学院ネクロマンサ-   作:オリーブの実

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隣に立つために

 学院裏手に設けられた、円形石造りの模擬戦場。

 その中央で、二人の生徒が相対していた。

 一人は、白銀の少女──サリエリ・ヴァーナレク。

 もう一人は、頭頂部に立派な髷を結った男子──モブル・カマセディ。

 

「本当に報酬はあんな物でよかったのか?」

「うん。トテモメズラ・シイ・アゲハの標本は貴重」

「名前からまるで珍しさが伝わってこないんだが」

「希少性と命名者の語彙力は関係ない」

「そういうものか……」

「保存状態もよかった。鱗粉もほとんど落ちてない」

 

 サリエリは淡々と答えた。

 彼女が報酬として選んだのは、陸鯨の死体でも、希少な魔道具でも、大量の金貨でもない。

 

 ガラス張りの箱に収められた、一匹の蝶の標本だった。

 黒い翅には青紫色の紋様が浮かび、見る角度によって輝き方が変わる。確かに美しい蝶ではあったが、それがどれほど貴重な代物なのか、モブルには分からなかった。

 少なくとも、陸鯨の死体よりは用意しやすかったのは確かである。

 

「ところで、その髪は何?」

 

 サリエリの視線が、モブルの頭頂部へ移る。

 

「見て分からないのか? ちょんまげだ」

「それは分かる。どうしてそうしたの?」

「こうすれば、ゾロスターさんにも覚えてもらえる」

「…………そう」

 

 サリエリはそれ以上追及しなかった。

 

「あっ、ゼペットくんだ!」

 

 観客席から、明るい声が飛んでくる。

 モブルが勢いよく振り返った。

 最前列に座ったソレイユが、満面の笑みで大きく手を振っている。

 

「覚えてくださったんですね、ゾロスターさん!」

「うん! ちゃんと覚えてるよ、ゼペットくん!」

「モブルです!」

 

 ひとまず、個体としては認識されたみたいだ。

 名前までは覚えてもらえなかったらしいが、それでも以前よりは進歩していると思ったのかモブルの口元は僅かに緩んでいた。

 

「何を嬉しそうにしてるの?」

「嬉しそうになどしていない!」

「そう」

 

 サリエリは興味を失ったように、模擬戦場の端へ視線を向けた。

 観客席には、既に多くの生徒(野次馬)が詰めかけている。

 

 火象科の新入生が、入学初日に模擬戦場を消滅させた死霊術師へ決闘を申し込んだ。

 しかもその火象科の生徒は、何故か突然髷を結い始めた。

 噂が広まるには、それだけで十分である。

 観客席の一角では、早くも賭けまで始まっている。

 

「モブルが三分以上持つ方に銀貨二枚!」

「馬鹿、第三の惨状は知ってるだろ! 一分以内だ!」

「最初にダメになるのは制服かあのふざけた髪の、どっちだ?」

「髪に銀貨一枚!」

 

「ちょんまげは崩させないし触れさせん!」

 

 モブルの怒声が、観客席まで響き渡った。

 

「賑やかだね」

 

 ソレイユは楽しそうに笑っている。

 その隣には、腕を組んだ教務局長が、ひどく疲れた顔で立っていた。

 

「なぜ、こうも次から次へと問題を起こせるんだ……まだ入学して一週間も経っていないんだぞ? 実に素晴らしい才能だよ、本当に。後学のためにも、ぜひその秘訣をご教授願いたいものだ」

「えへへ、そんなに褒められると照れるなぁ」

「褒めていない」

「でも、素晴らしい才能って」

「皮肉だ」

「難しいね、皮肉って」

「お前と話していると、辞職という言葉が日に日に魅力的に思えてくるよ」

「新しい夢が見つかったんだね」

「誰のせいだと思っている」

「でも、許可したんでしょ?」

「学長命令だからな」

「偉いね」

「誰のせいで模擬戦場が一つ消えたと思っている」

 

 ソレイユはそれを無視した。

 教務局長は深い溜息を吐くと、模擬戦場の中央へ足を踏み入れる。

 

「では、両者とも確認しろ」

 

 観客席の喧騒が、僅かに静まる。

 

