学院ネクロマンサ-   作:オリーブの実

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学部長の憂鬱

 月初めの三日目。

 朝から特異科の指導室には、呼び出しを受けた生徒が途切れることなく出入りしていた。

 別に、月初めだから問題が起こりやすいわけではない。

 特異科では、いつだって誰かが何かしらの問題を起こしている。今日は、それが少しばかり重なっただけだ。

 指導室の机には、四人分の調書が積み上げられていた。学部長は一番上の調書を手に取り、そこに記された名前を読み上げる。

 

「さて、ネグレクタム」

 

 机を挟み、学部長は正面に座る女生徒を見据えた。

 

「今回、君がここへ呼ばれた理由に、心当たりはあるか?」

「…………」

「どうした。言ってみろ」

「……火象科の皆さんの前で、モブルさんの黒歴史朗読会をしたからです」

 

「そうだn「いや、でも、あれには理由があったと言いますかですね?」

「…………」

 

 学部長が言い終えるより早く、ネグレクタムは身を乗り出した。

 

「いやですね、最近、トラウマ収集が少し停滞気味と言いますかですね。まあ、ちょっと集まりが悪いわけですよ」

 

 聞かれてもいないのに、彼女は流暢に弁明を始める。

 

「そこで、私は考えたわけです! トラウマがないなら、作ればいいんじゃね? と!」

 

 びしり、と人差し指を立てた。

 

「トラウマを朗読して、新たなトラウマを作る。そして、そこで生まれたトラウマを再び朗読し、それをまた新たなトラウマとする。さながら、トラウマの永久機関!」

 

 話しているうちに、どんどん声が大きくなっていく。

 

「いや〜、これは名案だと思いましたね、はい! まあ、天然物じゃないので、少し面白みに欠けるのは否めませんけど。とはいえ、『トラウマの永久機関』って字面だけで十分面白いし、笑えるので、いいかなぁ〜と思いまして──」

 

 そこまで一息に喋ったところで、ネグレクタムの顔色が変わった。

 

「あっ、ちょっと! 待ってください! そんな殺生な! それだけはマジでやめてください!」

 

「トイレs「あっ、駄目! 口に出したら本当になる! 口に出したら本当になる! 口に出さなきゃ、まだセーフ!」

「…………」

「先生は知らないかもしれないですけど、風理の連中、酷い──というより、ヤバいんですよ!」

 

 ネグレクタムは勢いよく立ち上がった。

 

「あいつら、『これが自由だ』とかなんとか言って、便器の外で糞尿を垂れたりするんですからね! 蛮族ですよ、蛮族! 同じ人間じゃない!」

 

 両手を机へ叩きつける。

 

「というか、便器の外で糞尿を垂らす自由って、なんなんですか!」

 

 もう一度。

 

「そんな!」

 

 さらに一度。

 

「自由が!!」

 

 また一度。

 

「あって!!!」

 

 机が軋む。

 

「たまるかってんですよぉぉぉぉっ!!!!」

 

 叫び終えたネグレクタムは、肩を大きく上下させた。

 しばし、ぜえ、はあ、という荒い呼吸だけが指導室に響く。

 

「一か月な」

「ファ────ーッ!?」

 

 ネグレクタムが頭を抱える。

 

「さっきまで一週間のつもりだったじゃないですか! なんで一か月に延長してるんですか!」

 

 学部長の眉間に皺が寄った。

 

「幾らストレスの溜まる教員生活だからといって、生徒に当たるのはよくないですよ!」

「二か月な」

「ファ────────────ッ!」

 

 *

 

「落ち着いたか?」

「はい。すみませんでした」

 

 先ほどまでの勢いが嘘のように、ネグレクタムは椅子へ座り、しおらしく俯いていた。

 

「……君の敗因は三つだ」

 

 学部長は指を一本立てる。

 

「一つ。喋りすぎ」

 

 二本目。

 

「二つ。心を読むのはいいが、会話をしろ。ラリーをしろ」

 

 そして、三本目。

 

「三つ。お前は俺を怒らせた」

 

「三つ目だけで十分では?」

「何か言ったか?」

「いえ、なんでもありません」

「よろしい」

 

