学院ネクロマンサ- 作:オリーブの実
第3958号大墳墓──中層
「んっ……はっ」
ひゅっ、と空気を裂く音。
続いて、硬い金属が石床へ跳ねる甲高い音が響く。
ひゅっ。からん。
ひゅひゅっ。から、からん。
壁に穿たれた無数の小さな穴から、休む間もなく針が射出されている。その真ん中を、イポメア先輩は身体を僅かに傾け、首を捻り、ときには一歩だけ後ろへ退きながら進んでいた。
決して、大きく跳んだり、派手に身を翻したりはしていない。迫る針をほんの僅かに首を傾けて躱し、次の一本には半歩だけ身体をずらす。頬すれすれを針が通り過ぎても、先輩は表情一つ変えず、必要最低限の動きだけで躱していく。
すごい。すごいのだが、見ているこっちの方が怖かった。あっ、針掠らなかった? ……いや、大丈夫か……怖い。
「よ……っと」
最後の一本がイポメア先輩の鼻先を掠め、針が床へと落ちた。からんと乾いた音だけが響く。
しばらく待つが、もう何も飛んでこない。
「ん……多分、今ので最後」
「お疲れ様でした、ニルさん」
アリッサム先輩は、足元に散らばった大量の針を眺めながら呟いた。
「しかし、中層域に入ってから急に殺意を見せ始めましたねぇ、ここ」
私も同感だった。浅層では、罠という罠もなければ、先生が言っていたように、魔獣が居ついていたりも特にしなかった。せいぜい、バーグラーが居たくらいか。
それが中層へ降りてからというもの、踏めば槍が飛び出す床、足を乗せると崩れる石橋、壁から噴き出すよく分からない液体。そして今度は、通路を埋め尽くすほどの針。
ちょっと勘弁してほしいくらいの罠の数と種類だ。
「これ……本当に、先遣隊が安全を確認した場所なんですよね?」
「安全ですよ?」
アリッサム先輩が即答する。私は床一面に散らばる針を見た。
一本拾ってみようとは思わなかった。だって、先端が明らかに嫌な色をしてるし……絶対まずいやつだよね、これ。
「……安全?」
「罠があると分かっている罠は、罠ではありません」
「わかっているのなら解除しておいて欲しかったのですが……」
「派遣にそこまで求めるのは酷でしょう」
「えっ! 派遣なんですか!? 先遣隊なのに!?」
「安全かもわからない場所には、まず肉盾を送りません?」
「倫理観……」
「そんなものでしょう。人手不足なんですよ、どこも。今、私たちがここにいるのだって、『学外学修』なんて言ってはいますけど、学生という人手を使いたいだけの方便でしょうし」
「…………」
言われてみれば、否定できる材料が何もなかった。
必修だからと、学院の生徒のほぼ全員が遺跡調査へ駆り出されている。それも一か所ではない。ここを含めて、四か所もの遺跡にだ。
私はてっきり、授業だからこれだけ大規模に人を動かしているのだと思っていたけれど……もしかして私たち、普通に労働力として数えられてる?
「……お給料は?」
「ここで得た経験が給料ですが」
「倫理観……」
「さっき聞きましたよ、それ」
「毒、塗ってあった」
いつの間に戻ってきたのか、イポメア先輩が一本の針を摘まみ上げてやってきた。
その姿に、珍しい虫でも捕まえてきた子供の姿が重なる。いや、そんな気楽に触っていいものじゃないでしょうそれ。
「……それ、素手で持って大丈夫なんですか?」
「でも……古いから、弱くなってる」
「ニルさん、そんなのポイしなさい! ポイ!」
「刺さらなければ、どうという、ことではない」
そう言って、先輩は針をくるりと指先で回した。
危機感ないなぁ……この人。
「そういう問題ではないでしょう!」
「力押しな、罠解除を提案した人の言葉じゃ、ない⋯⋯」
「それとこれとは話が別です」
「どう、別?」
「私は安全を確認した上で、最も効率のいい方法を提案したんです」
「それが、針がなくなるまで⋯⋯わたしに避けさせること?」
「遺跡ごとぶっ壊そうとした貴女よりはマシでは?」
「……確実」
「確実でしょうねぇ! 崩落や調査という概念を捨て去れば!」
どうやら、私の知らないところで、もっと恐ろしい案が出ていたらしい。
「あの……遺跡ごとって、どういうことですか?」
「そのままの意味ですよ。『罠があるなら、この辺りをまとめて崩せばいい』と」
「崩せば、罠も、なくなる」
「通路もなくなるでしょうが」
「掘れば、いい」
「そういう問題じゃねーんですよ!」
アリッサム先輩が声を荒らげる。