「勝敗は、降参、場外、戦闘不能、あるいは審判である私が継続不可能と判断した時点で決する。相手を故意に殺害した場合、即座に失格とする」

 

 教務局長の視線が、まずモブルへ向けられた。

 

「よいな?」

「はい」

 

 続いて、その視線がサリエリへ移る。

 

「特に、ヴァーナレク」

「分かってる」

「本当に分かっているんだろうな?」

「多分」

「今からでも中止にしていいか?」

「報酬を受け取れなくなるから困る」

「そうか……」

 

 教務局長は額を押さえた。

 

「ゾロスター。決闘への介入は禁止だ」

「分かってるよ」

「どちらかが負けそうになってもだ」

「分かってるって」

「炎を出すなよ」

「信用ないなぁ」

「あると思うのか?」

「うーん……少しはあるんじゃないかな?」

「皆無だ」

 

 教務局長は一切の迷いなく断言すると、何かを諦めたように二人の間から離れる。

 

 

 ◇ モブル・カマセディ ◇

 

 

「では、両者、位置につけ」

 

 教務局長の声に従い、俺は所定の位置まで進んだ。

 深く息を吸う。

 大丈夫だ。

 相手がどれほど異常な死霊術師だろうと、これは正式な決闘だ。先日のように、ゾロスターさんが突然、とんでもない魔法を撃ってくるわけではない。

 

 俺は両手を構え、全身へ魔力を巡らせた。

 赤い魔力が身体の周囲を渦巻き、掌へと集まっていく。

 対するヴァーナレクは、ただ立っているだけだった。

 

 両腕を下ろし、杖すら構えていない。詠唱を始める様子もなければ、こちらを警戒している様子さえない。

 

 舐めているのか? 

 

「構えないのか?」

「もう構えてる」

「どこがだ」

「見えないだけ」

 

 ヴァーナレクの足元から伸びた影が、僅かに揺れた。

 

 反射的に一歩下がる。

 ⋯⋯影の中に、何かいる? 

 やはり、何もしていなかったわけではないらしい。

 

「……なるほど」

 

 既に死体を潜ませているのか。

 それとも、こちらの影へ何かを仕込んでいるのか。

 

 何が出てくるかは分からない。だが、姿を現す前にヴァーナレク本人を叩けばいい。

 

 掌に、小さな赤い炎を灯す。

 ゾロスターさんの焱とは比べるべくもない。

 あの人の炎は、ただそこにあるだけで周囲の全てを灼き尽くす。俺がどれほど魔力を練り上げたところで、あの領域には届かない。

 

 だが、俺の炎にも長所はある。

 

 魔力を隅々まで均等に行き渡らせ、揺らぎを抑える。派手さや威力で及ばなくとも、制御の精密さなら自信があった。

 

「始め!」

 

 教務局長の声が響いた。

 直後、俺は三つの火球を放った。

 

 正面。

 右。

 左。

 

 回避先を塞ぐように、三方向から同時に撃ち込む。

 

 それでも、ヴァーナレクは動かない。

 代わりに、足元の影から無数の虫が噴き出す。

 幾重にも重なる翅音。忙しなく動く脚。ギチギチと響く、耳障りな甲殻の擦れる音。虫の群れは瞬く間にヴァーナレクの姿を覆い隠し、黒く蠢く壁を形作った。

 

 死霊術師が、虫? 

 一瞬だけ疑問が浮かんだが、迷っている暇はない。

 

「燃えろ!」

 

 拳を握る。

 三つの火球が同時に弾け、虫の群れを炎が飲み込む。

 翅が燃え、甲殻は砕け、細い身体を次々と灰へ変えてゆくが、手応えは感じない。

 炎の向こうにいるはずのヴァーナレクの姿も見えない。

 

 近づくべきか? 

 いや、まずい。

 相手は影の中へ死体を潜ませている。視界が塞がれている状態で、無闇に距離を詰めるべきではないか。

 俺はその場に留まり、右手へ次の炎を集めながら、慎重に周囲へ視線を巡らせた。

 

「■■■■■■■■■■──ッ!」

 

 突如、獣とも鳥ともつかない絶叫が響く。

 次の瞬間、炎の壁を突き破り、異形の鳥が飛び出してきた。

 

 いや、鳥ではない。

 骨と皮ばかりになるまで身体を削ぎ落とされた、鳥の死体だ。

 

「なっ──」

 

 速い。

 考えるより先に身体を捻った。

 鳥骸が俺の脇を掠め、そのまま背後の地面へ激突する。

 

 避けた。

 

 そう思った直後、背後から破裂音が響いた。

 衝撃が背中を押す。

 振り返る間もなく、血肉と濁った体液が頭上から降り注いできた。さらに、その中へ混ぜ込まれていた骨片が、散弾のように四方へ飛び散る。

 

 自爆する死体! しかも、中に骨詰めてやがる! 

