冴えない中年平社員、見た技と異能をコピーして企業代理戦で成り上がる   作:パラレル・ゲーマー

37 / 38
第28話 飛行怪異を倒したら、初めて指名依頼が来た

 巨大な飛行怪異を屋上へ叩き落として討伐した、翌日の昼。

 

 俺は、表の不動産管理会社の自席で、強烈な睡魔と格闘しながらパソコンの画面を睨んでいた。

 

 昨夜は深夜三時まで怪異を必死に押さえ込み、その後事務所で書類の報告を終え、帰宅してシャワーを浴びてから数時間しか眠れていない。

 

 激しく抵抗する怪異と揉み合ったせいで、右手や肩には打撲の重い痛みが残っていた。

 

 それでも昼の会社では、俺はただの『しがない平社員』だ。

 

 管理物件の漏水修繕の見積もりを作成し、定期清掃を行う業者へ日程の連絡を入れ、入居者からの「上の階の足音がうるさい」という苦情の電話に頭を下げ、消防設備の点検予定を調整する。

 

 血生臭い因果律改変の能力や、空を飛ぶ怪物のことなど微塵も感じさせない、極めて平和で平凡な日常業務をこなしていた。

 

 昼休みの時間。

 

 手元のスマートフォンが震え、水瀬から短いメッセージが届いた。

 

『代表、おめでとうございます。初めてのご指名です♡』

 

『本日、退勤後に事務所へ来てください』

 

 俺は、コンビニのおにぎりをかじりながら首を傾げた。

 

 初めての指名。それはおそらく、企業代理戦での『対戦指名』だろうと思った。

 

 前回の高峰との試合映像を見た別の血の気の多い能力者か、あるいは神代一刀流の門下生から、また意趣返しのような試合を申し込まれたのではないか。

 

 俺が重い気持ちで『了解。面倒な相手か?』と返信しようとした矢先。

 

 水瀬から、追撃のメッセージが届いた。

 

『今回は、リングで殴り合うための指名対戦ではありません』

 

『企業の担当者から、代表個人を名指しした『普通の企業警護』のご依頼です。たぶん♡』

 

 俺は、最後の「たぶん♡」という文字列に、強烈な一抹の不安を覚えた。

 

     ◆

 

 夕方、退勤後にFIELD WORKSの事務所へ到着すると、水瀬がすでに待っていた。

 

 彼女がメインモニターへ表示した契約依頼書には、確かにこう書かれていた。

 

《旧研究棟保管設備・夜間警護業務》

 

《参加条件:現場責任者として、佐伯直人氏を指定》

 

 俺は、自分のフルネームが企業側からの必須条件として記されているのを見て、少し戸惑った。

 

「……俺を指名? FIELD WORKSに警護を頼むんじゃなくて?」

 

「はい。契約主体はFIELD WORKS全体へのご依頼ですが、『佐伯さんが現場の責任者として必ず参加すること』が、先方の提示してきた絶対条件です♡」

 

 隣のデスクで、玲奈がニヤニヤしながら言った。

 

「代表、空飛ぶ怪異を素手で捕まえたクレイジーな人として、裏の業界で有名になったんじゃないですか?」

 

「……そんな脳筋みたいな評判、絶対に嫌だぞ」

 

 水瀬は、クスクス笑いながら首を横に振った。

 

「ご安心ください。先方の報告書で評価されているのは、佐伯さんの暴力的な戦闘力ではありません」

 

 水瀬の説明によると、依頼主は前回の『飛行怪異討伐』の現場となった地区を所有・管理している、東央都市開発グループの関連企業『東央特殊搬送技研』だった。

 

 彼らの現場担当者からの報告書には、俺のこんな行動が高く評価されていた。

 

『建物設備(排気ダクトや気流)の構造を正確に理解していた』

 

『設備を勝手に停止させず、所有者の承認を事前に取った』

 

『一般人への影響や被害を最小限に考慮した』

 

『戦闘後、壊れたパネルや防水シートの的確な補修方法まで指示した』

 

『高峰氏との即席の連携で、周囲の建物被害を見事に抑えた』

 

 水瀬が、誇らしげに微笑んだ。

 

「能力者を使っている警備員は、八咫烏の登録者の中にも珍しくありません。でも、『建物の中で戦う際、どの設備を壊したらマズイのかを正確に理解している能力者』は、意外なほど少ないんですよ♡」

 

「……」

 

「佐伯さんは、建物の設備を絶対に無意味に壊さない。彼らにとって、非常に安心して任せられる、稀有な能力者として評価されたんです」

 

 俺は、少し照れくさくなって視線を逸らした。

 

「別に……昼間の不動産管理の仕事の知識が、たまたま役に立っただけだ」

 

 そう表向きには冷たく返したが。

 

 内心では、能力を隠して長年細々と続けてきた『平社員としての実務経験』が、こうして初めて自分の名前で正当に評価されたことを、少しだけ嬉しく思っていた。

 

     ◆

 

 水瀬が、依頼主である東央特殊搬送技研の担当者とオンライン会議を繋いだ。

 

 画面の向こうには、パリッとしたスーツを着た、総務・危機管理担当の初老の男が映っている。

 

 水瀬が、にこやかに警護対象の安全確認に入った。

 

「具体的に、今夜は何の設備を警護するのでしょうか?」

 

 担当者は、少し申し訳なさそうに、しかし断固として答えた。

 

