「このたびは、ご愁傷様です」
「透ちゃん、帰ってきたか。遠いところ、大変だったな」
「お祖母さんのこと、本当に残念だったね」
「和子《かずこ》さんがこんなに急に逝くなんてな……さぞつらかっただろう」
低く、沈んだ声が、幾度も久世透《くぜとおる》の耳に届いた。
透は自宅の古い屋敷の門前に静かに立ち、目の前を通り過ぎていく村人たちへ、一人ひとり頭を下げて応じていた。
その視線はずっと、腕の中に抱えた白布包みの骨箱に落ちている。
中に納められているのは、祖母――和子の遺骨だった。
村人たちの話によると、祖母は昨日の朝、近所の人によって家の中で亡くなっているのを発見されたらしい。
発見されたとき、家の戸は開け放たれており、祖母は土間と庭の境目に、外へ向かって倒れ込むように伏していたという。
おそらく、外へ出ようとした際に、誤って転倒したのだろう。
連絡を受けた久世透は、すぐに東京を発ち、故郷へと向かった。
だが、故郷は長野県鬼無里地区の山間にある。
折しも季節は晩秋で、道はたびたび濃い霧に覆われ、濡れて滑りやすくなっていた。
いくつもの交通手段を乗り継ぎ、ようやく地図にもほとんど載っていないその小さな村へ辿り着いたのは、午後三時頃のことだった。
それでも、祖母の死に顔を見ることはできなかった。
村の『火送り』の習わしでは、遺体は決して日没を越して残してはならない。
さらに、村の老人たちは生前に「火送り依頼書」を提出し、自分の死後、ただちに火葬の手続きを行う権限を、村の葬儀の世話役にあらかじめ託している。
そのため、喪主である透が到着するのを待つことなく、その日の午後、祖母の遺体は慌ただしく火葬されてしまったのだ。
「祭壇を設けた和室の支度は済ませてある。日が落ちたら、『骨守り(ほねもり)』を始める」
傍らから低い声が聞こえた。白髪頭の老人が、眉をひそめながら、少しずつ暗くなっていく空を見上げている。
老人の名は石川剛《いしかわ つよし》。
この辺りの区長だった。
久世透が帰ってくるまでの間、葬儀に関わる一切のことは、この六十を過ぎた老人が村の者たちを率いて取り仕切っていた。
「分かりました、石川さん」
久世透はうなずいた。彼は幼い頃からこの村で育っている。当然、この土地の奇妙な葬送習俗も知っていた。
死後ただちに火葬する『火送り(ひおくり)』も、これから行われる『骨守り(ほねもり)』も、現代では一般的とは言い難い葬儀の流れだ。
かつて祖母に理由を尋ねたこともある。
だが祖母はただ微笑んで首を横に振り、これはこの村で何百年も続いてきたしきたりなのだ、と言うだけだった。
この村に生まれた者は、誰であれ、その古い掟に従わなければならない。
しきたりに従い、これから行われる『骨守り』は、喪主である久世透が一人で務めることになる。
すなわち、死者の遺骨を納めた骨箱が祭壇へ安置された最初の夜、たった一人で夜を守るのだ。
その間、眠ってはならない。
家を出てはならない。
誰かに付き添ってもらってもならない。
翌朝、最初の陽光を見るまで、『骨守り』は終わらない。
それが終わって初めて、通常の告別の儀式を行うことができる。
「決まりは昔と同じだ。眠るな。外へ出るな。蝋燭の火を絶やすな」
石川剛は久世透の肩を軽く叩き、低い声でいくつか言い含めると、そのまま踵を返した。
痩せた背中が濃い霧の中へ少しずつ消えていくのを見届けてから、久世透はようやく振り返り、自宅の古い屋敷の庭門を押し開けた。
庭は昔と変わらず、雑木を生かした造りのままだった。ただ、彼が村を離れた頃よりも、周囲の草木はずっと濃く、高く茂っている。
青石を敷いた小道を進み、小さく曲がった先に、祖母が生前使っていた和室が見えた。
その和室には、すでに祭壇が設けられていた。
室内の供物台には、白菊、蝋燭、枕飯《まくらめし》、枕団子《まくらだんご》などが並べられている。
中央には祖母の遺影。そして、何の文字も書かれていない白木の位牌が置かれていた。
書き忘れたわけではない。
この土地の習わしでは、死者の名前は『骨守り』が終わった後でなければ、位牌に記してはならないのだ。
久世透はしきたりに従い、祖母の骨箱をそっと供物台の中央に置き、ついでに祖母の遺影をまっすぐに直した。
それから蝋燭と線香に火を灯し、前に敷かれた座布団の上にあぐらをかく。こめかみを指で揉みながら、祖母の遺影をぼんやりと見つめた。
両親は、彼が幼い頃に失踪している。それからずっと、祖母がわずかな蓄えを切り崩しながら、彼を一人で育ててくれた。
だから四年前、東京の大学に合格してからというもの、透は生活費を少しでも補うために、ずっとアルバイトを続けてきた。
コンビニの夜勤。
居酒屋の皿洗い。
深夜の清掃員。
いくつもの仕事を掛け持ちした。
卒業後、いい仕事を見つけて、最初の給料を受け取ったら、祖母に仕送りをしよう。
そう思っていた。
祖母がずっと欲しがっていた電気毛布も買ってやるつもりだった。
だが、祖母は結局、その日を待つことなく逝ってしまった。