 

 反射的に炎を広げる。

 血肉は俺へ触れる前に焼け焦げ、濁った体液も一瞬で蒸発した。

 

 だが全ては防ぎ切れない。

 炎の隙間を抜けた骨片が頬を掠めた。

 遅れて熱い痛みが走り、制服の肩口にも浅い裂け目が生まれる。

 

 大した傷ではない。

 だが、避けただけでは駄目だ。

 あの鳥は、標的へ命中しなくても爆発する。

 

「おかわり、どうぞ」

 

 炎の向こうから、ヴァーナレクの平坦な声が届いた。

 

「■■■■■■■■■■──ッ!」

「■■■■■■■■──!」

「■■■■■■■■■■■■!!!」

 

 嫌な予感を肯定するように、意味を成さない奇声が次々と上がった。

 

 炎の壁を突き破り、同じ鳥骸が続々と姿を現す。

 

 一体。

 二体。

 三体。

 

 いや、まだいる。

 

「冗談だろう!?」

 

 俺は迫る群れへ炎を放った。

 先頭の一体が空中で爆ぜる。

 その爆発へ巻き込まれた後続も、次々と破裂した。

 血肉と骨片が連鎖的に撒き散らされ、俺の炎へ赤黒い飛沫が叩きつけられる。

 防げないわけではない。

 だが、この数を相手に炎を出し続ければ、先にこちらの魔力が尽きる。

 

「食べ切れないなら、残してもいい」

「食事みたいに言うな!」

 

 おかげでしばらく鳥肉は勘弁だよ! クソ死霊術師が! 

 

「好き嫌いは、良くない」

「好き勝手言いおってからにっ!」

 

 悪態をつきながら、さらに一体を焼き落とす。

 そのときだった。

 先ほど爆発したはずの鳥骸の残骸が、地面の上で動いた。

 

 散らばっていた血肉と骨片が引き寄せられていく。

 捻れた骨が繋がる。

 焼け焦げた皮膜が張り直される。

 見る間に身体を再構成した鳥骸は、再び翼を広げ、耳障りな奇声を上げた。

 

 嘘だろ? 

 自爆するうえに、再生するのか? 

 焼くだけでは足りない。

 骨も肉も、再生できないほど徹底的に消し飛ばす必要がある。

 

 それを、この数へ一体ずつ? 

 無理だな。

 

「クソッ……切り札を切るしかないか」

 

 本当なら、もっとヴァーナレク本人を追い詰めてから使うつもりだった。

 だが、出し惜しみをして押し切られては意味がない。

 俺は迫り来る鳥骸を睨みつけ、両腕を大きく広げた。

 

「術式、起動」

 

 周囲を覆っていた炎が、意思を持ったかのように俺のもとへ集まり始める。

 

「我は、炎の獣を御する者」

 

 渦巻く炎が膨れ上がり、巨大な四肢と鬣を形作っていく。

 

「吼えろ──『炎獅子』!」

 

 咆哮。

 

 顕現した炎の獅子が大口を開き、殺到する鳥骸の群れへ真正面から飛びかかった。

 

 炎の爪が一閃する。

 

 鳥骸がまとめて引き裂かれ、そのまま炎に呑まれていく。

 再生しようと蠢いた個体も、炎の牙が噛み砕いた。肉だけでなく、骨の髄まで焼き尽くす。

 

 効いている。

 

 今度は再生しない。

 先ほどまで俺を苦しめていた鳥骸が、瞬く間に数を減らしていく。

 

 ふははは! スゴイぞーカッコイイゾー! 

 このまま全部焼き尽くせ! そのままヴァーナレクへ食らいつけ! 

 

「なるほど……なら」

 

 ヴァーナレクが、ぽつりと呟いた。

 何をするつもりだ? 

