冴えない中年平社員、見た技と異能をコピーして企業代理戦で成り上がる   作:パラレル・ゲーマー

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第35話 壊れていなかったのではなく、壊れたまま立っていた

 

 北側搬入口へ向かって、俺たち四人は薄暗い工場内を全力で駆けていた。

 

 その前方から。

 

 バキンッ!

 

 という、太い金属が断ち切られるような、身の毛もよだつ破断音が響いた。

 

 続いて、巨大な防火シャッターの内部から、金属が互いに削れ合うような激しい異音が鳴り響く。

 

 インカムから、外部の仮設管制車両にいる水瀬の本体の声が飛んだ。

 

『北側搬入口の防火シャッターです! 幅十二メートル。巻き上げ軸とシャッター本体を合わせれば、数トン以上の重量があります!』

 

「……!」

 

『片側の軸受け支持金具が外れ、巨大な巻き上げ軸が斜めに傾き始めています。シャッターの直下には、避難誘導中の職員がまだ三人残っています! 完全に落ちれば、鋼板と巻き上げ軸の重さで確実に押し潰されます!』

 

     ◆

 

 俺の横を走っていた久世が、その異音を聞いただけで、即座に状況を判断した。

 

 彼は本業の揚重作業で、重量物がバランスを崩して落下する瞬間の音を、嫌というほど知っているのだ。

 

「右側の軸受けが落ちています! ……完全に外れるまで、十秒もありません!」

 

「俺は職員の救助へ行く!」

 

 俺が叫ぶと、水瀬の分身も無言で俺の後に続いた。

 

 玲奈は、シャッターの上部を安全に狙える位置へと即座に回り込む。

 

 そして久世は、落ちてきている巻き上げ軸の『真下』へと、自ら飛び込んでいった。

 

「久世さん! 下に入るんですか!」

 

 俺が思わず叫ぶ。

 

「入らなければ、止められません!」

 

 久世は、振り向きもせずに怒鳴り返した。

 

     ◆

 

 幅十二メートルの防火シャッターの上部。

 

 巻き上げ軸の片側が、すでに完全に外れかけていた。

 

 久世は、軸受けと鋼製フレームの間に辛うじて残っている『非常固定用の金具』へと、両手をガシッと掛けた。

 

 そして。

 

 《係止(けいし)》。

 

 彼の手と金具の間に、薄い灰色の輪が浮かび上がる。

 

 外れかけていた金具が、上部の鋼製フレームに対して、一時的にカチンと固定された。

 

 巻き上げ軸の落下が、空中でピタリと止まる。

 

 だが、久世の能力は、壊れた金具を『直して』いるわけではない。本来支えるべきではない周囲の薄いフレームの部分へと数トンの荷重が極端に集中し、鋼材がミシミシと大きく歪み始めていた。

 

「五秒です!!」

 

 久世が、全身の筋肉を限界まで張らせて叫んだ。

 

     ◆

 

 その声と同時に、俺はシャッターの下敷きになりかけている職員のもとへ飛び込んだ。

 

 一人目を軽々と抱え上げ、安全圏へと放り出すようにして渡す。

 

 水瀬の分身が、二人目の腕を引いて外へと退避させる。

 

 三人目は、頭上から落ちてきた巨大な鉄の塊に恐怖し、完全に足が竦んで動けなくなっていた。

 

 俺はすぐさま取って返し、三人目を抱え上げる。

 

 その間、少し離れた場所に陣取った玲奈が、シャッター上部にある『機械式の落下防止爪』をスコープ越しに発見していた。

 

 その赤い爪は、本来なら軸が異常降下した時に自動で噛み合う安全装置なのだが、支持金具が変形したせいで、途中で引っ掛かってしまっていたのだ。

 

 水瀬の本体から、玲奈へ指示が飛ぶ。

 

『羽田さん、赤い安全爪の根元です! 破壊せず、内側へ押し込むように撃ってください!』

 

 玲奈は呼吸を止め、《圧縮射出》のトリガーを引いた。

 

 シュガァンッ!

