冴えない中年平社員、見た技と異能をコピーして企業代理戦で成り上がる 作:パラレル・ゲーマー
俺の身体が、深夜の薄暗いトンネルの空間へと、一直線に投げ出された。
俺が飛び出した後方警備のSUVと、前方で火花を散らす白いウイング車の速度は、どちらも時速八十キロ近く出ている。
地面に対する絶対速度は猛烈だが、二台が並走して距離を詰めていたため、車両間の『相対速度』はそれほど大きくはない。
それでも。
トンネル内に吹き荒れる強烈な横風、運転する警備員の微細なアクセルの加減速、約十六トンもの荷重が段階的に戻り始め、負荷を増しながら左右に激しく揺(スネーキング)れるウイング車の車体、そして路面の細かな段差。
それらの不確定な要素が少しでも絡み合えば、俺の身体は狙った着地点から簡単にズレて、アスファルトの上へと叩きつけられ、挽肉になる。
俺は空中で、《身体能力強化》と《動体視の魔眼》を限界まで発動させた。
そして跳躍の最高到達点で、《自己質量操作》の能力を起動した。
(軽くしろ……!)
自分の身体の質量を、一瞬だけ極限まで減らす。
質量を減らせば風に流されやすくなるという致命的な欠点はある。だが、トラックへ着地する際の『車体へ与える衝撃』を最小限に抑えることができる。
俺が狙う着地点は、ウイング車の薄い屋根や幌の真ん中ではない。荷台後部の上端にある、強固な金属製の『補強レール』の縁だ。もし薄い屋根へ直接通常の体重で落ちれば、衝撃で外板を突き破り、中の《アトラス》を巻き込んでしまう可能性があるからだ。
風圧で身体がブレる。
俺は空中で腕を伸ばし、両手で荷台の補強レールをガシッと掴んだ。
ドンッ!と、足が車体の側面の壁へと激しくぶつかる。
衝撃で一瞬手が外れそうになるが、俺は《身体能力強化》の握力で金属レールへ指を食い込ませ、必死に耐えた。
俺の身体が、時速八十キロで爆走する白いウイング車の後部へと、蜘蛛のようにへばりついた。
◆
俺がウイング車へと無事に飛び移った、その直後。
並走していた後方警備車の助手席で、水瀬が運転手の企業警備員へ鋭く指示を飛ばした。
「佐伯さんの着地を確認! ……予定どおり、このまま高架の道路へ進んでください。私たちは上の『受荷ダンプ』を追います!」
SUVが、火花を散らすウイング車からスッと離れ、分岐する高架側の坂道へと一気に加速して入っていった。
後部座席で窓にへばりついていた玲奈が、遠ざかる俺の姿を信じられないものを見るような目で見送った。
「嘘でしょ。……本当に、時速八十キロの車から車へ飛び移った……」
水瀬は、玲奈に驚いている暇を与えなかった。
「玲奈さん、前を見て! 佐伯さんが下のトラック(本体)を止めるまでに、私たちが上の『受荷側』を完全に確保します」
「……!」
「どちらか一方の車両だけを止めても意味がありません。約十六トンもの殺人的な荷重が、接続を切られて暴走するだけです!」
◆
俺は、激しい風圧に耐えながら、荷台後部の補強レールを使って自分の身体を屋根の上へと引き上げた。
車体の上へ乗った瞬間に《自己質量操作》を解除し、通常の体重へと戻す。下手に軽いままでは、風に吹き飛ばされてしまうからだ。
俺は、風の抵抗を最小限にするため、屋根の中央ではなく側面上部の補強部分に沿うようにして、四つん這いの極めて低い姿勢で前方(運転席側)へとジリジリ進んでいった。
車体後部から、ギシギシという不吉な音が鳴り続けている。
荷重の返還によって、サスペンションが限界を超えて沈み込んでいるのだ。
タイヤのゴムが路面と異常な摩擦を起こして擦れる音。金属フレームの歪む軋み音。
荷台の内部では、固定していたはずの《アトラス》本体がわずかにズレて動き、俺が張らせた固定ベルトが張り裂けそうな音を立てている。
俺の視界の《ライブラリ》に、赤い警告表示が浮かび上がる。
『荷重返還率:三十四パーセント』
『本体側へ、約五・四トン分の荷重が復帰しました』
本体側に元から残されていた約二・八トンの負荷と合わせれば、この白いウイング車にはすでに「八トン以上」の異常な負荷がかかっている計算になる。
通常のトラックの設計では、まだ直ちに潰れてペチャンコになる重量ではない。
しかし、上のダンプからの荷重返還のプロセスは、まだ止まってはいないのだ。
◆
俺が荷台の上を這って前方へ進んでいると、助手席に乗っていた指揮役(A)の男が、サイドミラーへ映り込んだ俺の姿を発見した。
男は驚愕し、運転している八木へ何かを怒鳴った。
直後、八木がハンドルを急激に左右へと切り、車体をワザと蛇行させ始めた。
屋根の上の俺を、遠心力で振り落とそうとしているのだ。
俺は、補強レールへ片腕を強固に巻きつけて耐えた。
車体が強く揺らされるたび、薄い屋根と側板の接合部がミシミシと悲鳴を上げる。
だが、八木はただの無軌道な犯罪者ではない。特殊搬送を二十年以上経験している大ベテランだ。彼は、荷台に積まれた重心の高い精密機械を載せたまま、車両を横転させない『限界ギリギリのライン』の蛇行を正確にコントロールしている。
(……八木は、本気で《アトラス》を壊すつもりはない。金にならなくなるからだ)
俺は、揺れる屋根の上で冷静に読んだ。
(だから、俺を振り落とすためだとしても、このトラックが確実に横転してしまうような無茶なハンドル操作までは絶対にできない!)