 学部長は深く息を吐き、椅子の背もたれへ身体を預けた。

 

「そもそもだ、ネグレタム。君、喋っているうちにテンション上がるのか知らんが、一人で暴走しすぎ。新手の薬中さながらだぞ」

「そんなにですか?」

「そんなにだ」

 

 学部長はネグレクタムの目を真っ直ぐに見た。

 

「その魔法は、言葉は武器になる。その悪癖は直した方がいい」

「いや、こう……話してると、つい楽しくなってですね……自然にヒートアップしてしまうと言いますか……」

 

 ネグレクタムは両手の人差し指を合わせ、居心地悪そうに視線を泳がせた。

 

「以後、気をつけます」

「そうだな。それでいい」

 

 学部長は僅かに表情を緩めた。

 

「それと、発言の内容にも気をつけろ。少なくとも先生は……風理の連中の排泄事情なんて、知りたくなかったよ」

 

 そう告げると、ネグレクタムは、まるで花が咲き誇ったかのような笑顔を浮かべた。

 

「はい。知ってます」

「…………」

 

 指導室に、重苦しい沈黙が落ちる。

 

「三か月に延長」

「ファ────────────────ッ!」

 

 女生徒の嘆きの悲鳴が、指導室に長く響き渡った。

 やがて、三か月分のトイレ掃除を宣告されたネグレクタムが、肩を落として部屋を出ていく。

 

 扉が閉まる。

 ようやく訪れた静寂の中、学部長は椅子の背もたれへ深く身体を預けた。

 

「……疲れた」

 

 まだ、一人目だ。机の上には、残り三人分の調書が積まれている。休憩しようかとも思ったが、次の生徒は既に廊下で待っている。

 

 学部長は諦めて二枚目の調書を手に取った。

 そこに記されている名前を見た途端、先ほどまでとは別種の疲労が押し寄せてくる。

 

「次。ヴァーナレク、入ってくれ」

 

 扉が開き、白銀の少女が無表情のまま入室した。

 

「さて、ヴァーナレク。今日、君が指導室に呼ばれた理由は分かるか?」

「…………分かりません」

「『分かりません』じゃないんだよなぁ」

 

 学部長は、机の上に積まれた書類へ力なく目を落とした。

 

「先生、散々言ったよな? ゾロスターと模擬戦するのはいいけど、出力は抑えてくれって。何度も言ったよな?」

「うん」

「じゃあ、なんで模擬戦場壊れてんの?」

「…………」

「戦技学科の主任、泣いてたよ? 先生も泣きそう。教務局長は辞表を書いてる」

 

 学部長は書類の束から一枚を抜き取り、サリエリの前へ掲げた。

 

「今月に入って、まだ三日。なのに、もう始末書は三枚目。おかしいな? 不思議だな? 一日一枚のペースだ」

「仕方なかった。ソルがテンション上がって、術式を使ったから……」

「理由になってない……」

 

 学部長は天井を仰ぎ、深々と息を吐いた。

 

「君ら、規格外なんだからさ。頼むから、常人の尺度で考えないでくれ。君らの『ちょっと』は、こっちにとっての大惨事なんだよ」

「今回は、少し壊れただけ」

「結界発生魔道具が焼き切れるレベルの術式行使は、『少し』とは言わない」

「模擬戦場自体は概ね無事」

「そういう前向きさ、今はいらないんだよ」

 

 学部長は両手で顔を覆う。

 

「このペースで始末書を書き続けたら、先生、いつかクビになっちゃうよ。そうなったら、おまんまを食いっぱぐれて、路頭に迷って、最終的には餓死だよ」

「大丈夫」

 

 サリエリが、慰めるように告げる。

 

「先生が死んだら、私の戦列に加えてあげる」

「それ、死んでも働けって言ってる?」

「うん」

「ドブラックじゃん。死んでも嫌なんだけど」

「ふふっ。ナイス……ジョーク……」

「いや、冗談じゃないから。マジで」

 

 学部長は顔を上げ、サリエリを真っ直ぐに見つめた。

 

