僕はいつも通り登校し、いつも通り自分の席に着いた。まぁ少しばかり早く来すぎた節があるが、それは置いておこう。うん、たった30分早く着いただけだ。大したことはない。
早朝の教室に生徒はまばらで、読書をする人もいれば、荷物を投げ置いてどこかへ遊びに行く人もいる。
僕はと言えば、特にやることもないので机に突っ伏していた。いわゆる寝たふり、と言うやつだ。
無論、眠れるわけなんかなく、僕の心はざわつき、頭には嫌な考えばかりがよぎっていた。
もし本当に月宮さんが消えてしまっていたら、僕はどうすればいいのだろうか。
しばらくすると、隣の席の椅子が引かれる音がした。僕の知る限り、その席に座るのは、たった1人だけ。
顔を上げた先。目が合ったことに少し驚いた様子で、口元には微笑みを浮かべた少女。月宮麗華が、そこにはいた。
「おはよ恋崎くん、どうかした?」
「おは、よう・・・。ごめん、月宮さんだとは思わなくって・・・」
笑顔。全世界共通の友愛の証。
覚悟はしていたはずだ。最悪の事態にはならなかった、それだけでも安堵すべきことなのだ。それでも尚、笑顔の月宮さんは、僕の心を抉るようで。
「なんか、月宮さん、いつもと雰囲気違ったから・・・」
「そうかな?少し前髪が伸びたから、かな?」
そうやって前髪をいじり始める彼女は、普通のギャルだった。なるほど、確かにこれは僕から話しかけることはない。
昨日の若山さんの反応に、妙な納得感を得る。
「そうだね、そうかも」
「へぇー。恋崎くん、意外と細かな変化に気づくタイプなんだ。私のこと、見過ぎ?」
笑顔で軽く茶化す様な月宮さんは、あまりにもイメージになくて、だけど彼女のからかい方は"いつもの"月宮さんとなんら変わらなくて。
「普段見ていないから、ちょっとした変化に目がいっちゃうんじゃないかな」
「それもそうか。ねぇ恋崎くん、もっと私を見てよ」
「いや、そうはならないでしょ」
見慣れない表情の月宮さんと、慣れない愛想笑いを浮かべる僕。その間で交わされるいつものノリ、自然とそれができてしまうことに、"今の"月宮さんと仲良くなることに、後ろめたさを感じる。
後ろめたさついでに、嫌な疑問が頭を過ぎる。月宮さんと接点の無い僕は、帰宅部に居場所はあるのだろうか?
「月宮さん、部活とか、最近調子どう?」
「珍しいね、恋崎くん。なに?私のこと気になっちゃう感じ?照れちゃうって」
冗談を言い、楽しそうに笑う。それはあまりにも普通のことで、そしてあまりにも異常な光景だった。
「まぁ部活って言っても、私と2人の先輩達で寄り道して帰るだけだからね。楽しいから絶好調?」
「そっか、それなら絶好調、だね」
その言葉が痛いほどに僕の胸へ突き刺さる。彼女の絶好調な日常に、僕はいないのだ。
「それじゃさ、次は私の番ね。恋崎くんはコーヒー飲む?ブラック派?それとも甘い方が好き?」
珍しく話しかけてきた僕が新鮮だったのか、自分が質問する番だと、身を乗り出してくる。
「僕は、アメリカンが好きかな」
月宮さんなら、知ってるはずなのに。
「アメリカン?まぁそれなら大体一緒かな?私はブラック一択なんだ」
そのことなら、知っているのに。
「私達、意外と気が合うのかもね」
戯ける彼女に、意外でもなんでもない、と吐き出しそうになる。それを抑えながら、僕は、どうだろうね。と曖昧な言葉しか返すことができない。
そんな会話は始業まで続いた。僕の知らない月宮さんと交わした会話の中には、僕の知っている月宮さんがいて、その事実がどうしようもなく僕の胸を締め付ける。
そして同時に、帰宅部には僕の居場所はなく、池田は幽霊部員のままで、小桜ちゃんは関わってもいない。という"現実"を浮き彫りにする。
僕達の過ごした1年間を、帰宅部として過ごしたこの数日を、その全てを否定されているようで、挫けそうで、今にも逃げ出したくなる。
・・・でも、それなら、涼風さんと僕はどういう関係なのだろうか。月宮さんが普通のギャルだとして、不器用な彼女は変わっていないのではないだろうか。
今はなんでもいい。僕達の日常とのつながりを探って、それを辿るしかない。
こんなところで立ち止まっている場合ではないんだ。僕にもあるはずなんだ。やらなくちゃいけないことが。
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昼休み、チャイムが鳴ってすぐ、僕は二つ隣の教室へ向かった。
教室に入ると、授業が終わった開放感から、騒めき立っていたはずの教室が静まり返った。なんか、みんな僕のこと見てません?僕って違うクラスでも、浮いてるんでしたっけ?ちょっと傷つく。
謂れのない(あるかもしれない)傷を負いながら、涼風さんの席へまっすぐ向かう。
「涼風さん、ちょっといいかな?」
「構わないけど・・・君は相変わらずだよね、本当に。場所を変えようか」
なんだその意味深な言葉は。と言うか、いくらなんでも、視線集まりすぎじゃないか?