とはいえ、しがみついている俺がアスファルトの道路へ落ちれば、絶対に無事では済まない速度だ。
◆
指揮役の男が、助手席の窓を少しだけ開け、黒い拳銃の銃口を上へ(俺のいる屋根の方へ)向けて突き出した。
俺は《動体視の魔眼》で、その銃口の向きと引き金を引く指の動きをハッキリと捉えた。
パンッ!
発砲音。
弾丸が、俺の身体の数十センチ横の車体上部を掠めて、火花を散らした。
相手が二発目を撃ってくる前に、俺は荷台の上部から、運転席側ではなく『助手席側』へと素早く移動した。
トラックの四角い荷箱と、前のキャビン(運転席部分)の間には、数十センチの狭い隙間がある。
俺は、荷箱の前部の補強フレームへ足をかけ、そこからキャビンの助手席ドアの上部へ向かって、斜め下へと跳んだ。
ここでも一瞬だけ《自己質量操作》で質量を減らし、キャビンの屋根へ与える落下衝撃を最小限に抑える。
ガンッ、と助手席ドアの上枠(バイザー部分)を片手で掴み、身体をドアの横へとぶら下げた。
指揮役の男が、窓の外にぶら下がった俺を見てギョッとし、再び拳銃を俺の顔へ向けてきた。
俺は、開いている窓の数センチの隙間から左腕を強引に差し込み、男が銃を持っている手首を外側からガシッと掴み上げた。
パンッ!
男がパニックになって引き金を引いたが、銃口が上を向いていたため、弾丸はトンネルのコンクリートの天井へと空しく飛んでいった。
◆
俺は、窓枠の隙間から男の手首を外側へと強く捻り上げた。
男は激痛に顔を歪めながらも、パワーウインドウのスイッチを押し、窓ガラスを閉じて俺の腕を挟んで切断しようとした。
ガラスが上がってくる直前。
俺は右肘に《身体能力強化》を乗せ、上がってきた窓ガラスを外から思い切りカチ割った。
ガシャンッ!とガラスの破片が車内へと飛び散る。
俺は割れた窓の隙間から手を伸ばし、内側のドアロックを強引に外した。
外側から助手席のドアのノブを引き、走行中のトラックのドアを開け放つ。
猛烈な風がキャビンの中へと吹き込む。俺は、その風に逆らうようにして、走行中のキャビンの中へと身体を滑り込ませた。
指揮役の男は、手首を捻られて拳銃を落とした後、今度は懐からサバイバルナイフを抜いて抵抗しようとした。
車内は非常に狭く、俺も格闘技のように大きく身体を動かすことはできない。
俺は、ナイフを持った男の肘を上から強引に押さえ込み、そのままダッシュボードの硬いプラスチック部分へと男の腕を思い切り叩きつけた。
「ガァッ……!」
男がナイフを取り落とす。
俺は身体を捻り、指揮役の男の身体を無理やり助手席のシートへと深く押し戻した。
そのまま、助手席のシートベルトを勢いよく引き出し、男の胸、両腕、そしてシートの背面ごとグルグル巻きにして強引にバックルへ固定する。
さらに、持っていた警備用の樹脂製結束具(タイラップ)で、男の両手首をダッシュボードの取っ手へ縛り付けた。
これで、指揮役は完全に身動きが取れなくなった。
俺は、男が落とした拳銃とナイフを拾い上げ、足元へは置かずに、ダッシュボード上の収納ボックスへ突っ込んで蓋を閉めた。
映画のように、走っている車の窓から武器を道路へ投げ捨てるような危険な真似はしない。後続の一般車両のタイヤに踏まれでもしたら、大事故の引き金になるからだ。
◆
俺は、助手席の狭い空間へ無理やり身体をねじ込み、運転席でハンドルを握っている八木へと鋭く命じた。
「八木。速度を落とせ。急ブレーキは絶対に踏むな。ゆっくりだ」
しかし八木は、血走った目で前方のトンネルを見たまま、アクセルから足を離さなかった。
「……ここで捕まったら、俺の人生は全部終わりなんだよ!」
「このまま重さが戻った状態で走り続ければ、お前の人生だけじゃなく、周りの一般の車も全部巻き込んで終わるぞ!」
俺が怒鳴ると、八木はハンドルを握りしめたまま叫んだ。
「上の受荷側の通信が戻れば間に合う! あいつらがトンネルを出て追いついてくるまで、このまま走り続ければいいんだ!」
八木も、自分の乗っている車両の異常な重さと限界は、プロとして十分に理解している。だが、多額の報酬が絡んだこの強奪計画を、どうしても諦めきれないのだ。
俺がここで無理にハンドルを奪って右へ切れば、バランスを崩した車体は確実に横転し、《アトラス》はトンネルの壁へ激突して木端微塵になる。
かといって、八木を殴って気絶させることもできない。この暴走する大型トラックを安全に運転して停められる人間は、現時点ではこの車内には八木しかいないのだ。