 

 ヤツの足元で、影がどろりと沸き立つ。

 そこから這い出してきたのは、二つの頭部を持ち、全身に不自然な継ぎ目のある異形の人型だった。

 しかしアイツ、遂に人間の死体なんて出してきやがった⋯⋯少しは取り繕う気とかはないのか? 

 

 二つの頭部が、それぞれ別の方向へ首を傾けた。

 そして、同時に口を開く。

 

「■■──」

 

「■■──」

 

 異なる二つの詠唱が重なり合った。

 聞き間違いではない。

 まさか⋯⋯魔法使いの死体を繋ぎ合わせたのか? 

 片方が術式を組み立てている間にも、もう片方は全く異なる句を淀みなく紡いでいる。

 一つの身体で、二つの魔法を同時に? 

 

「二重詠唱だと……?」

 

 冗談ではない。

 普通、一つの口で異なる詠唱を同時に行うことなどできない。というか身体の構造上、無理だろう。たぶん。

 だが、頭と口を二つ用意してしまえば、その制約を無視できるという訳か……うーん、マッドだ。

 

「正確には、別々の頭で一つずつ」

 

 ヴァーナレクが淡々と訂正した。

 

「それを二重詠唱と言うんだ!」

 

 次の瞬間、二つの術式が同時に完成した。

 渦を巻く濁流が炎獅子へ襲いかかり、その巨体を呑み込む。

 炎獅子は全身から炎を噴き上げ、濁流から逃れようと四肢を踏ん張った。

 だが、立ち上がれない。何か見えない力が、炎獅子を上から押さえつけている。

 

 水と、圧力。

 二つの魔法を同時に使い、一方で炎を削りながら、もう一方で逃げ道を塞いでいるのか。

 

 濁流に呑まれた炎が激しく爆ぜ、莫大な蒸気が模擬戦場を白く覆った。

 

「グ、ォォォォォ──ッ!」

 

 白煙の向こうから、炎獅子の苦悶めいた咆哮が響く。

 まだ消えていない。

 炎獅子は四肢を地面へ食い込ませ、燃え盛る鬣を逆立てながら、必死に頭を持ち上げようとしている。

 

「押し潰せ」

 

 白煙越しに、ヴァーナレクの指が僅かに下がった。

 二つ頭の死体が、再び詠唱を繰り返す。

 

 濁流の勢いが増す。

 同時に、炎獅子へ加わる圧力も強くなる。

 前脚が地面へ沈み、石畳に亀裂が走った。

 まずい。

 このままでは、押し潰される。

 

「まだだ!」

 

 俺は炎獅子へ注ぐ魔力を一気に増やす。

 頭の奥に鈍い痛みが走った──いいや、こんなもの、無視できる。

 ここで退けば、ヴァーナレクをゾロスターさんから引き離すことなどできない。彼女に並び立つことなど、できはしない!! 

 

「吼えろ! 猛ろ!! 炎獅子!!!」

 

 炎獅子が咆哮する。

 巨体から噴き上がった炎が、押し寄せる濁流を触れたそばから蒸発させていく。

 

 白煙がさらに濃くなる。

 

 それでも、俺には分かった。

 炎獅子が立ち上がろうとしている。

 見えない圧力に抗い、軋む四肢へ力を込め、一歩ずつ身体を起こしている。

 

 押し返せる。

 

「水如きで炎を消せると思ったか!」

「思ってない」

 

 あまりにも早く返ってきた声に、胸の奥が冷えた。

 何だ? この反応は。

 炎獅子が耐えることを、最初から分かっていたような──。

 

「これで本体はがら空き」

 

 本体。

 俺のことか。

 意味を理解した瞬間、全身に悪寒が走った。

 

「何を──」

 

 肩に、僅かな違和感。

 視線だけを横へ向ける。

 一匹の蝶が止まっていた。

 青白く輝く、美しい翅。

 戦場には似つかわしくないほど静かに、翅を開閉している。

 

 いつからいた。

 

 白煙へ視界を奪われている間か。

 それとも、それより前から? 