「大型の産業用試験設備です」

 

「用途は?」

 

「申し訳ありません。機能と内部構造については、高度な企業秘密となっております」

 

 俺は一瞬だけ黙り、画面の男を見た。

 

 しかし、過剰に疑って腹を立てたりはしなかった。企業が、最新の試作設備や特許に関わる機械の内容を、外部の下請けの警備会社へペラペラと明かさないのは、ビジネスとして当然の自衛手段だからだ。

 

 俺は、現場の安全面だけを淡々と確認した。

 

「爆発物ではありませんね?」

 

「違います」

 

「毒物、放射性物質、生物試料、あるいは何らかの感染性物質を含んでいますか?」

 

「一切含まれていません」

 

「電源喪失や、万一の破損によって、周辺住民や我々警備員へ被害が出るような設備ですか?」

 

「通常の機械的な転倒事故などの危険以外はありません」

 

「……警護中に、こちらがその『秘密の機能』を知らないことで、避難や防御の判断を誤るような可能性は?」

 

 担当者は、少しだけ間を置いたが。

 

「現在私どもが想定している範囲では、ありません」

 

 と、明確に回答した。

 

「……ああ、そうですか」

 

 俺は、それ以上の追及をあっさりとやめた。

 

 俺たちが守るべきは『物』であって、その技術的な価値を知る必要はない。現場で必要な安全情報が開示されているなら、契約上は問題ない。

 

 ただし水瀬は、笑顔のまま素早くキーボードを叩き、

 

『未開示の機密情報が原因でFIELD WORKS側に損害が発生した場合、当方は一切の賠償責任を負わない』

 

 という免責条項を、契約書へしっかりと追加した。担当者も、それを静かに受け入れた。

 

     ◆

 

 依頼主から開示された、警護対象の条件は以下の通りだった。

 

『設備重量:約四・八トン』

 

『分解禁止、横倒し禁止、水濡れ厳禁。強い衝撃を与えないこと。外装の防塵シートを決して開けないこと』

 

『明日の朝四時から、別の施設への搬出を予定。それまでの間、旧研究棟の試験室内で対象を警護する』

 

『搬出作業自体は専門の業者が担当する。FIELD WORKSの三名は、保管区画の室内と、搬入口の警備を行うこと』

 

 俺は、設備の重量データと、保管されている建物の図面を要求した。

 

 担当者から送られてきたPDFの資料を、すぐに自分の端末で確認する。

 

 保管場所は、来月解体予定の三階建ての『旧研究棟』。

 

 設備は、一階の最も奥にある大型試験室に置かれている。外へは、大型シャッターを通じて直接搬出できる設計だ。

 

 建物の床荷重も、四・八トンの重い設備に対応できる強度が計算されている。

 

 だが、俺は図面の『試験室の床下部分』を見て、微かな違和感を覚えた。

 

 試験室の床のコンクリートの下には、四・八トンの設備重量に比べて、明らかに異常なほど大規模で分厚い『基礎』が打たれているのだ。

 

(……おかしいな。たった五トン弱の機械を置くだけなら、ここまで巨大で強固な基礎構造は必要ないはずだ)

 

 しかし、用途が企業秘密である以上、

 

「きっと、激しい振動試験や、一点に極端な荷重をかけるような特殊な試験に使う設備なのだろう」

 

 と、俺は自分の知識で一度無理やり納得し、図面を閉じた。

 

     ◆

 

 一晩の基本警護報酬は、百二十万円。

 

 夜を徹する警護とはいえ、破格の高額だった。特殊設備の企業秘密を扱うため、俺たち三人全員が分厚い守秘契約書へ署名をした。

 

「初めての直接指名案件としては、悪くない条件だ」

 

 俺が受注を決めると、玲奈が少しだけ不安そうに口を挟んだ。

 

「……でも代表。自分が『何を守るのか』も教えてくれない仕事って、少し気味が悪くありません?」

 

「警備会社が、銀行の金庫の中身や、現金輸送車の正確な金額を毎回教えてもらえるわけじゃないだろ。そういうもんだ」

 

 俺がなだめると、水瀬も同意した。

 

「守る物の価値を知りすぎること自体が、情報漏洩の危険になりますからね♡ 知らぬが仏です」

 

 この時点では、俺たち三人は誰も、依頼主が重大な嘘をついているとは考えていなかった。

 

 単に、「価値の高い秘密の多い産業設備」だと、軽く認識していたのだ。

 

     ◆

 

 午後十時。

 

 俺たち三人は、都内の湾岸部にある東央特殊搬送技研の『旧研究棟』へと到着した。

 

 周囲には、夜間は無人になる工場、巨大な物流倉庫、別の研究施設が立ち並ぶ、静かで殺風景な産業地区だ。

 

 来月から解体工事が始まる旧研究棟は、通常業務はすでに完全に停止しており、建物内はひっそりと静まり返っていた。

 

 敷地にいるのは、企業の警備員が四名、設備の担当者が二名、翌朝の搬出責任者が一名、そして俺たちFIELD WORKSの三名だけだ。

 

 建物外周には高い金属フェンス。正門、資材搬入口、職員用の通用口の三か所が出入口となっている。

 

 監視カメラは稼働しているが、解体準備によって建物の一部区画はすでに電源が落とされ、暗闇に沈んでいた。

 