「というか、今、笑うところあった?」

「死んでも嫌」

「言葉遊びに気づかなくていいんだよ」

「面白かった」

「先生は、君の将来が心配になってきたよ」

「先生の将来も心配」

「誰のせいだと思ってるの?」

「ソル?」

「君もだよ」

 

 学部長が即座に訂正すると、サリエリは納得したのかしていないのか分からない顔で立ち上がった。

 

「もう帰っていい?」

「模擬戦場の修復作業、忘れるなよ」

「分かってる。多分」

「最後の一言で不安にさせるの、やめてくれない?」

 

 サリエリが退室する。

 学部長は一人になると、机の上へ残された書類を引き寄せた。

 

 今月に入って、まだ三日。

 そして、これが三枚目の始末書だった。

 日付と自身の名前を書き込んだところで、指導室の扉が勢いよく開かれる。

 

「失礼いたしますわ!」

 

 妙に自信に満ちた声が、室内へ響いた。

 学部長は書きかけの始末書から顔を上げる。

 扉の前に立っていたのは、次の調書に名前の記された女生徒だった。

 

「……まだ呼んでないんだけど」

「些細なことですわ!」

「些細かなぁ……」

 

 学部長は三枚目の始末書を脇へ避け、四枚目の調書を手元へ置いた。

 

「さて、ヘルメスタ」

 

 指導室の机を挟み、学部長は正面に座る女生徒を見据えた。

 

「君が今日ここへ呼ばれた理由に、心当たりはあるか?」

「さあ? 何のことか、さっぱり分かりませんわ」

「ここまで悪びれないのは、いっそ尊敬するよ。本当に」

 

 学部長は疲れ切った顔で、机の上の書類へ目を落とす。

 

「理由は、歴代学長の銅像を金に変えたからだ」

「えぇ!? あのクッソダッサイ像を黄金に変えて、着飾って差し上げたのに!?」

「『えぇ!?』じゃないんだよなぁ」

 

 学部長は額へ手を当てた。

 

「学院の所有物を勝手に改造して、なぁんで怒られないと思っちゃったのかねぇ?」

「改造ではありませんわ。錬成ですわ」

「言い換えても駄目」

「資産価値は上がりましたわよ?」

「学長方の像を資産運用するな。しかも、金の無断錬成は禁止されてたよな?」

 

 講師は一枚の書類を持ち上げ、力なく振った。

 

「今月に入って、まだ三日。なのに、もう始末書は四枚目。あっれれ〜おっかしいぞ〜? 一日一枚超えたぞこんちくしょう」

「記録更新ですわね!」

「喜ばしい記録じゃないんだよ」

 

 書類を机へ戻し、学部長は深く溜息を吐いた。

 

「どうすんの、これ。先生、クビにリーチかかってるんじゃない? ヤバいよ」

「あら。そんなに心配なさらなくても、よろしくてよ」

 

 ヘルメスタは自信満々に胸を張った。

 

「もし先生が学院を解雇された暁には、我がヘルメスタ家で雇って差し上げますわ!」

「えぇ……確か、君の実家って調剤屋だったよな?」

 

「王都でも名の知れた調剤商会ですわ」

「先生、薬の知識ないけど」

「心配なさらなくても、よろしくてよ!」

 

 ヘルメスタは勢いよく立ち上がり、机へ両手をついた。

 

「先生を我が家で雇用した暁には、ヘルメスタ家の総力をもって、薬学の知識を一から叩き込んで差し上げますわ!」

「……なんか全力すぎない?」

 

 学部長は僅かに椅子を引いた。

 

「裏がありそうで、先生怖いよ」

「まさかまさか、そんなそんな」

 

 ヘルメスタは、わざとらしく顔の前で手を振った。

 

「先生の魔法は、便利そのもの。一人で百人分の仕事をこなせる、実に素晴らしい魔法ですわ」

「嫌な予感しかしない」

「先生一人を雇えば、一人分の賃金で百人を雇用しているのと同義!」

 

 ヘルメスタの瞳に、金貨の輝きが宿る。

 

「その分、人件費を大幅に削減できて、我が家はウハウハというものですわ〜!」

「やっぱりあったよ、裏」

 

 学部長は露骨に顔を顰めた。

 

