学院ネクロマンサ- 作:オリーブの実
入学者向けガイダンスが終わる頃には、既に昼を大きく回っていた。
数百人もの新入生が一斉に大講堂から吐き出され、学院中央部の回廊へ散っていく。
食堂へ急ぐ者。
同じ学科の者同士で顔を合わせる者。
早くも学院内の探索へ向かう者。
石造りの回廊には、無数の足音と話し声が反響していた。
そんな人波の中を、長い赤髪の少女が、白銀の少女の後ろについて歩いていた。
「ねえ、お腹空かない?」
「空かない」
「朝ご飯、食べた?」
「食べてない」
「じゃあ、お腹空いてるでしょ」
「空かない」
「どうして?」
「食事を必要としていないから」
「でも、食べられないわけじゃないんでしょ?」
「食べられる。でも、必要ない」
「じゃあ、食べようよ」
「話、聞いてる?」
サリエリは、足を止めることなく答えた。
その隣を、ソレイユが楽しそうについていく。
何度拒絶されても、まるで堪えた様子がない。サリエリの冷たい返事さえ、彼女にとっては会話が続いている証拠でしかないらしい。
「だって、お昼休みだよ?」
「だから?」
「お昼休みは、お昼を食べる時間でしょ」
「私は食べなくても死なない」
「普通の人も、一食抜いたくらいじゃ死なないよ」
「なら、食べなくていい」
「あれ?」
ソレイユは首を傾げた。
しばらく考え込むように黙っていたが、答えには辿り着かなかったらしく、すぐに顔を上げた。
「じゃあ、見てるだけでもいいから」
「嫌」
「一人で食べるの、寂しいんだけど」
「火象科の人と食べればいい」
「知らない人ばっかりだし」
「私も昨日会ったばかり」
「でも、サリーは友達でしょ?」
「違う」
「まだね」
「その言い方、やめて」
二人はそのまま、学院中央にある中庭へ足を踏み入れた。
中央には大きな噴水があり、その周囲には色鮮やかな花壇と、石造りの長椅子が並んでいる。昼食時ということもあり、中庭には多くの生徒が集まり、思い思いに昼休みを過ごしていた。
ソレイユは売店で買ってきたパンを抱え、噴水近くの長椅子へ座る。
サリエリは一度だけ周囲を見回したあと、仕方なくその隣へ腰を下ろした。
「結局、隣に座ってくれるんだ」
「立っている理由がないだけ」
「そういうことにしておくね」
ソレイユが包み紙を開く。
中から現れたのは、果実の蜜を練り込んだ白パンだった。焼きたてらしく、甘い香りが辺りへふわりと広がる。
彼女は大きく口を開け、半分近くを一度に頬張った。
「おいひい」
「食べながら喋らないで」
「サリーも食べる?」
「いらない」
「一口だけ」
「いらない」
「美味しいよ?」
「いらない」
「普通の女の子は、甘い物が好きなんだよ」
「その普通の女の子は、入学初日に学院の模擬戦場を消滅させない」
「事故でしょ」
「故意」
「壊すつもりはなかったもん」
「私を消滅させるつもりはあった?」
ソレイユの咀嚼が、ぴたりと止まった。
「…………ソンナコトナイヨ」
「故意」
サリエリが淡々と断定する。
ソレイユは誤魔化すように笑うと、残ったパンをもう一口齧った。
その様子を、噴水を挟んだ反対側から見つめる者がいた。
モブル・カマセディ。火象学科一年。
彼の前には、ほとんど手をつけられていない昼食が置かれていた。
講堂を出てからも、ソレイユは当然のようにサリエリの隣を歩いていた。
火象科の者たちが彼女へ声をかけようとしても、気づいてすらいない。
それなのに、サリエリの言葉には一つ一つ反応する。
笑いかける。
身を寄せる。
冷たくあしらわれても、嬉しそうにその後を追いかける。
それらを目で追うたび、モブルの眉間の皺は深くなっていった。
「ゾロスターさん!」
中庭に、モブルの声が響いた。
周囲にいた生徒たちが一斉に振り返る。
ソレイユもパンを咥えたまま、声のした方へ顔を向けた。
「ん?」
モブルは真っ直ぐ、二人の前まで歩み寄る。
「少し、お話が」
「誰?」
ソレイユの一言に、モブルの足が止まった。
「……モブルです。モブル・カマセディ。同じ火象科の」
「ああ!」
ソレイユが大きく頷く。
モブルの表情が、僅かに明るくなった。
「あ〜……? ごめん。やっぱり分かんないや」
明るくなった表情が、そのまま凍りついた。