 俺は、依頼主から渡された図面だけに頼らず、最初に現場を自分の足で歩き、自分の目で隅々まで安全確認を行った。

 

     ◆

 

 依頼主側の当初の警備計画案では、試験室の前に警備員二名、正門に一名、監視室に一名という単純な配置だった。

 

 俺は、現場を見て即座にその欠陥を指摘し、配置を全面的に組み直した。

 

「この配置ではダメです。搬入口側の死角が大きすぎる。それに、外の解体用の足場を使えば、二階の窓から簡単に侵入できます。使われていない配管通路が、職員通用口の真下へ続いているのも危険だ」

 

 企業の警備員たちが、少しムッとした顔で俺を見た。

 

 俺は気にせず続けた。

 

「この古い警備システムは、もしブレーカーを落とされて停電した場合、安全のために一部の防火扉が自動で『解錠』されてしまう仕様です。さらに、解体業者用の仮設ゲートは、外から工具を使えば簡単にこじ開けられる」

 

 俺は、FIELD WORKSの能力を最大限に活かした配置を指示した。

 

 水瀬は、彼女の異能である《分身体》を一体だけ作り出した。

 

 分身には、試験室前と二階の暗い廊下を往復させる。本体は監視室に残り、入館者名簿とすべてのカメラを一括管理する。

 

 水瀬が八咫烏へ登録している分身体数は、一体だ。

 

 俺は、それが本当の上限ではないのではないかと薄々疑っている。だが、実際に何体まで出せるのかは知らないし、本人へ尋ねたこともない。

 

 少なくとも、依頼主の警備員や監視カメラがあるこの現場で、彼女が公に見せるのは登録どおりの一体だけだった。

 

 企業の警備員は、正門と資材搬入口へ一名ずつ、残る二名を試験室前へ配置する。職員通用口と建物外周は、正門と搬入口の担当者が交代で巡回する形に改めた。

 

 玲奈には、旧研究棟の屋上ではなく、敷地を挟んだ向かい側にある二階建て倉庫の屋上へ移ってもらった。

 

 依頼主を通じて倉庫所有者の承認を取り、安全な昇降経路と退避場所も確認してある。そこなら正門、搬入口、駐車場だけでなく、旧研究棟一階の廊下に並ぶ窓まで、斜め上から見通すことができた。

 

「もし武器を持った侵入者が現れても、直接人体は狙わないでくれ。武器や、逃走車両のタイヤではなく『駆動部』を撃って、安全に停止させてください」

 

 俺が指示すると、玲奈は「了解です」と頼もしく頷いた。

 

 そして俺自身は、設備がある試験室と搬入口の間を、常に動き回って遊撃として巡回する。

 

 警備員の交代や、搬出業者の入館確認にもすべて立ち会う。

 

 俺は最後に、企業の警備員たちへ向かって、静かに、だが強い口調で告げた。

 

「不審者を見ても、絶対に一人で追わないでください。必ず無線を入れて、俺たちを呼んでください。……設備より先に、あなた方自身の命(人間)を守ってください」

 

     ◆

 

 一階の最も奥にある、大型試験室。

 

 その中央に、灰色の分厚い防塵シートをすっぽりとかけられた、巨大な設備が鎮座していた。

 

 設備の担当者が、シートの裾を少しだけめくり、俺に外観の一部だけを見せてくれた。

 

 シートの下には、重機のように太く無骨な灰黒色の金属フレームと、四本の巨大な支持アームが見えた。中央には、何か重いものを固定するためらしい頑丈な台座。周囲には、複雑な制御盤と、極太のケーブルが何本も這っている。

 

 機械は、床へ十数本の大型アンカーボルトで、ガッチリと固定されていた。

 

 金属の銘板には、

 

『ATLAS A-03』

 

 とだけ、シンプルに記されている。

 

「アトラスというのが、この設備のお名前ですか?」

 

「はい。社内の開発呼称です」

 

「……本当に、どういう試験をする機械なんです?」

 

「申し訳ありませんが、それも企業秘密です」

 

 担当者が堅い表情で答えた。

 

「ああ、そうですか」と、俺はあっさりと引き下がった。

 

 ただし、俺は床のアンカーボルトと、設備の構造をジッと観察していた。

 

 この機械の四本のアームとフレームは、機械本体の四・八トンの重さを支えるためというより、上に載せた巨大な荷重を、そのまま床下の強固な基礎へ『伝える(逃がす)』ためのような、異様な構造に見えた。

 

 だが、この時点では俺の知識でも明確な答えは出せなかった。

 

 《アトラス》は電源が落ちて停止しているため、俺の視界の《ライブラリ》も全く反応しなかった。

 

     ◆

 

 午後十一時。

 

 警護開始から一時間が経過したが、敷地内に異常は全くなかった。

 

 俺は試験室周辺を歩き回って巡回し、玲奈は向かいの倉庫屋上からトランシーバーで定時報告を入れてくる。水瀬は監視室の本体と、建物内を巡回する一体の分身を連携させていた。

 

 最初は「こんな若い三人組の小規模チームが現場責任者なのか」と不安そうにしていた企業の警備員たちも、水瀬が本体と一体の分身を使って監視の穴を埋め、玲奈が暗闇の小さな猫の動きすら正確に捉え、俺が建物の物理的な危険箇所を次々と指摘して塞いでいくのを見て、徐々に態度を改め、信頼を寄せてくれていた。