俺は、彼を力で倒すのではなく、彼に『運転を続けさせたまま』、完全に精神的にコントロールして車を停めさせなければならなかった。
◆
その頃。高架の道路側。
水瀬たちの乗るSUVが、逃走する受荷ダンプの背後へピタリと距離を縮めていた。
受荷ダンプは、下のウイング車へ荷重が徐々に返還されて身軽になったため、速度を上げて逃げ切ろうとしていた。
水瀬は、助手席で目を閉じ、意識を集中させた。
追跡へ出る前、旧貨物集積所の建物内で護衛任務を終えた分身は、すでに人目の少ない場所で姿を消している。
代わりに、SUVが出発する前から、八咫烏への能力登録どおり一体だけの分身が後部座席へ同乗していた。
依頼主や企業警備員の目の前で、分身を消滅させたり生成したりするようなことは避けている。
玲奈が、窓から身を乗り出して受荷ダンプの様子を観察し、報告した。
「ダンプの荷台の後部に、仮設の受荷ユニットと、遠隔操作用らしきアンテナと制御箱が見えます。……助手席の男が、窓から何か黒い小型端末を見せびらかしています!」
水瀬が、冷静に判断を下した。
「あの端末が、受荷の接続を強制的に『切断』するためのリモコンスイッチでしょう」
◆
受荷ダンプの助手席側の窓が開き、犯罪者の男が遠隔端末を外へ突き出して、後ろを走る俺たちのSUVへ向かって警告してきた。
「これ以上近づいたら、スイッチを切るぞ!!」
玲奈は、愛用の《圧縮射出器》を構え、深く息を吐いた。
彼女は、銃口を犯罪者本人の人体へ向けることはしなかった。
SUVの揺れ、ダンプの揺れ、吹き荒れる風、そして二台の速度差。それらのすべての要素を、彼女の天才的な射撃センスで瞬時に計算する。
シュガァンッ!
《圧縮射出》の能力が発動した。
放たれた小さな金属の弾丸が、開いた助手席の窓の空間を寸分違わず通り抜け。
犯罪者の男が手に持っていた『黒い遠隔端末(リモコン)だけ』を、見事に撃ち抜いて粉砕した。
パキィィンッ!と端末が砕け散り、電子部品の火花が散る。
男の手に軽い裂傷が入ったが、致命的な負傷はない。
玲奈が、インカムで短く報告した。
「人質にしているスイッチ(端末)だけを壊しました。本人は無事です」
彼女は、荷台にある受荷ユニットの本体やアンテナを決して撃たなかった。
もしその機械の接続そのものを壊してしまえば、下の道路を走っている俺のいるウイング車へと、全荷重が暴走して戻ってしまうからだ。
◆
玲奈の射撃で相手が怯んだ隙を突き、SUVが受荷ダンプの助手席側の真横へとピタリと並んだ。
水瀬の分身体が、SUVのドアを開け、強風の中でダンプの側面のステップへと、音もなく飛び移った。
分身体なので、万一失敗して道路へ落ちて車に轢かれても、水瀬本体が死ぬことはない。だが、公道上に人間の姿をしたものが転落して血飛沫も上げずに消滅すれば、後続の一般車の運転手を驚愕させ、二次事故を誘発する危険性が高い。
だから分身は、無謀なジャンプはせず、車間を数十センチまで十分に詰めてから確実に移った。
分身が、助手席側の外側の手すりをガッチリと掴む。
助手席の犯罪者が、慌ててドアを内側から強く押し開け、分身を外へ突き落とそうとした。
分身の身体が一度ドアの外へと大きく振られるが、手すりを握る手は決して離さない。
玲奈が、SUVの中から再度射撃を行い、男が分身を叩き落とそうと振り上げた警棒だけを正確に撃ち落とした。
その隙に、分身が助手席の狭い車内へと滑り込み、男と揉み合いになった。
◆
下のトンネル道路。
俺の視界の《ライブラリ》に、致命的な数値が表示され始めた。
『荷重返還率:五十一パーセント』
『返還荷重:約八・二トン』
『本体側総負荷:約十一トン』
この白いウイング車は、ただの汎用の大型貨物車であり、《アトラス》の十八・八トンもの全重量を支えるために設計された特殊な『重量物運搬トレーラー』ではない。
さらに、犯罪者たちは荷重移送状態での短時間運搬だけを前提に、十八・八トンある機械を、本体側へ約二・八トンの負荷しか残らない状態で積み替えていた。そのため、荷重が戻った際の重量配分が極めて悪かった。
後輪の車軸(リアアクスル)へと、すべての負担が極端に集中している。
運転席の八木も、ハンドルの嫌な振動とタイヤの擦れる音で、車両の限界が近い異常を肌で感じ取り、アクセルから少しだけ足を戻した。
俺は、そのわずかな弱気を逃さなかった。
「もっと速度を落とせ。ハンドルは絶対に切るな。アクセルを戻して、排気ブレーキだけでスピードを殺せ」
「……横から命令するな!」
八木が血走った目で怒鳴った。