 

 圧縮された空気の衝撃波が、赤い安全爪の側面『だけ』に、正確に叩き込まれる。

 

 ガコンッ!という音と共に、引っ掛かっていた爪が正しい位置へと押し込まれ、巻き上げ軸の歯車へと深く噛み合った。

 

 同時に、俺が三人目の職員を抱えて、安全圏へと飛び込む。

 

 ゼロ。

 

 久世の《係止》が解除された。

 

 固定を失った巻き上げ軸が、ガクンッ!と十数センチ落下する。

 

 だが、玲奈が噛み合わせてくれた安全爪がガッチリと作動し、そこで巨大なシャッターは完全に停止した。

 

 三人全員の救出が、間一髪で成功した。

 

     ◆

 

 久世は荒い息を吐きながら、落ちかかっていた軸受け支持金具の断面を確認した。

 

 固定ボルトは、やはりすべて『平滑に切断』されていた。先の二つの崩落現場と、全く同じ手口だ。

 

「……これも、事故じゃない」

 

 久世が、低い声で吐き捨てるように言った。

 

 水瀬の本体が、偽造作業証を使用した『鳥飼慎二』という男の入場ログと、作業区域を照合した。

 

『彼が試合開始前に巡回していた区域は六か所です。……天井クレーン支持部、高所作業床、北側防火シャッター、西側貨物用エレベーター、南側高架連絡通路、北側機械室』

 

 すでに崩落した三か所と、現在犯人が潜伏していると思われる北側機械室を除いても。

 

 まだ最低『二か所』、未確認の危険な設備が残っている計算になる。

 

     ◆

 

 玲奈が、ふと上方へと狙撃銃の銃口を向けた。

 

 北側機械室へと続く、薄暗い高所通路。

 

 そこに、蛍光反射ベストを着た男が立っていた。さきほど水瀬が復旧させた映像に映っていた人物だ。

 

 男は、眼下で職員を救出している俺たち四人を見下ろしていた。

 

 その顔には、計画が失敗した焦りよりも、苛立ちの色が浮かんでいた。

 

「……三回とも、助けきったのか」

 

 俺が、男を見据えて問い返す。

 

「鳥飼慎二か?」

 

 男は鼻で笑った。

 

「その名前で通した奴は、随分と仕事が雑だったな」

 

 偽名であることをあっさりと認め、男はそのまま高所通路の奥へと向かって走り出した。

 

     ◆

 

「追うぞ!」

 

 俺と久世が、高所通路へ続く階段を駆け上がり、男の背中を追跡する。

 

 玲奈と水瀬の分身も、少し遅れて階段を上る。

 

 男(偽名:鳥飼)は、高所通路の『床面の中央』を避け、通路の両端にある太い主梁の上だけを器用に踏んで走って逃げていた。

 

 俺は、その走り方に強烈な違和感を覚えた。

 

(……なぜ、走りやすいはずの床の中央を、一度も踏まない?)

 

 次の瞬間、俺は危険を察知して、前を走る久世へ向かって叫んだ。

 

「久世さん! 床の中央を踏まないでください!」

 

 直後。

 

 逃走する男が、肩越しにこちらをチラリと見た。

 

 彼が走り抜けたばかりの、高所通路の床を支えていた接合部の金具から、薄い『灰色の光』がフッと消え去った。

 

     ◆

 

 四つ目の崩落。

 

 俺たちの前方の通路の床材が、突然、すべての支持力を失った。

 

 鋼製のグレーチング(網目状の床)と補助梁が、まるごと下へと向かって落下していく。

 

 久世は反射的に横の安全柵を掴み、《係止》を発動して掌と柵を固定し、落下を免れた。さらに、もう片方の腕で、落ちそうになった水瀬の分身の襟首を掴んで引き上げた。

 

 玲奈は、直前の俺の叫び声に反応し、崩れる前に主梁側へと飛び移っていた。

 

 俺も床の中央を避けていたため、主梁の上に残り、落下を免れた。

 

 通路の『中央部分の床だけ』が、数十メートルにわたって完全に抜け落ちた。

 