 

(……初めての直接指名案件が、このまま何も起きずに、平和に朝を迎えて終わればいいんだが)

 

 俺は、ホットコーヒーを飲みながら内心でそう祈った。

 

 警備の仕事というのは、侵入者と激しく戦って撃退することではなく、「誰も攻めてこようと思わないほど完璧に守り、戦わずに終わること」が一番の成功だからだ。

 

     ◆

 

 午後十一時四十分。

 

 その平穏は、あっけなく破られた。

 

 正門の前に、黄色いランプを回した電気設備会社の作業車が到着した。

 

 作業服を着た男が二人降りてきて、正門の警備員へ向かって言った。

 

「監視カメラの系統に異常が出たため、本社から緊急点検に来ました」

 

 男たちは、会社名の入った腕章、緊急点検の依頼書、そして写真入りの作業員証を提示した。

 

 書類の出来は非常に良く、正門の警備員は疑うことなくゲートを開けようとした。

 

 しかし、監視室にいた水瀬が、即座に無線へ割り込んだ。

 

『待ってください。依頼主の緊急作業一覧と照合しましたが、該当する点検依頼は存在しません』

 

 男たちは、慌てた様子も見せずに主張した。

 

「本社の設備管理部から直接指示を受けて来たんです。深夜なので、現場への書類の連絡が遅れているだけでしょう」

 

 俺は、早歩きで正門へと向かった。

 

 ゲート越しに、男たちへ質問する。

 

「ご苦労様です。……どのカメラ系統に異常が出ていますか?」

 

「西側外周のカメラです」

 

「西側のカメラは、この旧研究棟の設備盤からではなく、隣の管理棟の分電盤から給電されています。……なぜ、こちらへ直接来たんですか?」

 

 男の表情が、一瞬だけ硬直し、答えに詰まった。

 

 さらに俺は、作業車の半開きの荷室の奥を鋭く観察した。

 

 電気設備の点検に必要なはずの、絶縁工具や測定器の類が少なすぎる。

 

 代わりに積まれていたのは、フェンスを切る大型カッター、太いワイヤー、通信を妨害する小型ジャマー、煙幕装置、そして携帯式の油圧工具だった。

 

 俺は、トランシーバーのボタンを押し、低く冷たい声で指示を出した。

 

「水瀬さん。正門のゲートを物理的に閉鎖」

 

『了解しました♡』

 

「玲奈、車両の動きを監視しろ。いつでも撃てるように」

 

『任せてください』

 

「……警備員の方々は、安全のため後ろへ下がってください」

 

 男たちは、俺の鋭い視線と無線の内容を聞いて、自分たちの偽装が完全に露見したと悟った。

 

     ◆

 

 作業車の後部のドアが蹴り開けられ、さらに二人の男が飛び出してきた。

 

 合計四人。

 

 彼らは全員が、八咫烏に登録されているような高度な戦闘能力者というわけではなかった。

 

 現場指揮役と思われる、元警備会社勤務らしい体格の男(A)。彼は能力を持たないが、警備手順や入館管理の穴に詳しい。

 

 電子機器担当の男(B)。彼も無能力者だが、小型ジャマー、偽造カード、監視カメラの妨害装置を使いこなす。

 

 実行役の男(C)。彼だけが、一般的な《身体能力強化》を持つTier4相当の能力者だ。俺や警備員を暴力で排除する役目。

 

 そして、運転および退路確保の男(D)。

 

 俺は、彼らの戦力と持ってきた機材を見て、即座に相手の『本当の目的』を看破した。

 

 彼らが乗ってきたのは、二トン程度の普通の作業車だ。

 

 四・八トンの《アトラス》をその場で持ち上げて運び出せるような、大型クレーンも輸送用の低床台車もない。

 

 つまり、今回の彼らの目的は、設備そのものの本格的な強奪ではない。

 

 警備の人数、FIELD WORKSの能力、試験室までの最短経路、警報への反応時間、そして《アトラス》のアンカーでの固定状態。

 

 それらを調べるための、『偵察と試験侵入』なのだ。

 

     ◆

 

 電子担当の男(B)が、小型ジャマーのスイッチを起動した。

 

 俺のトランシーバーと、敷地内の監視カメラの映像に、一斉にザーッという激しいノイズが走る。

 

 同時に、男が発煙筒のような煙幕装置を、正門付近へと投げ込んだ。

 

 白い煙が噴き出し、企業の警備員たちが咳き込んで混乱する。

 

 しかし、水瀬の分身と本体の連携は、電波の無線だけに頼ってはいない。

 

 一体の分身は、本体との『能力的な因果の繋がり』によって視覚情報を共有している。カメラが妨害されても、建物内を動く水瀬のもう一つの『目』までは死んでいなかった。

 

 水瀬が、即座に的確な指示を飛ばす。

 

『現在二階にいる分身を、一階西側の階段へ向かわせます』

 

『試験室前の警備員二名は、何があっても持ち場を離れないでください』

 

『正門と搬入口の警備員は、不審者を追わず安全区画へ退避』

 

『本体から、外部の警察と八咫烏へ緊急連絡を入れました』

 

 向かいの倉庫屋上にいる玲奈が、暗視スコープ越しに、煙幕の外へ出て車両を急発進させようとする運転手(D)の動きを捉えた。

 

シュガァンッ!