「……では、顔に見覚えは?」
「ごめん。顔を覚えるの、苦手なんだよね」
ソレイユは、悪びれる様子もなく答えた。
モブルは笑顔を保とうとしたが、その頬は僅かに引き攣っている。
「何かこう、分かりやすい特徴があれば覚えられるんだけど……」
「特徴……例えば?」
「うーん……ちょんまげとか?」
「それ、髪型……他には?」
「え〜、注文が多いなぁ……じゃあ、四足歩行?」
「それはもう、人間の特徴ですらないのでは……?」
「いや、ほら。皆が二足で歩いてる中、一人だけ四足歩行してたら、さすがに目立つでしょ?」
「目立つかどうか以前に、それはもう狂人なのでは?」
「そう? でも、わたしのいた村にはいたけどな。牛の気持ちが知りたいって言って、牛と同じ暮らしをしてる人」
「……それは、その方がおかしいですね」
「元気かなぁ……ゼペットお爺ちゃん。最後に会ったときは、美味しそうに牧草食べてたっけ」
「……その方、本当に人間だったんですか?」
「牛じゃない? 本人がそう言ってたし」
「……………………そうですか」
モブルは遠くを見るような目をした。
やがて深く息を吸うと、気を取り直すように背筋を伸ばした。
「……いや、そんな話をしに来たのではありません」
「え? ゼペットお爺ちゃんの話じゃないの?」
「違いますが!?」
モブルは荒く息を吐くと、ソレイユの隣に座る少女を指差した。
「俺が用があるのは、ゾロスターさんではありません。そこの死霊術師――お前だ」
それまで二人のやり取りを眺めていたサリエリが、ゆっくりと顔を上げる。
「……私に用があったの? 漫才をしに来ただけかと思ってた」
「そんなわけがないだろう! ……本題に入るぞ」
「どうぞ」
「では、気を取り直して……単刀直入に言わせてもらう。ヴァーナレク。貴女は、ゾロスターさんの隣にいるのに相応しくない」
「…………」
サリエリは反論するでもなく、ただモブルを見つめ返した。
代わりに口を開いたのは、当のソレイユだった。
「それを決めるのは、君じゃないんじゃない? 牛くん」
「モブルです」
モブルは訂正してから、改めてソレイユへ向き直った。
「ゾロスターさん。貴女は特別だ。我々火象科の象徴。目指すべき頂。そんな貴女が、陰険根暗死霊術師なんかと関わるべきではない」
その声音は熱を帯び、ソレイユを見つめる眼差しには、隠しようもない憧憬が浮かんでいた。
「でもさぁ、モーくん」
「モブルです」
「わたし、火象科の象徴になった覚えなんてないよ?」
「貴女が自覚しているかどうかは関係ありません。貴女の焱を見た者なら、誰もがそう思うはずです」
「え〜、勝手に任命されてもなぁ」
「勝手に、などと……!」
「んー……じゃあ、ブルくんが今日から火象科の象徴ね? これ、象徴命令だから」
「モブルです。象徴は、そんな簡単に挿げ替えられるものではありません」
「え? じゃあ、象徴やーめた」
「そんな簡単にやめられるものでもありません!」
「難しいね、象徴って」
ソレイユは、本当に理解できないとでもいうように首を傾げた。
「いい加減、話を進めて。時間の無駄」
「いや、でもさぁ」
「貴女は喋らないで。話が逸れる」
「ちぇー」
ソレイユが不満そうに口を尖らせる。
サリエリはそれを無視し、改めてモブルへ視線を向けた。
「それで、何?」
「ナイスだ、ヴァーナレク。ええと、それで……そうだ。お前はゾロスターさんの隣に相応しくない。だから、即刻身を引いてもらう」
「私としても、四六時中付き纏われて、正直迷惑」
「なら、話は早いな」
「ねー、わたしの意思はー?」
「
二人の声がぴったりと重なり、完全に意見を一致させた瞬間である。
「いや、黙らないよ?」
ソレイユの声音は、先ほどまでと変わらず軽い。
だが、周囲の気温が僅かに上がった。
噴水の縁に付着していた水滴が、音もなく蒸発していく。
「さっきも言ったけど、それを決めるのはわたし。君じゃない。わたしの意思で、わたしの考えで、わたしが誰と一緒にいるのかは、わたしが決める」
ソレイユは笑みを浮かべたまま、モブルを見つめた。
「それを、自分の都合で勝手に歪めようとするなんて……少し傲慢じゃないかな?」
「傲慢なのは貴女。貴女も、私の意思を無視してる」