涼風さんに促されるまま、中庭に辿りつきベンチに座る。一昨日に月宮さんと夏の魔法について話をしたベンチだ。
「教室にいた人達、なんか凄く僕のこと見てなかった?」
「それはね、恋崎くん。去年ずっと一緒にいた女子に、クラス替えをしても会いに来る男子がいたら、周りの目もそうなってしまうものだよ」
本当に自覚がないよね、君は。と続ける涼風さん。その言葉が、そして教室で向けられた多くの視線が、雄弁に語っていた。月宮さんと3人で過ごした1年間が無かったことになっているのだ、と。
「そんな感じだったっけ・・・」
「流石にそれは、ちょっと傷つくよ?」
静かに笑みを溢す涼風さんは、それを冗談だと思っているのだろう。事実、去年はそんな冗談も交わしていた。きっとそれは"今"も変わらない。
その日常に月宮さんがいなかった、その一点を除けば。
「恋崎くん、なにか悩んでるでしょ」
ドキリと心臓が跳ねる。言葉を返せない僕を、見透かしたように涼風さんは微笑んだ。
「わかりやすいからね。しかもタチの悪いことに、私に言うつもりが無いときた」
「隠すのがうまいから、隠したいことだけ不自然に抜け落ちる」
「なんだ自覚があるんじゃないか」
「大切な、とても大切な友達が教えてくれたんだ」
自分が辛い時に、こんなどうしようもない僕を案じてくれた、そんな彼女が教えてくれたこと。
それなのに僕は、直前までその悩みにも気づいてあげることができず、力になってあげることもできなかった。
「恋崎くん、そんな顔するくらいなら、さ。話すくらい、してくれてもいいんじゃないかな?」
みんなの中で楽しく笑う月宮さんは、本当は違うんだ。
本当は表情が上手く出せなくて悩んでいて。
本当は1年前から僕たち3人は一緒にいて。
本当は2人で江ノ島に行って。
言える訳がない。荒唐無稽な話だ。僕の知る月宮さんは、今の月宮さんからあまりにもかけ離れている。
それでも、涼風さんはきっと、真剣に話を聞いてくれるし、信じてくれる。
だけど、1年を共に過ごした月宮さんを自分が忘れてしまっていると、無かったことにしてしまっていたと、それを知ってしまった時。
その時の涼風さんの気持ちを考えると、とてもでは無いが言える話ではない。
そもそも僕が今の月宮さんを、彼女の理想としたその姿を、否定してしまっていいのだろうか。
そして仮に僕の知る月宮さんが戻ってきたとして、今の彼女はどうなるのだろうか。
誰の記憶にも残らず、消えてしまうのだとすれば、僕に彼女を消してしまう権利なんてあるのだろうか。
「ごめん。上手く言えなくて・・・」
顔を上げると、涼風さんは悲しそうで、どこか諦めのような、そんな表情を浮かべていた。
違う、そんな顔をさせたかったんじゃない。
僕は、そんな顔をさせたくなかったんだ。
「涼風さ──────」
「恋崎くんは、そう言うところ、ズルいよね」
「違うんだよ。そうじゃないんだ」
「違わないよ。人のことは散々気にかける癖に、誰かが君を心配することを許さない。いつもそうだったよね」
それは、いつか紬先輩に言われた言葉に、どこか似ていた。
「そんなこと・・・それに僕が許そうが許すまいが、誰かが心配する事は止められないじゃないか」
「だから、ズルいんじゃないか」
涼風さんは諦めたように溜め息を吐く。
「心配したところで、君は何も話してくれない。なにも力になってあげられないとしてもさ。話を聞くくらい、してあげたいって思うのは、そんなに変なことかな?」
それでも、話す事で更に傷つけるかも知れない。その不安が言葉を押し留める。
