——あれから、半年くらいが経っただろうか。
俺はほんの少しだけ、自分の身の回りの状況を理解し始めていた。
まず、俺のこの世界での新たな名前。
ヴェレス・グレイラット。
……うん、なかなかいい響きじゃないか。
前世で「アレクサンダー」とか、そういう類の格好いい名前に密かな憧れを持っていた俺にとって、このカタカナの外国人ネームというのは正直、激アツだった。
ちなみに、普段は基本的に「ヴェル」という愛称で呼ばれている。
そして、俺の命の恩人たち。今の俺は彼らに引き取られた身だから、養親とでも言うのだろうか。彼らの人となりも、段々と分かってきた。
まず、養父。名前はパウロ・グレイラット。
おそらくこの家の大黒柱といった立ち位置だ。第一印象の通り、凄まじい筋肉ボディの持ち主である。
次に、養母。名前はゼニス・グレイラット。
俺の主な世話は、彼女がしてくれている。最近は、夜に彼女がしてくれる絵本の読み聞かせを通して、俺もこの世界の言語を少しずつ理解できるようになってきた。本当にありがたい存在だ。
そして驚くべきことに、この家にはメイドがいた。名前はリーリャ。
ゼニスと共に、俺の身の回りの世話をしてくれている。
にしても、個人の家にメイドがいるなんて、俺はよっぽど裕福な家庭に転生したんじゃないだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、俺は二度目の幼少期を過ごしていた。
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それから、あっという間に一年半の月日が流れた。
この二年という歳月は、俺に様々なことを体験させた。
まず、俺に義弟が生まれた。パウロとゼニスの間に生まれた、本当の実の子だ。
名前は、ルーデウスというらしい。
生まれたルーデウスは、パウロとゼニスの二人に実によく似ていた。
——それが、どこか養子である自分自身への、奇妙な疎外感を刺激した。
血の繋がっていない俺は、本物の子供であるルーデウスが生まれたことにより、これからは扱いが雑になるんじゃないか。最悪の場合、あの前世の時のように、また家を追い出されるのではないか……と、内心ものすごく身構えていた。
前世の親にあっさりと見捨てられた俺だ。他人の善意なんて、そう長く続くはずがない。そう信じ込むことで、傷つく先回りをしていた。
だが、俺の予想は裏切られた。
ルーデウスが生まれても、俺は「ルーデウスの兄」として、家族として、以前と全く変わらない平等の愛を注がれ続けたのだ。
——あぁ、よかった……。まだ、捨てられないんだな
俺は心の底から、うっすらとした、けれど確かな安堵感を感じていた。
それと同時に、この実の子でもない俺を無条件で愛してくれる二人に対して、前世では決して抱かなかった、深い、深い恩義のようなものが胸に芽生え始めていた。
この一年半の中での発見は、それだけじゃない。
それは、ある日のことだった。
俺は、ルーデウスと一緒に家の窓から見えるのどかな田園風景を眺めるのが日課になっており、いつものように小さな身体で椅子に座っていた。
窓の向こうでは、パウロが剣の鍛錬をしている。俺はその光景を見て、おそらく自分は中世のヨーロッパあたりに転生したのだろうと、ほぼほぼ断定していた。
その隣で、俺よりもさらに身体の小さなルーデウスが、必死に椅子の上によじ登ろうとしていた。
——俺が外の景色に気を取られていた、その時だった。
ルーデウスがバランスを崩し、一気に椅子から滑り落ちて、後頭部から床へひっくり返ってしまった。
ドン、と鈍い音が響く。
俺は急いで手を伸ばして支えようとした。だが、あいにくこの赤ん坊の短い手じゃ、間に合うはずもなかった。
ルーデウスの身体にはこれといった外傷は見られなかったが、ほんのり赤みがかった足とその顔の表情から、相当痛かったことが容易に伝わった。
慌てて俺がどうしようかと部屋の隅々を見回した瞬間、鋭い悲鳴が聞こえた。
「キャア!」
振り返ると、ゼニスが洗濯物を取り落とし、口に手を当てて真っ青な顔でルーデウスを見ていた。
「ルディ! 大丈夫なの!?」
ゼニスは慌てて駆け寄ってくると、ルーデウスをきつく抱き上げた。
注意深くルーデウスの頭を確認し、そこにそっと手を当てる。
「念のため……。
神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん。
『ヒーリング』」
確かに、前世の日本にも「痛いの痛いの飛んでいけ」というおまじないがあった。だから、外国にもそういう似たような文化があるのは普通のことだ。
……そう思ったが、おまじないにしてはやけに堅苦しく、そして妙にゲームの技名っぽさが強かった。
——だが、俺はそれが単なるおまじないでないことに、すぐに気付かされる。
ゼニスの手が、淡く光った。
そう思ったのも束の間、ルーデウスの痛みが、一瞬できれいに引いていくのが分かった。
俺の思考回路は、あまりにも理解し難い目の前の状況に、完全にフリーズした。
何故、ゼニスは今のおまじないのような言葉で、ルーデウスの傷を治せたんだ……?
……魔法か?
いやいや、待て。魔法なんてファンタジーの技術が、現実に存在するはずがない。
……いや、ちょっと待てよ。
そもそも、ここが本当に「地球のヨーロッパ」であるという確証なんて、どこにある?
そして、俺の頭の中に、一つの狂った結論が浮かび上がった。
ここは地球じゃない。異世界だ。
——それは、転生してからの俺にとって、完全な盲点だった。