 

「チェックメイト」

 

 青白い鱗粉が、鼻先を掠めた。

 

「──ッ!」

 

 俺は反射的に炎を噴き上げた。

 蝶の身体が一瞬で焼け落ちる。

 だが、鼻と口から入り込んだ鱗粉までは焼き払えない。

 

 息を止めるのが遅すぎた。

 

「本当は、最初の嵌合魄……あの自爆する死体が注意を引いている間に、その子で終わらせるつもりだった。下手をしたら、きっと殺してしまうから」

 

 こつ、こつ、こつ。足音が近づいてくる。

 白煙の中から現れたヴァーナレクは、俺を警戒する様子すらなく、わざとらしいほどゆっくり歩いていた。

 

「でも、思ったより早く術式を切られた。あそこまで炎の勢いが強いと、蝶を近づけることはできない。つまり、最初のプランは使えなくなった」

 

 失敗した作戦を、なぜ悠長に説明している? 

 まだだ。まだ、終わってない。炎獅子は残っている。

 身体にも異常は──指先が、僅かに痺れた。

 

 いや、気のせいだ。

 俺は炎獅子へ意識を戻す。

 白煙の向こうで、炎獅子が無数の亡者に群がられていた。

 炎を噴き上げ、取りついた死体を焼き払っているが、一体が燃え尽きるより早く、二体、三体と新たな死体が群がっていく。

 先ほどの二つ頭も、蝶も、全て炎獅子から意識を逸らすためか。

 

 違う。

 逆だ。

 俺の意識を、炎獅子へ縛りつけるためか! 

 

「だから、その切り札を新しい囮にした」

 

 ヴァーナレクの背後で、影が大きく膨れ上がり、そこから巨大な腕が突き出す。

 無数のヒトガタを継ぎ合わせて形作られた、醜悪な腕。

 腕だけだというのに、炎獅子を遥かに上回る大きさがある。

 

 あんなものまで隠していたのか。

 

 巨大な掌が、炎獅子へ向けて振り下ろされた。

 

 一度。

 炎獅子の四肢が折れ、巨体が地面へ沈む。

 

 やめろ。

 

 二度。

 石畳が砕け、押し潰された炎が周囲へ噴き散る。

 

 まだ消えるな。

 

 三度。

 轟音とともに模擬戦場が揺れた。

 

 炎獅子の姿が、巨大な掌の下へ完全に消える。

 腕がゆっくりと持ち上がる。

 蜘蛛の巣状に砕けた地面。

 僅かに燻る火の粉。

 それ以外には、何も残っていなかった。

 

「…………」

 

 炎獅子が、潰された。

 俺の切り札だった。

 あれさえ出せば、ヴァーナレクの死体を全て焼き尽くせると思っていた。

 ゾロスターさんほどではなくとも、自分の炎が決して弱くないことを証明できると思っていた。

 

 それが、あっけなく。

 

「貴方は、あれを倒されないようにすることばかり考えてた」

 

 ヴァーナレクは、背後を振り返りもしなかった。

 自分が呼び出した巨大な腕が炎獅子を潰すことなど、見るまでもないとでも言うように、俺との距離を詰めてくる。

 

 迎え撃たなければ。

 俺は掌へ魔力を集めようとした。

 ⋯⋯炎が出ない? 

 

 違う。

 

 魔力はある。

 術式も頭の中に浮かんでいる。

 それなのに、指が動かない。

 右腕を持ち上げようとしても、肘から先が鉛に変わったように重い。

 痺れは既に指先だけではなく、腕を這い上がり肩から胸へ広がっている。

 

「だから、自分が狙われてることに気づかなかった」

「毒……か……」

 

 声を出すだけで、舌まで重い。

 

「安心していい。死ぬようなものじゃない。ただの麻痺毒」

 

 ヴァーナレクの周囲を、青白い蝶がひらひらと舞い始めた。そのうちの一匹が、ヴァーナレクの差し出した指先へ止まった。

 

「この子たちは、鱗粉の毒で獲物を動けなくさせたあと、ゆっくり体液を啜る。そして哀れな犠牲者は、体中の水分という水分を尽くされて、息絶える」

「何を……安心しろと……?」

「この子たちは皆、死んでる。だから、そうはならない」

「その後の説明が、何一つ安心できないんだが……!」

 

 俺は歯を食いしばり、辛うじて片膝を立てる。

 まだ倒れるわけにはいかない。

 ゾロスターさんが見ている。なのに、ここで無様に地面へ転がるなど、絶対に御免だ。

 