しばらくの沈黙の後、涼風さんは悪戯っぽく、けれど少し拗ねたように笑った。
「ここまで言っても口を割らないとはね。恋崎くんのことだ、きっと私や誰かを傷つけるんじゃないか、とか考えちゃってるんでしょ?」
「わかるんだ」
「わかるよ」
なんとなくだけどね、と言い残し彼女は立ち上がった。
「ありがとう。それと、ごめんね」
「いいよ。今に始まった事じゃないし」
涼風さんの背中を見送りながら、彼女の言葉を思い返す。
話くらい聞かせてほしい、か。
思えば僕は何がしたいのだろう。僕の知る月宮さんを取り戻したい、そう思う反面で彼女の理想の月宮さんを否定したくない。考えた所で答えなんて決まるはずもなく、そもそも僕の知る月宮さんを取り戻す術すら知らないのだ。
僕は、この世界で独りになってしまったのだろうか。
その時、ふと頭をよぎった。たしか話すだけでも楽になるとか、困った事があれば言えとか、無責任に言い放った大人がいたな、と。
なんと話したものか。そうだ、小説の設定とでも言えば良いだろう。
重たい腰を上げ、戻りたくもない教室へ足を向ける。肌にまとわりつく熱気を払うように、早足で歩く。
なんだか少し、夏を嫌いになりそうだ。
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帰宅部の仮部室となっていた社会科準備室。放課後、そこには帰宅部の面々はいない。もちろん偶然ではない。
朝にした月宮さんとの会話を整理していくと、僕のいない帰宅部は部員不足の誤魔化しも、上手いこと継続されているようで、部室を追い出されていない様子だった。
そんな社会科準備室の扉をノックする。テスト前ということもあり、扉には「返事があるまで扉を開けないように」と手書きの紙が張り出されており、それに従い返事を待つ。
程なく聞こえてくる高岡先生の声を確認して扉を開ける。高岡先生は奥の席に腰掛けながら、パソコンと睨めっこしていた。扉の音を聞くと顔だけこちらに向けて、直ぐにパソコンへ視線が戻される。
「珍しいな、恋崎から俺に話があるなんて」
「そんなに珍しかったでしたっけ」
「まぁいつもは俺から会いに行ってるからな。お前から話しかけてきたのは初めてじゃないか?」
そんなまさか。そう言いかけたところで思い直す。確かにこんな事になる前も、帰宅部関連以外で話しかけたことがなかった。
「お前たち問題児が問題を起こす度に、俺はこき使われてるんだからな。少しは自重してくれ」
「お前たちと言うと?」
「お前だろ、それからお前がたまにつるんでる池田、あと同じクラスに月宮っているだろ?あのギャル。それとその先輩の双子・・・目立つところはそんなところかな?」
なるほど、問題児は見事に帰宅部に集約されていたわけだ。まぁ、今となっては僕は帰宅部に所属していないので、ただのはぐれ問題児だ。なんか経験値を沢山もらえそう。
そして、月宮さんとの繋がりがない今でも、僕と池田はつるんでいたらしい。なんだか癪だが、池田がいると言うことに、少し安堵している自分がいた。
「それで、何か用があるから来たんだろ?」
「えぇ、小説の設定で迷ってまして。この先どうしたら良いのかって」
「小説?お前小説なんて書いてたのか。すごいじゃないか」
「別にすごいことじゃないですよ。今の時代ネットで投稿できますし」
それに小説を書いていたのは中2の頃までだ。もう、しばらく書いていない。
「別に相談はいいが。俺は小説家でもなんでもないから、アドバイスなんてできないぞ?」