「馬車馬のごとく働かせる気満々じゃん。絶対嫌だね」

「あら。一人分の賃金は、きちんとお支払いしますわよ?」

「百人分働かせるなら、百人分払えよ」

「それでは人件費を削減できませんわ! ほら、無駄な出費は、省きたいものでしょう?」

「堂々と言うな」

 

 学部長は始末書の隣へ、新たな紙を置いた。

 

「とりあえず、銅像を元に戻すこと。それから、学院内の備品を一週間磨いてもらう」

「まあ! 黄金へ錬成するだけでよろしいの?」

「磨けと言ったんだ。価値を上げろとは言ってない」

「では、白金に──」

「普通に磨け」

「宝石を散りばめる程度なら──」

「頼むから、何も足さないでくれ……」

 

 指導室に、学部長の疲労を帯びた声が木霊する。

 

 ヘルメスタは最後まで不満そうだったが、歴代学長の銅像を元へ戻し、学院の備品を普通に磨くと約束した。もっとも、彼女の言う「普通」が一般的な意味での普通と一致する保証はない。

 

「本当に、何も足すなよ」

「善処いたしますわ!」

「約束してくれないんだ……」

 

 ヘルメスタが意気揚々と退室していく。

 静かになった指導室で、学部長は四枚目の始末書を見つめた。

 今月三日目にして、一日一枚のペースを上回った。

 時計を見れば、昼食の時間はとうに過ぎている。

 

「せめて、飯くらい食わせてほしいな……」

 

 そう呟いた直後、控えめなノックの音がした。

 

「どうぞ」

 

 扉が開き、柔らかな笑みを浮かべた令嬢が姿を現す。今日、最後の指導対象だった。

 

「さて、サーシア嬢」

 

 指導室の机を挟み、学部長は向かいに座る令嬢へ問いかけた。

 

「なぜ、貴女がここへ呼ばれたのか、分かりますか?」

「さっぱり見当がつきませんわ〜」

「……そうですか」

 

 サーシアは心底不思議そうに首を傾げている。

 学部長は諦めたように息を吐くと、手元の書類を彼女の前へ差し出した。

 

「あのですね、サーシア嬢……貴女、講義に出なさすぎです」

「あら〜」

「見てください。この出席日数。ヤッバいことになってますよ」

 

 学部長は書類の一か所を指で叩いた。

 

「先月、十日しか出席してないじゃないですか。……いや、これでよく落第にならないな。これが権力か?」

「あらあら〜」

「いや、『あらあら〜』じゃなくて」

「でも〜、私がいないと、カサンドラちゃんが……」

「貴女が一日やそこら目を離したくらいで、彼女は死にはしませんよ」

 

 言い切ってから、学部長は少し考えた。

 

「……多分」

「先生〜?」

「とにかく、今は自分の出席日数を心配してください」

「でも〜」

「『でも〜』じゃなくて……」

 

 学部長は額を押さえた。

 

「そもそも、血統科の学部長が私財を投げ打って、貴重な治癒術師──それも凄腕を学院に常駐させているんです。そこまで心配しなくても大丈夫ですよ」

「あら〜。そこまでしてくださっているんですの〜?」

「知ってます? 一年間、治癒術師を雇用するために、家の財産の三分の一を使ったんだとか」

 

 学部長は遠い目をした。

 

「三年後が怖いですね、本当。アイツの家、卒業まで残ってるのかな……」

「そこまでなさってくださるなんて、カサンドラちゃんは本当に良い先生に恵まれましたわね〜」

「いや、まあ、カサンドラ嬢のためでもあるとは思いますけど……多分、一番の理由は自分のためですよ。アレ」

「まあ」

「万が一のことがあれば、首が飛ぶどころか、家ごと潰されかねないんで」

「そんな酷いことはいたしませんわ〜」

「本当ですか?」

「ええ、もちろん〜」

 

 サーシアは穏やかな笑みを浮かべた。

 

「でも、そうですわねぇ……もし、カサンドラちゃんが病弱であると知っていながら、何の対策もせず、その結果カサンドラちゃんを死なせたりなんかすれば……」

 

 にこやかな表情のまま、小さく首を傾げる。

 