 十メートル下へと鋼材が激突し、凄まじい轟音が響く。幸い、すでに地上の職員は避難を終えた後だった。

 

 俺はここで初めて、自分の目で直接観測した。

 

『正常に支えていた接合部から、能力の光が消え、切断されていた部材が分離する瞬間』を。

 

 俺の視界の《ライブラリ》が反応する。

 

『破損済み人工構造物の接続維持を観測』

 

『遠隔での解除を確認』

 

 ただし、まだ発動の手順や条件をすべて観測できたわけではないため、登録には至らなかった。

 

     ◆

 

 玲奈のヘルメットカメラが、逃走する男の顔を鮮明に捉えた。

 

 仮設管制室の水瀬の本体が、八咫烏のデータベースと即座に顔認証で照合を行う。

 

『一致しました。本名、三崎徹也(みさき・てつや)。四十二歳』

 

『元産業設備保全技術者。登録Tier4。保有能力は《身体能力強化》と、《仮留め》です』

 

 久世が、その『仮留め』という能力名を聞いて、微かに眉を動かした。

 

 その能力名は、設備保全の業界の一部では知られていた。事故時に応急固定を行うための、極めて有用で人命救助に直結する能力のはずだ。

 

 だが三崎は、その能力を悪用し、「損傷した設備を一時的に正常に見せかけて検査を通した」ことで資格を失い、業界を追放されたという過去があった。

 

 水瀬が、さらに重大な公開登録情報の「重要事項」を読み上げた。

 

『三崎が意識を失った場合。……維持中の接続は、すべて一斉に解除されます』

 

 俺は、その言葉を聞いて足をピタリと止めた。

 

     ◆

 

 高所通路の先、約二十メートルの距離に三崎がいる。

 

 玲奈の射撃技術なら、十分に狙撃可能な距離だ。俺が《身体能力強化》で一気に距離を詰めれば、五秒で追いついて背後から殴り倒せる。

 

 だが、インカムから水瀬が強い声で制止した。

 

『攻撃して、彼の意識を奪ってはいけません!』

 

 未確認の崩落箇所が、まだ二か所残っている。

 

『西側貨物用エレベーター』と、『南側高架連絡通路』。

 

 もしその両方が現在も《仮留め》の能力でギリギリ維持されている場合。三崎の意識を奪って能力を強制解除した瞬間に、二か所が『同時崩壊』し、大惨事になる。

 

 三崎は、俺たちが追撃を止めたのを見て、振り返ってニヤリと笑った。

 

「……やっと分かったか」

 

「……」

 

「俺を殴って気絶させれば。残りの設備も、全部まとめて頭上に落ちてくるぞ」

 

     ◆

 

 三崎は、自分が無敵の人質を取ったと確信し、要求を突きつけてきた。

 

「外部搬入口へ通じる保守通路の鍵を開けろ。それと、外に逃走用の車両を一台用意しろ。追跡もここで止めろ」

 

「……従わなければ?」

 

「残る設備を、ここで全部解除して落としてやる」

 

 俺は、三崎をジッと睨みつけながら尋ねた。

 

「そこまでして、この企業代理戦の試合を潰す理由は何だ」

 

 三崎は、詳細な依頼主の名を明かすような間抜けではなかった。ただ、薄ら笑いを浮かべて言った。

 

「二十億の契約が止まれば、大儲けできる人間がいるんだよ」

 

「……」

 

「お前らが再利用する予定のこの設備が、ただの危険物扱いになれば、契約は破棄されて全部スクラップへ戻る。……もし事故で人が死んでくれれば、工事の再開はもっと遅れて最高なんだけどな」

 

 彼の目的に、最初から人命は入っていない。

 

 だが、人が死ぬことを「計画の成功率を上げるための手段」として、平然と受け入れているのだ。

 

 俺の横で、久世の表情が険しく変わった。

 

 北辰揚重保全の真面目な作業員たちも、彼らが誇りを持って移設しようとしていた設備も、すべてが単なる『契約妨害の道具』として扱われたことに対する、静かな怒りだった。

 

     ◆

 