 

 玲奈の《圧縮射出》による樹脂弾が、作業車の前方の地面(アスファルト)へと凄まじい勢いで撃ち込まれた。

 

 地面が爆発したように抉れ、深いくぼみができる。

 

 タイヤを直接撃ち抜いて横転させるのではなく、車両が安全に急ブレーキを踏んで停止せざるを得ない位置へ、意図的に障害物を作ったのだ。

 

     ◆

 

 煙の中から、身体能力強化の実行役(C)が、俺へ向かって一直線に突進してきた。

 

 彼の動きは、一般人から見れば十分に速い。

 

 だが、俺がこれまで相手にしてきた企業代理戦の化け物たちのような、高度な格闘技能や洗練された動きはない。ただ力任せに、短時間で俺を押し切って試験室へ向かおうとするだけの、単調な突進だ。

 

 俺は、自分も《身体能力強化》を発動し、これまでコピーしてきたボクシングと空手の格闘技能で落ち着いて対応した。

 

 ただし、必要以上の高度な能力(見えない衝撃波など)は絶対に見せない。

 

 突っ込んできた相手の右ストレートを、左腕で柔らかく受け流す。

 

 相手の突進の勢いを利用して重心を崩し、そのまま彼の背中をコンクリートの壁へと激しく押しつけた。

 

 男は、力任せに俺の腕を振りほどこうと暴れる。

 

 俺は、男の足の位置、腰の回転、肩の入り方、そして何より『彼が自分の能力の出力だけに頼りきっていること』を読み取った。

 

 手首の関節を極め、足を払って、男を床へと綺麗に叩き伏せる。

 

 男が、焦ってポケットからサバイバルナイフを抜こうとした。

 

 俺は、彼の手首を軍靴で強く踏みつけ、ナイフを取り落とさせた。

 

「警備員相手に刃物を抜いた時点で、ただの下見や不法侵入では済まないぞ。強盗致傷未遂だ」

 

 俺は冷たく告げ、強化拘束ベルトで男の両腕を背中に固定した。

 

     ◆

 

 その間、指揮役(A)と電子担当(B)の二人は、俺との戦闘を避けて煙に紛れ、建物内へと侵入していた。

 

 彼らの目的は《アトラス》を持ち去ることではない。

 

 試験室の扉の前まで到達して、床の固定方法を撮影し、機器の型式番号を確認し、あわよくば追跡用の小型ビーコンを取り付け、搬出の時刻を把握して逃げることだ。

 

 二階から降りてきた水瀬の分身が、二人の後を足音もなく追跡する。

 

 電子担当の男が、旧型の偽造入館カードをスワイプし、職員用の通用口をあっさりと解錠してしまった。

 

 内部のセキュリティ情報が、完全に外部へ漏れている証拠だった。

 

 水瀬の分身が、廊下の前方へと回り込み、無表情で彼らの進路を塞いだ。

 

 指揮役の男が、持っていた強力な催涙スプレーを分身の顔へ向けて噴射する。

 

 分身はフッと煙のように消滅したが、監視室にいる水瀬の本体には何の実害もない。

 

「倒した! 今のうちだ!」

 

 指揮役の男が叫び、二人は空いた廊下を走り抜けようとする。

 

 だが、十秒も経たないうちに、横手の階段から再び水瀬の分身が現れた。先ほどの分身を作り直しただけなのか、それとも彼女が別の余力を隠しているのか、俺には分からない。

 

 確かなのは、公の場に存在している分身が、最初から最後まで一体だけだということだけだった。

 

「倒したはずだろ……!」

 

 指揮役の男が、混乱して毒づいた。

 

     ◆

 

 俺が、拘束した実行役(C)を引きずって、試験室前の廊下へと到着した。

 

 挟み撃ちにされた指揮役の男(A)が、俺たちへ向かって、言葉による揺さぶりをかけてきた。

 

「おい、お前ら! ただ雇われただけの警備員だろ!」

 

「……」

 

「自分たちが何を守ってるのか、本当に知ってて命を張ってるのか?」

 

「……」

 

「あの会社は、お前らに肝心なことは何も教えてないはずだ。そんな連中のために、馬鹿みたいに命を張るのかよ!」

 

 俺は、立ち止まらなかった。

 

 彼の挑発的な質問にも、一切乗らない。

 

「俺たちと依頼主の契約で警護している設備を、お前たちが盗み(下見)に来た。……今の俺に必要な情報は、それだけだ」

 

 男が、焦ったように続ける。

 

「そいつは、ただの産業機械じゃない! 本当の価値を知れば、あんたらだって――」

 

 俺は、冷徹な声で彼の言葉を遮った。

 

「依頼主が俺たちへ何を開示するかは、俺たちと依頼主との契約上の問題だ」

 

「お前……!」

 

「不法侵入している犯罪者のお前から、わざわざ親切な説明を受ける理由はない」

 

 俺は、彼の言葉が真実か嘘かを、その場で検討して立ち止まるような真似はしなかった。

 

 侵入者が、警備員の判断を迷わせるために「依頼主への不信感」を煽るのは、典型的な心理的揺さぶりの手口だからだ。

 

 もし話を聞くとしても、まずは相手を完全に制圧し、安全を確保した後だ。

 

     ◆

 

 玲奈が、向かいの倉庫屋上から射出器を構えた。

 

