浪人転生   作:煮卵ん

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プロローグ

——3月10日、12時0分。

今年もまた、この季節がやってきた。

 

T大の合格発表だ。

 

七回目だ。いい加減、慣れても良さそうなものだが、やっぱり心臓がうるさい。

 

小刻みに震える指を動かし、画面にある「合否照会」の文字をタップする。一筋の、本当にちっぽけな希望を抱きながら。

 

画面いっぱいに表示されたのは、見慣れた「不合格」の三文字だった。

 

「……今年も、ダメか」

 

心のどこかでは分かっていた。T大なんて目標、何年かけたところで、俺の頭じゃ無理難題なんだってことは。

 

だけど、その残酷な現実に気づいた時には、すでに七浪目。

 

引き返すには、あまりにも遅すぎた。

 

今更、滑り止めの大学に行くなんて、俺の無駄に肥大化したプライドが許さなかった。

 

「……また、来年だな」

 

とりあえず八浪目の意思を伝えるため、俺は両親の部屋へ向かう。

 

一浪を決意したあの頃、あんなにも重く感じられた床を歩く足取りが、今では嘘のように軽い。感覚が麻痺しているんだろう。

 

「俺、今年もダメだった。もう一年頑張るわ」

 

それだけを言い、いつものようにそのまま部屋に戻ろうとした。

 

いつもなら、ここで「そう、頑張りなさい」とすんなり了承されるはずだった。

 

だけど、今回の親の反応は違った。

 

「光……もう、そろそろやめにしないか。ここらで就職しといた方が、お前にとっても良いはずだ」

 

父の声は、どこか優しかった。

 

だけど、ここまで来た俺にはその気遣いを汲み取る余裕なんてない。激昂して、言葉を被せた。

 

「T大を諦めろって言うのかよ!? そんなバカな話があるか! T大に行かなきゃ意味ねぇんだよ!! もう一年だ! あと一年だけくれ! 次は絶対受かるから!」

 

「そうか……」

 

両親の顔が一気に曇る。

 

まるで、もう救えない人間を見るかのような目だった。

 

「正直、これ以上お前を養うことはできないんだ……。もう俺たちの生活も、カツカツなんだよ」

 

「つ、つまり、何が言いたいんだよ……?」

 

言葉に詰まる父の代わりに、母が重い口を開いた。

 

「光……もう、あなたをこの家に置いておくことはできないの」

 

衝撃で、視界がぐにゃりと歪んだ。

 

「一体何を言って…」

 

突然のことに頭が追いつかない間にも、二人は淡々と、俺の荷造りを進めていく。

 

一応、丸裸で放り出すほどの無情さはなかったらしい。

 

「ここに一万円を入れておいたから……大事に使いなさい……」

 

矢継ぎ早に玄関口まで追いやられる。

 

今までどんな我が儘を言っても、最終的には許してくれた両親だ。今回も最後には「嘘だよ」と笑ってくれるんじゃないか。そんな淡い期待を、俺はまだ抱いていた。

 

だけど、靴を履く俺を見つめる両親の目は、完全に冷めきっていた。

 

あぁ、もう取り返しがつかないんだな、とひしひしと伝わってきた。

 

ドアを開ける。

 

外は既に真っ暗で、3月だというのに雪がまばらに降っていた。

 

重い足取りで歩き始める。

 

少し歩いてから、なんとなく後ろを振り返ってみた。

 

そこには、真顔でこちらを見つめる両親の姿があった。

 

——あぁ、もう俺は何にも期待されていないんだな。

 

「……勝手にしろよ。勿体無いことをしたな、あいつらは。あと一年あれば、俺はT大に受かるっていうのに……」

 

不貞腐れたように呟く。そうでも言わなきゃ、惨めさで心が壊れそうだった。

 

結局、あいつらも俺を見捨てるんだ。誰も、俺のことなんて信じちゃくれない。

 

「……まぁ、ひとまず近くのネカフェでも行って夜を明かすか」

 

ゆっくりと暗闇の中を進む。

 

疎らに聞こえてくる人の話し声が、今では自分を嘲っているようにしか聞こえなかった。

 

「……うるせぇな」

 

俺は、ポケットからイヤホンを取り出して耳に押し込んだ。特にこれといって聴く曲もないのだが、とにかく外界の音が耳障りで、遮断したかった。

 

しばらくして、ネカフェのある中心街に近づいてきた。

 

灯りが増えるにつれて、皮肉にも雪の存在感が鮮明になっていく。

 

真冬のような乾燥した冷たい空気が、肌を容赦なく突き刺す。

 

まるで、これからの俺の厳しい人生を予兆しているかのようだった。

 

「にしても……雪が綺麗だ……」

 

現実から逃げるように、そんな感傷に浸っていた、その刹那。

 

俺の身体が、いきなり眩い光に照らされた。

 

夜遅くの静寂を、甲高い轟音が切り裂く。

 

「危ないっっ!!!」

 

目を見開きながら、トラックの運転手が叫ぶ。

 

凄まじいブレーキ音が鳴り響く中、俺は必死にその場から離れようとした。

 

だけど、ずっと勉強ばかりで引きこもっていた俺の肉体が、そんな急な運動に追いつくはずもない。

 

俺の身体は無残にも、大きなトラックの下敷きになった。

 

「ぐっ………………っ!」

 

痛い。

 

今まで生きてきて、経験したことがないほどの激しい痛みが身体中を暴れ回る。

 

動こうにも、指一本すら動かせない。

 

俺は、もう助からないのか。

 

息が、できない。

 

死が急速に迫ってくる。本能的な死への恐怖がみるみる湧き出してくる。

 

肺が酸素を求めて、引き裂かれそうな悲鳴を上げているのが分かった。

 

徐々にぼやけていく視界の中で、どこからか多くの人が集まってくるのが見える。

 

彼らの絶望したような顔を見て、俺の命がもう終わるのだということは確信に変わった。

 

その時、俺の心の中に、ふっとある言葉が浮かんだ。

 

(これで……逃げられる。やっと……やっとだ……)

 

自分でも驚くほど、素直な言葉だった。

 

普通なら「死にたくない」と願う場面だろうに。

 

だけど、それは間違いなく俺の本心だった。

 

これでもう、あの終わりのない受験地獄から、誰の期待からも逃げられるんだ。

 

そう思った瞬間、不思議と肌を切り裂くようだった冷気が暖かく感じられ、どこか心地よい気分にさえなってきた。冷たいアスファルトの上なのに、まるでベッドの中にいるように暖かく、安らぎを感じた。

 

「これで、良いんだ……これで……」

 

声にならない声を、最後に一つだけ零す。

 

次第に、視界は完全な黒へと染まっていく。

 

俺の意識は、深い海の底へと沈んでいった。

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