しかし、「この車を潰したくない」という点においては、俺と八木の利害と目的は完全に一致している。
八木は、歯を食いしばりながら渋々、緩やかな減速の操作を始めざるを得なかった。
◆
助手席のシートに縛り付けられていた指揮役の男が、最後の抵抗を見せた。
彼は靴の中に隠し持っていた、予備の『小型切断端末』を不自然な体勢で取り出そうとしていたのだ。
俺は即座に気づき、片手でその端末を引ったくった。
端末の画面には、
『受荷接続切断』
『接続先変更』
『緊急返還』
という、恐ろしい三つの実行項目が並んでいた。
犯罪者側は、万一に備えて二重に切断の手段を用意していたのだ。
俺は、その端末を窓から投げ捨てたり、踏み砕いたりしなかった。
現在の《アトラス》と受荷ユニットの接続状態をデジタルで確認できる唯一のモニターになる可能性があるため、そっと電源スイッチだけを切り、自分のポケットへ確保した。
指揮役の男が、縛られたまま憎々しげに言った。
「それを、壊さなくていいのかよ?」
「壊して、万が一システムエラーで接続が切れたら困るからな」
俺は、前を向いたまま答えた。
「お前たち犯罪者より、俺の方が、この高い設備と車を壊さないように真剣に考えてるんだよ」
◆
上の高架道路。
水瀬の分身は、助手席の犯罪者の男を座席へ完全に押さえ込んでいた。
相手はただの機械に詳しい人間で、近接戦闘の専門家ではない。水瀬の分身は、いとも簡単に男の拳銃と通信機器を奪い取り、シートベルトと持参した結束具で彼を拘束した。
運転手がパニックになり、ハンドルを急に切って分身を振り落とそうとした。
分身が、横からスッと手を伸ばし、運転手がハンドルを握る手首をガッチリと押さえた。
ただし、走行中の運転手を殴って気絶させるような無茶はしない。
「そのまま、速度を維持して真っ直ぐ走ってください」
分身が、冷たく無表情に告げた。
「今急に止まったり事故を起こせば、あなた方が盗んで下にいる仲間の運んでいる機械が、完全に潰れて壊れますよ」
運転手は、分身の人間離れした冷静さに完全に押され、恐怖でコクコクと頷いて従った。
後方のSUVに乗っている水瀬の本体は、分身の視覚と聴覚を通じて、受荷車両の速度と正確な位置を完全に把握していた。
◆
水瀬から、俺のインカムへ無線の報告が入った。
『佐伯さん。上の受荷ダンプの助手席を制圧しました。運転手も、こちらの指示に従わせて真っ直ぐ走らせています』
俺は、助手席で即答した。
「水瀬さん。俺の乗っている白い車とダンプの距離を、『四百メートル以内』の安全圏へ戻してください。……ただし、急にブレーキを踏んで近づけず、お互いの速度を少しずつ合わせるんだ」
高架とトンネルは別の道路だが、しばらくは同じ方向に並行して走っている。
水瀬はタブレットで地図と両者のGPSを確認し、上のダンプを少し減速させ、下の俺の乗るウイング車も八木に減速させることで、道路の曲線部分で直線距離が自然に縮まるように見事に調整した。
俺の視界の《ライブラリ》に、新たな表示が出る。
『移送元と移送先の物理的距離が、安全範囲(五百メートル以内)へと復帰しました』
『荷重返還プロセスを中断』
『現在の負荷状態(五十一パーセント)を維持します』
約八トン強の重量が戻ったところで、返還のタイマーがピタリと止まったのだ。
車両はすでに完全な過積載気味でギシギシと悲鳴を上げているが、即座に車軸が折れて潰れる状態は回避された。
俺たちは、最悪の大事故の引き金を間一髪で止めたのだ。
◆
俺は、運転席で青ざめている八木へ、冷徹な現実を突きつけた。
「八木。……上の受荷ダンプは、もう俺のチームが完全に確保した」
「……嘘だ!」
「お前らの持っていた切断用の端末も、二つとも俺たちが押さえた。お前の強奪計画は、これで完全に終わりだ」
八木は俺の言葉を信じず、ダッシュボードの無線機で指揮役や仲間を必死に呼ぼうとした。だが、ノイズが返ってくるだけで誰も返事をしない。
俺はインカムで水瀬に指示し、上の受荷ダンプのクラクションを『二度』鳴らさせた。
パァン! パァン!と、高架道路の上から、ダンプの野太いクラクションの音が下のトンネルまでハッキリと響いてきた。
八木は、その音を聞いて、仲間が本当に制圧されたことを完全に理解した。
それでも彼は、ハンドルを握りしめ、逃走を続けようと前を睨んでいた。
俺は、静かに言った。
「このトンネルを抜けた先の合流地点は、警察のパトカーが完全に封鎖している。……止まっておとなしく捕まるか、それとも、十八・八トンの機械ごと警察車両の壁へ突っ込んで自爆するか選べ」