 旧研究棟一階の廊下に並ぶ窓を斜め上から見通し、天井の照明器具を固定している金具だけを正確に撃ち抜く。

 

 落下した照明が、電子担当(B)のすぐ目の前で砕け散り、彼が持っていたジャマーが手から弾き飛ばされた。

 

 再生成された水瀬の分身が二人の背後を塞ぐ。

 

 俺が正面から、静かに距離を詰める。

 

 指揮役の男(A)は、これ以上試験室へ近づくことを諦め、舌打ちをして非常口へと撤退を開始した。

 

 電子担当の男も、ジャマーを捨てて一目散に逃走する。

 

 俺は、彼らを非常口の外まで深追いはしなかった。

 

 敵を捕まえるために持ち場を離れ、肝心の試験室の警護を空にしてしまう方が、警備としては遥かに危険な失敗だからだ。

 

 外へ出た二人は、タイヤの前を撃たれて立ち往生している作業車を放棄し、暗い市街地へと別々に走って逃げていった。

 

 玲奈も、一般人がいるかもしれない市街地へ逃げ込んだ相手を、倉庫屋上から無理に射撃して追うようなことはしなかった。

 

 結果として。

 

 俺たちは、身体能力強化の実行役一名を無傷で確保。作業車と侵入用の機材一式を押収。

 

 指揮役、電子担当、運転役の三名は逃走。

 

 しかし、《アトラス》が置かれた試験室への接触は一切許さず。

 

 企業の警備員一名が煙を吸って軽く咳き込んだ程度で、人身被害はなし。FIELD WORKS側の負傷もゼロ。

 

 俺たちは、設備の警護を見事に成功させた。

 

     ◆

 

 二十分後。

 

 連絡を受けた警察と八咫烏の担当者が現場へ到着し、拘束した男の身柄を引き渡した。

 

 俺と水瀬は、押収された作業車と機材を確認した。

 

 直観通り、車両は設備を運べるような代物ではなかった。

 

 彼らが持っていた機材も、小型カメラ、レーザー距離計、機器の型式記録用端末、追跡用の超小型ビーコン、建物内の簡易図面、そして旧型の偽造入館カードばかりだ。

 

 設備を持ち出して強奪するための道具ではなく、次回の『本番の強奪計画』を作るための、調査と準備のための道具だ。

 

 水瀬が、冷静に結論を出した。

 

「今夜のこの襲撃は、間違いなく我々の警備体制と、設備の状態を確認するための『偵察』です。……本命の強奪部隊は、搬出が始まる明け方に合わせて襲ってくるでしょうね」

 

 翌朝四時の搬出時刻と経路が、すでに外部の犯罪組織へ漏洩している可能性が極めて高くなった。

 

     ◆

 

 襲撃者を追い払った後。

 

 知らせを受けた依頼主の危機管理担当者が、慌てて現場へと駆けつけてきた。

 

 担当者は、試験室の設備が無事であることを確認すると、深く安堵の息を吐き、俺たちへ言った。

 

「素晴らしい手際でした。設備が無事なら、このまま予定どおり朝の四時まで警護を続けていただきたい」

 

 しかし、水瀬はいつもの笑顔を消し、すぐには了承しなかった。

 

「担当者様。設備の製造技術や、高度な営業秘密を我々に開示していただく必要はありません」

 

「は、はい……」

 

「ですが。襲撃者は明らかに、あの設備が『通常の産業機械ではない』と認識して動いています。さらに、警備体制と、明朝の搬出計画が漏洩している可能性が極めて高い」

 

 水瀬が、鋭い視線を担当者へ向けた。

 

「現在我々に開示されている情報だけでは、明け方の本命の襲撃に対する、適切な警護計画を立てられません」

 

 担当者は、少しムッとしたように反論した。

 

「契約時に、必要な安全情報はお伝えしたはずです!」

 

 水瀬は、少しも怯まずに冷徹に返した。

 

「警護対象が『どのような方法で盗まれ得るか』は、警備員にとって最も重要な安全情報です」

 

「……」

 

「もし、通常の四・八トンの設備なら絶対に不可能な『未知の運搬方法』が存在するのなら。それを伏せたまま、我々に命を懸けて警護を続けさせることはできません」

 

 俺も、横から静かに続けた。

 

「設備の価値や技術を、全部俺たちに教えてくれとは言いません。……ただ、相手が何を狙っていて、どうやってあの重い機械を運び出そうとするのかを知らなければ、俺たちは守り方を間違えます」

 

 玲奈も、屋上から降りてきて同意した。

 

「私たちは、あの機械の『壊したら大爆発する危険な部分』も、『撃って止めていい部分』も知りません。そんな状態で、本命の部隊と撃ち合うなんて嫌ですよ」

 

 依頼主の担当者は、俺たち三人の強い視線を受け、これ以上重大な情報を伏せたまま警護を継続させるのは不可能だと判断し、重い口を開いた。

 

     ◆

 

 担当者は、俺たち三人を再び試験室へと案内した。

 

 守秘契約の厳しい追加条項へ署名させた上で、設備の灰色の防塵シートを完全に剥がし取った。

 

 姿を現した巨大な灰黒色の機械を指し、担当者が告げた。

 

「……これは、《荷重移送装置アトラス》です」

 

 俺が聞き返す。

 

「荷重移送?」

 

 担当者が、その恐るべき機能を説明した。

 

