「んーーー。それはただの寝不足だね」
保健室には美人の先生が・・・なんてことはない我が校。保健室にいるのは中年のおばちゃん、竹芝《たけしば》先生。
目が覚めて「知らない天井だ」と呟いた僕に、竹芝先生は「あんたそりゃちょいと古いよ」などと言うツッコミを入れてくれた。そう、おばちゃんだけど、ノリが良くて生徒にも人気のある立派な先生なのだ。
「え、でもでも!なんか教室だと頭ちょっと痛かったし!背中も痛かったんですって!」
「確かに倒れた時に軽く頭も打ってるみたいだけど、コブにすらなってないよ。寝不足、覚えない?」
言われてみれば、昨日は浮かれに浮かれ、なかなか寝付けずに、夜中散歩に繰り出したり、意味もなく部屋でストレッチをしたりしてた。
寝付けないうちに空が白んできて、焦って目を閉じても寝れず・・・あれ、徹夜じゃねこれ?
「まぁ仮に寝不足だったとしてですよ。なんかかっこいい感じに、みんなに言っておいてくれませんか?」
「あんたね、保健室に着いた時には気持ち良く寝息立ててたし、運んできてくれた生徒には、もう伝えちゃってるわよ」
「マジっすか・・・」
「マジもマジ、大マジよ。ほら、背中痛かったんなら湿布貼ってあげるから。あっち向いてシャツまくって」
言いながら回転椅子で僕を回す竹芝先生。慣れてやがる。
「それにみんな心配してたみたいだから、安心させてあげるために、正確な病状を伝えるのは当たり前さね」
そうか、なんだかんだ、みんな心配してくれてたのか。何だかちょっと照れ臭いな。
「あれ、でも心配してたのは月宮ちゃんの方だけだったかしら?」
まぁそうですよね!知ってました!
「ところで月宮さんの方はヒャイン!」
湿布冷た!変な声出た!貼るなら貼るって言ってくれないとダメじゃない!
「彼女はちゃんと無事だから安心しなさい。あんたのおかげで、痣の1つもできちゃいないよ。ちゃんと守って偉いじゃないか!」
そう言って竹芝先生は、湿布の上から僕の背中を叩く。
こういうの、ちょっとやめて欲しい。おばちゃんって妙に加減しないから、少し痛いし。あ、ほら湿布の端が少し剥がれちゃった。
「月宮ちゃんの方はただの貧血で、立ちくらみ起こしただけよ。すぐに意識戻って、運ばれるあんたと一緒に、自分の足で保健室まで来てるから、安心しな」
今はそっちのベットで寝かせてるよ。そう言ってカーテンに仕切られたベットを顎で指す。つられて僕の視線もそちらは向くと。
「もう、大丈夫、です」
そのカーテンを開け、月宮さんが顔を出す。そのまま立ち上がる月宮さんは、大丈夫とは言い難いくらいには、顔色が良くなかった。
「月宮ちゃんね、あんまり無理するもんじゃないよ」
「今は、無理でも、話さなくちゃ、ダメ、なんです」
その縋る様な瞳は、僕を捉える。今は休ませるべきなのだろう。だけど、それは彼女の心を、見捨ててしまうことになるのではないだろうか。
「竹芝先生、僕が付いてるので大丈夫です」
「あのね、恋崎くん。体調っていうのは、崩れたらもう赤信号なんだよ。そこで無理して悪化したり、怪我をすることはもちろん、最悪命に関わる事故に巻き込まれる可能性だって」
「もし体調が悪化したら、ここまで連れ戻します。怪我だって事故だって、必ず僕が守ります。だから、お願いします」
「お願い、します」
そんな僕達を見て、これも若さか。と呟くと竹芝先生は大きくため息を吐いた。
「わかった。その代わり少しでも体調が悪くなったら、必ずあんたが月宮ちゃんをここに連れてくるのよ。・・・私がここを空けてあげれれば、良かったんだけどね」
「他の生徒が来た時に、先生がいなかったら大変ですよ」
「そう言うこと。ほら、早く行かないと、授業終わって、2人で話せなくなっちゃうわよ」
「ありがとう、ございます」
月宮さんはもう一度頭を下げると、ゆっくりと歩き出す。僕も竹芝先生に一礼した後、彼女を追って保健室を後にした。