「……くそっ……!」
「お前は特殊搬送のベテランだろ。どちらがまだ、取り返しのつく失敗か分かるはずだ」
八木は、長年の運転経験がある男だ。
ここで事故を起こせば、自分も絶対に生き残れないことは嫌というほど分かっていた。
彼はついに観念し、ゆっくりとアクセルから足を離し、ブレーキペダルへと足を乗せた。
◆
白いウイング車と受荷ダンプが、別々の上下の道路を並行して走りながら、同時に減速を始めた。
水瀬が、全車両の速度を無線で完璧に指揮した。
白いウイング車は、時速八十キロから六十、四十へと落としていく。
上の受荷ダンプも、全く同じ速度を維持して並走する。
二台の距離は三百五十メートル前後。荷重移送の接続は、安定して維持されている。
俺たちのSUVは、受荷ダンプの後方をしっかりガードしている。
警察は、合流地点の一般車両を事前に排除してくれていた。
玲奈は、窓の外を警戒し続け、敵の予備車両や増援が追ってこないかを確認していた。
だが、犯罪者側の増援は来なかった。
今回の彼らの強奪計画は、内通者を使って短時間で鮮やかに逃げ切ることが大前提の作戦だ。車列を足止めされ、機材と人員を奪われた時点で、組織的な作戦としては完全に失敗(頓挫)しているのだ。
◆
トンネル道路と高架道路が、ついに合流地点へと差し掛かった。
警察車両の赤色灯が、前方の一般車を安全な場所へ退避させ、長い直線のクリアな区間を確保して待ってくれていた。
警察は、ドラマのように車を横向きに並べての「完全な急停止用のバリケード」は置いていない。過積載状態の重量物を積んだ車両へ無理な急ブレーキを強いるのは、横転のリスクが高く危険だからだ。
パトカーが十分な距離を取って俺たちの前を先導し、徐々に速度を落とすように誘導してくれた。
白いウイング車と受荷ダンプが、合流して同じ道路の上へと戻った。
二台の距離が、百メートル以内へと縮まる。
俺のポケットの中にある切断端末から、微かに鳴っていた警告音が消えた。
受荷の接続が、完全に安定した状態へと戻ったのだ。
◆
前方に、重量車両が安全に停車できる広い『緊急退避帯』が見えてきた。
舗装の強度と幅は、すでに警察が確認済みだ。
水瀬が指示を出す。
『先に、上の受荷車両(ダンプ)を退避帯へ入れます。……白い車は、その後ろへ続いて停車してください。二台の距離は絶対に離さないでください』
受荷ダンプが、ゆっくりとウインカーを出して退避帯へ進入し、停車した。
俺の乗る白いウイング車が、そのすぐ後ろへと続く。
速度が十キロ以下に落ちる。
八木が、最後の悪あがきで、無意識にハンドルを本線の方へ戻しかけた。
俺は、右手で八木のハンドルを握る手首をガシッと掴んだ。
「……もう、終わりだ。八木」
八木は、俺の目を見て、全身からスッと力を抜いて抵抗をやめた。
二台の大型車両が、退避帯へ完全に停車した。
パーキングブレーキを引き、車輪止めを確実にかける。
ただし、エンジンキーはまだ回して停止させない。《アトラス》の電源を急に落とした際の、受荷システムへの影響がまだ確認できていないためだ。
◆
車両が完全に止まった後。
俺は、八木を運転席から外へと引きずり降ろした。
八木は最後に暴れようとしたが、俺が彼の腕を軽く取って関節を極めると、悲鳴を上げて大人しくなった。
アスファルトの地面へ無理に叩きつけて怪我をさせることはせず、車体の側面へと押しつけて手錠の代わりの拘束具をかけた。
助手席に縛り付けていた指揮役の男も降ろし、駆けつけてきた警察官へと引き渡した。
受荷ダンプに乗っていた運転手と助手席の犯罪者も、水瀬の分身と警察によって無事に確保された。
これで、現場に残っていた四人の実行犯全員の逮捕が完了した。
◆
依頼主の危機管理担当者が、SUVから降りてきて、機械の無事を確認するためにウイング車の荷台を開けようとした。
俺は、その手を静止した。
「今はまだ、開けないでください」
「どうしてですか!?」
「車体の荷台には、トンネルで戻った『約八トンの過積載の荷重』が残っています。受荷状態を完全に整理して安定させるまで、固定具や荷台の扉へは絶対に触らないでください。バランスが崩れて横転します」
現在、《アトラス》の総重量十八・八トンに対する負荷は、
約二・八トンがもともと本体側に残っていた負荷。
約八トン強が、距離が離れた際に戻ってしまった負荷。
残りの約七・八トンが、受荷ダンプ側へ移されている負荷。
という、極めて不安定で中途半端な状態になっていた。