 この《アトラス》の上に固定した対象物にかかる『重量(荷重)』を、空間を隔てた別の《受荷ユニット》へと、因果律的に『移す』ことができる装置なのだという。

 

 たとえば、二十トンの大型機械を運ぶ際、搬送する台車へかかる荷重を二トン程度まで減らし、残りの十八トン分の重さを、別の強化基礎や専用車両へと肩代わりさせることができる。

 

 重量物を、実際よりはるかに小さな負担で、無振動で運搬するための夢の装置だ。

 

 俺が確認する。

 

「質量そのものを軽くして、消滅させているんですか?」

 

「いいえ。重量や質量がこの世から消えているわけではありません」

 

「じゃあ、別の場所へ『負担を押しつけている』と?」

 

「……その理解で構いません」

 

 俺は、床下を見た。

 

 あの巨大な基礎は、《アトラス》が過去の試験運転中に移した何十トンもの荷重を、安全に受け止めるための『固定受荷基礎』だったのだ。

 

 俺が図面を見て感じていた違和感の正体が、完全に判明した。

 

     ◆

 

 担当者が、さらに核心となる秘密を説明した。

 

 この《アトラス》は、通常の科学技術だけで作られた機械ではない。

 

「ある能力者が、自分の能力の一部を、この機械のフレームへ『授与』して定着させて作った、因果の設備なのです」

 

 能力者本人がその場にいなくても、認証された操作者がスイッチを入れれば、機械が自律的に異能を起動できる。

 

 工業技術と因果律改変能力が、完全に一体化したオーパーツのような設備。

 

 玲奈が尋ねた。

 

「その能力者さんに、もっと安全な場所でもう一台新しいのを作ってもらうことはできないんですか?」

 

 担当者は、首を横に振った。

 

「その授与者は、すでに日本国内にはいません。数年前、海外の大規模な能力者組織へ、好待遇で引き抜かれました」

 

 拉致や失踪ではない。本人の意思による正式な移籍だ。

 

 現在の所属先との厳しい契約上、彼が日本企業のために新しい《アトラス》を製造することは二度とできない。

 

「現在、日本国内に残っている稼働可能なアトラスは、数台しかありません。新規製造は不可能です。……このA-03をもし破壊されたり奪われたりした場合、通常の金銭をいくら積んでも、買い直すことはできないんです」

 

 担当者は、制御盤の脇に取り付けられた登録銘板を示した。

 

「《アトラス》本体は、八咫烏へ《因果付与設備》として登録されています。認証を受けた技術者も、《荷重移送》の能力者として登録されているわけではありません。あくまで、この設備を操作する資格を持つ者として管理されています」

 

「能力を使っているのは、操作者ではなく機械そのものなんですね」

 

「はい。ですから、盗難は単なる高額な産業設備の窃盗では済みません。登録された因果設備の不正取得と、不正使用の問題になります」

 

 俺は、事の重大さを理解した。

 

「……だから、犯罪者は機械を壊すんじゃなく、丸ごと盗もうとしているのか」

 

 担当者が、重々しく頷いた。

 

     ◆

 

 俺は、依頼主を感情的に責めるのではなく、情報を伏せていた理由を冷静に確認した。

 

「どうして、ここまで重要な機能を俺たちに伏せたんです?」

 

 担当者は、苦渋の表情で説明した。

 

 《アトラス》の保有台数が、八咫烏と関係省庁だけで管理される特別管理情報であること。外部の警備会社へ詳細な情報が流出することを極度に恐れたこと。

 

 何より、警護対象を「普通の産業試験設備」として扱った方が、余計な注目を浴びず安全だと判断したこと。

 

 そして、設立直後のFIELD WORKSには、まだ「高度な情報管理実績」が少なかったこと。

 

 理屈自体は理解できる。悪意や軽視からの隠蔽ではない。

 

 だが結果として、すでに犯罪者側へは情報がダダ漏れになっていた。

 

「秘密にするという判断自体は分かります。……でも、相手だけが本当の価値を知っていて、守る側の俺たちが何も知らないという状態が、一番危険なんです」

 

 俺が指摘すると、担当者は深く頭を下げて謝罪した。

 

     ◆

 

 依頼主が、この装置が犯罪組織に利用された場合の恐ろしさを説明した。

 

 《アトラス》があれば。

 

 数十トンの大型工作機械や、銀行の金庫室、あるいは軍需品などを、極めて軽量な小型車両で簡単に移送できてしまう。

 

 重量検査を利用した密輸対策を突破し、別企業の製造設備を解体せずに丸ごと盗み出すことも可能になる。

 

 ただし、《アトラス》を単独で盗んでもすぐには使えない。

 

 専用の受荷ユニット、厳重な認証情報、そして複雑な操作手順が必要だ。

 

 今回の侵入者は、強奪の前にそれらの情報も集めようとしていたのだ。

 

 社内に、内通者がいる可能性が極めて高くなった。

 

     ◆

 

 説明中、《アトラス》は起動されず、静かに眠っていた。

 

 機械へ能力が授与されていても、電源が落ちて停止している状態では、因果律改変現象は発生していない。

 

 そのため、俺の《ライブラリ》から新しい登録の表示は出ない。俺自身にも、「機械の中に異能が詰まっている」というような魔法的な感覚は一切なかった。

 

(……実際に能力が機械から行使される瞬間を、直接観測する必要があるのか)

 