 脚へ力を込める。

 だが、力を入れようとするほど痺れが強まり、身体はますます言うことを聞かなくなっていった。

 視界の端が暗くなり、ヴァーナレクの輪郭がぼやけていく。

 

 負けた。

 

 認めたくはないが、今回は俺の負けだ。

 だが、次も負けるとは限らない。

 あの自爆する鳥骸への対処法は分かった。

 二重詠唱を行う死体も、術式が完成する前に焼けばいい。

 蝶の鱗粉も、最初から警戒しておけば防げる。

 

 次は勝つ。

 次で駄目なら、その次。

 その次でも駄目なら、さらにその次。

 何度負けようと、俺は勝つ。

 絶対に。

 

「クッソ……絶対、勝つ」

「え……またやるの?」

 

 ヴァーナレクが、露骨に嫌そうな顔をした。

 当然だ。

 この程度で諦められるものか。

 

「あたりま──」

 

 そう言い切るより先に、俺の意識は途切れた。

 

 

 

 模擬戦場は、静寂に包まれていた。

 とても勝者を称えるような雰囲気ではない。

 いや、一人だけ、大はしゃぎしている者はいたが。

「サリー、すごーい! 今のでっかい腕、もう一回出せる?」

 観客席から身を乗り出し、ソレイユが満面の笑みで両手を振っている。

 誰も、その声に続こうとはしなかった。

 焼け焦げた虫の死骸。散乱する血肉と骨片。二つの頭を持つ魔法使いの死体。そして、炎獅子を三度にわたって叩き潰した、無数のヒトガタで形作られた巨大な腕。

 それらを目の当たりにした直後では、無理もない。

「……勝者、サリエリ・ヴァーナレク」

 教務局長が、疲れ切った声で決闘の終了を告げた。

 その宣言にも、歓声は上がらない。

「おめでとー、サリー!」

 ただ一人、ソレイユの拍手だけが、静まり返った模擬戦場へ虚しく響いていた。

 やがて、観客席のあちこちから声が漏れ始める。

「さすがに人は駄目だろ……」

「どこから調達してきたんだ?」

「墓荒らしじゃね?」

「死体なんて街道に落ちてんだろ」

「世紀末かな?」

「やっぱ特異科はアンタッチャブルだな」

「あの中にバァちゃんが居た⋯⋯」

「お前ん家のババアまだ生きてんだろ」

「後輩が立て続けに問題を起こしたと聞いて見に来てみれば……私、グロは苦手なんですケド」

「お前のやってる事が一番グロいけどな、カス女」

「腐臭で吐きそう」

「吐いたら殺す」

「魔法を習う学院で、魔法使いの継ぎ接ぎ死体を出すその神経。むしろ賞賛に値するな」

「ガチで言ってる?」

「皮肉だよバカ」

「アレは自然の摂理に反している。処さねば」

「無理無理のカタツムリ。大自然は自然に帰って草木と戯れてな」

 

 囁きは、瞬く間にざわめきへと変わっていった。

 勝者へ向けられる称賛ではない。

 畏怖と嫌悪と、ほんの僅かな好奇心。それらが入り交じった視線が、模擬戦場の中央に立つサリエリへ一斉に注がれていた。

 もっとも、当のサリエリは、それらの視線をまるで気にしていなかった。

 倒れたモブルのそばへしゃがみ込み、頬を軽くつつく。

 

「生きてる」

「決闘で相手を殺さなかったことを、わざわざ報告するな」

 

 教務局長が、こめかみを押さえながら模擬戦場へ降りてくる。

 

「それより、早く死体を片づけろ。今すぐにだ」

「まだ乾いてない」

「知らん。持ち帰ってから乾かせ」

「生乾きの匂い、嫌い」

「腐臭のが臭いわ!」

 

 

 

 足元の影を、踵で軽く踏む。

 それを合図に、模擬戦場へ散乱していた死体が一斉に蠢き始めた。

 焼け焦げた虫たちが、身体を再生させながら残った脚で地面を這う。砕けた鳥骸は散らばった骨と肉を引き寄せ、不格好に身体を繋ぎ直しながら影へ沈んでいく。そして時折、何もないはずの空間がぶくぶくと不自然に泡立ち、そこに骨肉が生じ、虫や鳥骸が作られては、同じように影の中へと這い戻っていく。

