遺産で引き継いだSPメイドたちがヤバ過ぎる!〜最強のSPメイドたちに愛された男の絶望〜   作:最高司祭アドミニストレータ

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あの日の俺を全力で殴りたい

「──以上が、先代からの遺言信託契約の全容となります」

 

 

 重厚なマホガニーのデスク越し。初老の弁護士が厳粛な面持ちで、分厚い書類を差し出した。

 都心の一等地にそびえ立つ、要塞のごとき広大な大豪邸。その中枢である執務室は、重苦しい静寂に包まれている。

 二十二歳にして四十万家の当主となった四十万慧は、上質な仕立てのスーツに身を包みながらも、ひっそりと頭を抱えていた。

 

 彼の視線の先には、書類の冒頭に記された、極太の筆文字がある。

 

 

『いいか慧。大富豪たる者、屋敷にはSPメイドじゃ。ロマンあって最高じゃろ? あとの事は任せたぞ!』

 

 

 慧は内心で毒づいた。ふざけたクソジジイだ、と。

 

 祖父・四十万鉄蔵。

 一代で莫大な富と権力を築き上げた伝説の投資家。

 

 英国製のスリーピーススーツを隙なく着こなす完璧な大富豪でありながら、その人生のモチベーションのすべては「己のサブカルチャー的ロマン」を現実世界で実現することにあった。

 

 極めて業の深い、狂気のオタクである。

 

 

「本来、ご両親がご健在であれば、慧様がこれほど早く当主の重責を背負う必要はなかったのですが…」

 

 

 初老の弁護士が、ひどく痛ましそうな顔で目を伏せた。

 

 

「十七年前。ご両親は旅行先の南国のプライベートビーチにて、『砂浜の両端から全力で駆け寄って抱き合う』という恋愛ドラマの真似事を敢行なされました」

「…ええ、聞いています」

「お二人は互いの瞳に完全に酔いしれるあまり、一切のブレーキをかけることなくフルスプリントで疾走。そのまま一切の減速なしで、顔面から完璧な正面衝突を果たしました」

「……」

「凄まじい衝撃により空中で意識を刈り取られ、気絶。そのまま水深五センチの波打ち際へ顔から倒れ込み、誰にも気づかれず揃って溺死なされたことは…長年四十万家にお仕えした私としても、痛恨の極みです」

 

 

 慧は深々とため息をついた。あまりにもマヌケすぎる最期だ。

 サブカルのロマンを押し付けてくる狂人の祖父。そして、恋愛ドラマごっこに夢中になって水深五センチで溺死した両親。

 

 幼い慧は、その血筋の異常性を誰よりも正しく理解していた。自分だけは、絶対にこの狂った血の轍を踏んではいけない。普通に、ただ普通に生きるんだ。

 

 誰にも邪魔されない平穏な日々を送る、極めて真っ当な常識人。それが慧の唯一の目標だった。

 その代償として祖父の莫大な遺産が、今こうして孫である慧にすべて丸投げされようとしている。

 

 しかも、ただの遺産相続ではない。絶対条件があった。

 それは『祖父が莫大な財力と人脈を注ぎ込んで選び抜いた三人のSPメイドを、慧の専属として雇用し続けること』。

 

 自己都合で彼女たちを解雇した場合、即座に全財産および邸宅の所有権を没収する。

 初老の弁護士たちが徹底的に練り上げた、法律の抜け穴を完全に塞ぐ悪魔のような契約だった。

 

 

「四十万様。彼女たちが、これからお仕えする者たちです」

 

 

 弁護士の合図で、執務室の重厚なドアが静かに開いた。

 

 先頭に立って入室してきたのは、シニヨンに髪を綺麗にまとめた女性だった。

 足首まであるクラシカルなロングスカートのメイド服。乱れ一つない完璧な佇まいだ。

 

 

「先代よりお仕えしておりました、メイド長の橘結衣と申します。家事全般と、屋敷の経理はお任せください」

 

 

 穏やかで常識的な結衣の挨拶に、慧はホッと肩の力を抜いた。

 なんだ。ちゃんとしたプロのメイドじゃないか。

 