「話すだけでも、アイディアが浮かぶかなって」
「まぁそれなら構わんが。でも俺よりも池田の方が、そう言うの詳しいだろ?」
「そう言うのが分からないからいい、ってこともあるんですよ」
「恋崎がそれでいいなら、俺は構わんが。で、どんなことで迷ってるんだ?」
僕は自然と深く息を吸って、吐き出す。緊張しているのだろうか。
「主人公は男子高校生。それで理想と現実のギャップに悩む女の子と出会うんです。その悩みを聞けたと思ったら、その女の子は消えてしまって。主人公の前には、以前彼女が語った理想の彼女が現れました。そして悩んでいた彼女のことは、主人公以外に誰も覚えてなくて」
そう、あれは月宮さんの理想の自分。普通に笑えて、普通に学校を楽しむ、ちょっとギャル寄りだけど普通の女の子。
「周りの人達は、その理想の女の子の存在に、なんの疑問も抱いていないんですけど、唯一の繋がりだった、その子の悩みがない世界では、主人公と彼女に接点はなくて」
高岡先生に視線を向けると、真剣な顔で僕の話を聞いてくれていた。三文にも満たないような、高校生の小説の話なんかを。
「女の子は理想の自分になれて幸せで、周りもみんな幸せに生きていて。だけど元の独りぼっちに戻った主人公は、自分の独りよがりな感情に気づいて、自己嫌悪と孤独感に打ちひしがれるんです」
「それで、そのあとどうしたらいいかわからない、と?」
この人は、なんでわかってしまうのだろうか。無愛想でめんどくさがりな風情の癖に、本当に困った時はちゃんと応えてくれる。確かに吐き出すだけで、随分と楽になった。
「ありがとうございます。なんだか聞いてもらっただけで、少し話が進められそうです」
「まぁ待て恋崎。俺のアドバイス聞いてないだろ」
「でもアドバイスなんてできないって」
まぁ聞け、と言われ、宥められてしまう。そう、僕は押しに弱い。
「さっきも言ったが、俺には小説のことはよくわからん。だけど強いて言うのであれば、人生ってのは後悔の連続だ。むしろ後悔の積み重ねが人生と言ってもいい」
高岡先生はまっすぐ僕の目を見る。咄嗟に逸らしそうになるが、それはなんかダメな気がした。ちゃんと聞かなければいけない。そんな気がしたんだ。
「どうせ後悔するなら、自分が1番納得できる道を選んで後悔しろ」
きっと高岡先生は最初から、お見通しだったのだろう。応えてくれる言葉が嬉しくって、だけどそれがなんだか恥ずかしくて。
「後悔することは、決まってるんですね」
「どの道を選んでも後悔する。それがわかってるから、選べない。だから、主人公は選べなかったんだよ。自分がどうしたいか、わかっていたのに、な」
そうか。僕はちゃんとわかっていたんだ。そしてちゃんと、もう決めていたんだ。
「それなら俺が無責任に背中を押してやるよ。お前の小説がどうなろうと、知ったこっちゃないしな」
「ありがとうございます。それなら、僕も一生懸命、黒歴史を作り上げてやりますよ」
そう、誰もが無視できないような。ここにはいない君にも見えるような、でっかくて盛大な奴を。
「いいか、テストが終わるまで、問題だけは起こすなよ?それと友達も頼ってやれ。きっとお前の小説の行く末を気にしている奴だっているんだ」
「はい。頼りになるかは、わかりませんが。それじゃ、行きますね」
「おう。存分に後悔してこい」
高岡先生に一礼して、社会科準備室のドアを開けると、そこには1人の女の子が立っていた。こじんまりした彼女は、僕の初めての後輩で、帰宅部の1年生、小桜ちゃん。