授業中の廊下は、不自然な静けさに包まれていた。保健室のある1階には教室はなく、廊下に漏れ出る声も聞こえない。
月宮さんの足取りはいつもより遅く、見ていて不安になってしまう。
「恋崎くん、中庭まで、お願い」
小走りで横に並んだ僕にそう言うと、月宮さんは、左手で僕の右腕を掴んだ。今の彼女には、きっと寄りかかるものが必要なのだろう。
慣れない感触にソワソワしながら、月宮さんの歩幅に体を合わせ、ゆっくりと歩を進める。
そうして腕の感触になれた頃、僕達は中庭に辿り着き、いつしか1人で腰掛けたベンチに、月宮さんと並んで座った。
離される手の感触に、どこか寂しさを感じる。だがそれ以上に、儚げにも見える月宮さんが心配だった。
「昨日、若山さんが、笑顔の私を、見たって」
「僕達がファミレスにいた時間だったね」
月宮さんは小さく頷いた。
「恋崎くん、紬先輩と、葵先輩、どうして、まだ帰宅部、来てると、思う?」
それは前に僕も感じたことだ。本人達のこれからに対する不安。それと──────。
「残される僕達が心配、なんだよね、きっと」
僕の回答を受け、月宮さんはゆっくりと首を振る。
「多分そう、だけど、ちがう。・・・心配なのは、きっと、私」
帰宅部の体験活動をした日。仮部室を出る前に、彼女は自分を責めるように、2人はなにか隠してる。そう告げた。
月宮さんは白石姉妹と1年近く一緒に過ごしてきた。その中で、きっと彼女達の夢に触れたのだ。そして会話を重ねる内に、"まぢな時は厳しい親"の事も聞いたのだろう。
そうしたピースが繋がり、彼女達が夢と帰宅部を天秤にかけられる時が来ると、そう気づいてしまったんだ。そしてその時、帰宅部へ天秤を傾ける要因に自分がいると。
「2人とも、私のこと、すごく、気にかけてくれる。帰宅部、やめること、躊躇ってた」
自分を責めるような月宮さんの独白に、そんなことは無いと、根拠もなく否定をしたくなる。だけど、それはきっと、彼女の信頼を裏切ることになる。そんな気がして、言葉が出せない。
「だから、せめて、ちゃんと笑顔で、大丈夫だよって、言えなくちゃ、いけない」
月宮さんはそこで言葉を区切った。いつからだろうか。彼女はずっと悩んでいた。僕はどれくらい、そのことに気づいてあげられなかったんだろうか。
「昨日の夜、ね。メイク落とす時、鏡を見たら、笑顔の私、写ってたの。口元を触っても、いつものまま、だったのに・・・。なにも、嬉しく、なかった、のに・・・!」
月宮さんは震えていた。それはそうだ。僕だって鏡に、自分の意に反した、そんな笑顔の自分が写っていたら、怖い。
それに月宮さんにとっては、夕方の歓迎会が楽しければ楽しいほど、同じくらいの辛かったはずなんだ。部員が足りているのなら、白石先輩達も仮部室にいる理由がなくなる。そんな避けられない未来が、怖かったんだ。
そしてそんな時に、いるはずのない時間、あるはずのない場所に現れた、誰も知らないはずの笑顔を浮かべる月宮さん。
いつか高岡先生は『誰かに吐き捨てるだけでも楽になる』と言っていた。だけど、今の月宮さんには、吐き捨てるだけじゃ足りないのではないだろうか。
どんなに小さくても、縋ることのできる希望が必要なんだ、と思う。
「月宮さん、集団心理って聞いたことある?」
月宮さんは俯きながら小さくうなずく。
こんな話で慰めになるかはわからないけれど、何も言わないよりかはマシなはずだ。
「夏ってさ。お祭りとか花火とか楽しいイベントもたくさんあるし、虫の鳴き声や波のさざめきみたいな癒しもあって、たくさんの思い出ができる。ふと振り向くと、なんだかノスタルジーな気分にさせる、夏ってそんな季節なんだよ」
小さい頃の、夏の思い出を想うだけで、何故か切なくなる。人間の脳は不可解だ。そんな思いが、一体なんの得になると言うのだ。