 水瀬の本体が、三崎の入場履歴と設備図面から、未確認の二か所の『最悪のシナリオ』を特定した。

 

『西側貨物用エレベーター。……約四・八トンのカウンターウェイトを支える上部アンカーボルトが切断されている可能性が高いです。解除されれば、カウンターウェイトがシャフト内を落下し、途中階の扉や設備をすべて破壊します』

 

『南側高架連絡通路。……第二組立棟と資材棟を繋ぐ鋼製通路の主要接合部が破断している可能性があります。現在、あの通路上には、避難誘導中の職員が数名残っています!』

 

 三崎を倒すためには、まずこの二か所を『物理的に補強』し、三崎が意識を失って能力が解除されても崩れない状態を作らなければならない。

 

 水瀬が、瞬時に役割を割り振る。

 

『代表は、三崎の足止めを。……ただし、絶対に意識を奪わないでください』

 

『久世さんは、貨物用エレベーターのカウンターウェイトの補強へ』

 

『私の分身は、久世さんに同行し、機械式安全装置の操作を手伝います』

 

『玲奈さんは、南側高架連絡通路の救助と、遠隔射撃による補強をお願いします』

 

『私が、両方を同時に指揮します』

 

 俺は頷き、三崎へと向き直った。

 

     ◆

 

 俺は単独で三崎を追い、久世たちはそれぞれの目標へ向かって別方向へと走り出した。

 

 三崎は、別れた久世たちを見て鼻で笑った。

 

「仲間を行かせたところで、間に合うわけがないだろうが」

 

「だから俺が、あなたをここに残すんですよ」

 

 俺は、一定の距離を保ちながら三崎を追跡した。

 

 三崎は逃げながら、持っていた携帯型の『油圧カッター』を振り回して抵抗してきた。

 

 《身体能力強化》を持っているため、本来なら両手で抱えるような重い油圧工具を、片手で軽々と振り回している。

 

 俺は、打撃で彼を倒すことはしない。

 

 進路を塞ぐ。カッターを持つ手首を牽制する。足を払う寸前で止める。逃走方向だけを、機械室の奥へと限定していく。

 

 追い詰めすぎてパニックにさせれば、残る設備を自暴自棄に解除される。かといって逃がしすぎれば、能力の有効範囲(二百メートル)から外れ、自動的に能力が解除されて崩落してしまう。

 

 俺は、「三崎を現在地付近へ留めながら、絶対に倒さない」という、極めて難易度の高い繊細な距離管理の戦闘を要求されていた。

 

     ◆

 

 三崎は、機械室へ飛び込み、分厚い防火扉へと振り返った。

 

 そして、手にした油圧カッターを蝶番へ押し当てる。

 

 バキンッ。

 

 上下二か所の蝶番が切断され、重量のある防火扉が支えを失ってこちらへ倒れ始めた。

 

 その瞬間、三崎が切断面へと掌を当てた。

 

 灰色の光が、切断面を走る。

 

 完全に切れているはずの蝶番が、元の位置でカチンと固定され、倒れかけた防火扉がピタリと止まった。

 

 三崎はそのまま扉を正常に動かして閉め、俺の前を塞いだ。

 

 俺は、この一連の現象を肉眼で直接観察した。

 

 破損箇所への直接接触。元の接続状態への復帰。物体そのものは修復されていない。

 

 俺の《ライブラリ》の解析が、一気に進む。

 

     ◆

 

 俺は、目の前で閉まった分厚い防火扉を、《圧縮射出》などで派手に吹き飛ばしたりはしなかった。

 

 そんなことをすれば、周囲の壁や無事な配管まで巻き込んで破壊してしまうからだ。

 

 俺は、扉枠の隙間から、切断された蝶番をジッと見た。

 

 金属は完全に切れている。それでも、扉は平然と立っている。

 

 俺は、ここで彼の能力の真実を完全に理解した。

 

(……壊れていなかったんじゃない。壊れたまま、能力で無理やり立っていただけだ)

 

 俺は扉そのものを破壊するのではなく、機械式の開閉レバーをガチャリと操作し、普通に扉を開けて中へ入った。

 