横から差し込まれたサリエリの言葉に、ソレイユが瞬きをする。
「何言ってるの? サリーには、わたしから何か知りたいことがあるんでしょ? なら、一緒にいた方がいいじゃん」
「……何のこと」
サリエリの返答が、ほんの僅かに遅れた。
「隠さなくていいよ。その眼を見てれば、大体分かるから。ほら、言ったでしょ? わたし、勘はいいんだって」
「…………でも、四六時中はさすがに迷惑。自重するべき」
「ん? あれ? 忘れちゃったのかな。わたし、言ったよね?」
ソレイユは笑みを浮かべたまま、サリエリへ僅かに身を寄せる。
肩が触れそうなほど近づいても、サリエリは身を引かなかった。ただ、僅かに眉を顰める。
「絶対に逃さないって」
軽い口調とは裏腹に、その言葉だけは冗談に聞こえなかった。
「ゴホン。あー……お取り込み中、申し訳ありませんが、俺がいることを忘れちゃいませんか?」
完全に蚊帳の外へ追いやられていたモブルが、遠慮がちに咳払いをした。
「ゼペットくん、まだいたんだ」
「モブルです。わざとやってませんか?」
「それで、何? 君にはもう、わたしの意思は示したと思ったけど?」
ソレイユが、モブルへ視線を戻す。
先ほどまでと変わらない笑顔。
しかし、周囲の気温だけが、さらに一段上がった。
空気が陽炎のように揺らぎ、モブルの前髪が熱風に煽られる。
「それとも、灰も残らず蒸発する方がお好み?」
不穏な空気を察したのか、中庭にいた生徒たちは一斉に退避を始めた。
先ほどまで昼食を楽しんでいた者たちが、食べ物や荷物を抱え、我先にと回廊へ逃げ込んでいく。
数秒後、残っていたのは三人だけだった。
「ゾロスターさん」
それでも、モブルは退かなかった。
額には汗が滲み、喉はからからに乾いている。膝も僅かに震えていた。
それでも、ソレイユの金色の瞳を真っ直ぐに見返す。
「俺が、貴女の隣に立ちます。俺が、そこの死霊術師よりも貴女の隣に相応しいと証明してみせます」
声は震えていなかった。
サリエリが、僅かに目を細める。
モブルは彼女へ向き直り、真っ直ぐに指を突きつけた。
「おー、結構情熱的だね」
「茶化さないでください。ヴァーナレク。俺と模擬戦……いや、決闘しろ」
「無理」
「そこは受ける流れだろうが!」
「教務局長に、また怒られる」
「許可を取ればいいだろう!」
「一か月間、教員の許可なく戦闘行為に魔法を使用することを禁じられてる」
「なら、教員の許可を取る!」
「どうやって」
「我が家に限らないが、この学院に子女を通わせている貴族は、学院へ幾らか『寄付』をしていてね。ある程度の『お願い』なら聞き入れてくれるんだよ」
モブルは、声を潜めることもなく堂々と言い切った。
「賄賂……」
「『寄付』だ」
そこだけは譲れないらしい。
「……それで、私のメリットは?」
「お前が勝てば、望むものを一つ用意する」
「何でも?」
「俺に用意できる範囲でだ」
「なら、陸鯨の死体が欲しい。出来るだけ新鮮なやつ。最近、一つ駄目にされたから」
サリエリの視線が、ちらりとソレイユへ向く。
ソレイユは何も気づかなかったように、残っていたパンを口へ運んだ。
「用意できる範囲と言ったのが聞こえなかったのか?」
「じゃあ、何なら用意できる?」
「…………」
モブルは口を開きかけ、閉じた。
「……後日、一覧にして渡すから、報酬はそれを見て決めてくれ」
「…………分かった」
「不服そうだな」
「報酬が明確に決まっていない決闘を受けるのは、私にとってリスクでしかない」
「なら、一覧を見てから受けるか決めればいい」
「そのつもり」
「今、初めて聞いたぞ」
「今、初めて言ったから」
モブルは言い返しかけ、諦めるように息を吐いた。
勇ましく決闘を申し込んだはずが、いつの間にか報酬を巡る契約交渉へ変わり始めていた。
「それで、俺が勝った場合の条件だが――お前には、ゾロスターさんから身を引いてもらう」
「無理だと思う」
「またか!」
「私が離れても、彼女がついてくるし」
「ついてくよ」
ソレイユが即答した。
サリエリは無言で彼女を指差す。
「ほら」
「ゾロスターさんは、少し黙っていてください!」
「えー、わたしの話なのに?」
「貴女が喋ると、条件がまとまらないんです!」