いつかの反抗期。僕はそんな事を考えていた。それすら、いい思い出だったな、そんな風に振り返る日が来るとも知らずに。
「思春期を絶賛謳歌中の僕達の心は、そんな季節にいろいろな影響を受けるんだよ。何かをしたい衝動に駆られたりとか、このままじゃいけないっていう漠然とした焦りとか、そんな感じにさ」
半ば独り言のような僕の話を、月宮さんは黙って聞いている。
「そんな心の不安定さが、親への反抗だったり、誰かに恋をしたいって想いだったり、ちょっとやんちゃしたり、そんな行動に結びつくんじゃないかな。そして集団心理って、そういった不安定な状況にすごく相性がいいと思うんだ」
それは一種の強迫観念のようなものなのだろう。みんながこうだから、同じようにしなくちゃいけない。
そう思う反面、自分だけの存在意義を求めている。そして世界を知れば知るほどに、自分だけの特別な何かなんてないんだ、そう思い知らされる。その理想と現実の乖離が、僕達を苦しめる。
「無意識の内に月宮さんの笑えなくちゃって焦りが、態度や行動に表れて、周りに伝播していく。その結果が、笑顔の月宮さんを見せたんじゃないかな」
「でも、そんなの、どうすればいい・・・?」
顔を上げ僕を見る月宮さんの瞳には、まだ不安の色は濃く残っていた。
「よく聞く夏の魔法ってやつの正体は、そう言うことなんじゃないかなって、そう思うんだ。いつか解ける、気の迷いのような魔法」
それは辞書にも載っていない言葉。誰も意味を理解していない、曖昧な概念。ならばそれを勝手に定義したっていいはずだ。
「だから反抗期とか、学生時代の恋心も、少しぐれた心だって、時間が経てばその想いも変わっていく。それなら、今回のもう1人の月宮さんの存在も、永遠に続くわけじゃない。そう思うんだ」
これ確証はがある話ではないけれど、それでも僕はそう信じている。
「だから絶対に解決できる」
これは1から10まで、全て根拠のない、ただの屁理屈だ。それでも、この想いだけは、届きますように。
話は終わりだ、と言わんばかりに休み時間を告げるチャイムが鳴る。どうやら授業は終わったようだ。
「それに夏の魔法なんて、どうせ一過性のものなんだから、来週には元通りかもしれないしね」
「そう、だね・・・」
不安は完全に消えたわけではないだろう。それでも月宮さんの顔色は大分良くなったように思う。
「僕は僕で、何かいい方法がないか考えてみるから、月宮さんは帰って休みなよ。昨日は、あまり寝れなかったんでしょう?」
「うん、荷物取ったら、早退、する」
「もう立って大丈夫そう?」
「うん。1人で、大丈夫」
ありがとう、恋崎くん。そう言って歩き出した彼女の足取りは、さっきと違って少しだけしっかりしている。
家まで送ろうか?そんな言葉が、喉に詰まって出てこない。照れとか恥ずかしいとか、そんな甘酸っぱい物ではなく、『1人でも大丈夫』と言った、彼女のその言葉を信じて。
そうでなければ、僕が彼女を否定してしまうようで、そんな事はどうしてもできなくて。
ついさっきまで腕に感じていた感触が薄れていくのを感じながら、僕は右腕を掴んだ。
きっと大丈夫。僕は自分に言い聞かせる。それは、まるでそうであって欲しいと願うかのようで、凄くむなしく心の中に響いた。
@
教室に戻ると、月宮さんは数人の生徒に囲まれていた。僕は何事もなく席に着く。どうやら心配されていたのは月宮さんだけ、と言うのは本当のようだ。
「恋崎くん、だよね?」
そんな僕に声をかけてくるクラスメイトが1人。確か名前は・・・うん、とりあえず山田さんとしておこう。
「さっきはぐっすり眠れた?」
「もうバッチリ広まってる感じなんだ・・・」
「まぁあたしは保健室まで行ったしね」
「あれは、なんと言うか、そのー、あれだよ」
「あれって、どれよ」
山田さん(仮)はケタケタ笑う。楽しそうに笑うのはいいことだと思うけれど、いかんせん僕は居心地が悪い。