 俺は内心で、『能力者から機械へ授けられた能力でも、発動さえ見ればコピーの登録対象になるのか?』と少しだけ考えた。

 

 しかし、その疑問を誰にも話すことはなかった。

 

     ◆

 

 水瀬が、その場ですぐにタブレットを開き、契約条件の改定交渉へと入った。

 

 水瀬が突きつけた追加要求。

 

 警護報酬の大幅な増額。特殊設備警護としての危険手当。緊急搬出費用。《アトラス》の操作仕様の完全開示。認証権限者一覧の提出。搬出業者全員の身元確認。車両番号と運転手情報。受荷ユニットの位置と仕様。警備計画変更の全権限。

 

 そして、『内通者が原因となった損害について、FIELD WORKSを完全に免責すること』。

 

 担当者は、急を要する事態のため、ほぼすべての条件を震える声で受け入れた。

 

 基本報酬は、百二十万円から一気に二百万円へと跳ね上がった。

 

 緊急搬出の警護費と成功報酬を含めれば、一晩で最大三百万円前後になる。

 

 水瀬が、完璧な営業スマイルで言った。

 

「秘密を守ること自体は問題ありません。……でも、秘密によって不当に増えた危険まで、最初の安い料金で引き受ける趣味はありませんから♡」

 

(……水瀬さんを敵に回すと、高峰より怖いかもしれないな)

 

 俺は内心で、心底そう思った。

 

     ◆

 

 警護計画を再検討する。

 

 襲撃者はすでに、保管場所、警備の人数、俺たちの能力、入館経路、そして搬出時刻をある程度把握して逃げた。

 

 このまま明け方の四時まで同じ場所に置いておけば、本命の強奪部隊が完璧な準備を整えて襲ってくる可能性が極めて高い。

 

 さらに、予定されていた搬出業者や車両情報そのものが、内通者から漏れている可能性もある。

 

 依頼主の担当者が、決断した。

 

「明朝四時の予定を変更します。……《アトラス》を、今夜中、すぐに移動させます」

 

 通常の搬出業者は信用できないため、キャンセル。

 

 社内の信頼できる予備要員と、別管理されていた予備車両を使用する。搬出先も、予定とは違う同じグループの別施設へと急遽変更する。

 

 水瀬が確認する。

 

「つまり、我々の警護任務が、このまま『緊急搬出警護』へと変更・継続されるということですね」

 

「はい。どうか、よろしくお願いします」

 

 俺たちFIELD WORKSの三人は、そのまま搬出護衛の任務へと移行した。

 

     ◆

 

 午前一時過ぎ。

 

 試験室の床の固定を解除するため、認証権限を持つ技術者が到着した。

 

 《アトラス》の移動モードが起動される。

 

 技術者が認証キーを差し込み、複数のスイッチを規定の順序で操作する。

 

ブゥゥゥン……!

 

 本体の中央にある『因果支持フレーム』へ、淡い青白い光が走った。

 

 床へ強く沈み込んでいた四本の巨大な支持アームが、ゆっくりと浮き上がる。

 

 四・八トンあるはずの巨大な機械を、搬入された通常の低床搬送台車が、わずかな金属の軋みだけで軽々と支えた。

 

 同時に。建物の外に待機している『受荷ユニット』を搭載した別の車両のサスペンションが、見えない重さに押し潰されるように大きく沈み込んだ。

 

 俺は、その因果律改変現象を初めて直接目撃した。

 

 視界の《ライブラリ》が、激しく反応する。

 

『未登録の因果律改変現象を確認しました』

 

 俺は、表情を一切変えなかった。

 

 誰にも見えない青白い表示が、視界の端へと浮かび上がり続ける。

 

『対象物へ作用する荷重が、別対象へ因果的に移送されています』

 

『現象の観測を開始します』

 

 まだこの時点では、正式登録は完了させない。

 

 能力の「転写開始、維持、解除」までのすべてのプロセスを観測する必要がある。

 

     ◆

 

ガガガガッ……!

 

 大型シャッターが開き、深夜の搬出路へと冷たい夜風が入ってきた。

 

 《アトラス》を載せた搬送台車が、ゆっくりと試験室から外へと動き出す。

 

 俺は、搬出口の先を見た。

 

 暗い敷地。二台の搬出車両。その向こうに広がる、無機質な公道。

 

 あの闇のどこかに、逃げた犯罪者と、本命の強奪部隊が息を潜めて待っている可能性が高い。

 

 依頼主の担当者が、緊張した声で号令をかけた。

 

「これより、《アトラス》の緊急搬出を開始します」

 

 俺が、トランシーバーを取って指示を飛ばす。

 

「水瀬さんは、二台の車両の動きと後方確認を」

 

『了解しました♡』

 

「玲奈は、搬入口と外周のクリアリング」

 

『任せてください』

 

「……俺は、《アトラス》の横にピタリとつく」

 

 三人が、それぞれの配置へと素早く移動する。

 

 俺の視界では、《ライブラリ》の青白い表示が静かに点滅を続けていた。

 

『未登録能力の観測を継続中』

 

 俺は、動き始めた《アトラス》の巨大なシルエットを見上げた。

 

「……まあ、初めての直接指名依頼が、ただの平和な夜間警備で終わるわけがないか」

 

 巨大な搬送台車が、危険な夜の市街地へと、ゆっくりと踏み出していった。




ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。