 三崎は、俺が扉を吹き飛ばしてくると思っていたのか、苛立たしげに舌打ちをした。

 

「……チッ。能力で壊して入ってくるとでも思ったか」

 

「建物を無駄に壊すと、後で始末書の報告書が増えるんですよ。俺の本業は建物管理なもので」

 

 俺は、肩をすくめて返した。

 

     ◆

 

 その頃。

 

 久世と水瀬の分身が、西側エレベーターの機械室へと到着していた。

 

 上部アンカーの六本のボルトは、すべて綺麗に切断されており、《仮留め》の能力だけで辛うじて所定位置に維持されていた。

 

 約四・八トンのカウンターウェイトの真下には、今は誰もいない。

 

 しかし落下すれば、シャフト下部を完全に破壊し、その衝撃で周辺の床を損傷させ、破片が一階へ飛散して避難経路を塞ぐ危険があった。

 

 久世は、予備の機械式ブレーキを作動させて固定しようとした。

 

 だが、機械室の主電源はすでに遮断されており、電動では動かない。

 

 水瀬の分身が、懐中電灯で手動の解放機構を探し出す。

 

     ◆

 

 その頃、俺と三崎の方では。

 

 三崎が、不意に嫌な笑いを浮かべ、右手の指をパチンと鳴らした。

 

「まず、一つだ」

 

 彼は遠隔で、《仮留め》の一つを解除した。

 

 エレベーター機械室。

 

 アンカーの接続の光が消え、巨大なカウンターウェイトがガクンッ!と数センチだけ落ちた。

 

 久世が、反射的にワイヤーガイドへと両手を当てた。

 

 《係止》。

 

 五秒間だけ、カウンターウェイトの絶望的な落下が止まる。

 

 久世が、全身の血管を浮き上がらせて叫んだ。

 

「五秒です!!」

 

 第34話で俺に向けて叫んだのと全く同じ言葉。

 

 しかし今回、それに合わせて動いたのは俺ではなく、水瀬の分身だった。

 

     ◆

 

 水瀬の分身が、機械室内部の狭い点検路へと潜り込んだ。

 

 手動のブレーキレバーを両手で力いっぱい引く。

 

 だが、錆びついていてピクリとも動かない。《身体能力強化》を持たない水瀬の分身の力では、単純な腕力で動かすことはできないのだ。

 

 管制車両の本体が、構造図を確認して叫ぶ。

 

『レバーの根元ではありません! 右側にある安全ピンを先に抜いてください!』

 

 分身が、指示通りに安全ピンを外す。

 

 もう一度、全身の体重をかけてレバーを引いた。

 

 ガコンッ!

 

 機械式のブレーキが作動し、カウンターウェイトのガイドへと制動爪が深く噛み込んだ。

 

 三秒。

 

 四秒。

 

 久世の押さえている指が痙攣する。

 

 五秒直前。

 

 制動爪が完全に固定された。

 

 久世が《係止》を解除する。カウンターウェイトは落下せず、能力がなくても完全に物理的に支えられる状態となった。

 

『西側、物理固定完了です!』

 

 水瀬の本体から、俺のインカムへ報告が入った。

 

     ◆

 

 一方、南側の高架連絡通路。

 

 玲奈は、通路に取り残されていた職員四人を、接合部が切断されている可能性を伝えてパニックにならないよう宥めながら、走らずに一人ずつ慎重に退避させていた。

 

 玲奈は射撃手だが、今回は銃を撃つだけでは解決できない。

 

 現場の職員へ指示を出し、仮設ジャッキ、支持用の角材、ワイヤーロープ、固定ピンを運ばせた。

 

 水瀬本体が図面から、通路が落ちた際の回転方向を計算して指示を出す。

 

 玲奈は、自分が通路へ乗れば荷重を増やして崩落を早めると判断し、外側から職員へ設置場所を指示した。

 

 最後の職員が通路の中央にいる時。

 

 三崎が、もう一つの能力を解除した。

 

     ◆

 

 高架通路の主要接続部から、灰色の光がフッと消えた。

 

 通路が、資材棟の側へ向かって大きく傾く。

 

 職員が悲鳴を上げて手すりに掴まる。用意していたワイヤーも、まだ完全には張り切れていない。

 

 玲奈は、《圧縮射出》を人間へは向けなかった。

 

 彼女は、通路の下に配置させていた『仮設ジャッキの固定ピン』へと向けて、正確な一射を放った。

 

 シュガァンッ!