イポメア先輩は、何を怒られているのか分からないとでも言いたげに首を傾げていた。
「私の死体にやらせればよかったのに⋯⋯」
そんな二人を横目に、ヴァーナレクさんがぽつりと呟いた。
「あっ。その手がありましたか」
「天才」
アリッサム先輩はパチンと指を鳴らし、イポメア先輩は手をぽんと叩いた。
二人とも、心の底から感心しているようだった。
「いや、名案なんですか……?」
「だって、罠は消耗させられて、遺跡は壊さない。それに誰も怪我をしない。完璧じゃないですか」
「あの⋯⋯死者の尊厳とか⋯⋯」
「死霊術で操られてる時点で、今更でしょう」
そうかな? そうかも⋯⋯。
「では次から、それで行きましょうか」
「賛成」
「私も」
あっという間に方針が決まってしまった。
私は何も言っていないのに……この班、私以外の三人だけで話を進めると、とんでもない結論へ着地する気がしてきたな⋯⋯。
◇◇◇
「さて、もうすぐ着く広間が、中層域で一番広い場所になります」
先頭を歩くアリッサム先輩が、地図へ視線を落としながら言った。
「もしかしたら、他班もいるかもしれませんね」
「本当ですか?」
思わず、少しだけ声が弾んだ。
別にこの班が嫌なわけではない。そう。決して、嫌なわけではない。ただそろそろ、普通の人と話をしたいだけで。
「この辺りは複数の経路が合流していますからねぇ。別の入口から入った班が、同じ広間へ辿り着く可能性は十分ありますよ」
「休憩してるかも、しれない」
「それなら好都合ですね。一度、他班と情報交換しておきましょうか」
「賛成です」
今度は私も、心から賛成だった。
「……?」
ヴァーナレクさんが、なぜか私を見る。
「どうしました?」
「さっきより、返事が早い」
「気のせいです」
気のせいということにしておいてほしい。そうしてさらにしばらく進むと、それまで私たちを挟み込んでいた左右の石壁が途切れ、視界が一気に開けた。
その瞬間。足元で、ガコン、と。どう考えても聞きたくなかった音がした。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
四人同時に、顔を見合わせる。
「参考までに聞くんですけど、何の音だと思います?」
アリッサム先輩がそう言った、直後だった。
ガシャンッ! 石床の隙間から何本もの鉄格子が飛び出し、瞬く間に私たち四人を囲む。
「…………」
「答え、すぐ出たね。閉じ込められちゃった……」
「呑気なこと言ってないで、どーすんですかこれ!? マジやべーですよこれ!?」
アリッサム先輩が鉄格子を掴み、力任せに揺さぶるも、びくともしない。
「……なにか、揺れてませんか?」
足の裏から、微かな振動が伝わってくる。
「音もする」
ヴァーナレクさんの言う通りだった。
ゴゴゴゴゴ……という低い音。
石と石が擦れ合うような、腹の底に響く重たい音が、徐々に大きくなっていく。
「これ以上なにするってんですか!? 籠の中の鳥ですよ私たち!」
「……鳥?」
「比喩ですよ!」
次の瞬間。
「おろ?」
「えっ」
「⋯⋯」
「ん」
浮遊感。
「最っ悪です」
「⋯⋯お空を飛んでるみたい」
「どちらかと言えば、落ちてる」
「お父さん。お母さん。先立つ不幸をお許しください⋯⋯」
身体が浮く。髪も、服も、荷物も、全部が上へ引っ張られているような感覚。
耳元では風がごうごうと唸り、息をするたび、冷たい空気が喉の奥へ叩き込まれる。下を見ても、何も見えない。携帯灯の光は暗闇の途中で呑み込まれ、底らしきものは影すら見えなかった。
つまり。私たちは今、どこまで続いているのかも分からない縦穴を、ものすごい勢いで落ちているのだ。
「制作者、バッカなんじゃないですか!? バーカバ──ーカ!! 墓に罠なんて仕掛けんじゃないってんですよ!!!」
そんな状況で、アリッサム先輩が突然叫び出した。風の音に負けじと張り上げられた罵声が、暗い縦穴の中へ虚しく吸い込まれていく。
「先輩が壊れた⋯⋯」
「アレ? イポメア先輩ってば今気がついたんですか? この人、元から壊れてますよ」
「恐怖が一周回ったのか何なのか知りませんが、この後輩、今すっごい毒吐きましたね。生還出来たら覚えておいてくださいな」
怒られた。でも、不思議と何も感じなかった。アハハハ。もうどーにでもなーれ。私は無敵! もう何も怖くない!