ここで不用意に固定ベルトを外したり、荷台のバランスを変えれば、大事故になる危険があった。専門の認証操作者の指示が必要だ。
◆
俺たちは、旧貨物集積所で救出された『正規の認証操作者』の技術者と、スマートフォンの映像通話を繋いだ。
技術者が、画面越しに《アトラス》本体の制御盤の表示、受荷ユニットの表示、接続状態、荷重の分配率、そして非常停止履歴を細かく確認していく。
犯罪者が使っていたマスターキーは、指揮役の端末と八木の所持品からすでに回収していた。
技術者は、遠隔操作で正規の認証コードを上書きし、システムをロックした。
「よし。これで奴らはもう操作できません」
技術者が言った。
「遠隔では荷重の大幅な移動は危険なので行わず、現在の状態をこのまま固定します。……現場へ正式な回収の車両とクレーンが到着するまで、絶対に接続を切らないでそのまま待機してください」
◆
俺の視界の《ライブラリ》は、まだ正式登録の完了を出していなかった。
『移送開始、維持、接続先変更、距離制限、段階的返還を観測済み』
『完全な解除、および「正常な荷重復帰」の観測プロセスが不足しています』
俺は内心で、大きくため息をついた。
(……あれだけ命懸けで危険な目に遭って、まだプロセスの観測が足りないのかよ)
しかし、俺は焦ってこの不安定な事故現場で「完全な解除をしてくれ」などと要求するような馬鹿な真似はしなかった。
自分の能力をコピーして充実させるために、警護対象の設備や周囲の人間を危険に晒すような選択肢は、俺の頭の中には存在しなかった。
◆
約一時間後。
東央特殊搬送技研と警察の厳重な管理下のもと、正規の重量物回収部隊が現場へ到着した。
多軸式の巨大な低床トレーラー、正規の受荷ユニット、大型クレーン車、専門の技術者、そして車両の構造検査員が投入される。
犯罪者が使っていた白いウイング車は、すでに車軸と荷台のフレームに深刻な損傷(金属疲労)が出ていた。このまま目的地まで走らせることは不可能だった。
技術者が、正規の受荷ユニットへと残りの荷重を慎重に再移送する。《アトラス》本体側の負荷を、安全な約二・八トンまで完全に戻す。
軽くなった安全な状態で、クレーンとローラーを使い、損傷したウイング車から新しい低床トレーラーへと、《アトラス》を慎重に積み替えた。
俺は、その作業のすべてを、腕組みをして最後までジッと監視していた。
◆
回収作業が続く中。
玲奈が、ツカツカと俺の所へ歩み寄り、不満げに詰め寄ってきた。
「代表。……時速八十キロで走ってる車から車へ飛び移るなんて、いくらなんでも無茶すぎます! 事前に相談してくださいよ!」
「相談していたら、お前と水瀬さんは絶対に止めてただろ?」
「当たり前です!! 死んだらどうするんですか!」
水瀬も、後ろから笑顔で加わった。
「代表が車から無謀に飛び降りた瞬間、依頼主へ『追加の超危険手当』を請求することに心の中で決めました♡」
「……俺の個人的な危険行動の分まで、依頼主へ請求するのか?」
俺が戸惑うと、水瀬は即答した。
「当然です。佐伯さんがそんな危険を冒さなければならなかったのは、依頼主の情報管理ミスと、内通者(八木)の裏切りが根本的な原因ですから♡ しっかり払ってもらいます」
◆
夜明け前。
警察のパトカーと八咫烏の監視車両に守られながら、《アトラス》を積んだ正規のトレーラーが、ついに目的地である『新施設』へと到着した。
そこは、通常の倉庫ではない。
専用の巨大な搬入口、天井の大型クレーン、床下の『固定受荷基礎』、そして因果付与設備を監視するための特殊なシステムが完備された、要塞のような施設だった。
俺たちFIELD WORKSの三人も、最後まで車列に同行した。
俺たちの警護契約は、「搬入が完全に完了するまで」継続しているからだ。
ここで、残党が襲ってくるようなドラマチックな展開は起きなかった。新施設への搬入は、極度の緊張感を残しつつも、静かに、粛々と進められていった。
◆
《アトラス》が、新施設の強固な固定架台へと設置される。
太いアンカーボルトが打ち込まれ、四本の支持アームが床へとガッチリと固定された。
技術者の操作によって、《アトラス》の荷重が、移動用の受荷車両のユニットから、施設の地下にある『固定受荷基礎』へと完全に移されていく。
そして最後に。
移動用の受荷ユニットとの接続が、システム上で完全に「解除(シャットダウン)」された。
これまで外部の車両へと預けられていた約十六トン分の巨大な荷重が、正規の安全な手順に従って、《アトラス》本体と固定基礎へと一気に『戻った』のだ。
ズゥゥゥンッ……!