 

 空気の弾丸がピンの頭を叩き、ピンが奥までカチンッと押し込まれる。

 

 ジャッキが完全にロックされた。

 

 通路の低い側が、ガゴンッ!とその仮設支持材へと乗り、完全な落下が食い止められた。水平ではないが、落ちることはない。

 

 玲奈が傾いた通路へ飛び乗り、最後の職員の腕を掴んで引き上げた。

 

 残りの作業員が急いでワイヤーを締結し、固定を完了させる。

 

 水瀬本体が、構造センサーの安定を確認して報告した。

 

『南側も、物理的な支持が成立しました!』

 

 これで、三崎が維持していた危険箇所は、すべて能力から切り離された。

 

     ◆

 

 俺は、三崎と機械室の前で終わりのない攻防を続けていた。

 

 三崎は油圧カッターを振り回しながら、少しずつ俺を外部通路の方へと誘い出そうとしている。

 

 俺はあえて決定打を使わず、腕には浅い切り傷を負い、肩も鉄柵へ叩きつけられながら耐えていた。

 

「……いつまで逃げ回るつもりだ!」

 

 三崎が苛立って叫ぶ。

 

「逃げてるんじゃありませんよ」

 

 俺が静かに返した、その時。

 

 インカムから、水瀬の声が響いた。

 

『代表。全六か所、確認完了しました。……三崎の能力が今すべて消失しても、これ以上の崩落は絶対に発生しません』

 

 俺の表情が、スッと抜け落ちた。

 

「……待ってたんですよ、この連絡を」

 

     ◆

 

 三崎は、俺の雰囲気の変化と、自分の人質(崩落の脅威)がすべて無効化されたことに気づいた。

 

 逃走を諦め、油圧カッターを両手で振り被り、俺の首へと全力で振り下ろしてきた。

 

 俺は、久世との試合で使う直前にクレーン崩落で中断された能力を、ここで発動させた。

 

 《無拍子》。

 

 三崎の認識から、俺の踏み込みの『初動(起こり)』だけが完全に抜け落ちる。

 

 三崎には、数メートル正面にいた俺が、カッターを振り下ろす瞬間に『突然懐へ現れた』ように見えたはずだ。

 

 俺は、カッターを持つ手首を外側へと逸らし、肘関節をガッチリと制御する。

 

 肩を三崎の胸へ深く入れ、腰を鋭く切る。

 

 久世戦で使っていたレスリングと柔道の技能を流れるように繋げ、三崎の身体を宙へ浮かせ、床へと激しく投げ飛ばした。

 

     ◆

 

 三崎の後頭部が床に叩きつけられないよう、俺は襟を掴んで落下速度を調整した。

 

 床へ叩きつけた後、そのまま腕を背中へ回して完全に拘束する。

 

 三崎は必死に抵抗するが、俺が体重を乗せて関節を極めているため動けない。

 

 数秒後、呼吸が乱れ、三崎は完全に意識を失った。

 

 同時に。

 

 機械室の防火扉の、切断されていた蝶番から、灰色の光が完全に消え去った。

 

 扉が、ガシャァァン!と音を立てて床へ倒れ伏した。

 

 だが、他の危険設備はすでにすべて物理的に固定済みだ。追加の崩落は一切起きなかった。

 

 俺の視界の《ライブラリ》が、青白い光を放つ。

 

『使用者の意識喪失による、全維持状態の同時解除を観測』

 

『《仮留め》の登録条件がすべて満たされました』

 

     ◆

 

 数分後。八咫烏の実働部隊が現場へ到着した。

 

 俺から意識を失った三崎を引き取り、武器、偽造作業証、携帯端末、油圧カッターなどの証拠品を押収していった。

 