 二つ頭の魔法使いも、左右の頭を別々に揺らしながらぎこちない足取りでサリエリのもとへ戻ってきた。

 

「うわ、こっち来た!」

「押すな! 落ちるだろ!」

「頭が二つともこっち見てるんだけど!」

「目を合わせるな、連れて帰られるぞ!」

「よく見たら愛嬌あって可愛くね?」

「救護科行け」

 

 観客席から悲鳴が上がる。

 二つ頭の死体は彼らに構うことなく、足元からゆっくりと影へ呑み込まれていった。

 最後に、炎獅子を叩き潰した巨大な腕が持ち上がる。

 無数のヒトガタで形作られた五本の指が、地面を掻きながら一本ずつ影へ引きずり込まれていく。その光景に、観客たちのざわめきが一段と大きくなった。

 

「サリー、待って待って!」

 

 観客席から飛び降りたソレイユが、巨大な腕へ駆け寄る。

 

「もう一回だけ出して! 近くで見たい!」

「片づけろって言われた」

「少しくらい良いでしょ? ね? えーと⋯⋯先生?」

「私に同意を求めるな。駄目に決まっている」

「けち」

「学院の模擬戦場へ巨大な死体の腕を出しっ放しにさせないことを、けちとは言わん」

 

 巨大な指先が完全に沈み、影の表面が何事もなかったかのように静まる。

 後に残ったのは、砕けた石畳と、赤黒い汚れ。そして、鼻を突く腐臭だけだった。

 

「片づけた」

「血肉も片づけろ」

「どうせ、カラスとかが片付ける」

「それまでどれだけ時間がかかると思ってるんだ!」

「でも、消える」

「そういう問題ではない!」

 

 教務局長の怒声をよそに、救護科の生徒たちが恐る恐るモブルへ近づいた。

 一人が脈を測り、もう一人が瞼を開いて瞳を確認する。

 

「呼吸は安定しています。外傷も軽微です」

「麻痺毒だけだから」

「お前の『だけ』は信用ならん。医務室へ運べ」

 モブルが担架へ乗せられていく。

 

 その横を歩きながら、ソレイユは興味深そうにサリエリの影を覗き込んでいた。

 

「ねえ、サリーはさ。どうやって、あの数の死体を集めたの?」

「どうして?」

「いや、ゼペットくんと遊んでたときに出てきた、でっかい腕とか、頭が二つある魔法使いとか。どうやって死体を調達して作ったのかなーって。やっぱ墓荒らし?」

「そんなことはしない」

「じゃあ、どうやって?」

「母の兄……伯父さんが、遺跡とか古戦場とか、あとは魔獣災害の被災地をよく巡ってて、それに連れていってもらってた。主な収集源は、そこ。あと、たまに街道」

「ふーん。盗掘? いや死体泥棒かな?」

「骨の一部でも残ってれば、魔力を使って失われた部分は再生できる。そうやって集めた死体を繋ぎ合わせて作ったりした」

「死体泥棒だよね?」

「古すぎて大体は魂が残ってなかったけど、それを差し引いても有用な駒」

「ここに死体泥棒がいまーす」

「しつこい」

「待て」

 

 二人の背後から、地の底を這うような声が聞こえた。

 振り返れば、教務局長が無表情で立っている。

 

「今の話を、詳しく聞かせてもらおうか」

「どの部分?」

「全部だ」

「長くなる」

「構わん。どうせ今日は、もう何もかも諦めた」

 

 教務局長は、遠い目で空を仰いだ。

 入学から、まだ一週間も経っていない。

 

 

 

 深夜。

 アザミナ王国の首都テミスを一望できる尖塔の上に、ローブを目深に被った人影があった。

 人影が見下ろしているのは、眠りに沈む首都──ではない。

 正確には、その一角で今まさに轟々と燃え盛っている、一軒の屋敷だった。

 

「やはり、テトラビブロスの屋敷にはありませんでしたね……まあ、駄目で元々。となると、やはり寵姫とともに学院へ、といったところですか」

 

 人影は、大きく溜息を吐いた。

 