「死んだ方がましと思えるくらいの目には遭っていただきますわね〜」

「…………」

 

 学部長は無言で天井を仰いだ。

 

「アイツ、ここぞというときは必ず正解を引くよな……マジで綱渡りじゃん」

 

 *

 

「それで、本当にお願いしますよ」

 

 長い説教を終え、学部長は疲れ切った顔でサーシアへ頭を下げた。

 

「ちゃんと講義に出てください。このままの出席率だと、自分、貴女の父君に首を刎ねられちゃいます」

「あら〜。それは大変ですわね〜」

「分かっていただけましたか」

「ええ。もし先生が処刑されてしまったら……」

 

 サーシアは真剣な表情で思案したあと、名案を思いついたように手を合わせた。

 

「大きな墳墓を建てて、盛大に弔って差し上げますわ〜」

「いや、まずは死なせない方向でお願いしたいんですけど……」

 

 学部長の懇願に、サーシアは柔らかな笑みを返した。

 

「それでは、カサンドラちゃんが待っていますので〜」

「明日は講義に出てくださいよ」

「考えておきますわ〜」

「それ、出ない奴の返事なんだよなぁ……」

 

 サーシアが指導室を出ていく。

 出席するとは、最後まで一言も約束しなかった。

 扉が閉じると、学部長は机へ突っ伏した。

 

 四人目。

 ようやく、今日の指導が全て終わった。

 指導室には、始末書と調書、飲む暇のなかった冷めた茶、そして手をつけられなかった昼食が残されている。

 

 窓の外へ目を向ける。いつの間にか日は暮れ、学院の敷地は薄闇に包まれていた。

 

「……帰るか」

 

 もっとも、帰宅するという意味ではない。

 まだ、部屋に仕事が残っているのだから。

 

 *

 

 生徒への指導を終え、俺は講師室へ戻った。

 日はすっかり暮れ、学院の廊下は薄暗い。窓の外から差し込む月明かりだけが、長い廊下を青白く照らしている。

 

 講師室へ着き、扉を開ける。

 部屋の中には、一心不乱に事務作業を進めている俺たちがいた。

 

「お疲れ〜」

 

 俺が声をかけると、机に向かっていた俺たちが次々と顔を上げた。

 

「おっ。あ、お疲れ〜、俺」

「あ〜? もうそんな時間か」

「マジかよ。まだ仕事終わってないんだけど」

「ドンマイ、残りは明日頑張れ」

「てか、今日は指導やけに多かったな」

「月初めでテンション上がってんじゃね? 知らんけど」

「問題児多すぎて、ぴえん超えてぱおん」

「多すぎるというか、全員問題児……」

「少なくとも、問題が起こらなかった日がないよな」

「我が強すぎるっぴ……」

 

 俺たちは、それぞれの机で手を動かしながら、口々に言葉を交わす。

 

「そういや、今度の学外学修どうすんだっけ?」

「参加するのはヴァーナレクだけだな」

「他は?」

「ネグレクタムは、単純に行きたくない」

「うん」

「ヘルメスタは、『あんな黴臭い場所は私に相応しくありませんわ』だと」

「うん……」

「サーシア嬢は、カサンドラ嬢から離れたくないらしい」

「あの……一応、必修なんですけど」

「そんなもんで制御できたら、俺たちが苦労するわけないだろ」

「それはそう」

 

 一人の俺が、机の上へ突っ伏して、別の俺は、書類の束を抱えたまま天井を仰いでいる。

 どいつもこいつも、顔だけは俺と同じなのに、疲れ方には微妙な個体差があった。

 

「おう。今日もお疲れ、俺」

 

 俺は部屋の中央まで進み、全員を見回す。

 