空気が重く震え、支持アームがミシッと沈み込む。
しかし、強固な固定基礎がその殺人的な負担を完璧に引き受けた。異常はない。車両や建物への損傷も発生しなかった。
俺は、その安全な解除と荷重復帰の全工程を、自分の目でしっかりと見届けた。
◆
その瞬間。
俺の視界の《ライブラリ》が、青白い光を放って反応した。
『因果律改変現象の全工程を観測しました』
『能力構造の解析を完了』
『《荷重移送》を登録しました』
これで、俺の目録へ収まった能力は、全部で十六種類になった。
ただし、システム表示には赤い文字で注意書きが添えられていた。
『機械に授与された定着版と、佐伯直人個人が使用できる能力版の細かな差異については未検証です』
『使用可能な対象、最大移送量、移送可能距離については、実地検証が必要です』
俺は、その場で能力を試してみるような真似はしなかった。
企業の技術者、八咫烏の役人、警察官が見ているこの場所で、俺が突然『機械と全く同じ能力』を使い出せば、不自然すぎて一発で怪しまれるからだ。
《荷重移送》を俺がコピーしたことは、誰にも知られることなく、俺の頭の中の目録にだけ静かに収まった。
◆
事件の後処理。
内通者であった八木の動機は、警察の簡単な聴取で早々に判明した。
彼は長年、東央の特殊搬送の実務を担当してきた誇り高いベテランだった。
《アトラス》の運用にも深く関わっていたが、どれほど凄い仕事をして機械を運んでも、能力設備そのものの所有権や莫大な利益は、すべて企業側(会社)に吸い上げられるだけだった。
そんな彼の不満へ、海外の産業ブローカーが目をつけた。
多額の現金、海外への逃亡支援、家族名義の隠し資産、そして新会社での『管理職待遇』を提示され、彼はあっさりと会社を裏切って内通したのだ。
八木は、取調室でうなだれて弁解したという。
「俺は、誰も殺さない条件で引き受けたんだ。ただ、会社から機械だけを安全に盗む計画だったんだ……!」
俺は、その報告を聞いて冷たく切り捨てた。
「深夜の道路へ金属資材を撒き散らし、十六トンの設備を積んだ車を暴走させた人間が、言い訳にしていい言葉じゃない」
俺は彼を、同情すべき悲劇的な人物としては扱わなかった。金と地位のために、一般人を巻き込む危険を承知で犯罪を選んだ、ただの身勝手な人間として処理した。
◆
押収された車両、端末、マスターキー、偽造ビーコン、通信記録、そして倉庫の契約情報から、国内で動いていた実行グループの全貌はすぐに特定された。
旧研究棟から逃走した電子担当と運転役の男も、翌日までに潜伏先で警察に逮捕された。
買い手は、海外のグローバル企業を装った悪質な産業ブローカーだった。
複数のダミー会社を経由して資金が動いており、直接の依頼者(黒幕)の特定まではすぐには判明しなかった。
しかし、これは俺たちが無理に首を突っ込む問題ではない。『海外側については、警察と八咫烏の専門部署が引き続き国際的な捜査を継続する』という事務的な報告で処理された。
《アトラス》の能力の授与者を引き抜いた海外組織との関連も、確認されなかった。
今回の事件は、巨大な国家転覆の陰謀などではなく、希少な設備へ目をつけた『別口の産業犯罪グループによる窃盗未遂事件』として、静かに幕を閉じた。
◆
依頼主である東央特殊搬送技研は、自分たちのミスを全面的に認めた。
アトラスの正体を警護側である俺たちへ伏せていたこと。
搬出システムへアクセスできる権限者を絞り切れていなかったこと。
保守用マスターキーの管理が甘かったこと。
そして何より、二十年以上勤務する八木というベテラン社員を、無条件に信用しきっていたこと。
危機管理担当者が、FIELD WORKSの事務所を訪れ、深々と頭を下げて正式に謝罪した。
俺は、責任追及などの面倒な交渉はすべて水瀬へ一任した。
水瀬は、完璧な営業スマイルを崩さないまま。
『未開示危険情報に対する追加料金』『車上追跡危険手当』『緊急搬出計画変更費』『特殊設備奪還成功報酬』『俺の装備・車両損耗費』『契約時間超過分』を、容赦なく積み上げて請求書を叩きつけた。
◆
報酬の精算。
当初、最大でも三百万円前後と見込んでいた報酬は、度重なる危険手当の加算により、さらに増額された。
最終的に振り込まれた金額は、FIELD WORKSへ『四百五十万円』という大金だった。
玲奈が、パソコンの通帳画面のゼロの数を見て目を丸くした。
「……一晩で、四百五十万円……」