「襲撃も事前に察知されていたようですし……予知者なんて、相手にするものじゃありませんね、本当」

 

 愚痴るように言いながら、眼下で崩れ落ちていく屋敷を眺める。

 

「うーん。学院にいる寵姫の部屋へ忍び込むのは⋯⋯ちょーっと危険ですかね……第二王女様がご丁寧に防壁を張っているようですし、それ以外にも色々と……」

 

 人影は顎へ手を添え、しばし考え込む。

 

「まあ、仕方ありませんか。とりあえず今夜のところは、この戦利品で我慢しましょう」

 

 そこで初めて、人影は足元へ視線を落とした。

 

「 貴女も、そう思うでしょう? ねぇ?」

 

 そこには、一人の少女が転がされていた。

 かつては上等なものだったのだろう衣服は、煤と泥に汚れている。手足は縛られ、声を上げることすら許されていないのか、口元には布がきつく巻かれていた。

 少女は身を縮め、恐怖に震えながら人影を見上げる。

 助けを求めるようなその眼差しを、人影は愉快そうに見つめ返した。

 

「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ」

 

 ローブの奥で、口元だけが笑みの形に歪む。

 

「貴女には、これから少しばかり役に立ってもらうだけですから」

 

 燃え盛る屋敷とは対照的に、尖塔を包む闇は深く、ひどく静かだった。

 




プロローグはこれで終了です。幕間を何話か挟んだ後、1章に入ります。

用語
嵌合魄
2体以上の死体を合体させて作った死体人形。
嵌合魄──遊
内蔵等を抜いて極限まで軽くした鳥の死体に、オートサイシス(Autothysis)の特性を持った魔獣をを組み込んだ物。
爆発と同時に周囲に歯と骨片を飛ばして破片効果を齎す。(今話に登場)
嵌合魄──魔
魔法使いの死体を混ぜ合わせた物。
頭や口を複数個にするなどして発声機能を増やし、同時に2種類以上の魔法発動を可能とするような改造を施されている。(一話と今話に登場)
嵌合魄──闘
戦士や兵士の死体を改造した物。
腕が4つになってたりする。
武器は背骨を加工した剣のようなもので、エナメル質で全体をコーティングされているので見た目よりも遥かに丈夫。(一話に登場)
嵌合魄──雑
複数の魔獣や人間等を組み合わせた雑兵。
元の原形を留めていないものが多い。(一話に登場)

魔法
死霊術
特異魔法の一種。
一般には「死体を操る魔法」と認識されているが、その本質は、魂そのものへの干渉と使役にある。
魄――すなわち魂を失った肉体を操作することは、死霊術においては未だ初歩の段階に過ぎない。術を発展させることで、術者は魂そのものへより深く、より精密に干渉できるようになる。
死霊術の初歩術式に、魂を現世へ縛り付ける術式が含まれていることも、その本質が魄ではなく魂にあることの証左と言えるだろう。
また、魂とは潤沢かつ良質なエネルギーの塊でもある。
支配下に置き、従属させた魂から魔力を引き出すことで、術者は自身の保有量を遥かに超える魔力を行使できる。支配する魂が増えるほど得られる魔力も増大し、理論上、その供給量に明確な上限は存在しない。

そういえば死霊術の設定を載せていないことに気が付いたので、今更ながら。
ついでに、使われた術式も。

術式
終葬(ついそう)
魂を崩壊させ、内包された莫大なエネルギーを一挙に放出する術式。
威力は使用する魂の大きさに比例する。

星壊(せかい)
炎を極限まで圧縮し、掌中に極小の擬似恒星を形成。その終焉を意図的に引き起こすことで、内包された莫大な熱と光を解き放つ術式。
投入する魔力量によって威力と効果範囲が変動し、最大出力では周囲の地形ごと灼き尽くす。
ただの炎を使ったバージョンと焱を使ったバージョンがある。作中で使われたのは前者。

炎獅子(えんじし)
炎を巨大な獅子の姿へ形成し、使役する術式。
術者の意思に従って戦場を駆け、炎の爪牙で対象を焼き砕く。肉体そのものが炎で構成されているため、多少形を崩されても、魔力の供給が続く限り再形成が可能。
大きさや火力、維持時間は、投入する魔力量と術者の制御能力によって変動する。
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