その表情はどこか少し安心したかの様で、だけど不安を色濃く残していた。
「先輩、やっと見つけましたよ」
恐らく僕の話を聞いていたのだろう小桜ちゃん。彼女も帰宅部のいざこざが無ければ、絶対に関わることの無いであろう人物の1人だ。そして彼女の表情の変化と今のセリフで確信した。
小桜ちゃんは、月宮さんを覚えている。
「小桜ちゃん、僕を探してたんだ。女の子に追われるのも悪く無いね」
「なんですか、それ。追う方は大変なんですよ?」
歩き出した僕のシャツの袖を、小桜ちゃんは小さく摘む。
「昨日、社会科準備室に行ったら誰もいないし、白石先輩達は私のことを覚えてないし。先輩も月宮先輩も、池田先輩もいないし。本当に大変だったんですから・・・」
摘まれた袖の力は強くなり、声は少し震えていた。
居場所を見つけたと思いきや、それが消えていたのだ。彼女も不安だったのだろう。
「夢じゃ、ないんですよね?」
「夢なんかじゃないよ。そんなことにさせたりしない」
そう、誰が何と言ったって、世界がそう形作られていたって、僕は諦めてやらない。
「なんか、先輩余裕ありますね」
「そりゃね。独りだけだと思ってたのに、小桜ちゃんもいたんだ。それに自分がどうしたいのかも分かってるし、後は方法を考えるだけだからね」
「先輩ってやっぱり、なんだか大人っぽいですよね・・・。それで、どうしたいって、どうしたいんですか?」
「言葉にするなら『世界に喧嘩を売って、月宮さんを取り戻す』かな」
小桜ちゃんは、目を丸くしていた。そして直ぐに諦めた様な笑顔を浮かべる。
「月宮先輩は幸せですね。こんな風にバカなことを考えてくれる人がいるんですから」
「なんたって僕の数少ない、貴重な友達だからね」
「それなら先輩にとって唯一の、可愛い可愛い後輩な私がそうなっても、先輩は同じ様にしてくれるんですね?」
「そうだね。きっと月宮さんだって、池田だって、同じことをするよ。小桜ちゃんが月宮さんを諦めないでいてくれるみたいに、ね」
「そう、ですかね」
「そうだよ。決まってるじゃないか」
「そうですか・・・」
その言葉を最後に、小桜ちゃんからの言葉は途切れた。心無しか、袖の重さが僅かに増した様な気がする。
行き先を聞かれないのは、諦められているのか、信頼されているのか。半歩後ろを歩く彼女の表情は窺うことができない。
だけど、それを不安に感じることはなかった。
あいつは月宮さんの事を覚えているのだろうか。仮に覚えていなかったとして、なんて言ったら信じてくれるのだろうか。
いや、そこまで深く考えても仕方ない。仮に何も覚えていなくて、僕の話を信じてもらえなかったとしても、失うほどのものは無い。
それに、池田なら、きっと信じてくれる。
会話の無い空気と袖にかかる重さ、そして煩わしいはずの蝉の声や、ジリジリと肌を焼く日差し、蒸した暑さでさえも、全てが心地いい。
今僕の目に映るこの景色は、夏色とでも言うのだろうか。
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その後、僕達の姿を見るや、背中を向けて歩き出す池田を追いかけ、気づけば全力疾走の鬼ごっこを繰り広げていた。そうして無事に捕縛した池田を人目のつかない屋上前の踊り場へ連行した。
ちなみに小桜ちゃんはと言うと、走り始めた時点で離脱していた。なんでも、奇行に走る先輩達の知り合いだと思われるのがとても嫌でした、との事だった。一見すると本気で嫌がっているかのように見える、斬新な照れ隠しだ。・・・もしかして本気で嫌だったのか?