「でも安心した。その様子なら恋崎くん、本当になんともないんだね」
いたよ。僕のこと心配してくれる人。
「・・・多分、竹芝先生に叩かれた背中が全治1ヶ月くらいだから、それさえ治ればあとは平気かな」
「なにそれ」
山田さん(仮)は尚も笑う。お気に召していただけたなら、なによりです。
「でも、さっきのはちょっとかっこよかったよ。見直しちゃった」
それだけ言い残すと山田さん(仮)は、腰まで伸びた長い黒髪を翻し、荷物をまとめる月宮さんと、それを囲むクラスメイト達の中に入っていった。
かっこいい。慣れない言葉の響きに心が浮つく。だが同時に、何も好転していない事態に対して不安が募る。この心の不安定さが思春期と言うやつなのだろう。少なくても僕はそう思う。
視線をその集団に向けると、教室から一歩外に出て、振り向く月宮さんと目が合う。なんとなく気まずくなり、僕は小さく手を上げた。
するとそれを見て、月宮さんも胸の前で小さく手を振る。別になんて事のないやり取りのはずだ。それなのに月宮さんはどこか機嫌が良さそうで・・・なんだこのむず痒さは。
我ながら、らしくも無い感情を抑え込むように、僕は深く息を吸う。そう、浮かれている場合では無いのだ。
「麗ちゃんいる!?」
月宮さんが早退してから程なくして、葵先輩が教室へ飛び込んでくる。少し遅れて入ってきた紬先輩が僕見つけると、2人はそのまま僕の方へ駆け寄ってくる。
みんなの視線は白石姉妹を追いかけ、やがて僕の机に行き着く。あまりこう、目立つことはやめていただきたい。僕はこう見えてもクラスでは地味で真面目な生徒なのだ。
「何かと思ったら恋崎か」
「まぁこのクラスで、トラブル起こすとしたら恋崎くんだよね」
「安定の恋崎クオリティだな」
地味で真面目な生徒、だよ?
「ヨシリン!麗ちゃん倒れたってホント!?」
「3年の方まで噂になってた。なんか可愛い2年が倒れたって」
この人達、可愛い2年の情報だけで、それが月宮さんである事を微塵も疑わずに来たのか。親バカならぬ、先輩バカと言うやつか。
「確かに貧血で倒れましたけど、外傷もなくさっき早退しましたよ。と言うか、メッセージとか来てないんですか?」
僕の言葉を聞いて、2人は慌ただしくスマホを取り出す。もしかしてメッセージの連絡も無しに、ただ走ってきたのかこの2人は。月宮さんのこと好きすぎじゃないですか?
「あ、ホントだ来てる」
「とりあえず、なんともないみたいだねぇ。あ〜まぢ焦ったわぁ」
「ところでさヨシリン」
「噂ではさぁ。倒れ込む生徒をどさくさに紛れて、抱きしめた生徒がいるって聞いたんだけどぉ」
「それってホント?誰だかわかる?」
なんだろう、目が全然笑ってない。あとその目で教室を見渡すのはやめて欲しい。みんな脅えてるし、なんなら、また僕の評判が落ちている気がする。
「さぁ、僕はその現場に居合わせなかったので・・・」
「そっかぁ〜。、まぁ見てないなら仕方ないかぁ」
「そんな不届きな輩がいたら、ビシッと1発かましておかないとって思ったんだけどね!」
空手チョップの真似をする葵先輩には悪いが、たとえそのチョップを食らっても、痛くなさそうというか、帰って嬉し恥ずかしなむず痒さが残りそうというか。
「それで返り討ちにあったりしてねぇ」
「それな!でもそん時はヨシリンに何とかしてもらえばいいっしょ!」
「他人の喧嘩には首を突っ込むな、と言うのが恋崎家の家訓なので」
「何それウケる!」
「可愛い先輩が困ってるのに、それ酷くなぁい」
「可愛い後輩を喧嘩に巻き込む方が酷いと思うのですが」
「ん〜ヨシリンはギリ可愛くないからセーフってことでぇ」
「確かにギリ可愛くないかも!ウケる!」
「いや、ウケませんって」
なんだかいつも通り過ぎる2人を見てると、こちらの気も抜けてくる。どの道今は何もできない。何もできないなら、気にしすぎる必要な無い。そう、僕はそんな無駄なことはしないのだ。