「でも、わたしが誰と一緒にいるかは、わたしが決めることだよ?」
「それは……そうですが……!」
モブルは一瞬言葉に詰まり、視線を泳がせた。
やがて新たな条件を思いついたのか、サリエリへ向き直る。
「なら、お前からゾロスターさんに近づくな。話しかけられても、必要最低限しか応じない。それでどうだ」
「期間は?」
「卒業まで」
「長すぎる。報酬に見合わない」
「まだ報酬を見てもいないだろう!」
「陸鯨の死体すら用意できない人が出す一覧に、そこまでの価値があるとは思えない」
「陸鯨を基準にするな!」
モブルの怒声が、誰もいなくなった中庭へ虚しく響く。
「じゃあ、一年」
「長い」
「半年」
「長い」
「三か月!」
「一覧次第」
「結局そこへ戻るのか……!」
「条件交渉なんだから当然」
「なんか、決闘の申し込みというより、商談みたいになってきたね」
ソレイユが楽しそうに口を挟む。
いつの間にかパンを食べ終えており、指先についた蜜を舐め取っていた。
「最初から商談」
「違う! これは俺とヴァーナレク、互いの誇りを懸けた決闘だ!」
「私は報酬のために戦う」
「少しくらい誇りを懸けろ!」
「持ってない」
「言い切るな!」
モブルは額を押さえた。
しばらくそのまま黙り込んだあと、疲れ切った様子で顔を上げる。
「……分かった。後日、報酬の一覧と、こちらの要求する条件を書面にして渡す。それを確認した上で、決闘を受けるか決めろ」
「分かった」
「今度はやけに素直だな」
「書面なら、あとから条件を変えられない」
「俺をどれだけ信用してないんだ?」
「今日会ったばかりだから、全く」
「正論なのが腹立つな……」
モブルが肩を落とす。
その横から、ソレイユが楽しそうに手を挙げた。
「ねえ、わたしも条件を出していい?」
「貴女は決闘の当事者ではありません」
「じゃあ、観戦する」
「好きにしてください」
「サリーが負けそうになったら、助けていい?」
「駄目です!」
「じゃあ、ゼペットくんが負けそうになったら?」
「もっと駄目です! それと、モブルです!」
「難しいね、決闘って。燃やせば終わりだと思ってた」
ソレイユが不思議そうに首を傾げる。
「それは、ただの殺し合いでは?」
モブルは本日何度目かも分からない指摘を口にしながら、深く肩を落とした。
後日談
「ところでさぁ、陸鯨の死体なら、ぱぱっと直しちゃえばいいじゃん。模擬戦のときとか、やってたでしょ?」
「無理。誰かさんの術式に対抗するために、魂を壊したから。魄があそこまで壊れたら、魂なしじゃどうにもならない。貴重だったのに⋯⋯」
「跡形もなく吹き飛んだもんね」
「貴女のせいでね」
「でも、あれほぼ自爆でしょ」
「そうしないと防げなかった原因が、よく言う」
「結果的には防げてないけどね」
「…………」
「サリー?」
「次は貴女の魂を使う」
「ごめんなさい」
「モブル……お前、その髪は何だ?」
「見て分からないのか? ちょんまげだ」
「なぜ?」
「こうすれば、ゾロスターさんにも覚えてもらえる」
「ああ、そう……」
「あの馬鹿者共に、模擬戦場と魔法の使用許可を与えたのは誰だ?」
「学長ですね」
「あのクソジジイ⋯⋯」
「『うち、ただでさえ財政が厳しいのに、最近、模擬戦場が一つ消えてなくなっちゃったでしょ? ここで金づ……心ある支援者の心証を悪くするのは、嫌だなーと思って』とのことです」
「辞めようかな、ここ」
モブル・カマセディ
属性魔法の一角、火属性を扱う。火象学科。1年。
火象の中での実力は中の中から中の上程度。
ソレイユに崇拝とも言える尊敬の念を抱いている。そしてサリエリには、自身の尊敬するソレイユに引っ付く、陰険根暗死霊術師として憎悪とも言える異常な執着を見せる。要はただの嫉妬。
成り上がりの成り金貴族の出。
入学直後から、何故か髪をちょんまげに結い、さらには四足歩行の練習までしている姿が目撃されている。
急激な環境の変化によって心を病んでしまったのではないかと、同級生たちから心配されている。
用語
4脚の鯨と言った様相の巨大な魔獣。
彼らの王であった『白鯨』が討たれてからは徐々にその個体数を減らしてゆき、現在では片手の指の数で足りる程しか世界に現存していないとされる。