 同時に、設備の全域点検が専門チームによって開始される。

 

 久世は右手首と指を負傷してアイシングを受けていた。

 

 玲奈は高架通路の救助で膝を打撲し、俺も肩と腕に多数の切り傷や打撲を負っていた。

 

 水瀬の分身は無傷だが、煤と油で綺麗な作業服が真っ黒に汚れていた。

 

 全員が、医療班の確認と手当てを受けた。

 

     ◆

 

 三崎の携帯端末から、匿名で送られてきた依頼内容が復元された。

 

 内容は、「企業代理戦の開始後に重大な設備事故を意図的に発生させること」「試合をノーコンテストにすること」「会場設備の安全性へ強い疑義を生じさせること」「設備再利用計画を一時凍結させること」。そして、「死者が出た場合は追加報酬を支払う」という悪辣なものだった。

 

 報酬は、前金八百万円、成功報酬二千二百万円の、合計三千万円。

 

 依頼主は複数の名義と海外口座を経由しており、その場ではすぐには特定できなかった。

 

 だが、目的は明確だ。

 

 今回の二十億円規模の設備移設計画を無理やり止めさせ、設備を再利用ではなくただのスクラップ処分へと戻すことで、裏で多大な利益を得る人間がいるのだ。

 

 水瀬が、冷静に結論づけた。

 

「この移設契約が成立すると、困る第三者がいるということですね」

 

 だが、俺たちが黒幕まで追及する義理はない。三崎の逮捕と崩落阻止で、俺たちの仕事と事件は一区切りだ。

 

     ◆

 

 久世が、倒れたままの機械室の防火扉を見つめて言った。

 

「……《仮留め》は、本来こういう人殺しの罠に使うための能力じゃないんです」

 

 俺が黙って尋ねるような視線を向けると、久世は言葉を継いだ。

 

「応急支持が入るまで、壊れた部材をなんとか持たせる。……人が安全に逃げるまでの時間を、文字通り『買う』ための能力だ。修理が終わるまで、設備を安全な位置へ留めておくための、人命を守る能力なんです」

 

 俺は、彼が試合や救助の中で《係止》によって作ってくれた「五秒間」を思い出した。

 

 本質的には、同じ能力なのだ。

 

 違いはただ一つ。

 

 久世は「壊れていること」を周囲へ伝え、修理して安全を確保するための時間を作った。

 

 三崎は「壊れていること」を隠し、事故が起きて人が死ぬための時間を選んだ。

 

 能力そのものに善悪はない。使う人間が、何のためにその時間を作ったかの違いだけなのだ。

 

     ◆

 

 一人になった俺の視界に、解析結果が表示された。

 

『《仮留め》を正式登録しました』

 

 これで、俺の正式登録異能はついに二十種類目となった。

 

『解析内容:

 

 破損した人工物へ直接接触し、破損前に成立していた接続関係を一時的に維持する。

 

 物質そのものは修復されない。維持可能時間、距離、同時対象数、耐荷重は、使用者の出力と構造理解の深さに依存する。

 

 使用者が意識を失った場合、維持中の接続はすべて解除される。

 

 物理的補修が完了した対象については、能力解除後も接続状態を維持できる』

 

 俺は、新しい機能拡張の通知を待った。

 

 十種類、二十種類の技能へ達した時には、《目録解析》などの新機能が解放されたからだ。

 

 しかし、二十種類目へ達しても、新しい機能拡張の通知は出なかった。

 

(……なるほど。十の倍数へ到達するたびに、自動で機能が増えるという単純な仕組みじゃないらしいな)

 

 機能ごとに、それぞれ全く別の解放条件が細かく設定されているのだろう。俺は少しだけ残念に思いながら、表示を消した。

 

     ◆

 

 俺は《仮留め》を、単なる犯罪用の罠の能力だとは見ていなかった。

 

 建物管理や災害救助においては、これほど有用な能力はない。

 

 壊れた手すりを、避難完了まで維持する。破断した配管を、元の位置へ留めて水漏れを防ぐ。崩れかけた天井材を支える。切れたワイヤーを交換まで保持する。応急支持を入れる時間を作る。