そうして私が無敵の人になっていた、その時。ぐいっ、と。突然、何かに身体を掴まれたような感覚がした。
「ぐぇっ!?」
直後、身体が上へ引っ張られた。服越しに、脇腹へ食い込む硬い感触する。
間違いない。私は今、何かに掴まれている。そして恐る恐る、顔を上げて正体を確認した。
「……え?」
頭上にいたのは、四体の鳥の魔獣だった。
大きく翼を広げたそれらが、それぞれ一人ずつ、私たちの身体をその脚で掴んでいる。
ばさり。ばさりと巨大な翼が羽ばたくたび、落下速度がさらに緩んでいく。
「鳥……?」
というか、この鳥なんか⋯⋯。
「臭い」
「あっ! 空気を呼んで言わなかった事を! なんでいつも言っちゃうですか! あーたは!?」
「……仕方ない。見た目はある程度繕えるけど、腐臭はちょっと難しい」
「繕える……?」
その言葉に、私は改めて私を掴んでいる鳥を見上げた。
大きな翼。びっしりと生え揃った羽毛。力強く私の身体を掴む脚。一見すれば、どこにでも……いや、こんなのがどこにでもいてたまるものか。
ともかく、生きた魔獣にしか見えない。けれど、よくよく見てみれば羽毛の隙間から覗く皮膚は、妙に青白く、瞬きもしない目は、薄く濁っていた。そして何よりも、臭い。
鼻の奥にこびりついて離れない、妙に甘ったるい匂い。どこか生臭く、それでいて腐った果実のような甘さが混じった、嗅いでいるだけで胸の奥がむかむかしてくる、しかしなぜだか癖になるような、そんな匂い。
「……もしかして、これ」
「死体」
「やっぱり!」
「私の」
「所有物みたいに言わないでください!」
「所有物だけど?」
「そうでしたね!」
もう嫌だ。死体に掴まれて空を飛んでいる。いや、飛んでいるという表現も正しくない。私たちは今なお落下中で、その速度を死んだ鳥に殺してもらっているだけだ。
「でも、助かりました」
アリッサム先輩が心底安堵した声を漏らす。
「ヴァーナレクさん……いいえ、サリエリさん。あなたは命の恩人です。イアソルさんとの披露宴では、最前列の席をご用意しますよ。それと、友人代表のスピーチもお願いします」
「いらない」
「なんとぉ!?」
「⋯⋯ところで、これ上に戻れる?」
「無理。この広さだと、速度を殺せる程度の大きさの子しか出せない。それに……上、閉まってる」
言われて見上げる。
さっきまで私たちが落ちてきたはずの場所には、もう暗い石の天井しか見えなかった。
「……本当だ」
「じゃあ、つまり?」
「下まで行くしかない」
「ですよねぇ……」
アリッサム先輩が、ものすごく嫌そうな顔をした。
私も同じ気持ちだった。死なずに済んだ。それは、とても嬉しい。嬉しいのだけれど……。
「とりあえず、イアソルさんに連絡は入れておきましょう。予定経路から完全に外れましたし⋯⋯これじゃあ地図も使い物になりませんし」
アリッサム先輩はそう言うと、連絡を始めた。
「あっ♡ イアソルさん♡ あなたのカメリアです♡」
うわ⋯⋯キッツ。他人の猫撫で声ってこんなにキツイんだ⋯⋯。
一拍。
「あっ、待って。切らないでください。これ結構マジの用事なので」
切られかけたらしい。
「……はい。……はい。……すいませんでした。……はい」
何を言われているのかは聞こえない。けれど、さっきまであれだけ浮かれていたアリッサム先輩が、どんどん神妙な顔になっていく。
「……はい。現在、中層域の広間。正確には、その出入り口付近で罠に引っかかりまして。床が抜けました」
少し間。
「いえ、ふざけてません」
また少し間。
「本当に落ちてる最中です」
さらに間。
「だからマジの用事だって言ったじゃないですかぁ!」
アリッサム先輩が、半ば悲鳴のような声を上げる。
しばらく相手の言葉に耳を傾けたあと、先輩は一度だけ大きく息を吐いた。どうやら、ようやく信じてもらえたらしい。
「ええ。落下自体は今は問題ありません。サリエリさんが同じ班で助かりましたね。本当」
そう言って、私たちを掴んで羽ばたく鳥たちへ視線を向ける。さっきまで恐ろしい勢いで流れていた壁面も、今ではゆっくりと上へ遠ざかっていく程度になっていた。
「現在地も落ちる場所もわかりませんが、こうして連絡を入れておこうと。はい。……そうですねぇ」
今度は、随分と長い間があった。アリッサム先輩は、ときおり「はい」と短く相槌を打ちながら、何度か上と下を見比べる。
やがて、何かを尋ねられたらしい。少し考えるように目を細めた。
「⋯⋯⋯⋯正確ではないですけど、落下してからだいたい15秒くらいの段階でサリエリさんに助けられたので、その時点で⋯⋯630m前後でしょうか」
聞かなければよかった。
数字にされると、急に洒落にならなくなった気がする。
「ええ、まだまだ落ちますよ。底、見えませんもん」
アリッサム先輩が下を覗き込む。
私も、つられて見た。
暗い。ただひたすらに、暗い。
「少なくとも、深層域は余裕で突入しちゃいますね。……マジでどうしましょうか」
少し間。
「……はい」
今度は、さっきまでとは違った。
アリッサム先輩の表情から、ふっとふざけた色が消える。
「了解しました。まずは安全な着地点の確保を最優先。着地後、現在地の特定。無理に上へ戻ろうとはせず、こちらから定時連絡を入れる」
また、短く間を置く。
「はい。四人とも生存しています。負傷もありません」
そこで一度、私たちを見回してから。
「──必ず連れて帰りますよ」
静かに、そう言った。
何の根拠があるのかなんて、私には分からない。現在地すら分からない。どこまで落ちるのかも、どうやって帰るのかも分からない。
それでも、その言葉だけは不思議と頼もしく聞こえた。
そして私は、その時初めて。
心の底から、この人を格好いいと思ったのだった。