「そろそろ術式を解くけど、大丈夫だよな?」

「オッケー。大丈夫」

「こっちも大丈⋯⋯大丈夫」

「あとちょっと! あと五分待ってくれ! もう少しで切りがいいんだ!」

「いや、俺もいい加減休みたいだろうし、明日に回せよ」

「我、業務完遂せり」

「同じ俺のくせに、仕事の進み具合に差がありすぎワロタ」

「担当業務が違うから、しゃーない」

「書院組からも連絡入ったぞ。全員大丈夫だとよ」

「いや、まあ、五分くらいなら待つけど……」

「バッカ。その五分が命取りなんだよ」

「ただでさえ危険性の高い魔法なんだから、やめとけやめとけ」

「魔法は用法・用量を守って、正しく使用しよう!」

「まあ、俺たちの使い方って、言うほど用法も用量も守ってない気がするけどな」

「同じ魔法を持った奴が聞いたら、泡吹いて卒倒するだろうな」

「あ〜、できた! できた! はい、大丈夫! セーフ!」

 

「そう。じゃあ、もう解くわ」

 

 俺は頭の中で、術式を解く。イメージとしては、スイッチを切る感じか。そして部屋にいた俺たちの輪郭が、一斉に揺らぐ。

 

 指先から。

 足元から。

 あるいは、身体の中心から。

 俺たちは霞のように崩れ、次々と消えていった。

 

 机に向かっていた俺も。

 書類を抱えていた俺も。

 書院で膨大な資料を読み漁っていた俺たちも。

 全てが消え、講師室には本来の俺一人だけが残された。

 

 その直後。

 

「──ッ」

 

 百人分の記憶が、濁流のように頭の中へ流れ込んできた。

 生徒の指導。

 講義の準備。

 書類の作成。

 備品の確認。

 書庫で読んだ無数の文献。

 

 虹霓魔法、血統魔法、失伝魔法、魔獣の持つ特異な能力。文字、図式、仮説、失敗例、応用法。それら全てが、百人分の疲労とともに、一つの身体へ押し寄せる。

 

「あ〜…………」

 

 全身へ鉛を流し込まれたような重さに、思わず眉を顰め、倒れ込むように椅子へ腰かける。

 

「この瞬間が、一番きついな……」

 

 静まり返った講師室に、俺の声だけが虚しく響いた。

 机の上には、まだ処理していない書類が残っている。その一番上には、本日提出することになった二枚の始末書。

 

「……さて。始末書二枚、早く書かないとな……」

 

 そして俺は、今日も今日とて残業を始める。




登場人物
特異学部 特異学科 学部長 兼 学部主任 兼 学科主任 兼 講師
虹霓魔法の1つ、遍在を扱う。
遍在とは、自身の分身を生み出す魔法である。
一見すると便利な魔法だが、落とし穴が存在する。
それは、分身が消えた際に、分身のおった傷や、分身の記憶、疲労が全て本体にフィードバックされる事である。
分身自体は魔力の限り生み出すことが出来るが、常人では10体も生み出せばこのフィードバックで、10体分の疲労による過労死ないしは、記憶による狂死を迎える。
彼は、その尋常ならざる精神力と体力により、最大百体分の還元に耐える。通常は十体を学院業務へ、残る九十体を国立魔道書院へ派遣し、特異科生徒の魔法に応用可能な理論や事例を探し続けている。
現在の特異科が運営できているのは、彼のおかげであると言っても過言ではない。

ムスク・ネグレクタム
特異魔法の1つ、読心を扱う。特異学科所属。2年。
短い白髪に、薄紫色の瞳の少女。
性格は、一言で言うなら陰険そのもの。他人の秘密を暴くのが趣味で、トラウマ収集帳なる手帳を肌見放さず持ち歩いている。
学部長相手だと、3割増くらいお喋りになる。と言う噂。
渾名は特異科のカス。

エレナ・ヘルメスタ
特異魔法 錬金術を扱う。特異学科所属。2年。
長い金髪に、翡翠色の瞳の少女。
性格は自信家で努力家。
錬金術は錬成するのに構成物質の構造を正確に記憶していないと上手く錬成出来ない。そんな強力だが扱い辛い魔法を扱う努力の人。

サーシア・オブ・アザミナ
特異魔法の1つ、拒絶を扱う。特異学科所属。1年。
長い藤色の髪に、赤い瞳の少女。
アザミナ王家の第二王女。カサンドラとは幼馴染で、従姉妹にあたる。
何かと世話焼きな性格で、病弱なカサンドラの面倒をよく見ている。