 

 ただし、最大の危険性も理解している。

 

 能力で支えられている間、外見とセンサーだけでは「壊れている」と分からないのだ。

 

 俺自身が使用する場合の運用規則を、頭の中の検証メモへ記録した。

 

『使用中であることを必ず周囲へ申告する』『対象へ「危険」の表示を取り付ける』『能力を解除する前に物理支持を必ず設置する』『人のいない場所で解除する』『検査代わりには絶対に使わない』。

 

『使用時は「補修済み」と表現しない。必ず「破損状態を能力で維持中」と表示すること』

 

     ◆

 

 今回の企業代理戦は、第三者による重大な妨害工作が確認されたため、完全な『ノーコンテスト(無効試合)』となった。

 

 湾岸設備再生株式会社と北辰揚重保全の両社に、勝敗はつかない。契約の優先交渉権も保留となった。

 

 会場の再点検と警察の犯行捜査が終わった後、改めて再試合の日程を調整することになる。

 

 両社のどちらにも、事故の責任は一切問われない。

 

 むしろ、両社の選手とセコンドが協力し、「職員を救助し、二次崩落を防止し、犯人を捕獲した」という事実が、八咫烏の公式記録へと美談として残ることになった。

 

     ◆

 

 工場外の救護テント前。

 

 右手首を簡易固定された久世と、肩へ湿布と包帯を貼られた俺が、並んで立っていた。

 

「……試合は、三分しか戦えませんでしたね」

 

 久世が、ポツリと口にした。

 

「三分でも、十分厄介で死にそうでしたよ」

 

 俺が苦笑して返すと、久世は真剣な顔で俺を見た。

 

「佐伯さんもです。……次に戦う時は、もう少し、貴方の本当の『手の内』を見せてもらいますよ」

 

 久世は、俺が複数の異なる現象を使える可能性に気づいている。

 

 しかし、《ライブラリ》やコピー能力という根本的な秘密までは全く知らない。今回、久世が直接確認したのは、《身体能力強化》、離れた対象へ衝撃を与える現象、そして高所作業床で見せた自重を大幅に軽減したような現象程度だ。

 

 それらが本当に別々の異能なのか、一つの複雑な能力から派生した現象なのかまでは、久世にも判断できない。

 

     ◆

 

 久世が、崩れかけた組立棟の巨大なシルエットを振り返って見上げた。

 

「……再試合の会場は、絶対に『屋外』を希望します」

 

「俺も、大賛成です」

 

 俺が即答すると、玲奈が横から顔を出して言った。

 

「そうですよね代表。前回は床の向きが四方向に変わって、今回は天井やクレーンが落ちてきましたからね。屋内は呪われてます」

 

 水瀬も、ニコニコしながら付け足した。

 

「次は屋外でも、地面の陥没や地割れには十分に注意しましょうね♡」

 

「……縁起でもないフラグを立てるようなことを言わないでくれ」

 

 重い事件の後の、短い緩和の笑いが漏れた。

 

     ◆

 

 夜が明け始める。

 

 組立棟の内部では、切断されたすべての設備へと、赤い立入禁止表示、仮設支柱、ワイヤーロープ、チェーンブロック、危険箇所札が、これでもかと厳重に設置されていた。

 

 能力という見えない魔法に頼らない、目に見える確実な『物理的な支持』だ。

 

 久世が、切断されたままになっている防火シャッターの金具を見て、静かに言った。

 

「……立っているからといって、安全とは限らない」

 

 俺も頷く。

 

「ええ。壊れていると認めないと、修理も始められませんからね」

 

 三崎は、壊れた設備を正常なように見せかけて誤魔化した。

 

 久世たちは、壊れた設備へ真っ赤な札を付け、これが壊れているのだと全員へ知らせた。

 

 壊れていなかったのではない。

 

 壊れたまま、誰かの能力で無理やり立たされていただけだったのだ。

 

 だから俺たちは、まずそれが『壊れている』と、正しく認めるところから始めた。




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