「企業代理戦で血みどろになって勝った相手から、すぐ共同案件の仕事をもらってくるなんて。代表、ちゃんと『人脈』を作っていますね♡」
「矢を撃たれながら作る人脈なんて、あまり一般的な営業じゃないと思うぞ」
「代表の営業方法は、絶対に参考にしたくありません」
玲奈が冷たく締めくくり、俺たちは一仕事終えた後の軽い笑い声を事務所に響かせた。
この場でも、俺は《ライブラリ》やコピー能力については、一切口に出さなかった。
◆
帰宅する夜道で。
俺は一人になってから、静かに《ライブラリ》の画面を視界に呼び出した。
今夜は、新しい異能を登録してはいない。《切羽》の飛行は異能ではなかったからだ。
しかし、高峰が《追矢》を飛行怪異へと使用したことで、俺は一つの理解を深めていた。
(《追矢》は、人間だけを追う能力じゃない。使用者が攻撃対象として明確に認識できれば、怪異にも作用する。一方で、三次元的な急旋回へ無理に追従しようとするほど、矢の速度は極端に落ちる……)
この情報は、俺の《目録解析》の中だけで密かに更新され、俺だけが知る武器となった。
俺は、高峰の能力を使う誘惑に駆られることなく、無事に仕事を終えられたことに、心底安堵していた。
(高峰は、自分の長年鍛え上げた能力が、俺の中にも完全にコピーされて存在していることなど、全く知らない。……水瀬さんも玲奈さんも知らない。知っているのは、俺だけでいい)
俺は、その秘密の重さを軽く再確認した。
その直後、俺のスマートフォンに、高峰から短いメッセージが届いた。
『報酬の振り込み手続きは明日完了する。助かった。……次は、最初から味方として呼ぶ』
俺は、その無骨な文面を見て少し笑い、呟いた。
「昨日の敵が、今日の頼もしい仕事仲間、か」
そして、《ライブラリ》の青白いシステム表示をそっと閉じた。
「まあ、こっちの厄介な『企業秘密(事情)』までは……知られない方がいいけどな」
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