 過労ゆえか、彼女の目元にうっすらとクマがあることには気づかなかったが、慧の目には彼女が「平穏の象徴」のように見えた。

 結衣に促されるようにして、後ろに控えていた三人の美しい少女たちが一歩前に出た。

 

 

「庭園管理と重量物運搬担当、天音ひまりです! 旦那様のためなら、何トンの庭石でも笑って退かしてみせます!」

 

 

 腰まで届くゆるふわのハニーブロンド。庇護欲をそそるような笑顔。フリル付きのメイド服の足元には、なぜか頑丈なワークブーツを履いている。

 

 

「専属運転手兼、フロントドア近接警護の炎堂瑠璃。アンタに近づく害虫は、アタシが全部潰してあげるわ」

 

 

 情熱的な真紅のポニーテール。勝気なつり目。深いスリットの入ったタイトなスカートに、踏み込みに最適化されたフラットな革靴。武闘家のような鋭い殺気を纏っている。

 

 

「毒味係および内部セキュリティ担当、氷川セツナ。これより、死角からの監視を実行します」

 

 

 雪のような白い肌。光を反射しない漆黒のボブヘア。精巧なビスクドールのような無表情の少女が、抑揚のない冷たい声で宣告する。

 慧は彼女たちを一瞥し、心の中で少しだけ苦笑した。

 

 

(何トンの庭石に、害虫を潰す、死角からの監視…頼もしいというか、ちょっと言葉のチョイスが中二病じみているな)

 

 

 もっと裏社会の荒くれ者や、筋骨隆々の傭兵でも押し付けられるのかと想像していた。だが目の前にいるのは、どこからどう見ても洗練された可憐な少女たちだ。

 きっと祖父の趣味で作られた『SPメイド』という痛々しいコンセプトに、わざわざ役作りをして合わせてくれているのだろう。メイドも大変な職業だ。

 

 慧は確信した。これで俺の平穏な日常は守られた、と。

 少しだけ口元を綻ばせながら、高級な万年筆を走らせる。遺産相続の同意書に、スラスラと自分の名前を書き込んだ。

 

 書類を受け取った初老の弁護士が、なぜかひどく同情的な、まるで死地に赴く兵士を見送るような目で慧を見ていたことなど、その時はまったく気にも留めなかったのである。

 

 

 

 ──翌日。

 

 屋敷での新生活が始まった記念すべき最初の朝。

 慧は高級シルクのルームウェアを纏い、ダイニングルームの椅子に深く腰掛けていた。至福の吐息が漏れる。

 

 窓から差し込む穏やかな朝の光。

 平和すぎる現代日本。

 

 狂った血筋を反面教師にしてきた慧の目標はただ一つ。

 真っ当な常識人として、美味しいコーヒーを飲みながら静かに相場を眺める。ただそれだけのささやかな幸せを享受することだ。

 

 

「旦那様、コーヒーと、今月の屋敷の予算簿をお持ちしました」

 

 

 メイド長・結衣の落ち着いた声。アンティークのカップと分厚いファイルが、静かにテーブルへ置かれる。

 芳醇な香りを放つ、至高のブルーマウンテン。慧の口角が自然と上がる。完璧な朝だ。

 慧はカップの取っ手へ、ゆっくりと手を伸ばした。

 

 

「──お待ちください。毒物検査をします」

 

 

 ふいに出現した青白い手が、慧の動きをピタリと制止した。

 息を呑む。いつの間にか、呼吸音はおろか衣擦れの音すら立てずに、背後に『毒味係』のセツナが立っていた。

 

 無表情のセツナは、メイド服のスカートの裏地からスッとスポイトを取り出した。そして、カップの中に謎の化学試薬を数滴垂らす。

 

 ポタポタと落ちた透明な液体。

 次の瞬間、優雅なブルーマウンテンは一瞬にして毒々しい蛍光パープルへと変色し、シュワシュワと不気味な気泡を立て始めた。

 

 

「なっ!? おま、何をして…っ」

 

 

 ズガアアァァァンッ!! 