「十六トンの巨大設備を無傷で取り返し、一般人の死傷者をゼロに抑えた、正当な技術料金ですよ♡」
水瀬が、満足そうに紅茶を飲みながら答えた。
「……設備の重量の重さで、報酬の額を決めているわけじゃないだろ」
俺が呆れて突っ込んだ。
◆
今回の事件によって、FIELD WORKSが得た『公式実績』は以下の通りだ。
《特別管理因果付与設備・緊急搬送警護》
《武装窃盗団による輸送中強奪への即応および阻止》
《登録因果設備の無損傷奪還》
《一般人および関係者の死傷者ゼロ》
《内通者を含む実行犯の確保支援》
東央都市開発グループは、今後の「特殊設備の警護」「建物内での能力者対応」「重要設備の搬出」「怪異発生施設の安全確保」に関する警備において、俺たちFIELD WORKSを『最優先の指名候補』として登録してくれた。
単発の指名依頼が、大企業との『継続的な取引窓口』へと変わったのだ。
俺の建物管理の知識。水瀬の情報処理と分身による制圧。玲奈の人を殺さない精密射撃。
直人個人の武力だけでなく、三人全員の役割が完璧に機能した『チーム』として、高く評価された結果だった。
◆
事件が落ち着いた後。
水瀬が、事務所のパソコンで今後のFIELD WORKSの『標準契約書』のフォーマットへ、新しい条項を追加で打ち込んでいた。
《警護対象の技術的詳細や営業秘密については、原則として開示不要とする》
《ただし、想定される強奪方法、異能による効果、破損時の周囲への危険性、警備員の安全な行動判断へ影響を及ぼす致命的な情報については、事前の開示を必須とする》
俺が、コーヒーを飲みながらその画面を覗き込んだ。
「……それ、今回の事件のために新しく作った条項か?」
「はい。同じような理不尽な目に、二度遭わないための自衛策です♡」
水瀬が、悪戯っぽくウインクして答えた。
今回の事件は、俺の戦闘能力や《ライブラリ》の数だけでなく、FIELD WORKSという会社としての『契約能力の成長』をも促したのだ。
◆
窓の外が明るくなり、夜が完全に明けた。
玲奈が、事務所のソファへと疲れたように倒れ込んだ。
「……初めてのご指名依頼って、もっと普通に、建物の前で立って異常がないか見張ってるだけの、静かなお仕事だと思ってました」
「俺も、最初はそう思っていた」
俺が苦笑して同意すると、水瀬が報酬明細のプリントを眺めながら言った。
「建物の前で普通に立っているだけでは、一晩で四百五十万円なんて大金にはなりませんからね♡」
「次は、もう少し安くていいので、誰も車から飛び降りない平和なお仕事にしてくださいね……」
玲奈が、クッションに顔を埋めて呟いた。
◆
午前六時過ぎ。
俺は自分のスマートフォンの時計を見て、重い溜め息をついた。
ほとんど徹夜だ。
昨日も、空を飛ぶ怪異を討伐した翌日に、眠い目をこすって出勤している。
今日も通常どおりなら、あと数時間後には、表の不動産管理会社へ出勤してタイムカードを押さなければならない。
俺はしばらく画面を睨んだ後、覚悟を決めて上司へ短いメッセージを送った。
『申し訳ありません。体調不良のため、本日は午前休をいただきます』
水瀬が、横からスマートフォンの画面を覗き込んで言った。
「午前休ですか? あれだけ大立ち回りをしたんです、一日丸ごと休んでもいいのでは?」
「……午後の二時から、担当している管理物件の受水槽の立ち合い点検があるんだ。休めない」
俺が力なく答えると、玲奈がソファから顔を上げて呆れ返った。
「十八・八トンの超高級な因果設備を取り返した翌日に、ただの受水槽の点検へ行くんですか……?」
俺は、自分のデスクの椅子へと深く座り込んだ。
視界の隅には、誰にも見えない新しい青白い表示が浮かんでいる。
『登録能力:《荷重移送》』
俺は、目を閉じて呟いた。
「物理的な『荷重』を別の場所へ移す能力を手に入れても……俺の昼間の仕事の責任まで、誰かに押しつけて移せるわけじゃないからな」
水瀬が楽しそうにクスクスと笑い、玲奈は「もう勝手にしてください」と完全に呆れ果てていた。
こうして、俺たちFIELD WORKSの初の直接指名案件は、希少因果設備の警護、内通者による裏切りと強奪、深夜の車両追跡、そして約十六トンの殺人的な移送荷重を巡る攻防を経て。
死傷者ゼロ、《アトラス》無傷奪還という、完璧な結果で完了したのだった。
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