『本当に、ごめん……』
写真の中の祖母は何も言わない。ただ、穏やかに微笑みながら、こちらを見つめているだけだった。
「はあ……」
久世透はため息をついた。
その直後、耳の奥で、刺すようなノイズが突然鳴り響いた。
『また、この音だ』
透は眉をひそめ、こめかみを強く押さえた。
なぜか、再びこの村に足を踏み入れてから、耳の奥でずっと微かな音が鳴っていた。
「ザザッ」という音と、鋭い「ジジジ」という音が混ざったような雑音だった。
遠く離れた場所で、誰かが爪を立てて紙をゆっくり引っ掻いているようでもあり、古いラジオが電波を拾えずに発するノイズのようでもある。
音量はごく小さい。
それなのに、どこにいても耳から離れない。
最初は、長距離移動の疲れによる耳鳴りだと思っていた。
しかし日が傾き、周囲が静まり返っていくにつれ、その音はますますはっきりしてきた。
『最近、卒論の準備で徹夜続きだったからか……?』久世透はそんなふうに考えた。
今夜は一晩中起きていなければならない。眠ってしまわないように、彼は黙ってスマートフォンを手に取り、三十分おきに鳴るようアラームを設定した。
それから台所へ行き、苦いほど濃いインスタントコーヒーを淹れると、和室の畳に座って、静かに本を読み始めた。
あまりにも周囲が静かすぎるせいだろうか。
耳の奥の雑音は、ますます大きくなっていく。時間の感覚まで、どこか曖昧になっていくようだった。
朦朧とした意識の中で、誰かが自分の名を呼んだ気がした。
その声はとても小さく、古い屋敷の奥から聞こえてくるようだった。
廊下と襖を隔てているせいか、ひどくぼやけて聞こえる。
「…………る…………」
「……ん?」
彼は勢いよく目を開けた。
だが次の瞬間、自分がいつの間にか畳の上に横たわっていることに気づく。
室内は真っ暗だった。
祭壇の蝋燭も、頭上の電灯も、すべて消えている。
縁側に面したガラス戸が、いつの間にか開いていた。その内側の障子も、脇へ引かれている。乳白色の濃霧が縁側を越え、音もなく和室へ流れ込んでいた。
冷たい空気が入り込み、部屋全体が氷室のように冷えきっている。
『俺……いつの間に寝てたんだ?アラームにも気づかなかったのか』
久世透は慌てて身を起こし、反射的にスマートフォンの画面を見た。
しかし、そこに表示されていた時刻は、七時十四分のままだった。
それは、彼がアラームを設定した時刻だった。
『おかしい』
確かに、ここまでの道のりで疲れてはいた。だが、眠り込むほどではなかったはずだ。
それに、自分には夢遊病の癖などない。ならば、どうして室内の明かりまで勝手に消えているのか。
深く考えるより先に、彼はスマートフォンのライトを点けた。立ち上がり、まずは電灯を点け直そうとする。
だが、まだ二歩も進まないうちに、廊下のほうから曖昧な声が聞こえてきた。
「……お……る……」
久世透は一瞬固まり、反射的に足を止めた。聞き間違いかと思った。
何しろ、ここは山奥の古い屋敷だ。動物や鳥が時折入り込むことくらい、珍しいことではない。
「と……お…………ご……」
声が再び響いた。
まだぼやけてはいる。だが、先ほどより少しだけはっきりしていた。
それに、その声には聞き覚えがあった。
どこかで聞いたことがあるような――
いや、違う!
どこかではない!
ついさっき、意識がぼやけていたときに聞いたのが、この声だったのだ。
『誰かが家に入ってきたのか?』
そう思った瞬間、久世透は反射的にスマートフォンの光を手で覆った。
入ってきたのが誰であれ、目的が何であれ、正体が分かるまでは、自分の位置を悟らせないほうがいい。
だが、そもそもなぜ誰かがこの家にいるのか。
村の誰かが、出ていくのを忘れていた?
『ありえない!』
骨守りの決まりは、村全体の鉄則だ。
この夜、喪主以外の者が、祭壇のある家に入ってはならない。
その掟を、村人なら誰もが知っている。破る者がいるはずがない。
それなのに今、この家の中には確かに、もう一人いる!
そのとき、久世透はもう一つの異変に気づいた。
——耳鳴りが治まっている!!
先ほどまで彼を苦しめていた、あのザザッという音も、ジジジという音も、目覚めた後にはすっかり消えていた。
『少し眠ったから、頭がはっきりしたのか?』
そう考える間もなく、廊下の奥から、かすかな足音が聞こえてきた。
ゆっくりとした足音だった。だが、その向かう先は明らかに、彼のいる和室だった。
『人だ!しかも、相手は俺がここにいると知っている!』
そう思った久世透は、声をかけようとした。
相手が誰で、何が目的であれ、とにかく正体を確認する必要がある。
しかし、彼が口を開くより早く、部屋の外の廊下で、また声がした。
今度は、先ほどよりもずっとはっきりと。
そして、ずっと近くで。
「透、ご飯できたよ――」
瞬間、背中一面に冷たい汗が滲んだ。
久世透の全身が、その場に縫い止められたように動かなくなる。
その声を、彼はよく知っていた。
死んだはずの祖母の声だった!!!!