 

 

「ひやぁっ!?」

 

 

 慧が抗議の声を上げるより早く、結衣が短い悲鳴を上げた。

 窓の外から、局地的な地震を思わせる凄まじい轟音が響き渡る。ダイニングの特注ガラスが、ビリビリと悲鳴を上げて震えた。

 

 

「な、何事だ!?」

 

 

 慧は弾かれたように椅子から立ち上がり、音のした正面玄関の方へと駆け出した。

 

 

「だ、旦那様、危険です! また何かが壊れましたぁっ!」

 

 

 結衣もテーブルの予算簿を胸に抱え込み、半泣きになりながら慧の背中を追ってくる。

 

 エントランスの重厚な扉を開け放つ。

 そこには、慧の常識を根底から粉砕する光景が広がっていた。

 

 

「旦那様! 正門の電子ロックの反応が0.5秒遅かったので、素手で開けときましたーっ!」

 

 

 数十メートル先の庭。もうもうと舞い上がる土埃の中、『庭園管理担当』のひまりが満面の笑みでこちらに手を振っている。彼女の足元には、隕石でも落ちたかのような巨大なクレーターが穿たれていた。

 その横には、ひしゃげて千切れた特注の強固なチタン製門扉が、まるでただのアルミホイルのように丸められて転がっている。

 

 重機もなしに、女の細腕一つで。

 

 

「ひま、り? お前、その門扉をどうやって…」

「動くな。それ以上抜けば腕を折るぞ」

 

 

 呆然とする慧の耳に、すぐ近くから声が届いた。

 低く冷たい、氷のような殺気を孕んだ声。

 

 視線を落とす。玄関ポーチの端で、『近接警護担当』の瑠璃が、宅配業者の制服を着た男を地面に完璧に組み伏せていた。

 

 男の腕は、恐ろしいほど正確な関節技で極め上げられている。

 対象の骨や筋を一切傷つけず、ただ圧倒的な死の恐怖だけを与える、プロフェッショナルな不殺の制圧術だ。

 

 男の震える手のすぐ先。そこには、配達用のバインダーと、一本のボールペンが転がっている。

 

 …おそらく、慧への受領サインを求めて胸ポケットからペンを出そうとした瞬間、「暗器を取り出す挙動」と自動的に認識されて制圧されたのだ。

 配達員の男は完全に涙目になり、小刻みに震え上がっていた。

 

 

「だ、旦那様…っ。特注の門扉の修繕費と、宅配業者さんへの手厚い慰謝料で、今月の『屋敷の維持予算』がもう限界ですぅ…っ」

 

 

 一緒に玄関まで追ってきていた結衣が、胸に抱えた予算簿をギュッと抱きしめたまま、慧の隣で力なく崩れ落ちた。

 

 慧が相続した資産は莫大だが、信託銀行の厳格な管理下にある。屋敷の運営費は毎月決められた「予算」だ。

 

 超過した場合、慧の個人的な投資資金を削るか、あるいは結衣が『メイドが素手でチタン製の門扉を粉砕した理由』という狂気の報告書を提出し、追加予算を申請しなければならない。

 

 慧にとって数十万、数百万という金がたった一朝で瓦礫や示談金へと消えていく現実は、精神を削り取る拷問に等しかった。

 それは結衣とて同じだ。

 

 

(マフィアの抗争など存在しない平和な現代日本で、なぜ門扉を定期的に買い替えなければならないんだ…! 昨日のあいつらの自己紹介、比喩でも役作りでもなく、全部マジだったのかよ!)

 

 

 意味不明な破壊行為。無駄に消えていく金。

 SPメイドは実在したのだ。しかも、完全にオーバースペックの異常者として。

 解雇すれば即座に全財産没収。彼女たちが引き起こす破壊行為は、契約書上では「究極の忠誠と警護の証」とみなされるため、正当な解雇事由には一切ならない。

 

 

「大丈夫だ、結衣さん。足りない分は俺のポケットマネーから出すし、君の特別ボーナスも弾むから…頼むから、絶対に辞めないでくれよ…っ」

 

 

 崩れ落ちる結衣の肩を支えながら、慧は空を仰いだ。

 青く澄み渡る、美しい朝の空。

 可愛い女の子たちだと安心し、「これで平穏な日常が約束された」と思い込んで、同意書に笑顔でサインをした昨日の自分。

 

 慧は今すぐ時間を遡り、あの日の俺を全力で殴り飛ばしたかったと溜息を漏らした。




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