魔法
遍在
虹霓魔法の一種。術者と同一の肉体・人格を持つ分身を生み出す魔法。
分身は術者の魔力が続く限り増やすことができ、それぞれが独立して行動可能。
ただし、分身が消滅した際、その分身が負った傷、疲労、記憶の全てが本体へ還元される。
一見すれば極めて利便性の高い魔法だが、複数の人生を同時に取り込むに等しい精神負荷を伴う。常人であれば十体程度でも、過労死あるいは記憶の混濁による精神崩壊を招くとされる。

錬金術
特異魔法の一種。
分類上は造物系魔法の一つに数えられるが、その最大の特徴は、他の造物系魔法とは比較にならないほどの万能性にある。
通常、造物系魔法の多くは、変化させられる素材や形状に厳しい制限を持つ。
例えば、虹霓魔法の一種であり、同じく造物系魔法に分類される『鍛造』は、鉄槌を剣へ、剣を盾へと作り替えるように、金属を別の形へ変化させることしかできない。
しかし、錬金術は違う。
非金属を卑金属へ。卑金属を貴金属へ。そして、貴金属を非金属へ。素材の種類を問わず、あらゆる物質を自由自在に変質、再構成することができる。そのため、元となる物質さえ存在すれば、理論上、この世に存在するほぼ全ての物質を錬成可能である。
ただし、錬成対象となる物質の構造を、術者が正確に把握していなければならない。
構成物質やその配列に関する知識が不足していた場合、錬成は失敗する。形だけを再現できても、強度や性質が本物とは異なる、まったく別の物質が生まれることもある。
極めて高い自由度を持つ反面、それを十全に扱うには、膨大な知識と正確な記憶力を要求される魔法である。

読心
特異魔法の一種。
他者の心を読み取る魔法。
ここでいう「心」とは、単なる思考だけを指すものではない。術者は、相手が今抱いている感情や、思考の根底にある記憶までも読み取ることができる。
この魔法の持ち主を前にすれば、どれほど巧妙に本心を隠そうとも意味を成さない。口に出さなかった言葉も、押し殺した感情も、本人すら忘れかけていた過去も、その全てが筒抜けとなる。また、ただ心を読み取るだけでなく、相手の記憶へ干渉し、意図的に特定の記憶を呼び覚ますことも可能であるらしい。
その性質上、尋問や捜査において絶大な力を発揮する一方、他者の精神へ無遠慮に踏み込む危険な魔法でもある。

拒絶
特異魔法の一種。
使用者が「拒絶する」と定めた事象を、一切受け付けない防壁を展開する魔法。
その防御性能は絶対的であり、物理的な攻撃や魔法はもちろん、毒、熱、衝撃など、いかなる現象であっても、使用者が拒絶すると定めたものは防壁を突破できない。
相手の威力や規模は関係なく、拒絶の対象として定められている限り、その一切を遮断する。
その反面、この魔法は攻撃能力をほとんど持たない。あくまで自身や周囲を守ることに特化した、純粋な防御型の特異魔法である。

用語
国立魔導書院
アザミナ王国が擁する、世界最大級の魔法専門図書館。
正式名称は、国立魔導書院トリヴィア
王国建国と同時期に設立された歴史ある施設であり、現在に至るまで、古今東西のあらゆる魔法に関する文献を収集・収蔵し続けている。
内部には、それぞれ一つの図書館に匹敵するほど巨大な三つの書庫が存在する。
収蔵されているのは、属性魔法や虹霓魔法、血統魔法といった体系化された魔法に関する文献だけではない。既に失われた魔法の記録、魔獣の特異な能力に関する研究書、個人が遺した未完成の術式、真偽不明の伝承や走り書きに至るまで、およそ魔法に関係するものであれば分野を問わず保管されている。
その収蔵数はあまりにも膨大で、長年勤務している司書でさえ、全ての資料の正確な所在を把握していないという。目録に記載されていない文献や、いつ、誰が持ち込んだのか分からない書物も珍しくない。そのため、求める資料が存在することは確かでも、発見までに数年を要する場合すらある。
それでもなお、日々新たな文献が運び込まれ、三つの書庫は現在も拡張を続けている。
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