そうして捕まえてきた池田は、小桜ちゃんに対してよそよそしく、そんな小桜ちゃんを連れている僕を怪訝そうな目で見てきた。
「なぁ恋崎。悪いことは言わないから見栄を張るために、金を払うのはやめたほうがいいぞ」
「気持ちはわかるが、違うぞ」
確かに僕が後輩女子と繋がりがあるはずもなく、お金を渡してレンタル的な事をしていると考えるのは自然だ。月宮さんと関わり合いのない自分なら、それ以外に後輩女子を連れ歩く方法はない。
「何の話をしてるんですか?」
「大丈夫。気にしなくていいよ」
何となくだが、小桜ちゃんにはそう言ったビジネス的な話は聞かせたくない。そのままの君でいてくれ。
「いや俺は気になるんだが」
「今からそれ込みで説明するんだって」
「説明はいいが10分以内に終わらせてくれよ。クルダディの放送時間まで、あまり猶予はない」
ひとりぼっちのクールダーティー、通称クルダディ。世界征服計画を企む悪の組織と対峙する女子小学生が、魔法スケバン少女に変身して、悪の企みを阻止していく女児向けファンタジーアニメーション。主人公のセリフが無駄に渋くて汚いと言うギャップと、悪の組織の粗だらけな企み(全国の水道管を少しだけ絞る、破滅的なギャンブルジャンキーを無理やり主人公サイドへ仲間入りさせる、など)が話題を呼び、大きなお友達たちにも大ヒット。放送開始から10年以上様々なシリーズが・・・違う。今はそれどころではない。
「お前が逃げ回らなければ、もっと時間に余裕があったんだけどな」
「いいからさっさと話せ。運動不足とか言って、足をつって時間をロスしたのは恋崎だぞ」
「お前も一緒に足つってただろ」
「先輩、いい加減話を進めてください」
後輩に怒られ、しゅんとなる男子高校生が2人いた。もちろん僕達だ。
その後、これまでの経緯を全て、誤魔化す事なく2人へ伝えた。
小桜ちゃんは何故か江ノ島のことに食い付いていたが、そんなに江ノ島行きたかったのかな。月宮さんは帰宅部みんなで行きたいと言っていたし、その願いは叶うから安心してほしい。そう、絶対に叶えるから。
対して池田は、全ての話を聞くと、そうか。とだけ応えた。
「馬鹿にしないの?」
沈黙が気まずくなり茶化す僕に対して、池田は静かに続けた。
「お前は確かに馬鹿だ。俺達声豚と決して相容れぬ原作厨だ。だけど、まだ短い付き合いの俺でも、これだけはわかる。こんな馬鹿みたいな嘘は、特に誰かを傷つけるような嘘は、絶対に言わない。だからお前の言うことを信じてみようと思う」
最後に、「なんかラノベっぽいし」と付け加えなければ格好がついたのだろう。だけど、僕の知る池田は、僕が信じたこいつは、格好を気にして自分を曲げる男ではない。こいつも、ちょっと心配になるくらい、自分に真っ直ぐなんだ。
「それで、俺に話すのは良いとして、白石先輩達には言わなくて良いのか?あの2人月宮さんのこと大好きなんだろ?」
「それ、私も思いました。2人共絶対に力になってくれますよ」
「いや、それはなんと言うか・・・嫌、なんだ。どんな形であっても、月宮さんのためだったとしても、あの2人が月宮さんを否定するところなんて、見たくないんだ・・・」
これは僕のエゴだ。ただのワガママだ。例え2人に怒られようと、月宮さんに恨まれるとしても、それでも、そこだけは譲ることはできない。
「なんだか、先輩ってずるいですよね、ホント。そこまで想ってくれる人がいるなんて、羨ましいです」
「羨ましいって、別に僕は帰宅部のみんなにも、同じように想ってるよ」
「違いますよ。同じなんかじゃ、ないです。でも先輩の気持ちが嘘じゃないって事は、ちゃんとわかってるんです。だからずるいんじゃないですか」
小桜ちゃんは、今にも泣き出しそうな、そんな雰囲気を纏わせながら、力無く笑った。この話は終わり。そう告げるように。
そんな顔をされたら、もうそこに触れることができないじゃないか。きっと、ずるいとはこう言うことなのだろう。
「白石先輩達には相談しないって言うのは別にいいが、実際問題どうするんだ?解決策なんて、何も無いんだろ?」
空気を読んだのか、読んでいないのか。池田からもっともな質問が飛んでくる。
「解決策は、確かに何も思いつかない。けれど、やりたいことだけは、もう決まってるんだ」
月宮さんは言ったのだ。「だから、せめて、ちゃんと笑顔で、大丈夫だよって、言えなくちゃ、いけない」と。だから──────。
「伝えなきゃいけない、想いがあるんだ」